べートーヴェン / 交響曲第2 & 4番

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       Beethoven Symphonies Nos. 2 in D major op.36 & 4 in B♭ major op.60
       Sergiu Celibidache   Munchner Philharmoniker ♥♥

ベートーヴェン / 交響曲第2番ニ長調 op.36 / 第4番変ロ長調 op.60
セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン交響楽団 ♥♥
 英雄や運命などの人気曲の間にあって、ちょっと隠れているように思われるべートーヴェンの交響曲第2番と4番。大変美しい曲なので個人的にはよく聞きます。そのCDの中でも最も気に入っているのが晩年のチェリビダッケがミュンヘン交響楽団を指揮したものです。別にファンというわけでもないのですが、ヤンソンスと並んでこの手のオーケストラものではよくよく名演だなと思えるものが多いです。恣意的に煽るような表現が好きでないのに加えて、入魂の度合いが薄いのも嫌だからかもしれません。録音もこのシリーズ、大変素晴らしいです。録音嫌いの指揮者による演奏会での記録ですので、ステージの上から二本のマイクを吊るしただけのような収録だっただろうと思われます。ところが自然な弦の艶があり、生のやわらかさを伝えながら細部もほど良くとれている優秀録音なのです。それとも、後で世に出す計画でもあったのでしょうか。今回はこれのみのCD紹介で聞き比べにはならないながら、少しだけ書いてみます。

 チェリビダッケはベルリン・フィルの常任の座をカラヤンより先に手にするかと思われていた実力者ですが、録音をさせないことで有名でした。しかし記録として残したものが洩れ聞こえて来ることはよくあり、シュトゥットガルト放送協会提供のテープをFMが流したモーツァルトの39番の交響曲には驚きました。版によるのかどうか、一般的な楽譜では最初の音符の上にフォルテの記号があり、どこにも全部弱音で奏でろという指示はないと思うのですが、ティンパニのトトトーンという軽やかな始まりは今まで聞いたことのない音色だったのです。ずいぶん大胆なことをする人だなあと思いましたが、その弱い音にすることで生まれる緊迫した響きはその後ずっと忘れられませんでした。それが当時の彼のスタイルでした。

 それから月日も流れ、この指揮者の印象もだいぶ変わりました。歳を取るとテンポがゆっくりになるというのは多くの演奏者に共通だけど、チェリビダッケもまた、ミュンヘンとのこの晩年の一連の録音でそれはそれはゆっくりと演奏しています。しかしただ間延びするのではなく、以前のエキセントリックさが陰を潜め、スコアのなかに閉じ込められた味わいを一音一音見せてくれるような誠実なものになっています。彼が傾倒していた禅の影響だとは特に思わないのですが。聴衆とエネルギーをやりとりをするライブですから、演奏によっては驚くほどスリリングなものもあります。

 ベートーヴェンの第4番は彼の三十六歳前後の作品で、ウィーンに出て来て作曲家としての評価も上がり、聴覚が衰えたことでハイリゲンシュタットの遺書をしたためた後四年ほど経った頃です。それは「傑作の森」と呼ばれる中期に当たります。創作意欲が旺盛であり、ハイドン、モーツァルトらのウィーン古典派の形式を発展させた時期です。3番や5番とは違い、確かにそんな具合に均整の取れた側面が感じられます。
 まず静かな序奏から始まります。暗い中で何かが胎動するような、予感に満ちたその音にまず引き込まれます。とりわけシンプルな低声部の進行は魅力的で、コントラバスの低いうなりが十分に聞き取れるチェリビダッケの録音にはこの部分での感覚的な満足があります。ピツィカートの最初の一音から印象的で、管の響きがはっきり分離して聞こえるところが他の演奏と違います。そして厳かな序奏から躍動する輝きへとコントラスト豊かに進行する流れがあり、曲も演奏も喜びに満ちています。

 一方、第2番の方は三十一歳のときに完成されており、着手は1番と同じ頃で、上述の「中期」は交響曲で言えば3番以降ですから初期の作品になります。十年前にはハイドンに教えを乞うていました。そしてこの曲を作ったときには難聴はすでに始まっており、完成の半年後には例のハイリゲンシュタットの遺書が書かれています。   曲調ですが、優美な第二楽章にはいつもうっとりさせられます。ベートーヴェンの交響曲の緩徐楽章といえば、第7番が映画等の効果に使われたり、編曲されて歌手のレパートリーとなるなど、単独で取り上げられて人気があります。第九の回想も魅惑的です。そしてそれらと並んで、この2番も傑作だと思います。ゆっくりと深呼吸をするように弦が上昇旋律で問いかける冒頭から夢見るような気分に誘われます。すぐに下降旋律が応答し、それが繰り返されて長調から短調へ、短調から長調へと入れ代わって行きます。雲の間から太陽の光が漏れるように、少し明るくなったかなと思うとはっきりと輝き、また曇って来ます。希望を持っては手放すことの繰り返しを通して自分と向かい合ってきた人の美しい歌のようです。こじつければ難聴に向き合う気分とも解釈できるのかもしれません。第1番より明らかに複雑さとダイナミックさが増しているように思います。ベートーヴェンの葛藤が心に染みるときは、この比較的初期の作品においてすら、古典派の均整を超えた主観の動きがはっきりと感じられます。晩年のチェリビダッケのゆったりとした演奏は、聴いている間に色々と感じさせる余裕があり、隠された本質を明るみに出してくれるような気がします。

 最近の売り方の傾向として、CDは一枚ものよりも全集の方がお値打ちです。サブスクライブのサイトでは大手は基本持っているようですが、検索し難いところもあるようです。



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