ベートーヴェン / ピアノ協奏曲
第3番 / 第5番「皇帝」/ 全集 

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ルイス/ブレンデル(60年代〜'98まで4種)/ペライア (新)/ツィマーマン/ケンプ(ステレオ)/インマゼール(ピリオド楽器)


ベートーヴェンのピアノ協奏曲
 モーツァルトが27曲のピアノ協奏曲を作り、このジャンルで輝かしい成果を残したわけですが、その最後の協奏曲が作られているときとほとんど時期を同じくしてベートーヴェンも最初の協奏曲となるものを書いていました。実際はその7年前の1784年、十三歳のときにすでに一曲作っているのですが、オーケストラのパートが残っていないのでほとんど演奏されることがありません。ベートーヴェンはそれ以外に五曲作り、音楽史上重要な作品となっていることはご存知の通りです。

 なかでも3番から5番はよく演奏される人気曲です。第3番ハ短調は同じ調性のモーツァルトの協奏曲でベートーヴェン的だとも言われる第24番とよく似ているとされ、実際に最初の楽章はそんな感じで、モーツァルトの名曲に劣らない短調の魅力的な旋律と合奏の響きを持っています。長調に転じてピアノで始まる静かな第二楽章も鮮烈な第三楽章もどことなく雰囲気が似ている気がしますが、どこをとってもメロディアスで魅力的な曲です。

 第4番は3番や5番のように誰が聞いてもメロディーの美しさを感じるというものではありませんが、考えられた構成で玄人受けする曲で、出だしはこの手の曲としては例外的にピアノのソロで始まるところが新しかったようです。第二楽章はちょっと深刻に謎掛けをするようなオーケストラのテーマから入って、それと対照的に静かなピアノソロが続き、またそれを中断するような最初のモチーフが挟まりという具合に繰り返され、相容れないものが衝突して押し問答をするようなところがいかにもベートーヴェンらしい造りです。「第九」の第四楽章でそれまでのテーマを次々と鳴らしてはこれじゃないと否定するのにも似ており、途中でピアノのトレモロをともなって不穏な半音の下降音形が現れたりするところは何か意図した具体的な物語があるのかと思わせる出来です。

 第5番は「皇帝」と呼ばれますが、交響曲の「英雄」のようにナポレオンに関係する曲ではなく、1804年にナポレオンが皇帝に即位した四年ほど後に書き始められており、ベートーヴェンのいたウィーンはフランス軍に包囲され、砲撃されて陥落しました。時期としては中期の第5シンフォニーや「田園」の頃です。ただ、壮麗な曲という意味では「皇帝」という名前に相応しいのかもしれません。第一楽章の頭から元気の良いオーケストラときらきらしたピアノで始まり、華々しい印象ですが、第三楽章とつながっている第二楽章は静かでベートーヴェンの緩徐楽章としても最良の一つと言える美しさです。絢爛豪華ではあってもこの5番は3番と並んでどの楽章もメロディアスな聞きやすい一面を持った曲でもあります。



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Beethoven Piano Concertos
      Paul Lewis (pf)   Jiří Bělohlávek    BBC Symphony Orchestra ♥♥


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
ポール・ルイス / イルジー・ビエロフラーヴェク/ BBC交響楽団 ♥♥
 これぞという決め手に欠けてあれこれと物色するのが楽しかったベートーヴェンのピアノ協奏曲の CD も、このルイスの全集が出て以来、どうもプロジェクト完結という感覚になってしまい、いつもこれをかけてしまっている状況です。 1972年生まれのイギリスのピアニスト、ルイスは十二歳になってから自分が好きでピアノを始めたという変わっ た経歴の人です。デリケートで繊細な抑揚を決してやり過ぎない範囲で付けるその弾き方はどこをとっても瑞々し く、切れ味が良くても力みがなく、スロー・パートでやさしくてもセンチメンタルに傾きもしない、実に鮮度の高い 演奏です。ぱっと聞くと大変自然であるがゆえに特徴があるようにも聞こえないのですが、びっくりするほど美しいので す。今生まれたばかりの音楽のように初々しくて、今までにないとも言える個性です。ピアノ・ソナタ全集も同じレーベルから 出ており、こちらも大変完成度が高いので、この個性が好みの方には最高のセットになると思います。

 指揮者のビエロフラーヴェクは1946年チェコ生まれの人で、チェリビダッケに学び、1990年にチェコ・ フィルの、そしてこの CD 録音のときには BBC 交響楽団の主席指揮者でした。ルイスのピアノにぴったりな、柔軟でよく歌う、はったりのない完璧なバックを務めています。協奏曲で自己主張をされてもどうかと思うので、こういう実力派の人で良かったと思います。全体を通してテンポも完璧です。

 2009/10年のハルモニア・ムンディ・フランスの録音がまたこのピアニストの演奏にぴったりな優秀録音です。一皮むけたようなピアノの音はスタインウェイらしさが最大に出ていながら輝き過ぎず、色彩が変化します。オーケストラも分解が良いので強い音も団子になりません。 



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      Beethoven Piano Concertos     
      Alfred Brendel (pf)    Bernard Haitink    London Philharmonic Orchestra ♥♥


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
アルフレート・ブレンデル/ ベルナルト・ハイティンク/ ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥

 ブレンデルはベートーヴェンの協奏曲が好きなのか、レコード会社からの依頼が多いのか、何度も録音していま す。1931年チェコ生まれのオーストリーのピアニストで、ベートーヴェンも評価が高くて人気のある人なわけですが、どの録音が良いかと言えば、最新のラトルとのセットもいいですが、個人的にはハインティンクと組んだフィリップス最初の全集盤が気に入り、長らく定番状態でした。今聞いても大変良い演奏だと思います。

 少しだけ各々の内訳に触れてみますと、例えば皇帝で比較するなら、60年代のウィーン交響楽団(3〜5番)との VOX 盤(皇帝はメータ、それ以外はベッチャー/ワルベルクが指揮)は、やはり録音が古い分だけクリアさに欠けるところが残念で、残響もあまりないせいでちょっと小編成かと思うようなオーケストラの聞こえ方です。ブレンデルの演奏は速い楽章でさらっと速めのテンポを取るせいか、他の録音より若干あっさりに聞こえます。一方ゆっくりした部分では速めのテンポこそとらないものの、管弦楽がやや平坦に感じられ、ピアノもあえてスタッカート気味に表現する部分があったりして、意欲的というのか、若さを感じさせます。ピアノの音自体はオフで、中域でコーン、という感じの響きにとれています。配信では DENON レーベルで出ている皇帝がこの時のものだと思われます。

 1983年フィリップス・デジタル録音(皇帝)のレヴァイン/シカゴ交響楽団との盤はオーケストラの表情が大きめで、場所によっては勇壮な感じに聞こえます。60年代の盤ほどではないものの、ライヴのためか音もさほど透明度が高くは感じません。デジタル初期らしいというのか、弦の高域がシャリっとしてやや目立つ録音です。静かな楽章での表現は流れるように進むのではなく、ブロックごとに力が盛り上がるような印象を受けます。一方でピアノは出だしからちょっと大きめの表情が付き、管弦楽と表現が合っているのかなと思わせます。第二楽章での表情も心持ち他の録音より大きめに感じます。ピアノの音は丸い艶があって、ハイティンクとの盤よりおとなしい音です。最後に間髪を入れずに拍手と歓声が入ります。

 三度目の全集はこれもフィリップスですが、98年録音のラトル/ウィーン・フィルとのもので、演奏だけからみるとハイティンクとのものと甲乙付け難く、こちらの方が好みという方もいらっしゃると思います。巧者ラトルにドライブされた伝統あるオーケストラはここでは力があり、そうかと思うと途中でテンポを絶妙に緩めたりの伸び縮みがあります。ピアノは初めさらっと速めかと思えば、第二楽章は自然でためが効いており、立体感と陰影を感じさせます。オーケストラ共々表情が豊かで、年齢的なこともあるのか、今やゆとりが感じられるというのがこの演奏だと思います。ハイティンク盤と比べると表情の付け方が違うのでどちらがいいとも言えませんが、敢えて言えばアナログ旧盤の方がピアノにはやや張りがあり、オーソドックスでひたむきな感じがします。そこが好みなのですが、その旧のハイティンクの方をとる一番の理由は案外音の良さかもしれません。ラトルとの新盤もよい音だけど、比べると案外普通というのか、バランスと鮮度の良いアナログ録音盤をとりたくなります。

 では、一番好みだったハイティンク/ロンドン・フィルとの最初の全集(1975〜77年録音)はと言うと、第一楽章からピアノにためが効いていてメリハリがあり、管弦楽も勢いが良くて全体に立体感があります。第二楽章はテンポこそメータとの60年代のものからさほど変わりはありませんが、ピアノにスタッカートが出たりせず抑揚がよりはっきりとし、オーケストラはラトルよりオーソドックスだけどこれもしっかりとした表情があります。そして一番の魅力はピアノの音です。この手のものの中でもっともきれいな録音の一つではないでしょうか。モーツァルトのコンチェルトも同様の傾向でしたが、この頃のフィリップスのアナログ録音、とりわけブレンデルのものは大変美しい響きを持っています。客席で聞いた生っぽい自然なピアノの音というのとは違うかもしれませんが、演奏者になったかのようにくっきりしており、スタインウェイらしいエッジの立ったところはちょっとメタリックさも感じさせ、艶とのバランスが魅力的です。フォルテピアノなんかとは反対に、剛性のある金属のフレームが揺らがずによく弦を響かせている感じがします。ルイスの好録音よりはデフォルメされているものの、ピアノの音の魅力を知ってるなと思わせるのです。

 ブレンデルという人は、バッハでもモーツァルトでも静かな部分でまるでロマン派的に、内向きで情緒たっぷりに弾いていた印象があります。静かな一音に全霊を込めるといった風情で、基本的なメンタリティはペライアに負けず劣らずのしんみり系の人なのかと思っていたら、ベートーヴェンの場合はあまり情に流されない理知的なアプローチも見られるようで、多面的です。作曲家ごとに変えているのでしょう。そういうところこそがベートーヴェン弾きとして正統とされ、人気があるのかもしれません。その作曲家のイメージとしては、個人的にはバッハ/モーツァルトとベートーヴェンが逆のようにも感じますが、陰影深いタッチとやわらかさは協奏曲でも生きており、力で押し切らない、情によって混濁しない、それでいて力強さもある理想的なベートーヴェンという気がします。



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      Beethoven Piano Concertos
      Murray Perahia (pf)    Bernard Haitink    Royal Concertgebouw Orchestra ♥♥


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
マレイ・ペライア/ ベルナルト・ハイティンク / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
♥♥
 こちらもバックはハイティンクですが、しなやかで洗練されたペライアのピアノが大変魅力的です。ブレンデル同様に決して力で押さないタイプのピアニストですが、自在に伸び縮みするテンポと繊細な強弱が彼独特です。生き物のように呼吸して、オーケストラの各楽器もその抑揚に応えるかのようです。一緒にやっていると同じ空気を吸うのでしょうか。写真右は朽ちた車で遊ぶ子供たちを写したフランス盤の粋なジャケットですが、ペライアはユダヤ人であるにもかかわらず、流れる抑揚はちょっとフランス的なのかもしれません。彼の国でも人気があるのでしょうか。よりオーソドックスに構築的なのが良くて、弱音でのピアノのフレージングにももっとさらっと切れる素直さがあり、力強さもより感じたいというのならブレンデルの方がいいかもしれませんが、絢爛豪華な皇帝に疲れ、息がつける美しさがほしいのならこのペライア盤に勝るものはありません。静かな第二楽章の運びも魅力的です。バッハなどの短調の曲では憂いの貴公子とでも呼びたくなるような独特の湿り気があり、たゆたう旋律の中に物悲しい感じを投影するのがペライアであって、同様に極めて弱いタッチでささやくような哀しい声を出すことのあるブレンデルとはそういう部分でも比較できそうだけど、ブレンデルはベートーヴェンではその面をあまり出さないし、またペライアも皇帝の第二楽章が長調のせいかここでは悲哀を感じさせず、そのしなやかさこそが生きているという印象です。第三楽章では管弦楽の力強さも十分味わえます。

 レーベルは CBSコロンビアの1986年録音で、バランスも優れています。ピアノも金属的なところはないけれども自然な艶があるきれいな音です。現在はソニーからも出ています。



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      Beethoven Piano Concertos
      Krystian Zimerman (pf)    Leonard Bernstein    Wiener Philharmoniker


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
クリスティアン・ツィマーマン/ レナード・バーンスタイン/ ウィーン・フィル
 
 ピアノの上手さという点で行くと、最初に取り上げたルイスもいいですが、まずショパン・コンクールの優勝者にして完全主義者のポーランドのピアニスト、ツィマーマンでしょう。ここでも誰が聞いても上手いとしか言いようのない仕方で、粒の揃ったきれいな音でどのパッセージも透明度高く明晰に弾いています。しかもこの人はテクニックをひけらかすようなところが微塵もなく、自然でときに控え目な印象すらあります。しっとりと歌って無理のないその完璧さこそが個性という感じです。したがって何色という印象もないわけですが、ポール・ルイスもぱっと聞くと、どこにどういう歌わせ方の特徴があるという風でもないのに鮮度の高い演奏を聞かせます。どう違うのかは感覚的な問題で、ルイスがやわらかくセンシティブで全体に繊細な印象なのに対し、ツィマーマンは冷たく透明度の高い音で切れがよく、ダイナミックだけど余分な力が入らない演奏です。どちらがいいという問題でもないのだけど、ここで♡を一つにしたのは、3番〜5番の緩徐楽章でテンポが大変遅いのに個人的について行けなかったからです。元来このピアニストはどの曲でもアダージョなどのスローなところでは、抑揚は大き過ぎず感傷的にもならないながらゆっくり歌う傾向があります。このベートーヴェンでもミケランジェリなどのイタリアの演奏家と同様、遅くても湿らないところは大変良かったです。しかしやはりちょっと遅いのです。特に3番はモーツァルトに似ているとさえ言われることもある古典派のベートーヴェンというよりも、後期ロマン派の曲のようです。そういう表現を狙っているという意味では4番などむしろ前衛的ですらあって面白いと言えるかもしれませんが。ちなみに指揮者亡き後に弾き振りで入れた1番と2番は遅いながらもまだ節度があります。後半の曲でのテンポ設定は指揮者との話し合いということもあるのでしょうか。このテンポに乗れる方にとっては文句なく最高の演奏だと思います。

 ドイツ・グラモフォン1989年(皇帝)の録音です。DG らしいカチッとした響きながら、きれいな音です。



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      Beethoven Piano Concertos
      Wilhelm Kempff (pf)    Ferdinand Leitner    Berliner Philharmoniker ♥♥


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
ウィルヘルム・ケンプ/ フェルディナント・ライトナー/ ベルリン・フィル
♥♥
 録音は1961年ということでちょっと古めなのでオーケストラの音の面では不利ですが、ドイツが誇るピアニストの一人だったケンプの盤もあげておきま す。これぞまさに正統と呼べるでしょう。古い話ですが、前の方の70年万博のドイツ館で売っていた記念レコード(写真右)にシュトックハウゼンなどと共に このケンプの皇帝の第二〜三楽章が入っていたことからもそのことは窺えると思います。その美しい音楽と演奏にベートーヴェンの緩徐楽章のきれいさを教えて もらったような気もします。今 CD で聞いてみても、両端の楽章の安心感のある力強さに加え、ニュアンス豊かなアダージョは凛としてなんともいえない深みがあり、全く色褪せません。さらっとし ているのに静かで瞑想的な、超然とした美を感じます。なかなかこれを超える気高さは聞けません。

 ドイツ・グラモフォンのステレオ・アナログ録音です。新しい盤はドイツでリマスターもされているようです。



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      Beethoven Piano Concertos
     Jos van Immerseel    Bruno Weil    Tafelmusik Baroque Orchestra


ベートーヴェン / ピアノ協奏曲全集
ヨス・ファン・インマゼール/ ブルーノ・ヴァイル/ ターフェルムジーク・バロック・オーケストラ

 バロック・ヴァイオリンの弦の響きが聞きたい、ピリオド楽器で聞きたいというのであれば、やはりインマゼールの盤かなと思います。例によって次のフレーズに入る頭や終わりのロングトーンの前などで一瞬間ができて、「そこで緩めるのがベートーヴェンの時代流?」と、受けとめる側の頭にも間ができたりします。フレーズの途中でそれが出ることもあります。しかしこの人の演奏は他のフォルテピアノの演奏家よりもアクセントに学究的な癖が少なく、素直で聞きやすいです。軽くやわらかい音のフォルテピアノは好きな人とそうでもない人とがいるでしょうが、ベートーヴェンの時代はこんな音だったのだなということが分かります。ベートーヴェンという人は新しいピアノが手に入るとすぐにその限界まで使って作曲を試みる人でしたから、現代のピアノがあったら夢中になったかもしれませんが。さらっと節度のある歌わせ方が清新です。バックを務めるのは最近になって素晴らしいベートーヴェンの交響曲全集を出してくれたブルーノ・ヴァイルとカナダのターフェルムジーク・バロック・オーケストラです。

 1997年でレーベルはソニーです。




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