ブラームス / 交響曲第4番

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取り上げる CD15枚: フルトヴェングラー/ワルター/バルビローリ/ケルテス/ザンデルリンク/ストコフスキー/チェリビダッケ ('74/'85/'86) /ベーム/プレヴィン/ドホナーニ/ハイティンク/ラトル/ヤンソンス


 ヨハネス・ブラームスの全ての曲の中でも、色々な作曲家の数ある交響曲のなかでも、ちょっと愁いを帯びたメロ ディー といい重厚な構成といい、これほど魅力的な曲はなかなかないのではないでしょうか。それでCDも多少集めてきましたので、ちょっと聞き比べをしてみようと思います。ついでにこの作曲家のことも少し。

 四つあるブラームスの交響曲の最後の曲である第4番ホ短調 op.98は、その作曲時期から枯淡の境地などと 評されますが、ブラームスという人は枯淡という表現とはどこか馴染まないような気もします。この曲について も、むしろ過去への追憶が生々しく含まれていて、演奏にもよるのですが、どこか過ぎ去ったロマンスと関わり があるようにすら聞こえます。もっとも、晩年といっても五十一歳ですから無理もないのかもしれません。それ我々はクララ・シューマンとの一件を聞かされ続けてきたわけです。


ブラームスと女性のこと
 ゴシップ・クラシック界最大の謎とされるのがヨハネスとクララの関係です。他にもモーツァルトとアロイジ ア・ウェーバー、ラヴェルとエレーヌ・ジョルダン・モランジュなど、なかったようであったかもしれない式の 噂話は他項で取り上げました。年譜まで作って調べる人もいます。

 クララ・シューマンは、ご存知のとおり、作曲家ロベルト・シューマンの奥さんです。ブラームスからすると 十四歳年上ですが、当時有名なピアニストであり、ドイツの紙幣に描かれたこともある美貌の女性でもありま す。ブラームスは二十歳のときにこの夫妻に初めて会っています。クララを見てどう思ったかはわかりません が、音楽の中に心境が表れるのなら、この頃に作曲されたのはピアノ三重奏曲第1番です(「ブラームスの室内楽」)。 そして夫妻に会ったそのとき、夫のシューマンには才能を見いだされ、後年ブラームスがドヴォルザークにして やったのと同じように世に出るきっかけを作ってもらいました。したがってロベルトは彼の恩人なのです。しか しその恩人は翌年ライン川に身を投げて自殺を図ります。幸い通りかかった船に助けられて一命はとりとめまし たが、以後 は精神病院暮らしとなり、それから一年後に死亡します。人によってはこの自殺の際にシューマンが結婚指輪を 外していたことから、妻とブラームスの関係を知って絶望していたのではないかなどと言うのですが、一般に受 け入れられている理由は病気を苦にしてのことだとされています。シューマンは結婚前に娼婦から梅毒をうつさ れており、当時致命的な病気であったそ の性病はどんどん進行していました。それと原因が同じか別か、精神も 病んでいました。梅毒が脳を侵したわけではないという医者の所見もあるようですが、考えられてきたのはまず 梅毒による影響、そして躁鬱病、統合失調症です。病跡学的には躁鬱が有力らしいですが、被支配の妄想は統合 失調様にも感じられます。奥さんのクララに梅毒がうつらなかったのは、結婚時にすでに潜伏期に入っていたた めのようですが、シューマンはそのとき自らの病気を知っていたのでしょうか。彼が売春婦と関係を持ったのは ブラームスとクララの関係を知った後だという説を唱える人すらいます。また、シューマン最後の言葉はクララ に抱かれて発した I know の意味のイッヒ・ヴァイスで、幻覚にも てあそばれてきたけれども「君だとわか るよ」と言い、最後の力をふりしぼって 挨拶したのだとク ララは言っているわけですが、一方で「ブラームス と関係してたこと、 ぼくは知ってるよ」という意味だと解 釈したがる人もいま す。

  8人も子供のあったクララは、8番目がブラームスの子だったなどという憶測は横へ置いておくにしても、夫シューマンの療養所入りとその後の死によって経済 的に苦しくなり、コンサートをたくさん開くなど苦労したようです。この頃ブラームスがクララの面倒を見、急 接近していたことは知られています。彼のクララへの手紙には大変熱烈なものが何通も残っています。その上一 番親密だった頃の手紙は二人とも処分している(らしい)というのですから、男女関係 にあったとする見方が出てくるのは当然かもしれません。クララがブラームスに宛てた「あなたは最高の友人 よ」という見限りメール風のものも残っているようですが、真実が何であったかは知りたい人が前後関係を読ん で想像すれば良いと思います。いずれにしても二人がその後一緒になることはなく、表向きは親しい友人関係を 貫きました。

 そしてその急接近の三年後、25歳のブラームスはアガーテ・フォン・ジーボルトという、長崎のシーボルト の従兄弟の子に当たる女性と婚約しますが、いざ結婚の段になると「今は大変忙しい、結婚によって束縛された くない。結婚するかどうかは君が決めてくれ」という内容の手紙をアガーテに送り、それを受け取ってショック を受けたアガーテに振られるという結果に至ります。まったく気のない言いぐさです。まるで他の誰かを思って いたかの ようです。それとも、結 婚式から逃亡する人もいるように、成 就してしまうことを怖れる心理でも働いていたのでしょうか。ある事に自信がなく、それが露呈するのを恐れる ケースもあります。また、恋愛においては親との 幼少期の関係が影を落とす場合もあります。キェルケゴールのように自ら婚約を破棄してしまい、後々自責と後 悔に苛まれる人もいるのです。いずれにしても、冷淡な態度を取ればそれで関係が終わってしまっても仕方はあ りません。
 この頃に作曲されたのが弦楽六重奏曲第1番です。以後ブラームスは独身を貫き、仲の良かった夫婦によく見 られるパタ−ンですが、クララの死の一年後に肝臓ガンで後を追うように亡くなっています。西洋医学では否定 されますが、伝統医学では臓器と感情の結びつきが言われます。そういう意味では肝臓は怒りの 臓器だという話ですが、クララの死後、ブラームスには何か自分への隠された怒りでもあったのでしょうか。

 では、音楽の上では、プライベートな出来事はどう表れるのでしょう。芸術作品は作者の感情に関わらず、作 品単体で見るべきだという哲学もあります。何を言ったところで他人の主観に過ぎないからでしょう。しかし裏 を返せば全てが投影なのですから、逆に心情を感じてみるのもありです。ブラームスには、若いときから一貫し て切々と訴えてくる叙情性が あります。甘く夢見るような歌の途中で突如感情が高まり、希望と切なさがないまぜになったフォルテへと上り 詰めた後、燃焼し切らずに力が抜け、また内にこもって物思いにふけります。このホルモンのやるせない波立ち には誰しも覚えがあるはずです。しかもブラームスの場合、感情が高まるときは肉 声に似たチェロなどの持続音をともなっ て厚い音で訴えてきます。クララと出会った頃のピアノ三重奏(第1番)の出だしの音を聞いてください。クラ ラが耳にし、弾くことになるのは明らかでした。ブラームスはヴァイオリンが弾けましたし。また、甘美な旋律 で有名なヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」は、クララが好きだった歌曲から編曲されたためにそのタイト ルで呼ばれます。アガーテと謎の破綻をした直後の弦楽六重奏ですら同じ響きを持っているように聞こえるのは 私の耳がおかしいのでしょうか。どれも内に秘めた想いが分厚い和声を通り抜けて聞こえてきます。

 もちろんブラームスにも、あまり切ない気分を感じさせない期間もあります。ドイツ・レクイ エム、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲などを生み出していた頃、年齢で言えば35歳から50歳ぐらいまでの間がそうではないでしょうか。この時期の作品は 概ね穏やかな満足に満ちているような気がします。しかしそれも長くは続きませんでした。
 五十代を超えると、想いが枯れて来るのではなく、過去への回想が加わって来るようです。それはときに怒り を伴い、悲痛さを感じさせることもありますが、美化した幸福に酔う瞬間も現れます。よ く演奏されるものとしてはクラリネット五重奏曲とピアノ 間奏曲集が、事実上彼の最後の作品に当たるわけですが、これらですら若者の自己陶酔的な嘆きにすら聞こえる ことがあり、モーツァルトやベートーヴェンが晩年に見せたふっきれた感覚とは質的に異なっているようです。 人の晩年といってもそれぞれで、青年期の問題を晩年に解く人もいれば、無条件の愛のテーマに早くから取り組 む夭折の天才もいます。それらに優劣は関係ないですし、老年期の心理などというものがはたしてどこまで普遍 性を持ち得るのかは謎です。

 色々憶測を並べてきましたが、最初の話に戻って、やはり第4交響曲は名曲です。フ リギア旋法やシャコンヌの形式などということはどっちだって構いません。モー ツァルトの40番、ベートーヴェンの田園、ベルリオーズの幻想、チャイコフスキーの悲愴、ショスタコー ヴィッチの革命... 数々の有名曲と並べても、よくできた曲だと思います。こ の短調のシンフォニーは「悲劇 的」でしょうか? 文学の悲劇では、国を救う英雄が運命に裏切られ、勝利目前で命を落とす筋書きが理想的で す。しかし手違いから姫君に 延ばした手が届かないのだって、立派な悲劇です。



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      Wilhelm Furtwangler    Berliner Philharmoniker

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィル
 古い方から行けば、まずフルトヴェングラーの歴史的録音でしょうか。48年のライブです。実は最初にこの 曲の魅力を教えてくれたのはこの演奏でした。当時は茶色いジャケットに入ったLPでしたが、今聞き直しても 印象は変わりません。たわみ、ねばる節回しがエネルギッシュです。 途中から猛然と走って行くところもお約束通り堪能できます。フルトヴェングラーのこの19世紀的ロマン主義は、当時の演奏者がみなそうだったというわけで もありませんが、今となれば大変個性的です。第二楽章でも最初遅く抑えていて分解的に聞こえますが、途中から盛 り上がります。好きな人にはこれしかないでしょう。
 録音は年代からすれば明瞭に聞き取れます。残響はないです。ノイズが多めなのは仕方ないとして、やや残念 なのは咳が大変元気な方がいらっしゃることでしょうか。この後風邪をこじらせてないといいのですが、今はど こで何をしているのでしょう。指揮者ご本人と会ったりもするんでしょうか。



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     Bruno Walter    The Columbia Symphony Orchestra

ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団
 この曲の評判の演奏です。ワルターは歌う人だから、ということでしょうか。オリジナルじゃないのかもしれませ んが、茶色い山が霞の中に連なるカヴァー写真は昔から印象に残っています。
 いい演奏です。でも先入観とはちょっと違い、案外テヌートではありません。はきはきしていて速いところもあ ります。第一、第三楽章などダイナミックな部分では、フルトヴェングラーとは質が違うながらエネルギッシュ に速まる表現が劇的ですらあります。一方、弛むところではフレーズの後ろ側でぐっと遅くします。その伸び縮 みがワルター節なのでしょう。緩徐楽章での滑らかでふくらみのある歌わせ方も彼らしいところだと思います。フレーズが途中で思い切って減速したりする場面 もありますし、ポルタメントに近いスラーの運びもチェロに聞かれたりします。
 コロンビア交響楽団は録音のための寄せ集めの楽団で下手くそだ、などと言われます。確かに第二楽章で一部 音程の乱れが感じられるところもあります。しかし音楽に浸っている分には気になりません。
 録音も59年のステレオ初期のものですが、一部やや細い弦の響きがあるものの、潤いがあって全く古さ を感じさせないのは大したものです。



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      Sir John Barbirolli    Vienna Philharmonic Orchestra

ジョン・バルビローリ / ウィーン・フィル
 イギリスの名指揮者、バルビローリの演奏、日本では大変人気があるようです。67年の録音で亡くなる3 年前、この人独特の遅めで滑らかな演奏です。でもリズム自体は案外かっちりしていて、やや重めでひきずる ところもあります。決して走ったりはしません。かといってドイツ系の演奏にありがちな、メロディーラインまで かっちりしてるのとは違い、波うつようによく歌って強弱のコントラストも明瞭です。第二楽章などではそれが とくに顕著です。この楽章は晩年のチェリビダッケを除いて、最もゆったりしたテンポでしょう。訥々としながら滑らかというのは不思議な感覚で、一音一音が くっきり見えます。コントラバスをともなって大きく下降して行く中程の小節では、高音部のメロディーラインの方 にピントが合っていて案外あっさりしていますが、その後で粘るような表現が見られます。
 録音はこの時期としては大変良いと言えるでしょう。弦が艶やかで、オーボエが美しく響きます。



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     Istvan Kertesz    Vienna Philharmonic Orchestra

イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィル
 どこの楽団員からも愛されたハンガリー生まれの指揮者ケルテスは、ハンガリー動乱時に西側に亡命した人で すが、イスラエルの海岸で遊泳中に波にさらわれて亡くなっており、そのときに進行中だったこのブラームスの 交 響曲全集録音は「ハイドンの主題による変奏曲」の一部が残ったままになってしまい、指揮者なしで録音された というエピソードがあります。残念さも手伝ってかこのシリーズは大変人気があり、再販を重ねてきました。第 4番は72年の録音で、艶のあるデッカ・サウンドが楽しめます。演奏ははきはきしていて力強く、全体にボル テージの高いものです。第二楽章もややテヌート気味ながらどこかを特別強調することもなく平均に引っ張って よく歌い、破綻なくまとめていると思います。



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      Kurt Sanderling    Staatskapelle Dresden

クルト・ザンデルリン ク / ドレスデン・シュターツカペレ
 旧東側のドイツ名門オーケストラによる演奏です。中庸やや速めのテンポで大変オーソドックスな表現だと思 います。フレージングはドイツらしくくっりとしています。第二楽章はゆったりしていますが、ややあっさり目 で、クラリネットにちょっと特徴のある倍音が聞かれる以外、落ちついた音色で好感が持てます。旧東側という か、これは72年の録音なわけで解放前なのですが、東側のオーケストラはこれにしても田園の項目で取り上げたベルリン・シュターツカペレの演奏でも、派手さのない 真面目な表現が持ち味のように思います。ひとことで オーソドックスと言ってしまうと紋切り型ではあるものの、ショーマンシップとは縁がないのは間違い ないところでしょう。そこに抑圧を感じるか落ち着きと温かみを感じるかは人によって違うでしょうが、現地に 住んでいた人の感覚だとどうなのか、そして今はどう変わってきているのかに興味が湧きます。



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      Leopold Stokowski    New Philharmonia Orchestra

レオポルド・ストコフスキー / ニューフィルハーモニア管弦楽団
 この後に同年のライブも出たよう ですが、事実上ストコフスキー 最後の録音です。74年、93歳のときで亡 くなる3年前です。ストコフスキーはディズニーの1940年の映画、「ファンタジア」で初めてステレオ録音 をした指揮者として有名です。あるいは「オーケストラの少女」の方が知られているでしょうか。アメリカで活 躍したのでてっきりアメリカ人だと思っていたら生まれはロンドンでした。
 彼の演奏は前記のドレスデン・シュターツカペレとはちょうど正反対で、華やかなショービジネスの匂いがし ます。ドレスデンがいぶし銀ならば、磨かれたクロームメッキに金の縁取りがしてあるということになるでしょ うか。いい意味でアメリカの理想主義というかヒューマニズムを感じさせるもので、少し前のハリウッド映画の ようなわかりやすさがあります。

 具体的に言うと、大きく歌います。ストコフスキーもストコフスキー節と言われるように独特のものがあるの です。それはデフォルメともいえる起伏で、速めのテンポで軽く走るようなところがあったかと思うと、ゆっく りになると部分部分で強調するように遅いところが入ります。難しい言い方へ逃げると恣意的というのでしょう か。レナード・バーンスタインにも似たところがあるように思いますが、ワルターの穏やかで自然につながる歌 とはまた違い、フォトリタッチ・ソフトウェアで彩度を上げた写真のようにくっきりとし、パーツごとに綿密に 設計し てはめ込んだようなコントランストのある歌です。
 第二楽章も全体に遅くはありませんが、途中からのゆっくりとしたフレーズの引き延ばしが特徴的です。ド ヴォルザークの新世界の「家路」の部分などでは情緒たっぷりに歌っていたのを思い出します。あざといとまで は言わないけれど、鮮やかで明るさがあるこの演奏は、はたしてブラームス的でしょうか? 恐らくそんな質問 には意味がないのでしょう。洗練という観点ではヤンソンスやプレヴィンとは反対の方向ながら、同じく悲痛に な らないブラームスです。雄弁でためらうことがなく、満ち足りています。いかにもアメリカ的な、あの国の光の部分が眩しいという印象です。
 録音はやや高域寄りの薄い感じのするものですが、悪くありません。



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      Sergiu Celibidache    SWR Stuttgart Radio Symphony Orchestra ??

セルジュ・チェリビダッケ / シュツットガルト放送交響楽団 ??
 チェリビダッケは3枚ほどあります。74年に録音された シュ ツットガルト放響とのものは晩年になってテン ポが遅くなる前の演奏で、緊迫感があります。第4番についてはこちらが圧倒的に充実した演奏です。
 第一楽章は結構速めですが、緩徐楽章では一転してゆったりしたテンポでたっぷりと歌い、大胆なテヌー トが 目立ちます。全体に大きな呼吸で引きずるリズムあり、管もねばる歌ありで、遅いところに力がこもっていて印象的です。熱の入った感動的な演奏会だったのが 伝わってきます。この曲では一、二を争う名演では ない でしょうか。
 グラモフォンから出ているこの録音は反響が多めで、とくに3キロヘルツ前後かと思われる中高域がよく 響き ます。かすかなノイズ成分によるのか、さらっとした艶消し感がないでもないため現時点では最高とは 言えないですが、ライブとしては決して悪いバランスではありません。来日公演を録音したCDが色々な演 奏家 で出たりしますが、そういうレベルとは比較にならないほどちゃんとしています。低音も響きます。普通に聞い ている分にはスタジオ最新録音と言われてもわからないかもしれません。



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      Sergiu Celibidache    Munchner Philharmoniker '85 Herkulessaal der Munchner Residenz

セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィル 85年ミュンヘン・ヘラクレス・ザール
 85年の演奏で、EMIの一連の シリーズの中の一枚です。チェ リビダッケでは音はこれが一番自然でしょう。演奏は第一楽章から大変遅く、良く言えばゆったりとしています。第二楽章は東京公演のものより は速いですが、それでもやはり遅いです。むしろかえって遅く感じるぐらいです。



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      Sergiu Celibidache    Munchner Philharmoniker '86  Tokyo Bunka Kaikan

セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィル 86年 東京文化会館
 86年、東京文 化会館でのライブです。やはり反響はあまりないものの、 日本で録音されたライブものとしては結構良いバランスで聞けます。音源は東京FMにあったもののようで、解 説によるとミュンヘン・フィルからこのときの録音がないか問い合わせがあったそうです。大変ゆったりした足 取りながらEMIの盤よりは緊迫感があるように感じます。74年のシュツットガルト放送交響楽団との方がさ らに緊張感がありますが、テンポも関係あるでしょう。歌わせ方には大変特徴があり、大胆な強拍が目立つと 思っていたら急に弱くするなど、メリハリがあります。語尾を引っ張る感じも非常に長く感じるところがありま す。第二楽章は足取りがやや重く、ゆっくりと運びます。フレーズの途中から非常に、というか異様に遅くなる ところは晩年の演奏特有でしょう。しかし楽員が最高だったと振り返ったのもなるほどという、遅いなりに熱の 入った演奏です。



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      Karl Bohm    Wiener Philharmoniker ??

カール・ベーム / ウィーン・フィル ??
 どこをとっても均整がとれた模範的な音の扱いなが ら、チェリビダッケの前年の録音と並んで大変魅力的な演 奏です。75年のスタジオ録音でベームとしては晩年にあたるものの、間延びした表現ではなく、遅くもなく重 くもなく、自然体で丁寧な運びです。やわらかくしなって伸びのびとした歌があります。第二楽章も自然で美し く、音をいとおしんでいるようです。ベームとウィーン・フィルの録音の中でもブラームスは大変出来が良いの ではないでしょうか。その中でも4番は完成度が高いと思います。
 録音がまた見事です。アナログですが、グラモフォンとしては同じベームのモーツァルトのクラリネット協奏 曲とならんで最高のバランスです。残響がきれいで、みずみずしくてキツさがありません。



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      Andre Previn    Royal Philharmonic Orchestra ?

アンドレ・プレヴィン / ロイヤル・フィルハーモニック ?
 プレヴィンは本当に才能のある人だと思います。一 つにはジャズピアノを弾かせても自由自在なインプロヴィゼーションで、ドリス・デイの伴奏など見事だということが あります。しかし指揮においてもその才能は発揮され、あまりセンセーショナルな話題をふりまきはしないものの、この 人ならではの自然な呼吸がむしろ独特です。滑らかで繊細な音の扱い、力まない、重くならない運び。何気なく聞いて いると見落としますが、表情は違うながらもマリス・ヤンソンスの演奏と並んで細部まで行き届いた抑揚が付いていて、 一音一音のつながり方がただものではありません。どうやってこういう呼吸を団員に伝達するのでしょうか。そして これもヤンソンスと並んでまったく深刻に聞こえないという特徴があります。ブラームス独特の後悔に満ちた音が聞こ える楽曲であるにもかかわらず。
 緩徐楽章も過度な表情は抑えられていて音の隙間が心地良く響きます。この落ち着きをどう表現しましょう、毛の質が 大変良い高品質なセーターの肌触りとでもいいましょうか。薄手で軽くて着てる感じがしないほど動きやすいのに、温か いのです。思い切って遅くするところもありますが、バランスは崩しません。洗練とはこのことです。
 87年のテラークの録音はいつものように派手さがなくてちょっと遠くに聞こえ、いかにも優秀録音という感 じはしませんが、演奏には合っているかもしれません。



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      Christoph von Dohnanyi    Cleaveland Orchestra

クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団
 ドヴォルザークの第8番で素晴らしく柔軟な歌を聞かせてくれたドホナーニ。ここでは中庸な表現で金管にア クセントのあるところがちょっと個性的です。それ以外では大変オーソドックスで、第二楽章も遅いけど中庸な 感覚は保持されています。よく歌い、リタルダンドに特徴があります。滑らかに磨かれた細部は心地良いです が、ドヴォルザークのときほどの驚きは感じませんでした。
 録音は88年のテルデックで、今はワーナーに吸収されたドイツのテレフンケン=デッカ・レーベルです。や やおとなしい、どちかというとちょっと眠い音に録られています。



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      Bernard Haitink    Boston Symphony Orchestra

ベルナルト・ハイティンク / ボストン交響楽団
 優秀録音に関しての別項でとりあげたマーラーの巨 人が迫力の演奏だったのですが(「最高の録音」)、 この92年の録音はオーソドックスです。テンポは中庸で、リズムはややねばるところがあり、フォルテが賑やかです。緩徐楽章は若干 遅めの設定ですが、過度な表情はありません。
 録音はフィリップスなので期待しましたが、これもODME社製マスタリングとうたっているものの中庸なバ ランスでした。



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      Simon Rattle    Berliner Philharmoniker ??

サイモン・ラトル / ベルリン・フィル ??
 元来現代ものを得意とするラトルはブラームスはレパートリーで はなかったようですが、そのくせ今回も見事 な演奏をしています。むしろブラームスが得意な人の演奏のようにブラームスらしく、大変自然です。というの も、抑揚はしっかりあるのですが、フレーズの後ろでやや途切れ気味に間を取って遅らせ、足取り重く引き ずってみせるところがあり、この世界一有能なオーケストラといつも細部までスコアを見極めるスマートな指揮者のこと、モタついているわけがありません。そ のためらいがちな息づかいがいかにもブラームス的というのか、やってくれます。自然さを作りこんでいるとい うと作為的に聞こえるでしょうが、有能な人が自然に乗った演奏をしていると、余計なことを考えてしまうもの です。
 思い出に浸る第二楽章などえも言われぬ美しさで、コントラバスが低く下降して行く音に合わせながらストリ ングスが甘い息をつく楽章中ほどの展開部、深々とした響きがなんと魅惑的なことでしょう(8分27秒から始 まって9分03秒でクライマックス)。ブラームスではいつも低音部の進行に耳が行き、ここのコントラバスを 大きく響かせてくれる演奏をつい探してしまいます。重心が低くて見事な演奏です。歌も深く呼吸していて引き 込まれます。ラトルにしては奇をてらうところがありませんが、注意力が散漫になってなんとなく流れてしまう ような箇所はどこにもありません。

 2008年の録音はきらびやかではないけれど、最近のEMIでときどきありがちな、ややオフで中域が張っ た息苦しいバランスには陥らず、大変滑らかな、生のオーケストラのバランスをよく感じさせる音になっていま す。若干艶消しで派手さはなく、響きもちょっとだけ詰まった感じはありますが。中低音はよく響き、ややブー ミーです。
 ラトルの第4番、色々悪口を言う人もいるようですが、非常に正統的な解釈で誰にでも勧められる完成度の高 い演奏だと思います。沸き立つような抑揚があって立体的で、やさしさも感じられます。ヤンソンス盤の楽しげ に歌うのと並んで、最近の録音の中では最も気に入ったものの一つです。



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      Mariss Jansons    Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ??

マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ??
 マイスター・マリス・ヤンソンスです。バルト三国 のラトヴィア で指揮者とユダヤ人歌手の間に生まれ、ムラ ヴィンスキーからレニングラード・フィルを任されるかと思われたものの、オスロ・フィルハーモニーを世界水 準に育てて注目の的となりました。同楽団とのショスタコーヴィッチの演奏など、鮮烈な解釈ながら説得力があ り、圧倒的なエネルギーを感じさせるものでした。出る人は出るもので、ラトルやヤルヴィとならんで文句ない 実力を見せつけて登場してきた人だと言えるでしょう。

 この第4番のライブ演奏は第1番のところで紹介した同じCDにカップリングで入っています。2番・3番が 組になったものとこれとが別々に出ているのですが、この1番・4番の方はどちらの曲も大変心地よい演奏で す。「圧倒的なエネルギー」と言っておきながら「心地よい」というのもなんだか妙ですが、ほんとにそう表現 するしかありません。後悔の念の混じったようなブラームス晩年の作品でありながら、そういう後ろ向きな波長 はまったく感じさせません。すべての呼吸、振幅を逃さずに一つひとつ波乗りしているような揺られ感が大変楽 しいのです。他の演奏にはない性質で、ひとことで言って個性的です。こういうハッピーな音の出所を突き止め るため、密着取材でもしてみたい気分です。ジャケットに写っている嬉しそうな顔写真がヒントになるでしょう か? この第4番、あのフレーズはこうやってほしい、このパートはこうでなくてはだめだ、と自分の中で色々 勝手な理想と注文があったりするのですが、そういうことは全部忘れて納得させられてしまいます。わけ知り顔 の素人はまあ黙って、本物の音楽はこうやるんだよとでも言われているようで、聞き終わるとまた聞きたくなり ます。どこがどうと具体的に説明しようにも、細部まで完璧でノリの良い演奏だとしか言いようがありません。 ほんとのところ、どうやっているのでしょう。波乗りと言いましたが、音の表情が一つ一つの音譜で自在に付けられていて、それ らがまったく有機的につながっている結果、波のように千変万化する感じです。その愉悦がブラームスら しいかどうかはともかくとして、目下のところ自分にとっては別格扱いです。これほど肩肘の張らない演奏は滅 多にないのではないでしょうか。
 録音もまた大変自然でやわらかく、繊細な艶が乗っていて文句の付けようがありません。



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