月の光 〜 ドビュッシーのピアノ曲集

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 ドビュッシーとラヴェルは同じフランスの印象派ということでよく一緒にされるけれども似て非なるもので、どちらがより好きかと聞かれればラヴェルだ、とすでに書きました。「映像」の中の「ムーヴメント」のような曲で執拗に繰り返しが多いところがラヴェルにはない性質で好みではないからですが、それほど単純なことでもないかもしれません。そんな欠点など吹き飛ぶほどに魅力的なメロディーがドビュッシーにはありますから。

 人物像としては、ドビュッシーはフォーレと同様女性関係が華やかだった一方で、ラヴェルは生涯独身を通したという違いはあります。でも身の上と人の性格が音に現れる部分はあるにせよ、ゴシップは本質的な問題ではありません。
 どちらかがもう一方を真似したという件については事情は複雑で、二人が仲が良かった頃にはラヴェルは弦楽四重奏でドビュッシー風にやってみたと言っていますし、ドビュッシーもそれを激賞しています。よく言われる「水の戯れ」と「水の反映」については、ドビュッシーがラヴェルに影響を受けたと公言しています。その後「ハバネラ」の楽譜をドビュッシーに貸したラヴェルが「グラナダの夕暮れ」で真似されたと腹を立てて不仲になったということですが、その後も「映像」の中の「ラモーを讃えて」に出てくるのとそっくりな音形を数年後にラヴェルが「夜のガスパール」の「絞首台」で使ってるようにも聞こえます。学び合ったり腹を立てたり、敢えてやってみせたりをし合っていたようです。でもこんな盗作犯探しも二人の才能に関する本質的論議にはなりません。では、この二人は作曲技法の上では何が違っていたのでしょうか。音形を除けば、よく聞かれる理屈はドビュッシーは六音音階で、ラヴェルはそうではない、というものです。

 六音音階というのはこの場合、正確には一音ずつの間隔が均等に並んだ「全音音階」のことです。音階(スケール)というのはドレミファソラシドのことだと言われますが、それは正確にはメジャー・スケールとかアイオニアン・スケールと呼ばれる長音階のことで、音階には実は色々と種類があります。短調に使われる短音階に自然短音階(エオリアン・スケール)や和声短音階、旋律短音階などのバリエーションがあるだけでなく、民謡やドヴォルザークで有名なペンタトニックと呼ばれる人懐っこい五音音階のドレミソラドというのもあるし、沖縄のドミファソシドもあります。また、昔のグレゴリオ聖歌の基本だった教会旋法の一つ、ドリアン・スケールなどは
マイルスのモード手法でも使われました。レミファソラシドレです。
 そんな中で、ドビュッシーの全音音階(ホールトーン・スケール)は人工的に作られたシンメトリカル・スケールの一つです。ドレミと来て、次は半音にせず ♯ファ、♯ソ、♯ラと行って、その次は上のドにつながる六音で構成されますので、1オクターブが七音で構成される普通のドレミファソラシドより一音減っています。一方で、ラヴェルの方はちょっと難しい名前ですが、コンビネーション・オブ・ディミニッシュト・スケールと呼ばれる音階を好んで使ったと言われることがあります。これはメシアンが1944年に出した「わが音楽技法」という本の中で「移調の限られた旋法」の第2番とも呼ばれる(ドビューシーの六音音階は第1番)もので、全音と半音が交互に繰り返されるド・♭レ・♭ミ・ミ・♯ファ・ソ・ラ・♭シの8音で構成される、ジャズではお馴染みのものです。

 この両者、ドビュッシーの音階とラヴェルの音階をそれぞれに馴染む和音で聞いてみた印象では、ラヴェルの方はちょっと不安をかき立てるような暗く不気味な感じがします。一方でドビュッシーの方は、人によってはやはり不安な感じも覚えるかもしれませんが、夢のようでもあり、流れる霧の中に何かが見え隠れするような独特の美しさがあります。牧神の午後への前奏曲の、あの感じです。もちろんその曲自体は全て人工的な全音音階で作るのではなく、耳馴染みのいい伝統的な音階も混ぜているのですが。
 ところがドビュッシーとラヴェルの作品を多く聞いて行くと、音階とは逆転したことが起きてしまいます。ラヴェルは技巧的な限界に挑んだツィガーヌや、亡きドビュッシーへの追憶として構想され、無調の響きもあるヴァイオリンとチェロのためのソナタ、不協和音も聞かれるマダガスカル島民の歌など、ちょっとがんばった現代曲のようなものもないではないですが、ほとんどの曲が耳で聞いて了解可能です。こういう言い方がまずければ、感性的なニュアンスをその響きに聞き取ろうとすれば可能なので、常に自分の中の感覚に従って音を選んで作曲しているのだと信じることができるのです。時計のように精密な組み立ても、コンビネーション・オブ・ディミニッシュト・スケールも、それによってもたらされる感覚を目覚めさせるための味付けだというわけです。

 一方でドビュッシーにはもっとラディカルな一面があるように感じます。ドヴォルザークにも劣らない屈指のメロディー・メーカーであることは初期の作品を聞けば分かります。美しい「月の光」も「夢」も二十八歳頃の作品で、前者などは特にクラシックのファンでなくても聞いたことがあるでしょう(タイトルで「入門曲」としたのはその意味でです)。作風としてはフォーレやマスネの影響が指摘されます。同じ美しさでもラヴェルには孤独を感じる一方で、これらのドビュッシーにはどこか懐かしさを覚えます。「亜麻色の髪の乙女」や「沈める寺」、「レントより遅く」も初期の作品ではないながらも有名曲となっています。ただ、ドビュッシーには実験的な精神もあり、それが後になるほど顕著なので、後世の現代音楽の作曲家たちから高く評価される傾向があるのです。全音音階にしても、十二音技法のように完全ではないながらも、二通りにしか移調ができないその性質から調性の感覚をぼかすことができ、調性崩壊へとつながる一面があります。そしてドビュッシーは単に全音音階だけではなく、様々な新しい音の組み合わせを試みているようです。そしてそれらは彼の鋭敏な音感によって選ばれているのですが、ときにちょっと耳あたりの良くない音を響かせることもあります。その音が聞きたいから使うのか、今までなかった音だから使いたいのかは別のことで、ドビュッシーの音楽には感性から出て来ただけではない音も混じっているような気がするのです。ここは難しいところで、元々型破りな音が好きだったし、共感覚的な独自の鋭い感性から出ていることかもしれないので一概に言えないのですが、彼が新しい音を模索するのは、今まで通りの音楽では作曲家としての業績が残せないと感じたことも多少あるのかもしれません。

 もちろん、音楽の楽しみが伝統的なスケールと調性から生み出されるきれいなメロディーや協和音を喜ぶだけでないことは事実で、感性による楽しみ方がある一方で、知性による楽しみ方もあるでしょう。「マイルスのバラードはクールで憂いがあるなあ」というのが感性による聞き方なら、「彼はドリア旋法やドビュッシーを研究して So What でコードからの解放をやり遂げたらしい」と感心するのは知性による楽しみ方です。力説することでもないですが、現代の音楽はその曲がどう組み立ててあるかという知識を除いては評価されない側面があります。頭脳が必要なわけで、譜面から音が想像できない複雑さが喜ばれたりもし、「楽譜を追い」、「耳がついてきて」、「理解できるようになる」という鑑賞者の声を耳にすることもあります。
聞くことにも上達が要るのです。ジョイスの文学に隠し引き出しがあるようなものかもしれません。ドビュッシーのピアノ曲をよく聞かれるならちょっと考えてみてほしいのですが、ベルガマスク組曲とエチュードの、どちらの曲集をより聞きたいと思うでしょうか。特別な感覚を持ってないアマチュアの自分がラヴェルを愛好するのは、この辺にも原因の一つがありそうです。現代音楽への門口に立つ案内人は、シェーンベルクやストラヴィンスキーではなく、ドビュッシーなのかもしれません。



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       Debussy    Childeren's Corner    Suite bergamasque    Images    Alain Planès (pf) ♥♥

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       Debussy    Images Inédites    Estampes   
Alain Planès (pf) ♥♥

子供の領分、ベルガマスク組曲、映像(画像上)
未出版の映像、版画(画像下)
アラン・プラネス(ピアノ)
♥♥
 ドビュッシー弾きとして定評があったり人気が出たりしたピアニストは、ギーゼキング、アース、フランソワ、ミケランジェリ、ワイセンベルク、ベロフ、ロジェ、ルヴィエなど、結構たくさんいます。ポール・クロスリーも聞きました。どれも個性があって良いし、かなり好みなのもありましたが、結局そんな中でモニク・アースと並ぶ以上に良いと思えたものは長い間ありませんでした。そしてとうとう、新しい録音でこれは、というものに出会いました。アラン・プラネスは1948年生まれのフランスのピアニストで、ということは最近の人とは言えませんが、ピエール・ブーレーズのところで長らくソロイストを努めていたということなので現代音楽の得意な人なのでしょう。ハルモニア・ムンディ・フランスが出してきました。このレーベルの目利きぶりには毎度ながら感心させられます。

 知的なのに情緒的な演奏です。モニク・アースよりさらっとしているとは言えるかもしれませんが、切れ味良く聞かせようとする現代のピアニストが速く強く押し切る箇所でも音の動きとハーモニーをほぐして見せてくれるので、無機的なやかましさに陥りません。ゆっくり歌うところでは変な禁欲をせず、アースに負けず劣らず十分に歌わせますが、もやの中にいるような感覚ではありません
。その敏感さが大変美しいのですが、具体的に言うならば、何気ない拍の揺れが入り込み、隣り合う音の間にデリケートな強弱がつくことで色の変化が起き、生き物のような呼吸が生まれるものです。ピアニストなら皆適切な抑揚をつけて弾くわけですが、こういうのは教わることのできない生来の感覚であり、決して誰にでも真似できるものではありません。今までは必ずしも好きな曲ではなかったものでも、ただ実験的に聞こえる音の連なりの中に実は有機的な感性の音が混じっていたことを知らせてくれるようなものもありました。さすがにモダンの弾き手で、新しい発見でした。

 CD はお馴染みのメロディーが聞ける初期の作品を中心にまとまっているものを二つ取り上げました。他には沈める寺や亜麻色の髪の乙女などが入っている前奏曲集二枚組と、後期の前衛的な要素を見せる練習曲が出ています。後者はこのピアニストの得意とするところかもしれませんので、我と思わん方はぜひ挑戦してみてください。全集も出ているので、まとめて買うのもいいでしょう。

「子供の領分、ベルガマスク組曲、映像」と題された方は月の光、二つのアラベスクなどの聞きやすい曲が多く収録されたもので、この一枚に関しては頭から通しで聞いていてもほとんど終わりまで BGM のように心地良くいられます。定番でかける一枚となりました。2005年の録音で、ピアノはドビュッシーが愛したドイツのピアノ、ブリュートナーの当時のモデルということで、聞き慣れたスタインウェイとは違った音が楽しめます。木箱の共鳴のような響きと強打でフォルテピアノに近い高音弦の音が出るところがちょっと昔っぽくもあり、雨だれのようでもあって独特の美しい音です。

「未出版の映像、版画」と題された二つ目の方は二枚組で、「夢」や「レントより遅く」などが聞け、「ピアノのために」、「6つの古代のエピグラフ」、「夜想曲」、「版画」以外にも色々と珍しい作品が取り上げられています。前奏曲の CD ではドビュッシー時代のベヒシュタインが使われていますが、ここではスタインウェイです。録音は2006年です。



    haasdebussyravel
       Debussy Piano Works    Monique Haas (pf) ♥♥

モニック・アース ♥♥
 パリジェンヌ、アースは第一次大戦より前の1909年生まれ、1987年に77歳で亡くなっているピアニストですからロスト・ジェネレーションよりはちょっとだけ後、二次大戦の若くはない兵士の(GI)世代ぐらいですが、ドビュッシーといえば私はこの人以外にないというぐらいに思ってきました。古さは微塵も感じさせず、録音も1970/71年ながら、元々エラートのちょっとふっくらした輝き過ぎないバランスの良い音で、CDではリマスターされてヒスノイズもなく、新しいものと比較しても十分遜色ない音で楽しめます。

 アースは洗練が持ち味です。切れ味よくやろうという意図はなく、分解的になり過ぎません。知に傾き過ぎないのは幾らか女性の感性ということもあるのでしょうか。細やかなニュアンスでよく歌い、速めのテンポは取らないですがロマンティックに溺れず、自在で瑞々しいです。崩す仕方も微かで独特のセンスがあり、
フランソワとは違ってもさすがはフランスのピアニストだな、と言いたくなります。こんな素晴らしい演奏家、もっと他の作曲家も色々やってほしかったと思います。そして何より湿り気のある音が出せるので、ドビュッシーのあの夢の中にいるような、少しもやのかかったような独特の世界が開けます。なんとも懐かしい、幼少期のやわらかい心を掴まれるような気分になるのです。やはりラヴェル弾きというよりはドビュッシーの名人と言っていいのではないでしょうか。メロディアスな旋律で歌い過ぎない節度がラヴェルにぴったりだったルヴィエとちょうど反対と言いましょうか。ドビュッシーの美しいメロディーは禁欲したところできれいにはならないことを教えてくれるアースのこのしっとりとした歌の魅力、プラネスの素晴らしい演奏が出て来た今も輝きは衰えません。

 高くないので全集を挙げておきました。このボックスセットでラヴェルまで聞けてしまいます。ラヴェルの演奏についてはラヴェルのページで触れました。ドビュッシー弾きとは言いましたが、やはり彼女らしくて悪くないです。毒のないしっとりとした演奏で、守護天使が愛をもって見守るように、ラヴェルの素直でやさしい面に光が当たっています。




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