ルネサンス、リュート、ダウランド    
      ジョン・ダウランドのリュート音楽と歌曲

      lute
       Lute (by Princess Ruto, Ching 2013-02-11)

ダウランド?                                                                     

 イギリスが音楽史の上で輝いていたのはいつでしょうか。現代のロックを除いて、ヘンデルは元々ドイツ人なのでこれも除外して、バロック時代にはパーセルがいました。しかし彼以外では後世に名を残した作曲家がその後しばらく出ていないので、この空白時代の原因をピューリタン(清教徒)革命後の音楽禁止令に求める説もあります。どうなんでしょう、原因というものを証拠づけることはできません。それから古典派を飛ばして後期ロマン派の時代には エルガー、ディーリアス、ヴォーン・ウィリアムズ、ホルストがいて、20世紀にはブリテンもいます。イギリス趣味の方の意見ではどれもその時代最高の作曲家に違いないのでしょうが、ヨーロッパ大陸側から見ても大変人気のあった人ということになると、ジョン・ダウランド(1563-1626)になるのではないでしょうか。ルネサンス後期の作曲家にして、リュート奏者だった人です。実はそれ以前にもイギリスの重要な作曲家はいて、音楽史の本をひもとけば 中世のダンスタブルは大陸に影響を与えたという話が必ず出て来るし、ルネサンス期に入るとジョン・タヴァナー、トマス・タリス、ウィリアム・バードの名前が挙りますが、これらはドイツ、イタリア、フランスと比べても同等以上にイギリス人作曲家が活躍していた時代の人ということになるでしょう。バードはダウランドとほぼ同じ頃の人で、世俗曲も作ったのでよく比べられます。タヴァナー、タリスは宗教合唱曲が美しいです。両者の技法の違いという話になると、専門家を呼んで来ないと難しそうです。


曲の形態
 さて、ダウランドですが、作品の形態としてはギターの前身であるリュートの独奏曲と、そのリュート伴奏に乗せて歌 われる歌曲が中心です。中世にはリュートを抱えて放浪するトゥルバドゥールやトゥルヴェールと呼ばれた騎士階級の吟遊詩人がおり
、貴族の女主人を想う歌を歌ったりしていました。平民あがりで同じように諸国を回る芸人もいたようです。これらは楽譜が残ってないのでどんな曲か正確には分 かりませんが、形態の上ではダウランドと何らかのつながりがあるでしょうか。ダウランドの作品ではリュート曲の「涙のパヴァーヌ Lachrimae Pavan」とそれに歌を付けた「流れよ、わが涙 Flow My Tears」は大変有名なメロディーで、彼が大陸にいたこともあり、まるでルネサンスの吟遊詩人であるかのようにヨーロッパ中で流行ったのだそうです。い ろんな人が編曲をして、後にダウランド自身も「ラクリメ、または7つの涙 Lachriame, or Seven Tears」というヴィオール合奏を前提にしたコンソート(器楽アンサンブル)として楽譜を出版しました。一方で歌の歌詞はひたすら抽象的に嘆きの言葉を 修飾して繰り返しているもので、恋人がどうしたとかの具体的なシチュエーションは盛り込まれていません。

 余談ですが、「涙のパヴァーヌ」のメロディーが今の時代に知れ渡ったのは、今は亡きフランス・ブリュッヘンのリコーダー演奏によってかもしれません。 1965年録音のヴァン・エイクの編曲バージョンのレコードが有名になったからです。このときブリュッヘンは三十一歳で、ソロということもあり、澄んだ 透明なソプラノ・リコーダーがもの哀しく鳴る音は心に響きました。いわゆる古楽のアクセントもまだあまり強くなく、ビブラートをかけて真っすぐに吹くなが ら音の区切り方に彼独特のセンスが出ていました、というのはその後の判断で、当時は演奏マナーについてはよく分かりませんでした。私もオリジナルの LP ではなく、ラ・フォリアや恋のうぐいすなどが入ったベスト版のミュージック・カセットを持っていてずいぶん聞き、ブリュッヘンの印象は彼が年老いてからもずっとその頃のカヴァー写真で見た青年のままでした。


時代背景
 涙、涙と歌ったダウランド、ではどうしてそんなに嘆いているのかということについての俗説は、彼がカトリックだったから冷遇されたのだとか、エリザベス女王に認められなかったからだというものです。だから彼は
いつも泣いていたのだ、と。これも果たしてどうなのでしょう。一つのスタイルなのであって、小説家の見事に入り組んだ設定が事実からかけ離れているような事態だったりはしなかったでしょうか。聞いていると優雅さと愉悦を感じます。彼 自身カトリックの国であるアイルランド系かもしれないとのこと (フランスに行ったときにカトリックになっただけという説もあり)ですが、カトリックということで言えば、ダウランドが生まれる前のこと、イギリスの国王 ヘンリー8世が離婚したくて、それを認めないカトリックの教皇と対立し、英国国教会という独自の宗派を起こして1534年に教会のトップの座に就いてしま うという事態が生じました。それよりちょっと前にもルター/カルヴァンらのプロテスタントの運動はヨーロッパ各地であったわけで、ヘンリー8世も最初はル ターに反対の立場だったわけですが、とうとうイギリスもカトリックの国ではなくなってしまったのです。したがって英国ではカトリック教徒は難しい立場にあ りました。ヘンリー8世からエリザベスに至る王位継承の陰謀にはカトリック側と国教会側との処刑を含むごたごたもありましたし、それから150年後の名誉 革命とその後にカトリックの王を復位させようとする抵抗運動ではアイルランド/スコットランド人が動き、日本の戦国もの同様に英語圏ではテレビドラマの人 気ネタになっているようです。
 ちなみに江戸幕府が始まったとき、ダウランドは四十歳でした。天下とりの最初の世代の武将たちよりは二十歳以上若くて石田三成や伊達政宗と近い年齢でし た。また、彼と同時代には他にシェークスピアがいます。コペルニクスの地動説に賛同して火刑死したジョルダノ・ブルーノはちょっと先輩で、死なずに済んだ ガリレオ・ガリレイは一つ年下です。
 ダウランドを重用しなかったエリザベスというのはもちろん今のエリザベス女王(2世)とは関係なく、エリザベス1 世(後出オデットとリンドベルイ盤の表紙絵)
のことですが、 彼女はヘンリー8世の娘です。独身を貫いて処女王などと言われますが、映画では好きな人がいたけれども結婚できない立場だったという説をとってたりしま す。1588年、ダウランドが二十五歳のときに海賊あがりのドレーク船長率いるエリザベスの艦隊がスペインの無敵艦隊を撃破し、制海権を得ることでその後 の植民地を擁する大英帝国の繁栄に踏み出しました。ちょうどそんな時代だったのです。エリザベスは当時人気だったリュートが好きだったようですが、ダウラ ンドも人並みに出世を望んで色々就活したということが伝わっています。


楽譜
 イギリスの繁栄を伝えるようなダウランドの音楽、リュート独奏と歌曲とが中心だと前述しましたが、歌曲の方は合奏曲も含めて本人が生きているときにすで に譜が出版されていました。一方でリュートの曲はやっと1974年になってイギリスのリュート奏者にして学者であるダイアナ・ポールトン (1903-1995)が百曲ほどにナンバーを振って整理し、出版にこぎ着けました。P○○番という番号は彼女のポールトン・ナンバーを意味します。涙の パヴァーヌは P15 です。彼女はダウランドのリュートの権威であり、後で触れる CD の演奏家の多くが弟子として教えを受けています。そしてこの全集(The Collected Lute Music on John Dowland)はリュート奏者のみならず、ギターの弾き手にとってもその後のバイブルのようなものになっており、クラシックとは限らないギター雑誌でも 時折特集されることがあるようです。


曲調と魅力
 それなら肝心の曲調はどんな感じか、という話ですが、まず真っ先に「もの憂い」などと言われます。確かにダウランドのリュート曲、哀しい短調の調べが多 いかと思います。ただ、そんなに単純ではない気もします。例えばラクリメに代表されるような曲をイ短調にして説明すると、ラで始まるマイナー・スケール、 つまり一般的な短音階(ラドミ [Aマイナー] のコード)を中心にしばらく展開し、最後に下降してくるときに長音階に転じてラ・ド
・ ミ(A)のコードで終わるパターンがよく聞かれるのです。それはちょうど、魅力的な人が哀しい顔で訴えていたのに、最後になって「でももういいんで す」、と口元で笑顔を作ってみせる状況に似てるかもしれません。そんな風にされたら、もう引き返せなくなっちゃう人もいるのではないでしょうか。短調と長調が混じり、交互に来る感覚は他の曲でも聞かれます。こうした 哀しみと受容の複雑さが独特の優雅さとなって我々を惹きつける、それがダウランドの音楽かもしれません。この時代、ウィリアム・バード(Byrd)の曲に も短調と長調 が、あるいは隣接したコードが部分的にくるくると入れ替わり、移り気に泣き笑いをしているようなのが聞かれますが、こうした音の好みはどこから来るのでしょう。イギリス特有なのか、他のルネサンスの合唱曲とかにもひょっとしてあったでしょうか。

 大陸に対するブリテン島側の音の特徴として言われる決まり文句には、3度と6度のハーモニーを重視したというものがあります。3度はドに対してはその上 のミ、6 度はド→ラです。これはダウランドよりもう少し前、ダンスタブルなどに関連してよく取り上げられる中世末からの特徴です。その当時と言えば、大陸側では振 動数比の純粋さによって4度、5度、8度(オクターブ)が中世が始まって以来教会音楽の中心でした。これだと長調とか短調とかの調性の感覚が生じません。 そこへイギリス流儀の3度、「甘美でやわらかい」ハーモニー(大陸側では不協和音ということになります)が紹介され、その後ヨーロッパの音楽に浸透したと 言われます。この3度を使うイギリス流をケルト文明由来だとする人もいますが、はっきりしたことは分かりません。ダウランドの時代にはもう広がった後で、 ご存知の通り3度の入ったドミソの三和音は今や響きの良い音の代表にもなっていて、長調や短調というものがあるのも当たり前の話です。そうなると、我々が ダウランドらのイギリス音楽に特有に響いているように思うあの感じはいったい何なのでしょうか。作曲家が空気のように呼吸していたその時代の音のルーツを 探るのは難しくても、音階は専門家なら上手に分析することでしょう。私にはできませんが、
あるいはアイルランド民謡とかにも関係あるのかもしれません。

 そこでアイルランドやスコットランド民謡のルーツはやはりケルトだと言ってしまったら、これは否定されます。でもイギリス(ブリテン諸島)の曲で聞かれ るダウ ランドのような音は、80年代の終わりにエンヤがヒットして以来流行となったケルト(風)音楽に少しだけ似た感触もあるかもしれません。その流行はエンヤ の後も映画「タイタニック」(1997/監督はスコットランド系)の人気で定着したことが窺えます。タイタニックにはその前の世紀のジャガイモの病気に端 を発した飢饉以来アメリカに移民するアイルランド人たちも大勢乗っていました(ヒロイン、ローズの心が生んだ幻か、はたまた未来からのタイム・トラベラー かという説まで出た
お相手役のジャック・ドーソンは三等船客ながらアメリカ人の設定です)。

 でもあれはコマーシャリズムが失われたケルト文明を再構築するにあたって使ったのがアイルランドやスコットランドのゲール語のフォーク・ソングや舞曲 だったということであって、話が逆なのです。ケルトは古代ローマ帝国に追いやられた文明です。それは紀元前後からの古い話ですから、そのときの音は今や誰 も知りません。
 それでは再現されたケルト風音楽の肝になる音階は何かというと、いくつかに限られるようです。普通の長音階(アイオニアン)と短音階(エオリアン)に加え て教会旋法でもあったドリアン(レミファソラシドレ [特にアイリッシュ・フルートから来るDドリア] )とミクソリディアン(ソラシドレミファソ)などです。あるいは長音階は7番目を抜いたドレミファソラドだと言われることもあるし、ペンタトニック(ド ヴォルザークの「アメリカ」や日本の民謡とも共通する五音音階
:ドレミソラド)が使われることもあるとされます。アイルランドのシャンノースの歌、Amhr?n Mhuighinse を聞くと確かにそうなっていて、低い方のソを使うソ・ドレミソラに聞こえます。

 ダウランドの音がぴったりこういうものだという説明にはなりませんが、彼が活躍していた頃には金属弦のアイリッシュ・ハープも宮廷でよく弾かれていました。
いずれにし ても吟遊詩人は古くこの文化ではバード(bard)と呼ばれ、独特の展開があったようです。失われたものへの哀惜という意味ではケルト文明とも共通です。 共感が癒しの出発点なら、ダウランドのメランコリーと失われたリュートの響きも今の我々を癒してくれるかもしれません。現在その地に生きていなくても、こ のイギリスやゲール語文化にも関係ありそうな節回し、どこか懐かしい響きに感じるのではないでしょうか。


楽器のこと
 リュートという楽器はヴィオール?ヴィオラ・ダ・ガンバ同様、バロック期以降は廃れてしまい、20世紀になって復活してきました。糸巻きの付いている ヘッド部分が直角に折れ曲がっており、「洋梨を半分に割ったような」と言われる、マンドリンに似たその胴の形は琵琶やウードとも共通していますが、琵琶と ウードは仲間であり、マンドリンは子孫ということになります。

 よく8コースのリュート、などと言いますが、コースというのは12弦ギターのように二つの弦がセットになっているからで、その1セットをストリングス、ではなく、コースと呼びます。また、調弦にはルネサンスとバロックの二つがありました。

 以下にリュートの CD の感想を述べます。ギターという楽器は思春期には一度は触ってみるものかもしれません。昔コードのみ書かれた曲の音源を聞いて記譜に挑戦してみたことがあ りますが、続けられる人には忍耐と才能があるのだと思い知りました。そんなわけでここでの評は門外漢の感想です。もちろんリュートなど弾いたことがありま せん。



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       Music for Lute    Konrad Ragossnig
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コンラート・ラゴスニック(リュート)
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 コンラート・ラゴスニックは1932年生まれのオーストリアのリュート奏者で、1973年から75年にかけて録音されたリュートのみによる音楽の LP を74年頃から7枚、アルヒーフから続々と出しました。私にとってはこの手の音楽の初体験だったわけで、当時レコードは高かったのと店頭に並ばなかったこ ととで数枚買ったものの全部は揃えられなかった記憶があります。ポールトンのダウランド全集の楽譜が出版されたのが 74年ですから、世界的にもまとまった形で出たリュート作品の先駆け的な録音だったと思います。同じ頃、他では同世 代のイギリスのギタリスト、ジュリアン・ブリームがドイツ・グラモフォンからダウランドとバッハを、コンソート・オ ブ・ミュージックの創設者で彼らより10歳ほど若いアンソニー(アントニー)・ルーリーがオワゾリールからアメリカ のルーテニスト、ジェームズ・タイラー(同名のギター製作者とは別)とデュオを出し、数年後にアンソニー・ベイル ズ、ヤコブ・リンドベルイ、ナイジェル・ノース、クリストファー・ウィルソンらと手分けしてダウランドのリュート作 品全集を世に問うたのが70年代の代表的な動きでしょうか。この全集では有名なラクリメをリンドベルイが、バージョン違いの同曲をベイルズとルーリーが弾いています。DG のブリームは後年の演奏とはまた趣が違いますが、ダイナミックな抑揚というよりはゆったりと間を取り、やさしく歌う印象でした。一方でアンソニー・ルー リーその人は拍をある程度一定にするところが多くてフレージングは真面目な印象であり、波のようにところどころで強 く盛り上がります。同じくイギリスのリュート奏者ベイルズの演奏はさらっとしていて装飾が入り、繊細な揺れを感じる 詩的で大変味わい深いものです。1951年生まれのクリストファー・ウィルソンはやや安全運転ながら落ち着いたテン ポと間で安らげるもので、これも魅力的です。残りの二人は後に単独で全集を出します。

 さて、ラゴスニックのものは第一集がイギリス遍として A 面にダウランド、B 面にその他の作曲家と無名の作品を取り上げ、第二集がイタリア編、第三集がスペイン編、第四集がポーランド/ハンガリー遍、第五集がドイツ/オランダ編、 第六集がフランス遍、そしてそれとは別に2本と3本のリュートのための作品集が一枚という具合になっていました。今 は CD になり、分売ではなくまとめて売っています。ダウランド全集もいいですが、お国柄の違いがわかるかのようなその構成はユニークで楽しいものでした。分売の ときには第一集がダウランドの名曲集という選曲で、それ一枚で済ますのにも好都合だったのですが、リュート好きの人 はたくさん集めてそればかりかけ続ける傾向があるようですからセット売りでも問題にならないかもしれません。リュー ト音楽全般、もしくはルネサンス期のリュート音楽に興味のある方にはこのラゴスニック盤はいいです。一方で専らダウ ランドが聞きたい方はルーリーたちのコレクテッド・ワークスもいいですが、録音も新しいオデット、リンドベルイ、 ノース等の全集盤がいいのではないかと思います。それらは後で紹介します。 

 そしてその演奏ですが、これが今なお私には最も魅力的なものの一つと感じられます。はっきりした明るい音で、時折 ブリッジ側で弾く硬い音でコントラストを付けているところがチェンバロの二段鍵盤の使い分けのように聞こえます。こ うした手法は他の奏者ではあまり顕著ではないのですが、ルネサンス後期の技法としてどうなのかは学問に明るくないの で分かりません。効果としては大変良いと思います。
 この人の表現そのものは比較的かっちりしており、走ることのない確実なテンポで一音一音をくっきりと響かせます。 はじく力もある程度強いのかもしれませんが、均質にどの音もよく鳴っている感じで真面目で丁寧な印象です。流れるよ うな強弱の抑揚ではないものの、その分曖昧に飲み込まれる箇所もなく、はっきり発音されていて心地良いものです。も ちろん、はっきりとはいってもトータルでは大変リラックスできる音楽です。

 録音は今聞いても大変きれいです。ドイツ編3曲目の「ユダヤ人のダンス」はこの時代にしてはずいぶん斬新な和音で すが、どうやら調弦解釈の誤りのようです。


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 ここから紹介する1950年代生まれの三人はラゴスニックやルーリー、ベイルズの次の世代で、ダウランドのリュー ト全集を出していてその演奏には定評があります。ポール・オデット、ヤコブ・リンドベルイ、ナイジェル・ノースの三 人ですが、ベイルズ同様リンドベルイとノースはダイアナ・ポールトンに教わった人です。どれも水準の高いものなの で、結局好みだと思います。実際自分でもなかなか甲乙つけがたくて悩んでしまいます。以 下の評はあえて差別化してみた結果に過ぎません。



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       John Dowland    Complete Lute Works    Paul O'dette
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ポール・オデット(リュート)
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 ポール・オデットは1954年生まれのアメリカ人で、多くの人がそうかもしれませんが、ロックギターから始めたと いうリュート奏者です。世代としてはナイジェル・ノースと同い年、ヤコブ・リンドベルイとは2つ違いということでほ ぼ同世代です。1994年から96年にかけて録音された五枚のダウランド全集がハルモニア・ムンディ・フランスから 出ました。バラ売りもされており、有名なラクリメ(涙のパヴァーヌ P15)が入っているのは第2巻と4巻で、この二つは楽器もピッチも異なる別バージョンであり、2巻の方は装飾の 多い表現となっています。
有名曲 が全部網羅されているわけで はないですが、4巻は後半が 長調の静かな展開になり、いい曲揃いですからそれ一枚 買うのもありかもしれません。個 人的にはタールトンズ・リザレクション(復活/P59)という曲が好きなので、第3巻も外せません。タールトンはエリザベス女王お気に入りの喜劇役者で 1588年に亡くなっています。復活の意味は分かりませんが器楽演奏もしたその 役者へのオマージュなのでしょう。セゴビアが編曲した有名なカタロニア民謡、「聖母の御子」(El Noi de la Mare)にもちょっと似た雰囲気の曲で、大変美しいです。それ以外に日本では一時期この全集からの抜粋でベ スト盤も出 したようです。その後同じレーベルからですが、 2012年に「マイ・フェイバリット・ダウランド」と銘打った自選のベスト盤を録音しました。こちらは全集とは演奏の雰囲気に違いがあります。私は旧全集 の方が好きで、ラゴスニック盤も良かったですが、このオデット全集盤がダウランドの CD としては最も好みかもしれません。生きた呼吸があり、リズムを次々と平坦に押し出して来ないので、ずっとかけっ放しにしていても息のつける演 奏です。特に廉価版の扱いはないようですし、一時的にカタログ落ちなのかもしれませんが、流通している値段の価値は あると思います。新盤選集の方はピッチが低くなった曲が多いこともありますが、比べれば落ち着きが増して揺れが安定 し、よりどっし りした方へ変化しているように思います。人間歳とともに変わるのは当たり前で しょう。

 表現をラクリメ(P15/Vol.4)で聞いてみます。すると指板でハンマリングとプリングを繰り返すトリルが意 欲的に使われ ているのが聞こえますが、流れを捉まえるセンスの良さ、艶やかな音色の美しさ、そして私は技術には触れられません が、恐らく上手さでもトップ・クラスの三拍子揃っているように感じます。流れに関してはベイルズも好きでしたが、絶 妙のタメと揺らぎがあって、弱める表情と強い音とのコントラストが立体的です。杓子定規で角ばったフレージングにな らないところが最大の魅力でしょう。全体に落ち着けるテンポが 多く、澄み渡るように鳴るので極上の空間が生み出されます。

 録音も素晴らしいです。収録年は前述しましたが、場所も夏の音楽祭で有名なタングルウッドとボストンということで 一カ所ではなく、リュートも6本使い分けで音には若干バラつきがありますが、涙のパヴァーヌの4巻や3巻はベス ト・バランスかなと思います。これらについてはナイジェル・ノースのナクソス盤と双璧と言ってもいい音でしょう。ちなみに4巻に 多く使われているリュートは16世紀後半のハンス・フレイ作の8コース・リュートのコピーでロンドンのクラウス・ヤ コブセン1984年作となっています。全集は全てジュエルケースに入ったセットです。全111曲、5時間32分41 秒あります。



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       John Dowland    The Complete Solo Lute Music    Jacob Lindberg


ヤコブ・リンドベルイ(リュート)

 70年代にオワゾリールから出たアンソニー・ルーリー企画のダウランド初全集の中でもラクリメを弾いていたス ウェーデンのリュート奏者、ヤコブ・リンドベルイは1952年生まれ。名手の完全無欠な演奏が聞けます。この人、英 語だとリンドバーグなので長らくそう信じてましたが、スウェーデン読みだそうです。オデットと同じ1994年録音の BIS 盤はセレクテッド・リュート・ミュージックという一枚ものもあれば、同じジャケットの四枚組全集もあり、最近は廉価版のブリリアントから同一内容で一枚の 値段で買えるセットも出ました。ナイジェル・ノースの全集と並んで買いやすくてありがたいです。

 演奏は誰にも文句がつけられないものだと思います。専門家から見て大変上手な人のようですが、私は演奏者ではない のでどれほどなのかはよくわかりません。たゆたい流れるというより一つひとつ完全に鳴らして行く感じで、といっても ラゴスニックのようにくっきりしたフレージングという意味ではなく、表情が豊かなことも含めて模範的な演奏だと 思います。展開する繰り返しでの変化の付け方も見事で、テンポは特に速いも遅いもないようです。間が抜けているとい う含みはないですが大変丁寧な印象です。癖は強くなく、やわらかく弱音に抜けるところではモノ トーンの静けさも味わえます。

 録音は他ほどオンではなく、反響し過ぎないので静けさがあります。弦の音色そのものは高い方でややくす んだところがあり、細めでいぶし銀というのでしょうか、艶が付き過ぎないところがむしろこの楽器らしいのかもしれません。 オーソドックスで玄人受けのする定番全集となっています。



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       John Dowland    Complete Lute Music    Nigel North


ナイジェル・ノース(リュート)

 香港の廉価盤レーベル、ナクソスからの登場ですが、イギリスのリュート奏者ナイジェル・ノースはリンドベルイ同 様、ルーリーの全集に参加した名手です。ポール・オデットと同い年の1954年生まれ。全集のお値段は四枚組で一枚 ちょっとというところです。

 演奏はこれも大変素晴らしく、傾向は違うけどもオデット盤と比較してもひけを取りません。全体にゆったりして間も 適切に取り、特にフレーズの頭で余裕を持って空けます。オデット同様に装飾的なトリルも使われますが、リンドベルイ のように一つひとつ丁寧に鳴らす一面もあり、ラゴスニックほどではないけどタッチもくっきりしています。テンポを揺 らしたり途中から走ったりする傾向は少ない方だと思います。涙のパヴァーヌでは静けさもあって大変魅力的です。何か 他との比較ばかりで判然としないもの言いになりましたが、ひとことで言うと饒舌なところがあります。全体に鳴りが良 く、ボルテージがしっかりと保たれた感じです。明るい音でよく響く録音のせいもあるでしょう。

 その録音は新しく、2004年から2007年にかけて行われました。この手の全集としては後発で、それだけに 大変美しく、次のスミスと並んでダウランドのリュート曲で最高の録音の一つと言えます。



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       dowland a dream    Hopkinson Smith
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ホプキンソン・スミス(リュート)
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 ホプキンソン・スミスは長らくヨーロッパで活躍してきたアメリカのリュート奏者で、1946年生まれなのでアンソ ニー・ルーリーと同世代、ポール・オデットやリンドベルイ、ノースらより十ほど年上ということになります。そしてこ の盤の最大の魅力は有名曲が一枚に網羅されていてこれ一枚でダウランド・リュートのめぼしいところがだいたい聞ける ことです。次々と美しいメロディーが目白押しで飽きることがありません。ラクリメ、涙のパヴァーヌはもちろん のこと、レディー・ハンストンのパフもメランコリー・ガリアードも入ってるし、ファンタジーに告別もあれば、エセッ クス伯爵とエリザベス女王も控えてるし、デンマークの王様と陽気な蛙だっています。しかもノース盤と並んで大変きれ いな録 音なのです。

 演奏がまたいいです。華やかさがあります。
的に一発で切り込むような思い切りの良さが感じられ、さらっと流すところもあって丁寧に一音ずつ安全運転して行く タイプではないのですが、そこがまた粋です。間は空けないながら揺らぎはあります。やわらかく弱める表情も豊かであ り、高い方の繊細 な倍音が聞こえる大変静かな弱音から、弦のテンションが高いのかと思えるほど硬質で力強く鳴るフォルテまであり、低 音部の豊かさも感じられます。リュートの音色自体は明るく、演奏 者の位置で聞いているようにはっきりしています。強い音ではまるで後に紹介するハープでの演奏であるかのように聞こ えるときもあります。ラクリメでもメランコリーに傾き過ぎず、さらっと行くテンポの中に洗練された動きがあります。

 レーベルはフランスのナイーヴで2004年の録音です。才気あふれるお腹にもたれない演奏とダウランドのリュート 曲の CD の中でも最高の一つと言える録音、一枚にすべて詰まった選曲の良さという点で、全集を買わずに一枚だけという人にはこれがお勧めです。
このレーベルの現在の正確な状況がわかりませんが、フランス からは買えるもののダウンロード以外はちょっと手に入りにくいかもしれません。

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His Majesty's Harper    Andrew Lawrence-King


ヒズ・マジェスティーズ・ハーパー(国王陛下のハープ奏者)
/ アンドリュー・ローレンス・キング(ルネサンス・ハープ)
 
 ダウランドのリュート曲をハープで聞くというのはどうでしょうか。これがなかなか魅力的です。吟遊詩人の楽器はリュートの前はギリシャ時代からハープ だったわけです。アイリッシュ・ハープとルネサンス・ハープの違いはよく分かりませんが、ここでルネサンス・ハープ を弾いているのはルイ・クープランのところでもご紹介したアンドリュー・ローレンス・キング。ケルト文化のあったガーンジー島という、ノルマンディー沖の イギリス王室属領ながらイギリスでない国の出身で、1959年生まれです。男性のハープ奏者にして様々な古楽の名曲を編曲して何枚も CD を出しています。アゴーギクは素直で全体にリラックスできる音楽に仕上がっていますが、音はリュートより硬質です。しかしキレよくダイナミックに行っても 指で弾くためかチェンバロのようにやかましくはなりません。琴のように聞こえる瞬間もあります。低音弦の太い音もリュートにはないもので、ダイナミックに クレッシェンドして行って加えられる一撃は大変印象的です。ささやくように弾くところも独特の音であり、平原に朝もやが微かに青く広がる景色のように空間 に染み渡る音が心地良く、どことなくオルゴールを聞くような懐かしさも覚えます。

 CD はダウランドだけでなく、バードその他の作品も入っています。1999年の
ドイツ・ハルモニア・ムンディです。  


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       Time Stands Still    Emma Kirkby    Anthony Rooley
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タイム・スタンズ・スティル(時が止まる)
/ エマ・カークビー(ソプラノ)/ アンソニー・ルーリー(リュート)
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 ここからはリュート伴奏の歌曲です。イギリスの歌で女声で聞くとなったら、まずカークビーは外せないでしょう。ダ ウランドは5曲しか入っておらず、同時代のリュート歌曲の作曲家トマス・カンピオンら他の人のものと作者不詳の作品 を16曲歌っています。残念ながら「流れよわが涙」はないし、あまり聞いたことのない曲が多いかもしれませんが、 クープランのルソン・ド・テネブレをジュディス・ネルソンとデュオで歌ったのと並んでカークビーの最も美しい声が聞 ける CD だと思います。エマ・カークビーといえばご存知、イギリスの古楽系ソプラノのパイオニアであり、同じムーブメントで弦楽器がビブラートを使わない流行に合 わせて声でも同じことに挑戦し、見事にこの分野を切り開いて行った一人です。時代様式の解釈はともかく、ビブラート を使わない、音程を揺すらないとなるとそれだけ正確なピッチが要求されるわけで、何でやるにせよ難しいわけです。で も透明な音色となり、他にはない味わいが出ます。半音も揺するような派手さで人の注意を引きつけるオペラ系の歌い方 が苦手な私にはありがたいです。本当はダウランドの曲って、当時どう歌われたのでしょうか。カークビーの声はビブ ラートの点もそうですが、元々が高く澄んだ少女のような声質で清らかな感じがしますし、聞いたことがなくても天使の 声だと評する人もいます。このときの録音はコンサートのライヴなのですが、彼女は36歳。文句のつけようがありませ ん。ルソン・ド・テネブレのときは28歳でしたが、このあたりまでは物理的な意味で最高のコンディションだと言えま す。伴奏のリュートは倍音の細いきれいな音ですが、当時のパートナーで長く連れ添っていたアンソニー・ルーリーで、 息が合っているようです。こうして聞くと、イギリスのルネサンス期の歌、独特の雰囲気があります。4曲目の リュート独奏の Lost Is My Liberty など中世っぽい音階というのか、どことなく西アフリカのマリあたりのグリオが奏でるコラの伴奏に似ている気がしないでもありません。中世の音楽はアラビ ア・ルーツだの色々言われますが、確かに非西洋的な雰囲気があります。

 ハイペリオン1985年の録音です。ライヴでも音は最上級と言っていいでしょう。全身に染み込んでくるようなどこ までも澄んだ声が魅了します。カークビーのダウランドならこの一枚を推します。

 ちょっと脱線しますが、カークビーのこれ以外の録音についても少し記します。1989年にはヴァージン・クラシクスから同じくルーリーのリュート伴奏で The English Orpheus というダウランド集が出ました。カークビー40歳のときの録音です。こちらの方が聞いたことのある曲が多いかもしれません。その二年後には同じレーベ ルからロバート・ジョーンズ(1597-1615 / 同じくイギリスのリュート奏者で作曲家)の曲を集めたものが同じ 顔合わせで録音され、The Muses Gardin というタイトルでした。この二枚は後に Dowland・Jones Lute Songs としてヴェリタス・シリーズのセットになって販売されました。
 一方で BIS からは2008年録音の Orpheus in England という、ダウランドとパーセルの曲を歌ったものが出ました。白と黒が真ん中で分かれたジャケットでどちらがダウランドでどちらがパーセルかは分かりません が、カークビー59歳のときで、リュート伴奏はヤコブ・リンドベルイです。カークビーの変化を追えると思います。



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       Honey From The Hive    Songs By John Dowland    Emma Kirkby    Anthony Rooley

ハニー・フロム・ザ・ハイブ(巣からの蜂蜜)/ ジョン・ダウランド歌曲集
/ エマ・カークビー(ソプラノ)/ アンソニー・ルーリー(リュート)

「流れよ、わが涙」をカークビーで聞きたいというならこのアルバムでしょう。タイム・スタンズ・スティルも入ってい ます。こちらはカークビー56歳のときの録音です。BIS のダウランド・ベスト集に収録されているのもこの一部のようです。 上の CD の20年後になるわけですが、相変わらず音程、声の伸びなどを保っていて驚異的です。歌い方がちょっと違う気もします。専売特許だったきれいに真っすぐ伸 ばす歌唱だけでなく、
盛り上がるように力を込める抑揚が聞かれ、より一般的な歌手の感情表現 も取 り入れているかのようです。あるいは声の変化によって相補的に歌い方も変わってくるということなのかもしれません。 声楽家にとって楽器は人体なので、音色が変わってくるのは当然でしょう。それでもダウランドは他の人よりこの 人の方がいい気もします。この後も同じレーベルから67歳になったカークビーが歌い、チェリス・コンソート・オブ・ ヴァイオルズが伴奏という盤で「流れよ、わが涙」が出ていますが、論評はしないでおきますのでぜひ聞いてみてくださ い。その一年前には指揮者のハワード・ウィリアムズと再婚するなど、プライべートでも変化があったようです。この フィジカル・ワールドには時という次元がありますが、魂と天使にはないでしょう。皆さんは何を感じるのでしょうか。

 BIS 2005年の録音です。SACD ハイブリッドにもしてあるということで、音は大変良いです。



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       English Folksongs & Lute Songs    Andreas Scholl    Andreas Martin
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ダウランド他 イギリスのフォークソングとリュート歌曲
/ アンドレアス・ショル(カウンター・テナー)/アンドレアス・マルティン(リュート)
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 カウンター・テナーによる「流れよ、わが涙」はいかがでしょうか。男声ですが裏声のアルト。この分野では抜きん出 て上手く、声が安定していて伸びがあるのがショルです。好みの問題ですが、私はこのダウランドの有名曲はショルの歌 唱が 一番いいと思ってます。さらっと歌っているし、若いときのカークビーに少女の微かなコケトリーを期待するような人にはもの足らないかもしれませんが。高音 部がもっと女性っぽいカウンター・テナーがいいなら今一番人気のフランスの貴公子、フィリップ・ジャルスキーがいま すが、「流れよ、わが涙」は出していません。ショルと並ぶ安定した声で確かなテクニックの持ち主であり、オンブラ・ マイ・フなど独特の表情で歌っていて、CD カヴァーを見ればその端正な顔を写したものばかりです。カウンター・テナーとショルが好きとは言ってもそういうオリエンテーションがあるわけでも なければファン心理というものにも縁がないので、この市場にはちょっと戸惑います。ジャルスキー本人も純粋に音を追 求しているだけのようですが。
 純粋に澄んだ音色を超えた何かのチャームがあるかどうかということについては、歌い手が意識する場合もあれば聞き 手が勝手に期待することもあるでしょうが、どの方向にせよセクシュアリティに関係します。宗教実践においては性を利 用する方法と忌避する伝統とがあり、オペラのカストラートは別としてカウンター・テナーは元々は後者から生じたはず ですが、芸術としてならアイドル・タレントに歌の上手さとは違うものを期待することもあるでしょう。現代のカウン ター・テナーという文化にセクシュアリティを反映させることも結構ですが、ショルには期待できないかもしれません。
 逆により男性的な声なら、カウン ター・テナーというものを世に復興させた功績の大きいアルフレッド・デラーがハルモニア・ムンディ・フランスからこ の曲を含む Lute Songs というのを出しています。

 ダウランドのリュート歌曲、教会音楽ではないので男性が女声で歌う必要もなく、アイリッシュ・フォークソングみた いにしゃがれた男の声で語るように歌ってたとしても驚きませんが、ショルの透き通る声は純粋に美しいです。1996 年 ハルモニア・ムンディ・フランスで、録音も大変優秀です。


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       John Dowland    Lachrimae or Seven Tears (1604)    Jordi Savall


ラクリメ、または7つの涙 1604
ジョルディ・サヴァール / エスペリオンXX

「涙のパヴァーヌ」、「流れよわが涙」の当時ヒットしたメロディを、器楽合奏用として後にダウランドが出版した楽譜 に基づいて演奏したものです。歌でもリュートでもなく、5本のヴィオールとリュートで奏でられますが、何枚か出てい るこのバージョンの CD の中では、録音は1987年と新しくはないですが音も良く、演奏も充実しているサヴァールの盤がいいのではないかと思います。この曲、
ヴィオールで揚を抑えて切れ目なく引きずるように弾かれると、同じような旋律が延々と 続く曲集であることもあって息がつけなくなります。最近話題にもなったカタルーニャ出身のサヴァールはバッハのソナ タでは割合ケレン味があるという のか、ゆったりリラックスという感じではなかったのでペルコラ盤の方を取り上げましたが、反対にここではその彼のセ ンスがちょうど良い立体感となり、遅すぎないテンポで飽きさせない展開となっています。一曲おきに同じ作曲家の軽快 な舞曲を挟むという素晴らしいアイディアもその効果に一役買っています。この選曲がいいということになると元々の ダウランドの曲を否定しているかのようですが、もしオリジナルの曲順で新しいものをということならば、高級 オーディオのメーカーである Linn のレコード部門から出てるイギリスのヴィオール・コンソート、ファンタズムの2015年盤はどうでしょうか。音符をつなげず、あっさりした速めのテンポで 嫌みのない古楽奏法ながら、所々で弾むような表情も見られます。

 アストレの1987年録音は元々音が良かったのでしょう、リマスターされたものは大変良いバランスなので、最新録 音 である必要もない感じです。今のレーベルはアリア・ヴォックスです。


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    A Consort of Musicke bye William Byrd and Orland Gibbons    Glenn Gould (pf)
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バード&ギボンズ ヴァージナル作品集 / グレン・グールド(ピアノ)
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 ダウランドの器楽曲の CD を取り上げてきて、そこに同時代イギリスの作曲家ウィリアム・バード(1543?-1623)の作品もカップリングされていたりするということで、バード だけの盤もいくつかをと思ったの ですが、これが案外大変なのです。この 作曲家は合唱曲もいいし、そうなるとジョン・タヴァナー、トマ ス・タリ スも美しいので取り上げたいけど、どの演奏がなぜいいのかを言う必要があります。世俗 の歌曲や器 楽作品などを作ったイギリス・ルネサンス期の作曲家はバード以外にもトマス・カンピオン(1567-1620)、ロ バート・ジョーンズ(1577-1617)、オーランド・ギボンズ(1583-1625)などがいて、ダウランドが 好みなら次にこういう人たちの作品を聞くのも楽しみが広がります。しかし私のような素人では、特徴的なメロディーがある曲はいいものの、合唱にせよ器楽 作品にせよ同じ作曲家の作品をし ばらく続けて聞いていると、飽和してど れも同じように聞こえてきてしまったりします。昔 FM の朝のバロックで古楽を担当しておられた皆川達男氏や服部 幸三氏のようにこれが専門分野であれば着目点も違うでしょうから、そういう人たちの出版物とかに任せておいた方がい いかもしれません。

 そんな状況ではっきり言えることもあります。あのグールドが出したバード集は味があって大変いいのです。吉田秀和氏が褒めたグールドですが、今まで他のページではあまり良いことは書かないできた気がします。それは今や皆が褒めるからではなく、彼の人への注意の集め方が独特なのと、それに関連して音に痛みを伴った孤独感を感じるからなのです。でもこのバードとギボンズの作品集は昔から好きで、そういう自我の要素をほとんど感じないでいられます。というか、バードのヴァージナルの音楽の素晴らしさはこのグールドのアルバムに教えてもらったのです。そしてなぜ安心して聞いていられるかというと、確かにここでも彼らしく弾いてはいるのですが、突飛な感じになる前に弾むような心地良いリズムに酔えますし、時代も関係なくピアノでやり、自由に音の流れを操って伸び縮みさせるロマンティックな扱いがかえって新鮮であり、本来こういう曲だったのかと思うように活きいきしているからなのです。曲自体がすでにクラシックのレパートリーとして珍しいものであるため、グールドも変わった表情を付ける必要はなかったのかもしれません。本来これほど感性豊かに弾ける人だということにむしろ驚くと言ったら失礼でしょうか。

 選曲がまた素晴らしく、まるで一組の組曲のようであって、彼のこうした音楽への造詣の深さに驚かされます。カナダという国はケベックなどのフランス語圏もありますが、王様はイギリスのエリザベス女王だし、司法制度も英国と関係してきたということで、グールドがこうしたイギリスの音楽に詳しいのもお国ものという意識があるからかもしれません。それと、曲数から行けばバードが中心の曲集ながら、彼はギボンズが特に好きとのことです。ギボンズの曲をチェンバロで聞いているとフレーズの終わりで五度/四度の間隔(ハ長調のド-ソ-ド)を何度か上下して繰り返し、トリルを加える特徴的な音が聞こえて来ますが、ここではそれだけでなく、曲調の異なるものを選んでバードと混ぜてあるので飽きることがありません。ブラームスの間奏曲や遅いトルコ行進曲もいいですが、センスの良さと心地良さでグールドの最良の録音ではないでしょうか。軽やかで遊んでいるような音で、大変優雅です。グールドに癒されるという逆転を味わってます。

 録音は1961年から71年です。LP で買い、その後 CD を手に入れたものの、波長も録音状況も違う曲が最後に入っていて違和感を覚えたのでこれを買い直しました。完成度の高いオリジナルの8曲だけで十分です。音もリマスターされているのかきれいです。ちなみにヴァージナルというのはルネサンス後期からバロックにかけて使われたチェンバロの一種で、鍵盤列の方向と並行に弦が張ってある、つまり楽器に正対して左右方向に、一音につき一本の弦が張ってある小型の楽器でした。



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