ドヴォルザーク / 弦楽セレナーデとユモレスク

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弦楽セレナーデ
ホ長調 op.22
 好きな人を想っている憧れのような甘い調べの「糸杉」については大分前に取り上げました(「糸杉の思ひ出」弦楽四重奏版)。それで行くなら、そのオリジナル歌曲の九年後に作られた弦楽のためのセレナーデも叙情的で穏やかなメロディーによって広く親しまれています。糸杉よりも有名で、ドヴォルザークの代表曲の一つです。これを作った三十三歳という時期は「糸杉」で憧れていた人の妹と結婚した二年後であり、お姉さんに思いは残っていたとはいえ奥さんのことも気に入っていたようですし、再会してすぐ結婚という話だからそれ以前に長く一緒に生活していたわけではなく、二年というのはまだ魔法が解けない時期ということになるのでしょうか。そして不幸にも子供たちを亡くしてしまう経験をすることになるまでにもまだ二年ほど時間が残っているので、音色から幸せな波長がこぼれてくるのも納得です。イギリス人もアメリカの聴衆も皆彼のこういう資質に熱狂したのだと思います。ブラームスもドヴォルザークのことは大変気に入り、曲を激賞したり互いに訪問し合ったりしてたようですが、このときは奨学金の審査員がブラームスで、ドヴォルザークを選んであげた直後なのでお金にも不自由しなかったということが楽曲解説でよく語られることです。お金と愛がなくてもドヴォルザークらしい曲は作ったのかもしれませんが。

 セレナーデ(セレナード)というのは古くは夜に恋人の家の前で独奏楽器と歌とで愛を語るものですが、次第に音楽の一つの形式となり、楽器が増えてモーツァルトなどで有名になりました。楽章数が多く、軽く優美な曲想によって書かれるものです。ロマン派になってのドヴォルザークの弦楽セレナーデはチャイコフスキーのものとよく比べられ、CD でもよくカップリングされます。よりドラマチックで扇情的なチャイコフスキーに対して静かで懐かしみのあるのがドヴォルザーク節です。五つのパートから成りますが、最初と四曲目が静かな憧れに満ちた曲調、二曲目がワルツで、よくそこだけ取り出されます。このセレナーデ、さらにヨセフ・スク(ヨゼフ・スーク 1784-1935)のものを加えて三大弦楽セレナーデとなり、こちらもドヴォルザークのものにカップリングされることがあります。スクは同名の孫があの有名なヴァイオリニストですが、ドヴォルザークの弟子にしてその娘を奥さんにした人です。その奥さんは二十七にして死んでしまったということでドヴォルザークの子供たちには短命な人が多いようです。スクはドヴォルザークに別荘に招かれたときに、これもこの師匠らしい話ですが、もっと人生の明るい面を曲にしてみても良いのではとアドバイスを受け、同時に引き合わされたお嬢様に恋をしてセレナーデを作りました。さらにロマン派に入るのか、エルガーの弦楽セレナーデというのもあります。弦楽でなくても良いならシベリウスもヴァイオリンとオーケストラのものを作っていて、この作曲家の荘厳な印象に嵌らない愛らし い曲です。



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       Dvořák: Serenade for Strings op.22
       Christopher Warren-Green   Philharmonia Orchestra ♥♥


ドヴォルザーク:
弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
クリストファー・ウォーレン=グリーン / フィルハーモニア管弦楽団 ♥♥
 さて、ドヴォルザークの弦楽セレナーデ、音盤探しとなると有名曲ゆえに色々あります。しかし最近になってどんどん新譜が出て来るというよりも、ちょっと前のものがたくさん生き残っている面もあるでしょうか。近頃の少人数で室内楽的にやる趣向は好みですが、ざっと聞いたところでは案外さらっと軽快なテンポのものが多く、フレーズを清潔に区切っているものが目立つ印象でした。少人数の鮮明さを出したいのかもしれません。ドヴォルザークらしいというのがどうい うものかは人それぞれでしょうが、もう少しねばって歌ってほしい気もします。そんな中でこれはちょっといいなと思ったのはシュトゥットガルト室内管弦楽団やポーランドのアマデウス室内オーケスト
ラ、それにマッケラスとイギリス室内管弦楽団も出していました。新しいところでプラハ・フィルハーモニアもあります。似たような名前の楽団が多いので混同してしまうのですが。それらはみな最高の出来だとして、さて、そうなるともうちょっと前の大きなオーケストラものにも目が向きます。カラヤンなどは流麗なレ ガートですが、個々の小節単位のリズムでは波がつかず、そこは平滑にしておいて大きなメロディー単位で抑揚をつけます。そんなところが純交響楽的であり、ちょっと違った魅力です。同じくインターナショナルという点ではこの曲はイギリスの人が多く取り上げるようで、コリン・デイヴィスとバイエルン放響も定番です。カラヤンほどの大オーケストラだぞというダイナミック・レンジではなく、滑らかながらも滑らか過ぎず、かといって舞踊的にならず、彼らしく最もあっさりとした中庸表現であり、それが完成度の高さとなっています。それからウィーン放送交響楽団(ORF)も良かったし、ベストというのは選び難いのですが、自分の好みではまず次からの三つぐらいが横並びという感じでしょうか。

  最初はちょっとマイナーなクリストファー・ウォーレン=グリーン盤からです(写真上)。1955年生まれのイギリスの指揮者で、聞きやすい名曲ものを出していたりして、それだけに臆せず歌ってくれるところがいいのです。ややメロドラマティックかもしれませんが、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団。カラヤンのような構えは感じさせず、しかし同様に人数を生かしてダイナミック・レンジの高い演奏をしています。弦は人数が多ければ弱い音を安定して使えるので一段静かな方にもシフトできます。そこから大きく波打たせてクレッシェンドできるとレンジを広く取れるわけです。民族 (俗)的な節回しのセレナーデとしてどうかは分かりませんが曲には合っていると思います。弱音の分だけおとなしく静かなところが魅力的な演奏であり、そっと緩めるところがやさしく、ドヴォルザークのやわらかい憧れのような気持ちが伝わってきます。滑らかに、たっぷり歌わせています。

 カップリングはチャイコフスキーではなく、ドヴォルザークのものでまとまっているのがありがたいです。一般には名曲のチャイコフスキーと組の方が好まれるでしょうか。ここでは管楽セレナーデ op.44 が入っています。弦楽の方ほど有名ではなく、甘い憧れの傾向は少なめかもしれませんが、聞きやすいきれいな曲です。定番チャイコフスキーの弦楽セレナーデと並んで CD でよく一緒にされる曲でもあります。作曲時期は弦楽の三年後でドヴォルザーク三十六歳。三曲目の終わりの方の静かな部分など、弦楽セレナーデにも似てメロディアスです。続けてかけておいて気持ちよく浸れます。

 シャンドス1985年の録音です。音はきらびやかではなく、しっとりと落ち着いた好録音です。



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       Dvořák: Serenade for Strings op.22
       Rudolf Kempe    Munich Philharmonic
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ドヴォルザーク:
弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
ルドルフ・ケンペ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
♥♥
 次は1976年に65歳で亡くなったドイツの指揮者、ルドルフ・ケンペです。
ドヴォルザーク同様誰に対しても分け隔てなく命令的でない性質から多くの人に愛されていたようですが、夭折とは言えず、十分なキャリアを築くまでにも至らなかったせいか、一部のファンを除いて今はあまり取り上げられなくなった指揮者の一人ではないかと思います。ディスコグラフィを見ると分かりますが、リヒャルト・シュトラウスの盤が大変多い人で、自国ものが得意だったようです。個人的には70年代のグルダとのモーツァルトの最後のピアノ協奏曲は愛聴していました。そしてこのドヴォルザークが案外というか、大変良かったのです。前述のウォーレン=グリーンとは違い、ムード音楽的でもなければ出だしから大変ゆったりテンポというわけでもありませんが、波打つようにこぶしの効いた歌わせ方が心地良く、ドヴォルザークの人懐っこい民族調の音楽にはぴったりな気がします。といってももちろん音程を上下させるわけではなく、具体的には一続きのフレーズの後半に向ってぐっ と力を入れ、膨らませて盛り上げるクレッシェンドがあります。ちょうど乗っているときの楽団のボウイングのような感じです。思い出すのはベルリン・フィルの楽団員によるコンサートを聞きに行ったとき、サービスで起用された開催国のヴァイオリン独奏者の平坦な演奏に対して、ほら、どうしたんだ今日は調子が悪いのか、と弓の圧を使ってぐいぐいと追い上げていたコンサート・マスターのセカンド・パートの乗りです。ケンペの場合はそういう押しの感じではないけれども、楽団が自発的に夢中になっているかのようで、ヴォルテージの高さ、意欲の盛り上がりが鮮やかに、弾むリズムとなって粘るように、舞踊的に進むのです。これは特に人気のある二曲目のワルツで顕著です。そして緩め方も素晴らしく、静かなパートでは叙情的にたわませて美しく歌います。全編リラックス系ではないかもしれません が、これを一番としてもいい堂々とした名演だと思います。

 カップリングはオーマンディの「新世界」です。ここではフィラデルフィア・サウンドではなくてロンドン・シンフォニーですが、これもためらうことなく自然にたっぷりと歌ったいい演奏です。新世界のページでは取り上げませんでしたが、第二楽章などドヴォルザークの懐かしい感じがよく出ています。どうしてこういう組み合わせになったのか、レーベルの問題かもしれませんが、ケンペもしっかり新世界は録音しており、63年のロイヤル・フィル、68年のベルリン・フィル、71年のチュー リヒ・トーンハレがあります。ロイヤル・フィルは聞いてないですが、残りはどちらもゆったりとしたテンポで始めてダイナミックに推移する、スケールの大きな正攻法の演奏に感じます。録音は71年の方でも残響が多くて金管が薄く響くところがあるので、どちらもオーマンディより音が良くてセレナーデのコンディションに近いというわけでもないし、こうして組み合わされるとオーマンディと続けて聞いても指揮者の特徴をよく知る人でなければ違う人だとは思わないかもしれません。ケンペのセレナーデの録音、果たして初出は何と組んでいたのでしょう。同じミュンヘン・フィルとのシュトラウスのメタモルフォーゼンとの LP もありましたが、他に出ているチャイコフスキーのピアノ協奏曲とのものや、マルセル・モイーズとマールボロ木管アンサンブルによる管楽セレナーデとのものはここで取り上げた盤同様にコンピレーションのようです。色々に組み合わされるのはやはり名演ということでしょうか。

 レーベルは CBS/コロンビアの現ソニー・クラシカルで1968年初出ですが、リマスターのせいかセレナーデの音は大変良いです。新世界の方が金管が薄っぺらく聞こえるところがあるのに対し、そういう楽器がないからというだけでなく、弦も潤いがあってシャリっと薄くなる傾向はありません。



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       Dvořák: Serenade for Strings op.22
       Neville Marriner   Academy of St. Martin in the Fields
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ドヴォルザーク:
弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
♥♥
 マリナーとアカデミー室内管についてはグリーグでもシューマンの4番その他でもベストに推しましたので、何でもこの人を取り上げると思われるかもしれませんが、弦楽セレナーデについても魅力的な演奏でした。といっても二度録音されている新盤の方はフィリップスの録音で組み合わせも管楽セレナーデという大変ありがたいものながら、聞いた感じでは演奏は旧盤の方が好みでした。新しい方はテンポも速まり、颯爽としていて、それがマリナーのいいところだという場合が多いわけだけど、ドヴォルザークについてはじっくりと歌ってくれるデッカ旧盤をとります。オリジナルのジャケットは階段に楽団員たちが整列して写るという昔懐かしい手法のものでした。レジェンダリー・パフォーマンシズのシリーズとしてリマスターされていることからも名演としてレーベルが自負している気がします。他にも色々コンピレーションも出しています。

 マリナーという人の演奏の変遷について、それをカラヤンのように時期で分けることが可能なのかどうかは分からないけれども、フィリップス時代は洗練されていてやや速めのテンポをとり、抑揚もよくついていた、その後ディジタルになってからはやや遅めになったり表情が控え目になったりした盤があり、アカデミー管を去ってからはもうひとつ特徴がないかなと思われるパフォーマンスもある気がしていたところ、今度は再度古巣のアカデミー管と入れた録音はどれもゆったりとしながら表情も豊かについており、持ち味の洗練はそのまま、という素晴らしいものがいくつも出てきました。その線で言うならこのセレナーデはそれらよりもっと古いアナログ時代です。面白いのはフィリップスとの一連の多くの録音よりもゆったりとしたテンポをとっていることです。遅ー速ー遅という時間軸上での傾向があるのでしょうか、それとも曲によるのでしょうか。

 弦楽セレナーデは最初に取り上げたウォーレン=グリーン盤ほどメロディアスに表情の幅をつけてみせるものではないものの、瑞々しい点では劣りません。カラヤンのように交響詩みたいにやるわけでもなければ過度のレガートでもなく、滑らかに適度に弾みます。編成の小ささから来るのかこの人の中庸感覚から来るのか大変バランスの良いもので、弱い音を抑えてダイナミック・レンジを稼ぐのではなく、どの音にも恣意的な表情を持たせず生き生きとしていて曲本来の姿に向き合えます。ケンペのように舞踊的なリズムでぐいぐい乗るわけでもなく、あっさりして泥臭くありませんし、ことさら民族柄でもないのですが、やさしさを感じます。いつまでもこのアナログの演奏がいいというのも気が引けますが、ドヴォルザークのセレナードではやはり一番かもしれません。完璧な演奏と言えるでしょう。

 デッカ1970年の録音です。音は後発のウォーレン=グリーン盤に劣りません。カップリングは68年のチャイコフスキーの弦楽セレナーデ、同じ70年の グリーグのホルベルグ組曲です。チャイコフスキーも出だしのアタックが強過ぎず、全体に元気過ぎずないのがありがたいです。グリーグは後年、大変美しい録音と演奏の新盤が出ています(「グリーグのピアノ協奏曲とペール・ギュント組曲」)。



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       Dvořák: Serenade for Strings op.22
       Alain Lombard   Orchestre National Bordeaux Aquitaine


ドヴォルザーク: 弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
アラン・ロンバール / フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団

 ストラスブール・フィルとの録音が懐かしいですが、アラン・ロンバールです。さすがはフランスの演奏ということで、どこまでも滑らかにしてゆったり歌わせ、レガートでつなぎつつゆるやかに波打ちます。ことさら舞踊的に弾むリズムではく、二曲目もやや重めのクリームのように滑らかなワルツながら、ケンペ盤のような拍の盛り上がりがあります。内声部の弦が室内楽のように響いたり、終わりの楽章でヴァイオリンが浮かび上がったりしてきれいです。カップリングはチャイコフスキーのセレナーデです。

 1995年ヴァロア/ナイーヴで、ここで取り上げた中では新しいものです。高音弦が案外くっきり鮮やかな音です。いい盤なのに、レーベル存続の問題からか CD は手に入り難い状況なのが難点で、新品は高く、中古も新品並みの値段だったりします。

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ユモレスク op.101-7

 ユモレスク(ユーモレスク)は誰もが知っている有名曲ですぐに口ずさんでみたくなります。そしてクライスラーがヴァイオリンに編曲しているのでヴァイオリン曲だと思われていたりしますし、他にも色々な編曲で登場するので元がピアノ曲だと 聞くと意外な気がします。作曲は新世界交響曲やアメリカ四重奏の後、チェロ協奏曲の前というタイミングの1894年で五十二歳の夏。アメリカから一時帰国したときに着手した「八つのユモレスク」曲集 op.101 のうちの第7曲が我々のよく知るあの曲です。他の曲はほとんど耳にすることはないかもしれませんが、ナクソスからも CD は出ており(Complete Solo Piano Music, Stefan Veselka, Naxos 8.557477)、四曲目などブルーノートっぽい音が出て来て、これはジャズかガーシュウィンか、という感じだったりもします。しかし1894年のことです。 アメリカで音楽素材を拾い集めてきたスケッチ帳の残りを使ったという話だけれども、ジャズが始まったのは19世紀末ということで詳しく解説されるのは 1920年代以降です。ラプソディー・イン・ブルーなんか24年ですから、このちょっとだけブルージーな音はクラシック音楽へのジャズの取り入れとしては三十年早いことになります。でも、ユモレスクと言えばやっぱり有名なあれ以外は聞かれないでしょうか。ヴァイオリン版は古くはスークがお国ものということで弾いていますし、ここでもすでにケッケルト盤を取り上げています。そこで次にはやはりオリジナルのピアノによる演奏を一つだけご紹介することにします。



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       Romantic Pieces / Dvořák:  Humoresque op.101,   Romantic Pieces op.75,   Sonatina in G major for violin and piano op.100
       Smetana:  From the Homeland -two pieces,   Janácek:   Sonata for violin and piano
       James Ehnes (vn, pf)   Eduard Laurel (pf)


ドヴォルザーク: ユモレスク op.101-7 / 4つのロマンティックな小品 op.75
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 op.100
スメタナ:「わが故郷より」〜二曲 / ヤナーチェク: ヴァイオリン・ソナタ
ジェイムズ・エーネス(ヴァイオリン/ピアノ)/ エデュアルド・ローレル(ピアノ)

 カナダのヴァイオリニスト、ジェイムズ・エーネスについてはバッハのヴァイオリン・ソナタのページでも取り上げました。近頃各方面から賞賛の声が上がっており、「ヴィルトゥオーゾ」という表記も見られるので、きっとそういう範疇に入る人なのだろうと思います。演奏の印象は大変丁寧で、これ見よがしな技法重視には聞こえません。バッハでもここでのドヴォルザークでも同じですが、もっと弾んでリズミカルに崩したりして遊んでてもいいような気がする瞬間もあります。棒のように真っ直ぐじゃないけど生真面目で、より伸びたり縮んだりの自然な呼吸がある方が多くの演奏家にあっては一般的でしょうか。それじゃあ、楽譜を丁寧に音にする日本の有名音楽家たちは放っておいてこの人は取り上げるのか、という話にもなるけれども、ここでのユモレスクを聞くとただ直線的に弾いているわけではなく、こういうおっとりとした歌をこの人は出したいのだなということがよく分かります。彼らしくて、彼らしくないというのでしょうか。緩める方向ですが、案外自在に崩しており、他の演奏にない良さがあるのです。そしてヴァイオリン版のじゃないオリジナルのピアノ版を取り上げると言っていたじゃないか、という話だけど、そうなのです。ここではエーネス、なんとピアノ演奏を披露しているのです。

 バイリンガル・ユリア・フィッシャーのグリーグはすでに取り上げましたが、フィッシャーよりもこのエーネスの方がピアノ演奏をたくさんやってみせているようです。インタビューによるとピアノはヴァイオリンより後で八歳から始め、十六歳以降最近までは弾いてなかったようです。「だからうまく弾けなかったらそもそも取り上げる価値はないけど、日本でもいいと褒められたし、もっと弾いたらと言われて、ならやってもいいんじゃないかと思った」そうです。「十五年もブランクがあって大問題だったし事実大変だった、周囲には自分がヴァイオリンで一緒にやってるとんでもないピアニストたちがいるので、彼らにできることが同じようにできるだなんて自分に嘘ついたりはしないけど、うまく行ったときは自分が響かせたい音になってると思います」と答えています。ここでのユモレスク、その名の通りユーモアある軽やかな音楽なので、多くの演奏者が出だしから面白おかしい感じで弾むように弾きます。しかしエーネスはゆったりと進めることでこの曲が持っているもう一つの顔、ちょっと哀愁のある美しい叙情的な側面を強調しています。ときに丁寧過ぎるあのエーネスが大変粋に揺らしながら聞かせてくれ ており、なんかしんみりとして、この曲のベスト演奏な気がします。

 エーネス5枚目のこのアルバムの録音は2003年、レーベルはアナレクタです。♡はユモレスクにつけました。これ自体は本来エーネスのヴァイオリンのためのものであり、「ロマンティック・ピーシズ」と題されており、カップリングは4つのロマンティックな小品 op.75 とヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 op.100 で、本来はそちらがメインだと思います。おっとりとした美しい演奏です。それにスメタナの「わが故郷より」から二曲とヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ も入っています。ドヴォルザークがスメタナやヤナーチェクと同じ波長だとは思わないけれど、チェコの国民楽派ということで一緒にされているのでしょう。楽器はフルトン財団から貸与されていて9億円ほどする1715年製ストラディヴァリウス・エクス・マルシックということで、音がすごくきれいです。



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