ピリオド楽器の「ハープ」
           ベートーヴェン / 弦楽四重奏曲第10番

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       Beethoven String Quartet No.10
       Eroica Quartet ♥♥

ベートーヴェン / 弦楽四重奏曲第10番「ハープ」op.74
第11番「セリオーソ」op.95 / 第16番 op.135
エロイカ四重奏団 ♥♥
 ベートーヴェンの「ハープ」は魅力的な曲です。弦楽四重奏曲の第10番がそういう愛称で呼ばれるのですが、この曲は全部で十六ある彼のクァルテットの中で、一般にはさほど評価の高いものではありません。中期の大作、ラズモフスキー・セット(第7・8・9番)の三年後に作曲され、しかし後期四重奏曲(第12番〜16番)の深遠なる世界に入る前の過渡的な作品だ、などとよく言われます。二つの高い峰に挟まれて、溶け残った氷河みたいな扱いです。確かに弦楽四重奏曲というものに大きな変革をもたらしたとされる「ラズモフスキー」三曲のような技法的工夫や構成の大きさはないのかもしれません。しかし流れるような優美な旋律があり、力が抜けていて大変味わい深いのです。裸の王様ではないですが、皆が褒めるものが見えないと言うのは勇気が要ります。ピアノ・ソナタで言えばハンマークラヴィーアなどをあまり好きでないなどと言ってしまうと落ち着かないわけです。もちろん後期の弦楽四重奏曲群はベートーヴェンの到達点で、王様の見えない服なんかではありません。中でも14番にこの作曲家の奥深さの全てを見ることは可能でしょう(甥のカールを自分の子のように思って過干渉し、自殺未遂へと追いやった年の作だなどという見方もあります)。また、15番の感謝の歌にもいつも魅了されます。でも「ハープ」のことも忘れられないのです。この作曲家最後の作品である16番、その気負いの抜けた不思議な波長の曲もまた独特の美を放っているのだけれど、「ハープ」と続けて一枚のCD/プレイリストにすると、これが案外良い組み合わせになったりします。正直なところベートーヴェ ンの四重奏と言えば、そんなものばかり聞いているというのが現状です。「ハープ」という名前は、 第一楽章にピツィカートが出てくるため、その弦を指で弾く音からついた愛称です。

 好きな曲だとCDも気に入った演奏に出会うまでいくつも買ってみたりします。スメタナ、ベルリン、タカーチも良かったし、ウィーンのバリリ四重奏団のものは滑らかでたゆたう優雅さがあり、モノラル時代なのが少しだけ残念です(音は悪くありません)。それから東京クァルテットも見事でした。ピーター・ウンジャンが第一ヴァイオリンだった頃の録音で、後期四重奏曲集はそれ一択のような状態です。当時の彼らの演奏は気負いがないのに深みが感じられ、曲を味わいつつ進んで行くところが素晴らしいと思います。

   しかしピリオド楽器という選択肢もあります。二つ手に入れてみました。ターナー四重奏団の方はフランスの人たちながら、ラテン的というよりも案外と引き締まった正統派的な演奏に聞こえました。そしてもう一つがエロイカ四重奏団です。上に掲げたバロック絵画のような、でもちょっと作為的な構図のジャケット写真のがそれだけど、結構若手のイギリスの人たちです(どちらもハルモニア・ムンディから出ており、前者は harmonia mundi france, 後者は harmonia mundi usa です)。カップリング曲は11番の「セリオーソ」と16番であり、「セリオーソ」の方は個人的にはあまり聞かないけれども、中を飛ばせばお気に入りの組合せなります。そしてこれがなかなかいい演奏で、ゆったりとして力まず、心地良い歌が聞かれます。東京クァルテットがエッセンスを集めて曲のありのままを飾らずに見せてくれるとするならば、エロイカ四重奏団は旋律のゆらぎを楽しんで音を延ばしつつ、抑揚を十分につけているように感じます。その歌い方によって、古楽器の持つ繊細な音色と、ビブラートをかけないことで出てくる独特の弦の震え(それは楽器間で起きる同期外れの倍音の干渉なのですが)を味わうゆとりがあります。全集が出ているわけでもないし、有名な四重奏団というわけでもないのですが、奇を衒うつもりはなく目下のところ一番聞く回数の多いCDとなりました。

 

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