モーツァルトのハイドン・セット四重奏曲
    弦楽四重奏曲第14番 K.387 〜 第19番 K.465        


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 モーツァルトの弦楽四重奏といえば、最も有名で親しまれているのは二十六〜二十九歳頃に作曲されたハイドン・セットと呼ばれる第14番 K.387 から19番 K.465 までの六曲ということになるでしょう。時期的にはその後にも20番 K.499 の「ホフマイスター」、21番 K.575 から23番 K.590 までの「プロシア王セット」も作曲されており、後者は晩年の作であって、特に23番はこの時期特有の澄んだ軽やかさの聞かれる曲なので、「白鳥の歌」の項目ですでにご紹介させていただきました。因みにその前はというと、十七歳のときに作曲されたウィーン四重奏曲(第8番 K.168 〜13番 K.173)六曲と、同じ十六歳から十七歳頃に作られたミラノ四重奏曲(第2番 K.155〜第7番 K.160)六曲、それに十四歳のときに作曲した第1番 K.80 があります。六曲を組にするのは当時の出版慣例でした。

 ではこのハイドン・セットの曲集がどうして最も有名なのかと言えば、元来ケッフェルも400番台になると名曲揃いであり、技法的な意味ももちろんのことでしょうが、時間をかけて作曲され、献呈されたハイドン自身が激賞したということもあるのだろうと思います。ハイドンとモーツァルトは歳は離れていても友人のように親しい間柄だったようで、ハイドンのことをパパと呼んでいたモーツァルトは、ロンドンに旅立つハイドンをなんとか引き止めようとし、別れの際には涙したと伝えられています。ハイドンの方もモーツァルトの天才ぶりを敬意をもって受け止めており、このハイドン・セットの四重奏曲をモーツァルトが自宅でハイドンに披露した際には、そこにいたモーツァルトの父親に息子のことを「すべての作曲家の中で最も偉大」だと褒めました。

 ハイドン・セットの楽曲はどれもみな傑作揃いとされていますが、唯一の短調である15番は、ト短調の交響曲同様にこの作曲家がときに短調で見せる才能を発揮し、どこをとっても隙のないほの暗い情熱のほとばしりを感じさせる名曲です。また、「狩」と呼ばれることのある17番は、出だしが弾むように明るく軽快で、第三楽章のアダージョも瞑想的であり、ときに秘めた激しさを感じさせます。そして19番は「ディサナント」、「不協和音」と呼ばれる序奏で始まりますが、これがまた極めつけの魅力的な音を響かせます。当時としてはあり得ない和音の組み合わせだったはずで、どこか無時間の彼方から降りて来たものではないかと思える天才ぶりです。



   
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      Mozart String Quartets Nos.14-19, K.387-K465 
Alban Berg Quartet ♥♥

弦楽
四重奏曲第14番 K.387〜19番 K.465 ♥♥
ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団
 
演奏は23番のところでご紹介したアルバン・ベルク四重奏団の旧盤が、モダン楽器の演奏としては魅力的でした。これが出た頃に馴染みのレコード屋の店員さんが天井埋め込みの小さななスピーカを指差して「これで聞いていいんだから絶対いいんだよ」と勧めてくれたのを思い出します。確かに当時としては先鋭的な演奏で、他のものとは一線を画していたと思います。今聞けば、一点の隙もないのは変わらないながらスタンダードな感じに聞こえ、自発的な若々しさと鋭さが熟成した芳醇さと溶け合った名演だという気がします。1970年に結成で、典雅にしておっとりとした
ウィーン伝統の流儀から脱しようとしていた若者たちの、最初のメンバーでの演奏です。昨今のピリオド楽器による演奏ではないけれども、ピリオド奏法独特の呼吸に制限されないという意味で、逆に表現の自由へと解き放たれたものとなっている気がします。規則は束縛であって、例えば一小節の中の音符の音価を不均等に奏でなければならないという古楽器奏法に縛られたとしたら、ここぞというときに揺らす自由がなくなるわけです。

 テレフンケンーテルデックの旧盤の方を推しましたが、EMI のデジタル録音の新盤も高い水準の演奏だと思います。違いはわずかと言ってもいいかもしれません。アナログ録音の旧盤の方が比べれば表現の幅が多少大きく、切れと若さがあり、一方で新盤の方はまとまりが良いです。音も旧の方がシャープで倍音が細かく、デジタルの方は EMI らしい、ややバランスが低い方に寄ってハイが若干丸まった、よく言えば落ち着きのある音に聞こえます。もちろん旧盤の1977年と78年のアナログ録音も潤いのある好録音であり、シャープといっても線の細くなるようなものではありません。この時代のアナログ録音は完成されていたので、下手にきついデジタルより良いと思います。



    mosaiquemozart
      Mozart String Quartets Nos.14-19, K.387-K465  Quatuor Mosaiques ♥♥

弦楽
四重奏曲第14番 K.387〜19番 K.465 ♥♥
モザイク四重奏団

 ピリオド楽器による演奏が正確に何種類出ているのか、全体像は把握してないのですが、主立ったところは
ベルギーのクイケン四重奏団とモザイク四重奏団ぐらいになるのではないかと思います。モザイク四重奏団は、上でご紹介したアルバン・ベルク四重奏団と同じく、オーストリアの古楽器オーケストラであるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーによって1987年に結成されました。しかし、当初から歴史的考証による音楽の再現を目指してはいなかったようです。コンツェントゥス・ムジクスと聞いても、アーノンクールのバロックもののような極端な呼吸に身構える必要はありません。ピリオド奏法的なリズムは強い方ではないのです。むしろモダン楽器の演奏でも、例えばハーゲン四重奏団のように、どうかするとこのモザイク四重奏団よりもリズムの揺れが大きい楽団もあるぐらいです。ハーゲンは新しい録音はよりそうだけど、ドイツ・グラモフォンに入れた旧盤の方も、ハイドンやドヴォルザークなどをやってた初めの頃の演奏よりは大胆になっている気がします。

 かといって、このモザイク四重奏団の演奏も、アルバン・ベルク四重奏団のようにストレートに切れ込む演奏ではありません。ピリオド楽器の楽団としては十分にストレートだけど、独特の揺れはやはりあります。むしろ後述するクイケン四重奏団よりもその傾向は強いかもしれません。テンポは比較的遅めに表現する楽章が多く、表情はしっかりしています。リズムの揺れについても、例の一音の中での「弱ー強ー弱」と盛り上げるボウイングもあります。ただ、そうした古楽器楽団の呼吸がここでは気にならないレベルに抑えられていて自然なので、安心して音楽に浸れるのです。あえてそのリズムの取り方について触れるならば、
クイケン四重奏団よりも楽節の頭でためを効かせて遅らせる傾向が顕著であり、一方でクイケン盤の方はフレーズの後半、一つらなりの最後の音が少し駆け足になって早まる方に行くようです。したがってクイケンはときにちょっと情緒に浸らないかのような、多少気ぜわしい感じになる瞬間もあります。ただ、全体には表現がよりおっとりとしていて自然なのはむしろクイケン四重奏団の方で、ピリオド奏法の癖が少ないかどうかという点で言うならば、クイケン盤の方が該当するのかもしれません。

 いずれにしてもこのモザイク四重奏団、ややゆったりでよく歌う演奏です。♡二つにしましたが、楽章によってはためと表情の大きさが若干気になる部分もありました。個人的には17番の「狩」の出だしなど、もう少し軽く弾むように、テンポもすっきり速めの方が好みです。このページはハイドン・セットのご紹介なので関係ないですが、プロシア王セットの23番でも同じように感じました。そちらは数年後の演奏です。こういうのはあくまでも個人的な好みの問題です。全体としては、味の濃い表現において魅力が増している楽章が多い感じがしました。したがってこの曲集で最も気に入った演奏の一つとなっているのです。

 だだしこの CD、残念なのは現在はどうやら廃盤のようです。レーベルはアストレで、購入したものはハイドン・セットから後の全て、ホフマイスターとプロシア王セットまで一緒になった五枚組ながら、他にもハイドン・セットだけのものや一枚ずつのものもあったようです。まだ市場には出回ってますが、再販されるでしょうか。一枚ずつ違った蝶の写真が中央に配されたジャケットはデザイン的にも大変洗練されています。ジュエル・ケースに納められているので棚から出しやすく、裏表紙と CD 本体が同じ色でそれぞれ別に色分けされていて迷子にもなりません。サブスクライブのサイトでは、あるところとないところがあります。

 録音はハイドン・セットに限っては1991年と93年で、古楽器としてはあまり倍音の鋭くならない音です。潤いがあって、なおかつ張力の弱いガット弦特有の繊細な響きも堪能できます。大変良い録音だと思います。



    mozarthaydnsetquijken
      Mozart String Quartets Nos.14-19, K.387-K465  Kuijken String Quartet ♥♥

弦楽
四重奏曲第14番 K.387〜19番 K.465 ♥♥
クイケン弦楽四重奏団

 ピリオド楽器によるハイドン・セットのもう一つの録音がクイケン四重奏団です。ベルギーのクイケン兄弟たちを中心にしたアンサンブルです。ここでのリーダーにして「ラ・プティット・バンド」の指揮者でもある第一ヴァイオリンのジキスヴァルト・クイケンは、ソロだとときにピリオド奏法特有のアクの強い表現をする場合もあるものの、アンサンブルにおいては反対に案外さらっと素直な、内輪のリラックスしたマナーを見せることが多いように思います。ここでのモーツァルトは後者の、自然体で素直な演奏になっています。当然モザイク四重奏団との比較となるわけですが、これはどちらも一長一短というか、どっちも良いところがあるので判断は難しいです。

 表現の濃淡という点から言えば、ときにさらっとしたクイケン四重奏団の方がありがたく、ときにコクのあるモザイク四重奏団の方が味わい深くなります。どちらもピリオド奏法の不均等なリズムは強くなく、穏やかに聞いていられるけれども、モザイクは拍の前に間をとってテンポもゆったりという方向に表情が大きく、それが善くも悪くもなり得ます。一方でクイケンは速いテンポとは言えないながらも、比べればモザイクより運びはあっさりしています。かといって緩徐楽章で忙しい古楽楽団の癖はありません。ただ、フレーズの終わりの方で早足に駆け出そうとするような、お尻の落ち着かない息遣いがわずかに出る箇所もあります。ほとんど気にならないですが、これはピリオド奏法においてはある時期によく聞かれたもので、クイケンのバンドでは特に他よりもこちら方向にリズムを崩す好みがあるようです。細かく言うならば、仮に四つの音符があるとすると、「タ、タ、タタ」というような感じでちょっと駆け足気味になって次へつながるのです。それとは反対に前の方にための強調点が来て、「ンタタ、タ、タ」となる崩しも実はよく聞かれるのですが、それだとやり過ぎない限りあまり不自然に聞こえないので気になりません。しかしまあ、こうした息遣いはこのモーツァルトやハイドンの四重奏曲の演奏では気づかないほどわずかでもあるので、わざわざ指摘するほどのこともないのかもしれません。ただ、その部分がなければこの演奏こそを文句なく一番に推すところなので、一応触れてみました。

 次に音ですが、これも好みで言えば、若干モザイクの方が厚みと潤いのあるバランスであり、心地良い気がします。一方でクイケン四重奏団の録音はハイファイで、バロック・ヴァイオリン特有の線の細い倍音の魅力が堪能できます。重心はモザイクよりやや上寄りでしょう。もちろん自然な音なので、昔の DENON にありがちだったハイ上がり傾向は見られません。1990年から92年の大変良い録音です。
 写真はハイドン・セット第1巻のものです。ばらで全曲出ていてそれぞれデザインが異なるものの、このレーベルのイラストは見分けがつき難いのでこれで代表させておきました。セットではないです。



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