晩年のケンプ  

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       Wilhelm Kempff   Bach  English Suite No.3 in G Minor, BWV 808
       Capriccio in B Flat, BWV 992 "On the Departure of a Dear Brother"
     Toccata in D BWV912    
       French Suite No.5 in G BWV816 
       Wilhelm Kempff (pf)

バッハ / イギリス組曲第3番ト短調 BWV 808
カプリッチオ「最愛の兄の旅立ちにあたって」変ロ長調 BWV 992
トッカータ ニ長調 BWV 912 / フランス組曲第5番ト長調 BWV 816
ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
 バッハの作品に人々は何を求めるのでしょうか。多様な面を持つ作曲家ですから、カンタータの中にはずっとお喋りをしてるオペラのようなものもありますし、トランペットの華やかな管弦楽曲もあります。奥さんのマリア・バルバラに先立たれて涙を流してるようなヴァイオリン・ソナタもあります。しかしすぐに再婚し、妻二人の間には山ほど子供を作り、若いときには剣を抜いて喧嘩をするなど怒りっぽく、女人禁制の教会内で女性に歌わせて叱責されたり、かと思えばワインの贈り物をもらっておいて税金が無駄だからこういうのはやめてくれと送り主に手紙を書いたりする、そういう人物像が伝わっています。大変世俗的な人に見えます。ただ、誰しもが感嘆の声を上げるのはそういったエピソードとは裏腹に思える深みのある音楽でしょう。どう捉えるかは人それぞれだけど、それは信仰の問題から来るものだ、などともよく言われます。

 新教徒のバッハの信仰については、プロテスタント教徒らしく罪を悔いて神の憐れみ乞う姿勢がよく知られているぐらいで、実際のことは分かりません。理を超えた境地に至っていたのでしょうか。でも自覚して実生活を超越した姿で生きていたかどうかとは比較的関係なく、芸術家は作品の中で透徹した音を響かせることがあります。特に晩年になって澄み切った精神を感じさせることは珍しくないもので、モーツァルトにもベートーヴェンにもそんな高みがありました。しかし元々主観性の強いものではないバッハの音楽は、晩年でなくても神の声を聞くというのか、何かが降りて来たような様相を示すことがあって、恐らくそれがバッハが偉大だと言われることの理由なのだと思います。

 ウィルヘルム・ケンプはバッハと同じドイツの人で、1991年に九十五歳で亡くなっています。その演奏から深い信仰のようなものを感じさせるという意味で、最も印象的なピアニストです。彼の信仰がどういうものだったのかもまた分かりませんし、元来「理解」するものでもないのでしょう。芸術においてバッハなりケンプなりが伝える感動は、教義のあり方や杖を持った化身の神様とは関係がなく、神のお告げをもたらす人も普段のあり方は神聖さとは縁がないし、預言者も自分の人生だけは分からないようです。ケンプが具体的にどんな風に音符を音にするのか、それについてはベートーヴェンのソナタのページ(「ベートーヴェンのピアノソナタ20人聞き比べ」)とゴールドベルク変奏曲のページ(「シフという個性」)で書いてみましたので、ここでは細かくは触れません。主観に過ぎないと言われるかもしれませんが、作品や演奏に信仰の現れを感じるような表現は、どこをどう弾いたらそうなるのか説明できるものではありません。酷寒の地で人が吐き出す白い息に、手前から映写機の光を当てて映像を映し出すという芸があります。キャンバスは固定された布ではなく、風に流される水蒸気です。こういう演奏もその水蒸気のようなもので、移ろい行く一瞬の媒体に映ったものに過ぎません。

 ケンプについてはその技術的問題点を指摘する人もいます。指がもつれるというのです。海外ではさほどでもないので、残念ながら日本で多い評価なのでしょう。技術偏重の音楽教育と関係があるのでしょうか。

 彼の数ある録音の中で、1975年のこれが最後かどうかは分からないけど、かなり後の方であることは間違いありません。聴衆の前に最後に姿を現したのは82年(八十七歳)でした。「バッハ名演集」と銘打たれた(日本でだけですが)このイギリス組曲とフランス組曲、「最愛の兄の旅立ちにあたって」のカプリッチオの入った一枚は八十歳のときの演奏で、ベートーヴェンのシリーズやゴールドベルクなどよりずっと後のものであり、ケンプが晩年に到った境地をあますところなく表現しています。 

 どんな演奏かは言葉にし難いのですが、さらっと流して行く気負わない展開にバッハの深みが浮き上がって来るようなものです。イギリス組曲のガヴォット2やフランス組曲のサラバンドなど、静かなところの味わいは何にも代え難いものです。
「最愛の兄の旅立ちにあたって」は軍楽隊に赴任する兄を送るために書かれたもので、晩年の作ではないながら、このアルバムの中で大変魅力的な曲となっています。軍楽隊といっても戦地に赴くのであって、しかもスウェーデンです。バッハは十歳のときにはすでに両親とも失っており、三つ年上の兄ヨハン・ヤコブはそのとき残されていた兄弟です。しかしここに表れている心情は、敢えて言うなら信仰に裏打ちされた受容でしょうか。ケンプの指からはそんな音がこぼれます。「旅を思いとどまらせようとする友人たちの言葉」という最初のアダージョから、懐かしくも愛情あふれる響きが聞かれます。暖かく空気の澄んだ宵に明るい夕映えの中に立っているようです。この CDは時期としても出来としても、ケンプの最後の到達点ではないでしょうか。抜粋と小品の選曲も粋で、何気なく弾いているだけのところがいいです。誰が誰にかはわからぬながら、これも最愛の人を送り出す音楽のように聞こえます。

 上の写真は左が日本盤です。1000円ぐらいで売っていましたが、今は廃盤です。右は同じものに同時期のコラール集を合わせた輸入盤で、こちらは手に入ります。



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       Anne Queffelec  'Contemplation'          Alfred Brendel   Italian Concerto, Chromatic Fantasia and Fugue

 同じ趣向のバッハ名演集は、アンヌ・ケフェレックのもの(Contemplation 瞑想〜バッハ作品集)や、ブレンデルのもの(J.S.バッハ名演集)をはじめ、色々と出ていますので比べてみるのも面白いかもしれません。パリジェンヌ、ケフェレックのは最近の録音で、タイトル通り静かな曲が集められていてケンプのものにちょっと似ていますが、「セ・ラ・ヴィ」とでも言うのか、様々なことを経験して来た演奏者が回想した結果、幾分悲しげな、あるいは悲しいことを通過してきたかのような響きが感じられます。ブレンデルの方はたいへんロマンティックで、途中で「ベートーヴェンかけてたっけか」と思ったりするぐらいです。どちらも魅力的なアルバムです。
 ケンプのものはブレンデルの一年前の録音だけど、音も良いです。丸く艶のある音は最近のディジタル録音の傾向とは違うけれども、十二分に美しいです。



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