割り切れない和音の魅力 
           / ルイ・クープランの宇宙 

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 ルイ・クープランの作品の美しさは、知っている人にはあらためて説明する必要もないことでしょう。1626年生まれのフランスの音楽家です。甥にあたる1668年生まれのフランソワ・クープランばかりが有名なのは、ルイがモーツァルトと同じく35歳という若さで病死してしまったからだとも(それなら可哀想票が集まりそうですが)、フランソワが自分の作品を楽譜にして出版したからだとも言われます。しかし近年、このルイの地位が見直されつつあるようです。本当に才能があったのはむしろ伯父のルイの方ではないか、と。芸術の世界、実力は物差しで計れませんが、 ルイ・クープランのクラヴサン音楽を聞いて心奪われる人は演奏家、愛好家を問わずたくさんいるようです。私も初めて聞いたときにその不思議な響きに魅せら れてしまいました。クラヴサンの曲はバッハやフランソワのものなどいくつか聞いてはいましたが、それらとはまたちょっと違った種類です。興味をひかれて他にどんな作品があるのか探したところ、室内楽とオルガン曲があるものの多くはなく、イギリスの個人蒐集家が抱え込んだまま楽譜の写本を出版しないという残念な事情もあるようです。


シャンボニエールへの義理立て
 ルイが世に出るきっかけとなったのは、当時の作曲家でクラヴサン奏者だった(ジャック・シャンピニオン・ド・)シャンボニエールに認められたことだとされます。シャンボニエールが別荘で宴会を行っていたところへ若きクープランが弟たちを連れてやっきて、自分の作った曲を兄弟皆で演奏したところ、当時宮廷にも出入りしていたシャンボニエールはその才能に驚いて、ぜパリへ来るようにと推薦してくれました。その後ルイはパリで才能を開花させ、サン・ジェルヴェ教会のオルガニストの地位を得るまに至ります。その地位は以後クープラン一族が占めることになるわけです。しかし恩人であったシャンボニエールは後年、宮廷音楽家の地位を失ってしまいます。当時は太陽王ルイ14世の時代で、イタリアから出てきたリュリが王の友人とさえ言われるほどに出世していました。リュリは地位を得るために様々な策を弄し、強引なやり方で敵を作ったとされます。指揮棒で間違て自分の足を突いて化膿させ(今の指揮棒とは違ってく、床をドンドンと打ち鳴らしてリズムを取っていました)、それがとで死んだ作曲家ですが、どうやらシャンボニエールはそのリュリの下で伴奏することを断っために王の不興を買い、追い出されてしまったようです。そのときまでに才能を認められていたルイ・クープランは後に宮廷クラヴン奏者としてシャンボニエールのその地位を引き継ぐように求められますが、自分の才能を買って世に出してくれた恩人の職に就わけには行かず、義理堅く辞退したといいます。しかし彼の能力は傑出していたために、特別にトレブル・ヴィオール奏者という位が創出され、結局彼は宮廷で仕えることになりました。トレブル・ヴィオールというのは高音域のヴィオラ・ダ・ガンバで、チェロように立てて弓で弾く弦楽器ですが、トレブルは小型でヴァイオリンぐらいの大きさだったようです。膝の上に乗せて弾きました。


連続する不思議なコード
 さて、彼のクラヴサン曲ですが、その魅力を表現するのは結構厄介です。まず和音の組み合わせが複雑です。一つ前の記事でフランソワ・クープランの「パッサカリア」で最後の方のコードが一部ジャズのように複雑だと述べました。煩雑なのでここではあのときのように実際の和音構成を楽譜から追ったりはしませんが、それと同じことが、しかももっと曲全体に及んで同じことが言えます。

 クラヴサンという楽器はプレクトラムという爪で弦を弾いて音を出します。その子孫のピアノがフェルトのハンマーで叩いて音を出すのとは大分異なります。そして当時のフランスではリュートが愛されており、それがギター同様に弦を掻き鳴らす楽器であるために、クラヴサンの方も「鍵盤付きのリュート」と考えられていました。したがって演奏の際もリュートを模倣した分散和音で弾かれます。つまり、順番に指で弦を弾くようにバラバラバラーン、と時間差で和音を鳴らすのです。ルイ・クープランの曲ではそれが連続するので大変よく分かります。両手で一つのコードを鳴らすと、二オクターブにまたがって分厚い低音の上に和音が展開するようなことになるため、響きが強烈です。

 それがジャズに似ていると言いましたが、どんな曲でも普通に使われるドミソのような三和音(トライアッド)に対して、ジャズでは最高音の上にもう一個加 えた四和音(セブンス・コード)以上の複雑なものを使います。ナインス(五和音)、イレブンス(六和音)など、音数も多くなることがあるし、同じセブンス でもただのセブンス、メジャー・セブンス、マイナー・セブンス、マイナー・メジャー・セブンスなどのようにどれかの構成音が半音ずれた組み合わせによって 色々あります。例えばメジャー・セブンス(CM7)ならドミソシ、ですが、このドとシは半音隣り合った音で、すぐ隣を弾けば濁った不協和音となって汚く響 きます。でもドから見てオクターブ近く上のシなら濁るといっても干渉し合う率が減って複雑ながら案外きれいに聞こえます。古典派の時代には使われなかったような和音ですが、この音は明るいんだけど儚げなと ころもあり、憧れるような寂しいような、ちょっと諦観の混じった感じにも聞こえます。クープランでも特に後でご紹介するアラン・カーティスの演奏するヘ長調 (F Major/en fa majeur)の組曲などでは一部そんな風に聞こえるところがあります。そしてこういう複雑な音を多用することでジャズはあの独特の洒脱な感じを醸し出しているのです。シはドミソから見て波長が同調しない音なのでテンションと呼 ばれ、クラシックの理論ではそういう音が混じった和音を使ったら次の音はきれいな協和音に戻さなくてはいけない(解決)という理屈がありますが、ジャズで は数が増えて複雑になったテンション・コードでももう少し自由に使います。そしてルイ・クープランの曲には数の多い和音がただ展開して行くだけのように聞こえる瞬間があり、前の音の名残りが記憶に重なることも手伝って、より複雑な音が次々繰り出されるように聞こえます。それで何かすごく現代的なもののようにも感じるわけなのです。

 さらに、またまた教科書のようで邪魔くさい話ですが、バロック以前の合唱曲では二つのメロディーがどちらが主でもなく重なり合うポリフォニー音楽でした。モーツァルト以降の楽曲ではホモフォニーといってメロディーが主になって伴奏が付きま。ルイ・クープランの音楽はその両方であってどちらでもないような複雑な動きに聞こえるときがあります伴奏の分散和音なのか、相互にもつれ込んだ旋律部分なのか分からなくなるのです。こういうところも実験的な色を持ったジャズの曲と重なるところがあり、あるいはちょっと前衛的にも聞こえます。共感覚を持っている人なら実際に様々な色が見えることでしょう。まるで色とりどりの花火が次々と打ち上げられて行くようです。


予想できない着地
 時間的な前後関係と言えば転調の問題もあります。転調の自然さはモーツァルトの十八番ですが、ルイの曲は短い周期でくるくると転調を繰り返しているように聞こえるときがあり、もはや基本が何調なのか途中で思いつかなくなってしまいます。
 また、分かりやすいメロディ・ラインがありながら予想したところで終わらない節回しの長さと言えばテレマンの特許ですが、テレマンの場合ではそれが時として付け足されたように感じる一方で、ルイ・クープランはメロディがどこで終わるか初めから予測がつかず、そのままどこまでも手を引いて行かれます。そして迷い続けながら森の散歩を楽しむことになるのです。

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調弦による割り切れない音
 曲そのものの構造というよりは当時の慣例に従った運用で聞こえる音もあります。これも知ってる人には余分な話なので飛ばしてください。ルイ・クープランの不思議な音についてはもうひとつ、調弦の仕方も関係があります。フランソワ・クープランやバッハのCDではそういうことがないのですが、彼らより数十年先輩にあたるルイの作品を聞くと音程が外れたように聞こえる場合があります。録音にもよりますが、これは当時の調弦の仕方が純正律に近い古典調律法によっていたからです。現代のピアノは平均律(イコール・テンパード)で調律します。バッハの曲に「平均律クラヴィア曲集」 というのがあって、あれはウェル・テンパード、つまり程よく調律され たという意味の言葉を「平均律」と訳しているので当てはまらないのですが、本来の平均律という調弦の仕方は1オクターブの音を十二に平均に割って一音ずつ割り当てるやり方で、ドとレ、レとミの間がみな均等です。しかしもともとハーモニーというものは、二つの音の振動数が整数倍になっているときによく響くのであって、一音ごとの間隔が等しい平均律ではそうはなりません。そのため、昔は耳で聞いて響きの良い調弦が追求されていたのです。それが平均律に対して「古典調律」と呼ばれるもので、ピアノでも平均率が徹底されたのはベートーヴェンより後、ロマン派の時代になってからです。しかし古典調律だと調律に調性が出てしまうのです。つまり、ハ長調で調弦した楽器で別の調の和音を弾くと、音が狂って微妙に不協和音になるのです。実際の音楽はたとえハ長調の曲でも転調しますから、曲の途中で音が狂ったりするわけです。それをどの程度平均に防ぐかによって、古典調律にはいくつものバリエンーションが存在します。もちろん波長の倍数の観点で一番共鳴し合う純正律(純正調とも言う)もそこに含まれます。

 さて、その古典調律ですが、古くはピタゴラス音律と呼ばれるものがありました。和音のないメロディだけの音楽だと最もきれいに聞こえる調律法だそうです。先日車で走っていたらFMで古い時代の合唱音楽をかけていて、それが合唱団によってピタゴラス音律で歌われているのだという解説をやっていました。それとも、作曲当時はピタゴラス音律しか調律法はなかったということであって、耳で聞いた純正律に近い音(和音のきれいな響き)で歌っているんだよという話だったのでしょうか。ピタゴラス音律と純正律の違いは多分、かなり微妙なんじゃないかと思います。楽器の調弦ならいざ知らず、声であってもそうした微妙な違いを感じながら歌っているのかと感心してしまいましたが、合唱団なら純正律が理想とされる後の時代の和音の曲も歌いますから、案外両方同じぐらいの意味で言ってたのかもしれません。私なら無伴奏で一曲歌った最初のドと最後のドが同じピッチですらないと思います。ヴァイオリンなどのフレットのない弦楽器を習った人は分かると思いますが、指で押さえる位置が少しずれただけで、糸巻がわずかに緩んだだけでピッチはずれます。それを先生にダメ出しされ、生徒は困惑するのです。以前にピアノを習ってたぐらいでは太刀打ちできません。それでもそんなヴァイオリンの先生の敏感な耳をもってすれば歌だって厳密に歌えるのかもしれません。そもそも現代人は平均律で合わせた楽器をもとに音を覚えているから昔の音で歌うのは難しいでしょうが、考えてみれば日本の雅楽なども平均律のピッチでは楽譜にできないわけです。

 脱線しましたが、そのピタゴラスは弦の共鳴(管の共鳴はまたちょっと違います)で実験した上で、12音を決めるに あたっては耳で共鳴が分かりやすい5度を重ねて行って出しました。ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ、のようにです。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」の出だしのよう ですが、それがピタゴラス音律です。しかし調性感を決定づける上で重要な3度(ド→ミ)の音が濁るという理由からルネサンス期には純正律、そしてアーロンの中全音律 (ミーントーン)というものに変わりました(ルネサンス以降に調性というものがはっきりしてきたことにも関係があるでしょうか)。詳しく言うのは難しいで すが、中全の「全」とは全音(2度)のことで、純正律では間隔の広い・狭いの二種類の全音ができてしまったのに対して、中間(ミーン)をとって一つにした ということのようです。またバロック期にはその中全音律ですら狼の遠吠えのような唸り(ウルフ・トーン)を立てることから、改良型中全音律というものに変わったりして、古典調律も色々と変遷してきたそうです。ルイ・クープランの頃は色々な調律法が試されていた時期のようです。そして彼の作品は転調も転調だし、たとえばハ長調の曲であってもそこから離れた調性の和音を途中で次々と花咲かせます。したがって当時の調律法で合わせた楽器で演奏されるとしょっちゅう音程の外れた音が聞こえるのです。それがまた狼が来たというのか、なんとも異国的に響きます。

 切れ目なしに変化し続ける線香花火のようなルイ・クープランの音楽。調性が残ったままで道に迷う心地良さを味わえます。無調音楽やフリー・ジャズは感性に基づかないせいで心地良さを突き抜けてしまうことがあります が、そんな音を経験した現代の我々の耳にすら、フランス・バロックの作曲家がこれほどぎりぎりのスリルを味わわせてくれることに驚きを禁じ得ません。



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   Louis Couperin   Pieces de clavecin

       Alan Curtis (hc) ♥♥

ルイ・クープラン / クラヴサン曲集
アラン・カーティス(クラヴサン) ♥♥ 
 CDの演奏ですが、LP時代にはアルヒーフからアラン・カーティスの一枚ものが出ていました。CDになって 再販されたのかどうか、今この時点では検索してもヒットしません。カーティスはグスタフ・レオ ンハルトに学んだアメリカのハープシコード奏者で、バロック・オペラの指揮者でもあります。人気のあるクリストフ・ルセのように崩しの大きな表現ではないですが、大胆な音の選択があって味わい深い演奏です。
 先日ジャズを弾く知人と雑談していたとき、メジャー・セブンは教育を受けた者しか発想しない音なので黒人ジャズやブルースでは出ないんじゃないか、という話を聞きました。面白い話ですが、このCDでのコード選択も案外カーティスのセンスによるところがあるのかもしれません。すべての音が楽譜に書き込まれているわけではないようだからです。

 またこの盤にはもうひとつ特徴があります。それは前述の調律です。基準の調性を外れたときの不協和音が他の演奏家よりもいっそう目立つので、平均律から みてより遠い調弦法を採用しているのではないかと想像します。何の調律法でしょう、ミーントーンなのか改良型ウルフ・インターバルなのか、全然分かりません。しかしこの狂った音は慣れると癖になります。



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   Louis Couperin    Harpsichord Suites

       Laurence Cummings ♥♥

ルイ・クープラン / クラヴサン曲集
ローレンス・カミングス(クラヴサン)♥♥
 ローレンス・カミングスの演奏するナ クソスの盤も素晴らしいものです。こちらは現行のCDで、しかもナクソスは廉価版です。またカーティスとは一曲だけ選曲が違いますが(ト短調の代わりにハ 長調)、一枚もので買いやすくもあります。この人はイギリス人で、かの国にありがちな羽目を外さない良識を持ちながらも案外大胆さもあります。カーティス とは即興部分が大分違いますが、ハ長調のパッサカリアなど、太い低音を響かせながら分厚い分散和音の上にトリルが散らばる音はちょっとしたショックです。 全体に遅めのテンポで混濁させないようにゆったり音を響かせ、表情が豊かです。
 
  録音がまた優れています。チェンバロは音量が小さいためか、マイクを楽器に近いところに置いて収録することがよくあり、やけに迫力があったりガシャガシャ と機械ノイズが乗ったりします。生の音はやさしくピーンと響いて心地良いのですが、そういうCDは案外見つけるのが難しいものです。しかしこのカミングス盤は大変自然な音に録音されています。


              
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   Louis Couperin   Pieces de clavecin
       Blandine Verlet (hc)

ルイ・クープラン / クラヴサン曲集
ブランディーヌ・ヴェルレ(クラヴサン)  
   全集ではフランスの女性クラヴサン奏者、ブランディーヌ・ヴェルレの盤がゆったりとよく響かせながら粋なルバートの表情もあってお勧めです。録音がまたローレンス・カミングスの盤と並んで大変優れています。

 他にはハルモニア・ムンディから英国人のリチャード・エガーのものが出ており、速めのテンポで崩しの少ない演奏をしています。

 スキップ・センペは アメリカ人の鍵盤奏者で、ちょっと走るところが印象的ですが、残響がかなり長いものです。



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           Louis Couperin    L'OEuvre d' orgue
           Jan Willem Jansen (org / fnac music WM 334 592291)

ルイ・クープラン / オルガン曲集
ジャン・ウィレム・ジャンセン(オルガン) 
 クラヴサンではありませんが、ジャン・ウィレム・ジャンセンのオルガン演奏も貴重で、独特の世界を見せてくれます。クランのようにリュートを模した弾き方をしないため、分散和音が連続する不思議さはありませんが、荘重でどこか超越した感じる、やはりルイ・クープランらしい幻想的な響きがあります。どこへ着地するか分からずに続いて行く流れにオルガンという楽器神秘性が加わって、人間くさい喜怒哀楽から少し外れた、まるで別の星系から来たメセージのようでもあります。



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       La Harpe Royale
       Andrew Lawrence-King (Baroque-hp)

王のハープ〜ルイ14世宮廷の音楽
アンドルー・ローレンス・キング (バロック・ハープ)
 これもクラヴサンの演奏ではなく、ハープによるものです。曲はル イ・クープランだけではありませんが、他の作曲家を挟みながらも全体にルイの曲を散りばめているあたり、この作曲家のトーンに惹かれるものがあるのでしょ う。「王のハープ」というアルバム・タイトルで、ルイ14世宮廷の音楽ポートレート、ダンス&ラメント、となっています。キングの演奏はそよ風が吹くよう にやさしく繊細で、ハープという楽器の性質もありますが、常時部屋に流しておきたいような安らぎに満ちています。ルイ・クープランの曲も非常にゆっくりと 軽いタッチで弾いており、鮮烈さとはまた別の味わいがあります。



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