バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232 

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取り上げる CD 11枚:レオンハルト/アーノンクール/コープマン/ヘレヴェッへ('89/'96/'11)/ヘンゲルブロック/鈴木/ブリュッヘン
/パロット/クイケン

 マタイ受難曲と覇権争いをするのだそうです。何の話かという と、ミサ曲ロ短調のことでなのですが、バッハの宗教曲で最高のものはどちらかという問題に決着をつけるべく、学 識豊かな人々が戦いを繰り広げるのだとか。結論が出る問題かどうか見当が付きませんが、両者が違うことははっき りしています。


カトリックとプロテスタント
 受難曲という形式はプロテスタントの国々で確立したものです。バッハの場合、ドイツ語で歌われます。新教=プロテスタントの国々は、現代ではヨーロッパの北半分、ドイツ、北欧諸国にアメリカなどです。
 一方でカトリックはイタリアの中にあるバチカンの教皇を頂点にしており、ヨーロッパの南半分、国としてはイタリア、フランス、スペインなど に、オーストリアも含まれます。イギリスはヘンリー8世の離婚したい騒動によって 国教会が作られましたので独自です。そしてカトリックの宗教曲の形式の一つが、ミサ曲です。これはラテン語で歌われます。


ミサと受難曲
 受難曲は新約聖書の頭四つの章 である福音書の記述に基づき、イエスの最後の日々を扱っています。解説者がおり、イエス役やユダ役などの配役 があって、劇のように物語が進行して行きます。一方で、ミサ曲は劇ではなく、式典の次第に従って作られ て おり、神を讃える固有の文に対して作曲されます。「主よ憐れみたまえ」に始まり、「ポンテオ・ピラトの下で十字架につけられ、葬られた」というような出来 事に関する文言はありますが、ドラマのように展開することはなく、最後も「われらに平安を与えたまえ」 という言葉で終わります。
 バッハはプロテスタント教徒だったのですが、こうしてカトリックの儀式の様 式に則って作曲しているところが面白く、色々と意味を持たされるところです。実際は、当時のルター派(新教)の 教会ではミサも行っていたので、不思議はないということなのですが。

 曲調についてきわめて大雑把なことを言うのを許していただければ、イエスという神の子にして人でもある存在を 扱っているからか、マタイ受難曲の方が受容的で寄り添うような感情をにじみ出させているコラールを配し、回想的 な美しさを印象づけることがあるのに対し、短調とタイトルに入っているせいか、直截な悲しみを訴える波長を感じ る瞬間があり、トランペットとティンパニによるメリハリのある華やかな音響も聞かれるのがロ短調ミサ、というの が個人的な感想です。

 呼び方ですが、ミサ曲ロ短調は、ロ短調ミサとも言われます。これは言語によって違い、 "Mass in B miner", "Messe H-moll" , "Messe en si mineur" などとなります。ロ短調の部分が様々に変わって、ちょっと混乱しま す。マタイ受難曲と並んで有名 な曲ですので、これ以上の説明 は詳しい解説書にお任せしま す。


ピリオド・アプローチの前に定番とされた演奏
 CDも、 それこそたくさん出ています。 ここではとても扱い切れませ ん。前古楽器演奏時代のもので よく話題になるのはやはりカー ル・リヒターのもの、それに オットー・クレンペラーのもの が名演とされるようです。この 二つは前者が余計な飾りを排し たストレートな表現で、テンポ は比較すればやや速い方、一般 的に評される言葉は「厳しい」 というものです。反対にクレン ペラーはテンポはゆっくりで、 混声大合唱でスケール大きく歌 われ、やはり小手先の抑揚はな くて「壮大」と言われます。こ の二つに、それこそ帝王カラヤ ンを初め、多くの有名指揮者た ちの盤がひしめいています。そ の独唱者たちも往年の有名なス ターたちが名を連ね、長い音符 全体に大きくビブラートをかけ る当時の一般的な歌唱法で歌わ れます。時代が変わっても変わ らない普遍的価値というものは ありますが、現代の様式はこれ とはかなり異なってきていま す。したがって以下では、古楽 器演奏の潮流の後のも のを個人的嗜好に従って取り上 げ、比較してみようと思いま す。マタイ受難曲とヨハネ受難 曲では好きな演奏のみを解説す るスタイルに徹しましたので、 ここでは少し枚数を増やして主 立ったところを網羅できるよう に留意しました。



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      J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
      Gustav Leonhardt   Collegium musicum van de Nederlandse Bachvereniging   La Petite Bande
      Isabelle Poulenard (S)   Guillemette Laurens (MS)   Rene Jacobs (C-T)
      John Elwes (T)   Max van Egmond (B)   Harry van der Kamp (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
グスタフ・レオンハルト / オランダ・コレギ ウム・ムジクム・バッハ合唱団 / ラ・プティット・バンド
イザベル・プールナール(ソプラノ)/ ギュメット・ロランス(メゾ・ソプラノ)
ルネ・ヤーコプス(カウンター・テノール)/ ジョン・エルウィス(テノール)
マックス・ファン・エグモント(バス)/ ハリー・ファン・デル・カンプ(バス)
 ピリオド 楽器を使った演奏として 1985年に登場して以来、スタン ダードの地位を 築いてきた盤です。出だしは やや速めのテンポでフレーズを 短く切り上げ気味に進みます。 マタイ受難曲でもそうですが、 レオンハルトという人はピアニ ストのベネディッティ=ミケラ ンジェリ同様イタリア車を飛ば すのが好きである一方で、元来 ほのぼのとした波長を感じさせ る演奏をする傾向があると思い ます。ただ、ここでの最初のフ レーズは、リヒターほどではな いものの、そのテンポゆえか少 し切迫感をもって聞こえます。 続く展開は力を抜き、いつもの 穏やかさを見せますが、単調の このミサはその淡々としたとこ ろがかえって襟を正させるよう な雰囲気にもなるのです。構え ているところは一切ないので、 曲調がそのまま反映されている ということだと思います。二曲 目以降で長調となるといかにも 自然体なレオンハルトらしい表 現が続きます。
 ピ リオド奏法特有の波打たせるよ うな抑揚と一音の中での膨らみ がありますが、それが自然であ りながら力強さと訴求力を持ち ます。全曲を通して十分に間を 取りながら進み、ラストで大き く盛り上げるような細工もあり ませんが、それがむしろ誠実な 美しさとなっています。

 独 唱者陣としては、ソプラノのイ ザベル・プールナールはカーク ビーと比べられることもあるそ うです。パリ生まれでフラン スのバロックものを得意とする 人のようです。カークビーほど 少女っぽい声ではありません が、輪郭のはっきりした張りの ある高域を持っていて、歌い方 は飾りが少なくて美しいです。
 メゾ・ソプラノのギュメッ ト・ロランスはやはりフランス 生まれの、オペラを得意として バロック音楽でも評価の高い歌 手ですが、落ち着いた力のある 声でよく響き、ソプラノとコン トラストを成します。2. の二重唱は二人のソプラノで歌われることが多いですが、ここではソプラノとメゾ・ソプラノの掛け合いになっており、音域の違いが声の質の違いとし て現れていて、立体感がありま す。
 この二人の女性がどちらも張 りのある声なので、この演奏全 体に力強さを添えているような 気がします。
 カウンター・テノールはベル ギーの名手、ヤーコプスです。 ここでの彼は低くなるところで 口をすぼめて固く強める傾向が あったり、女性のような高音 だったりして個性的ですが、上 手です。
 テノールのジョン・エルウィ スは英国の人で、ヤーコプス同 様やはり喉の制御で音を固める 表現の傾向があるものの、派手 さや神経質さはありません。
 バスの二人は、どちらがどこ を歌っていると書いてないの で、詳しくない私には判別がで きませんでした。11. のクオニアム・トゥ・ソルス・サンクトゥスで歌っている人は硬めの響 きながら低く落ち着いた声で、 歌い方も力まず派手さはない感 じであり、19. エト・イン・スピリトゥム・サンクトゥムで歌っている人の方が軽 くやわらかく、伸びやかに聞こ えますが、元々パートの音域も 少し高いようです。 

 マタイ受難曲同様、録音もCDと して優れています。SACD が欲しい人は国内規格のリマス ター盤もあります。



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      J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
      Nikolaus Harnoncourt   Arnold Schoenberg Chor   Concentus musicus Wien  
      Angera Maria Blasi,  Delores Ziegler (S)  Jadwiga Rappe (A)   Kurt Equiluz (T)   Robert Holl (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
ニコラウス・アーノンクール / アルノルト・シェーンベルク合唱団 / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
アンジェラ・マリア・ブラーシ (ソプラノ)/ デロレス・ツィーグラー (ソプラノ)
ジャドヴィガ・ラッペ(アルト)/ クルト・エクヴィルツ(テノール)/ ロベルト・ホル(バス)
 2010 年に来日したときのサント リー・ホールの演奏を聞かれた 方もあるでしょう。大袈裟に言 えば今までに聞いたことがない ほど充実した演奏で言葉を失っ たのですが、緊張を強 いるような方向ではなく、声高 に叫ばないけれども深みがある と言えば良いのでしょうか、リラック スして音楽を自分のものにした ところから出て来る深みのよう なものが感じられました。アー ノンクールといえば、初期の、 とくにバロック期の音楽の演奏 において、古楽器演奏の様式を 確立するためにがんばった独特 の表現をイメージしがちです。 短 く切れたフレーズ、メッサ・ ディ・ヴォーチェと言います か、長音符の中程で山なりに強 めて弱めるアクセント、アタッ クの強さと速いテンポといった ものです。それが彼の才能ゆえ か、ピリオド奏法と言えばあ れ、というような、一つの時代 を代表する様式ともなりまし た。しかしご本人は時代ととも に変化し、エキセントリックな 部分がどんどん少なくなって 行って、 このときのコンサートのよ うに、近年は本当にスピリチュ アリティの高い演奏が聞かれる ようになってきました。そして 時は短く、高齢ゆえに海外活動 を控えるようになってしまった わけですが。レコード会社との 専属契約のようなものがあっ て、ビジネスの見地からこのと きのライブ音源がリリース されることはないと思います が、放映された番組を録画した 人はわざわざCDを買 う必要もないことでしょう。

 そ のときのイベントを記念してな のか会場で売るためなのか、同 じ顔合わせで1986年に録音 された絶版もののCDがコン サート直前に 国内盤として再販されました。しかし その後また廃盤となったらし く、ときどきは中古が出るもの の、輸入盤も含めて今 はあまり入手しやすくない状況 のようです。むしろ1968年 の旧盤の方が買えるのはどうい うわけでしょうか。

 こ の86年盤の演奏をひとことで 言うと、合唱の力強さが際立っ ているということでしょうか。 出だしの強さはリヒター ほどではないかもしれませんが、 緊迫感を感じさせます。アルノ ルト・シェーンベルク合唱団は モーツァルトの二回目のレクイエ ム録音のときも素晴らしかった ですが、ヘレヴェッヘのコレギ ウム・ヴォカーレ・ゲントと並 んで大変実力のある合唱団なの だと思います。自らのものとし た抑揚で、ためらいなく濁るこ となく、張りのある美しい声を 聞かせます。
 アー ノンクールの表現は、残念なが らいい味を出していたあのコン サートのときのような円熟には 少し届かないような気もしま す。決して刺々しい演奏ではな いですが、一歩ずつ歩くような 感じでスラーではつなげず、ス タッカート寄りの、どちらかと いうと短く区切るところが目立 つものです。不自然ではないな がら、レオンハルトよりもヘレ ヴェッヘよりも、いわゆる古楽 器演奏というステレオ・タイプ と矛盾しない波長は持っている と言えるでしょう。ソロを聞い ているとよくわかりますが、あ まり残響が付かない収録のよう で、覚醒していてロマンティッ クに響かないように聞こえるの はそのせいもあるかもしれませ ん。無責任な言いようですが、 リヒターなどの飾りなく厳しい 音の運びが好きな人にとって は、形こそ違いますが強さの感 じられる点で気に入られる要素 もあるのではないでしょうか? ラストなど圧倒的です。トン・ コープマンと並んで、良い演奏なのにわが国ではあまり騒がれ ないのは廃盤が長かったせいでしょうか。
 
 ソロイストた ちですが、ソプラノのアリアで ソロをとっているのはデロレ ス・ツィーグラーで、アメリカ のメゾ・ソプラノです。いかに もオペラの経歴を印象づけるよ うな、強くするところで固めて 大きく強める、元気の良い歌い 方です。ビブラートはよくかけ て、ポルタメントも聞かれま す。低いところでは太くこもら せるように音を作り、声質もや やアルトっぽいかなと思いま す。
 ア ルトはポーランド生まれのジャ ドヴィガ・ラッペ。特にオペラ 系の人ではなく、古楽の分野で オラトリオとカンタータを歌っ てきたようですが、ロングトー ンの途中からダイナミックに音 を強めるところが印象的で、野 太く響く中音に迫力がありま す。感情移入たっぷりという感 じもします。
 テ ノールのクルト・エクヴィルツ はウィーン生まれで、ウィーン 少年合唱団でアルトを歌ってき た経歴があります。繊細で潤い のあるやさしい声で、ビブラー トは普通にかけますが、喉を固 めない歌い方で、上品で洗練さ れています。
 バ スのロベルト・ホルはオランダ 人で、ミュンヘンに移ってハン ス・ホッターに習いました。オ ペラの経歴のある人で、低く硬 い輪郭の声で、強い音と弱めて 力を抜くところとの差の大き な、ダイナミックな歌い方をし ます。



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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Ton Koopman   Amsterdam Baroque Choir   Amsterdam Baroque Amsterdam BaroqueOrchestra
       Barbara Schlick (S)   Kai Wessel (C-T)   Guy De Mey (T)   Klaus Mertens (B)
 
バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
トン・コープマン / アムステルダム・バロック合唱団 / アムステルダム・バロック管弦楽団
バルバラ・シュリック(ソプラノ)/ カイ・ヴェッセル(カウンター・テノール)
ギー・ド・メイ(テノール)/クラウス・メルテンス(バス)
法の法の法の ムーブメ ントとしての古楽奏法の立 役者の一人であり、バッハ・コ レギウム・ジャパンの鈴木雅明 のチェンバロの師匠でもあるオ ランダの指揮者トン・コープマ ン。バッハを真摯に愛してやま ない人、という印象がありま す。でも、やや不運な面がある とすれば、ワーナー傘下に入っ たフランスのエラート・レーベ ルが一旦消滅してしまったこと でしょうか。そこからバッハの カンタータ全集をはじめ、すべ てのCDCDCDCDCDを 出していたコープマンは大変困 り、自腹を切って独立レーベル を立ち上げました。そしてもう 一点。バッハのマタイ受難曲や ミサ曲ロ短調の演奏に関して、 アーノンクールと並んでなぜか日本ではちょっと軽く扱われているところがあるような 気もします。本当のところはわ かりませんが、おそらくそれは わが国の聞き手の多くが、激し く、あるいは重く、深刻な緊張 感のある演奏こそが偉大な演奏 という好みの傾向を持っている からではないでしょうか。

 1994 年録音のミサ曲ロ短調、軽くた ゆたうようで、弾むような弾力 があり、コープマンの特徴がよ く表れた演奏だと思います。例 えば、ロ短調ミサの話を他曲で 説明するのもどうかと思います が、わかりやすいところではマ タイ受難曲の冒頭に、「見よー 誰を? 彼をーどの? 見よー 何を? 見よーどこを?」とい う有名な掛 け合いの言葉がありま す。これから 神の花嫁となって十字架を担う ことになるイエスの運命に注意 を向けるところですから、荘重 でなければならないと考える人 が多いかもしれませんが、ここを過 度に力を入れるのではなく、片 方の「見よ」の部分をやわらか く、力を抜いて歌わせるような 工夫をする、コープマ ンはそういう人なのです。ミサ の出だしでも良く聞くと自在に 歌があり、軽やかに波 打っているのがわかると思いま す。彼はオランダの人ですが、 そういうところはややフランス 文化的という感じがしないでも ありません。何がなんでも全力 でぶつかって行くのではなく、 余裕がなくちゃいけない。た だ、コープマンにはフランス人 に時折見られるような、粋であ ろうとして斜に構えたようなと ころはなく、常に温かくて真摯 です。このテイスト、悪くない と思うのですが、いかがでしょ うか。

 ソ プラノのバルバラ・シュリック はこの時期のコープマンの演奏 でよく歌っている人で、ロマン チック街道の起点で有名なドイ ツのヴュルツブルクで生まれた 古楽を得意とする歌手です。録 音の加減もあるのか、最高域よ り下の音域ではやわらかい声質でややオフな響きを持っているように聞こえます。ビブラートは全 体にかけ、大きめに振るわせる歌い方のようです。
 アルトのパートを受け持つカイ・ ヴェッセルはハンブルク生まれ のカウンター・テノールです。男性ゆえに当然かもしれませんが、男性 的で太めに響く声を持ち、低音などはまさに男性です。透明で強く響く力のある歌が魅力です。
 テノールのギー・ド・メイはベルギー人で、古楽系の指揮者の下、多くの活動をしてきたようです。膨らませて強める抑揚が心地良いですが、抑制は効いていて、張りのある美声です。
 クラウス・メルテンスも古楽系のドイツのバス・バリトンで、この人は音域としては低く伸びますが、あまり男性的な低い声で固める力強い傾向ではなく、テナーともマッチした、明るく朗々と響く洗練された歌い方です。



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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Philippe Herreweghe   Collegium Vocale Gent ♥♥
       Johannette Zomer (S)   Velonique Gens (S)   Andreas Scholl (C-T) 
       Christoph Pregardien (T)   Peter Kooy (B)  Hanno Muller-Brachmann (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
フィリップ・ヘレヴェッヘ / コレギウム・ヴォカーレ・ゲント ♥♥
ヨハネッテ・ゾマー(ソプラノ)/ ヴェロニク・ジャンズ(ソプラノ)
アンドレアス・ショル(カウンター・テノール)/ クリストフ・プレガルディエン(テノール)
ペーター・コーイ(バス)/ ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(バス)
 ベルギーの古楽の指揮者ヘレヴェッへは、このミサ曲ロ短調を三回録音しています。1989年、 1996年、2011年です。以下で取り上げるのは真ん中の96年の録音です。それ以外は後で触れま す。

 一時期の古楽器演奏に見られた極端な抑揚はなく、スムーズでストレートな表現です。出だしも感情をぶつけ てくるようなリヒターの強い音とは違い、落ち着いています。しかしやわらかで自然 ながら、フレーズの途中で強くしたり弱くしたりという微妙な波があります。それが心地良く揺らいで単調 に感じさせません。マタイ受難曲のところで触れた特徴はここでも一貫しており、この演奏者たちの表現に は一音たりともおろそかにしない完成度がありますが、ちょっと聞くと癖がなくて印象が薄いように感じる かもしれません。しかし終曲など、流れるような抑揚で波打ちながら進行し、感動的です。また、響きの美 しさも特筆に値します。トランペットにもやわらかく盛り上がる抑揚が付いています。貴族的な洗練とでも いうような風情がヘレヴェッへの特徴でしょう。     
 独唱陣は、ソプラノがブリュッヘン盤でも起用され ていたヨハネッテ・ゾマーです。この人はロマン派以 降の作品ではビブラートが大きいようですが、ここではフレーズの後半で細かく震わせはするものの印象が ちょっと異なっている気がします。ク レッシェンドとビブラートのバランスが取れており、余裕を感じさせます。そして高 い音に躍動感があり、声の 質も真っ すぐで大変美しい声です。 通常6. のドミ ネ・デウスのアリアはソプ ラノ2が歌うことが多いですが、ここでは二重唱以外はゾマーが歌っているようです。
 ソプラノ2はヴェロニク・ジャンズで、バロックを得意とするフランスの歌手です。どうやらソロでは 歌ってないようですが、二重唱の部分を聞くとゾマーと大変良く揃っていて、どちらが上手だかよくわかり ません。声質も似ているように聞こえます。
 マタイ受難曲と同じく、ここでもアルトのパートはカウンター・テナーの名手、アンドレアス・ショルで す。26. でソロのアリアを聞かせてくれますが、このパートは元々難しいところにヘレヴェッへの 演奏が特にゆっくりで、より歌うのが大変なのではないかと思います。ヘレヴェッへはこ ういうテンポ設定を他でもしており、フランスの古楽ソプラノの女王、アニェス・メロン も同じ目に遭ってかなり苦戦していることがありました。得意とするパートよりも低い部 分でゆっくりにされると苦しいのです。他のカウンター・テナーたちもこのパートでは音 程が揺れたりして、それぞれぎりぎりの声を出しています。しかしショルはどうでしょ う、全く危なげがなく、誰よりも見事に歌い切ります。弱めるところも苦しくて弱くなる のではありません。表現として静かに落とす余裕があるからそうしているのであり、そこ とクレッシェンドの対比が鮮や かです。やは り恐ろしい才能です。
 クリストフ・プレガルディエンはマタイ受難曲の福音史家としてよく起用されるドイツのテナーで、安定 した声で軽さがありながらやわらかく、透明でリズム感があります。
 バスのベテラン、ペーター・コーイーはここでも穏 やかで安定した声を聞かせています。
 ドイツのバス・バリトンのハンノ・ミュラー=ブラッハマンは喉を固めて硬い倍音で振わせます。

 録音も優れています。わずかですが、マタイ受難曲よりもバランスがいいような気もします。豊かであり ながら自然な残響で、残る周波数成分がきれいです。
 これにも白い装丁の廉価盤シリーズが出ていま す。



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       Herreweghe 1989

 さて、上記96年盤以外の演奏についてですが、まず、89年の録音は、テンポ自体はそれほど大きく違 うものではないのですが、全体に少し速く感じ、明らかに速くてさらっとしている箇所もあります。そして 出だしなどで顕著ですが、フ レーズに重さと区切りがあるように感じます。後年の彼はもう少しスムーズに流す方向に行ったように思い ます。古楽器の演奏自体が時代の潮流としてそういう区切られたフレーズを好むところがありましたが、ヘ レヴェッヘですらわずかに、そういう空気をここで吸っているのかもしれません。そしてこの演奏には、 96年盤の方で聞かれたうねりと抑揚が少し少ない気がします。そこを逆に自然さと純粋さというように受 けとめる人もいるようですし、英国での評価とは反対に、ヨーロッパ大陸側では旧盤の方が人気があるとい う声もありますが、本当でしょうか。録音は反響がやや多く付いているところが あり、特に中低域で顕著です。
 独唱者では、ソプラノはコープマンの演奏でよく歌っているバルバラ・シュリックで、ここではコープマ ンのときと若干印象が違い、高い音が細く繊細 できれいです。バスは96年盤とは違い、やわらかで誠実さの感じられるペーター・コーイーに任されてい ます。



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       Herreweghe 2011

 2011年の新しい方の録音もテンポがやや速くなっているようです。解釈が違うというほど速いわけで はないですが、出だしですでに違いは感じられます。そのため、透明感はあるものの、全体にさらっとして いるように感じます。これはある意味、89年のテンポに戻ったとも言えるでしょうか。表現についてもそ れはあてはまり、96年盤の方が波打つような抑揚があり、弱めて行くところの呼 吸にもやわらかさと静けさがあります。一方あっさりしている 新盤はその分だけ切迫感もない感じがします。幾分ロマンティックに傾いていた旧盤に対して、時間が経っ てそうした思い入れを嫌ったのかもしれませんが。このやや覚醒したプレーンな感じは曲の最後まで一貫し ており、ラストでも雄大さを感じるのは旧盤の方という印象です。全体に完成度の高い演奏ですので、折り 目正しいバッ ハ・コレギウム・ジャパンの演奏と比較してみるのも面白いかもしれません。
 
 独唱者については、個人的な好みですが、バスはこの2011年盤の扱 いの方が好きです。ペーター・コーイはヘレヴェッヘの全ての録音で共通していて大変良いのですが、96 年盤の方はパートによって歌い分けが行われているのです。アルトのパートを受け持つのは、ここではダミ アン・ギヨンというフランスのカウンター・テノールで、26. のアニュス・デイの難しいパートでも安定しており、ほとんど外しませ ん。大変上手な人だと思います。ただ、96年盤のショルと比べるのは どうでしょうか。静かに歌っていてあまりクレッシェンドをしたりしな いきれいな声という印象なのがギヨンなら、ショルは途中から大きく盛 り上げて行く余裕があります。両者個性があるのですから、こういう比 較もちょっと気の毒な気がしますが。

 録音はさすがに新しいだけあって、大変きれいです。中低域の残響成 分が96年盤よりやや減り、高域の繊細さはその分増して聞こえます。 弦など大変細やかです。


 
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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Thomas Hengelbrock   Balthasar-Neumann-Chor   Freiburger Barockorchester
       Mona Spagele (S)   Bernhard Landauer (C-T)   Jurgen Banholzer (C-T)
       Knut Schoch (T)   Stephan McLeod (B)   Johannes Happel (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
トーマス・ヘンゲルブロック / バルザタール・ノイマン合唱団 / フライブルク・バロック・オーケストラ
モーナ・スパゲーレ(ソプラノ)/ ベルンハルト・ラウダウアー(カウンター・テノール)
ユルゲン・バンホルツァー(カウンター・テノール)/ クヌート・ショホ(テノール)
ステファン・マクラウド(バス)/ ヨハネス・ハッペル(バス)
ヨハネ ス・ハッペル  指揮をしているトーマス・ヘンゲルブロックは1958年生まれのドイツ人で、アーノンクールの楽団、 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスでヴァイオリンを担当していた人だそうです。フライブルク・バ ロック・オーケストラについてはその設立に関わりました。また、バロック期の建築家にちなんだバルザ タール・ノイマン合唱団もヘンゲル・ブロックが設立したものです。

 出だしのフレーズを聞いただけで、何か圧倒されるものがあります。こんなことを言うとカール・リヒ ターのことを忘れてないかと言われそうですが、リヒターは、確かに圧倒されます。しかし私が初めて聞い たのはアルヒーフの輸入版 LP で、当時の輸入盤は最初からノイズを拾うものもありました。そのスクラッチ・ノイズの中から圧倒的な力で歪んだ音が出てきたときは、正直身がすくんだもの です。今ではそれが物理的な不具合から来ていたことがわかっていますし、恐らく生演奏で聞いたら迫力があって心を揺 さぶられたでしょう。生の音はどんなに強くても、そこ に必然性があれば決してやかましいなどということはなく、深い感銘を受けるものです。ただ、演奏というものはその時代の空気を吸っています。時代精神とい うと大 げさですが、その時に宿るエネルギーがあるのです。昔の映像を見せられて懐かしいと同時に忘れていた何かの感覚を思 い出して妙な気分になったことはないでしょうか。恐らくその時と土地に固有の集合的な魂の課題のようなものがあるの でしょう。そして60 年代のリヒターの演奏を今でも最高と思う感性に対して、私は何も反論するつもりはありませんが、このヘンゲル ブロックの出だしの力は、リヒターの後で聞いたものの中で最も印象的なものではなかったかと思います。 技術的に言えばテンポは大変ゆっくりで、静かに入り、やわらかさがあってよくしなう節回しなのですが、なぜか鮮烈な印 象なのです。静けさにテンションがあるからでしょうか。続く展開のパートも静かでゆったりしていながら真に迫りま す。

 そしてこの演奏、表現の幅が大変大きいです。じっくりと歌い込むところがあるかと思えば、メリハリが あり、短く叩き付けるようなフォルテもあります。かと思えばレオンハルトやヤーコプスなどに聞かれるよ うな、古楽器演奏特有の大きな呼吸を開けつつ、また大きくたわませつつ器楽が伴奏をする部分もありま す。合唱も大変力があり、上手です。新しい時代のバッハだと言う人もあるようですが、確かにそうかもし れません。今回ここでフェイバリットの印を一つしかつけなかったのは、全くもって個人的な理由からでし かありません。それはトランペットとティンパニで構成される楽章が大変元気が良く、ときどき大きい音で 聞けないということなのです。とくに12. クム・サンクト・スピリツ、18. エト・レズレークシトなど、大変力強くて素晴らしいのですが、ボリュームを絞ってしまいます。ヘレヴェッへ盤ぐらいの距離感と残響があれば耐えられるので すが、録音の加減もあるでしょう。これも生で聞けば感激することだろうと思います。それに、元気な表現 をするのはこの部分に合った解釈だとも言えるかもしれません。多くのロ短調ファンの方たちがエネルギッシュな金管を好むことは知っていますので念のために 付け加えますが、トランペットの音は倍音まで大変繊細に録られており、細身で輝かしく艶もあり、他よりも優秀録音と 言えます。ヘレ ヴェッヘ盤と同じ1996年収録です。

 独唱者たちは合唱団のメンバーが歌っているかのような表記になっており、ソプラノなどは各ソロのパー トを交代で努めているようです。中にはその分野で大変有名な人も混じっているようですが、スター・プレ イヤーをそろえて独占的に歌わせるという考えではないのでしょう。したがって以下には主な人とパートだ けを記します。
 この演奏でソプラノのアリアを一人だけで歌っているのは6. のラウダムステのみで、ドイツ人のモー ナ・スパゲーレが担当してますが、軽い声質で力強い方ではないものの、繊細に振わせる ビブラートで嫌みがありません。
 アルトの帯域を受け持つドイツのカウンター・テナー、ユルゲン・バンホルツァーは落 ち着いた真っすぐな声でよく伸びます。低音部で声音を変えたりしないので大変気持ち良 いです。高い方でわずかに硬くなりますが、きれいな声です。
 一番難しいアルトのパート、26. アニュス・デイで 歌うのはオーストリア出身のカウンター・テナー、ベルンハルト・ラウダウアーです。低 い方のブレスで若干苦しそうなところと音程のデリケートさが出るのは他のカウンター・ テナーと同じですが、高い音は力があってよく伸びます。大変上手な人で、ソロとして 数々の録音にも参加しているということです。
 ハンブルク生まれのテナー、クヌート・ショホは透明でよく響く声で、苦しげなところ がなく、落ち着いています。         
 バスは 11. のクオニアム・トゥ・ソルス・サンクトゥスで歌っているのがスイスのバス・バリトン、ステファン・マクラウドで、音域が低 いせいもあり、基音よりも倍音 が目立つこともあるかっちりし た声に感じます。高い音はその まま輪郭が保持され、伸びやか で力があります。
 19. のエト・イン・スピリトゥム・サンクトゥムの方でソロを歌っているのはドイツ人のヨハネス・ハッペルで、マクラウドよりも幾分硬さ と力の抜けた感じがし、特に高 い方にリラックス感とやわらか さが出ます。



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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Masaaki Suzuki    Bach Collegium Japan
       Carolyn Sampson (S)   Rachel Nicholls (S)   Robin Blaze (C-T)   Gerd Turk (T)   Peter Kooy (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
鈴木雅明 / バッハ・コレギウム・ジャパン
キャロリン・サンプソン(ソプラノ)/ レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(カウンター・テノール)
ゲルト・テュルク(テノール)/ ペーター・コーイ(バス)
 スウェーデンのレーベル、BIS から SACD で出ている鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ ジャパンの演奏です。
 マタイ受難曲が終止速めのテンポでさらっ と していたのに対し、このミサ曲ロ短調では出だしからゆったりしていて、表現を変えているようで す。2007年の録音でマタイからは8年経っていますが、時期的な変化なのか、曲に対する姿勢 なのかは私にはわかりません。ブリュッヘンの盤もゆったりとしていて力まないものですが、鈴木 のこの盤も淡々としており、静かな部分では力が抜けていて自然体です。ただ、盛り上げる部分 ではバランスを崩すことはないながら力の入るところもあります。最後のドナ・ノービス・パー チェムはゆっくりしていながら力強いです。マタイとはアプローチが違うようですが、過度な抑揚 を避けて静けさがあるのは共通していると思います。ブリュッヘンがやわらかく深く息をするよう に落ち着いているとするなら、バッハ・コレギウム・ジャパンは、日本人の演奏だから言うわけで もないですが、動きを抑えた能のような統制感と静的な感じがあります。熱い演奏ではないです が、完成度は高いと思います。

 ソプラノ1のキャサリン・サンプソンはイギリスの人で、強い音で声音を若干変えますが、軽くよく伸びる声で清潔です。ビブラートは少なく適度で、声を途中 で膨らませるメッサ・ディ・ヴォーチェが効果的です。
 ソプラノ2のレイチェル・ニコルズもイギリス人で、1と声質、歌い方ともによく調和が取れています。低い音域 で引っ込む感じはありますが、このパートでは誰しも同じでしょう。音程を細かく揺らすところも安定して軽やかで す。 
 アルトの声域はイギリスのカウンター・テナー、ロビン・ブ レイズ。同じことをマタイ受難曲のところでも書きましたが、もはやアンドレアス・ショル以上の人は出て来ないだろうと思っていたら、彼に勝るとも劣らない 上手さで驚かされた人です。声質はショルがのびやかでパワフルなのに対し、軽くて明るい女性的な声で、大変美し いです。26. のアニュス・デイのアリアでソロを聞かせるわけですが、ブリュッヘン盤のパトリック・ファン・ゲーテムも同じで、こ のパートは低くゆっくりしていて、大変歌うのが難しいところのようです。
 テノールはマタイの時と同じくゲルト・テュルクで、神経質さがなく伸びやかで透明です。
 バスはこれもマタイの時と同じで、またヘレヴェッへ盤ともブリュッヘン盤とも同じペーター・コーイです。宗教曲のベテランで威圧感がなく、やわらかく温かみがあります。

 録 音はいつもの神戸松蔭女子学院大学チャペルです。音は素晴らしいです。



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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Frans Bruggen   Cappella Amsterdam   Orchestra of the Eighteenth Century
       Dorothee Mields (S)   Johannette Zomer (S)   Patrick van Goethem (A)   Jan Kobow (T)  Peter Kooy (B)

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
フランス・ブリュッヘン / カペラ・アムステルダム / 18世紀オーケストラ
ドロテー・ミールズ(ソプラノ)/ヨハネッテ・ゾマー(ソプラノ)
パトリック・ファン・ゲーテム(カウンター・テノール)
ヤン・コボウ(テノール)/ ペーター・コーイ(バス)
 古楽の名手フランス・ブリュッヘンによる2009 年のワルシャワ・ライブです。この演奏者は1989年に同地で同じ曲目を演奏しており、そのときがちょ うどベルリンの壁が崩壊して東側の体制が崩れる時期であり、聴衆が大変熱狂したという経緯があります。 そのためこの20年後のライブ録音にあたっても、演奏者サイドから同じポーランドのワルシャワでやりた いという声があがったとのことです。受難曲がドイツ語で歌われ、バッハの土地のプロテスタントの様式で あるのに対し、ミサはラテン語で歌われるカトリックの形式であるため、象徴的な意味で二つの 異なる体制の架け橋のように捉えられることもあるようです。

 演奏は大変に自然なものです。古楽器奏法の癖はあまり感じられません。ゆったりとして力まず、緊迫感 はないものの、静かにじっくりと聴けるところが良い演奏だと思います。後半の金管部分は音としてはほど ほど元気が良いですが、この静謐さは全編を通じて共通しており、人によってはもっと熱いものが欲しいと いう感想を持つこともあるかもしれません。しかし最後のドナ・ノービス・パーチェムまで一貫して作為の ないこの姿勢は、聴き終えてから、これはこれで大変感動的だと気づきます。じっくりとこちらから聴き込 むという姿勢が必要かもしれません。

 ソプラノ1のドロテー・ミールズは低い部分での声質がアルトに近いようなやや太めの声ながら、高域で 伸びが素晴らしく、美しく響きます。フレーズの後半で選択的にビブラートをかけるのはソプラノ2と同じ ですが、度合いは少なくて上品です。
 ソプラノ2のヨハネッテ・ゾマーは基本的にビブラートはかけますが、フォーレのレクイエムのときほど 気になりません。元々大変きれな声の人で、82番のカンタータなど、名唱だと思います。ただ、この6. のアリアではやや彼女の得意とする音域よりも低いようなのが気の毒です。
 アルトの音域を受け持つパトリック・ファン・ゲーテムはベルギーのカウンター・テナーです。男性ゆえにやや低めの音色ですが、知らずに聞いていると女性かと思う声です。カウ ンター・テナーらしくビブラートがかからないのが大変素晴らしく、ただその 分仕方のないことで、場所によってはほんのわずかに音程が外れて聞こえる瞬間もあります。もちろん気に なる程度ではありません。特に26.などは難しいパートなのです。低い音は苦手のようですが、高い方 は透き通ってやわらかい美声です。漂うように内省的に歌っていて好感が持てます。
 テノールのヤン・コボウはやわらかさと静けさがあっていいと思います
 バスのベテラン、ペーター・コーイーはここでも低過ぎず、やさしさがあります。

 録音はきらびやかさはないですが、この演奏に合ったや わらかさがあり、しっとりとしていい音です。出しているのはスペインの古楽レーベルのグロッサというところで、 録音技師はそこの専属の人たちのようです。
                   
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 マタイ受難曲のところで取り上げ、♥♥マー クを付けたルネ・ヤーコ プス指揮のベルリンRIAS室内合唱団・ベルリン古楽アカデミーに よる演奏でもミサ曲ロ短調が出ています。1992年録音でマタイの20 年前です。やはり大変良い演奏ですが、ビブラートをしっかりかけて喉を固め、オペラの雰囲気を感じさせる独唱者がマタ イのときより目立っていた気がしたのでここでは掲載しませんでした。合唱団と管弦楽、指揮者にはかかわらない純 粋に好みの問題です。

 また、合唱の各パートを一人ずつで歌うという演奏もあります。OVPP (One Voice Per Part) と言いますが、バッハの時代の教会音楽がそのように演奏されていたのだと主張したのはアメリカの音楽学者、ジョシュア・リフキンという人です。映画「スティング」で 使われたスコット・ジョプリンの曲を広めた人で、OVPPの学説は80年代に彼が学会で発表したものであり、そ の後大きな反響を呼びました。最近ではこの説に従った演奏も複数出て来ています。それが正しいのかどうかは私に は分かりませんが、ここまでて選んでいない理由は専ら個々の演奏に対する好みの問題です。
 リフキン自身の指揮で 出ているCDで は、最近亡くなったアメリカの 古楽ソプラノであるジュディ ス・ネルソンが歌っていて魅力 的なのですが、演奏は私 には少し正確過ぎました。 OVPP ではありませんが、同じく音楽学者のジョン・エリオット・ガーディナーの盤も、立派な演奏だと思うものの同じ理由で見送っています。これも 彼のマタイ受難曲など、アメリ カのソプラノ、バーバラ・ボ ニーが歌っている澄んだ声が凄 くいいのですが。
 各 パート一人で歌うと いうこと自体は、その歌い手が 上手でなければ目立つという難 しさがある一方で、音が大変透 明になるという利点もありま す。興味のある方にとってはこ の分野を 開拓するもの楽しいことだろうと思います。それでも全く顧みないのでは不公平ですので、以下に少し取り上げます。



    massparrott.jpg
       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Andrew Parrott   Taverner Consort   Tavener Players
       Emma Kirkby (S)   Panito Iconomow (B-A)   Rogers Covey-Crump (T)   David Thomas (B)
     
バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
アンドリュー・パロット / タヴァナー・コンソート / タヴァナー・プレイヤーズ
エマ・カークビー(ソプラノ)/ パニート・イコノムー(ボーイ・アルト)
ロジャーズ・カーヴィー=クランプ(テノール)/ デイヴィッド・トーマス(バス)
 OVPP の演奏で、イギリスのアンド リュー・パロットの1984年 の盤です。82年のリフキン盤 のすぐ後に出たもので、ソプラ ノを古楽唱法のパイ オニアであるエマ・カークビー が歌っているという魅力的なも のです。演奏においては特に変 わった癖はなく、テンポも表情 も古楽系のものとしてはオーソ ドックスです。指揮者のコント ロールよりも個々の歌手の歌い 回しの方に重きが置かれる構成 とも言えるかもしれません。フ レーズを伸ばさずにやや語尾を 短く切り上げる表現が聞かれま すが、残響のあまりない録音の せいもあって、やや途切れたよ うに聞こえるところもありま す。一つのパート一人なので余 計に目立っているだけだとも言 えますが。この理論に基づいた 録音の中では、透明感があって 大変良いと思います。

 ソプラノのエマ・カークビーはノ ン・ビブラートで歌う少女のよ うな声の歌手で、そこばかり褒 めると特殊なファンのように思 われそうですが、ここでも美し い歌唱を聞かせていて最大の魅 力ポイントです。誰でもそうで すが、彼女も常に完璧に天使の 声で歌ってくれるとは限らない わけで、某カンタータ集など、 音域によっては声量と安定の点 で?の付く場合もあります。し かしロ短調のミサはクープラン のルソン・ド・テネブレほどで はないものの、しっかり歌えて いると思います。
 ア ルトはここではなぜか女性のア ルトもカウンター・テノールも 使わず、ボーイ・アルトが歌っ ています。ソプラノに女性を採 用しているので男性であること にこだわりがあるわけではなさ そうですが、どうしてでしょう か。受け持っているのはテルツ 少年合唱団で歌ってきたドイツ の人で、パニート・イコノムー です。フォルテで声質にやや ハーシュなところが出ますが、 音程はかなり上手です。低い音 で野太く変わるときがあり、高 い音もときどき固める作り声の ように聞こえる瞬間があって、 なんか子供がちょっと背伸びを しているような感じも受けるの ですが、女性っぽいきれいな声 も混在しています。ボーイ・アルトというのは元々こういうと ころがあるものなのかもしれま せん。
 テ ノールはロジャーズ・カー ヴィー=クランプで、少年合唱 団の経験を持つ英国人です。素 直な作らない声で、声音を硬く したりしません。
 バ スはデイヴィッド・トーマスで すが、この人もイギリス人で少 年合唱を経てきた人です。やや 硬めの音を持ち、輪郭がくっき りしています。

 録 音の質は十分に優れていて、こ の演奏にふさわしい透明感が楽 しめます。



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       J.S. Bach   Mass in B minor BWV 232
       Sigiswald kuijken   La Petite Bande
       Patrizia Hardt (S)   Petra Noskaiova (A)   Christoph Genz (T)   Jan Van der Crabben (B)    

バッハ / ミサ曲ロ短調 BWV 232
ジキスワルト・クイケン / ラ・プティット・バンド 
パトリツィア・ハルト(ソプラノ)/ ペトラ・ノスカイオヴァ(アル ト)
クリストフ・ゲンツ(テノール)/ ヤン・ファン・デル・クラッフェン(バス) 
  OVPP での演奏で近頃最も知られているのはクイケン盤だろうと思います。この人とその仲間たちの演奏はいつもだいたいリラックスしていて力まず走らず、さらっと していて全体に粘りません。純 化された音を積み重ねて行くと いうのが持ち味なのだろうと思 います。ここでもその特徴は発 揮されており、人数が最小限と いうこともあって全てが見通せ るかのようなすっきりとした表 現です。恣意的に何かここをこ うするという意図や色付けがな い分、音楽の構成に集中できる と言えるでしょうか。ラストも 盛り上げるということなく、大 変さらっと終わります。
 各 パート一人という問題について は、音の大きなトランペットと ティンパニが活躍するオーケス トラ伴奏の曲ともなれば、いく ら器楽の人数を減らしても歌と のバランスはどうなのかと最初 疑いましたが、録音を聞いてい る限りは自然です。この OVPP の 演奏の中では前記のパロット盤と比較してもまとまりが良く、特にどの歌い手がどうであるというような凹凸もありません。 どこにも余分な力が入らないこ の演奏を取り上げ、ガーディ ナーやヤーコプスを外すのは趣 旨に反するようでもあり ますが、OVPP の代表として概観することにした次第です。

 ソ ロイストた ちも、各パート一人ということ で粒の揃った上手い人ばかり集 めたなという印象です。以下に 名を挙げる人以外にも参加して いてブックレットには表記され ていますが、交代で歌っていて 正直どの人がどうと全部追うの は大変なのでやめました。
 ソ プラノ1としてクレジットさ れているパトリツィア・ハルト はプロフィール がよくわかりませんが、アルトのところにも表記されており、声質 からすると少女のように高い声 ではなく、ラウダムス・テのソ ロを聞くと確かにアルトのよう に聞こえます。調べると種別は やはりコントラルト(アルト) となっています。歌い方は細か な細工 がなく、力があります。ルーヴェンで学んできたようですので、ベルギーの人でしょうか。もっぱらクイケンの下で活躍しているようです。
 アルトのペトラ・ノスカイオ ヴァは比較的やわらかくよく響 く声で、高音が細 く延びる方ではないですが透明 感があります。そして、てっき りカウン ター・テナーだと思って聞いて いたら、女性のようです。スロ ヴァキア のメゾ・ソプラノとなっていま す。アニュス・デイのソロ では歩みは速めで派手さは ないですが、落ち着い たトーンで安定した上手さを見 せます。不思議です。
 ド イツのテノール、クリストフ・ ゲンツは透明で輪郭 のある澄んだ声です。神経質さはないものの、ベネディクトゥスのソ ロでは訴えるよ うな歌い方で、マタイ受難曲で 福音史家をやっているのがいか にもという感じです。ライプ ツィヒ・トーマス教会聖歌隊の メンバーとしてキャリアをス タートさせた人です。ケンブ リッジ・キングス・カレッジ合 唱団でも歌いました。後に古楽 の分野で活躍し、リートも歌う ようです。
 バスのヤン・ファン・デル・ク ラッフェンはバスとしてはあま り低い音域に力のある方ではな いようで、調べるとベルギー生 まれのバリトンのようです。オ ペラも歌いますが、主にはオラ トリオとドイツ・リートの人だ そうで、力まない落ち着い た声で明るく、軽やかさがあり ます。歌い方も誠実な印象で す。

 チャ レンジ・クラシックス2008 年録音は数あるミサ曲ロ短調の 中でも自然でバランスが良く、 最上位の一つだと思います。 SACD ハイブリッドでのリリースです。

 
 
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