モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第 3・4・5番
         ト長調 K. 216 / ニ長調 K. 218 / イ長調 K. 219

   mozartviolin

CD 評はこちら(曲の解説を飛ばします)


 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲です。彼のものと認められているのは五曲ということになっているものの、高く評価されているのは第3番から第5番の三 曲でしょう。1番2番より技術的に進歩したかどうかはともかく、調子が良いだけではなくて、旋律にも独自性と深 みが増してる気がします。だからこの作曲家らしい才能が発揮されている作品という意味では、やはりこの三曲なのだと思います。自らもヴァイオリンの名手だったのだから、もっと後にも作ってくれてれば嬉しいんだけど、どうにもこうにもこれだけです。
 作曲時期は異説が出てまた戻ったり、旅行している時期と重なったりして 曖昧なところもありますが、年譜を作るような興味でもなければ問題がないことで、どれもモーツァルト十九歳の頃 の作曲です。事実上、後世に評価されて何度も聞かれるような有名曲としてはこの作曲家最初のものであって、その前には映画「アマデウス」で使われた25番 の短調の交響曲が十七歳のときに作曲されたぐらいです。

 どんな曲でしょう。これが三曲とも大変美しいのです。後年の精神性というか、簡潔にして鮮やかで澄んだ音の世界というのとは違うけれども、親しみやすくてやさしくて、聞いて心地良くなるような優美なハーモニーの重なりとメロディーの連なりに満ちています。何か深遠な世界観を伝えようとしているとか、そういうことじゃないのです。でもただ流しておくだけで明るい気分にしてくれ ます。休日の朝、あるいは昼下がりなどに、何か作業をしながらでも、お茶のときにでもぴったりとはまります。また、ヴァイオリンの音色が好きな人にとっては外せないレパートリーでもあるでしょう。アプフェルシュトゥルーデル(ウィーン菓子)やヌスシュタンゲが食べられるちょっとおすまししたカフェで流れてたらコーヒーがおいしいかもしれません。


十九歳の輝かしい日々に
 これが作曲された十九歳という時期、モーツァルトにとってはどんな毎日だったのでしょうか。あんまり詳しいことは分からないけど、熱心なお父さんの音楽教育と名声を求める情熱とに従って、三度の長きにわたるイタリア旅行から二年前には帰郷しました。その業績からか、父レオポルトに関しては、ベートーヴェンの場合と比較すればいいパパだったという論議も
よくある ようです。モーツァルトは生涯に何度も大きな旅をしており、一回に何箇所も回ったのを約分するなら、それは十八回ぐらいになります。そしてこのときまでに、もうすでに十一回出掛けています。今なら海外旅行好きの裕福なご家 庭のお坊ちゃんというところです。レポーターに「食べ物は何が好き?」と聞かれて「のどぐろ」と答えてた少女がテレビに登場しましたが、あれはお母さんにそう言いなさいと指導されてたんでしょうか。格差社会では深刻な問題です。そういうことじゃなくて、行った先々で様々な作曲技法を身につけながらも、長い馬車の旅は大変だったことでしょう。いくらサスペンションが付いていてもタイヤに空気が入ってなかった時代、舗装されてれば石畳、でなければ土の道なのです。むしろ虐待に近かったとも言われます。あざが出来るから座席からお尻を浮かせてた、とモー ツァルト自身も手紙に書いてたりするぐらいです。
 これに関してレオポルト一人を悪者にするのは不公平かもしれません。それは就職活動としての旅でもあり、時 代は貴族に仕えることから市場に依存して成立する音楽への過渡期だったとも言えます。レオポルトはその潮流に敏感で、そこに乗った形で自らのアイデンティティを子供に担わせる夢にとり憑かれていたのでしょう。そしてそのせいで天才は準備されたわけです。

 では故郷のザルツブルクでは平和だったかと言えば、内面的なことは分かりませんが、帰ってすぐに就職している ので す。誰に雇われたかというと、ハプスブルク家の後押しで大司教になり、当時ザルツブルクを治めていたヒエロニム ス・コロレド伯爵です。それはお父さんと同じ勤め先で、仕事内容もヴァイオリンを弾くということで同じだけれど も、つまりは故郷のボスに宮廷音楽家として仕えることになったわけです。これは音楽家として昔 からの形態です。1773年の三月のことでした。しかし後の彼の人生を予見させるかのように、この大きな権力を 持った人とはその後険悪な関係になります。給料が安かったことと、オペラを作りたかったことから、ザルツブルク で の生活には不満が募って行くのです。その頃宮廷劇場は閉鎖されていました。その結果腰を落ち着けられず、他の地 での職を求めて、ウィーンやミュンヘンへと、このときもまた長期の旅に出るようになってしまいます。でもミュン ヘンではオペラ「偽りの女庭師」の初演が成功したりもしています。

 ロマンティックな出来事としては、アウグスブルクに住む従姉妹のベーズレと初めての男女関係を持ったという説 があるのが二年後の1777年のことです。少しお父さんから自由になりました。モーツァルトの恋愛事情は場所も 相手も入り組んだ特急列車ですが、同じ年には、その後修道院に入ってしまった宮廷パン職人の娘との話が出て来る し(手紙一つに書かれてるだけなので、モーツァルトのせいだったかどうかは分かりません)、すぐさまマンハイム の歌手、アロイジア・ウェーバーとの結婚計画をぶち上げるのはその翌年の一月です。それ については父親に大反対されて目くらましでパリに行かされ(その前から行く計画ではありました)、それでも忘れ 切れずにミュンヘンまで会いに戻って当 のアロイジア に振られ、するとまたベーズレをアウグスブルクからミュンヘンに呼び寄せて一緒に仲良く過ごした後、ザルツブル クまで 連れ帰ったりもしています。これらの話は奥手に解釈すれば何もなかったとも言え、摂理にしたがって
人並みにやらかしてたと考えるのが自然だとも言える曖昧なもので、真相は誰にも分からないのだから週刊誌の 記事と同じです。FBI のプロファイラーに頼んでみてはどうでしょう。サイキック透視法と並んで音楽史の新しいジャンルです。そしてさ らに何年かしてアロイジアの妹コンスタン ツェと結婚するも、その後もずっと姉の方 には未練が残り続けたとも言われ、何度も会って彼女を自作の演奏に起用したりしたことから、証拠はないけど関係 が続いていたのではとまで噂されるわけです。ベーズレや妻への書簡ではずいぶん面白い下半身的な言葉遊びも見ら れ(メール送受信の texting に引っ掛けた sexting という言葉もあります。現代のスマートフォンではもっと面白いことになってるでしょう?)、あんなに話題にするほどのネタなのと問 いたくなる「ケツ を舐めろよ」の歌も加わりで、そっちのせいもあるのかどうか、「愚劣とも評したい生涯」などと言い出す人もいた りします。  

 しかしそうやってまるで新しい服の試着みたいに、愛情の力学を一からやり直して若い魂が実験してみてるような 人生を、役割の中におさまって外から愚劣と評する資格が我々にあるんでしょうか。ベーズレにせよ、アロイジアに せよコンスタンツェにせよ、それぞれの性状と思惑にしたがって絡んだだけでしょう。天然なモーツァルトは ギャンブルにしても贅沢にしても借金にしても、何も考えてなかったという人もいるけど、元々イカれたところが チャーミン グなサヴァン(見方に過ぎません)なんだからどうしようもないし、すでに高いところにいるんですから、これ以上
行いについてまで持 ち上げる必要もないと思います。
 基本的にロマンティックな関係というものは幻想の入り込みやすい分野です。色の付い た夢を見て期待を投げ、相互に引っかけ合うのだからそもそもが誰も無傷じゃいられません。まあ、それを言 うなら同じく、断じることが仕事の評論家の所業を断じることもできないわけで、恐らく「愚劣」と言った
その論者 にしても、時代の思考法の内側にいただけでしょう。

 そんな一連の賑やかな、でもごくありふれた出来事に彩られ始める二年前のことだったのです。このヴァイオリン 協奏曲たちが作曲されたのは。もちろん作曲家の精神と出て来る音とは関連があると思います。でも、生活の有り様 と曲の美 しさの間には、常識で考えるような仕方では初めから対応関係などないことでしょう。父親に引っ張り回され、管理 されて私生活のなかった青春時代。反動の振り子を握りしめ、まだ子供の役割りに留められていた不自由なモーツァ ルトが作ったきらきらして穏やかな曲が、我々の日常を潤してくれます。   


楽曲解説にならない説明
 この3番から5番のヴァイオリン協奏曲、まとまった数があって1時間15分前後ということで、さらにバックグ ラ ウンド・ミュージックとして良いわけです。全集などでは他に1番と2番、偽作の6番と7番、第5番の第二楽章と して別に作曲された「ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調」K. 261や「ロンド ハ長調」K. 373、「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ長調」K. Anh. 56/315f、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調」 K.364など、近い時期の作品がカップリングされていることもあります。音楽としての波長もこれら初期の作品 には共通したところがあるので、プレイ・リ ストに入れて連続再生できるなら、それらひとまとまりとしてより長い有用なリストだと言えるでしょう。他で同じ ような感じがする心地良い作品となると、これらヴァイオリン協奏曲のすぐ後、パリに行かされていた間に作った 「フ ルートとハープのための協奏曲」や、室内楽でも良ければ同時に作られた「フルート四重奏曲」、それからもう一つ の「協奏 交響曲」と、セレナードやディベルティメントなどがあります。これらの中にあっても、この三曲のヴァイオリン協 奏曲は相当に良い出来だと思います。

 それならば、この初期の親しみやすい作品の波長が変化して来る時期というのはいつなんでしょうか。父の死後は 自由に曲を作れたという話があるながら、それだと1787年(三十一歳)まで待たなければならないことになりま す。でもその前から変化はありました。世間受けしない短調を作り出したという意味では、大ミサ曲や弦楽四重奏の 15番を作った83年(27歳)で、ケッヘル番号で言えば 400番台に入ってから、ピアノ協奏曲だと84年作のものの中にも個性的なのがあるながら、やはり20番以降で しょう。そしてその後でもう一段ロケットの点火があっ て、最晩年の「白鳥の歌」とも言われる、大気圏外から見下ろす周回軌道に乗ります。


 作風変化の話にずれてしまいましたが、この三曲ある有名なヴァイオリン協奏曲のうち第3番ト長調 K. 216 は、一般的ではないけれども「シュトラスブルク(ストラスブール)」と呼ばれることもあります。モーツァルト自 身が「シュトラスブルク協奏曲」と呼んでい たからです。第三楽章の中ほどのメヌエット的なダンスの運びが、その地方の音楽のようだからではないかと言われ ます。

 一方で第4番 ニ長調 K. 218 は「軍隊」と呼ばれることがあります。ラッパを模した出だしのユニゾンによる行進のリズムからでしょうか。

 第5番 イ長調 K. 219 は「トルコ風」と、これは一般的にそう呼ばれています。意味はピアノ・ソナタの「トルコ行進曲」と同じことで、 モーツァルトの茶目っ気が表れているところ で す。映画「アマデウス」の描写が正しいなら、これを書いて高笑いしていたことでしょう。第三楽章の中間辺りで三 拍子から二拍子へ、長調から短調へと曲調が変わりますが、その短調の部分がトルコ軍の行進のようだからです。ま るで軍靴をザクザクと踏み鳴らすように同じ和音で続くマーチがあり、そこではコルレーニョという、弦楽器が弓の 棹で弦を叩く音も聞かれます(録音によります)。それはベルリオーズが幻想交響曲で使った手法として有名だし、 古いけどポップスでもパット・ベネターの「ウィ・ビロング」の冒頭で似た音が使われてます(シンセによる合成で すが)。それから「世にも奇妙な物語」の効果音みたいにユニゾンの半音階でタララララ、とクレッシェンドして上 がり、また反対に下がるのを繰り返す不気味でコミカルな動きが続きます。異文化のグロテスクさを演出しているの でしょう。最初の部分はトルコの実際の軍楽隊と比べてみると面白いと思います。蛇遣いの笛みたいにペーペーいう オーボエに似たズルナという楽器に合わせ、シンバルを打ち鳴らし、杖をどかどかと打ち下ろして行進するもので す。

 当時のヨーロッパではトルコ趣味が流行っていたのです。ベートーヴェンにもトルコ行進曲はあるわけで、それは 100年近く前のトルコ軍のウィーン包囲(1683)という出来事から来ています。結局ヨーロッパ側が勝ったわ けだけど、大きな衝撃でした。このとき誕生したクロワッサンはトルコの国旗にある三日月をかたどったもので、 「パンにして食ってしまえ」ということだったし、陥落しそうなオーストリア側に援軍を求める遣いとして前線を突 破したゲオルグ・フランツ・コルシツキー(イェジ・フランチシェク・クルチツキ)というポーランド地方出身の貴 族が、敗走したトルコ軍の残したコーヒー豆で開いた「ブルー・ボトル・コーヒー・ハウス(1686)」がウィー ンでのカフェの始まりだとする説もあります。LA では混んでて入りそびれたからまだ味は知らないけど、有名なアメリカのチェーン店の名前でもあり、元はそこから 来てるわけです。

 ここでの脱線したご説明は以上で、音楽理論的なことは何もありません。どの曲も曲想、曲調、聞きやすさにおい て共通しており、どれかが他と違うということもない気がします。各曲ともに速い楽章は優美で屈託がなく、ときに ユーモラスでも あり、第二楽章は静かで大変きれいです。難しいことを言うとギャラント様式ということになるようです。でもその 特徴を言葉で説明するとわけが分からなくなります。バッハに「音楽の捧げ物」を作らせたフリードリヒ大王や、 モーツァルトが八歳頃にイギリスで習ったヨハン・クリスティアン・バッハがその作風で知られています。


CD 演奏について

 CD について見て行きますが、特にこの曲集に関しては自分の好みもあり、演奏慣例に対してあまり公平ではないかもし れないので最初にお断りしておくことにしま す。

 優美なギャラント様式でうっとりするヴァイオリンの音の展開ということで、まず録音の良さは気になります。あ る程度ホールの残響があった方が好ましく、あまり反響が付き過ぎると耳が痛くなることもあるものの、少ないと艶 が感じ難いと思っています。ところがこの曲に関しては、案外残響を抑えたセッティングのものが多いので、演奏の 方が素晴らしくてもそこで♡を減らしてるのがあります。

 演奏マナーも、本来は弾んで元気よくやられる速い楽章なども、十九歳の無邪気な曲ということもあり、強弱の アクセントを付け過ぎたり技巧を見せるように歯切れ良くするのではなく、むしろ滑らか過ぎるぐらいに やってくれた方が流しておく曲としては聞きやすいと思います(主観的意見です)。元々天然なモーツァル トには「パンパカパンパンパン」と弾む元気良さに加えて、若いときほど廊下を走ってって滑るみたいな調子良いと ころもあったわけです。そこはあんまり強調しない方がいいんじゃないでしょうか。また、そうした初期の作品の方 が優れているという演奏家もいて考えはそれぞれだと思うけど、何だか へそ曲がりの自我の声のようにも聞こえてしまいます。初期には初期独特の屈託のなさと優美さもある、ぐらいにし ておきましょう。したがって他の曲ならディ ナーミク/アゴーギクの自発的な揺らぎこそが大切と思うとこ ろだけど、この時代の演奏が実際どうだったかはともかく、できればあまり余分なことはせずに素直によく歌わせ、 緩徐楽章では語尾も十分に延ばす方がいいと思います。かといって濃厚な重さにも傾かず、力まない軽快さも感じさ せてほしいところです。したがってその演奏家らしい個性にあふれるロマンティックで起伏の大きいものと、反対に あっさりと切って行くピリオド奏法寄りの演奏の両方を、気持ちの上で後回しにしてる傾向があります。ヴァイオリ ン協奏曲なのに、カデンツァ(即興部)での速いパッセージでいかに正確なピッチがキープできてるか、というよう なことにも関心が向きませんでした。カデンツァ自体がどんなものかについても同様なので、言及しません。

 最初に比較的好みだったものを数点挙げ、後は録音年代順に並べます。ピリオド楽器&ピリオド奏法の ものは別にして最後に持って来ます。



   kantrowmozart
     Mozart   Violin Concertos
     Jean-Jacques Kantrow (vn) ♥♥
     Leopold Hager   Netherlands Chamber Orchestra

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ジャン・ジャック・カントロフ ♥♥
レオポルド・ハーガー / オランダ室内管弦楽団

 好きなヴァイオリニストってだいたい決まっているもので、何度も取り上げている演奏者の中でこのヴァイオリン 協奏曲をやってないのはイリヤ・カーラー、ギル・シャハム(新しく出ました。後ろで取り上げます)などで、強い癖は出さないリサ・ヴァティアシュヴィ リも録音していません。そしてこの曲で気に入って長らく聞いてきたのはカントロフです。他と比較して聞き直して み ても、クリスティアーネ・エディンガーの盤と並んでやはり最も好ましく思えたのはこのカントロフ盤でした。素直 で上品なところが持ち味とも言われるフラン スのヴァイオリン奏者です。お国ものラヴェ ルの室内楽でも最善だと思えたのですでに取り上げてますし、ギャラント(galant)というのも元はフランス です。

 演奏マナーという意味ではベストで、その良かったポイントは、緩徐楽章などのゆったり進めるパートでの情 緒豊かな歌い方でしょうか。ピリオド奏法やその潮流を多少とも意識しているようなモダンの多くの弾き手たちが、 旋律の流れを脈動させて途中で弱めるようなアクセントを付けて歌っているのに対して、この人とエディンガーなど 数名のヴァイオリニストはそうせず、情感の高まりとともに禁欲せずに自然に歌って行きます。それでいて控えめで 繊細な抑揚であり、力を込め過ぎたり切れ込み過ぎたりもしません。エネルギッシュな演奏を好む人からは評価され ないヴァイオリニストのようで すが、とても洗練されています。このモーツァルトにはぴったりだと思います。テンポは案外軽快に飛ばす箇所もあ るけど、トータルでは落ち着いており、どんな場合も荒くなりません。

 1984年収録のデンオン PCM シリーズです。録音の良さが大切なポイントとなる曲で、これはその意味でも良いものです。ただ、問題は普段聞い て来たのが実は自分で音質調整して CD-R に焼いたものだったということです。随分前なので、すでにどうやったか細かなことを忘れていますが、原盤は日本 の録音にありがちな、特にソロのヴァイオリン がハイ上がりの硬質な音で残響も多くないものだった印象があり、耳に来る高音を思い切って下げ、周波数帯を選ん で若干残響成分を加えた記憶があります。結果的には大変心地良く響くバランスにできました。元々ハイが出てるも のと残響が少ないのは後から調整が可能で、 逆にオフな音と反響し過ぎは直せませんから、ソースが適していたとも言えるでしょう。でもそんないじった音では ここ での評価対象にはなりません。そこで元の CD を探してみたのだけれど、これがどうしても本体が見当たらないのです。仕方がないので現行のダウンロード音源に 当たってみました。すると印象が全然違 い、むしろ加工した CD-R の方に寄ったやわらかさがあるように聞こえます。自慢話みたいだったら申し訳ないですが、自分の記憶違いだった のか、レコード会社でリマスターしたのか は分からないものの、このままでも十分行けそうです。

 ただ、ダウンロードはできても、CD としての現行商品ではなさそうで、残念ながら再販されるのかストリーミング時代でそのままになるのかも分かりま せん。中古で出回ってる盤が以前聞いたハイ 上がりのものかどうかは確認ができてない状態です。



   gullimozart
     Mozart   Violin Concertos
     Franco Gulli (vn) ♥♥  
     Bruno Giuranna   Orchestra Da Camera Di Padova E Del Veneto

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
フランコ・グッリ(ヴァイオリン)♥♥
ブルーノ・ジュランナ / パドヴァ・ヴェネト室内管弦楽団

 次のエディンガー盤と並んで大変聞きやすく、形はより整っていながらきれいと感じられるものでした。カントロ フ盤ほど速い楽章でさらっと流したりはしないけど、ゆったりした感じがして余分なことをせずによく歌っていま す。エッジが立ち過ぎず、べたっと重くもならず、十二分に滑らかです。クラーヴェスの録音も残響がきれいでソロ の音色もいいので、この曲のファースト・チョイスと言っていいと思います。

 フランコ・グッリは1921年生まれで2001年に亡くなったイタリアのヴァイオリニストです。シゲティに習 い、後年はアメリカの大学で教える仕事をしていたようです。エディンガーよりは知られているかもしれませんが、 やはりグリュミオーのような有名さはないし、日本ではカントロフの方がずっと知名度が高いと思います。

 肝心の弾き方ですが、シゲティに似てるとは思えず、音のつながりがやわらかく滑らかな一方で、形は崩 しません。イタリアらしいのかどうか、適度な張りがあって明るさも感じさせます。テンポは平均すれば中庸で、緩 徐楽章はゆったりめです。3番の第一楽章では明るさと活気があり、第二楽章は遅過ぎない程度に歩調を落として しっかり歌います。そしてどの部分もインテンポ(一定のテンポ)で終始一貫していることから真面目で丁寧に感じ るながら、どこか独特の色気はあるという感じです。比べるとすれば同年生まれのフランコ・ベルギー派であるグ リュミ オーでしょうか。グリュミオーの方が強く跳ね上げるような音が聞かれ、ビブラートも多いので(グッリ も適切にかけます)、それよりは多少穏やかに聞こえます。音をずらして次の音へと滑らかにつなげる手法(ポルタ メント)も聞かれません。本当に余分なことはしないけど上質なのです。カントロフも洗練されてるけど、軽さと駈 けるようなところはカントロフの方がある一方、こちらはもう少しじっくりと進めます。次のエディンガーの ように、速い楽章で弾ませる場面でもスラーでつなげるような癖はありません。

 スイス・クラーヴェス1989年の録音が魅力的です。これはカントロフ盤と比べてどちらがいいとも言い難く、 悩むところです。このレーベルはペーター=ルーカス・グラーフもそうだったけど、残響がたっぷりしていることが 多く、この曲ではきれいに響いて良いと思います。五月の録音とだけ書いてあって日が違うのかもしれませんが、例 えば3番と4番とで若干強調されるバランスが変わって来ているところはあります。それが条件の違いによって3番 で2〜4キロヘルツの中高域が若干張って明るく、キンとまでは行かないけどわずかに抑えたい感じになったり、逆 にそこは良くても4番の方でそれより高い周波数に強調点が移って鋭く聞こえたりで、ちょっとしたことで心地良い バランスが逆転します。自分の CD 再生装置は平均よりやわらかい方に寄っているので、音量を上げる方やかっちりした音色の機器をお持ちの方にとっ ては、場合によってはヴァイオリンの高音が 多少き つく感じるかもしれません。全体としては低音が伸びるというよりも中域中心のバランスで、4番 はそれよりやや高域寄りの重心かと思います。もちろん低音が出ないわけではありません。
 ヴァイオリン・ソロの音はエディンガー盤ほどではないかもしれないけど、十分艶やかで、潤いもあってきれいで す。輪郭がくっきりとしており、上述のように多少は細いときもあり、ときにきらっと明るい音です。

 二枚組の全集です。一時期国内盤(協奏交響曲なども入って意匠の異なる三枚組と、写真の輸入盤と同じ二枚組の 二種類)も出ましたが、現在はどのプレスも廃盤のようです。中古はいずれも手に入るものの、現行と言えるのはス トリーミングだけです。グッリの演奏の CD では、他に60年代の録音(3番、4番/ドレミ・クラシック)が現行です。そちらのオリジナル音源は高音弦が多少シャラっとしており、一方 で新たに CD 化したものは抑えているのでややオフで固い芯を感じますが、どちらにしても時代相応というか、悪い音ではないと いう感じです。ヴァイオリンの表現は新旧で一貫して いるようなので、全曲揃っていて音も良い新盤の方が一般的には聞きやすいと思います。



   edingermozart
     Mozart   Violin Concertos
     Christiane Edinger (vn)
     Wolfgang Gröhs   Europa Symphony ♥♥

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
クリスティアーネ・エディンガー(ヴァイオリン)
ウォルフガング・グレース / エウロパ・シンフォニー ♥♥

 カントロフが買い難い状況での全集として、廉価盤ながら最も魅力的なものの一つだと思います。というより両者 は甲乙つけ難い魅力があって、それは旋律を歌わせるときに自然な情感に従っていて、今風のピリオド奏法 的なアクセントで切ったり弱く潜らせたりして気持ちの高まりを抑制しないところです。品がないほど ムードに流れることは決してありませんが、滑らかにしてたっぷりとした大変美しい演奏です。速い楽章でも流麗饒 舌というのか、過剰にならない範囲で朗々と最大限歌わせています。録音も大変良く、何も加工せずともきれいな艶 の聞かれる良好なバランスです。その面でもベストと言えるでしょう。最もリラックスして聞けるモーツァルトだと 思います。

 クリスティアーネ・エディンガーは1945年生まれのドイツのヴァイオリニストで、リューベック音楽大学の教 授だった人です。ナタン・ミルシテインに習ったことがあるようですが、日本ではあまり知られていないと思いま す。そういう人ばかり頭にもって来たのは、上のフランコ・グッリもだけど、別にやわざとマイナーなのを出そうと いう背伸び的な気持ちではなく、たまたまそうなっただけです。エディンガー盤のこの演奏、モーツァルトの初期の 作品にはぴったりなのです。

 3番のソロで最初の一音を次の音にテヌートでつなげるのと、その第三楽章の後半でかなりゆっくりなところが出 るのには正直多少驚きます。でも緩徐楽章での雰囲気という点では最もうっとりさせられるものです。大き過ぎない 適度なビブラートをかけ、ロマンティックとも言える方向で最近の考証重視の姿勢とは違うものの、曲の雰囲気には 合っています。ロマンティックといっても力を込め過ぎたりはありません。テンポは平均すればゆったりめの方で、 艶と倍音の理想的なヴァイオリンの音に聴き惚れます。
 それ以外にもっとこの人らしい弾き方の特徴を言うとすれば、3番の出だしのことを述べたように、音をつなげて 常にスムーズに、一音一音濡れたようなきれいな音が維持できる範囲の力加減で丁寧にやるところが持ち味です。聞 き方によっては部分的な凹凸を避けた多少引きずり気味な処理を感じる人もいるでしょうか。知性派イザベル・ファ ウストなどの鋭く切れるアプローチとは真反対です。

 指揮者とオーケストラの方はヴァイオリニスト以上に有名ではないらしく、詳しい情報がありません。ブックレッ トによると1992年に「フィルハルモニア・アルムニア (Philharmonia Romania)」として現在の主席指揮者であるウォルフガング・グレースによって設立された楽団で、オースト リア政府からも支援を受けているということ であり、最初はルーマニアのプレイヤーたちによって始まりましたが、後に広くヨーロッパから楽団員を集め、 1994年から「エウロパ・シンフォニー」と名乗っているようです。ヴァイオリンと合っていてリズムの面で激し いアタックは見せず、やわらかくてきれいです。そっと力を抜いた表現もあります。

 美しい響きの明るい録音は最大の魅力です。残響がかなり豊かです。多少響き過ぎかもしれないけど、でも耳に負 担になる手前で収まっています。そのせいでオーケストラの弦はさらっとやわらかく溶け、ソロのヴァイオリンも浮 き立つように艶が乗ります。ハイの強調点はグッリ盤より少し高い側に寄っています。セッティングとしてヴァイオ リンはかなり前に出る方です。キュンとした鳴きを堪能できるものであり、5番では、特に第一楽章では音量を上げ ると一部、ちょっと高域がキンときつめになる部分もありますが、細く繊細なエッジの部分も聞こえます。マイクの 型 番まで記してあるので自信の録音なのでしょう。製作年度や個体の名前はないものの、ヴァイオリンはアマティと書 かれています。
 1996年録音のアルテ・ノヴァ・クラシックスです。ドイツの廉価盤専門レーベルとしてかつて存在していたと ころで、ここの商品は一部が別会社によって生き残っているのみであり、当盤も現行ではなさそうですが、日本も含 め各国のアマゾンなどでも中古がまだ複数、破格の値段で買えます。英語タイトルで検索しなければならないもの の、三枚組でも一枚の廉価盤価格です。ストリーミングでは各サイト揃って聞けます。



   grumiauxmozart
     Mozart   Violin Concertos
     Arthur Grumiaux (vn)
     Colin Davis   London Symphony Orchestra


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
コリン・デイヴィス / ロンドン交響楽団

 特にお気に入りの♡♡のものを最初に三つ持って来ましたが、ここからは録音年代順に見て行きます。新旧二種あ るものは古い方の年代で並べました。

 さて、この曲では内外で名演の誉れ高いアルテュール・グリュミオー(1921-1986)です。日本では一時 期美音ばかりが取り沙汰されて軟派な印象を持たれている方も多いのかもしれませんが、しっかりとした全体の見通 しと構築性を有していて、力強いところもある人だと思います。ビブラートとポルタメントを特徴とするフランコ・ ベルギー派である、という見方も広まりました。ここでもそうした特徴が活かされた、見事な演奏です。♡を付けな かったのは主に録音の面です。

 第3番の出だしから適度に弾ませながら、遅くないテンポで軽快に進めます。速い楽章ではソロも元気良く、厚み を感じさせるヴァイオリンです。音をずらしつなげるポルタメントの手法が聞かれ、朗々と弾いて行きます。ただ甘 いだけの音ではなくて、力強く跳ね上げるフレーズも聞かれます。そして結構活気のある表現でありながら、荒くな りません。

 緩徐楽章では適度にゆったりながら、あまり遅くし過ぎないバランスの良さを維持して進めて行きます。こうした 部 分の弾き方は大変美しいです。ビブラートも彼らしくかけますが、それがまたきれいです。そしてやはりポルタメン トはチャーミングです。フランコ・ベルギー派の鳴かせ方というのでしょうか。ただ、たっぷり朗々と歌わせる方だ から、よりささやくような静けさの側に寄った演奏が好きな方もいらっしゃるとは思います。

 1961〜64年のフィリップス録音です。オーケストラの入っていないバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタと パル ティータも同じ61年で、十二分に見事な録音でした。また、ベートーヴェンの協奏曲は74年で、そちらは恐ろし く美しい音で最新録音と比べても引けを取りません。ただ、少し申し上げ難いながら、このモーツァルトの協奏曲は そこまででもない気がします。演奏は軽快でも、音はちょっと追いついてないかもしれません。フィリップスは生っ ぽくて大変良い録音が多いながら、60年代の前半にはこの人の他の曲も含めて、こうした傾向の音はいくつかあり ました。中音に反響が付き、少し粗いテクスチャーで元気の良い、低音寄りのバランスです。高音弦は結構固い輪郭 で、オーケストラは多少メタリックなところが古さを感じさせます。全体にフォルテは耳に来るところがあり、 フォルテ以外では結構きれいという感じです。悪い録音ではないけれども時代相応でしょう。ソロも元気良く、太め で厚みのある音のヴァイオリンです。録音にばかり目が行って演奏を見ないのはいただけませんが、ハイがもう少し 伸びて繊細な倍音とほぐれた艶が乗ればより良かったとは思います。



   zimmermannmozart0
     Mozart   Violin Concertos
     Frank Peter Zimmermann (vn) ’86
     Jörg Faerber  Württembergisches Kammerorchester


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)’86
イェルク・フェルバー / ヴュルテンベルク室内管弦楽団


   zimmermannmozart1   zimmermannmozart2

     Mozart   Violin Concertos
     Frank Peter Zimmermann (vn) ’14, ’15
     Radoslaw Szulc   Kammerorchester Des Bayerischen Rundfunks

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン) ’14, ’15
ラドスラフ・スルク / バイエルン放送室内管弦楽団


 バッハのヴァイオリン・ソナタでは自在な軽さが個性的で新しかったフランク・ペーター・ツィンマーマンです。 そちらは 大変魅力的な演奏でした。1965年生まれで今のドイツを代表する男性ヴァイオリニストですが、この曲の録音は 二回あります。1986年と2014/15年です。両者の間には28年あるけど、この人にとって重要なレパート リーなのだと思います。

 まず旧盤
(写真上)ですが、オーケストラは溌剌としてよく弾むながら途切れ 気味にはならない、大変バランスの良い表現で 速い楽章を進めます。ソロの方はもう少しスタッカート気味によく弾ませ、音を切って行くことで拍のアタックがト ン、トンと脈動するよ うに聞こえる運びです。テンポは中庸やや軽快というところです。緩徐楽章は適度にゆったりとして遅過ぎない理想 的なもので、十分に滑らかです。ソロもあまり音を切らず、スラーでつなげますが、強弱の脈動は多少あり、それよ りもビブラートが大きく感じるので、真っ直ぐ滑らかな線でつながっているのではなくて、細かな浮き沈みがあるよ うに聞こえます。

 EMI 1986年の録音はオーケストラの部分ではほどほど響いているように聞こえますが、ソロを聞くと残響は少なめで す。場所の特性でしょう。そのために遅い楽章では音をつないで弾 いている傾向があるかと思います。周波数バランスは輝き過ぎず、オフになり過ぎずで穏やかなものです。


 一方で新盤(写真下)の方は、速い楽章でのオーケストラは旧盤よりも多少切れが良いようで、より弾みますが、 多少のこと であって切れ過ぎるものではなく、やはりオーソドックスと言える範囲です。そしてソロがそれよりも音を切って行 く傾向が強いのも同じです。ツィンマーマンのヴァイオリンは狙いとしては大きくやり方を変えているようには聞こ えませんが、3番の頭のアタックなどではかなり強くて元気が良く、弾ませて強弱を付け、ステップを踏むようにス タッカート寄りの軽快な運びで進めます。したがって速い楽章ではより脈動する感じがします。
 ゆっくりの楽章ではふわっとやわらかいオーケストラの音が心地良く、中庸ながらゆったりしたテンポも旧盤と同 じぐらいに聞こえますが、タイムは旧の方が1分ほど長く、これはカデンツァの扱いなどによるものでしょう。ソロ は派手ではないけどやはりビブラートをしっかり使います。ずっとスラーではなく、ところどころ切って弾ませなが ら、全体では滑らかに歌うものです。そしてこの人の特徴として言えることは、そうした緩徐楽章での、そっと囁く ような静けさでしょうか。朗々と滑らかに歌って艶を聞かせるのとはまた違った魅力です。

 2014/2015年録音のヘンスラーです。オーケストラは残響はほどほどで長くはないですが、大変きれいな 音です。ソロの音色もいいけど、響きが短くて若干オフな感じはあります。静けさと室内楽的な響きが心地良い録音 です。楽器は1711年製のストラディヴァリです。



   bellmozart
     Mozart   Violin Concertos
     Joshua Bell (vn)
     Peter Maag   English Chamber Orchestra

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ジョシュア・ベル
ペーター・マーク / イギリス室内管弦楽団

 1967年生まれのアメリカのヴァイオリニスト、ジョシュア・ベルは「四季」がきれいだったのですでに取り上 げていました。少し泣きのニュアンスが含まれるようなロマンティックな抑揚で、美しい音色で弾く高い技術の持ち 主というような認識でしたが、バロックのヴィヴァルディでは形を大きく崩すことがなかったので、よく歌いながら も端正な印象もありました。このモーツァルトはそのヴィヴァルディより前の録音で、1991年です。この人の美 しい音色の秘密の一つにはストラディヴァリウス「ギブソン」という高価な楽器を使っていることもありますが、ギ ブソンによる最初の録音は2003年なので、このときはその前のトム・タイラーでしょうか。やはり有名なストラ ディヴァリです。

 表現の方はモーツァルトということで、「四季」のときより抑揚がダイナミックに感じます。情緒纏綿と言うとプ ラス評価なのかそうでないのかよく分からないものの、起伏が大きくて表情に明暗があり、古典派というよりロマン 派の音楽のように濃厚に歌っています。ロマンティックなところがあるとご紹介したクリスティアーネ・エディン ガーよりむしろ振りは大きいでしょう。緩徐楽章での歌わせ方としては、ツィンマーマンやエーネスのように、ゆっ た りしつつもフレーズを所々あっさりと切り、山を一つずつ盛り上げて行くようなものではありません。また声をひそ めてそっと囁くような種類でもありません。より滑らかに音をつないで大きく歌うように進めます。微かなポルタメ ントも聞かれます。全体にさらっとやろうとするモダンな解釈は取らず、思う存分に感情を込めるのです。そしてそ ういう具合に表情が濃くて変に禁欲しないところと、録音が良く、ヴァイオリンの音色が大変美しいところがこの盤 の魅力です。「ベルの芸術」という感じです。

 その1991年のデッカの録音ですが、オーケストラ、ソロ共に、大変輝かしく前に出るという方向で はないものの残響はそこそこあり、モダン・ヴァイオリンの艶が大変美しいです。細かい倍音成分も よく出ています。かといってライヴで大変よく響くというほどのものでもありません。総合的に見てこの曲でのベス トな録音の一つだと思います。ただし これ、4番がありません。



   dumaymozart
     Mozart   Violin Concertos
     Augustin Dumay (vn)
     Camerata Academica Salzburg


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク

 こちらはフランクのヴァイオリン・ソナタなど、素晴らしい演奏の室内楽ものをいくつもご紹介して来たデュメイ です。グリュミオーの弟子で、音色が甘美というよりも、自発的でダイナミックな抑揚に特徴がある人です。初期の モーツァルト作品ではどうでしょうか。

 オーケストラは節が立つ演奏で、リズムに力を感じます。優雅なだけのモーツァルトは狙っ ていないようです。指揮もデュメイなので、これは彼の考えなのでしょう。速い楽章では弾むように音を切って行 き、音響もややデッドなのでそれが目立ちます。
 ヴァイオリン・ソロもやはり元気が良く、フレーズ頭の重音でアタックをずらす力強い音が聞けます。全体に結構 がっしりした印象で、強弱をよく付けています。彼の古典派の解釈はそのように、少なくとも速い楽章ではロマン派 の自在な呼吸の歌というよりも、ピリオド奏法の考えにも少し寄ったような、より活気のあるものなのでしょう。縦 横無尽なのは変わらないかもしれませんが。したがって滑らかというよりはコントラストがある印象で、弱く沈ませ る部分も印 象的です。そしてそこから浮き立つように強く弾くことで立体感が出ます。リズムはオーケストラと同様で、弾みと 切れの方向です。大変活きのいい演奏です。

 緩徐楽章はより滑らかですが、強く浮き沈みのある生き生きとした表情は速い楽章と同じです。ピリオド奏法のよ うにフレーズを短く切る癖はなく、つなげてビブラートもしっかりと、適切にかけます。それでいてソフトで滑らか に、ス ラーでつないだような演奏でもないのです。コントラストを付けて繰り返し部分をぐっと抑えてささやくようにやる 工夫もあります。大変表現意識の高いものです。比べるならジョシュア・ベルの甘く歌うような陶酔感はより少な く、光が反射してきらきらと輝くようです。ピリオド奏法の人たちが考えるような古典派風ではなくてもっと饒舌な の で、緩徐楽章に関してはやはりロマン派的とも言えるでしょうか。いずれにしてもモダン楽器による表現として味の 濃い、個性のあるものです。
 速い部分での活気は必ずしも好みではなかったですが、この緩やかな楽章での表情で♡を付けました。それは耳触 りの良い環境音楽的なもの以上の効果を個人的にこの曲に求めていないからそうなるだけであって、演奏芸術として は全編大変立派なものです。この頃のモーツァルトの性質という意味でも、あるいはこれが最もそれらしいのかもし れません。

 1996年のドイツ・グラモフォンの録音はソロの音が大変きれいです。所々鋭い音も出るながら、細い倍音を繊 細 に強調するものではありません。反対にやわらかい弾力があって濡れたような艶がしっとりというのでもないです が、デュメイらしい音は正しく再現していると言え、ちょっと輝くような艶もあって魅力的です。オーケストラは DG らしいかちっとしたところは多少あります。輪郭がはっきりして音に強さがあり、残響の長いものではありません。 3、4、5番のみです。



   ehnesmozart
     Mozart   Violin Concertos
     James Ehnes (vn)
     Mozart Anniversary Orchestra


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ジェームス・エーネス(ヴァイオリン)
モーツァルト・アニヴァーサリー・オーケストラ

 フランクのヴァイオリン・ソナタで、デュメイとは方法論が違うけど大変魅了されたのが1976年生まれのカナ ダのヴァイオリン奏者、ジェームス・エーネスでした。少しゆったりめのテンポ設定が多く、技術はあっても攻め立 てることがなく、特に突飛な表現を盛り込むこともない人で、美しい音色でおっとりと穏やかに進め、曲を自然にあ りのままの姿で見せてくれる演奏が多いと思います。時々ギル・シャハムにもそういうところがあるかなと思ったり します。どちらも大変な名器を使っています。音がきれいに聞こえるように弾く演奏って似るのかな、と思ったりす る一方で、ただ音色に奉仕するだけの人と言うつもりも全くありません。

 丁寧な演奏です。テンポはやはり、速い楽章でもあまり速い方ではなく、おっとりとした感じの進行でリラックス で きます。各フレーズの頭のアタックは力強いというほどではないながら、やわらかく入って滑らかに次につなげると い うよりは、ある程度弾みを付けているようです。弾き振りなのでこれはソロが出て来ても同じ傾向で、軽く弾ませる ように、多少の区切りをつけながら進めます。旋律は滑らかにつなぎつつ、やや脈動が感じられるのです。それは喩 えて言えば昔の ドイツ語系のリズム感というのか、ウィーン・フィル時代のベームなどがそうでしたが、拍が一つひとつくっきりし ていながら、歌と響きは滑らかに聞こえるというのに似てるところもあります。それによって真面目 で丁寧な感じがするのです。5番のトルコ風のリズムのところでは、荒っぽくはないけど元気が良いです。全体に ヴァ イオリンのきれいな音を堪能できるものです。

 緩徐楽章はやわらかくゆったりと、滑らかに進めて行きます。テンポは遅めです。ソロはしっかりしたビブ ラートを施し、ずっと同じ音の大きさでつなげずに、細かい呼吸をつけて強弱の浮き沈みを加えます。間もよくとり ます。やはり丁寧にじっくりと歌って行く感じがしてくつろげると同時に、歌い方としては、大きくスラーをかけ て 真っ直ぐな線でつなげて行く感覚にはなりません。音の間は途切れないですが、少しピリオド奏法のボウイングにも 似たような感じで山を作って脈動させるのです。一つずつ完璧に音にして行くので、この慎重な感じは好みが分かれ るところかもしれません。

 オニックス2005年の録音です。コンディションは大変良いです。輝かしい音ではなく、残響は特に長い方では ないけどほどほどあります。中低音がよく出ます。ソロでは多少オフな方に寄ってるように聞こえる場合もあるかも しれません。1715年製のストラディヴァリ、イクス・マルシックという高価な楽器を使用しています。美しい音 色です。ただ、大変自然ですが、この人の録音ではもう少し倍音がきれいに聞こえたものがあった気はします。 



   juliafischermozart
     Mozart   Violin Concertos
     Julia Fischer (vn)
     Yakov Kreizberg   Netherlands Chamber Orchestra


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン)
ヤコフ・クライツベルク / オランダ室内管弦楽団

 バッハのシャコンヌのページでも描写した内容の通り、この人の演奏マナーは好きなので新譜に注目しています。 この モーツァルトの協奏曲も大変期待しました。元々自信があるのか天然なのか、デビュー当時の少女の頃から堂々たる 抑揚の弾きっぷりで、テンポは速く攻める方ではなく、緩徐楽章などを含めてややゆったりめの設定が多いながら、 自由自在の自発的な動きが生きている人です。また、感傷的にはならないけれども、少し恋愛感情の ようなロマンティックな情緒で揺らして、力では押さないながら挑発するようなところもあります。セクシーと感じ る人もいるでしょう。性 質としてはロマン派の作品に向いているかと思うのですが、案外メンデルスゾーンなどは録音して いません。モーツァルトはどうでしょうか。二十二歳のときの演奏です。

 やはり魅力的なパフォーマンスだと思います。流れがあって自然で、強弱で膨らませるところも
力を抜くところもあって良いです。 生き生きとした活気も感じられます。第 3番の第一楽章ではほどほど軽快なテンポを取り、 第二楽章になると古典派としてはかなりゆったりな速度になります。このオーケストラはソロに静かに合わせ、区 切って弾ませるような音符も出します。
 ソロのヴァイオリンも大変良い表現で、繊細な呼吸があります。弾き方としては文句のつけようがない見事なもの です。全部スラーでつなげないで音を短く控えめにしたり、静かに囁くようにやるところもあります。一方でゆった りのパートでは音の間を十分に空け、それが途切れがちに聞こえるからか、遅く感じるところもあります。個人的に はそ ういう部分はもう少し速くて滑らかな方が好みだとは思いました。といってもエディンガーと比べて特に遅いわけ でもなく、残響と弱音の使い方の相性の問題かもしれません。

 2005〜06年のペンタトーンの録音は、残響はありますが、ほどほどで特に長くはありません。自分としては なぜかさほどきれいには感じなかったので、オーケストラはもう少し異なった帯域のホールトーンが取り込まれてい て艶のバラン スが違っている方がいいようにも感じました。場所の問題でしょうか。音場的には引っ込んだところも感じる一 方で、強調される帯域が多少耳に残る箇所もあります。鋭さの点で小編成感はあっても、グラマラスではないです。
 ソロのヴァイオリンも弱音では線が細めで、多少遠い収録かと思うと、特定音域できつく前に出るところもあった りします。
ドルビーのデコードだけかけ たみたいというか、高い 音は出ていてキンとする 箇所もあるぐらいなのに、音が静まると口 元を軽く手で隠したようにちょっとオフになりま す。もう少しだけやわらかさ と艶があると色気が増すのではな いかと感じました。でも低音 も高音も出ていないわけではないので、端的に言えば 強調される響きの成分が好みではなかったということでしょう。これは機器によって違うだろうし、好きな方もい らっしゃると思います。



   faustmozart
     Mozart   Violin Concertos
     Isabelle Faust (vn)

     Il Giardino Armonico


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)

ジョヴァンニ・アントニーニ / イル・ジャルディーノ・アルモニコ

 1972年生まれのドイツのヴァイオリニスト、イザベル・ファウストは個性的なアプローチで注目されていま す。ピリオド奏法のマナーを取り入れたボウイングにノン・ビブラートでテンポ良く、アクセントを付けて弾いて行 くので、切れが良くて独特の爽やかな感じがします。音色も艶やかで豊麗という方向ではなく、鋭く繊細です。ベー トーヴェンの協奏曲やソナタ、あるいはシェーンベルクなどでは新しい形を見せてもらったというのか、大変感銘を 受けました。

 ただ、この人はモダン・ボウも使うようだし、ピリオド奏法というものを一つの表現手段として用いている感覚の ようなので、生粋の古楽器と古楽奏法という学問的な姿勢ではないみたいです。したがって、ここでは古楽の楽 団とも組んでいて出て来る音としてはピリオド奏法だけど、敢えて次から取り上げる「ヒストリカリー・インフォー ムド・パフォーマンス (HIP)」の項目には入れませんでした。といってもここで区切るか次で区切るかの違いなのですが。
 聞いた感じでは、ピリオド奏法なのに現代的な自我の形に近いというのか、ピリオド奏法こそが現代奏法というべ きかもしれないけど、よりモダンなアプローチに感じさせる ところが面白いと思いました。あるいはこういう方がむしろ、モーツァルトの時代の誰も知らない演奏法としも相応 しいということが、ひょっとしたらあるのかもしれません。

 速い楽章では結構アタックの強いオーケストラです。短く切り上げる音の処理が聞かれ、ソロも弾む方向でフレー ズを切り、軽快さ を出します。やはり鋭敏なアプローチであり、ノン・ビブラートです。

 緩徐楽章ではオーケストラの部分でもノン・ビブラートがよく分かります。こういうゆっくりのパートも拍を短く 切りながら進めて行きます。同様にソロも音を延ばさず、軽い感じがします。ボウイング途中で強めるピリオド奏法 独特の音が魅力的です。
 短く切る傾向といっても表情は豊かで、音符にそっと触れて行くような繊細な歌も聞かれます。モーツァル トのこの曲集は十九歳の作品であり、目覚めた問題意識で切り込んだというよりも、優美で穏やかな旋律に酔えるの が 良いところだ、という感覚でいると抵抗を覚えるかもしれません。しかしそういう先入観を捨てて自由になれれば、 大 変面白いアプローチだと思います。モダンな自我の形というようなことを言いましたが、スタッカート様の切れは必 ずしも鋭さのみに直結するのではなく、生き 生きとした
軽さと風のような爽やかさを感じさせるものでもあり、既存のア プロー チとは全く別の魅力を発揮します。ヘヴィにならない個性的な運びに♡を付けました。

 ハルモニア・ムンディ2016年の録音で、残響は多くありません。やや奥まった派手さのない音で、ソロも弦の 艶を強調するようなものではありません。むしろ抑え気味であり、その分高い周波数成分の繊細な倍音が前に出る、 独 特のストレートな感じがします。録音の質としてそういう方向なのであって、決して悪いものではありません。むし ろ楽器の音色をよく捉えた優秀録音だと言えるでしょう。



   gilshaham
     Mozart   Violin Concertos
     Gil Shaham (vn)
     Nicholas McGegan   SWR Symphonieorchester


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ギル・シャハム(ヴァイオリン)
ニコラス・マギーガン / SWR 交響楽団
 上でギル・シャハムは出していないなどと書きましたが、2022年に発売になりました。1950年生まれのイギリスの指揮者、ニコラス・マギーガンと南西ドイツ放送交響楽団との演奏です。

 このヴァイオリニスト独特のおっとりとして走らず、持ち前の美しい音色が生きるように進めて行く演奏というよりも、もう少しだけ、モーツァルトを古楽演奏流行後のマナーも考慮したように弾いていると受け止めました。バックを受け持つ指揮者の解釈もあるのでしょうか。その意味では正しいモーツァルトだと思います。テンポがロマン派のようにゆったり歌わせるものとはならず、ほどほどに引き締まっているのです。でも活きいきとして弾力があり、彼自身の個性は出ていると思います。若い頃のモーツァルトらしく、優美できれいな部分を強調するよりもフレッシュな部分に焦点が合っています。少し残念なのはその録音バランスが自分の好みのものからいくらか外れたことです。その点は捉え方だとは思います。

 2018年から19年にかけて録音されたもので、レーベルはヘンスラー SWR ミュージックです。オーケストラの中低音が前へ出ており、多少ボンついた感じに聞こえます。低音の引き締まった装置では良いでしょう。ヴァイオリンの音色はやや倍音成分が細身に強調され、いつもの滑らかさな艶を感じさせる方向とは異なるようです。ピリオド楽器のバロック・ヴァイオリンではそちら側へは向かいますが、それとは違ってオンマイク気味で高域が強く出た結果のように聞こえます。ヴァイオリンのセッティングを変えてあるわけではないのなら技術的な点からでしょう。残響はあまり多い方ではありません。


ピリオド奏法(HIP/Historically Informed Performance)による演奏
 ジャケットやパンツが、風船が膨らんだり萎んだりするみたいに年代によって太くなったり細くなったりするのは 買い替え促進術だけど、古い音楽を演奏するときの拍節のスタイルも同じで、楽器の構造から来る制限を除いては、 現代における
流行の見方に過ぎない可能性 について何度か触れて来 ました。何でも区切って弾ませ るのが当時の姿のように思われがちながら、実際は案外そうではなかったのかもしれません。
 どうも同じこ とを書いてばかりですが、モーツァルトに関してはリズムを節くれ立たせないで滑らかに流す方が好きなの で、以下の評では公平さが不足しがちかもしれません。



   standagemozart
     Mozart   Violin Concertos
     Simon Standage (vn)
     Christopher Hogwood   Academy of Ancient Music ♥♥


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
サイモン・スタンデイジ(ヴァイオリン)
クリストファー・ホグッド / エンシェント室内管弦楽団 ♥♥

 ここからはいわゆる古楽器&ピリオド奏法による演奏を見て行きます。最初は1941年生まれのイギリスの古楽 のヴァイオリニスト、サイモン・スタンデイジですが、この人は最初の頃ピノックのイングリッシュ・コンサートに いて、その後有名なピリオド楽器のオーケストラと色々共演しました。ここではホグウッドとやっています。イギリ スの古楽ということで、弾き方はエキセントリックなものではなく、語法はそれとして、さほど鋭く節の立ったもの でも緩徐楽章を急テンポに進めるものでもなく、ほどほど穏やかに歌って行くという感じです。このモーツァルトで もその点は守られていて、大変聞きやすいものとなっています。

 カルミニョラの旧盤も魅力的だけど、ピリオド楽器による演奏ではこれが最も気に入りました。速い楽章でもほど ほどゆったりめのテンポで、フレーズを埋め尽 くさず適度に切ったり弾ませたりはあるものの、歯切れ良くし過ぎないので穏やかに感じます。フレーズごとに山を 作って盛り上げる語法の独特の感覚はありますが、それも一つの様式であって、違和感は感じさせないと思います。 ホグウッドはハイドンの初期やベートーヴェンの1番などの交響曲で大変魅力的でしたが、ここでも同じ波長です。 軽妙自在で優美です。
 ソロはノン・ビブラートのバロック・ヴァイオリンなので張りの強い音ではなく、あっさりした表現ながら、軽さ があって適度に滑らかです。弾みもあり、素直なところがいいです。

 第3番の第二楽章ではやわらかく静かにオーケストラが入り、テンポはゆったりめです。こうした速 度の遅いところでの歌わせ方は、バロック式のボウイングなのでロングトーンでたわませて山をつくるような強弱は あり、表現の上でも全体に強弱差を設けていますが、歌の部分のつなぎは十分に滑らかに行きます。フレーズを一つ 歌い終わった区切りの語尾などで音を短めに切るところはあります。しかしそれも適度にコントラストが付いて むしろ適切に感じます。
 トータルでは静けさがあり、ゆったり歩いて行くような抑揚がついてきれいな演奏です。間と空間が開いて落ち着 いており、音色ではなく表現にやわらかさがあります。静謐で軽妙さが感じられるところが大変魅力的なモーツァル トです。

 1990年録音のオワゾリール原盤のデッカです。古楽のさらっとした弦の音のオーケストラに出過ぎないソロと いうバ ランスです。この種のものとして鋭い方ではないけれども、中音寄りというほどでもなく、ほどほど高い側も伸びて 聞こえます。残響は適度で、特に長くはありません。好みとしてはもう少しホールトーンを取り込んだ方がいい ですが、きれいな録音です。
 ソロでは反響成分はあまり感じません。楽音が溶けて響きわたる中で艶のあるモダン・ヴァイオリンが朗々と鳴く グラマラスなものとは反対で、落ち着いた細身の音で、高い方もほどほど出てます。でもバロック・ヴァイオリンと してはハイが飛び出し過ぎず、やわらかさも感じさせます。 



   haggettmozart
     Mozart   Violin Concertos
     Monica Huggett (vn)
     Orchestra of the Age of Enlightenment

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
モニカ・ハジェット(ヴァイオリン)
エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団

 モニカ・ハジェットもイギリスのバロック・ヴァイオリン奏者で、スタンデイジより若く、1953年のロンドン 生まれです。でも活躍したのはオランダで、コープマンのアムステルダム・バロックでのコンサート・マスターでし た。ピリオド・アプローチには共通したアクセントの語法と運弓法があり、例えばマンゼ盤との比較など、イギリス も大陸側も混ざってしまい、こうした演奏同士の具体的な表現の違いを表現するのは難しいところもあります。室内 楽のソロ部分などではマンゼの方が抑えてゆっくり歌わせる傾向ですが、今回のこのモーツァルト ではどちらも、テンポの良いところではコープマンのバンドですよと言われても自分には分からないと思います。

 出だしは案外力強いアタックで、マンゼ盤と同様のピリオド奏法のアクセントはありますが、フレーズごとに立ち 止まる感じは少ないでしょうか。脈動という意味ではちょっとした節がある程度で、全体には勢いを感じるオーケス トラに特徴があるかと思います。
 ソロはスタンデイジと比べればスラーでつなぐ傾向は少なく、軽さがあって活気を感じさせます。点と線のよう に、フレーズの区切りでは弾ませ、途中は滑らかにつなぎます。弓をキュっと切り上げてからポンポンと弾ませるの を組み合わせたようなスタッ カート寄りの音符の処理もあります。

 緩徐楽章では思い切った弱音で弾くところが目立ちます。音はつなげないフレーズがあって軽く、滑らかなのは歌 の一部で、間を空けつつそっと語るように進めます。そういうところでは独特の心地良さがあります。マンゼより軽 いかもしれません。

 1991/93年のヴァージン・ヴェリタスです。音はマンゼ盤ほどではないながらも若干中音寄りで、低音はあ るけれども高音はあまり出しゃばらないバランスです。残響はほどほどで、多くはありません。第3番の第二楽章な どではオーケストラに癖は感じられず、やわらかく抑えたトーンで細く静かなソロが乗るという感じです。
 ソロは少し奥まり、マンゼほど固いメタリックな部分は出さずにほぐれており、適度に繊細な倍音も拾います。
 1番から5番までと、アダージョ K. 261にロンド K. 269 です。



   carmignola1mozart
     Mozart   Violin Concertos
     Giuliano Carmignola (vn) ’97 ♥♥
     Carlo De Martini   Il Quartettone


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ジュリアーノ・カルミニョーラ(ヴァイオリン)’97 ♥♥
カルロ・デ・マルティーニ / イル・クァルテットーネ


   carmignolamozart
     Mozart   Violin Concertos
     Giuliano Carmignola (vn) ’07
     Claudio Abbado   Orchestra Mozart

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ジュリアーノ・カルミニョラ(ヴァイオリン)’07
クラウディオ・アバド / モーツァルト管弦楽団


 四季を含めてヴィヴァルディの協奏曲が素晴らしくてよく聞いて来たカルミニョーラのバロック・ヴァイオリンで す。繊細に切れ込む反応の良いところと、イタリア人だからと言うのはどうかと思いますが、よく歌うところがあっ て魅力的です。同様に魅力的なスタンデイジ盤やムローヴァ盤と比べられますが、その違いを上手く言い表すのはな かなか厄介です。このカルミニョーラのモーツァルトの協奏曲には録音が二つあり、両者はちょっと印象が異なり ますが、最初は1997年です(写真上)。そちらの管弦楽はイル・クァルテットーネとなっており、古楽器オーケ ストラのようです。ソロのヴァイオリンは1733年のグァルネリ・ディ・ヴェネツィアということです。

 3番はやわらかく弾むように始まります。ややアタックの強さはあり、ピリオド奏法らしい、音の途中でキューっ と 盛り上げる手法は聞かれます。ジャカジャカっとリズムを刻む弦は歯切れが良く、強弱もよくついていますが、弾ま せるだけでなく、滑らかにつなげる音も出ます。明るさと適度な弾力があって大変気持ちが良いです。テンポは中庸 です。
 スタンデイジ盤と比べると、敢えて言うなら活気があり、楽しく弾む陽気なところではこのカルミニョーラ盤、繊 細で軽い方に寄っているのがスタンデイジ盤という感じでしょうか。それは音の違いから来る印象も大きいと思いま す。ヴィヴァルディの協奏曲ではカルミニョーラも切れのある繊細な面が前に出ていたように感じ、あちらはもう少 し細身の音でした。スタンデイジ、カルミニョラ共に古楽奏法の癖が強過ぎることのない自発性のある演奏です。

 緩徐楽章ですが、やわらかく、少しきれいな靄のかかったようなストリングスの音が心地良いです。オーケストラ 部分の表現も、モダンのようにずっとスラーではなくて所々で弾ませて切りますが、リズムはやわらかいもので す。
 ソロは歌の部分でよく音をつなぎ、深々とした抑揚があって良いです。軽くビブラートをかけつつ、音を延ばして 弧を描くように、ソフトに音を強めるボウイングに色気を感じます。どこかモダンとピリオド奏法の中間のような感 じ もして、弱めて脈動させる手法は取るのでずっとスラーでオンという感じではありませんが、濃厚によく歌っていま す。一般論として、ピリオド奏法がロングトーンで音をつなげて弾くところにおいてモダンと違うのは、一定の音圧 を 保ってスラーで次につなげるのではなく、頭で強くした後は潜るように弱めたまま引っ張ることです。その音圧をグ ラフにするなら投げられた球の放物線ではなく、手前の坂で勢いのついたボールがそのまま水平に転がるような形と いうの でしょうか。
 それ以外にここでの技法としては、強い音から弱い音へつなげて山のように抑揚を付けたり、弱音に潜ってささや いたり、繰り返しの二回目のフレーズで思い切り弱くしたりと、工夫も色々聞かれます。テンポは遅過ぎはしないけ ど 十分にゆったりです。

 1997年のイタリアのパラゴン・レーベルの録音で、廉価版としてブリリアントからも出ました(写真)。残 響は特に長い方ではないですが、オーケストラ部分はよく響き、透明さがあって大変良い音です。ソロの部分 ではあまり反響成分を感じないので、もう少し響く方が個人的には好みです。でも音色は張りと艶があってきれいな ヴァイオリンです。駒やネックの角度、弦などはバロック時代の仕様になっているのかもしれませんが、これはモダ ン楽器かという感じの太さと艶の乗り方で、バロック・ヴァイオリンによくある、基音が平らながら繊細な倍音が出 て細身な音、という感じにはあまり聞こえません。あっさりしていながら鋭過ぎないのが魅力です。スタンデイジ盤 とは方向が違うものの、優秀録音と言えるでしょう。


 さて、新盤の方は2007年の録音です(写真下)。こちらはアバドが古楽に興味を持ってやっていた頃に、その 彼の楽団と 共演したもので、全体の雰囲気もアバドのカラーになっているような気がします。旧盤と比べると明らかにピリオド 奏法の特徴がしっかりと出ています。主にテンポが速くなり、独特の脈動的なアクセントも強く出たオーケストラ で、ソロのヴァイオリンはマナーとしては同じなのかもしれませんが、心持ち弾みと歯切れが良くなっているように も聞こえ、何よりも速くなったテンポに合 わせているので元気良く聞こえます。スタッカート様に切るところもより鋭いようです。

 速い楽章はそんな感じで、緩徐楽章でもあまりテンポを落とさないのでちょっと近い印象があります。速くなった 分だけあっさりに聞こえ、ふっと力を抜くように弱音に落とす仕草が印象的です。やはり緩いスタッカートでつない だような表現であり、滑らかに連続させるよりも途切れがちに小声でささやくようなところに繊細さが出ているとも 言え ます。スラーではなく、語尾は延ばさずに弾ませるところはピリオド奏法の定石であり、手法としては一音ごとの強 弱変化も聞かれ、ためておいて次で強くという脈動もあります。
 カルミニョーラの旧盤と新盤、好みが人によってすっかり分かれることだろうと思います。

 アルヒーフの2007年の録音です。これも少し引っ込んだ中音寄りのバランスで、適度な元気良さが感じられま す。ドイツ・グラモフォンに時々あるようなバランスとも言えるでしょうか。中域の反響はあるものの、残響が長い という感じではありません。荒くはないけれども、もう少し細く繊細に伸びると好みだなと思いました。
 ソロも繊細という方向ではなく、マイルドでやや力を感じる音であり、そのあたりは多少旧盤と似た音色だとも言 えるかもしれません。ヴァイオリンは旧盤とは違うもので、今度はストラディヴァリの1732年製、バイヨ (Baillot)ということです。第二楽章など静かな場面では奥まったオフ気味の音になり、残響もほとんどな いように感じます。



   mullovamozart
     Mozart   Violin Concertos
     Viktoria Mullova (vn)
     Orchestra of the Age of Enlightenment

モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団

 アバドと来ればムローヴァでしょうか。といっても録音年代順でたまたまそうなっただけです。ブラームスでは共 演してますし、ご子息の方のアバドとも最近 CD を出してたりします。チャイコフスキー・コンペティションの覇者で、亡命すぐの頃はモダン、後年はこの CD のようなピリオド奏法のヴァイオリニストとなりました。パッションの人でありながら、バッハの語りかけるような シャコンヌも大変魅力的でしたし、この分野では個性のあるヴァイオリンです。

 ピリオド楽器によるピリオド奏法で、テンポの軽快さという意味ではまさにそれらしい一方で、音の運びとしては 特徴的な節立つ運びと途切れ感が少なく、旋律の部分は滑らかに情感を込めて弾いて行きます。専門の古楽グループ のものとは一味違う演奏と言えるでしょう。
 両端楽章の速いテンポの部分ではよく切れて弾ませるオーケストラで、リズム感があります。ソロも表情がよく付 いて切れが良く、フレッシュな印象です。といってもフレーズ出だしのアタックが特に短く強いわけではなく、当た りはそれほどきつくありません。弾ませて切り、ぐっと弱めるなどの工夫もあります。思い切った速さの処理で表 情を付けるところも出ます。テンポはトータルでは軽快ながら中庸の範囲です。

 真ん中の緩徐楽章はあまりゆったりの設定ではなく、スタンデイジやカルミニョラの旧盤よりあっさり速めであ り、カルミニョラの新盤やハジェットと同じぐらいです。古楽のマナーとしては標準というところでしょう。しかし あまり強弱の脈動はつけず、この奏法の常で所々で切るところはあるものの、力を込めずに滑らかに流して行きま す。それが最も個性的なところでしょうか。気持ちのこもったクレッシェンドや強めの音が聞かれ、よく歌う意識の 高い演奏という感じです。

 ただ、この盤には5番がありません。代わりに1番をやってますが、特に考えがあるのでしょうか。普通はデュメ イのように3〜5番を選ぶだろうし、こうやるなら次の一枚がありそうなものですが、1番はあまり聞かな いのでちょっと残念です。

 録音はフィリップス原盤のエロクエンスで2001年です。派手さはなく、多少デッドな方で、小さい部屋の少人 数 という音ながらきれいな響きです。



   manzemozart
     Mozart   Violin Concertos
     Andrew Manze
     The English Concert


モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲集
アンドリュー・マンゼ(ヴァイオリン)
イングリッシュ・コンサート

 1965年生まれのアンドリュー・マンゼはイギリスの古楽のヴァイオリニストです。これはイングリッシュ・コ ンサートの音楽監督にあるときの録音です。室内楽ではバッハにせよヘンデルにせよコレッリにせよ、緩やかなテン ポで抑えた抑揚から鮮やかに歌わせる見事な演奏を聞かせており、愛聴盤になっているのですが、ここでのモーツァ ルトも共通してゆったりした緩徐楽章ではあるものの、多少異なった印象もあります。

 フレーズの終わりで歩を緩めておいて間を取るフォークダンスのお辞儀のような運びが聞かれます。そしてその後 で勢いのついたアタックもあり、速い楽章では単に滑らかというのとは違います。切ったり跳ねたり立ち止まった り、弾むように自在にやっている感じがします。この人のモーツァルト解釈なのでしょうが、同時にピリオド奏法の 語法の一部であるとも言えるので、こうした部分は軽く弾むハジェット盤の演奏と比べてもいいと思います。
 そしてこれも弾き振りなのでソロも同じマナーであり、浮いたり沈んだりを聞かせ、各拍のアタックがしっかりし たものです。テンポは中庸であり、第3番の第一楽章など、途中で緩める部分では遅くなります。

 各第二楽章の緩やかなパートにはこの演奏の特徴が最もよく表れていると思います。マンゼらしいゆったりした運 びが聞かれ、メロディーの部分を力を込めずに平坦に抑えて行くところは他と同様です。ただ、3番の第二楽章は顕 著ですが、あまりそこから立ち上がるようにクレッシェンドする効果を発揮させている感じはしません。うねりがな く、静かに終始しています。そしてこのモーツァルトがこの人の他の演奏とも違うのは、古典派の拍節解釈として 所々メロディー・ラインのスラーを切って行くことで、そうした箇所で音の間が開いたように聞こえるところでしょ うか。テンポが遅い部分でそうなるのでいっそうその印象は強まり、途切れとぎれというと言葉は悪いですが、滑ら かにつなげて歌うのとは反対に位置するスローな表現です。音響的には少し声のトーンが下がったくぐもった感じも あります。一歩ずつ落ち着いて散歩しているような感覚と言うと肯定的表現になるでしょうか。そこにこそ魅力を感 じるという場合もあると思います。
 もちろん弱音に声を落としておいて所々で盛り上げるこの人らしい表現も聞かれます。静かに細く歌うフレーズも 出していて、繊細な感じもします。奏法としてはバロック・ヴァイオリンらしい真っ直ぐでビブラートのない弾き方 です。

 ハルモニア・ムンディ USA の2005年の録音です。このレーベルの室内楽では多少バランスに問題のある録音も聞いたことがありますが、こ れは少し中音寄りの響きで低音も出ていると いう感じで、やわらかさを感じる部分もあります。フォルテではちょっと強調されたような元気な音で前へ出るし、 オーケストラの弦は輪郭がしっかりしていて幾分メタリックな固さが感じられる箇所もあり、ハイの繊細さが特徴と いう方向ではないと思います。
 ソロの方はメタリックな箇所はなく、オーケストラ同様に、高い倍音が出るというよりも中域にわずかにこもるよ うな反響が付く感じもします。バロック・ヴァイオリンとしてはほどほどに丸みのある音と言えるでしょうか。残響 は少ない方ではなく、ハジェット盤より響きますが、特に長いわけでもありません。