ムソルグスキー / 禿山の一夜

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この「禿山の一夜」のページは当初、「展覧会の絵」と合わせて一つの記事でしたが、分けて整理しました。

ムソルグスキー /「展覧会の絵」はこちら

「展覧会の絵」と並んでムソルグスキーの代表曲である「禿(はげ)山の一 夜」は 11、2分の短いオーケストラ曲で、作曲されたのは二十八歳のときという、比較的初期(管弦楽曲としては最初)の作品です。といっても十四年後には亡く なってしまうわけですが。学校教育の鑑賞曲になったりもしましたので、それでご存知の方もおられるかもしれません。曲のタイトルは「セント・ジョ ンズ・ナイト・オン・ボールド・マウンテン」(「ア・ナイト・オン・ザ・ベア・マウンテン」とも言います)であり、頭に付くセント・ジョンズ・ナイト、聖 ヨハネ祭の夜の情景を描いています。


 聖ヨハネというのは、聖書に色々出てくるヨハネの中でもイエスに洗礼を 施した 後、サロメに首を切られてしまった方の洗礼者ヨハネ(史実とは異なると思います)のことです。この人の祭りはキリスト教各派で祝日になっており、クリスマ スの半年前の6月24日。伝統的には夏至の祭りと一緒になっています。そしてその前の晩はセント・ジョンズ・イヴ(行事としては23日前後)であり、その 夜の間に魔女たちや精霊が大騒ぎをするという言い伝えがあります。その騒ぎをサバトと言いますが、ベルリオーズの幻想交響曲の最後の楽章もこのサバトが描 かれていて有名です。

 そしてこのサバトはヨーロッパで4月末日から5月1日に行われる「ワル プルギス の夜」という行事とも共通しています。そちらは古代ケルトの春祭りが起源で、ゲーテの「ファウスト」にも出て来るし、それを元にしてメンデルスゾーンが曲 を作ったシェイクスピアの喜劇でも同じ夜のことを言っているのですが、シェイクスピアの方は「(真)夏の夜の夢」というタイトルになっていてどちらの祭 りのことかが曖昧です。元々がこの二つの祭りは同じような性格のものとして扱われており、春の行事でも焚き火をするし、夏至の方でもロシアなどではやはり 焚き火をしたりするのです。後者はこれから衰えて行く太陽に力を与えるための火祭りだと解釈されるようですが、どうなんでしょう。ロシアではその焚き火の 上を飛び越える儀式もあり、雪でできた少女が人間の友達にそそのかされて火の上を飛び、溶けて消えてしまうという民話の「雪娘」でご存知の方もおられるで しょう。     

 魔女の騒ぎ、これについてはお盆に首だけ乗せて持って行かれたヨハネが その夜に 生贄を求める(死者が出る)という話もあるものの、多くは俗なる人間の乱痴気騒ぎから想像されたものでしょう。「ワルプルギスの夜(名前の由来は8世紀 の修道 女ワルプルガが聖人に列せられた日がたまたま同じ5月1日だったから)」には男女が森に入って恋を語ることが許されていました。もちろんそれ以上のことが 行われていたでしょうし、それは日本の盆踊りが無礼講と称して男女が相手を求める日だったのと同じです。シェークスピアの話も男女の出会いのドタバタ喜劇です。ムソルグスキーの場合はロシアの民話からとった話ですから、ロシアの死神チェルノボーグと手下の魔女たちが大暴れします。ロシアの魔女というのは「展覧会の絵」にも出てきたバーバ・ヤーガでしょうか。魔法の箒で空を飛ぶのは欧州共通ながら、「鶏の足の上に立つ小屋」という楽章の名前の通り、下部が放射 状に枝分かれした支柱の上に立つ高床式の家に住んでおり、箒を持っています。
 それならどうして「禿山」なのかというと、それは恐らくドイツでの「ワルプルギスの夜」において、魔女たちが集うのがブロッケン山だというところから来るのでしょう。標高1141m ながら寒い地方なので森林限界より高く、上部が禿山なのです。ドイツ文化の影響は少なくともエストニアにまで及んでいます。 


 曲は大きく二つの部分に分かれ、前半が魔女や魔物たちの大騒ぎの部分で、後半では教会の鐘が鳴り、夜がだんだん明けてきて魔物たちが退散して行くという構成になっています。


 演奏においては個々の性質の違いの前に、スコアをどの版にするかという問題があります。一般に最も演奏されて来たものはリムスキー=コルサコフが編曲したものですが、最近はそれ以外にも聞けるようになりました。ムソルグスキー自身の原典版、それからこの作曲家はこの禿山の一夜の楽想を何度も形にしようとしたため、合唱が入っているバージョンもあります。そしてディズニー映画の「ファンタジア」に使われたストコフスキー版です。


原典版
 詳しいことは解説サイトを見てほしいのですが、原典版として録音している演奏者は、ムソルグスキー解釈に関して熱い情熱を持っていたようであるアバドベルリン・フィル盤と、ゲルギエフマリインスキー歌劇場管盤 (ウィーン・フィル とのものは R.コルサコフ版)が主なところでしょう。アバドは出だしからティンパニが激しく鳴って、いかにも原典版であって洗練された通常の R.コルサコフ版とは違うんだぞ、という感じがします。ゲルギエフの方は録音が新しくてきれいです。通常版と聞き比べてみると面白いと思います。


リムスキー=コルサコフ版
 通常版です。というか、リムスキー=コルサコフが手を入れたものによって曲自体が有名になり、広く演奏されてきたのです。したがってほとんどの録音がこの版によっています。音の使い方が洗練されていると言われます。これについてここで写真付きで取り上げるのはデュトワ盤で、それは下記を参照してください。
 ゲルギエフ/ウィーン・フィルドゥダメル/ウィーン・フィルも良いと思います。両方ともラストの夜明けの部分では極端に遅い表現となっています。強調が効いているわけで、これは純粋に好みの問題でしょう。
 乱痴気騒ぎの前半部分での畳み掛けるような迫力と歯切れ良さを求めるなら、フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団盤でしょう。朝の場面も清々しくていいです。「展覧会の絵」の説明で触れた通り、録音も良いです。今までに色々装丁違いで出ており、音の良い XRCD は「展覧会」のみで「禿山」は入っていません。そしてこの方面で人気のショルティベルリン・フィル(1959)とロンドン響(1962)で出ており、シカゴ響とは録音しなかったようです。


ストコフスキー版
 
これについては下記リムスキー=コルサコフ版の CD の次でご紹介します。



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     Mussorgsky   A Night on Bald Mountain (Rimsky-Korsakov edition)
     Charles Dutoit   Montreal Symphony Orchestra ♥♥


ムソルグスキー / 禿山の一夜(リムスキー=コルサコフ版)
シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団
♥♥
 リ ムスキー=コルサコフ編曲による通常版ですが、CD を選ぶのは苦労します。この短い曲だけで聞いた限りのもの全部を比較するのもどうかと思いますし、フェイバリットという観点で行くと曲自体が大変賑やかなので、さほど好んで聞かないからです。夜が明けて静かになってくるとほっとしたりします。したがって絞って挙げるとするならば、やはりシャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団盤というところでしょうか。荒ぶる金管こそ楽しみという曲でこの洗練された指揮者を選ぶということには異論のあるファンもあろうかと思います。しかし実際はバランス良く細部まで目が行き届いた理想的な演奏だと思います。R.コルサコフ版自体の洗練されたあり方に対してもぴったりでしょう。迫力がないわけでは全然ありません。夜明けの表現も美しいです。

 展覧会の絵でご紹介したのと同じものなので音のバランス等についてはそちらを参照してください。1985年のデッカで大変優秀な録音です。この人の録音の中でも最高の一つだと思います。



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Stokowski's Mussorgsky
     Mussorgsky   A Night on Bold Mountain (Leopold Stokowski edition)
     Matthias Bermert    BBC Philharmonic ♥♥

 
ムソルグスキー / 禿山の一夜(レオポルド・ストコフスキー版)
組曲「展覧会の絵」(
レオポルド・ストコフスキー版)
マティアス・バーメルト / BBC フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥
 芸術性の高さを狙って台詞なしの音楽のみで構成され、初のステレオ収録だった 1940年のディズニー映画、「ファンタジア」で使われ、この曲を有名にした版です。指揮者のストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団と音楽部分を担当しましたが、曲の編曲を行ったのもストコフスキー自身です。映画というだけあって映像的効果を感じさせるところがあり、爆発的な魑魅魍魎の宴会の表現というよりも、よりメロディアスで聞きやすいものになっています。騒がし過ぎるものが得意でない分、この版のような音の扱い方に魅力も覚えます。
 
 さて、そうなるとストコフスキー自身の演奏になろうかと思います。1968年の録音で音も全然悪くありません。しかし敢えて最近になって別の演奏家が録音した方にします。演奏も本家を上回るかと思うほど素晴らしく、また音のコンディションも大変良くてきれいだからです。指揮者のマティアス・バーメルトという名前は聞いたことがないかもしれません。1942年生まれの作曲家にして指揮者というスイス人で、現代音楽にも強い人です。ここではグロテスクなまでに表題音楽的になることはなく、全てを大変繊細な配慮で音にして行っているように思います。それは弱い音という意味ではなく、バランス良く洗練されていて歌もあるということです。風情のある夜明けの情景がなんとも爽やかでいいです。ラヴェルのダフニスとクロエの夜明けを思い出させる雰囲気があるのです。そしてまたカップリングが良く、これはストコフスキーの世界を描く CD 企画であるため、ストコフスキー版の「展覧会の絵」が聞けます。これも評判の良かった編曲ですから、ぜひ通常のラヴェル版と比べてみてほしいと思います。そしてムソルグスキーが完成させた唯一のオペラで代表曲でもある「ボリス・ゴドゥノフ」もシンフォニック・シンセシス(交響組曲)という形で聞くことができます。

 1995年録音のシャンドス・レーベルで、音は大変良いです。こういう曲では大事なポイントです。他にもストコフスキーの編曲を聞かせる企画の CD が他レーベルからも出ていますが、個人的にはこれが一番な気がします。



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