崩壊へと突き進むもうひとつのボレロ  
           / F・クープラン「パッサカリア」

passacaille

 フランソワ・クープランはバッハと同じバロック時代のフランスの作曲家で、バッハ・ファミリー同様音楽一家を成していました。なので他のファミリーメンバーと区別するためにフランソワの場合は「グラン(大)という称号が頭に付きます。それならば「プチ(小)クープランもいるかといえば、それはないけれどもルイ・クープランという人が次に有名です。フランソワの伯父にあたり、幻想的な響きのクラヴサン曲をたくさん残しています。フランソワよりこの伯父の方に魅せられる人も多いと聞きますが甥の大クープランの方にもルイと同じぐらい浮世離れした曲があります。パッサカリア」です。

 わずか六分ほどの作品ですが、これはフランソワ・クープランのクラヴサン曲の頂点ではないかと思います。それは私の意見ではなく、バロック期の鍵盤曲中の最高傑作だとする声もあるのです。ルイの方のクープランのニ長調のクラヴサン組曲 (Suite en re majeur) の六曲目にもシャコンヌ(後述しますがパッサカリアとシャコンヌは兄弟関係です)がありますが、れは短調でもないし上昇旋律でもないながら、フランソワのパッサカリアに似た節回しに聞こえます。甥がれを意識して書いたとは言えないとしても、結果的にフランソワはルイの精神世界を集約していると言えるでしょう。それでも「パッサカリア」が独自の展開によってバロックの最高傑作であることは揺るぎません

 同じフランスの、もっとずっと後の作曲家であるラヴェルには「ボレロ」というオーケストラ作品があります。同じ旋律を何回も何回も、楽器の組合せを変えながら繰り返す曲です。その間にだんだんと巨大なクレッシェンドを形成して行って、最後の最後に転調して、下降旋律に変わって崩れ落ちるように終わってしまいます。この狂気じみた興奮を一度聞いたら忘れない人もいるはずです。でも、他に例のない独創かと思っていたボレロのこのカタストロフィーも、それに先立つこと200年、クープランがすでにパッサカリアで行っていたとしたら驚きです。


楽器のこと
 パッサカリアはクラヴサン曲です。クラヴサンは英語のハープシコード、イタリア語のチェンバロと同じです。吟遊詩人が愛を歌っていたフランスでは、その伴奏に使われたリュートという、ギターの前身に当たる楽器が好まれてきた歴史があり、弦をワタリガラスの羽軸でひっかく構造のクラヴサンは「鍵盤付きのリュート」というとらえ方をされてきました。ギター同様オーケストラのように大きな音は出せませんが、この曲はボレロと鮮烈さでは劣りません。  


楽曲と形式について
 さてこのパッサカリア、4巻あるクラヴサン曲集の第2巻(リブル)第8組曲オ ルドル)の中の十曲のうちの九番目の曲です。ボレロという形式は18世紀末に始まるスペインの三拍子舞曲ですが、パッサカリアも三拍子のロンドで、フラン ス風のシャコンヌともいわれます。シャコンヌはバッハのヴァイオリンのものが有名ですが、オスティナート・バスと呼ばれる「頑固で執拗な」リズムパターン が繰り返される低音部の上に特定の和声進行が繰り返される様式で、16世紀末にスペイン文化圏で発生したとされます。パッサカリアというのは後の時代には シャコンヌと混同されることにもなった変奏曲の一つの形式です。ブクステフーデのニ短調のオルガン曲は有名で、それに影響を受けたかもしれないバッハも名曲「パッサカリア(とフーガ)」ハ短調 BWV 582 を作っています。さらに後にはブラームスが4番の交響曲の終楽章で同じくシャコンヌ/パッサカリアの形式を使っています。

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 さて、そのクーブラン・バージョンのカタストロフィーについて少しだけ書いてみます。
 最初にちょっともの悲しい感じ半音ずつ上がる旋律が二回、問いかけるように示されます。その次に、ボレロとは違ってクプレと呼ばれる変奏の部分が入ります。そしてすぐにまた最初の問いかけのメロディに戻ってきます。さらにまた違った変奏が来て、戻ります。こうしたことが全部で八回繰り返されますが、問い疲れた頃の七回目、ほとんど最後の変奏になってようやく問いに対する答えがやってきます。それはこれまでの執拗な繰り返しがこのために準備されていたのかと思うような展開です。

 今までとは逆の下降旋律に変わります。そして泣きだす直前感情の震えのような音が来ます。大抵の演奏者はテンポを少し落としてリズムを粘らせるようです。その引き裂くような高音がほろ苦い和音を引き連れて下がってきたとき、今度は低い音で、左手から右手に向けて聞いたこともない複雑な不協和音を二度奏でます。ジャラン、ジャラン、と下から上へと掻き鳴らすその圧倒的な分散和音がこの曲のクライマックスです。クープランのこの時代に、こんな音が許されたのでしょうか。殺人作曲家として名高いジュズアルドの不協和音の方が時代としては先でしょうが、インパクトはこっちが上でしょう。そしてその衝撃をもって何かを確信した後、もう一度だけ静かな問いかけに戻り、夢の中の駆け足のようなクプレが入ってから再度主題に立ち返って終わります。

 言葉での表現だと雰囲気で終わってしまうので、実際の音を楽譜で追ってみました。砕け散る例の問題の和音の少し前、第7変奏の四小節目、上の表現で言え ば「引き裂くような高音がほろ苦い和音を引き連れて下がる」ところですでに複雑な六音から成る和音が分散和音の記号をともなって表れます。切ない諦めのよ うにも聞こ えますが、ミ・ソ・シ・レ・ファ・シ、です。曲はロ短調ですが、これを平易なハ長調=イ短調に直すと「レ・ファ・ラ・ド・ミ・ラ」になります。複雑な ジャズのテンション・コードみたいじゃないでしょうか。コード名で言うとこういうの苦手でよく分からないのですが、一番上がソならDm11ですが、Dm9 でしょうか。そして問題の低いところから襲う「聞いたこともない複雑な不協和音」と思わず言ってしまった音が来ますが、その最初のは五小節目で、ファ・ ラ×・ド×・ファ・ド・ミ・ラです。同じようにイ短調に直すと「ミ・ソ・シ・ミ・シ・レ・ソ」。次の六小節目はソ・シ・レ×・ファ・シ・レ・ラ で、直しても単純に なりませんが「ファ・ラ・ド・レ・ラ・ド・ソ」の七音です。どうかすると現代のジャズより難しいぐらいに思えてきます(ただし、譜頭の一部が × になってることに関係あるのかどうか、弾いてる人によって音の感じは違って聞こえ、後述の CD のうちプヤーナ盤は非常に劇的に、ドレフュス盤は穏当に聞こえます)。

 喩え話をしてみましょう。ブルース・ウィリスが主演した一発もの幽霊映画がありましたが、あれみたいに自分が死んでるとは思わずに現世を彷徨ってるセラピストの魂があって、生きてる人間を助けてるつもりになっているのです(何度も繰り返される上昇旋律)。ところがラストで自分がすでに幽霊であり、実は生きてる霊能力者のクライアント反対に助けられてたことに気づいてしまう(崩れ落ちる下降旋律)。そして受け入れる(一度だけの主題の回帰)。
 主演の男の子もちょっと意外な紆余曲折で大人になったようですが、馬鹿な譬えをしたのは、この曲にはなんだか幽体離脱して自分を見ているような距離感があるからです。伯父さんのルイの曲にも似た波長のがあります。ただし甥の方はまだこの世に未練を残しているのか、優雅ながらもより悲しく聞こえます。最後に崩れるところは真実を悟る感覚と、もう終わってしまうという打撃とが一緒になってる感じです。
 
 フランス人にはメランコリー趣味のようなものがあるのでしょうか。センチメンタルに溺れておいて、その自分を皮肉ってるもう一人の自分がいる、それこそフランス人という感じです。クープランの生きていた17世紀のフランスは、ペストの流行もあってか生の短さと死への怖れが人々の心にのしかかっていた時代だ、などとも言われます。しかし現代のシャンソンの中にも自己憐憫見え隠れします。少し浄化されるまで待ってから感情を出してくるドイツ人とは違うのかもしれません。バッハが悲しみに溺れた例があるなら、最初の奥さんであるマリア・バルバラが亡くなった直後に作ったヴァイオリン・ソナタぐらいでしょう。一方でクープランは耽溺と覚醒の入り交じった不思議なアラベスクを描き出します。
 


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   Francois Couperin Le Grand   Pieces de Clavecin
       Rafael Puyana  (hc / Vinyl  Philips) ♥♥

フランソワ・クープラン / クラヴサン曲集
ラファエル・プヤーナ(クラヴサン)♥♥
 演奏はパッサカリアについてはラファエル・プヤーナのものが見事です。 ボレロと同様、あまり飾りや崩しがなくストレートにやられた方が鮮烈だからです。プヤーナはコロンビア生まれでクリストファー・ホグウッドの師にあたる人ですが、クラヴサンの蒐集でも有名なようです。ここではテンポを大きく揺らすことはなく、喜々として音楽に集中しています。装飾音譜も華美にならず、曲の持つインパクトを最大に引き出していると思います。ただ残念なことはフィリップスから二枚組のLPで出ていたときは良かったのですが、CDで一枚にまとめて再販された際、このパッサカリアの入っている組曲だけが削除されてしまったのです。以後再販された様子は今のところないようです。私はレコードをデジタルに変換しましたが、中古のLPを探すのはちょっと一般的ではありません。


 
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       Francois Couperin    Pieces de Clavecin
       Hugette Dreyfus (hc)

フランソワ・クープラン / クラヴサン曲集
ユゲット・ドレフュス(クラヴサン)
 ユゲット・ドレフュスはフランス人らしい揺らし方が粋です。表現が豊かなだけに、ラストの崩落でコントラストに驚く度合いが少ないような気もしますが、音自体もちょっと違って聞こえる気がします。全体に生真面目な人柄を感じさせる一方、頭の中の音をストレートに鳴らすのではなく、時間差的な構えのある控え目な崩し方をして品があります。楽器の音も柔らかく、繊細な艶があって耳にやさしく響きます。ただ、日本のレーベルから出 ていたので手に入りやすいかと思ったのですが、これも今はなかなか見つからないようです。1986年初出のこのCD、ひょっとして廃盤でしょうか。



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   Couperin   Works For Harpsichord
       Olivier Baumont (hc)

フランソワ・クープラン / クラヴサン曲集
オリヴィエ・ボーモン(クラヴサン)
 ボーモンの演奏はプヤーナに似てあまり大きな崩しがなく、素直でありながら味わい深いものです。音は低音弦がやや太めの独特の響きをもって録音されています。全集の他に一枚ものの名曲集も出ていて、パッサカリアも入っています。例の和音はドレフュス盤に似て聞こえます。



ブランディーヌ・ヴェルレはフランスの女性クラヴサン奏者ですが、ルバートのかかった絶妙の崩し方でゆったりと演奏しています。しかし出ているのは全集で、それも現在は廃盤であり、過去の国内盤がプレミア価格になっているようです。

クリストフ・ルセも全集を出しています。この人 はルイ・クープランの演奏ではテンポの揺れが大きく、速いところではかなり走って演奏し、大きな表情をつけます。独特の癖をもった自意識の強い崩し方をする人のようで、私はフランソワの方は聞いていませんが、こういう種類の粋さが好きな人には魅力でしょう。



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