老境の覚者? プレスラーのモーツァルト

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      Mozart Piano Concerto No.23 K.488 / No.27 K.595
      Menahem Pressler (pf)    Paavo Jarvi   Orchestre de Paris


モーツァルト / ピアノ協奏曲第23番 K.488 / 第27番 K.595
メナヘム・プレスラー / パーヴォ・ヤルヴィ / パリ管弦楽団
 歳をとって高みに達したと言われる演奏家が、遠い惑星のように何年か周期で音楽界の噂になったりします。
高齢で頑張ってるわけですが、聞いてみると回転数がゆっくりなのは必然として、期待するほどでもないこともよくあります。吉田秀和氏の評で話題になった晩年のホロヴィッツではないですが、最近もそういうピアニストがいました。だからこの手の話にはちょっと疑い深くなります。
 しかしこの人は本当に良いと思えました。寡聞にして若いときのことはさっぱりでした。ボザール・トリオとして活躍していたのを知ったのは後からになってのことです。そして最近になって、ヤルヴィがバックを勤めるわ、ラトルとベルリンフィルに担ぎ出されるわ、来日コンサートもあったし、また予定されてもいるわ、という話になって来ました。
 
 メナヘム・プレスラーです。ドイツで生まれてアメリカで活躍してきたユダヤ系のピアニスト。この出自ゆえに担ぎ出されたわけではないでしょう。九十歳超えということですから、もちろんテクニックの衰えについて問題にしてはいけません。では、この「間」に込められた静けさと濃密な味わいはどうでしょうか。小説ではないけど、行間の美があります。時が到来するまで待って弾く。そんな姿勢が感じられるのです。自分の中で先へ先へと駆り立てる計画はもうないのかもしれません。激情に支配されることなく、この瞬間を噛みしめつつ愛でているようです。映像付きだとよりはっきりと分かるけど、目が全てを語っているようで、音楽を心から愛し、それを他者と分かち合う喜びを感じているように見えます。

 晩年のケンプも孤高と言っていい境地にありました。ケンプの場合は感傷とは縁のない味わいを見せましたが、それとこの人とはちょっと違うかもしれません。などと言うとそれは後知恵で、若いときのボザール・トリオでの演奏を聞いてからそう思ったのです。昔は情緒纏綿という感じでした。同じ間でも思い入れたっぷりに大きく取り、感情に任せてテンポを変化させます。ベースにあるのは元々はそういう感性なのでしょう。しかしここでの演奏はいい意味で枯れており、洗練されています。ヤルヴィにせよラトルにせよ、ビデオを見るとこの人への尊敬の念が感じられます。ピアノ独奏の部分では、ここでのヤルヴィは指揮者の仕事を離れて聴衆として聞き入っているし、団員たちも同じで、自分のパートが休みの間目を輝かせています。別にお世辞ではないと思います。彼らの敬意を引き出したのは、この嬉々とした小柄な老人なのです。

 DVD です。ベートーヴェンの
CDは あまり好みではなかったけれども、このモーツァルトの協奏曲は同曲のベストの一つと言っていいかもしれません。しかも27曲あるうち白鳥の歌の波長を感じさせる二曲がカップリングされています。これらは同じときのコンサートではないようですが、どちらも素晴らしい出来映えです。特に第二楽章にはこの人の持ち味が最大限に現れています。テンポを自在に扱って表現の自由を勝ち得ているところはモーツァルト時代の復興を掲げる古楽の徒ではなく、ロマン派を経験した現代ならではの解釈と言うこともできるでしょうが、この深みは純粋に曲の持つ景色なのだと思えて来ます。情緒たっぷりのクリフォード・カーゾンの新盤にはついて行けないなどと言ってしまいましたが、この遅いプレスラーはお腹一杯になりません。

 パリのサル・プレイエルでのデジタル・ライブ録音は音質面でも優れています。27番は2012年、23番は2014年の収録です。DVD で購入してもフォーマットは PCM ステレオですので、圧縮音源ではなく情報量は
CDと同じです。AIFF や WAV に変換して CD-R に焼けば、CDプレーヤでも聞けます。ドビュッシーの美しい「月の光」も入っています。

*その後出身地でのライブが CD で出ました。どうやらこの23番と27番は彼の十八番のようです。新しく出た方の演奏は、少し若いときのロマンティックな表現に戻ったようにも感じました。第二楽章での間が大きくなっており、DVD ではモーツァルトとしてぎりぎり内側に留まっていたけど、CD では少し境界線を越えてるようです。それはあくまでも好みだけど、個人的には DVD の方をとります。




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