ヘンデル / 水上の音楽
          王宮の花火の音楽

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水上の音楽
 次はようやくヘンデルの一番有名なオーケストラもので、ウォーター・ミュージック、「水上の音楽」です。これとより華々しい「王宮の花火の音楽」が組の ように言われて最も知られており、それから合奏協奏曲とオルガン協奏曲という順番じゃないかと思います。こうした曲に解説が要るかどうかは分かりません が、水上のは王様の舟遊び、花火のは花火大会というわけじゃないけれども花火も上がる戦争終結の祝典での音楽であり、どちらも屋外イベントものということ になります。というわけで人数が多くてブラスも活躍する当時のいわばフルオーケストラ。その中では水上の、の方がどちらかというとしっとりした部分の多い 音楽です。では舟遊びというのはどういうことをするのかというと、夏の晴れた日に、夕食を挟んで王様が特別に仕立てた専用の舟に乗り込んでテムズ川に乗り 出しま す。天蓋付きの豪華なものですが手漕ぎであって現代のクルーザーほど大きな舟ではありません。一緒に乗船を許されたのは厳選された親しい人たちだけで、伯 爵などの男性もいましたが多くは貴族の婦人たちであり、女性が多かったようです。そしてその舟とは別の舟に分乗した音楽家たちが王の舟にくっついて来て、 そばで音楽を奏でるのです。王様はそのために作ったヘンデルの曲を大変気に入ったようです。
 また、曲にまつわるエピソードとして必ず触れられるのは次のような話です: このときの王様というのはジョージ1世のことであり、元々はヘンデルの住ん でいた土地の領主であるドイツの貴族(選帝侯)だったのがお母さんの血筋によってイギリスの王として迎えられたのでした。ヘンデルはイギリスに出かけたま ま帰って来ずでこの人から帰国命令が出ていて無視している状態のときに、今度はその領主の方が追いかけるようにイギリスにやって来たことになり、ヘンデル としては叱られる立場にありました。それでご機嫌取りにこの曲を作ったとされてきたけれどもそれは嘘で、王様は元々責める気なんかなかったということで す。

 華々しい音楽ですが、曲自体が有名であってその中のメロディが一人歩きをしているという感じでもありません。第1〜第3までの組曲になっていますが、こ の中で有名な旋律としては、第1組曲の静かな第5曲「エアー」と第2組曲 第2番の調子の良い「アラ・ホーンパイプ」が単独でよく聞かれるでしょうか。ホーンパイプというのはフォークダンスの形式です。水兵が踊ったりもするので 漫画のポパイにも出てきました。個人的には第1組曲 第2番の美しいオーボエのアダージョが最も好きで、第3番の途中でゆっくりになるアンダンテもいいなと思ったりしています。ということはこの曲の真性の ファンではないことになり、そういう者が選んで来る演奏は真のファンの方々にとってはちょっと違う、となるかもしれません。
 演奏マナーとしてはピリオド楽器の運動が起きる前の伝統的なものとして、今となっては大変遅く、スラーで切れ目なくつないで行くように感じるものが一つ の極、その反対の極が速いテンポをとってスタッカートで隙間を空け、滑らかに歌わせずに切れ上がるようにリズミカルに行く、ピリオド奏法の中でも最も元気 なものということになります。ここではその中間、古楽器の楽団を中心にして、その中でなるべくメロディ・ラインを切らずによく歌わせる抑揚のものを選ぶ結 果となりました。有名な曲だけに古楽のバンドはほとんど全て演奏しており、大体のところは聞きましたので全部を比較するのも手ではあるのですが、好みでな いものの美点を表現するのは骨が折れる作業なので、ほぼ好きなものだけチョイスしました。しかしこうした管弦楽ものはほとんどの演奏が高い水準に達してお り、 無責任ながら案外どれをとっても間違いはないという気もします。

 また、「水上の音楽」などのヘンデルの曲には自筆譜がなく、そのためもあって色々な楽譜の版が存在しています。クリュザンダー版、レートリヒ(ハレ) 版、ハーティ版などですが、それぞれに編纂時期と曲数、曲順などが違っています。現在行われているのはレートリヒ版が多いですが他のもあり、演奏によって はあの曲がないぞと か、順序が違うぞということになります。学問的には細かくこだわるべきでしょうけれども、大雑把に言えば旧ヘンデル全集である最初のクリュザンダー版はド イツの音楽学者、カール・フランツ・クリュザンダー(Karl Franz Friedrich Chrysander 1826-1901)の編纂によるもので、19(20)曲構成です。この方が良いとして現代でもそちらの版を使う演奏者もいます。それに対して1962年 に出た新ヘンデル全集であるレートリヒ版(ハレ版)はオーストリア生まれでイギリスで活躍した音楽学者、ハンス・フェルディナント・レートリヒ(Hans Ferdinand Reidlich 1903-1968)によるもので、全部で25曲あって順序も前者とは違います。このハレという名前はイギリスのオーケストラのことではなく、ヘンデル協 会があるドイツの地名です。こんなことを書いておいてこのページではこの二つの版のどちらを使っているかについて項目ごとに触れてはいません。演奏の違い の方が気になるためにあまり大事に考えておらず、すみません。一方でハーティ版というのはアイルランド生まれのイギリスの音楽学者、ハミルトン・ハーティ (Hamilton Harty 1879-1941)がクリュザンダー版を元に1920年に現代のオーケストラ向きに6曲構成に編曲したものです。曲自体に手を入れてあって楽器も違いま す。紛らわしいですが、この人はイギリスのハレ管弦楽団の指揮者でした。




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     Handel   Water Music
     Jean-François Paillard   Orchestre De Chamble Jean-François Paillard
♥♥

ヘンデル / 水上の音楽
ジャン=フランソワ・ パイヤール / パイヤール室内管弦楽団
♥♥
 水上の音楽の最初の盤はモダン・オーケストラによるものです。といってもさすがに重たい運びのものは川に沈んでしまいそうでこの曲に合わない印象なので、さっぱりと爽やかな夏の水辺の夕方に相応しいものとしてパイヤールのものを取り上げます。これがモダン楽器のものではマリナーの演奏と並んでベストな 気がします。オーボエ・ソロの見事さもあり、個人的には最も好きです。繊細で流れるような美しい表情があります。

 このパイヤール、実は三度録音しています。エラートで60年と68年、デジタルになってからの RCA で90年(BMG)です。エラートのものもアメリカでは RCA として売ってたのか、そういう表示になっているものがあるので紛らわしいです。90年盤は「王宮の花火の音楽」が最初に来ています。この中で60年のものが最も伝統的オーケストラによる演奏様式に近く、音を切らずにスラーというよりもテヌートするようにつなげて行きます。テンポも速くはありません。次の72年のものはテンポそのものが大きく変わったわけではないのですが、拍にメリハリをつけて弾むようにやっており、それが90年のデジタル盤になると、今度はより力が抜けて若干速く進める箇所も出て来るという具合になります。こういう推移はひょっとすると古楽器奏法の普及とともに指揮者であるパイヤール自身もスタイルを少し現代的に合わせてきたせいかなとも思うのですが、他の曲ではこの変化の方向とは全く逆になっていたのでちょっと戸惑います。というのも、パイヤールの代表曲にして彼がそれを世に広めたと言っても良いパッヘルベルのカノンなどは、最初の60年代のものが最も溌剌としてテンポも良く、すっきりと歌わせていて未だにこの曲のベストだと思えるのに、後の再録音のものは過剰なサービスと言えば主観に過ぎないながら、テンポが落ちてより大きな抑揚を付けるようになっているのです。結論から言えば、個人的には水上の音楽に関しては68年のも素晴らしいですが、新しい90年盤、RCA のレーベルになっているものがそれより少し良かった気がします。運びとしてはピリオド楽団のピノック盤などと比べてもあまり違和感はない一方で、第1組曲 二番目のアダージョで吹かれるオーボエが大変見事です。現代楽器らしい細身で表情の豊かな音ですが、ホリガーもかくやという息遣いです。

 1990年 RCA レーベルで音が大変きれいです。弦は痩せておらず繊細で、艶もありながらやわらかく響きます。全体のバランスもベストな状態です。



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     Handel   Water Music
     Neville Marriner   Academy of St. Martin-in-the-Fields '80


ヘンデル / 水上の音楽
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 '80



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     Handel   Water Music
     Neville Marriner   Academy of St. Martin-in-the-Fields '93 ♥♥

ヘンデル / 水上の音楽
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 '93
♥♥

 古楽の分野において、モダン楽器による演奏でいつもいいなと思ってきたのがマリナーの演奏です。速いテンポのピリオド奏法の楽団ほどではないけれども少 し速めで颯爽としており、それでいて滑らかで繊細、過度な表現がなく洗練されていることが多いのです。緩徐楽章ではよく歌わせます。この水上の音楽も同様 で、上記のパイヤール盤と比べて違うのは、パイヤールの方が抑揚の付け方がより流線型というか、撓みしなうように感じるところがあり、弱音での繊細さ、静 けさの方に若干寄ってるかなという気もします。マリナーはもう少し歌が控え目で、パイヤールが優雅だとするなら端正で溌剌とした印象です。どちらも良いで すが、パイヤールのところで述べた通り、第1組曲二番目のアダージョのオーボエなどにおいてより個性が感じられるところが個人的にはあちらの方が若干好み かなという感じでした。結局そこしか聞いてないのかと言われそうですが。

 問題はマリナーの場合、録音の数が多くて迷うということです。手に入るもので古い方から行くと1971年録音のアーゴ/デッカ盤、80年のフィリップス 盤、88年の EMI 盤、そして93年のヘンスラー盤です。ここまでやるのかと思うほどですが、パイヤールも三回でしたし売れるのでしょう、それだけ皆が喜んで聞く有名曲だと いうことです。そしてこの水上の音楽についてはマリナーの演奏、どれも表現上の狙いは全くぶれずに同質であり、良く出来ていて互いに似ているので選ぶのが 難しいのです。音色もどれかが特別録音が悪いということもなく、楽団員がソロを演奏するので、どれかの盤の管だけが特に上手いというような違いもありませ ん。したがってここではコンディションの大変良いフィリップス盤と一番新しいヘンスラー盤を取り上げます。フィリップスは潔く水上の音楽だけなのが良く、 ヘンスラーの方は二枚組で「王宮の花火の音楽」はもちろん、管楽器が活躍する作品3の方の合奏協奏曲がアイオナ・ブラウンの指揮でカップリングされていま す。95年録音のその合奏協奏曲も良い演奏なのでお得感があります。オーボエのソロについてはどちらも悪くないですが、飾りの入れ方などの違いでヘンス ラー盤の方が若干好みでした。音についてはフィリップスは弦が繊細でハイが伸びた印象なのに対して、ヘンスラーの方は少しおとなしくて生っぽい自然なバラ ンスです。



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     Handel   Water Music
     Trever Pinnock   The English Concert ♥♥

ヘンデル / 水上の音楽
トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート
♥♥
 やはりこれがいいかもなどと言うと、なんだいつまで経っても結局ピノックか、と言われてしまいそうですが、この演奏、誰かの後塵を拝することにはならな いようです。コレッリの合奏協奏曲も結局この人たちのを一番に挙げてしまいました。
 昔のことながら、知識自慢をせずに楽しそうにやってる FM のバロック番組があり、故人になられた皆川達夫氏ら解説者がこぞってピノックの演奏を絶賛するという時代がありました。ちょうど彼の一連の録音が世に出て 来た頃だったと思います。古楽器奏法の中でも生きいきとして情緒豊かなスタイルは大変魅力的だったのです。以来この見方は世に定着しましたが、横に並ぶ演 奏が色々出る中で、単なる権威主義でなくその輝きは今も失われないのです。

 演奏のマナーとしては、メロディの流れを断ち切ることなく流動的に、柔軟に歌わせます。ゆったりの楽章だけでなく、少しテンポの良い部分でも目立った歌 のあるところでは流れを感じさせます。それは品良くおっとりとしていながら敏感であり、爽やかさを感じさせるものです。イギリス流という風に言ってしまう と単純ながら、モダン楽器のマリナー/アカデミー室内管の洗練とも共通するところです。マリナーの印象がちょっと速めのテンポであるのに対してピノックは むしろゆったりの感覚がありますが、実際に比べるとそういうことはなく、どちらが速いというわけでもありません。それはマリナーの方がモダン・オーケスト ラの割に、ピノックの方が古楽器オーケストラの割に、という但し書きが頭の中に先にあるからかもしれません。ただ、ピノックの演奏はモダン楽器による演奏 に慣れた耳にも抵抗が少ないとはいえ、ピリオド奏法的な特徴は持っています。それは弦で拍を刻むところなどによく表れており、リズム感良く切れるので軽く 感じるものです。ちょっと跳ねる感じがあり、それが絶妙の案配で曲に彩りを添えています。歌のある部分では浮き沈みがやや強い抑揚でもあります。それと、 古楽器は弦の音色が決定的に違います。少し線の細い輝きで繊細であり、ピリオド奏法特有の、一音の弓の途中を撓ませるようにして強めるあの作法も心地良く 響きます。加えて1番の二曲目などで活躍するソロのオーボエも、パイヤール80年盤の個性とは違いますが歌心のあるものです。

 1983年アルヒーフの録音です。デジタル初期ながら、親会社の DG がときにそうなることがあるような硬く張った音ではなく、この古楽レーベルらしいもので細身のバロック・ヴァイオリンの音を良く捉えながらバランスの取れ た好録音です。オリジナルは水上の音楽だけですが、後の盤には王宮の花火の音楽(84年録音)と組み合わせた OIBP リマスター盤もあります。王宮の〜が入ってないオリジナルで OIBP とは表記されないリマスター盤もあるようです。



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     Handel   Water Music   Suite from "Il Pastor Fido", HWV 8c (VersionUfrom 1734)
     Jeanne Lamon   Tafelmusik Baroque Orchestra ♥♥

ヘンデル / 水上の音楽
「忠実な羊飼い」組曲 HWV 8c
ジーン・ラモン / ターフェルムジーク・バロック管弦楽団
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 ピリオド楽器による演奏の中で、その癖が最も少ないのがカナダのヴァイオリニストで指揮者のジーン・ラモンが率いるターフェルムジーク・バロック管弦楽 団の演奏でした。弦の音のきれいさは格別で、ピノック盤とどちらか迷うところですが、マイ・フェイヴァリットという観点ではこっちかもしれません。
 古楽器演奏風の癖というのは、一続きのフレーズの最後の音を延ばさないことや、少し速く歌ってスタッカート気味に跳ねるようなアクセントを付ける作法の ことです。そういうのはスパイスになる上自然にやると大変良いもので、もはやこのムーヴメントも定着してすっかり慣れてしまった感がありますが、やり過ぎ るとやはりメロディ・ラインが途切れがちになったりします。このターフェルムジーク管の演奏は前述のモダン楽器楽団、アカデミー室内管のと比べても歌わせ 方にさほど差のないものであり、軽快なところもあって大変安らげます。この楽団はいつもそんな特徴があるのですが、この曲については特にあの穏やかな節回 しのピノックと比べても自然な歌わせ方をしています。そしてこの盤、何よりもバロック・ヴァイオリンの流れるような弦が大変美しいのです。録音の加減もあ るのでしょうか。細身の艶のあるあの音ですが、他の古楽楽団のものの中にあってもこの瑞々しい弦のバランスは特筆に値します。金管の音もまろやかで、ア ラ・ホーンパイプも軽快に弾みます。全体に耳の快楽です。

 レーベルはソニーで1995年の録音。音は申し上げた通り大変良く、古楽器楽団によるものとしては一、二を争うと思います。弦の音色のバランスとしては 一番良好で、傾向は違うけど他に良かったのは次のガーディナー盤、コープマン盤でしょうか。このターフェルムジーク盤のカップリング曲はオリジナルの輸入 盤は「忠実な羊飼い」序曲(もしくは組曲) HWV 8c です。同名のオペラに付随する音楽で、序曲としては長く、本来はそのオペラとは関係のない管弦楽の組曲だったのではないかという説もあるようです(オペラ の中には美しいメロディでそれだけ取り出されて演奏される「メヌエット」もあるものの、この組曲には入っていません)。そしてピノック盤にもこれが組み合 わされたものがありましたが、水上の音楽とは大変波長が合い、カップリングとしてはベストな気がします。まるでコレッリのクリスマス協奏曲を思わせる音遣 いの牧歌的な曲です。水上の音楽より良いぐらい、とまでは言いませんが。そんなわけで通しで聞くと至福を感じるのに、国内盤はなんということをしてくれる のでしょう、これを切って「王宮の花火」に差し替えています。でも仕方ないのです。ドンパチの王宮は有名曲で皆が欲しがります。それと実は、このラモン& ターフェルムジークの「王宮の花火の音楽」、同曲の中で最も節度のある、それを聞くならこれというぐらいのきれいな演奏なのです。どうするべきでしょう、 国内盤か、輸入盤を取り寄せるか。 



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     Handel   Water Music
     John Eliot Gardiner   English Baroque Soloists

ヘンデル / 水上の音楽
ジョン・エリオット・ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

 ピノックと常に比べられるのは同じイギリスでホグウッドとガーディナーです。ホグッドは水上の音楽ではもう少しリズムに癖があって短く弾むような活気が 感じられ、オーボエなどにも装飾が多い印象ですが、この人もハイドンの朝・昼・晩ではピノックより気に入っていたりして、常に誇張し過ぎない優雅さを感じ させるお気に入りの演奏家です。ベートーヴェンの初期のシンフォニーなんてベストじゃないかと思います。この曲もピノックと比べて決して劣ることなどあり ません。音楽学者としての考証に基づく大変根拠のある演奏のようです。
 もう一方のガーディナーですが、そちらの盤も水上の音楽としては傑作じゃないかと思います。ピノックのやわらかな歌に対して、ガーディナーは若いときか らそのキャリアのほとんどの間、比べれば出過ぎず、より端正だった印象があります。ともすると楽譜に忠実で思い切って個性的に歌わせるところが少ないよう にも言われがちですが、無表情なのではなく、非常に微細な仕方で独特の洗練された抑揚を聞かせます。後にはより大胆な面も出すようになり、深い宗教的な感 情も聞かせるのですが、この水上の音楽は1991年で彼が四十八歳の時の録音ですから、はきはきしていながら端正で完成度の高い音を聞かせてていた時期だ と言えるでしょう。他の時期の録音もありますが、この方が却って個性的だとも言えるでしょう。

 フィリップスの録音であることがこの盤の大きな魅力でもあります。明るさと弦の艶がありながら自然さも失いません。ターフェルムジーク盤と並んで、バラ ンスは違うけれども古楽ではベストな録音かもしれません。



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     Handel   Water Music
     Akademie für Alte Musik Berlin


ヘンデル / 水上の音楽
ベルリン古楽アカデミー
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 これは生きいきした演奏です。東西統一前に東ベルリンで設立された古楽器アンサンブル、ベルリン古楽アカデミーです。ブランデンブルク協奏曲をはじめ 数々の名演奏で有名な楽団ですが、表記でその頭に付くことがあるゲオルグ・カールヴァイトというのはコンサート・マスターの名前です。エージ・オブ・エン ライトメント管と同様指揮者を置かない団体なのです。演奏様式としては大陸側ドイツの楽団らしく、くっきりとしたピリオド奏法特有のアクセントは持ってい るものの、エキセントリックに様式を強調しようという意図は感じられないこなれたものです。今やそういう意識自体が時代遅れな感じですが、この人たちの演 奏で常に感じるのは、全員が同じ呼吸をしているかのように一つにまとまった意志を表しているということです。技巧的な意味で上手だと言えば簡単ですが、拍 の頭が時間的に揃うというような次元ではなく、音楽を奏でる心の動きのようなものまでもが等質で、大変納得の行く形で独特の一体化した歌を聞かせてくれる のです。全体としては軽快で速めのテンポを取っており、スタッカートももちろんありますが、それらを消化して有機的な、つながった流れを出してきます。部 分ごとに言うならば、ゆったりな歌の部分は滑らかにデリケートな抑揚を付け、速いところではリズム感が良く、その両者が切れ目なくつながります。正に joy の感覚でしょうか、きびきびはきはきして喜びに溢れ、しなやかです。これほど心地良く乗れて美しさも感じさせる演奏は滅多にないと思います。

 ハルモニア・ムンディ2015年の録音は分解が良く、角が尖るほどではないけど明るく明晰な弦で倍音が繊細です。決してオフではないながらしなやかさも 感じられます。



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     Handel   Water Music
     Ton Koopman   The Amsterdam Baroque Orchestra

ヘンデル / 水上の音楽
トン・コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団

 イギリスの古楽バンドが穏やかによく歌わせ、リズムの切れもテンポも中庸なのに対して、大陸側のはより過激なアクセントで演奏するという一般的な理解が あるようです。効率的な分類で分かりやすいですが、でも一概には言えないような気もします。その場合の大陸側というのはアーノンクールやコープマン、ブ リュッヘンとクイケン兄弟たち、ゲーベル、フランスのカフェ・ツィンマーマンとかイタリア勢のいくつかの楽団のことでしょうか。アーノンクールは尖った四 季など、確かにそういうところがありましたし、78年のこの「水上の音楽」でもホルンにフラッタータンギングという、震える音で吹かせ続けるという大胆な 仕掛けで挑戦しています。しかし主に晩年と言えるのかどうか、しっとりと自然に歌わせる宗教的な曲や思い入れたっぷりのドヴォルザークもやった人です。ク イケン兄弟たちも運動の初めの頃のソロや少人数の曲では尖ったアクセントが聞かれますが、室内アンサンブルでは案外誇張のない素直なのも多かったし、ブ リュッヘンも晩年に指揮したものではしんみりとしたお別れの挨拶も聞かれました。

 そしてこのオランダのコープマンですが、この人にも簡単には割り切れない二つの面があるような気がします。確かに多くの曲でリズムがかなり弾み、切れ良 く駆けるので敬遠することもあります。その一方でバッハの G 線上のアリア(旧盤)など、これ以上ない繊細な歌わせ方は他を寄せ付けなかったりもします。この水上の音楽については独特の優雅にたゆたうところが感じら れます。出だしの一曲などどうでしょうか、どの盤よりもやわらかな抑揚をしっかり付けてゆったりと静かに始めています。全体にはリズム・セクションの拍を くっきりと区切るところもあり、軽快なテンポの部分も多く、特に飾りの多さに特徴があるのですが、それでも何か色気のようなものを感じさせます。色気と いっても格別セクシュアルなものではなく、ユリア・フィッシャーが時折出して来ることがあるロマンティックな恋愛感情のような種類ではありません。弱音を 駆使し、もっと静謐です。コープマンというのは元来が繊細な感性の人なのではないでしょうか。大陸的な古楽のアクセントがあっても挑戦的な感じが一切しま せん。アラ・ホーンパイプなど、切れとやわらかさのバランスが見事です。

 エラート1992年の録音です。ガルサンの時代ではなくワーナー傘下に入る頃ですが、これもこのレーベルらしい見事なバランスの録音です。弦は繊細な倍 音を響かせつつ前に出過ぎず、自然なやわらかさを感じさせて少し軽めのきれいな音です。ターフェルムジーク、ガーディナーと並んでピリオド系では最も良い ものの一つと言って良いと思います。



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     Handel   Water Music   Music for the Royal Fireworks
     Hervé Niquet   Le Concert Spirituel

ヘンデル / 水上の音楽 / 王宮の花火の音楽
エルヴェ・ニケ / ル・コンセール・スピリチュエル

 こちらはいわばハードからの攻めの姿勢の、考証に秀でた演奏です。新しい学問的な成果を踏まえてヘンデルの時代にはこうやられていただろうというアイ ディアを形にしています。そういう方面に好奇心のある方にとってはまたとない一枚でしょう。フランス人とフランスの古楽バンドによるもので、ホルンやトラ ンペット等のホーン類の仕様に限らず、オーボエなども当時の形のものをわざわざ多数造らせて吹かせています。
 その結果大変面白く、今まで聞いたことのない音がします。オカリナみたいなフルートが聞こえてきたり、どの楽器がどれか、編成が違うのではないかと思え るほど不思議で分からないところもあります。管の類は平均率ではないそうで、合わさった和音の響きが独特です。楽器の扱いが難しいだろうということだけで なく、音色の点でも音のずれが感じられるのですが、合っているところはそんな音律特有というのか、ホーンが大変きれいであり、その面のこだわりも意義があ ることだと思います。ジョージ1世は舟の上からこんな響きを聞いていたのでしょうか。時折サーカスのラッパのように聞こえてしまうと言ったら顰蹙を買うこ とでしょう。 

 一方で楽器や編成などの形式の部分を除いて、どう抑揚を付けているかという表現の面に目を向けると、敢えてじっくりメロディを歌わせずにさっと流した り、小節の後半、特に最後の音に捻り上げる強調を置いたりする古楽のアクセントが施されており、音に酔うよりも覚醒の方へ向かう意識の傾向を感じました。 静かに歌う部分でも直線的に聞こえます。そういうアーティキュレーションがそのまま当時の習慣だったのかどうかは分かりません。こだわっているのだから恐 らくそうだったのでしょう。ただ、歴史的検証とて学問の世界は常に新しい仮説を必要としますから、知に働くものは知の挑戦を受け、何年か経ったらまた違う 解釈が出て来るかもしれません。それでも静かなパートでは力を抜いて流しつつ、撓ませる古楽のボウイング等によってそよ風のような吹かれ感が心地良いとこ ろもあります。これでなければ味わえないホーンのきれいな響きも聞けます。

 全体では100人という大掛かりな人数だそうで、川遊びのときは50人と言われていなかったでしょうか。そのあたりのことも解説する力がありませんが、 ここまでするなら響きの良いホールを使わず、実際に屋外でやるというのはどうでしょう。テムズ川は飛行機や自動車の騒音で無理だとしても、どこか郊外を流 れる大きめの川の上で実際に舟を浮かべてやってみたのを聞いてみたい気がします。王様たちの喋り声もドイツ訛りに加えて当時のイントネーションの貴族の英 語を役者にやらせてブレンドし、時々舟の位置を調整するオールの水音が聞こえたら臨場感たっぷりでしょう。この演奏のように学究的な方向とちょっと似たも のがロトとレ・シエクルの「幻想交響曲」でも見られましたから、フランスの最近の世代はこういうリアリズム傾向なのでしょうか。古楽の世界が特にそうなの かもしれません。

 カップリングは鳴り物入りの登場でと言うとネガティブな含みが出るでしょうか、お待ちかねの「王宮の花火の音楽」です。これは人数も人数で見せ物感満点 であり、この曲らしい華やかな響きが好きな方にはうれしい企画でしょう。当時のイベントも屋外で、式典の花火は失敗だったようですがさぞかし賑やかだった ことと思います。ここでも軍隊か警察か分かりませんが、まるで大きなブラスバンドの行進のようであり、あるいは近衛兵の屋外演奏みたいな音です。少し遠め で、それにしてはホールトーンが乗るので室内と分かるわけですが。
 最後におまけでハッピーバースデイ・トゥー・ユーをやりますが、ここが一番楽しそうでいい雰囲気です。楽団の発足十五周年記念のようです。

 レーベルはスペインのグロッサ・クラシクスで2002年の録音です。演奏と企画の意欲の高さに対して音自体は落ち着いていて音像が少し奥まってます。き つい音ではないのが良いと思います。前述の通りよく響きますが、距離感からか光溢れる戸外で聞いているかのような印象があります。

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王宮の花火の音楽
 前の CD でコンセール・スピリチュエルの演奏が凄いよ、という話でカップリングの「王宮の花火の音楽」についても触れました。そこでその曲についても少し触れてみ ます。マカベウスのユダ同様、勝者の入場のようなこういう曲想はヘンデルが最も得意とするところですが、わざわざは滅多に聞かない曲であり、あまり豪快な のは個人的には敬遠すると申し上げました。二曲目とお終いから二番目の二曲は静かめですが、他の部分はご家庭でもお気軽に楽しめますと言える感じでもな く、マフラー直管のような元気な音響だと怯んでしまいます。そんなわけで上記の一枚を除いてはここで取り上げるのはおとなしい演奏です。因みにこの曲にも 「水上の音楽」同様の様々なスコアの版があります。しかしそれにしても祝賀行事や王族の遊びなど、華やかな場面での要求に合わせてぴったりの曲を用意する ヘンデルの能力は大変なものだと思います。

 イギリスに有利な条件で決した戦争終結の式典(したがって嬉しい)で使われた音楽であり、花火を打ち上げる予定だったけど失敗に終わったという話はすで に書いてしまいましたので、知ってることはもうあんまりありません。しかし「王宮の花火」でどうしても気になってしまうことが一つだけあって、それはモー ツァルトの 「音楽の冗談」に似た部分が出て来るということです。「音楽の冗談」K.522 はご存知軽乗りのウルフィが下手な音楽家を茶化すために書いたものだとされてる曲ですが、途中で音程がずれて失敗します。その第二楽章部分の頭から少しの ところに出て来る反復を伴った下降音のところが、「王宮の花火の音楽」の3曲目 La Paix の冒頭から30秒ぐらいのところに来る展開部の、ハ長調にすると「ソー・ラソラソ、ファー・ソファソファ、ミー・ファミファミ・レー」に聞こえる部分のパ ロディーに聞こえて仕方がないのです。モーツァルトの方は音程がずれてる設定なのでその通りの音ではないのですが、そっくりじゃないでしょうか。特に難し い楽器で吹かせているニケ盤などは一瞬「冗談」のフレーズかと思ってしまいました。モーツァルトは頼まれてヘンデルの曲を何曲も編曲したことがあり、ヘン デルについてはよく知っていました。誰もそういうことを言わないようですが、オーストリア継承戦争終結の華々しい式典でへまをやらかしてる演奏者を想像し て楽しんでる悪戯天使のモーツァルトが浮かんで来て困ります。



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     Handel   Music for the Royal Fireworks
     Jeanne Lamon   Tafelmusik Baroque Orchestra


ヘンデル / 王宮の花火の音楽
ジーン・ラモン / ターフェルムジーク・バロック管弦楽団
♥♥
「王宮の花火」を聞くならこれです。最も美しい響きで、歌わせ方が洗練されていてやかましくなりません。全くもって個人的な意見ですが、これだったらかけ ておいてもむしろ気分が良いのです。他にも大変元気というわけではない演奏はいくつかあって、特にモダン楽器の楽団によるものがそうかもしれないですが、 それらでも良いとは思います。しかしこのターフェルムジーク盤は「水上の音楽」もそうでしたが録音バランスも大変良いです。

 ソニー・クラシカル1997年録音です。カップリングは二重協奏曲第1〜3番(全曲)HWV 332 - 334 です。 



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     Handel   Music for the Royal Fireworks (arr. Hamilton Harty)
     André Previn   Pittsburgh Symphony Orchestra


ヘンデル / 王宮の花火の音楽(ハミルトン・ハーティ編曲版)
アンドレ・プレヴィン / ピッツバーグ交響楽団

 こちらはハーティ版というモダン・オーケストラのための編曲による、モダン・オーケストラの演奏です。とても同じ曲とは思えないほど滑らかで静か、メロ ディアスな曲になってしまっていて驚きます。でもこの編曲でないにせよモダン楽器の昔の演奏はどこかこうしたのんびりムードがあったもので、古楽器奏法運 動が巻き起こってからなのです、ああいう元気の良い音響になったのは。このプレヴィンの演奏はそんな中でも、またハーティ版による演奏の中でもおっとりと 優雅で心地の良いものです。今や却って新鮮になりました。

 1982年のフィリップス録音で、カップリングは「水上の音楽」。そちらも同じ波長の演奏ながら、特に滑らかな歌によって「王宮の花火」ほど驚くという ことはありません。



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