バイレロ 〜 オーベルニュの歌
クラシックのレパートリーにある歌ものたち 1

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 クラシック・ファンが聞く歌ものというと、昔からの宗教曲を除けば、オペラとドイツ・リートが大きな柱でしょう。発声という点でもまた二つは両雄という感じで並び立っています。でも実はどちらもあまり熱心ではない方なので、これまでこのページではあまり多くは扱っていませんでした。そこで番外編的に、カテゴリーからは外れているけれどもクラシックの歌い手と聴衆たちの間でレパートリーとなっているようなものを少し取り上げてみようかと思います。

 まずは「オーベルニュの歌」です。これ、27曲ある民謡集なんですね。フランスの南の方のです。牧歌的でどこか郷愁を覚えるような、美しくも楽しくもある曲集です。中でも「バイレロ」は有名で、多くの歌手たちが競って歌って来ました。出だしで野の空気が流れるようなストリングスに乗ってオーボエがトレモロではためくと、それだけで懐かしさにうっとりとしてしまいます。これはベルリオーズの「幻想」に出て来るアルプホルンによるラン・デ・ヴァッシュ(牛追い歌)の吹き交わしと同じです。羊飼いの笛なんでしょう。そしてそこからソプラノの高く澄んだ声がのびのびと訴えて来ます。なんと心躍るきれいな歌でしょうか。

 曲が広まった経緯ですが、演奏する側としては、編者のジョセフ・カントルーブという人(1879-1957) がクラシックの作曲家でもあるという点で、恐らくこの分野に入って来たものだと思います。1924年の初演の後、一気に人気が出ました。ヨーロッパのみならず、アメリカでも大変好まれているようで、ここで取り上げる CD もアメリカのレーベルのものです。一方で聞く側としては、そうやって多くの歌手たちが歌って録音も出し、それを受けてコンサートのみならず、音楽雑誌などの媒体を通じてより広く聞かれるようになって行ったのでしょう。自分の場合もお世話になった恩師のような方が自宅に呼んでくれ、レコード盤に針をプツンと置き、キャンドルを乗せた大きなタンノイの自作スピーカーを自慢しつつ「これはどうだ」と聞かせてくれたのが始まりでした。とうの昔に亡くなられてしまいましたが、懐かしい思い出です。人の一生なんて、あっと言う間かもしれません。そしてかような具合に、広く親しまれて久しい音楽というわけです。

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オーベルニュ地方の特徴

 曲は羊飼いと農民の民謡を集めてオーケストラ伴奏付きの編曲をしたものであるわけです。その民謡の地、オーヴェルニュ地方はフランスの真ん中よりちょっと下の方(リヨンより西)に位置します。クレルモン=フェランが中心都市であり、クレルモンと言えば十字軍を呼びかける会議が行われたこと、ミシュランの本社があることなどで知られています。辺り一帯はフランスの中央高地となっており、険しい火山性の峡谷が見られます。1000メートルぐらいの高原と、もっと高い山々に囲まれていて、昔は荒れ地とも呼ばれた風光明媚な土地です。乾燥していて暑いけれども水も豊富であり、ミネラル・ウォーターの「ヴォルヴィック」の給水地としても有名で、温泉もたくさんあります。

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ケルトとオック語

 この地域はブリタニー(ブルターニュ半島)と並んでケルトの名残りがあるとされるところです。ケルトというのは少し前から流行りのキーワードにもなっているでしょう。古代ローマとゲルマン民族に追いやられた人たちで、同化したことでその習慣もほぼ消えてしまった古い民族です。編者のカントルーブはこのオーベルニュ地方の出身であり、自らの伝統をなんとか残したいという気持ちもあったのだと思います。その地域の民謡はケルトとともにムーア(南欧のイスラム文化)の影響もあるとされる固有のものです。そして言語もまた固有であり、オック語によって歌われているのです。オック語は共用のフランス語とは違います。どちらもラテン語起源ではあるものの、ロワール川以南、最南端のバスク語とカタロニア語の地域を除く南フランスの言葉であり、カタロニア語には近いとされます(厳密にケルト起源に分類される言葉はブルターニュにしかありません)。そして、これではない北側の、ゲルマン民族であるフランク王国配下で発達したオイル語の方が現代フランス語のルーツとなりました。オイル、オックという呼び名は、「はい」を表す言葉から来ています。つまり、「ウィ Oui」はオイル語の「オイル Oïl」が変化したもので、南部では「オック Oc」と言うのです。ワインが好きな方ならご存知の「ラングドック」(・ルーション) 地方産というものがありますが、あれは「オック語(の地域)」という意味です。フランス政府は方言への標準化圧力が強いことで有名であり、若者のインターネット言葉が英語になるのを嫌がって公的機関が造語をしたりもするところですが、オック語も禁止こそされず、街の標識に一部出てたりもするものの、様々な統制の対象です。カタロニアのように独立運動をされたのではかなわないのでしょう。

   josephcanteloube
     Joseph Canteloube

民謡蒐集と編曲の時期

 カントルーブは1907年には集めた歌を発表しています。集めていた時期は三十年ほどのようです。編曲作業は1920年代初め頃から30年まで行われ、初演と最初の出版は1924年、その後1955年までで全曲の楽譜が揃いました。元々の民謡は羊飼いの笛やバグパイプなどとともに歌われる単純なものですが、カントルーブは印象派にも近い凝っオーケストレーションで伴奏を付けました。歌謡的な曲の部分と、踊りをともなうブーレの部分とがあります。


バイレロの詩
 以下に最も有名な歌である「バイレロ」の訳詞を記してみます。オーベルニュ地方の羊飼いの歌です。オック語で歌われていて、この言葉が珍しいので原語からの翻訳は難しいです。翻訳サービスを使ってフランス語に設定してやってみるとおかしなことになります。ですので英訳からですが、それもちょっとずつ異なったものが複数あり、著作権によって転載不可なものが多いので、色々な訳を参照しました。昔の日本語版の LP も持っていて、そこには丁寧に訳詞が載せられているのですが、それをそのまま記すわけにも行きません(手持ちの CD は輸入盤なので日本語はないものの、最近のリマスター盤には全曲分があるようです)。それと、全く違う内容のもので「羊飼いさん、ウサギ見た? 見た以上さ、もう捕まえちゃったよ。じゃその毛皮で何作ったの? コートだよ。耳は手袋、尻尾はトランペットさ、買いたいならもってくよ」という内容のものも見受けられますが、それはカントルーブ編のバイレロではなく、この地方の羊飼いたちの間で最も一般的な歌だということです。なお、下記の訳詞の括弧の中は異なった英訳のものです。状況としては、その文面とフランスの民謡だという観点から、恐らく羊飼いに呼びかけているのは村の女の子だろうと想定しています。同じく「バイレロレロ」で対応している「牧歌」の方の歌詞では男女の愛を扱ってますから、間違いないでしょう。替え歌じゃないけど、活発でお転婆なハイジがやきもち焼きで純朴なペーターを誘惑してるのでしょうか。同じフランスの民謡「月の光に」みたいに解釈するなら、川のこっち側で出会った後、二人には何かいいことがあるのかもしれません:

 川の向こうの羊飼いさん、
 あなた平気でしょ(あなた楽しくないんでしょ、)
 歌いましょうよ、バイレロレロ。
 私も平気だけど、(私も楽しくないの、)
 それであなたは歌うの(あなたも歌えばいいのよ)
 バイレロレロ。

 羊飼いさん、野原は花が満開よ、
 あなたの羊たちをこっちへ連れて来てよ、
 歌いましょうよ、バイレロレロ。
 こっちの野原は草がいいわよ、
 バイレロレロ。

 羊飼いさん、小川が私たちの間にあるわ、
 私は渡れないの、
 歌いましょうよ、バイレロレロ。
 待って、私が下流へ案内するわ
 バイレロレロ




   songsofauvergne
     Canteloube   Songs of the Auvergne
     Netania Davrath (s) ♥♥
     Orchestra conducted by Pierre de la Roche


(カントルーブ編)オーベルニュの歌
ネタニア・ダヴラツ(ソプラノ)♥♥
ピエール・ド・ラ・ローシュ指揮の管弦楽団

 さて、CD ですが、色々聞いてはみたのですが、これ一択です。というのは全くの主観だけど、同じ意見の人もいっぱいいるようですから少し気が楽です。クラシックの分野の歌い手さんということで、有名なオペラ歌手などがたくさん録音しており、その道のプロなので上手いに違いありません。でも、音程と呼吸コントロールが正確なのは必須要件だとしても、お腹の底から胴全体に共鳴させる金色のビブラートで歌われると、何か違うぞということになってしまいました。南仏の牧童の民謡なので、素直に歌ってほしかったのです。

 ソプラノのネタニア・ダヴラツの盤です。この歌曲集の全曲盤としては最初の録音ということになります。単発の曲としては、ラヴェルが自作の曲の初演を頼んだマドレーヌ・グレイの1930年の録音が最初だったようですが、こちらは1963年と66年の収録です。新しくはないけれど、ステレオでコンディションも悪くなく、オーケストラ部分も箱鳴りするような時代でもなくて良好です。音的には何の問題もないでしょう。そして全くオペラティックじゃない歌唱が見事です。海外でも distinctly un-operatic と褒められていて、やっぱり同じように感じる人もいるんだなと思いました。きれいに澄んだ高い声質で、大変清楚に、チャーミングに歌って行きます。媚びもしません。三十代に入ったばかりの頃です。羊飼いの少年を誘惑するならこういう声でなくてはいけないでしょう。少年かどうかは知りませんが。技術的にもしっかりしており、ふらふらした地声とかでは全くありません。古楽の世界のソプラノには清らかなノン・ビブラートで宗教曲を歌う人もいますが、オーベルニュの歌の録音ではまずもってダヴラツなのであり、決定版という言葉は使わないにせよ、結局この盤に戻って来るわけなのです。

 1931年生まれで87年に亡くなっています。ウクライナ出身のユダヤ系のソプラノです。のちに国を移ってイスラエル人となりました。オック語で歌ってるということで、正確な発音は分りません。でも彼女はマルチリンガルな才人であり、言葉に強いという意味でも適任でしょうか。他にもたくさん録音をしているようだけど、このオーベルニュの歌はこの人の代表作です。来日もしているとのことだけど、指揮者についての詳しいことは分かりませんでした。オーケストラも彼のオーケストラみたいに読めないこともないものの、全曲同じメンバーかどうかも分かりません。音はフレンチ管独特のものがあります。

 レーベルはヴァンガード・クラシックスです。録音・原盤はそこで、他にも色々リマスターされて出ています。日本のグローバル・カルチャー・エージェンシーからも XRCD 盤がわりと最近出たようです。そちらは持ってませんが、XRCD に関しては、ジャズについては今まで音の良いものが多かった印象です。



   carolynsampsonauvergne
     Canteloube   Chants d’Auvergne
     Carolyn Sampson (s) ♥♥
     Pascal Rophé Tapiola Sinfonietta

(カントルーブ編)オーヴェルニュの歌
キャロリン・サンプソン(ソプラノ)♥♥
パスカル・ロフェ / タピオラ・シンフォニエッタ
 オーヴェルニュの歌をやってほしいソプラノの一人だったこともあり、待ってましたという感じでキャロリン・サンプソンの録音が出ました。1974年生まれのイギリスのソプラノで、オペラも歌うけれども主には古楽系の歌手と言って良いのではないでしょうか。バッハのカンタータなどを聞かれる方は鈴木/BCJ盤での数々の名唱を覚えておられるかもしれません。有名な82番やコーヒー・カンタータをはじめ、多くの曲に登場して楽しませてくれました。このオーヴェルニュの歌は2020年の録音です。しかしながら、しばらくこのページではネタニア・ダヴラツ一択で他は要らないと書き、取り上げていませんでした。ダヴラツは派手に声を震わせず、オペラ的でない清楚なところが他に代え難いからで、サンプソンは元々完全なノン・ビブラート唱法ではないところもあるためか、この曲集では気に入っているバイレロなどで目立つけれども、少しそのビブラートの音程振り幅が大き目だったのです。バッハのカンタータではロングトーンの最後の方に少しかける程度だったのに、こちらはバロック音楽じゃないからでしょうか。20世紀になってから編纂された曲集とはいえ民謡ですから、典型的なオペラのスターが歌うようなのは違うと思って来たわけで、そういう意味では全然、金色の声でびろびろとしたものではないものの、多少艶っぽい気はします。

 でもどうしたことでしょう、何度も聞いているうちに慣れて来て気にならなくなってしまいました。というか、声の質は伸びがあって大変良く、透き通って清潔です。そしてここが大事なのだけど、何よりも表現力が豊かなのです。アリア的に静かで牧歌的な「バイレロ」における芯のあるクリアネス、反対に弾む曲での無類のリズム感の良さとおどけた軽やかさも良く、楽しくて魅力的だなと改めて思わされました。また、こけおどしではないダイナミックな振幅もあります。7トラック目に当たる短調の「捨てられた女」におけるこみ上げて来る深い情感には圧倒されました。シンフォニックな音響も見事です。このアルバムの白眉でしょう。ビブラートビブラートと言っている場合ではないかもません。全体に伝わって来る波長も清潔で良く、もはや文句のつけようがありません。素直な歌唱で「バイレロ」が美しいのがダヴラツ盤、陰影のある表現力によって「捨てられた女」の素晴らしいのがこのサンプソン盤、としておきましょうか。

 そして2020年と新しい録音だけあって、音が全く素晴らしいです。オーケストラは細部まで聞こえてきつくならず、解像度が高い印象なのに心地良い艶があって自然です。タピオラ・シンフォニエッタは1987年創立のフィンランドの楽団で、パスカル・ロフェは1960年パリ生まれの指揮者です。この録音、声とのハーモニーも美しく、溶け合う響きにうっとりとしてしまいます。BCJ のバッハのカンタータと同じくレーベルは BIS で、したがって SACD ハイブリッド盤でもあります。個人的にはダヴラツ盤に代わってこちらをかけることが多くなりました。ほとんどの方にとってこれこそこの曲集のファースト・チョイスとなる録音ではないでしょうか。