アルビノーニのアダージョ
         バロックの名旋律1


   canalvenezia

アルビノーニのアダージョ
 バロック音楽というものが一般に聞かれるようになったのは20世紀も半ばを過ぎたあたりからで、ヴィヴァ ルディの「四季」が大人気となりました。レコードがステレオになった60年代からはブームも本格的になって来て、日本でいわゆる「朝バロ」と呼ばれる類の FM 放送が始まったのもこの頃でしたが、時を同じくして丁度1962年に公開された摩訶不思議な映画がありました。カフカの「審判」です。主人公がある朝目覚 めた途端に身に覚えのない罪で告発され、不自然な保釈状態の中で混沌と日常を送り、最後は突然に処刑されるという、小説ではすでに有名だったものです。解 釈は本人の女性関係説、社会批判説、不条理説、原罪説、フロイト説、テキストの自由から解釈不能説など何でもありで、広い意味で無意識を恐れる自我意識だ とも言えます。正解があると思うから迷うのでしょう。監督は「第三の男」で有名な俳優でもあるオーソン・ウェルズ。夢の中のようなモノクロ映像を展開して います。この映画、アカデミー賞こそウェスト・サイド・ストーリーに取られたものの、フランスなどでは高く評価されたようで、その中で使われた音楽が、ど ういうわけか「アルビノーニのアダージョ」でした。我々の置かれた境遇に感情的に反応してほしかったのでしょうか。そして曲の方はその後指揮者シモーネ に、そして時代の寵児カラヤンにも取り上げられるなどして大変有名になり、以前からの「四季」や「G線上のアリア」などと並んで「バロック名旋律」の地位 を得るまでになりました。名旋律なら他にもいっぱいあるけれど、括弧付きで言われるのはそう多くはありません。


曲の成り立ち
 さて、そのアルビノーニのアダージョ、名前からするとバロック時代のベネチアの作曲家、トマゾ・アルビ ノーニ(1671-1751 ヴェネチア)作のようです。そしてしばらくは実際にそのように、あるいはその断片的手稿を元に組み立てられた曲であるかのように信じられていました。事の 発端は、20世紀にアルビノーニの作品目録を作ったローマ生まれのレモ・ジャゾット(1910-1998)という音楽学者が、その作曲家の未発見の楽譜を 見つけたと主張したことに始まります。その主張によると第二次大戦の末期、1945年の二月と三月に英米空軍によってドレスデンが爆撃され、アルビノーニ の資料をたくさん保存していたザクセン州立図書館も破壊されましたが、直後に彼は廃墟に散った問題の楽譜を手に入れたというのです。見立てによるとそれは 恐らく、1708年頃に作曲されたト短調の知られていない教会トリオ・ソナタの第二楽章であろうということで、メロディの始まりの部分の一定量と通奏低音 から成っていたと言います。そしてジャゾットはその断片を元にその楽章全体を復元させ、1958年に「アルビノーニのテーマによる弦楽とオルガンのための アダージョ ト短調 Mi 26」として出版しました。しかし残念なことに、問題となったスコアそのものはその後確認されていません。したがって今でも論議はあるものの、この話全体 がジャゾットの作り話であり、このアダージョは完全に彼が作曲した音楽なのではないかと考えられるようになったのです。そう言われてみると曲調は多少今っ ぽ くも聞こえ、いかにもイタリア人らしい短調とでもいうか、「愛のテーマ」で有名なニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネなどの映画音楽をも彷彿とさせるよ うな甘い情緒たっぷりの運びです。

 以上はオンライン百科事典に載ってるような話です(悲しいかな日本語版は客観性が一桁低いそうです)。し かしそれにしてもうまくやったものです。これだけの美しいメロディーが作れたのだから、ジャゾットという人、えらく才能がありましたね。偽物だと非難する 論調もあるけれど、なんか「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」みたいで痛快でもあります。多くの人がこの音楽を聞いて喜んでます。それならば偽物にも 価値があるのだし、それが評価される作品として出て来れなかった世の仕組みの方が問題だと言ってもいいぐらいでしょう。日本のゴーストライター騒ぎだっ て、実際に作 曲した側の人を注目してあげる方がいいかもしれません。いっそのこと現代の作曲家も無調音楽ばかりやってないで、ジャゾットほどのセンスがあるなら余儀で こういうのももっと作ってほしいところです、というのは余分な話。でも、やっぱり簡単じゃないのでしょうか。例えば、以前書いた話の蒸し返しですが、モー ツァルトの レクイエムです。 数々の音楽学者が未完の部分を補筆しています。モーツァルトらしい書法を徹底研究し、ときにはコンピュータ解析をも動員し、自ら作曲して嵌め込んでるわけ ですが、そのうちのどれがかはともかくとして、素直に感心できない場合もあるんじゃないでしょうか。たとえ AI がもっと発達したにせよ、歴史に残る名曲は難しいかもしれません。一方でこのアダージョは、アルビノーニという作曲家の名前自体を有名にしました。

 余談ながら、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」というのはご存知スピルバーグの映画で、そのモデル となったのはフランク・アバグネイルというアメリカ人の詐欺師です。パイロットのふりをして実際に操縦させられそうになったこともあったようですが、その ときはオート・パイロットにして逃げたということです。詐欺師というのは英語では「フロード」とか「コン・マン」、「コン・アーティスト」などと言われま す。この言語の面白いところは否定的な言葉やタブー語の隠語の数がすごいことで、詐欺師にもそれ以外に山ほどの言い回しがあります。しかし要はお金などを 騙し取るのが目的であり、被害者が存在するのです。義賊や巨大なシステムに挑む愉快犯なら良いでしょうか。でも完全犯罪となったグリコ事件の犯人も、警察 に自殺者が出ることは予期してなかったはずです。結局、誰かが困るのはいただけませ ん。

 それに対して、「インポスター」と呼ばれる人も存在しており、これは日本語だとどう言えばぴたっと来るの でしょう。経歴詐称者、いわゆる「なりすまし」のことなんですが、同じくアメリカ人でフェルディナンド・ウォルド・デマラという男性が有名です。身分を 偽ってその職業に就い てしまい、立派に職責を果たしました。カナダ海軍の軍医になりすまして駆逐艦に乗り込んだときには、船に朝鮮戦争の韓国人戦傷者が多数運び込まれてしま い、仕方がないので医学資料を勉強して外科手術を執刀したところ、多くの命が助かって感謝されたそうです。他にもカウンセラー、弁護士、大学教授などに見 事になりすましています。刑事ドラマのラストではよく、テッド・バンディの判決のように「そんなに才能があるなら犯罪じゃなくて人のためになる仕事をすれ ばよかったのに」なんて言われます。でもそうやって騙すことで役に立ってる人もちゃんといるわけです。そうなると、ジャゾットは差し詰め、タイムマシンに 乗った天才インポスターということになるでしょうか。デマラの IQ はアインシュタイン超えだったみたいだけど、もし作曲における IQ というものがあったら、ジャゾットもさぞかし高かっただろうと思います。



演奏と CD 選びについて
 上記のように、アルビノーニのアダージョは真正のアルビノーニじゃないということがあるため、古楽器によ る演奏はほとんどありません。そのグループの人たちは考証を重要視することから、バッハでも偽作と分かった途端にレパートリーから外してしまったりする ケースが多 いのです。癖があるピリオド奏法ブームの頃ではない、今の古楽の担い手たちによるさらっとしたアダージョの演奏が聞きたくても、それは望めないというわけ です。いきおい、モダン楽器でもちょっと前の録音が主流となってしまう傾向があります。騒動で時計が止まっちゃってるんですね。したがってこの曲を世に広 めた二大演奏とも言える、シモーネやカラヤンの盤が未だに売れ続けている、ということになっているのです。また、それら定評のある演奏においても、第二楽 章分しかないこの曲が6分から12分ぐらいの長さでしかないため、CD においては残りのトラックをどうするかが問題となります。リアル・アルビノーニの他の協奏曲で埋めるのか、あるいはバロック名旋律集のようにパッヘルベル のカノンなどと組み合わせるのか、ということで、無駄のない買い方も難しいです。”サブスク” が定番になって来た現在では関係のない話でしょうか。以下で少し見てみます。



   schimoneadagio
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Tomaso Albinoni   Adagios from his various concertos
    
Pierre Pierlot (ob)   Giuliano Carmignola (vn)
    
Claudio Scimone   I Solisti Veneti ♥♥

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
トマゾ・アルビノーニ / アダージョ集
ピエール・ピエルロ(オーボエ)/ ジュリアーノ・カルミニョーラ(ヴァイオリン)
クラウディオ・シモーネ / イ・ソリスティ・ヴェネティ ♥♥

 定番です。そして未だにこれが一番かもしれません。タイトルは “Les Adagios” でアダージョ集となっており、ジャゾットの有名曲以外は本物のアルビノーニのオーボエ協奏曲やヴァイオリン協奏曲から第二楽章のアダージョばかりを一枚に 集めてあります(一部アンダンテやラルゴ、ラルゲットも)。この企画がいいです。作品9の2のアダージョなんか、このジャゾットのや「ヴェニスの愛」なん か と張ると思います。本格的にアルビノーニという作曲家の姿を知りたい人には前後の速い楽章も網羅した CD も色々出ているわけで(シモーネにもモダン楽器ながら16枚組のアルビノーニ集があります)、こっちは一枚でいいとこ取りをした、いわばバラード・チュー ンのベスト盤なのです。ジャゾットならそうは言わないと思いますが、大抵はこれで満足してしまうんじゃないでしょうか。

 演奏ですが、シモーネとイ・ソリスティ・ヴェネティは映画音楽までやったりする幅の広い楽団で、やや丁寧 にたっぷり歌わせ、ときにベタ塗りなところも感じるヴィヴァルディもあったし、もっと後の古典派やロマン派の解釈では飲み込むように弱めたり、表情が濃 かったりもした記憶です。でもこのアルビノーニ集は痒いところに手が届く、まさにぴったりな演奏に感じます。ジャゾットのアダージョは全体で8分ちょっと のテンポ設定で、カラヤンなどのロマン派的な解釈よりもすっきりしていながらよく歌わせています。もっとあっさり軽い古楽の解釈でやる演奏があればそうい うのも悪くはないかもしれませんが、上記の理由でなかなかそうも行かないわけです。チェンバロの飾りとともに入り、途中もチェンバロがよく活躍しますが、 それがまた良いバランスです。

 エラートの1968〜81年の録音です。60年代というのは古く感じるかもしれませんが、この頃のエラー トは良い音です。全く問題がなく、きれいな録音です。リマスターもされて来ています。パッヘルベルのカノンや G 線上のアリアなどの有名曲は別で買うかすでに持っているなら、この盤は第一候補かと思います。



   karajanadagio1
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Herbert von Karajan   Berliner Philharmoniker '69

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 '69


   karajanadagio2
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Herbert von Karajan   Berliner Philharmoniker '83

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 '83

 シモーネ盤と同じかそれ以上に有名なのがカラヤン盤でしょう。カラヤンはこの時代の寵児です。そういう意 味では曲を有名にした一人とも言えます。彼のアダージョは1969年と83年録音盤の二種類あります。どちらも人気があって売れたでしょう。演奏面では両 方似たところがあり、バロック音楽という範疇を飛び越えた、後期ロマン派かというように感情起伏の大きなもので、他の楽団の演奏と比べるとひとり異質で す。


 まず69年の旧盤(写真上)です。トータル・タイムこそ10分ほどで、新盤の12分近くというのには及び ませんが(それでも他の演奏者と比べると長いです)、出だしから大変遅く感じます。新盤よりも遅いでしょう。そしてラストの追い込みに入ると劇的に大きな 表現となります。60年代のカラヤンだからといって、その頃のベートーヴェン全集のような颯爽としたスピーディな演奏をイメージすると全く違います。カラ ヤンのもう一つの顔とも言える、レガートでの粘るようなロマンティックな進行です。

 この盤に入っている他の曲はというと、まずはパッヘルベルのカノン、独特のやすらいだ感覚が美しいボッケ リーニの名曲「マドリードの夜警隊の行進」、そしてレスピーギのリュートのための古代舞曲とアリア第3組曲というのがオリジナルとなっています。他にも ヴィヴァルディの四季と一緒になったものや、レスピーギのローマ三部作とカップリングになった組み替え盤も出ているので、持っている曲の都合で選ぶことが できます。録音状態は新盤と比べても悪くありません。

 一方で新しい方の83年録音盤(写真下)ですが、出だしの序奏部分では旧番ほど遅くはなく、ちょっと遅め だなあと思う程度ですが、メロディが出て来る頃になるとぐっと遅くなります。やはり分厚いオーケストラで濃厚に進め、折り返し点からは歌も本格的に粘るよ うに大きくなり、扇情的に訴える箇所の遅さたるや、びっくりするぐらいで間もしっかりと空けます。12分近くの異例のタイムはこのあたりからの表現による のでしょうか。 一瞬止まりそうなほどで、この曲でここまでやるか、などと言うと何やら否定的な感じ ながら、見事にたっぷりとしていて、自分の常識の範 囲はとうに超えているのですごいとしか言いようがありません。19世紀末の作品である「浄夜」の弦楽合奏を彷彿とさせるほどです。でもよく考えたらジャ ゾットは20世紀にこれを作ったのですし、映画音楽としてヒットしたものなのでこっちが正解なのかもしれません。ヴァイオリンのソロが旧盤より以上に浮き 出して聞こえるところが中間部と一番最後の締めの部分にありますが、弾いているのはレオン・シュピーラーのようです。

 カップリングはパッヘルベルのカノンや G 線上のアリア、ヴィヴァルディのフルート協奏曲「夜」RV 439(「四季」の秋の第二楽章が流用されている曲です)などに加えて、モーツァルト(セレナータ・ノットゥルナ K.239)やグルック(精霊の踊り)などのバロック以降の音楽が入っているところは旧盤と同様です。曲目で選んでも良いし、新しい録音だからという点で 買っても間違いはないと思います。83年というのは他のところでも書きましたが、カラヤンが楽団員たちと衝突して険悪になった事件の余波の中にある時期で すが、さすがにこの手の有名曲は手馴れたものだからか、だからこそ鬼気迫るのかどうか分かりませんが、指揮者の要求通りに上手に演奏していると思います。 形だけで覇気がないのが気になる演奏もある中で、例外的に心配する必要はないでしょう。それに遅いテンポ設定といっても、人間案外最初に聞いたものが良く 聞こえる性質もあったりして、初めて、あるいはこれで馴染んだ人にはこの演奏が最高なのだと思います。 フランス菓子よりこってりしたウィーンのケーキの方が好きな人も多いはずです。



   teutschsarababde
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Karol Teutsch   Wroclaw Chamber Orchestra Leopoldium ♥♥

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
カロル・テウチ / ヴロツワフ・(NFM) レオポルディウム室内管弦楽団 ♥♥

 有名どころの演奏を並べたので、今度は自分が良いと思ったものを取り上げます。デジタル時代以降のもので す。1921年生まれで92年に亡くなったポーランドのヴァイオリニストにして指揮者、カロル・テウチ(テウツ)と、1978年に設立され、音楽監督であ る彼に最も影響を受けたとされるヴロツワフ室内管弦楽団の演奏です。といってもこの盤、2007年発売の現行のはアルビノーニのアダージョがないのが残念 なところ。偽作という扱いなんでしょうけど、せっかく録音したのだから、わざわざ外すこともなかったのに、と思います。そちらはパッヘルベルのカノンの ページで取り上げている回る空中ブランコ(スウィング・ライド)の写真がジャケットになっているナイーヴ・レーベルのものです。一方オリジナルは1989 年の仏オーヴィディ・テンポで、96年にオーヴィディ・ヴァロアから再販された CD(写真)であり、三曲目にアダージョが入っています。録音は88年でしょうか(CD には記載がありません)。まだ売ってるところがあるものの、今後はほぼ絶望的なのでここで取り上げるのはどうかとも思いました。でもストリーミングなら聞 くことができます。

 この盤の何がいいって、まず選曲がヘンデルの名旋律サラバンドの編曲に始まり、パッヘルベルのカノン、ア ルビノーニのアダージョ、コレッリのクリスマス協奏曲の一部、G 線上のアリアなどの有名曲が聞けることと、センスの良い演奏と音が気持ち良いことです。アルビノーニのアダージョのテンポはシモーネと同様ながら、弦の動 きがふわっとやわらかく、表情が繊細に動いて抑揚に富んでいます。同じことが G 線上のアリアについても言えますが、劇的に押すように一辺倒にならず、息がつけるところが素晴らしいのです。また、録音バランスが良くて溶け合う音で聞く ことができます。パッヘルベルのカノンはモダン楽器の演奏としては速めのテンポで、軽くやわらかい拍の運びでさらっとしています。



   maistrealbinoni
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
“Notte Veneziana”
    
Xavier de Maistre (hp)
    
Werner Ehrhardt   Ensemble L’Arte del Mondo  ♥♥

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
「ヴェネチアの夜」
グザヴィエ・ドゥ・メストレ(ハー プ)
ヴェルナー・エールハル ト / ラルテ・デル・モンド ♥♥

 アルビノーニのアダージョにはピリオド楽器によるパフォーマンスはほぼないと言いましたが、これは例外で す。ラルテ・デル・モンドというイタリア語の名前ながら、ドイツのレーヴァークーゼンにある製薬会社バイエルの文化施設に本拠を置く古楽器を使用する楽団 の演奏です (現代曲のレパートリーではモダン楽器も使うとのこと)。偽作疑惑が出て以降、新しくこの曲をレパートリーにしている珍しい例であり、時代がかった大きな 抑揚ではなく、さわやかに聞ける数少ない演奏なのでファースト・チョイスとしたいところです。指揮をしているのは1957年生まれのドイツのヴァイオリニ ストにして指揮者、ヴェルナー・エールハルトで、ラルテ・デル・モンドは彼が2004年に創設した新しい楽団です。
 ただ、この盤には他にない特徴があり、それはハープが活躍するということです。そもそもがハープという楽器を聞かせる企画なのです。クルト・レーデルも フルート用に編曲してますから、ジャゾッ トの譜をさらにアレンジするのはままあることで、それ自体は楽しいと思います。ハーピストはグザヴィエ・ドゥ・メストレというフランスの男性。1973年 生まれです。男でハープというと古くはサバレタ、最近ではアンドルー・ローレンス=キングなどがいます。必ずしも女性の楽器ではないですが、それぞれの国 で子供の頃、からかわれたりはしなかったのでしょうか。逆にセクシュアルな方面でかっこいいのかもしれないし、この人などジャケット映えもしてて特定の ファンがいそうです。キングの弱音に潜る繊細な抑揚のハープと比べるともう少し素直で、特に強弱よりも時間方向において真っ直ぐな弾き方の印象であり、そ れでいて禁欲せずにたっぷり歌わせます。古楽の癖はありません。ハープの軽く風になびくような音が魅力的です。


 演目がまたいいのです。最初にヴィヴァルディのリュート協奏曲が来てます。ハープでやるにはぴったりです が、第二楽章が牧歌的で大変美しい曲です。そしてマルチェッロのオーボエ協奏曲。これも第二楽章が「ヴェニスの愛」として有名になりました。そしてその部 分だけでなく曲全体をやってくれるのも安易でなくてうれしいところ。それにヴィヴァルディの「四季」から冬の三つの楽章もあり、そのうちの第二楽章はきれ いなメロディでよく独立して演奏されます。パッヘルベルのカノンと G 線上のアリアこそないけれど、バロックの名旋律をたくさん取り上げつつ、俗っぽくならずに上手に配列しています。

 2011ソニー・クラシカルの録音ももちろん新しいだけに良くて、アルビノーニのアダージョについては、 メ ロディー・ラインが本来ストリングスで行くところをハープにしているので、あの細い特有の倍音が目立つ曲にはなっていないですが、バロック・ヴァイオリン の繊細な響きはやはりいい感じです。



   redelproartebaroque
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Kurt Redel   Munich Pro Arte Chamber Orchestra ♥♥

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
クルト・レーデル / ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団 ♥♥

 さて、ハープが出たところで、今度はフルートが活躍するものです。といっても前面に出るというよりも、ス トリングスを追いかけるフルートの掛け合いという感じに編曲されていると言った方がいいでしょうか。フルートの名手でもあるクルト・レーデルは現ポーラン ドのヴロツワフに1918年に生まれて2013年に亡くなったドイツ人で、ミュンヘンで活躍した人です。彼が1952年に創設したプロ・アルテ室内管弦楽 団とは60年代に多くの録音を残しましたので、古くからのファンには馴染みのある名前でしょう。アルビノーニのアダージョはその流行した時期からいってど うしてもこの頃に録音されたものが多く、これは64年の収録です。パッヘルベルのカノンについては70年代にもエラートからこの人たちの演奏が出ました が、この曲は入ってません。

 この盤の魅力はそのフルートの響きに加えて、全体に力が抜けつつよく歌っているところです。同じヴロツワ フの上記テウチ盤同様にやわらかい運びが心地良いです。テンポはシモーネより多少ゆったりめで間も取りますから、それよりさらっとしたのが好みの人には映 画音楽のように響くかもしれませんが、カラヤンのところで触れたようなウィーンのこってりケーキという感じでもなく、敢えて言うならアプフェルシュトゥ ルーデル(アップルパイの一種)みたいな軽さもある美味しさ、とでもしておきましょうか。癖になります。
 
 カップリングですが、オリジナル盤にはパッヘルベルのカノンはまず入っています。これがまた、本命のパイ ヤール68年盤と並んで結構魅力的で、出だしはしっかりくっきりで軽快なテンポながら旋律は滑らかで美しいものです。それについてはカノンの項でまた触れ るつもりです。 加えてお約束の「G 線上のアリア」や「四季」の冬の第二楽章、バッハのカンタータからコラールを編曲したもの、テレマンやハイドン、モーツァルトなどもあります。2000年 代 に入ってからの国内の廉価版も出ていました。それとは別に二つのギターの曲と組み合わさった盤も70年代にありました。一方で、ここでジャケット写真を掲 げ たのはオリジナルと音源は同じと思いますが、91年発売のフォルラーヌ・フィオレッティ・レーベルのもので、市場にもまだあるようです。同じく前述のカノ ンや「G線」、「四季」の冬の第二楽章は入っていて、バッハの147番の有名なカンタータ「主よ人の望みの喜びよ」も聞けるし、これも名旋律、チェンバロ 協奏曲第 5番の第二楽章をフルート用にアレンジしたものに、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」、ヨーゼフ・ハイドンの代わりにその弟のミヒャエル・ハイドン の ノットゥルノ、そしてグルックの「精霊の踊り」まであります。一枚でバロックのメロディーが色々聞けてしまってお得な組み合わせです。

 録音ですが、元のレーベルはフィリップスで、60年代半ばだけど音は潤いがあって全然大丈夫、リマスター で瑞々しく蘇っています。



   marrinerbaroque
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Neville Marriner   Academy of St. Martin in the Fields ♥♥

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 ♥♥

 マリナー盤も録音時期が1973年でアナログ時代のものですが、いつも通り、やはり洗練された演奏でし た。タイムは6分弱と大変短いように思えるものの、テンポはシモーネと比べてもあまり変わらないように感じます。5分台でゆったりに聞こえるのもあります から、編曲や繰り返しの問題があって一様には比べられないのでしょう。幾分軽快という感じはするでしょうか。表情はくっきりとしており、リズムよりも旋律 を目立たせるかのようにしなやかに歌わせている感じがあります。弱めるところ、山を作って膨らませるところがしっかりしていて起伏があります。歌がきれい というのでしょうか。毎度ながらの歌わせ方のセンスの良さは、今回は前述テウチ盤とも少し似たところもあると思いました。もう少しじっくり歌って いてほんの少し劇的な方に寄ってる感じだけど、強弱に表れる気持ちの乗りのステップが多く、柔軟な抑揚が似ている気がするのです。出だしのオルガ ンと中間部のヴァイオリンのソロは目立っていて濃いですが、そのヴァイオリンは後にこの楽団を率いもした、名手アイオナ・ブラウンです。

 パッヘルベルのカノンについては、最初の通奏低音の部分からすでに低いストリングスが本来より三度下でメ ロディー・ラインをかぶせて来るように工夫されており、 いきなり始まったかのような感じがします。しかし大変静かにやわらかく入り、有名なパイヤー ルの68年の録音と同様のややゆったりめなテンポ設定ながら、より滑らかな感触もあります。そしてそこからのクレッシェンドも曲の中央より前で大きくかか り、中程で一度弱まるところではしっかりと弱め、また高め、そして休めを繰り返して、 大声の一辺倒になりません。最後にかかると速度を大きく緩め、表情をよ く設計していると感心します。この曲は大抵おしまいに向かってだんだんうるさくなって来て息がつけなくなるもので、前述のテウチ盤や多くの古楽器楽団の演 奏ではそれが速めのテンポによって乗り切れているわけであり、そうせずとも最後まで心地良いこのマリナー盤、パイヤールと並んでこの曲の名演奏だと思いま す。 同様に「G 線上のアリア」も表情がしっかりしています。

 オリジナルは74年発売の10曲入りの EMI の LP かと思います。上に写真を掲げたのは CD になってもっと曲数を増やした再編リマスター盤です。元の方はカップリングでパッヘルベルのカノンや G 線上のアリアなんかは入っているものの、それ以外は広くバロック期の曲以外からも旋律を集めています。一方で「バロック・マスターピーシズ」と銘打ったこ の再編盤の方は、オリジナルのジャケットが LP 盤の上に小さく切り取られて掲げられてはいるものの、グルック(有名な「オルフェオとエウリディーチェ」〜「精霊の踊り」)以外はバロック時代の曲となっ て いて構成が異なります。そちらにもカノンや「G 線」(組曲全体)は入っている上で、他にもバッハの名旋律であるマリナー編の「羊は安らかに草を食み」(狩のカンタータ BWV208〜)や「水上の音楽」、ブランデンブルク協奏曲の一部などが聞けます。この構成の盤には他にも同じ内容でジャケットが別の絵に差し替えられた ものもあるようです。また、これと同じタイトルで別の構成のアルバムもあります。

 EMI のアナログ録音ですが、リマスターされていて音は問題なく良いです。



   baumgartnerbaroque
     Remo Giazotto   Adagio in G minor
    
for Strings and Organ Continuo attributed to Tomaso Albinoni Mi 26
    
Rudolf Baumgartner   Festival Strings Lucerne

レモ・ジャゾット / アルビノーニのアダージョ
ルドルフ・バウムガルト ナー / ルツェルン音楽祭管弦楽団

 これも68年発売という時代の演奏です。バウムガルトナーも古くからの愛好家には知られた名前でしょう。 クルト・レーデルと同じ世代の1917年チューリッヒ生まれの指揮者で、元々の楽器はヴァイオリンです。ウォルフガング・シュナイダーハンと共に1956 年にこのルツェルン音楽祭(室内)管弦楽団を創設しました。

 演奏は柔軟性はありますが、伸び縮みはさほどさせずに歌のフレーズの最後まで真っ直ぐ丁寧に抑揚を付け、 過不足なくきっちりした感じがする、万人にお奨めできるものです。この曲の模範演奏と言えるでしょう。テンポはシモーネと同等とも言えますが、最初は割と すっ きり、途中からは場所によってはよりじっくりと歌う印象です。ソロのヴァイオリンやオルガンが目立つのはマリナー盤と同様です。組み合わせのパッヘルベル のカノンなんかはかなり遅い印象があります。ただ、スイスの楽団というイメージからかもしれませんが、几帳面な中に透明感も感じられる気がします。

 写真のジャケットは94年発売のドイツ・グラモフォン、レゾナンス・シリーズで、アルビノーニのアダー ジョの録音は1967年です。これも古いなりによくリマスターされていて良い音で聞くことができます。日本盤も出ていて、そちらはアルヒーフの昔の LP ジャケットの意匠になっています(曲順が異なります)。カップリング曲ですが、パッヘルベルのカノンとジーグ、「G 線上のアリア」、「主よ人の望みの喜びよ」、クリスマス協奏曲などが網羅されていて、これも一枚で多くのバロック名旋律が聞けるのが良いところです。他に は ラモーのタンブーラン、パーセルのシャコンヌ、音楽の捧げ物の一部なども入っています。


その他の演奏
 上で挙げた盤以外にも一時はこの曲の録音はたくさん出ていました。廃盤になって復活したり消えて行ったり 色々だけれども、有名なもの、売れたものはまだまだあります。詳しくは取り上げませんが、いくつか見てみます。

 古い方で日本ではお馴染みの楽団は イ・ムジチで す。コンサート・マスターがフェリックス・アーヨの時代で ある1961年録音の旧盤は、あの売れに売れた「四季」などと同じ性質の運びで、 トータル・タイムでは7分弱の割合ゆったりめのものであり、さほ ど大きな起伏はなく無理のない抑揚で歌わせています。繊細な弱めも聞かれる自然体のものです。フィリップスからで、色々な組み合わせで出されましたが、オ ルガン奏者のマリア・テレサ・ガラッティや、カップリングによってはオーボエのホリガーやブールグの名前が記されていることがあります。新盤の方は同じく フィリップスの録音で、デジタルになった1982年、ピーナ・カルミレッリ時代のもので す。オリジナル盤はグレーの地に白い百合の花というジャケットで、タイムは9分台の前半。意外にも前よりかなり遅い演奏となっています。ヴァイオリンの輪 郭はより立った録音です。

 もう一方の有名な団体としてはパイヤール室内管弦楽団が あります。パッヘルベルのカノンは68年盤が大変 ヒットしたわけですが、それと同じ時期の録音はなく、恐らく最初のものが1983年録音盤 なのだと思います。三人乗せたボートを二人が立ち漕ぎしている絵のジャケットがオリジナルであるエラート盤で、タイムはイ・ムジチの新盤と同じぐらいかや や長い9分台の半ば弱というところです。テンポ自体は12分台のカラヤンほどでは全然ないものの、かなりゆっくりと言えます。しかしイ・ムジチのそれほど 個人的に遅く感じなかった理由は、劇的にやらず、抑えて滑らかに進行させるからだと思います。弱音の扱いがデリケートであり、静かなアダージョとなってい て好感が持てます。カップリングはパッヘルベルのカノンの二度目の録音や「主よ、人の望みの喜びよ」の編曲版、140番のカンタータのコラールなどです。
 パイヤールの新しい方は1989〜90年に録音された RCA レーベルとなっているものです。発売は BMG ビクターの国内盤なのですが、ひょっとして企画自体が日本発でしょうか。こちらは9分弱で旧より多少短いものの、遅く感じるのはどうしてでしょう。旧より たっぷりと表情をおごっており、自分の感覚からするとサービスし過ぎだと思うからでしょうか。幾分ムード音楽のようになってる気はします。これぐらい やった方が曲としては受けるかもしれないので、結局は好みの問題です。

 83年にはミュンヒンガー/シュトゥトガルト室内管弦楽団が デッカに録音しました。これも古くからのバ ロック・ファンにはお馴染みの大御所ですが、6分台半ばながら切々と訴えるように歌う、かなり遅く感じさせるものであり、弱め方と遅らせ方がしっかりとし ていてたっぷりした演奏です。

 ゲーベルではなく、ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の86年録音盤(エテ ルナ/レーザー ライト)も分ければそちらのゆったり切々系であり、これは一部で話題になったようです。「暗く悲劇的なので聞くと自殺する」、などと都市伝説のようなの は、本人が拳銃自殺をしているからでしょうか。ヘルベルト・ケーゲルは1920年にドレスデンに生まれた指揮者です。この人は別の曲でも神話化されやすい みたいだし、他の指揮者も含めてわが国ではどうも悲劇に敏感に反応するところがあって、確かに抑揚が大きくて思い入れが強い印象ではあり、波長としては何 か感じさるものがありますが、そこまで言うのは文学的レトリックかと思います。チェンバロが区切るように叩いて入り、やや癖があるリズムとレガートの濃い 歌わせ方で、情緒が強調された感じがします。途中でもチェンバロはよく装飾を入れます。テンポは9分台半ばでシモーネなどよりたっぷりしており、深刻なた た ずまいや劇的な表現が好きな方には価値ある一枚だと思いますので、ぜひ聞いてみてください。 
 同じくたっぷりした方では、イ・ムジチと並んで人気のあるイ タリア合奏団盤もあります。日本のデンオンか ら出ているもので、録音は1988年。イ・ムジチと比べるならば82年のピーナ・カルミレッリ新盤の方でしょう。それより多少タイムが長くて9分台の後半 です。イ・ムジチ同様、細かな抑揚で動かすものではなく、丁寧に歌わせて行きます。

 アメリカ合衆国の合議制の楽団、オルフェウス室内管弦楽団は ドイツ・グラモフォンに1989年に録音しま した。トータル・タイムは7分台半ば弱。テンポ感としてはシモーネ盤とあまり変わらない印象ですが、感情的に前へのめるような箇所もあってか多少は速く感 じるでしょうか。しかし流れるというよりも一つひとつ丁寧にフレーズを仕上げる感じがあり、入念に細かく抑揚を付けています。大変上手な印象があって、こ のバンドらしいと思いました。

 これ以外にも近頃はストリーミングの普及で古い音源の掘り起こしもあり、トゥールーズ室内管弦楽団を創設 した懐かしい名前であるルイ・オーリアコンブが演奏する、オルガンが劇的でこの時代としては抑揚で粘らない演奏なんかも聞けます。探せばもっとあることで しょう。ただ、CD 媒体でとなるとこれぐらいが主なところでしょうか。