喪失の悲しみ? 
   バッハ / ヴァイオリン・ソナタ
         
      ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV1014-1019


bachvnsonatas

取り上げる CD 13枚:メルクス/クイケン/ホロウェイ/ビオンディ/マンゼ/ファン・ダール/カルミニョーラ/モンタナーリ/ムローヴァ/マンソン
/グリュミオー/ツィンマーマン/エーネス

 バッハの室内楽は、カンタータの数と比べると思ったほど多くはありません。バッハ作品目録で室内楽に含まれる無伴奏の作品は器楽曲になるのかどうか分かりませんが、それを除くとフルート・ソナタが8曲前後、ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタが3曲、そしてヴァイオリンとチェンバロのためのソナタが6曲。あとは音楽の捧げものなど数曲あるぐらいです。その中でここで取り上げるチェンバロ伴奏付(単なる伴奏に終わっていないことはこの曲の解説には必ず出てくることですが)の六つのヴァイオリン・ソナタは、無伴奏のソナタとパルティータの陰に隠れてさほど有名ではないかもしれませんが(日本語版の wiki には出てません)、大変魅力的な曲集です。あまり詳しいことが分かっていないというのも、有名でないことの一つの理由かもしれません。でも、抽象的で峻厳と言われるバッハにしては例外的というのか、感情的な要素が強く感じられ、ときにセンチメンタルにすら響くところがあります。とくに第4番 BWV1017 などは最初のラルゴから泣いているかのようなメロディーがあり、三番目のアダージョでは喪失の悲しみが振り子のようにいったん途切れ、夢みる甘い回想の中で自らを慰めるように響く瞬間すらあります。大変美しい曲です。そしてこの曲調からか、推定される作曲年代からか、最初の妻が急死した直後の作品ではないかと言われることもあります。こういう解釈は研究が進むと突然裏返ったりするもので真偽のほどは定かではありませんが、バッハに人間くさい一面があったと思うとなんだか心なごむ気がします。ちょっと隠れた人気曲、というところでしょうか。

 曲集の内訳は第1番と呼ばれる BWV1014 から第6番の 1019 までの六曲です。



ピリオド楽器による演奏
 CD はここに取り上げる以外にも聞いてきましたが、個人的な好みから古楽器奏法のアーティキュレーションの強いものはあえて取り上げないことにしました。同様に個性を感じにくかったものも外してあります。それぞれに良いところがあるはずなので、ここで美点を書けないよりは、その演奏が好きな人が褒めた方がいいはずです。このバッハのヴァイオリン・ソナタ、古楽器によるものは意外と多く出ています。

 

    melkusbach    eq.jpg
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Eduard Melkus(vn)   Huguette Dreyfus (Hc) ♥♥


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
エドゥアルド・メルクス(ヴァイオリン)/ ユゲット・ドレフュス(チェンバロ)♥♥

 これは CD で正規盤が出たのかどうか知らないし、日本で2013年頃に企画ものの復刻盤が出たときも知らずにいて今は廃盤ということで、LP から焼きました。よって番外編です。しかしバッハの伴奏付ヴァイオリン・ソナタとしてはずっとこれを愛聴して来たこともあり、他の CD で気に入ったのを見つけるのに苦労したので取り上げてみます。前にモーツァルトの四重奏のところで同じことを書きましたが、当時レコード屋に行って、日本 でその頃無伴奏ソナタとパルティータの評価が高かったシェリングの盤を買おうと思って手に取ったところ、親しかった 店主の息子さんが勧めてくれたのがこのメルクス盤でした。その息子さんは若くして亡くなったので記憶にあるのです が、メルクスというヴァイオリニストをそのときは知りませんでした。1928年生まれのオーストリーの演奏家です。 演奏に作曲当時の楽器を使おうという運動の初期の頃、楽器への注文も演奏法の規則もまだはっきり定まってなかった頃 にアーノンクールやレオンハルトと活動していた人で、その後当のアーノンクールやレオンハルト、クイケン兄弟やブ リュッヘンといった人たちが主導権を握るようになって行くのですが、メルクスはそうした流れとはちょっと路線を異に した古楽器ヴァイオリニストでした。LP にはこれらの作品と当時の弾き方、バッハが望んでいたであろうことなどについて彼自身の言葉で細かな解説が載っており、研究者としての一面も覗かせていま す。しかし後の主流派とは聞いた印象は異なっており、現代の用法とは違っているにせよ基本的にビブラートをかけ、ア クセントは強くなく、途中から盛り上げるボウイングは表現として見られるもののあまり激しくなく、テンポを速める意 図もない、素直で美しい演奏です。瑞々しくも力があり、歌うべきところはたっぷりと歌っており、4番など聞きごたえ があります。学問的な正解があるのかどうかは分かりませんが、彼のような人が古楽演奏のデファクトをとってくれてた ら、また違った愉しみもあったのではないかと複雑な気持ちになります。今やコレギウム・アウレウム 合奏団とともに葬り去られたかに見えますが、深々とした艶のある音を上品なビブラートに乗せて、ときに鮮烈さも覗かせ、バッハの切々とした思いが伝わって きます。 

 アルヒーフの1973/74年の録音で、きれいな艶が乗るところがおなじみのバロック・ヴァイオリンとはちょっと 違うように響きます。メルクスの楽器は何がなんでも当時の仕様というわけではなく、意図的にややモダン楽器に近い太 めの魂柱を用いたり、一部現代のものに近い弦を張り、顎当てを使うなどして、この楽器の歴史的発展のなかで良いとこ ろは取り入れて行く柔軟な姿勢で臨んでいるようです。大変きれいな音ですが、録音においてはその艶の成分が再生機器 次第で中高域のやや張った音として聞こえ る場合もあるかもし れません。ジャケット写真横の図はイコライジングしてみたときの値で、少し整えるだけで自然な感じになりました。しかしこのレコードの音のバランスはヴァ イオリンの録音に関しては普通であって、モダン楽器ならもっと顕著に現れるはずです。アナログ完成期の優秀録音と言 えるでしょ う。
 使用楽器はネック、駒などが当時の仕様の1679年製ニコロ・アマティで、チェンバロは1973年にパリのクロー ド・マルシエ-イチーによって修復されたマルセイユのジャン・バ1737年製とあります。



    kuijkenbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Sigiswald Kuijken (vn)    Gustav Leonhardt (Hc)


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ジキスワルト・クイケン(ヴァイオリン)/ グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)

 ピリオド奏法を世に問うた頃の、その運動の中心にいたクイケンとレオンハルトによる記念碑的な演奏です。しかしこ の8年後と27年後にクイケンが入れた無伴奏のときほどの癖の強さは感じさせないようにも思います。要所での一音の 強めと、次の音で弱くして短かめに切るような一連のアクセントはあるものの、短く切り過ぎるアーティキュレーション の処理や途中から走るといった要素は少ないです。二回のシャコンヌ録音で感じられた微かないらだちや悲しみのような 感情的要素もここではあまり乗ってこないように聞こえます。かといって特別リラックスした方向ということではなく真 面目な印象なのですが。4番の出だしやアダージョなどでは意外なほど素直によく歌っていてテンポも遅めです。メルク スの表現と比べてみると面白いかもしれません。

 1973年ドイツ・ハルモニア・ムンディの録音は中音に多少反響があって音像が少し遠く感じられ、やや帯域の狭い 印象がありますが、この演奏が好きな人には気になる程度ではないでしょう。



    hollowaybach
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
     
John holloway (vn)    Devitt Moroney (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ジョン・ホロウェイ(ヴァイオリン)/ デイヴィッド・モロニー(チェンバロ)
 
 ジョン・ホロウェイは1948年生まれのイギリスの古楽ヴァイオリニストです。アカデミー室内管やイギリス室内管 で活躍し、ジキスワルト・クイケンに出会って古楽の道へ進んだようです。CD ではホグウッドの四季でも一部ソロを努めていました。

 1番の冒頭でヴァイオリンが驚くほど弱い音で入ってきます。その後やや引きずる運びで展開しますが、全体にゆっく りで間を区切る楽章が目立ち、長音で強い強弱を付けることは少ないようです。速いところでも余分な飾りは少なく、四 季のときとは印象が異なり、簡潔な表現で過剰な感情を乗せないのが今回ここでの弾き方のようです。切々と訴えるので はなく、静けさが魅力です。

 レーベルはヴァージン・クラシクスで、1988年の録音はやや引っ込んだ音像で中音に反響が乗っているように聞こ えます。そのせいで、レストランで食事をしながら少し離れたところから聞いているかのようなリラックス感がありま す。



    biondibachsonata
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Fabio Biondi (vn)    Rinaldo Alessandrini (Hc)


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)/ リナルド・アレッサンドリーニ(チェンバロ)

 四季の登場で話題になり、その後の再録音もあって「過激な四季」を当たり前のようにしてしまったビオンディ。シシ リー出身の1961年生 まれですが、来日したときの派手な衣装や女性演奏家への接し方にイタリア人だなあという印象を持ったのを覚えてま す。内面はともかく、ショーマンシップあふれる元気な人という感じですが、演奏でもちょっとそういうところが出てて 納得します。バッハのヴァイオリン・ソナタは二度目の四季の録音ほどに羽目を外してはおらず、きれいな演奏です。

 音符の途中から音を強くして行くピリオド奏法のボウイングが聞かれますが、初めは大変静かに抑えた音で弾いて行っ て、最後になって一気に盛り上げてビブラートを数回付けるというドラマチックさがあり、また装飾音についても多めに 付く箇所があって、やはりビオンディらしさが出ている印象です。速いところでは強いアクセントでパッパッと飛ばすフ レージングで活気がある一方、遅いパートではゆっくりと力を抜いてささやくように進めつつ時折盛り上がるというコン トラストがあり、もったいぶってると言うと言葉が悪いのでドラマ性があるとすればいいでしょうか。といっても、古楽 奏法のアクセントがきついという意味ではありません。ここのところは難しいで すね。 

 オーパス111の1995年の録音です。弾き方のせいか録音のせいか、ビオンディのヴァイオリンは低音側は太くな く、高い方に線の細い倍音が
あま り付かないフラットな音に聞こえ ることがありますが、耳に痛くないのでありがたいで す。使用楽器は 1740年製 F・ガリアーノのコピーで パルマの D・クエルセターニ1991年製作のもの、とあります。



    manzebachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Andrew Manze (vn)    Richard Egarr (Hc)    Jaap ter Linden (va da gamb) ♥♥


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
アンドリュー・マンゼ(ヴァイオリン)/ リチャード・エガー(チェンバロ)
♥♥
ヤープ・テル・リンデン(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 1994年の管弦楽組曲での指揮ぶりでも優美ですっきりした流れを聞かせてくれていたマンゼ。あのときはラ・スト ラヴァガンツァ・ケルンの演奏で DENON からのリリースでしたが、その後ピノックの後任でイングリッシュ・コンサートの音楽監督になり(2007年まで)、ソロでもどんどん活躍して存在感を強め てきているようです。1965年生まれのイギリスのバロック・ヴァイオリニストです。チェンバロのエガーも同世代、 63年同じくイギリス生まれで、ホグウッドの後任でアカデミー・オブ・アンシャント・ミュージックの音楽監督です。 二人はよく一緒に活動しているようです。そしてこの盤では伴奏にヴィオラ・ダ・ガンバが使われているところが味わい 深いです。そのガンバは無伴奏のチェロ組曲でリラックスしたバロック・チェロ演奏を聞かせてくれた1947年生まれ のオランダの古楽チェロ/ガンバ奏者、ヤープ・テル・リンデンです。

 これはメルクスのレコード以来、最も気に入ったヴァイオリン・ソナタの演奏ということになりそうです。ピリオド奏 法ですがその癖があまり強くなく、とくに細切れのせかせかしたアーティキュレーションがなくて、間が途切れ過ぎるこ ともありません。クイケンに代表されるような一音の中で音を強めるピリオド奏法のアクセントも、短い音符でリズムの 区切りのように出すことはなく、あってもゆるやかなうねりの中での表現となっています。その長く延ばす音での自在な 変化は、単にこの奏法の規則通りに途中から盛り上げて下げるというだけのものではなく、生きた感じがします。
 概ねゆったりしたテンポで激しい起伏はなく、抑え気味ではあるものの、その落ち着いた呼吸が良く、繊細さが感じら れます。装飾音は少なめで、また、速いテンポの部分でも力みがなく、落ち着きがあってすっきりしています。泣きの演 奏ではありません。4番の最初のラルゴでは感情が強くこみ上げてきて訴えるという様子ではなく、よく歌ってはいるも のの節度と静けさが支配しており、同様に泣きの入る演奏が多いアダージョでも落ち着いた達観のようなものを感じさせ ます。こうした平静さをよしとしない人もいるかもしれませんが、私はこの方が好みです。感情的成熟を感じさせる大人 の演奏で、曲自体の美を表現していると思います。

 イギリスで収録されたハルモニア・ムンディ・フランス(USA)1999年の録音は高域が尖らず、艶も強過ぎない 真っすぐな ヴァイオリンの音です。ややフラットに聞こえるかもしれませんが、こちらの方が本来の音色でしょう。細やかさも十分感じられます。チェンバロの音も鋭過ぎ ないのがいいところです。メルクスやカルミニョーラ、エーネスその他大多数の、ハイファイではあっても高域の艶と輝 かしさがやや耳に強く感じられる
こ の種の録音にありがちな一般的特 徴が少なく、大変聞 きやすいものです。使用楽器はヴァイオリンが1782年製のナポリのジョセフ・ガリアーノ、チェンバロは1638年のアントワープのリュッカースをモデル とした1991年製作アムステルダムのジョエル・カッツマン作、ヴィオラ・ダ・ガ ンバはブレーメンのオッセンブリュンナー1976年製となっています。



    daelbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Lucy van Dael (vn)    Bob van Asperen (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ルーシー・ファン・ダール(ヴァイオリン)/ ボブ・ファン・アスペレン(チェンバロ)

 ルーシー・ファン・ダールは1946年生まれのオランダのバロック・ヴァイオリニストです。レオンハルトやブ リュッヘン、コープマンといった人たちと活動してきました。ボブ・ファン・アスペレンは1947年生まれのこれもオ ランダのチェンバロ奏者で、レオンハルトに師事した人です。

 この人らしい、ちょっと立ち止まるような、一つひとつ分解するような印象はチェンバロ伴奏のゆったり区切られた運 びによるところもありますが、間をよく空けて確認しながら進むような奏法から来るのでしょうか。甘さのない覚醒した 音楽です。ピリオド奏法という点では正統派というか、オランダ/ベルギー系の人によくある第一世代方式というのか、 いわゆる古楽奏法らしい特徴を感じさるものです。女性奏者ですが、骨太な印象です。それでも、前年のソロ・ヴァイオ リンのソナタとパルティータよりはこなれているでしょうか。あくまでも落ち着いてゆったり構えているところが他では 聞かれないこの人の美点で、そこが価値ある一枚です。

 1999年録音のナクソスです。一枚ずつVol.1と2に分かれています。



    cagmingnolabachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Giuliano Carmignola (vn)    Andrea Marcon (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ジュリアーノ・カルミニョーラ(ヴァイオリン)/ アンドレア・マルコン(チェンバロ)

 ヴィヴァルディの協奏曲のシリーズが素晴らしく、出るたびに色々買ってしまったバロック・ヴァイオリンのカルミ ニョーラは1951年生まれ、ヴェネチアで学んで同地で活躍するイタリアのヴァイオリニストです。今回のヴァイオリ ン・ソナタではイタリア人の演奏家が結構多い気がしますが、バッハのこのソナタの、ときにちょっと泣きの入ったリリ シズムが彼の国の歌の気質に合うのでしょうか。

 マルコンのチェンバロにタメが聞かれます。ヴァイオリンは細めの音色で抑えるところは静かに、マンゼと同様に抑制 された感じがしますが、そこから鮮やかに盛り上がる明るさと切れがあります。といっても短く途切れて 上下するようなピリオド奏法のイントネーションは少なく、自然な歌を乗せてきます。「切れる」の意味が違う のです。リズムが切れるのではないので、流れるようなレガートもあります。どこか鮮烈な印象なのです。
 速いところではリズム感が良く、やはり鮮やかに切れる感じがあります。しかしこの人は同じイタリアのモンタナーリ とは違って力を感じさせるというよりも、くっきりとしたフレーズによって輝かしさを見せる印象です。 それでいてビオンディ流のケレン味は感じません。 オランダ/ベルギー系の古楽奏者とも印象が異なります。古楽奏法を自分のものとしているので気になるところがありません。イタリアの人、とくにヴェネチア ともなれば運河に映り込む揺れる景色の印象なのか、陳腐にいつも光と影を感じるなどと言ってしまいがちですが、鮮や かに切れるコントラストとたっぷりとした歌心がこの人の持ち味でしょうか。

 レーベルはソニーで2001年の録音です。奏者の持ち味を生かす鮮やかな録音で、速いパートではボルテージが高 く、切れ味の良さがちょっとキツさに感じられる瞬間もある気がしますが、それはこの程度でそう感じる私の方がへたれ なのでしょう。生の楽器はキツくないのでそう思うだけで、録音としては高水準だと思います。



    montanaribachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
      
Stefano Montanari (vn)    Christophe Rousset (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ステファノ・モンタナーリ(ヴァイオリン)/ クリストフ・ルセ(チェンバロ)

 才気煥発のフランスのチェンバロ奏者、クリストフ・ルセは1961年生まれで独特の意欲的な演奏を聞かせる人です が、彼と組んでヴァイオリンを弾いているのはイタリアの古楽ヴァイオリニスト、ステファノ・モンタナーリという人 で、年齢はわかりませんがもっと若いのでしょうか、自身のホームページにはヘヴィメタ・バンドのオフの日かハーレー・ クラブ関係の人かという出立ちで格好良く現れています。

 まずルセですが、さすがに合わせものだけあって、
独奏のときの、 個性を出そうとするかのような彼 らしい崩しは聞かれません。したがっていかにもフレンチという感じでもなく、一方でモンタナーリは1番の入りなどで はマンゼ同様のゆっくりのテンポですが、マンゼやマンソンよりきらきらっと明るく、やはりイタリアらしいというの か、エネルギーのある感じがします。音色自体も張りのある中高音で線の細さを感じさせません。高い方は明るいと同時 に細かい倍音も出ていますが、低い方は結構太い音で、モダン楽器のような鳴りの強さを感じます。アーティキュレー ションはロングトーンで音の強さを変えて行くピリオド奏法のセオリーは同じでも、より短い周期で揺れてくっきりとし た印象です。 速いパートではスタッカートと勢いの良さが目立ち、明るく生き生きしていて力のある抑揚に感じます。繊細さよりは活力を感じさせるでしょうか。見た目に恥 じないアグレッシブさと言っていいでしょう。4番でもたまに華やかな装飾音符も入ったりして、物憂げな感じはありま せん。

  1999設立のフランスのレーベル、アンブロワジーの2006年の録音です。



    mullovabachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Viktoria Mullova (vn)    Ottavio Dantone (Hc)


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)/ オッタヴィオ・ダントーネ(チェンバロ)

 ソ連から亡命した後、古楽器演奏の方に進んだムローヴァの活躍は皆さんご存知だろうと思いま す。1959年生まれで、以前の演奏と今とではどちらも魅力的ながら、アプローチが大分異なるように感じます。

 この五ヶ月後に録音された無伴奏の方はそっと語りかけるような進行に強い個性を感じますが、ここではもう少し普通 に流れがあってニュートラルな印象です。といってもたくさんいる古楽ヴァイオリン奏者の中にあって、やはりこの人ら しく歌う自信は聞かれます。遅く静か過ぎるわけでもなく、速く鋭過ぎるわけでもないですが、ピリオド奏法の癖に飲み 込まれない自然さを感じます。区切りのアーティキュレーションが少なめなのはマンゼと共通しますが、マンゼの方が静 かなパートではゆっくり抑え気味に弓を運んでうねるような抑揚を乗せて行く感じなのに対し、ムローヴァはもう少し中 庸のテンポで朗々とよく歌います。

 オニックス・レーベル2007年録音です。



    mansonbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Catherine Manson (vn)    Ton Koopman (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
キャサリン・マンソン(ヴァイオリン)/ トン・コープマン(チェンバロ)

 スコットランド出身のキャサリン・マンソンはロンドン・ハイドン四重奏団の第一ヴァイオリンで、この楽団のハイド ンの作品 20の四重奏は深い抑揚のある名演でした。ここではコープマンと組んでいますが、それは彼女が彼の楽団の現在のコンサートマスターだからでもあるでしょ う。

 チェンバロがピンとしていて尖らない音で、さすがにコープマンだけあって装飾がところどころ粋です。速く進める楽 章では短い音符にも弱く入って強めるピリオド奏法のアクセントが毎回付く場面があったり、一拍ずつに強調が入り、短 く浮いたり沈んだりのアーティキュレーションで元気よく規則的に進んで行く印象もありますが、ゆっくりのパートでは ヴァイオリンはゆったりと歌い、抑揚が自然でピリオド奏法の嫌みが少ないところはマンゼと比較できるかもしれませ ん。マンゼの方がもう少し遅めで静けさがあり、繊細な歌で来ますが、こちらの方がより力がある分だけ目覚めた印象 で、感情の起伏を感じるでしょうか。ピリオド奏法のやや引きずるイントネーションを感じるところもありますが、ア ダージョやラルゴの楽章で陰にこもらない美しさを味わえる演奏です。

 チャレンジ・クラシクスは1994年設立のオランダのレーベルで、録音は2011です。



モダン楽器による演奏



    grumiauxbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Arthur Grumiaux (vn)    Chtistiane Jaccottet (Hc)


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)/ クリスティアーヌ・ジャコテ(チェンバロ)

 無伴奏のソナタとパルティータ、なかでもシャコンヌでは構築性と自在な息遣い、美しい音色と鼓動の高まりで圧倒的 な名演を聞かせてくれたアルテュール・グリュミオー。モダン・ヴァイオリンの演奏としてはチェンバロ伴奏付のソナタ の方もまずこの人を挙げないわけにはいかないでしょう。1921年生まれでフランコ・ベルギー派の代表のように言わ れるベルギーのヴァイオリニストで、1986年に亡くなっています。グリュミオーはこのソナタ集を二度録音してお り、 最初は1963年、エジダ・ジョルダーニ・サルトリのチェンバロ伴奏で、二度目はクリスティアーヌ・ジャコテを相手に選んで1978/1980年にフィ リップスに入れています。シャコンヌは61年の録音でしたから、演奏スタイルも音の良さも同じ頃の旧録音の方がいい かというと必ずしもそういうわけではないようです。古い方はチェンバロのリズムがよりかっちりと区切られた感じがし ており、ジャコテの方はもう少し流れがあります。ヴァイオリンのスタイルは変わっていないと言っていいでしょうが、 63年盤の音について言えば、61年のソロのときの方が若干繊細でバランスも良かったように感じます。あれは古くて も良い録音でした。このチェンバロ伴奏付の方も悪くないですが、もう少し中域寄りのややカマボコバランスで、あまり 残響が多くはないですが一部に反響も乗っています。したがってここではより一般に勧められる新録音の方を取り上げま す。
 
 やはりグリュミオーらしい美しい艶のある音色です。ビブラートを用い、やさしさと繊細な息遣いが感じられます。古 楽器演奏ばかり聞いていると1オクターブ低いかと思うほど太い低音を意識するかもしれません。ピリオド奏法というと なんでも速いイメージがありますが、ことフルート・ソナタやこのヴァイオリン・ソナタでは逆転して緩徐楽章でゆった りしているものが多く、モダン楽器演奏であるここでのグリュミオーのテンポは4番などでむしろすっきり速く聞こえま す。アクセントが強く付 かないのでそう感じる面もありますが。しかし全体にはやはり走らない穏やかさがあり、音をたっぷりと鳴らしていま す。
 シャコンヌでの自在さを念頭に比べると、チェンバロの伴奏がある分だけ動きの自由は制限されているかもしれません が、この曲についてはこういうものなのでしょう。ただ旧録音と同様、この録音もどちらかというと中域が太く反響する バランスであり、中高域に艶が乗り、倍音にやや塊感があるようにも感じます。そしてこの新録音の方がその分若干メタ リックに偏るようです。といってもベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲などが文句の付けられない美音だっただけにこ ういう表現になるわけで、気にしないでほしいのですが。いずれにせよ、伝統のモダン楽器演奏の中では最高に魅力的な パフォーマンスの一つだと思います。音もトータルでは良い部類です。



    zimmermannbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       Frank Peter Zimmermann (vn)    Enrico Pace (pf) ♥♥


バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)/ エンリコ・パーチェ(ピアノ)
♥♥
 若手と言っていいのかどうか、ここからは少し、モダン楽器の中でも今期待されている人たちを取り上げます。

 現代においてモダン楽器でこの曲をやるということは、その人らしい色を出してみるということなのでしょう。グリュミオーのときと違ってモダン楽器でやる 伝統に背後から護られているわけではないのです。そういう意味でこの演奏は自然に個性を出すことに成功しているものだと思います。というか、最近はこの曲 を聞くとなると専らこれをかけたくなる私的ベスト演奏でもあります。ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンは1965年生まれのドイツのヴァ イオリニストで、ピアノのエンリコ・パーチェはほぼ同世代の1967年生まれ、イタリアのピアニストです。二人はよく一緒にコンサートをやっているようで す。

 軽やかでちょっと粋な、余裕のある演奏です。表現のセオリーからも重い感情からも自由です。どこか静けさがあって覚醒感のようなものを感じさせ、ロマン ティックな霞の中にはいないのに細やかな情感に魅了される1番の出だしにまず惹きつけられます。夢見るようでいて浸りません。ペダルを用いないピアノは軽 やかなスタッカートを多用し、ヴァイオリンも拍は一定に
所々でスタッカートにし、ビブラートも用いて自由に表現して行きま す。4番のラルゴ(第一楽章)は工夫はあるものの自然で、弱いところはそっと語りかけるように進め、内省的に聞こえます。速いパートでは自在なクレッシェンド、ディミヌエンドがあり、リズムが弾んで常に軽さが感じられるのでわめくようになりません。心地良い風のように吹き抜けます。

 ピリオド奏法の影響は感じられず、あるとすればスタッカートかもしれませんが、特にそう意識させるものではありません。ピアノの方もチェンバロの演奏法 を研究しました的なはっきりしたピリオド奏法のアクセントを期待する人には期待外れでしょう。どんな局面でも気負いや深刻さがないのが素晴らしいところ で、ということは、昔の演奏にドラマ性を見て喜ぶ人には物足りないだろうと思います。同じ4番のアダージョ(第三楽章)など、 静かなスタッカートに乗って歌われる歌は激情に走らず、失ったものへの回想にしばし浸って甘い幻影に今を忘れる(奥さんを少し前に亡くしたばかりだと考え られてます)、などという感じは全くなくて、出だしの長調の部分では楽しげな光が差しています。その後短調に変わって息を殺すように弱くするところも大変 魅力的です。もしこの楽章にバッハの悲しみが表れているとするなら、この人たちの場合は距離をもって眺めている境地であり、出来事のありのままを受け入れ ているみたいです。そしてこの曲で特筆すべきは案外最後のアレグロ(第四楽章)かもしれません。奏者によっては退屈に感じられる楽章ですが、大変見事で体 が反応して
きます。この二人、ジャズもできるのではないでしょうか。軽妙な乗りとリズムがまるでジャズなのです。裏打ちリズムを呼吸の裏に隠しているかのような弾みです。
 静かでデリケートなニュアンスのある5番のアダージョも、ひとつの物語を聞いているようでいて演出されたドラマは感じません。かといって、ゆっくりの部分での歌はけっしてさらっと流してるわけではなく、よく歌って情感がこもっています。

 2006年のソニーの録音はときにこのレーベルにあるハイのきつい輝かしさはあまり感じられず、自然な音でピアノもキラキラし過ぎません。こういう風に ピアノで弾かれるバッハも、チェンバロの音のようにエッジが立って耳に痛いということがないのでありがたいです。ピリオド楽器に負けず劣らずヴァイオリン には十分繊細な細さも出ています。



    ehnesbachvnhc
       Bach   Six Sonatas for Violin and Harpsichord, BWV 1014-1019
       James Ehnes (vn)    Luc Beeauseijour (Hc)

バッハ / ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014-1019
ジェイムズ・エーネス(ヴァイオリン)/ リュック・ボーセジュール(チェンバロ)

 ツィンマーマンのところで、今モダン楽器でバッハを演奏することは個性を出すこと、と書きました。録音日時からす ると前後してしまいましたが、その観点では逆になるものもあります。

 またまた宇宙人みたいな人が現れました、などというと否定的に響くかもしれませんが、そういうわけではないので す。見事なのですが、褒めたいのかそうでないのか正直わからない。ずば抜けた能力のエイリアンが人間の中に溶け込ん でいて誰がそうだか判別できないとでもいう完成度でしょうか。フルート・ソナタのところではペトリのリコーダーにつ いて、きれいで癒されるのに、どこか宇宙から飛んできた流れ星みたいと言いましたが、あれほどシューッと飛んで行っ てしまう感じではありません。ただ、誰とお友達なのかわからないのです。ジェイムズ・ エーネス。1976年生まれということで、若い世代のカナダのヴァイオリニストです。古楽系ではありません。
一年前に出したドヴォルザークらチェコの作曲家の小品を集め た CD を楽しく聞いていて、そこではこの個性がよくわからなかったのでした。このバッハのソナタはモダン・ヴァイオリンとチェンバロによ るもので、チェンバロのリュック・ボーセジュールは1958年生まれのカナダ、ケベックの人です。

 どこにも癖がありません。といっても某国の優等生的な演奏家とは違います。お行儀の良い演奏というのは、自分らし さを出すことへの無意識の恐れが関係しているように思います。だから縮こまっていい子でいる。でもこの人はのびのび していて饒舌とも言えます。

 もう一つのキーワードは技巧派かどうか、ということ。これは多分そうなんだと思います。バッハのシャコンヌでも、 難しそうなところが簡単そうに過ぎて行きます。実際技巧が凄いという評判はあるようです。ただ、私はこの方面につい ては何も言えません。自分は弾けないし、技巧家同士を比べてどっちが凄いかも分からないからです。演奏家は技術を もって表現するのですからこんなことを言うと語弊があります が、演奏上のサーカスや体操競技には興味がありません。でもこの人はそういう括りでもないようです。技巧家と言われる演奏者は、ヴァイオリンでは古くはハ イフェッツ、クレーメル、最近ではヒラリー・ハーン、古楽のレイチェル・ポッジャーといった人の名前があがるようで すが、詳しくないこともあり、敢えてピアノで概観してみましょうか。たとえばポリーニは速いパートに来るとそれが喜 びであるかのように均質な、機銃のような運びを見せます。アルゲリッチはある瞬間から突然神がかったような豪速で びっくりします。どちらも技術の凄さがわかる造りになってる気がします。もちろんそれがサーカスだと言ってるわけで はありません。でもエーネスという人はそういう技術を露見させる気迫を感じさせる技巧家ではありません。同じく新し い世代のカナダ人で、アフリカ系のグッドイヤーというピアニストもいますが、ちょっと彼のやすやすとこなせてしまう ところに似ています。でもグッドイヤーはリズム感と切れの良さがありますが、エーネスは常にゆったり深々と歌ってい ます。文学的な構えを必要としない新しい世代の台頭という意味で似てるんでしょうか。

 ヴァイオリンをそれと正反対の性質を持つピアノで例えるという、ちょっと無謀なことをしてしまいましたが、表現の 具体的なことに話を移しましょう。この人の演奏はこのバッハのチェンバロ伴奏付きのソナタ以外でも皆同じ傾向のよう です。無伴奏のシャコンヌでも非常にゆったりと丁寧に進めて行き、フレーズごとのテンポの変化はあっても、感情が盛 り上がってくるところで一切速くなる気配を見せません。ベートーヴェンのクロイツェルでも、静かに歌わせるところは 思い切ってたっぷりと歌い、誇張かというほど弱めたりしますし、遅いので分解的に響いて別の曲に感じられる一面もあ るものの、形が崩れるところは一切なく、常に完璧です。このヴァイオリン・ソナタでも、ビブラートをつけ、やわらか い抑揚で太く甘い低音で歌い、高い音は艶やかで一点の曇りもない美しさです。速いパートになっても力みがなく、リ ラックスしてやすやすとこなします。どこにも誇張がない、どこにも癖がない演奏で、まるで作為をすべて取り除いたら 音楽はどうなるのか、という実験のようです。楽譜をちょっと美しい方向に、しかしそのまま音響化したみたいです。聞 いていて大変心地がいいです。ああ、これ以上表現できません。
 使用楽器は1715年製のストラディヴァリウス、イクス・マルシックというものだそうで、最近の音のきれいなヴァ イオリンと言えばジョシュア・ベルもギル・シャハムもいますが、文句なしにこの人も美しいです。生で聞いてないので CD の話ですが。演奏は必ずしも好みとは言えないですが、あまり見事なので♡を一つ付けておきました。決して
誰も貶せないでしょう。

 アナレクタという名前は知りませんでしたが、フランス語圏カナダ、ケベックのレーベルのようです。録音は Vo. 1と2が出ていて2004年と2005年です。カバー写真はVo. 1のものです。優秀録音ですが、個人的にはもう少しだけ 高域の輝きが抑えられた方がいいような気もします。しかしこの手のヴァイオリンものとしては一般的なバランスで、た だ私だけがやわらかい音を好むというだけですから、これも欠点のない音です。



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