ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 26人聞き比べ
Beethoven: Piano Sonatas
![]() 取り上げるピアニスト26人: バックハウス/ケンプ/グルダ/グールド/ルービンシュタイン/ホロヴィッツ/ポリーニ/アラウ/アシュケナージ /ゼルキン /ギレリス/リヒテル/ペライア/オコーナー/ブレンデル/ピリス/ルイス/バレンボイム/シフ/グリモー/コルスティック
/ブラウティハム/ブッフビンダー/グッドイヤー/インマゼール/ギルトブルク
ベートーヴェンのピアノソナタはハンス・フォン・ビューローに「ピアノ音楽の新約聖書」と呼ばれ(*)、クラシック愛好家の間では山に喩えられたりします。ベートーヴェン自身の作品としても交響曲・弦楽四重奏曲と並んだ大きな山だし、ピアノソナタのジャンルとしても、他の作曲家の間にそびえた高峰でしょう。リヒャルト・シュトラウスは山と讃えられるワーグナーを評して「ぼくは登らず麓を回ってきたんだ」と言ったそうだけど、登山が苦手だと途中の見晴らし台で根が生えたり、ロープウェイで一気に上って頭痛になったりするわけであり、ソナタの大縦走となると大変なことです。古今の名演奏を繰り返し聞いている強者のファンこそが百名山を論じるべきでしょうから、ここでは美しいメロディーで始まるものの奏者によって弾き方が大変異なる「月光」(14番)と、簡潔な中に激しさと静けさの両面をそなえた後期の傑作、30番のソナタを主な題材にとって、ちょっとだけ比較してみることにします。この作曲家の到達点とも言うべき32番の第二楽章こそを真っ先に取り上げるべきかもしれませんが、評価の高いピアニストたちの中にも楽譜通りか力が入り過ぎるかして情感の感じられなかった演奏もあり、昔はそうした録音のみを通してこの曲を知ったがために、その魅力にしばらく気がつけなかったという経験もあります。なので参考にして解説する場合もありますが、触れないこともあります。 第1番の作曲時期
ピアノ・ソナタの全集を念頭にピアニストを聞き比べることにしたので、全部の楽曲解説はしないけれども、聞き比べる曲を中心に作られた時期などを概観してみます。まず、ベートーヴェンがソナタの第1番を作曲したのは1795年、ハイドンに師事するためにウィーンに移った後、二十四、五歳のときで、曲は2番、3番とともにハイドンに献呈されました。これが始まりと言っていいでしょう。それ以前のボン時代の少年期にも選帝侯ソナタなどの習作はありましたが、本格的なのはこの番号付きになってからです。
初期三大ソナタ〜「月光」の作曲時期
第14番の「月光」は三十歳時の1801年の作で、ピアノを教えていた十四歳の美少女、ジュリエッタ・グイチャルディに夢中になっていた頃でした。彼女に献呈されています。タイトルが「月光」となっているのは詩人のルートヴィヒ・レルシュタープ(1799-1860)が「月の光に照らされてルツェルン湖の波に揺れる小舟」などと評したからで、実際の曲想とは関係がなかったようです。先立つ1799年(二十八歳頃)に出版されて最初の人気作となった第8番「悲愴」、中期の傑作の多い時期、交響曲第5番(「運命」)と同じ頃に書かれ、似た動機も聞かれる第23番「熱情」(三十六歳時の1807年に出版)と合わせて初期三大ソナタと呼ばれています。
後期三大ソナタの作曲時期
第30番から32番までは後期三大ソナタを成すもので、32番がベートーヴェン最後のピアノ・ソナタとなりました。作曲時期はこれら三つとも1823年完成のミサ・ソレムニスとほぼ同じ頃であり、「第九」交響曲が24年、後期弦楽四重奏曲が25〜26年(絶筆の第16番は死の5ヶ月前)なので、それらよりは前のタイミングということになります。個々には、第30番 op.109 が1820年か21年頃、31番 op.110 が1821年の12月25日完成(五十一歳時)、32番 op.111 が翌22年の1月の完成となっています。その第二楽章のえも言われぬ美しさは弦楽四重奏曲のいくつかと並んでベートーヴェンが到達した最後の地点です。そして全体的に見てもこの三曲は、他のソナタ群と比べて色濃く晩年の境地を反映していると言われます。
その他の標題付き有名曲
上記以外のソナタについては、必ずしも標題が付いているから優れているというわけではないものの、付いているものはそれゆえに知られてはいます。第12番「葬送」、15番「田園」、17番「テンペスト」、21番「ワルトシュタイン」、26番「告別」があり、29番は技巧的にも音楽史的にも意義のある大作とされている、力のこもった「ハンマークラヴィーア」です。それ以外にも24番を「テレーゼ」、25番を「かっこう」と呼ぶこともあります。この中で作曲者自身がタイトルの付与に関わったのは「悲愴」と「告別」のみです。
*アルトゥール・ニキシュと並んで指揮者というものの地位が確立してきた頃の大指揮者であり、「ドイツ3大B(バッハ/ベートーヴェン/ブラームス)」なる言葉もこの人が言い出しました。「新約聖書」というのは、バッハの平均率クラヴィア曲集を旧約聖書になぞらえたことに対してそう呼ばれます。
![]() Beethoven Piano Sonatas Wilhelm Backhaus (pf)
ウィルヘルム・バックハウス(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ まず、絶対外せないオーソリティから行きましょう。ベートーヴェンのソナタの場合、フィッシャーやシュナーベルもいるけれども、よく聞かれているピアニストとしてはバックハウスの演奏がそれに当たるでしょう。1884年のドイツはライプツィヒ生まれで、ケンプよりも十歳近く年上のバルトークと同じ世代の人です。1969年に八十五歳で亡くなっています。ライプツィヒはドイツ一伝統のある音楽の都であり、彼はそのピアニズムの継承者だという意味で、よく「鍵盤の獅子王(Lion of the keyboard)」と呼ばれます。ライプツィヒ市の紋章がライオンだからです。また、日本では評論家の吉田秀和氏が高く評価したことで人気が定着しました。 「賢者の音楽」というタイトルで、吉田氏は興味深いことを書いています。たまたまフィシャー・ディースカウと同じタクシーに乗り合わせた、などという始まりだけど、そのときその世界的歌手がバックハウスを指して「賢者だ」と言ったというのです。その意味するところを彼は、安易なテンポ・ルバートを避けることから来る格調の高さだと解釈することで論を運んでいます。テンポ・ルバートというのは、一続きのフレーズの中である音を早めたり遅くしたりしてずらし、感情の揺れなどを表現するテクニックです。普通はあるフレーズを強調したいためにその頭を遅めると、それ以降の部分がしわ寄せとして自動的に速まります。ショパンなどでは多用されるわけだけど、ブラームスのコンチェルトでは、「それをやるとトリヴィアル(平凡)になる」とバックハウス自身が言ったのだそうです。つまり格調高い表現を目指していたということでしょうか。そしてこう言ってしまえば単純化し過ぎかもしれませんが、吉田氏によるとバックハウスの演奏の技術的側面は、美しい音色を紡ぎ出すという点を除けば、「アゴーギク(テンポの伸び縮み)においてアッチェレランド(次第に速くなる)はする一方で、ルバートはかけない」ということになりそうです。 では、実際に聞くとどうでしょうか。吉田秀和も亡くなってしまい、あのドイツ語まじりののっそりした喋りを聞けなくなって寂しいですが、元気な頃は老いたホロヴィッツを「ひびの入った骨董品」と表現して話題にもなりました。有名ではあってもコマーシャリズムに流されず、自分の耳で聞けと諭した人なので、ここでも自分なりに聞いてみようと思います。 バックハウスの演奏ですが、個人的にはどうも彼の言うようには聞こえないところがあります。「月光」から行きますと、出だしの有名な葬送の部分ではテンポが案外遅く、どうかするとシフが「日が暮れる」と揶揄していたような伝統的表現にも聞こえます。他の緩徐楽章では全体に速い人のように感じるのに、粘りのある重い表現に振れる幅もあるようです。 そしてそういう例外を除いて、敢えて言うならば、全体に落ち着きのない傾向も感じられました。リズムが不安定で投げやりに聞こえるところがあるのです。それは30番からの最後のソナタ群でも同様だけど、確かにフランス人の弾くショパンのような大胆なルバートではないかもしれません。でも隣り合った音符のまとまりを均等に弾いているのとは違います。揺れています。しかもフレーズの頭を後ろへと遅らす揺れは案外目立たず、小走りに速くなる方が耳につきます。「アッチェレランド」というと、フォルテの部分や終結に向かって興奮して速くなる状態をイメージするわけですが、そんな風に込み上げて来るようなものではなく、バックハウスの場合はより短い単位で小節の頭の拍が早まるという種類です。瞬間的小走りというか、要するに速い方へとずらすルバートなのです。むしろ頭が早まった分、その後ろが延びるという補償的な規則性はなく、どんどん早める方へ切り詰めて行くと言った方がいいでしょうか。それとも、これが吉田秀和の語った「アッチェレランド」なのでしょうか。この傾向は50年代の頭に入れた前回の録音の方が顕著だけれども、最後の全集でも洗練はされながらも残っています。 もちろん揺れ幅自体は大きくはなく、前拍で間を取って次に強く叩く一般的なルバートもありますが、結果として全体に甘さのない、情緒に流されない音に聞こえます。さらに言えば、終わりの音符を十分に延ばさない結果、余韻を味わってないような印象もあります。31番のフーガなど、ポリーニとはまた違うけれども、切れ目なしに続いて行く音に個人的にはちょっと気後れします。情緒に浸らないその様子は眠らない獅子のようながら、これはほぼ同世代のヴァイオリニスト、シゲティがロマン派の大仰を嫌ったと言われるようなことと関係があるのでしょうか。
この弾き方で思い出すこともあります。それは、バックハウスのリズムは古楽器演奏のマナー(ピリオド奏法)にちょっと似ているということです。 古楽ならルバートではなく、二音ずつ伸び縮みさせるノート・イネガルと言うべきかもしれませんが、一世風靡したあの前のめり奏法を思わせます。もちろん古楽奏法が世に出てきたのは60年代で、一般的になったのは70年代に入ってからなので、このバックハウスの61年の録音と古楽器の流行とは関係がありませんが。 権威であるばかりに辛口のことばかり書いてしまったけれども、安易にメロドラマティックにならないのはバックハウスの美点だと思います。ベートーヴェンのソナタを最初に全曲録音したシュナーベル、同時代の対照的な表現のケンプと並んで三大名演と言われるのも分かります。ケンプとは好き嫌いが二分されると言われるけれども、バックハウスの音色が大変きれいなことは吉田秀和氏の指摘する通りです。バックハウスはベーゼンドルファーの愛好者でした。同じくベーゼンドルファー弾きのグルダよりも力を入れて叩く傾向は少なく、録音年代で想像するよりずっと美しい音が楽しめます。それと、ソナタでは以上の通りの感想だったものの、協奏曲の「皇帝」などはまたちょっと印象が違っていたので、一概には言えないかもしれません。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Wilhelm Kempff (pf) ♥
ウィルヘルム・ケンプ ♥ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 1895年生まれで1991年に九十五歳で亡くなったドイツのピアニスト、ウィルヘルム・ケンプはベートーヴェンの演奏家としてはバックハウスと並ぶ大家とされています。また、二人の性質が違うので好みがどちらかに分かれるとも言われます。バックハウスは独特の駆け出すような崩しに加えて区切りの音を延ばさない扱いが「眠らぬ獅子」の覚醒を感じさせ、吉田秀和が「賢者」と呼んだことはバックハウスの部分で述べました。それに対してケンプという人はその振り子の反対のように扱われるせいか、ロマン主義の徒だと言われます。しかしバックハウスが賢者なら、ケンプにも同じように俗世を離れた導師のようなところがあります。抑揚のある歌はうたうけれども、決して自分を慰めているのではないと思います。この人は信仰が厚かったのでしょうか。自分の身に起こっていることが何であれ静かに見る信頼のようなものを感じます。はったりが抜け落ちた自分への正直さ、そこに達成を追わない安寧と回想が混じっています。 ケンプのベートーヴェン全集は3セットほど出ています。モノラル時代のものと日本でのライブ、そしてこの1964〜65年のドイツ・グラモフォンのスタジオ録音です。ケンプはライブで味わい深い音を出すことがあり、また晩年の録音は独特の世界ですが、この全集はそのどちらでもないながらこの人らしい味わいは共通しています。弾き方の特徴についてはバッハの「ゴールドベルク変奏曲 CD 聞き比べ」のページで書いたので重複しますが、少しだけ見てみます。 「月光」の出だしではやや速めのテンポでさらっと始めており、これだけでも彼の音楽が常に思い入れたっぷりではないことが分かります。しかし陰影の濃さが印象的です。音の強さのステップが多いのです。そして静かに漂ううちに、右手がやわらかい音からはっきりした音へと盛り上がって来るところに惹きつけられます。左手の伴奏に対して右手が主題を奏でるとき、ケンプは常にくっきりと右手に語らせます。 伴奏の三つ続きの音符で三つ目を時々遅らすように表情を付け、ルバートも自在ですが、溺れる気配はありません。これが葬送行進だとするなら、心は揺れているのに、同時に静観しているようなところがあります。 第二楽章は大抵の演奏では前の楽章とコントラストを効かせるけれども、ケンプは意図的な変化を付けようとはしません。軽やかながら快活というほどではなく、やはりどこか静かです。自分の中の印象に従っているのでしょう。展開部の入りには強さがあり、そこではコントラストが付きます。
第三楽章の嵐は速くてダイナミックです。でも音を味わいつつ計っているような目を感じます。コンサートで見せる、あの遠い一点を見ているように見開かれた目です。そしてフレーズの途中から急に力が入って湧き上がるようなところがケンプらしいです。 第30番の出だしも非常にさらっとしています。どこか楽しげだとすら言えるほどで、後期の作品だという構えはありません。弾くこと自体が喜びなのでしょう。この曲は本来こうなのかもしれません。右手の強い音がくっきりとしていま す。 第二楽章はスタッカート気味でリズミカルです。速いけれども押すようなところはありません。 第三楽章もさらっとしながら味わいのある絶妙なバランスで、ロマン派の靄は降りていません。でもバックハ ウスの眠らぬ情緒とは違う種類の覚醒です。弾き手の感情を押し付けて来ないという意味で、ロマンティックではないのです。一つ高い世界に連れて行かれたようであり、こういう弾き手は他にいないでしょう。最後はゆっくりと減速して静かに終わります。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Friedrich Gulda (pf)
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ グルダの全集は賞も取り、内外の評論家も絶賛するベートーヴェンのスタンダードです。日本ではバックハウス、ケンプ、グルダ、という順で推薦されているようです。ウィーン生まれでありながらウィーンの伝統に背を向け、格好も行動もヒッピーのようであり、ジャズだけでやって行くと言って周囲を驚かせたりしたその奇行の数々によってカリスマ的人気を得ましたが、ベートーヴェンのこの1967年の演奏は正統派というのか、決してふざけてもいなければ飾り気もなく、ジャズの即興めいた遊びに満ちているというわけでもない真面目なものです。そして大変力強いです。きっと元々が真面目な人だからこその奇行だったのでしょう。 モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と21番の録音は音にきついところがあるものの、遊びの装飾音が入って明るさがありながらもひたむきで、未だにこれを超える演奏がないと思わせるぐらい素晴らしいものです。ジャズを弾けるピアニストだからこその好演とも言われたわけだけど、一方でこちらのベートーヴェンの方はそうした奔放さは少ないように感じます。聞いているとグルダはベートーヴェンを大変尊敬していたのだな、と感じます。モーツァルトの協奏曲でもベートーヴェンのカデンツァは劇的でした。このソナタの演奏では軽さと感覚的効果に訴えるところが少なく、テンポもゆっくりのところは大変ゆっくり弾いています。後期の作品ではないながら「月光」についても、どの瞬間も真剣勝負となっています。 タッチが強いところはモーツァルトのときもそうだったけど、ここではさらに強く感じます。多くのピアニストがベートーヴェンとなるとそういう弾き方をするものの、グルダの演奏もこの作曲家に対すイメージを裏切りません。ウィーンの伝統には背を向けたかったにせよ、グルダはウィーンの名器であるベーゼンドルファーは愛用していました。しかしここでの音はその明るくて金属的にならない高音、弾んでよく響く中低音という一般的な印象とは大分違って聞こえます。強く打鍵し、最大限に鳴らし切るからでしょうか。 1930年生まれで2000年に亡くなっている大変個性的なピアニストであるグルダ。好きな演奏家の一人です。面白いトルコ帽のようなものを被り、コンサートの曲目紹介ではちょっとおどけた風情でシニカルに、距離感を醸しつつ英語で説明してくれてました。懐かしいです。ただ、代表作であるこのベートーヴェンのピアノ・ソナタについては、迫力があって欠点がないながら個人的にはもっと遊びの部分を期待しました。そして一人ぐらいそう言っても、この名演の価値は損なわれないことでしょう。 ![]() Beethoven Piano Sonatas (Nos. 30-32) Glenn Gould (pf)
グレン・グールド(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 録音年代が前後しますが、グールドはそのキャリアの初めの頃である1956年、有名になったゴールドベルク変奏曲の直後にベートーヴェンの後期三大ソナタ集を出しています。後期から先に出して来る姿勢はポリーニとも共通してるけど、彼の場合はどういう意味があるのでしょうか。速いところも遅いところも意表を突く極端な解釈を見せ、皆を驚かせる発言で気を引いて来た孤高の天才、グレン・グールドは1932年のトロント生まれで82年に亡くなったカナダのピアニストです。カリスマ的人気があるのでベートーヴェンも外せません。 「月光」は1967年の録音です。どんな強烈なのが出て来るかと思えば、意外なことに速いテンポで非常にさらっとしています。ルバートはかけず、抑揚はちゃんと付いています。そのポーカーフェースぶりがグールドらしいのかもしれないけど、真っ当です。あるいは速く流すという時点で、シフも指摘したように、この曲の伝統的な解釈とは異なっていると言えるのかもしれません。 第二楽章は響きが抑えられた乾いた運びです。軽妙であり、権威は振りかざさないぞというところが面白いけれども、これもあらかじめ構えていると普通に聞こえます。第三楽章の速さはいかにもグールドです。軽く、間を取らずにどんどんと倒れかかるように猛スピードで行きます。 30番の方は何だか、フランソワの演奏を早回しで聞いているかのような印象です。というのもバッハや「月光」 などではあまり感じなかったルバートがかなり大きく、ゆっくりになったかと思うと前へなだれかかるように走ったり、大胆なのです。フレーズの変わり目で間を開けず、次の主題が前の終わりに被るように続けられたり、いかにもなグールドな超速が出たりします。第二楽章では風車が気ままな風に翻弄され、回っては止まるよ うであり、天衣無縫というか傍若無人と言うか。でもこの無法地帯をドリフトで駆け抜けるスポーツカーのような運びも、慣れて来ると乗れるから不思議です。一方で第三楽章のゆっくりのパートではずいぶんと時間をとってたっぷり歌わせており、そこへ崩しが大胆に入って来ます。グールドはカナダ人だけど、まるで世紀末フランスのデカダンとでもいうか、ジュ・トゥ・ヴのシャンソンを弾きなぐっている映画の酒場にいるような錯覚を覚えます。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Arthur Rubinstein (pf)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ショパン弾きで名高いルービンシュタインは1887年にショパンと同じポーランドに生まれたユダヤ系のピアニストで、二次大戦時にアメリカに移って活躍し、1982年に95歳で亡くなっています。視覚的記憶力が異常に高かったことは有名で、ベートーヴェンは暗譜してレパートリーとしては持っていたようながら、録音はあまり出していません。ただ、その少ないものの評価が高いようですので、ここでは62年録音の「月光」のみで比較します。同じくユダヤ系でアメリカで活躍し、ショパンを得意としていたホロヴィッツと比べられることも多いでしょう。 「月光」の始まりはゆったりしたテンポで、リズムに独特の重さと湿りがあって荘重です。これはショパンでも同じように感じましたが、所々で音を延ばして遅らせるせいのようです。 第二楽章でもその傾向は同じです。ここはよく、霧が晴れたように前とのコントラストをつけることが多いけれども、粘るスタッカートが重さを感じさせます。ゆっくりしたテンポで確かめるように進みます。 第三楽章の嵐はテンポこそ速いですが、くっきりしているというよりも、一塊の響きとして迫って来ます。 ルービンシュタインの演奏は重みがあり、格調高いと言えるでしょう。枯れて力が抜けたホロヴィッツとは対照的で面白いと思いました。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Vladimir Horowitz (pf)
ヴラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ どんな難曲も水が流れるかのごとくさらさらと弾いてしまう超絶技巧で有名になった人であり、その音色も独特だったとして神がかり的な人気を誇るホロヴィッツ。リストやショパンなどを得意とするレパートリーのせいか、個人的にはあまり聞いて来ませんでした。ベートーヴェンもまとまって録音が残っているわけではないけれども、「月光」は高く評価する人もいますので、番外編的にそれだけ取り上げます。 余計な話ですが、ヴラディミールというのは英語発音、ウラディーミルというのはロシア語発音のようで、表記は一定しません。 第一楽章はさらっとした枯れた入りで、しっかりとダンパー・ペダルを使い、しかも音がきれいです。シフのように常に三分の一踏みっ放しというのではなく、所々で戻して過剰な音を吸収させていますが、まるで踏みっ放しのように聞こえるのはベートーヴェンの意図を分かってやっているのでしょうか。全体としては力の抜き加減が印象的で、微かながら抑揚が流れるように息づいており、これが葬送だとするならば、故人への思いはもう嘆きの段階を過ぎているようです。あるいは回想の中の葬送でしょうか。強く込み上げて来るものがたまにあったとしても、その次の音では諦めが勝つのか、やわらかく抜けて行きます。何だかこのピアニストの波乱に満ちた過去を上から眺める作業につき合わされているような、なんともいえない滋味があります。これほど淡々としつつ味わい深い「月光」のアダージョは滅多にないでしょう。半端な人には弾けないと思います。 第二楽章の力の抜け具合はどうでしょうか。わざとたどたどしく弾いているかのような不思議な味があります。弱い音は消え入るかのようです。 第三楽章も出だしから速いにもかかわらず、力が抜けています。最初にヘ音記号からト音記号に跨って右手がばらばらと16部音符で駆け上がって行った後、2小節目の終わりでスタッカート付き八分音符二つが激しく打ち鳴らされる区切りで、ホロヴィッツは拍子抜けする弱い音で弾いています。ここは強いアクセントで弾けというスフォルツァンド記号(sf)がついているはずなのですが、そう来るとは粋です。 1903年のウクライナ生まれで、アメリカで活躍し、「ひびの入った骨董」と批判されたのが83年、89年には亡くなっています。「月光」の録音は72年です。アルゲリッチやポリーニに先立つ超絶技巧の元祖で、耳が痛いほどに歯切れ良くばりばりと弾く人ではありますが、ここでの印象は異なりました。感情が乗らない豪快なテクニシャンなんかではありません。むしろ正反対で、大変豊かな情緒を持ち合わせているようです。ただ、すでにどこか突き抜けているようではあります。 ![]() Beethoven Piano Sonatas (Nos. 30-32) Maurizio Pollini (pf)
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 1942年ミラノ生まれで母親もピアニスト、1960年にショパン・コンクールに当時最年少で優勝したポリーニは、審査員のルービンシュタインが「誰よりも巧い」と発言して以降、その完璧なテクニックを賞賛され続けて来ました。似た路線のアルゲリッチと並んで日本でも大変人気があり、超絶技巧家の名をほしいままにしたわけです。今でも好きな人は多いと思います。楽譜の完全な再現だという人もいます。 30番のソナタ(75年録音)での出だしを聞いてみると、そういった静かなところでは、やや抑え気味ながら確かに抑揚が付いています。情に流されず、そっけなくもならずに歌っていて、リタルダンドもあるし、強弱も確認出来ます。しかしそれがひとたびゆっくりなところから走り出すパッセージに差し掛かると、途端に面白い変化が起こります。気持ち良いくらいに音が揃うのです。何か待ち構えていて一気に弾いているという感じです。速いパートに喜びを覚えるのでしょうか。ポリーニを評して機械的と言う人もいるけど、恐らくこういうことを指すのでしょう。そのフォルテの速さと均質さは並大抵ではなく、どこまでも揃っています。しかもフォルテですから、強靭な、乾いた音の連続となります。この曲の中ほどには激情的なフォルテが続く部分があります。ファンにはポリーニのそういったところが小気味良いのでしょう。逆にアンチは騒音だと思うかもしれません。打ち込みのようだとまでは言わないものの、完璧過ぎるからです。具体的な内容と誰だったかは忘れてしまったけれども、評論家がオブラートに包んだようにして「追い詰められた苦しさ」とか、「この完璧路線で行くと限界が来てもう行き場がない」などといった表現をしていたことも思い出します。確かに、今後 AI ピアニストでも登場すれば速いパッセージを強く正確に表現するようなことは誰より上手くこなすでしょうから、そういう種類のピアニストは追い詰められ、価値ある演奏家のタイプも変わって来るのかもしれません。ただ、それとは別にこの音は以前に聞き覚えがあるような気もするのです。思い返してみるとその均質で強靭なフォルテは、何かのプログラムで見聞きした自閉症スペクトラムの有能なピアニストが嬉々として休みなく弾く音に似ています。ポリーニがそうだというわけではありません。でもこの人は生得的に特殊な才能の持ち主なのかもしれません。
単なる分類に過ぎないけど、グレン・グールドが同じ範疇だとする人もいます。ときに他人の感情を理解することに困難を覚える人たちのことです。でもグールドは違うでしょう。むしろ彼は過敏であり、自身の発言からすると、人の目を気にするがゆえに変わった弾き方を敢えてしていたようです。ポリーニには、少なくとも音の上では、感情世界と距離を置くことが出来る人の響きに似たところがあるような気がします。もちろんどんな個性であれ価値があります。完璧な演奏はそれ自体が高く評価されるべきです。ただ、最近になってポリーニの指は衰えて来たけど、その方が味わい深くなっているという人もいますので、機会があったら確かめてみたいとも思います。
ポリーニのベートーヴェンのソナタ全集は一度に録音されたものではなく、長い間かかって徐々に弾かれ、それが集められて完成されました。まず1975年(三十三歳時)にいきなり後期三大ソナタの第30、31番、77年に32番が録音され、それらが一枚の LP として発売されて話題になりました。大変高い評価も得て、優秀録音盤とも言われたものです。一方、「月光」は1991年の録音です。そして七十代になった2014年に全曲が完結しています。
上では具体的なことに触れなかったので、不要かもしれないけど第30番からもう一度具体的に見ます。第一楽章は完璧に揃っています。くっきりしたタッチでスケルトンを見せてくれ、正に楽譜の理想的な音化と言えます。強い音は粒立ちが良く、一音ずつ独立した曖昧さのない表現です。繊細なやわらかさを期待するものではなく、テンポ変化もほぼなく、ニュアンスはあるけど薄味です。続けられる第二楽章も力強く音が分離し、超絶技巧家らしくばらばらと馳けるフォルテが機銃乱射のようでもあり、胸のすく運びです。
第三楽章も淡々としています。楽譜から事前に設計して丁寧に仕上げたみたいな強弱が完璧に付いていて、感情の揺れが分かるようなものではありません。顔立ちが完璧に整っているわけで、もちろんきれいと感じるでしょう。理想のテンプレートと言うべきです。
最後の32番にも触れますと、出だしの強靭なタッチはベートーヴェンとして誰も文句を言えないと思います。強くても混濁せず、分離も良いです。そうしたフォルテの音は乾いていて多少無機的に感じたので個人的には苦手ながら、速いパッセージはやはり正確無比です。
第二楽章はやわらかく静かに始まり、強弱の抑揚があります。乱れがありません。ガラスの仮面を外して欲しいとも思ったけど、素顔も CG 合成されたゲーム画像の人物同様にスタティックなパターン生成だとするなら、そう望むのも申し訳ありません。インテンポでストレートで、メトロノームとは言わないまでも揺れはありません。聞きどころであるピアニシモの三連音とトリルの部分も一音ずつくっきりと丁寧にこなします。この演奏にベートーヴェン晩年の精神性が現れているかいないかは誰にも論証出来ない問題でしょう。そしてそこからのクレッシェンドこそを聞かせたかったのでしょうか、強い音になると水を得た魚となります。目覚ましく歯切れ、ホロヴィッツもそうだったけど、強いタッチゆえに個人的には金属的倍音の重なりがきつく感じました(録音の性質もあります)。この32番、この録音を聞いたがゆえに、ポリーニは特殊な感性の天才ではないかという自分の中の見方を確立することになりました。
「月光」に移ります。出だしは普通にゆったりで、この楽章、全体的には中庸のテンポです。ためを効かせる拍もあるけど、あっさりとしたニュートラルな表現です。インテンポで最後まで一定であり、抑揚は強弱のみで表現していると言っても良いでしょう。強い音ではダイナミックな打鍵を見せます。
第二楽章はゆったり、やや重さと粘りを付けているのでやわらかい印象もありながら、強くなるとやはり一歩下がってからの大技のようにコントラストが付きます。しっかりと抑揚を与えつつも揺れはなく、前の楽章同様にインテンポです。
さて、嵐の楽章である第三楽章こそはポリーニの本領発揮です。超速で完璧。乾いたダイナミズムを味わえます。
![]() Beethoven Piano Sonatas Claudio Arrau (pf)
クラウディオ・アラウ(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ チリ出身でドイツで学んだアラウは、ドイツ文化を代表するベートーヴェン弾きの一人です。1903年生まれで91年に88歳で亡くなっている20世紀の巨匠です。全集は二回出しており、62〜66年に録音されたデッカ盤、80〜91年のフィリップス盤(写真上)があります。基本的には新旧ともに表現の方向性は大きくは変わっていないのではないでしょうか(他曲で多少変わったと感じるものもありました)。老齢ともなれば指が衰えるのは仕方ないですし、音の重なるところが少しがやがやしたりもするものです。 30番の出だしは大らかなカンタービレというか、大変表情豊かです。アコーディオンを膨らませるようにして延び縮みと強弱を与えるため、滑らかに波打つたっぷりとしたやわらかさに包み込まれます。その脈動の仕方は厚みのある絨毯を沈み込みながら踏みしめ、一歩ずつ歌って歩いて行くようです。ひとたびこの豊かな抑揚が気に入ったら、他に探せないのではまるかもしれません。アラウのベートーヴェンは常に、この曲に限らず安心できる種類の大きな感情表現に彩られています。変な例えだけど、校長先生に教えられているような、とでも言いましょうか。だからふざけたらきっと叱られます。意外さや遊び、軽妙さはあまり感じられず、真っ当な表現で押しの強さもあります。叙情的とはこういうことだよと教えてくれるように。真面目な演奏だとだけ言えばグルダもギレリスも他の多くの演奏家も皆含まれてしまうけど、では具体的には他にどんな特徴があるのでしょう。力で叩く感じではないものの、時おり確認するように決然と遅くなります。そしてそのように足取りがゆっくりになるところでは大胆に遅さが続き、力が籠もります。一つひとつ丁寧に確認して行くような几帳面さがあります。第二楽章などの力強い部分では技巧家のように走ったりはせず、力づくではありません。フォルテの部分にも歌を与えています。
第三楽章も非常にたっぷりと歌っています。音はペダルの扱いのせいか、いつも溶けて渾然一体となっています。
32番も、特にその第二楽章など、確かめながらの遅過ぎるぐらいの進行によって晩年の深みを表そうとしているようです。三連音とトリルの部分も一音ずつ分解された丁寧な運びとなっています。
「月光」はというと、第一楽章はもちろん深々としてゆったりです。シフが揶揄していた遅い演奏というのはこのアラウのことではないかというぐらいで、学問的解釈など関係なく、たっぷりとした情緒が味わえます。
第二楽章もゆったりで重く、粘りがあります。第三楽章の嵐こそはかなり速いですが、重量感のあるクレッシェンドが聞かれます。
フィリップスの大変優秀な録音です。潤いがあって、やわらかさも艶もある美しいピアノの音です。最も魅力的な録音のセットだと思います。
![]() Beethoven Piano Sonatas Vladimir Ashkenazy (pf)
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 1937年のロシア(ソ連)生まれで父方がユダヤ系、後に西側に亡命したピアニストです。洗練とか中庸などという言葉でよく評され、端正で欠点がない美しい演奏は万人に好まれると言われます。デビュー当初はその華麗な技巧について語られ、一方でベートーヴェンの室内楽ではむしろ角のあるリズムで重々しく威厳を感じさせたりもし、この人らしさについて語ろうとすると言葉が相互に矛盾します。コンクールで良い成績を残さなければならないという一族の使命を帯び、大変苦労した人だという話も聞きます。ただ、乗せて欲しいところと別の部分に感情が乗るように感じたり、丁寧過ぎるように思えたりで、個人的にはよく分からないところもあるピアニストの一人です。ラフマニノフの2番の協奏曲の63年録音盤などは、底光りのする落ち着いた表現で見事でした。 1971年から80年にかけて録音されたベートーヴェンの全集はスタンダードとして大変評価が高いものです。その評価通り、リズムは一定に近く、大きくテンポを動かすようなところはありませんが、ゆっくりのパートでの崩し方には特徴があり、ときどき遅くして粘るのはこの人の個性のようです。情緒の質自体は、ロシア的叙情とでも言えるような重く生真面目なものを感じさせる瞬間もあるものの、表面に出過ぎたりはしません。それに対してピアノの音はフォルテで軽く明るいのが対照的です。これはデッカの録音のせいかもしれません。強い音に常に金属的な倍音が乗る派手なところがあります。リマスターされるとどうでしょうか。速いパッセージは正確です。
個人的にはラフマニノフのラプソディー(パガニーニの主題による狂詩曲の一曲で映画「ある日どこかで」のテーマ)など、他にあまりない佳曲を出してくれているので愛聴しています。上記の協奏曲もです。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Rudolf Serkin (pf)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 昔、初めて「皇帝」を聞いた瞬間は強さ以外あまり印象になかったのですが、ゼルキンという人、「月光」も30番も、なんと情感のある演奏なのでしょうか。全体に決して遅くない運びの中のこの表情の豊かさ、しかも感傷に陥らない緊張感。どう弾いているのでしょう。 「月光」の第一楽章ではさらっと流しているようでいて、拍が一瞬遅れたりして静寂を強調します。振れ幅は少ない中で、よく聞くと強弱も複雑に息づいています。ときに鼓動が微妙に速くなるところなど、思い出によるときめきが人を苦しめるのか、何か胸騒ぎがするのか、瞬間的な興奮が揺れる心の動きを映し出します。この繊細さはゼルキンならではと言えるでしょう。そして第三楽章の驚くような速さは正にパッションです。 1987年録音の第30番も、出だしの崩し方がエレガントです。波のような大きな呼吸がありながら大仰とは違うデリケートな味わいがあります。フォルテのタッチは大変強い一方、力で押し切る鈍さはありません。一音一 音がくっきりとして濁らず、走り出すことなく端正です。内側から湧き出して来るものに素直に従っているようです。第二楽章は明晰です。 第三楽章も強弱のアクセントがはっきりしていて、訥々と区切って行く力強いフォルテがあります。そして音に独特の粘りがあるのに重過ぎず、溺れません。感情が込み上げて来るときに速くならないところには感銘を受けます。音色は独特で、強いタッチでは倍音に多少ハーシュな鋭さが乗るけれども、その瞬間にはすでに心をとつかまれています。磨かれた艶とはまた違った魅力です。この曲の終わり方は唐突ながら、その後に時間差でやって来る興奮に圧倒されました。映像もありますので是非見てほしいと思います。
ルドルフ・ゼルキンはチェコ生まれのロシア系ユダヤ人で、ウィーン育ちです。1991年に88歳で亡くなっています。ピアノはスタインウェイです。全曲は揃わないけど、あるものだけでもベートーヴェンのソナタとしては外せない名演だと思います。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Emil Gilels (pf)
エミール・ギレリス(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 1916年生まれのユダヤ系ロシア人ピアニスト、ギレリスもベートーヴェン弾きとしては名高い人です。1985年、全集を完成する前に亡くなってしまったので全曲は揃いませんが、第30番は最後の年に録音されたものです。骨太で雄渾な演奏とよく評されたけれども、ゆったりしたパートでは全く走るところがなく、やや拍を遅くずらすこともあって、重さと共に独特の深い静けさがあります。一音ずつ大切に弾いて行くような音はしっとりとした艶を持ち、このピアニストの晩年の境地が聞けるものです。フォルテは急ぐことなく、力強く決然としています。「鋼鉄」という表現が当たるかどうかは分からないけど、どこをとっても大変正直な人という印象です。大変素晴らしいです。「月光」の方も重くてロマンティックな趣があり、ちょっと霧の中にいるような、独特の風情があります。 30番の録音は新しいせいもあり、この人の飾らない演奏に相応しい太さと艶のあるきれいな音です。リヒテルの音にも似てるかもしれないけど、スタジオという利点があるのか、こちらの方がやさしさがあるように感じます。 ギレリスの芸術を指して、これほど深い精神性をたたえる演奏はないのだと言う人がいます。精神性という言葉の正体が何であれ、いわんとすることはよく理解できます。旧ソ連出身だから毎度言うわけでもないけれども、もしこの人がこの音に表れているように正直な人だったら、コンクールのことを色々言われるにせよ、自分らしくあろうとして苦労したのではないかと思います。ベートーヴェンに力強さと直截をイメージする人にとってはギレリスこそその人であり、最高の演奏家ではないでしょうか。 全曲が揃わない、特に第32番がないのは残念です。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Sviatoslav Richiter (pf)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ロシアのピアニストでギレリスとよく比較されるのはリヒテルでしょう。年も一歳違いの1915年生まれ、母はロシア人ながら父はドイツ人です。体制ゆえにその父がたどった運命と家族問題から、傷つきやすい年頃に過酷な日々を送ったようです。繊細な一方で厳格で直情的とも言われる彼の性質がそうした体験から来るものだろうことは想像に難くありません。また、文化でその芸術の特徴を言い切るのもどうかとは思いますが、我々は環境によって色に染まる生き物なので、ロシア的かどうかという観点で見るのもあながち間違いではないかもしれません。突然ベルマンやミッシャマイスキーのような人が現れて来るのもロシアならではでしょう。ピアノの語法といえども例外ではありません。独学の部分が強かったリヒテルはひょっとしたら違うのかもしれないけれども、1960年代頃までで19世紀的なロマン主義の継承者はいなくなり、その色を残しているのはロシア系の人たちだと言われたりもするわけです。 リヒテルとギレリス、この二人に共通しているのはあまり細かな細工をせず、足取りが大きく、重さがあって、そして自己の感情に没入した感じを与えるところでしょう。タッチの強さも似ています。どちらもフォルテが大変力強いです。リヒテルの方は好みでない曲は取り上げない人ということで、「月光」が聞けず、30番での比較となりました。録音もドイツ・グラモフォンとフィリップスのライブという違いはあっても、音色の傾向もちょっと似ています。 一方で違いの方は、大きなルバートではないけれどもリヒテルの方がやや細かく揺れる傾向があり、部分的に走りかける場面も見えます。 全体に激情的な印象です。バッハの平均律などで思い入れの強い弱音を聞かせるリヒテルだけど、それもこの同じ激情のもう一つの面だという気もします。リヒテルの方は1991年の録音で死の6年前です。ギレリス同様晩年の枯れた境地と言われるながら、息の長い追い込みやリタルダンドでもリヒテル、速いところもリヒテルの方が熱情的です。より淡々とした静けさが感じられるのはギレリスでしょうか。
![]() Beethoven Piano Sonatas Murray Perahia (pf)
マレイ・ペアイア(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ バッハでは流れるように自在な抑揚を見せたペライア、ベートーヴェンではどうでしょうか。全集は出しておらず、「月光」も後期三大ソナタも CD はないのでここでは番外編になるけれども(それ以外の5枚組選集はありますが、ここではジャケットは白紙にしておきました)、コンサートの模様はウェブで聞けます。バッハのときの静けさとはまた少し違い、30番ではやや重い、ためのある遅めのテンポをとっています。力まないところは相変わらずです。第三楽章など、情緒に浸り気味かと思えるほどの沈潜を見せるのは作曲家に対する彼の捉え方なのでしょう。元来もの思いに沈むような傾向は見られる人ですので、古典派ながらロマンティックなところのあるベートーヴェンとは相性が良いかもしれません。ブレンデルの感じやすさと感傷(ベートーヴェンは違います)に似ているようにも思うけど、同じ悲しさでももう少し距離感があるでしょうか。 ゴールドベルク変奏曲ではシフと比べました。ここでも似が傾向はあり、ペライアの方がシフよりも短いフレーズ内での揺れが少ないように感じます。一小節の中である部分だけ強調するというのではなく、もう少し大きなフレーズごとに抑揚を付けています。大きいといってもアラウのように押して来る感じにはならず、全体にゆとりはあります。バッハのときと同じような静けさを持っているとも言えるでしょう。といっても強い部分でダイナミックでないというのではありません。むしろ大変表現の大きな演奏だと言わねばなりません。煮えたぎるような感じではなく、燃焼するのです。
1947年生まれのユダヤ系アメリカ人のピアニストです。さすがに現代的な感覚を持っており、大仰さは見せず洗練されています。しかし真剣で真っ直ぐな、今を代表するベートーヴェンの一つだと思います。残りの曲も出してほしいです。
![]() Beethoven Piano Sonatas John O'Conor (pf) ♥♥
ジョン・オコーナー(ピアノ) ♥♥ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ この人については「月光」に関して別のページですでに取り上げました(「静かなタッチ/ベートーヴェン月光ソナタ」 )。1947年アイルランドのダブリン生まれで、ウィーンで学んだピアニストです。そのベートーヴェンには定評があり、ケンプがイタリアで教えていた講座を引き継いだこともあり、アメリカでは知名度も高いようです。 演奏は癖が強いというわけではないながら独特で、これほどやわらかい表現が美しい人はいないだろうと思います。決して走らず押し切らず、ベートーヴェンだからといってむやみに激情に駆られることはありません。フォルテは迷いなく力強いものの、節度と余裕があって叩きつけるようには弾きません。常に穏やかな中に繊細な表情を込め、弱音の表情が細かく変化します。ベートーヴェンのソナタ全集(上の写真は分売の後期三大ソナタ)としてはルイス、シフと並んで最も魅力的な演奏の一つでした。
第30番は温かくソフトな始まりから第三楽章の静けさまで見事です。暗くならずに深みを感じさせ、晩年の澄んだ境地を余すところなく伝えて来ます。色々な演奏をかけてみた後で思うのですが、この大人の魅力には抗することが出来ません。
32番の第二楽章は十分ゆったり入りますが、全体としては遅い方ではなく、幾分さらっとしたテンポ展開の中に深い情感を現します。誇張がなく、恣意的でなく、ともすると情緒過多に演奏しがちなところを実に適切に作曲家の至高の到達点を表現して行きます。フォルテの部分も力まずに流し、三連音とトリルも余分な工夫を加えずに洗練の極致を見せます。それでいて繊細な強弱と間合いで瞑想的であり、もう少し粘って思い入れと独自の歌を加えてほしいと思う人もあるかもしれませんが、完璧でしょう。
ピアノはハンブルク・スタインウェイと書かれています。1990年録音のその音は演奏に似合って派手さがなく、美しいです。レーベルはテラークです。スチューダーのコンソールにスレッショルドのアンプ、などと機材も細かく書いてあり、18ビット録音だったそうです。
![]() Beethoven Piano Sonatas Alfred Brendel (pf)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ 1931年チェコ生まれのオーストリアのピアニスト、ブレンデルもベートーヴェンを得意とする人で、この全集をベストとするファンも多いと思います。ブレンデルのピアノは強引なところや派手なところはないながら、常に陰影に富み、内省的な告白ともとれる独特の情緒を醸し出します。それはある種のドラマ性と言っても良いかもしれません。大分昔にフィリップスから出たバッハの作品集など大胆なほどロマン的で、バッハとは思えないところがありました。ベートーヴェンについては、この大作曲家が時々見せる甘い叙情性をうまく表現してくれそうな気がして大変期待した面があったけれども、ブレンデルは作曲家によって表現を変えて来るという知的な側面も持ち合わせており、モーツァルトの協奏曲の緩徐楽章では情緒たっぷりなのにベートーヴェンではそうでなく構築的、ということも多いようです。 「月光」はたっぷりし過ぎもさらっとし過ぎもせず、表情豊かに始まり、大変オーソドックスな印象です。ダンパーも解放に聞こえるほどたっぷりと響かせつつ要所で抑えて(ペダルを放して)います。したがって思い入れたっぷりというわけではありません。 第二楽章のコントラストも素晴らしいです。軽過ぎず、真面目な運びとなっています。第三楽章は速いながら克明で、力が籠っています。
第30番は意外なほどさらっと始まり、駆け足になるところでは軽いです。ブレンデルはこういう具合に多くの奏者が感情を込めそうなところで肩すかしを食わせてテンポ良く行く場合もあります。でもそんな場合でも、その音にはどこかもの思いのような情緒が乗っている、かもしれません。第二楽章は力で押す感じはないながら歯切れ良く、緩めるところではやわらかく沈み込みます。 第三楽章は独白的なブレンデルの独壇場でしょうか。テンポこそ最大に遅いわけではないけれども、一つひとつの音に最大限の思いが込められているようです。湿り気があり、俯いて浸っているようなところがあります。感傷とまでは言わないにせよ、独特の世界です。きれいだけど、チェコ人のメンタリティなのでしょうか。もの思いや寂しげな感じは前出のペライアにも聞かれるけど、ブレンデルのはよりやわらかく、小声でささやく内向きなものに感じます。
特筆すべきはピアノの音のきれいさです。やわらかくて芯があります。フィリップスのブレンデルの録音はどれもそうだけど、丸い艶と硬質な輝きのバランスが良く、モーツァルトの協奏曲など、ついこの音のきれいさに惹かれてかけていたことを思い出します。 3度目の全集は1992年から96年の録音です。ベートーヴェンのソナタも力づくでない方が疲れないと感じ る人、細やかなニュアンスが欲しくて、なおかつこのブレンデル独特の感情世界が好みに合う人にとっては、これは非常に完成度の高いセットだと思います。悪く言うところがどこにも見当たりません。
![]() Beethoven Piano Sonatas Maria Joao Pires (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
1944年リスボン生まれのピリス(ピレシュ)はケンプの教えを受けたことのあるピアニストで、手の故障で休む以前は粒の揃った音色を聞かせる端正な演奏という印象でした。そして復帰以降は、やわらかな表情ながらじっくり歌う人という感じがします。一時期ヴァイオリンのデュメイとパートナーでしたので、そのときに一緒に来たコンサートで弾いた30番のソナタの美しさは印象に残っています。ピアノがヤマハだったので弱音のやわらかさは良かったものの、そのときのセッティングでは(遠い席ではなかったのに)強い音の輪郭はあまりくっきりしなかった覚えもあります。日本だからヤマハを選んだのかと思っていたら、この「月光」と30番の入った CD でも CF-Vを使っています。気に入って弾いているようです。そしてここでの録音ではその美点が出ているとも言えるでしょう。 ジャケットは紙製で CD を留めるところがコルクになっており、大きな月が描かれたおしゃれなものです。「月光」とその関連曲である13番(*)、それに後期の中でも太陽というよりは月であるような30番の組み合わせには、女性としての彼女自身の想いが込められているのかもしれません。ドイツ・グラモフォンの2000年の録音です。
*第三楽章の出だしがピアノ・コンチェルト第3番の第二楽章を思わせますが、Op.27として「月光」と組で書かれています。四楽章構成で幻想曲風ソナタとされ、12番の「葬送」との類似を指摘されることもあります。しかし「月光」共々、本来は月とは関係がありません。 「月光」の出だしはゆったりしており、繊細な表情が付いています。安定した左手の伴奏の上で右手の音色が変化する様は豊かな歌となっていますが、影を感じさせるものではありません。時折印象的に現れる右手の強い音はやはりスタインウェイとは違った響きです。過度に艶が付かず、打鍵した後で途中から硬めの倍音が延びるような独特のものとなっています。全体にやわらかい響きが良いところでありながらも、ソリッドな表情も覗かせるのです。 第二楽章も印象的なレガートがあり、よく歌います。二拍目以降で何気なく音を引っ張り、持続させるリズムがエレガントです。第三楽章の嵐の部分は速いですが、軽やかで深刻にはなりません。 30番は出だしからゆっくり歩くような、一つひとつの音を慈しむようなテンポで進みます。途中速いところではやや平坦なつなぎに感じる部分もあります。全体には遅く、それでいて男性のピアニストに時々あるような感傷には陥りません。夢見るようではあっても悲観的ではなく、その丁寧さが愛情のように感じられます。 それは第三楽章のスタッカートが続くところでも、ただ軽やかというのとは違う端正な表情として現れているようです。感情の激して来る部分にはあまり力点がないのでしょうか。速いパッセージでも流れるようにこなして行きます。
安心できる美しい演奏でした。丁寧で繊細なのに湿らず、ある種さばさばしたところがある不思議なパフォーマンスです。ベートーヴェン晩年のふっきれた明るさという意味では合っているかもしれません。
![]() Beethoven Piano Sonatas Paul Lewis (pf) ♥♥
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
ポール・ルイス(ピアノ) ♥♥現代イギリスを代表する希有な才能として本国では話題のピアニストです。父が港湾労働者で家族に音楽関係者が誰もいない中で育ち、ブレンデルが弟子に指名したというこの若手のピアニストに、すっかり心を奪われてしまいました。十二歳になってから本人が好きでピアノを始めたという経歴は、生まれる前から準備された環境で三歳にして神童ぶりを発揮するのでなければデビューできないようなコンサート・ピアニストの世界にあって、新しい神話かもしれません。インタビューでも飾らない人柄で、コンサートでは壇上で共演するオーケストラの女性奏者が新しい恋人を見るような眼差しを投げます。でも外見だけではありません。ベートーヴェンのピアノ・ソナタというと、主張の強い演奏では特にそうですが、いざ聞こうかと思っても億劫になることがあります。しかしこの人の演奏は透明であり、何曲続けてかけてもよいと思わせる至福の時を生み出します。曲集に対する印象が変わってしまうという意味では革命的な体験で、そういう意味で頂点のベートーヴェンかもしれません。どこをどう弾いていると取り立てて解説するようなところはないのに、デリケートで情感があり、極めて鮮烈です。 しかし協奏曲では、最初はさらっと抜けてよく分かりませんでした。「皇帝」などは好きな演奏が色々と変遷して来ました。ケンプの第二楽章が最高ながら録音が古くてオーケストラの音が今ひとつと思ってみたり、何度も出たブレンデルの録音の中で迷って古いハイティンクとの盤を探したり、ペライアに感激したりして来たのです。でもこれという決め手には欠けていました。そしてルイスの録音が出たとき、何となく悪くないな、と思いました。ところが今となっては、協奏曲となるとこの人ばかりかけてしまいます。 ネヴィル・マリナーのところでも同じことを書いたけど、英国の演奏家というと中立で抑制が効いており、大変品のよいジェントルマン(ウーマン)だと思いがちです。ドイツ人のように厳格でもロマンティックでもなく、フランス人のように崩し方が粋でもなく、悪くするとどこに特徴があるのか分からなくなる事態も起き得ます。気が抜けたように聞こえる演奏を皆が格調高いと褒めるのを聞くと(マリナーのことではありません)、さては権威となれば知らなくとも知ったふりをする、例のイギリス流スノビズムかと勘繰ったりもします。 ではルイスはどうなのか。その演奏は確かにイギリス人であり、アゴーギクも強弱も決して出過ぎたところがなく、過剰なロマンティシズムとは一線を画します。でもアイルランドのオコーナーとも違います。オコーナーは決して大きな声を出さず、やわらかな弱音の中に無限の諧調がついているのが持ち味です。
かといって、師であるチェコ生まれのブレンデルとも性質は違います。ルイスに俯いた陶酔と思い込みは感じません。独り言も立ち込める霧もありません。 ゆっくりした部分ではデリケートによく歌っています。穏やかで優しく、音楽の動きに聞き入っているようです。ライブ映像などではときにゆっくり過ぎるほど減速して音に思いを込めているところもあるけど、それでも酔う感じも押し付けられた感じもしません。部分的に拡大して見ると、思わぬところで少しだけ弱めたり、長くしたり、間を取ったりといった力の抜き加減に感心します。熱くならず、ストレートに通り過ぎずに少しだけ待っているようで、その崩し方にセンスの良さを感じるのです。といっても気づかないほど控え目であり、その呼吸にこちらが合わせると、豊かな感性が見えてくるという種類です。オコーナーよりさらに控えめかもしれません。
そして見た目の繊細さとは違って体格は良く、手も大きいのでしょうか。パワフルな人がおとなしかったという感じで速いパートも楽々とこなします。オクターブ以上に連なるところでは全ての音が小気味良く分離しており、スタインウェイ独特のきらっとした倍音を聞かせつつ揃っています。速さの中には顕微鏡を使って整えておいたような抑揚も潜んでいます。技術の完璧さではポリーニにも劣らないのではないでしょうか。均質に揃って強靭なポリーニの音には息のつけないところもあったけど、ルイスは軽やかです。 子供が気に入った遊びを繰り返す執拗さや、強打の無機質な熱意はなく、胸のすくようなフォルテです。そして息を呑む弱音が美しいです。 曲ごとに書くのを忘れてたけど、「月光」にしても30番にしても、特にどれかが違う弾き方をしているわけではありません。そんな中で特徴的なのを挙げるとすれば、「ワルトシュタイン」は驚くほど変化に富んでいました。また、余計な細工をせず真っ直ぐ弾いていることもあり、32番の第二楽章も一番と言っていいほど見事でした。オコーナーのようなやわらかな歌謡性とは違い、抑えてゆっくり弾かれるために却って神秘的になる一面があります。途中フォルテになる第三変奏では力強く加速し、またゆっくりになって均整美を見せます。シフのように短い周期でのエネルギーの張った揺れはないものの、心に沁みる歌を聞かせます。 2005〜2007年(全集/「月光」は06年、30番は07年)のハルモニア・ムンディの録音も良いです。ルイスは1000人目に選ばれたスタインウェイ・ピアニストだそうだけど、その音が大変美しいのもこの全集の魅力です。バランス的に中低音はよく響いてやわらかく、高音も煌びやか過ぎはしないもののエッジが効いており、被って透明感が損なわれることはありません。中くらいのやわらかいタッチと鋭いタッチとの音色の差が大きく、次元の高い音です。 ポール・ルイスは演奏者を聞くというよりも、作品に語らせる演奏をする人でしょう。そうやって浮かび上がってくる作曲家の個性こそが意図するところであり、新しさです。目下のところベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集として間違いなく一番の一つです。1972年、リヴァプール生まれです。 ![]() Beethoven Piano Sonatas Daniel Barenboim (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
ダニエル・バレンボイム(ピアノ) 全集が三つほど出ているようです。大手レーベルを渡り歩くように EMI、ドイツ・グラモフォンと来て、最新のは2006年のライブを収録したデッカ盤です。この1942年アルゼンチン生まれのロシア・ユダヤ系ピアニスト、ダニエル・バレンボイムは指揮者としても大量の録音を出しており、演奏家として世界の頂点に立つと言ってもよいほどの人です。譜の暗記力もすごいということです。でも個人的には好みの方向とは異なるせいもあってあまり聞いていないので、多くを語る資格はありません。音楽には関係ないけれども、昔はジャクリーヌ・デュプレやギドン・クレーメルとの複雑な関係が話題にもなりました。映画すら手中にする才能ある人です。 そしてその音楽ということになると、時期によっては個性と強調点のあり方が分かり難かったモーツァルトがあったり、反対にこれ以上はないと思える大きな表情を感じさせる別の作曲家の曲があったりするという印象です。ベートーヴェンの新しい全集の録音は、分かりやすい抑揚が付くという意味では後者ではないかと思います。どちらの場合もそこから現れて来る何かに今のところこちらがチューニング出来ていません。でもその人とその芸術が存在するということは、必ずそれを好む人がいます。絶対的な価値は存在しません。詳しい評はファンの方にお任せします。
![]() Beethoven Piano Sonatas Andras Schiff (pf) ♥♥
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
アンドラーシュ・シフ(ピアノ) ♥♥自身のマスタークラスで、シフは「月光」ソナタに関して「全く革命的なソナタです。鑑賞するというよりもっと弾かれるべき曲で、私はこれは大変重要な曲だと思います」と語った後、実際に出だしの数小節をダンパー・ペダルを踏んだまま弾いてみせてこんな解説をしています(途中略): 大変奇妙だと思うかもしれませんね。だってこれは皆さんが知ってる感じじゃないし、皆さんが弾くやり方じゃないし、皆さんのおばあちゃんが弾くような仕方でもない... 誰もこんな風に弾かないわけです。で、ちょっと説明させてほしいんです。解釈の問題を論じなくちゃいけないなら好ましくないでしょうが、このケースは大変重要で、というのもこの曲はとても有名なわけです。そして私はこれが間違った仕方で知られてしまっていると確信しているんです。この曲ほど誤った伝統の厚い層に覆われた曲を他に知りません。まず最初に、「月光」という名前、これはナンセンスです。ベートーヴェンによって付けられたものではない。詩人で批評家であったルートヴィヒ・レルシュタープによってそう呼ばれたんです。いい詩人で、皆さんもシューベルトの白鳥の歌の歌詞で知っていると思います(弾いて歌う)。これがそうですが、その彼がこう言ったんです... ルツェルン湖に浮かぶボートに座ってたとき、それは美しい夕べで満月だったけれども、その景色が自分にこのC#マイナーのソナタの第一楽章を思い出させた、と。それでこのソナタのニックネームがムーンライト・ソナタになった。ベートーヴェンとは何の関係もないわけです。でもその名前はこのソナタに糊みたいにへばり付いてしまった。 この曲は非常に特別な、遅い楽章として始まります。それは大変遅くて息の長いアダージョ・ソステヌートですが、しかし、またしても私たちはこのソナタの(ベートーヴェンの)手稿譜を持ってるわけです。その手書きの譜に彼は、アラ・ブレーヴェと書いた、で、ここで二拍子で区切って行くことを見てみたいと思います。誰かがスロー・アダージョだと言ったにしても、一小節に2つ数えられる。ワン、ツー、ワン、ツー(演奏する)... これでも十分に遅いわけですが、でも通常演奏されるようなテンポであなたが弾くとするとこんな感じ(遅く弾いてみせて鼻歌を歌う)ワーラーリ、ワーラーリ... その間に朝食が食べられますよ。そしてお昼ご飯も、晩ご飯も。それでもかわいそうなピアニストはまだ第一楽章を弾いてる。で、もうひとこと言わせてほしいんですが、ベートーヴェンはこの楽章の始まりについてイタリア語の文を書いてる(イタリア語で暗唱してみせる)。これを翻訳すると、この曲の全てを大変デリカシーをもって弾かなければならない、そしてソルディーノはなしで、というのです。でもここで用語の問題が出て来る。なぜかというと、ソルディーノはソフト・ペダルを意味しないんです。ベートーヴェンはウナ・コルダと書いた。それで彼はソフト・ペダルを意図してたわけです。このソルディーノなしで、はダンパーなしでということになる。だからダンパーは上げたまま、つまりそれが意味するのは、この楽章全体でペダルを用いて演奏しなくてはいけない、といことになるんです。そうなるともちろん、私の同僚たちの多くは「うん、そのことはよく知ってるよ、でも現代のピアノではそんなことはできないよ」と言うのです。で、私はどうしてできないの? 試してみたの? と聞くんです。すると彼らは答える、「いいや、試しちゃいない。でもそれはできないんだってば。」これは論議を呼ぶところですよ。こんなんじゃ十分じゃない。ベートーヴェンは、私が思うには十分に偉大な偉大な作曲家で、彼のことはちゃんとまじめに扱わなくちゃいけないぐらい偉大です。だからもし彼がそれについて何か特別に書いたというなら、彼にチャンスを与えてくださいよ。そこには理由があったはずなんです。彼は非常に特別な音を望んでたんです。それはハーモニーが一緒に滑るように動くこと、ひとつの波(流れ)の中でね。そしてそこでは倍音がお互いに強調される。なぜならここでは、低音が来る(低音を弾く)、そして三連符のオスティナート(高音の三連符を弾く)、それからそれらが一緒になって(弾く)... そしてアーティキュレイト(発音)について非常に注意深くあるなら、もちろん現代ピアノでは私はペダルを底までは踏まないわけで、三分の一で全く十分なのです。それから、この「点」で描かれたリズムが来る(次の主題を弾く)。これはまた、葬送行進のリズムなんです。エドウィン・フィッシャーのベートーヴェンのソナタに関する素晴らしい本で、フィッシャーは偉大な発見をしたのですが、こう言っています... 私は月光ソナタに関する記述についてはずっと嬉しくありませんでした。なぜならちっとも納得できないからです。で、あるときウィーン・ムジークフェライン図書館の保存記録を見たんです。司書はベートーヴェンの手書きのスケッチを出して来ました。紙一枚でしたが、それはベートーヴェンがモーツァルトのドン・ジョヴァンニから書き写したものでした... と、こう彼は書いているのです。そのシーンはドン・ジョヴァンニがコマンダトーレ(騎士団管区長)を殺す場面で、その音楽が(弾く)... こんな感じ。それをC#マイナーに転調するとこうなる(弾く:月光の出だしに似ている)。これは私には非常に明快なことですが、この音楽が表すのは、ノー、ノー、月の光じゃなくて、葬送のテーマですよ。これはモーツァルトのドン・ジョヴァンニのことを考えたテーマなんです。
長くなりましたが、シフの「月光」の演奏はちょっと変わっているので、ペダルの扱いとこの曲の演奏表現に関わるところを抜粋で翻訳しました。では、実際の演奏はどうでしょうか。 第一楽章の始まりはテンポが速く、表情もいつものような細かなルバートがなくてあっけにとられるほど淡々としていますが、ダンパー・ペダルを踏んだままなので音が反響し続けて全く不思議な効果をもたらします。これがベートーヴェンが意図した通りだというなら革新的です。今までの演奏で一番意外です。まるで離人症の夢の中の葬送行進のようで、シフはこういうことも敢行する人なのです。ラストから少し前、右手が突然海の中からくっきり隆起するように強くなるところなど印象的で、ドビュッシーの沈める寺のようです。第二楽章はコントラストを付けるところだと言っていたけどその通りで、アクセントが大きく、スタッカートがおどけているようです。第三楽章はダイナミックで速いです。特定の音の連なりを取り出したように強調するシフ独特の揺れが、粒立ちの良いくっきりした音で表現されています。
一方で第30番は静かに入ります。磨かれた音色で鮮やかさがあります。バッハのときよりも強いタッチの部分でよりはっきり弾いているでしょうか。表情も大胆で、ためを作るやり方が思い切っています。右手も左手も一音ずつくっきりしており、まるで指を上から叩いているかのようだけど、そんな弾き方はしないはずですからパワーがあるのでしょう。「月光」ではペダルを使ったものの、曖昧な靄の中に沈まないのが常にこの人の特徴のようです。第二楽章の強い部分はケンプより落ち着いたトーンで、ここでもクリアで走りません。 第三楽章はベートーヴェンで最も美しい音楽に仕上がったのではないでしょうか。途中スタッカート気味に区切って一瞬間を多く取ったり、立ち止まるように歩を弛めたりして、二度と同じことをしません。「月光」とは違ってダンパーで適切に響きを吸収しているので一音一音がはっきりします。そして情に流されないのに情緒に溢れています。印象的な後半のスタッカート部分はゆっくりで、弾ける雨だれのような美しさがたまりません。
ベートーヴェン最後のソナタ、第32番も見ます。この曲はこんなに変化に富んでいただろうか、と思いました。息を呑む静けさの中で、驚くほど多様な表情を見せます。それにこの抽象性。ベートーヴェンは古典派という枠ではとても捉えられない天才です。後期ロマン派すら突き抜けているでしょう。 第二楽章はピアノ音楽の黙示録だけど、シフの演奏だと他のピアニストではつまらなく感じられたところに意味を見出します。中程、32分音符の12拍子に変わった第3変奏でフォルテの山を迎えた後、終わり四分の一辺り、第5変奏に入ってから最後のトリルに入る前で二度目の波が来ます。その大きな息でクレッシェンドして行く様には身震いしました。ラストのフォルテの執拗なまでの連打も、演奏によっては時々やかましいと思ってたぐらいだけど、これほど心を動かされたこともありません。そして左手のトリルの上で回想が煌めいたかと思ったらあっという間に静まって終わり、呆然としました。この曲の最も見事なパフォーマンスの一つだと思います。
1953年、ハンガリー生まれのシフ(バッハの演奏については「シフという個性」のページを設けました)の ピアノは、ピリスの端正さとはまた違った意味で感情に煽られるところのない知的な音を持っています。音の配置を分解して見せつつ有機的で、本人は十分に理論的だけど演奏は思考的にはならず、感覚的です。また、音がだまにならないようにしながら進めている感じがして、楽曲がいかに美しく鳴るかに最大限の注意を払っているかのようです。走り出したり立ち止まったり、独特の間合いがあり、アクセントが自在です。それがベートーヴェンらしいのかどうかは見方によるだろうけど、シフ独特の美の世界です。また、ハンガリー人はよく悲観的だと言われるけれども、この人にはそんなムードは感じられず、センチメンタリズムとは反対な気がします。バッハは愉悦の中にあり、ベートー ヴェンは音のない炎のように燃焼しますす。 ピアノの音のきれいさでもベストです。楽器はスタインウェイをイタリアの調律師が一部改造したアンジェロ・ファブリーニだということです。「月光」の方は2005年、30番は2007年、チューリヒ・トーンハレのライブ収録で、レーベルはジャズの ECM です。録音時期はルイスとほぼ同じ頃です。まとまっての発売年は違うものの、並行して素晴らしい演奏が行われていた当たり年ということになります。個人的にはベートーヴェンのソナタ全集としてルイスなどと並んでベストの一つです。
![]() ![]() Beethoven Piano Sonatas
Hélène Grimaud (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
エレーヌ・グリモー(ピアノ)1969年生まれのユダヤ系フランス人でジャック・ルヴィエに師事したピアニストです。見ての通りの人で大変人気があります。ドイツ音楽に積極的で、ブラームスの間奏曲が素晴らしかったことはすでに書きました (「ロマンスと憧れと/ブラームスの室内楽」)。ベートーヴェンのソナタはまとめては出てませんが、協奏曲とのカップリングで「月光」も30番も聞けます。 その協奏曲の方では、たとえば「皇帝」などでは崩し方にいくらか粋さがあったり、第二楽章のゆったりした部分をわざと早足にするところがあまのじゃくのフランス人をちょっとだけ感じさせなくもないけれども、かなり強調するアクセントも聞かれ、大体において力強く正攻法です。そしてソナタでは特にそんな印象が強いです。 「月光」については、ウルフ・ムーンライトなどとして、狼の映像と鳴き声をオーバーダブしたものが YouTube に出ています。風情があります。でもどうしてそういうことになるかというと、エレーヌ・グリモーは野生の狼の研究に熱を上げているからです。ニューヨーク州に保護センターも設立しました。演奏の方はどちらかというとゆったりしたテンポで表情があり、ロマンティックです。強くなるところではスケールの大きさを感じます。きれいな女性であってもダイナミックさと夢想的な部分の両面で男性的な印象もあります。女優に男性ホルモンを感じるようなものでしょうか。 30番も静かなところは深い叙情性を感じさせる一方で、フォルテは歯切れが良いです。第三楽章はゆったりで表情も豊かであり、歩を緩めるところと力を抜くところが大胆です。でも過度に情緒を被せているようには聞こえないのが不思議です。センチメンタルに陥らないのはやはり女性だからでしょうか。あまり性別にこだわった言い方は良くないかもしれません。スタッカートの部分はゆったり目ながら流れるようで魅力的です。
ダイナミックで艶があり、透明な録音も秀逸です。協奏曲の4番とカップリングされた30番と31番の方が1999年、そういう商売もどうかと思うけど、日本盤のみ「月光」がカップリングされた「皇帝」の方が2006年〜07年の収録です。 ![]() Beethoven Piano Sonatas
Michael Korstic (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
ミヒャエル・コルスティック(ピアノ)
ドイツ本国でも評価が高いというコルスティックは1955年のケルン生まれ。二十歳で後期ソナタを弾いてデビューしたというのですから、ベートーヴェンは最も得意とするところでしょう。タチアナ・ニコラーエワをはじめ、ロシア系の先生に習いました。ブラームスの2番の協奏曲(2023年録音)では自発的で自在な、見事な抑揚を聞かせたので注目したいところだけれども、2021年の「皇帝」は個人的にはそこまで特徴的だとは思いませんでした。それよりずっと前に完成させているピアノ・ソナタこそは本領発揮のはずですが、どうでしょうか。
「月光」からです。第一楽章は落ち着いたゆったりしたテンポです。最初割と淡々とした運びであり、少しためて粘らせるところがあります。ピアノは深くやわらかい低音の響きが聞かれます。全体にちょっと深刻な感じがあるでしょうか。動きは少ないながら、所々強める音がどっしりとして力強いです。軽く繊細に、ニュアンス豊かに行くというよりも、重く真面目な拍の運びです。フォルテの重厚な響きに表現の重点が置かれていて、葬送行進だとも言えるでしょう。最後までインテンポであり、荘重な印象は変わらずです。こういう解釈、ベートーヴェンとはこういうものと言われればその通りであり、誰からも文句が出ないと思います。
第二楽章は軽くなるものの、やはりテンポはゆったりであり、重さのあるタッチと強い音の強烈さが印象的です。今でいう ADHD 的なところがあり、癇癪持ちで怒ると手が付けられなかったというベートーヴェン。深淵な精神世界を覗かせる一方で耳が聞こえ難かったことも手伝い、実際の彼のピアノは強烈なタッチだった、のかもしれないけれども、コルスティックの中でベートーヴェンとはこういうものなのだと思います。第三楽章に入ると強いタッチのまま、目まぐるしく加速して少し前倒れになるほど急ぎます。嵐なので元々ここはそんな楽章だけど、何か大変なことがあって取り乱しているような感じでもあります。
第30番の方に移りますが、第一楽章は出だしこそ少し速めかと感じさせるものの、すぐに落ち着きのあるテンポでどっしりとした足取りになります。強弱は繊細にある一方、フォルテになるとしっかりした打鍵で速くもなり、力強いです。それでいて真面目な進行だとも言えるでしょう。第二楽章も大変強いタッチで、走るところも出ます。
第三楽章は落ち着きがあり、やはり一歩ずつ真面目な進行です。やわらかく繊細に、弱音が消え入るように、という方向の演奏ではありません。ニュアンスは豊かだけど、ベートーヴェンに確実さを求めているのでしょう。テンポはゆったりで一定しています。
最後の第32番も聞きました。出だしから、余裕はあるけれどもやはり力一杯で重さを感じます。第二楽章はゆったり落ち着いており、遅いテンポで着実に進めます。インテンポで謹厳で、フォルテは力強いです。
全集で出ています。「月光」の方は2007年の録音です。後期第30〜32番の方はこの人のソナタとして最初の録音であり、1997年収録です。楽器はスタインウェイの D とのことです。レーベルは全集としてまとめているのはエームス(Oehms)になります。レーベルの違うものが混じっていながら音質は共通した印象もあり、低音がやわらかくよく響いていて、派手なピアノではありません。
![]() Beethoven Piano Sonatas Ronald Brautigam (fp) ♥
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)♥
ベートーヴェンの時代の楽器、フォルテピアノによるソナタ演奏となると、古くは60年代、ウィーンのデムスによる精力的な仕事やバドゥラ=スコダ(「月光」など一部)によるもの、重鎮ビルソンとその弟子であるファン・オールトら何人かによる96年の全集、2017〜18年のシュタイアーの「テンペスト」他二枚組と、19年のインマゼールの「悲愴」「月光」「田園」他の三枚組などがありますが、スホーンデルヴルトやベズイデンハウトはまだでしょうか。そんな中、1954年アムステルダム生まれのオランダのフォルテピアノ奏者、ロナルド・ブラウティハムは2000年代に入って全集録音を進めて行きました。モーツァルトの96年録音のソナタは古楽器奏法の癖も少なく、素直に情感の感じられる演奏であり、個人的には同曲集のベストの一つとして愛聴しています。そしてそれより後のこのベートーヴェンもまた見事だと思います。
「月光」から行きます。ゆったりした出だしでいかにもピリオド奏法という感じはせず、ややフレーズを区切り、拍の前のためが大きめかといった程度です。情緒的に深く沈潜する味わい深いものと言えるでしょう。この曲の出だしは本来速いものであるべきだといった理念とは関係ありません。音楽としてはその方が良いと思います。 第二楽章に入ると、区切りははっきりしていて速くはなく、アクセントもやや強めながら強弱の呼吸があります。自然な息遣いです。落ち着いていて、ピアノの音も加わって独特の味わいがあります。
第三楽章の嵐はかなり飛ばしているけれども、前後に揺らす古楽のリズムの癖はなく、素直に感情の昂りを表現しています。音的にはあまり輝かしい高域ではありません。
30番の第一楽章です。自然な延び縮みを加えていて、フォルテピアノの演奏として構えて聞く必要がありません。高い音でのフォルテが金属的にならず、独特の糸をはじくような音でピアノの特性が出ています。浮き上がり沈み込むような呼吸が細かくて心地良いです。第二楽章も前にのめるような迫力はあるけれども、リズムとしては自然です。
第三楽章は静かな楽章だけど、ほどほどのテンポであり、遅過ぎたり静か過ぎたりはしません。アクセントはやや強めながら、素直な情感が感じられます。
32番も見てみると、第一楽章はフォルテピアノながら十分な迫力があります。間合いも完璧で、落ち着いた力強さです。鮮やかな高揚感の立ち上がりが感じられます。
第二楽章は大変ゆったりというわけではなく、ややためは少なく感じられるものの、落ち着いた出だしです。割と淡々としているでしょうか。三連音とトリルも最初から最弱という感じでもないけれども、押しては引くような、波のような情緒が十分に味わい深いです。
BIS レーベルで、2003〜08年の録音です。スウェーデンの教会で収録しています。楽器はアメリカ人(オランダやチェコで活動)の著名なピアノ複製職人であるポール・マクナルティが製作した現代のレプリカです。モーツァルトのソナタのときと同じ人です。モデルとなった楽器は三種類(それぞれ別の作家)で、曲によって使い分けていますが、力を込めることも想定しているからでしょうか、総じてモーツァルトのときよりも高域の硬質さと艶は少なく録音されており、落ち着いた質感の音です。
![]() Beethoven Piano Sonatas Rudolf Buchbinder (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)
ブッフビンダーは「ウィーンの三羽烏」より後のオーストリアのピアニストで、ウィーンで学びましたが、生まれはチェコでドイツ系の人です。ベートーヴェンを得意としているので外せないでしょう。重く粘りのある運びで力強さもあり、大変真面目な印象の正攻法のベートーヴェンです。
「月光」の出だしは、特別遅くはないテンポで自然に流している一方で、それでも少し重く感じるフレーズの移行が聞かれ、引きずるように滑らかにつなげるところもあります。シフに「ワーラリワーラリ日が暮れる」と言われてしまう弾き方ではあるでしょう。後半はためが大きくなって来て、粘りはより増します。元々重さと生真面目さを感じさせる方の人だと個人的には感じているけれども、自然な範囲ではあります。やわらかい音に少し芯を感じるピアノです。
第二楽章も重く滑らかな運びで、音はスラーでつながっているかのようです。もう少し晴ればれとしたところ、爽やかさが欲しいけれども、こういう人なのでしょう。そしてそれは好みの問題であり、これこそがベートーヴェンと感じる方も多いはずです。嵐の第三楽章も、最大速というよりも、ためと余裕に重さが重なります。大変重厚な印象です。
30番の方です。やはり拍のためを使って重く回しながら、あるいは余裕を感じさせながらやわらかく運びます。独特なソフトな重さです。これも好きな人にはたまらないかもしれません。強弱テンポの延び縮みはしっかりあります。音の方もやわらかくて品のいい艶が聞かれます。第二楽章も落ち着いた運びで、ここは強さをぶつけて来る感じではありません。切れを求める人向きではないでしょう。最後の楽章もやはり重さは変わらず、やわらかくてスローなパートとなっています。
32番は少し混濁した音ながら、間を十分に取り、最後の作品を重々しく弾いて行きます。第二楽章も遅い出だしで晩年の境地を表出しています。フレーズに粘りがあり、高い三連音とトリルのパートではゆったりと運びます。ここはさざ波という感じではなく落ち着いた楽音として進めることを選んでいます。そしてきらきらした音を強調するのではなく、下から重く頭をもたげるように、感情の盛り上がりを湧き上がるフォルテによって表現しています。
2010〜11年の RCA の録音で、レーベルとしてはソニーからも出ています。演奏に相応しい落ち着いた録音です。この人はベートーヴェンのピアノ・ソナタには力を入れており、全曲演奏も何度も行なっている上、全集録音もこれ以外にもテルデックから1982年に既に出していたし、ドイツ・グラモフォンからこの後の2014年にもライヴでリリースしています。後者とは時期が近く、ざっと聞いた限りでは表現は大きくは違わないように思いました。細部は確かめていません。
![]() Beethoven Piano Sonatas
Stewart Goodyear (pf)
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ
スチュワート・グッドイヤー(ピアノ) カナダ国籍の、クラシカル・ピアニストとしては珍しくアフリカ系の出自(お母さんがトリニダード島出身)のグッドイヤーです。1978年トロント生まれ。リサイタルにおいて1日で32曲のベートーヴェンのソナタをこなしたという伝説の持ち主であり、また、生まれる前に亡くなった父親が残したベートーヴェンの LP を聞いたことによってピアニストになったとも語っています。このページではラヴェルのピアノ作品でそのニュートラルさが良かったと書いていました。一方、得意とするだろうベートーヴェンについては、協奏曲の「皇帝」では優れた技巧による楽々感のある表現が聞け、やや薄味でそっけないように感じた一面もありました。情緒的に少し抜けた感もあり(第二楽章で特に)、ヨーロッパの伝統は背負わない人かなと思ったこともあって取り上げることはしなかったのでした。でも弾き慣れた独奏であるソナタはまた違うと思います。
「月光」の第一楽章はやや速めでさらっとしています。シフなどの意見もあるのでこのテンポこそが正しいのかもしれず、悪いとは言えません。日が暮れる前に仕事を終えられるでしょう。抑揚もさらっとしています。リタルダンドはするけど揺れはない方で、すっきりあっさりです。こういう部分に接したり「皇帝」を聞いたりすると、ポリーニのようなというか、生まれながらに特殊な感性の持ち主なのではないかとちょっと考えてしまうところもあります。ポリーニほど機械的な感じでもないにせよ、淡白薄味なイントネーションは似たところもあるような気がするわけです。でも完璧で文句を付けられる隙はありません。ベタな「月光」は嫌だったのでしょう。ポリーニより速いので気楽だけど、何事もなかったようなポーカーフェースだとも言えます。 第二楽章ですが、軽くスタッカートで音間を離しながら一定のテンポで隙間を開けるように運びます。所々で強い音も挟みながらです。スムーズで滑らかというのとは違う表現であり、全体には軽い感じではありません。 第三楽章こそは快速です。技巧派らしく目覚ましいスピードでパーフェクトです。ポリーニと比べてみたらどうでしょうか。グッドイヤーはスタインウェイの大使をしてるぐらいなのでこれもスタインウェイであり、金属的な倍音は出ると思われますが、音の重なりがあれほど乾いた機銃のようにならないのは録音の性質もあるかもしれません。ポリーニと同じで速いところ勝負の人であることは窺わせます。でも少し前のめりになるところはポリーニとは若干違います。途中の緩めポイントでためや粘りを聞かせるところも違うでしょうか。でも感情の襞を細やかに出すのが得意なピアニスト、とは言えないと思います。ベートーヴェンではあるけれどもある種のそっけなさ、どこか固定観念が抜け落ちたような現代的感覚があります。
30番に行きます。後期の作品になると、「月光」と比べれば適度に抑揚が付き、弱める表情もあって余裕を感じさせるようになります。ここを聞く限りでは美しさもあり、ポリーニよりは延び縮みの呼吸もあってポーカーフェース度合いは少ない印象です。強い音がダイナミックなのは同じです。録音面でもきれいなピアノの音が聞けます。 ちゃんと区切って第二楽章に入ります。力強くて間があり、アゴーギク面で何もないということはなく、弱いパートもおざなりにはしません。歯切れの良さが小気味良さとなっています。 第三楽章は静かなパートだけど、ここも強弱は付け、抑揚はちゃんとあります。陰にこもることなく健康的な印象です。特別情緒豊かとまでは言えないかもしれないけど延び縮みも自然であり、ポリーニの淡白さとは多少違うでしょうか。ピアノが金属的にならず、潤いのあるきれいな艶を持っていて心地良いです。中程の展開は多少平坦であっさりかなという気もして、速くなると活きいきするところはポリーニと同じであり、これは技術に余裕がある人独特かもしれないと思いました。ラヴェルで感じたように適度な情感があり、均整が取れたピアノだとも言えるでしょう。ベートーヴェンだからといって力が籠り過ぎることはないので、コルスティックなどよりも案外聞きやすいかもしれません。
最後のソナタ、第32番も力が入り過ぎることなく、十分にダイナミックです。どこか余裕がある感じがして、でも情感がないわけではありません。「いかめしいベートーヴェン」過ぎず、ピアニスティックに充実した演奏なので良いと思います。薄味で機械的正確さを持つポリーニと同様に、この人らしく感情面で抜けた感じが出るかと構えたのですが、公平に聞いてそこまでは言えないと思います。 第二楽章はベートーヴェンの晩年の境地が示される部分ですが、左手がよく響き、ゆったりしながら明瞭で静けさも感じられます。強過ぎないけどディナーミク、アゴーギク両面で表情はあります。精神的に健康であり、もう少し沈み込むように行ってもよいかという印象もないでもないけれども、そこは感じ方によるでしょう。個人的にはどことなく控え目で他人事のようなよそよそしさがあるようにも思うけど、非人間的なものではありません。強いところは無理がなく、余裕をもって的確に流します。その正確さは好みでしょう。もし取り付く島がないところがあるとするなら、静かな部分よりもむしろそうしたある程度強いパートの方かもしれません。それと、三連音とトリルの部分では力を抜いて平常心で流すので、精神的な深まりや静けさといったものを期待すべきではないかもしれません。
2010〜2012年の録音で、レーベルはスタインウェイのところではなく、カナダのマルキ(Marquis)となっています。音についてはすでに述べましたが、煌びやか過ぎることのない好録音です。 ![]() Beethoven Piano Sonatas
Jos van Immerseel (pf) ♥♥
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ヨス・ファン・インマゼール(ピアノ)♥♥ フォルテピアノによる演奏としてブラウティハムの全集を挙げました。その後協奏曲第3番のラルゴでピリオド奏法らしからぬゆったりとした歌を聞かせたインマゼールもソナタを出して来ました。1945年生まれのベルギーのフォルテピアノ奏者であり、指揮者としても有名です。しかしまだ「悲愴」、「月光」、「田園」などを含む三枚組を一つだけという段階で、全集に及ぶのかどうかも分からないし、後期三作品などは入っていません。したがってここでは「月光」のみでの比較です。
第一楽章ですが、静かでゆったり落ち着いていて、大変味わい深い運びとなっています。繊細な静けさを感じるという意味でブラウティハムより個人的には好みです。ピアノの音も高音に少し細かな倍音が混じりますので、よりシャープな感じがします。抑揚においてはためはあるけれども、とりたてて古楽の運びという感じでもありません。フォルテピアノで弾いたというだけで、弾き方はモダンとほぼ変わらず、ピリオド奏法というほどではないのです。これからの録音はこういうのが増えて来るかもしれません。大変味わい深い「月光」です。 第二楽章はやや音を区切りながら、ゆったりと進めます。ここはフォルテピアノらしい弾き方でしょう。 第三楽章の嵐は速く湧き上がるように、また、アクセントを付けて強調したフォルテを聞かせます。ためも大きめであり、多少大袈裟なほど激している感じを出しています。断定するような間と強さもあります。
2019年の録音で、レーベルはフランスのアルファです。楽器はフランスのクリュニーの製作家、クリストファー・クラークによる1988年作のレプリカで、ウィーンの1800年前後のアントン・ワルターの楽器をモデルとしたものです。オフになり過ぎない繊細な音が聞けます。 ![]() Beethoven Piano Sonatas
Boris Giltburg (pf) ♥♥
ベートーヴェン / ピアノ・ソナタ ボリス・ギルトブルク(ピアノ)♥♥ 1984年モスクワ生まれのユダヤ系ピアニスト、ボリス・ギルトブルクはソ連崩壊後にイスラエルに移住し、現在はイスラエル人です。2013年にクイーン・エリザベス国際音楽コンペティションで優勝しています。2020年にベートーヴェンのソナタ全集をナクソスから出しました。協奏曲全集が素晴らしかった同じく表現派でイスラエル人のイノン・バルナタンがまだソナタ録音をやってくれてない中、個人的にはシフと並んで好きなポール・ルイス以降の全集として最も注目した見事な録音です。驚くほど表情豊かで、歌にこそ特徴があるといった種類であり、静かなパートでは大変繊細です。工夫に溢れるけれども、わざとらしさにまではならない手前に踏みとどまっていて説得力があります。人によっては例えば32番の第二楽章など、やや表情過多に感じる場合もあるかもしれないし、前拍のためが大きいせいで30番など、多少の重たさを感じる場合もあるでしょう。反対に馳けるところはかなり素早く流しているので振り子が大きいとも言えます。でも抑揚に関しては量的度合いではなく、表情の質に無理はないと思います。ルイスよりは動きは大きいとしても、目立とうとしておかしな抑揚をはめ込むようなこと(表情を頑張るとそうなる人は多いです)がないので、恣意的ではありません。移住が早かったのでロシア的だと見るのはどうかと思うけど、たっぷりとした良質なロマンティシズムを感じます。
「月光」の出だしです。抑えたタッチで静けさに満ち、ゆったりで大変表情があります。静けさに階調があるオコーナーの繊細さと比べてみたくなります。オコーナーより歌に振っているでしょうか。生きた表情です。そして緊張感をたたえた静寂の中にあっても余裕が感じられ、やわらかいです。美しい「月光」で、この曲の一、二を争うでしょう。これもシフに言わせるならば「ワーラリワーラリ日が暮れる」演奏になるかもしれないけど、元からシフの意見には賛同していない自分にづきます。この部分は速く流さずにこうした方が曲の良さが出るのではないでしょうか。 第二楽章もゆったりしていますが、適度にスタッカートを混ぜて表情を作ります。自然な範囲です。 第三楽章は余裕があり、速い中に表情を盛れる技術を見せます。瞬間的なルバートというか、ためも用いたりして自由自在です。
30番の方に行きます。出だしは驚くほどゆったりです。お話がこれから展開しますよという具合に始めます。ゆったりで極めて表情豊かだけど、もういいですとはなりません。どの瞬間にも惹き付けられます。第二楽章も力で押さず、余裕があります。 第三楽章も美しいです。内省的で静かで、細やかな表情を付けています。強弱に加えてフレーズの延び縮みの絶妙な息遣いも聞かれます。ここも自然な心の動きを現す範囲内で最大限に抑揚が感じられる魅力的な運びです。決して慌てません。デリケートな声が聞け、第32番の第二楽章にある三連音とトレモロの部分にも匹敵するような精神的な深みが感じられます。
その32番の方ですが、出だしは力強い中に表情を込めます。不器用に押し切るのではなく、繊細な強さです。弱める仕方に表情があります。また、主部第一主題への序奏に当たるパート(1分37秒辺りから)で、左手のトリルを普通は連続音のようにするところで初め機械音のようにゆっくり繰り返して見せる効果を出したりもし、工夫もあります。とにかく情報量が多く、ここまでの細かな配慮が出来るのは才能だと思います。何気なく飛ばしてしまうようなつなぎの音にも意味が持ち込まれます。 第二楽章ですが、最初から静かで雰囲気があります。テンポはゆったりで、やはり細かな抑揚があります。三連音とトリルの山場もゆったりで、一つひとつに表情をつけて運びます。もう少しさらっと行っても曲の精神的な深みは十分感じられると思いますが、抑揚を付けることでこちらに降りて来てくれ、この部分の美をしっかりと見せてくれるといった雰囲気です。シフは弱音でさざ波のように進めながら細かい脈動を聞かせ、強弱で輝いていて美しかったです。そんな風に律動的で鮮やかなのがシフだと言うなら、自然に流しているようでいて息長くうねらせ、歌の中に晩年の境地を感じさせるのがルイスの魅力でした。そしてここでのギルトブルクのように、ゆっくりパートごとに分解的に運び、細かな表情を付けて行くのもいいと思います。
レーベルはナクソスで、2019〜20年の収録です。ピアノの音も理想的な録音です。奥行きがあり、自然な艶が美しいです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ベートーヴェンのピアノ ソナタ演奏について勝手なことを言って来ましたが、他に歴史的名演に数えられるところでは、吉田秀和氏が褒めた1902年生まれのイギリスのピアニスト、カットナー・ソロモンも聞いてみました。30番など第三楽章の弱音がとてもきれいで、非常にゆっくりとして、息をひそめるところで美しさが際だっていました。「月光」も遅いところは淡々と遅いですが、速いところは力まずに軽く走るように流しており、全体にやさしく静かな印象のピアニストです。 エドウィン・フィッシャーは 1886年生まれのスイスのピアニストで、コルトーやギーゼキングらと同じ頃に活躍し、指揮者のフルトヴェングラーとも親交がありました。シフも講義で言及していたけれども、バッハやベートーヴェンの音楽に大変造詣が深かったと言われます。「月光」などでは自在にテンポを速めたり遅めたり伸び縮みさせつつ、過熱し過ぎず大仰にもならない様子をその録音から聞くことができます。30番の後半でも深い抑揚のある歌がうたわれ、歩を緩めて静かに語る部分での味わいには温かさを感じます。しかし、亡くなったのは 1960年ながら録音は新しくても50年代前半ぐらいまでしかなく、この音源ですべてを語れというのもちょっと厳しいところがあると思います。彼こそがベートーヴェンの最高の演奏だと言う人もいるようですが。 初めてベートーヴェンのソナタ全集を完成させたアルトゥール・シュナーベルは1883年オーストリア生まれのユダヤ系ピアニストで、後の世代に大きな影響を与えた人です。この人のも録音が古いので強いタッチの角の部分がよく聞こえないことがあり、正確な評価は出来ないのではないかという気がします。「月光」はさらっとしていて大変静かに聞こえ、30番の第三楽章など、遅くなるところでは止まりそうなほどで特徴は感じられるのですが。テクニックに難があると言う人もいるけれども、確かに指の引っ掛けはあるものの、とり直しをしない当時の録音事情もあるでしょう。いずれにしてもその演奏には時代がかった古い様式として片付けることのできない説得力があると思います。 往年のモノーラル録音はじっくり耳を傾けると色々なことを教えてくれます。でも音の問題はやはりあるわけで、好んで聞く方ではないのでこれぐらいにしておきます。 INDEX |