ブラームス / 交響曲第1〜3番
交響曲第1番ベートーヴェンの偉大な九つの交響曲を前にして、ブラームスがなかなか交響曲というものの作曲に踏み切れず、第1番に着手しても仕上げるまでに二十一年もかかったというのは有名な話です。そしてこの第1番が、おそらくはブラームスの交響曲の中でも最も完成度が高いと評価され、また好まれてもいるのではないでしょうか。迫力ある両端の楽章など、このガツンと来るディオニソス的興奮がたまらないという男性の意見も耳にします。 Brahms Symphony No.1 in C minor op.68 Mariss Jansons Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
ブラームス / 交響曲第1番ハ単調 op.68 マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団
名曲ですのでたくさんのCDが出ていますが、すでにカラヤンのラスト・コンサートの燃焼具合とベームの来 日公演の熱演については述べました。つけ加えるなら、マリス・ヤンソンスのライブ収録の演奏も大変魅力的で す。力で押し切るような表現を好む人には拍子抜けかもしれませんが、決して大仰に陥らずに抑揚を楽しみ、悲 壮 感もありません。ヤンソンスは常に新鮮な解釈を打ち出す技巧派であり、大きな表情で存在感をアピールする人 だと思っていたのですが、近頃は少し違うようです。巧みな表情に変わりはないですが、自然な呼吸になってい て、穏やかさすら感じられます。バイエルン交響楽団のメンバー、ソロの受け渡しではまるで名手が集まった室 内楽 のように思い切って歌い、リズムが自在にたわんで弱音が消え入ります。フォルテがやかましくない珍しい演奏 でもあり、1番と言えばあの熱っぽさのために普段はなかなか聞けない人にとっても、最高の一枚では ないでしょうか。嵐のような熱情の方に力点が置かれることが多いためにそういう曲だと思っていましたが、なんと詩情ある 歌にあふれた曲だったのかと新鮮な驚きを感じます。そして演奏する喜びなのか、ハ短調という調性ながら全体 に幸せ感があふれているのはなぜでしょうか。 交響曲第2番 一方、第2番はブラームスの田園交響曲だなどと言われます。ブラームスらしい内声部の弾力のある音の運び がここで は軽やかであり、深刻さのない明るい曲調からそう呼ばれるのでしょう。とくにきらびやかさもありませ んが、ほっとする一面があります。44歳だったこの頃のブラームスはかなり心理的に安定していたようです。 曲ができあがる前から「深刻な曲だ」と自らアナウンスしておき、実際に聞いた時とのギャップを冗談のよう に楽しんだという逸話もあり、幸せな結婚後数年のような心穏やかな日々を思わせます。実際はどんな生活を 送っていたのでしょうか。南オーストリアの避暑地、ペルチャッハで作曲しており、風光明媚で穏やかなその土 地での気分が影響していたという見方もありますが、そこからクララ・シューマンに会いに出かけたりもしてい ます。またこの曲について正式発表前に紹介したクララの文章からは、ブラームスが頻繁に、妻に話すかの ごとく事細かに自分の作品について語っていたことが窺われます。またその密会を暗に仄めかすことを楽しんで いるかのように誇らしげなクララも、女のちょっとした虚栄心を表しているかのようで興味深くもあります。 Brahms Symphony No.2 in D major op.73
サー・ジョン・バルビ ローリ / ウィーン・フィル
きらびやかさがないと書きましたが、第3番のような親しみやすい目立つ旋律線がなく、高音部に輝かしい音 も出てこない中でオーケストレーションにブラームス特有の厚みがあるところから、どうかするとモコモコと 口ごもりがちな調子に聞こえるところもあります。したがってあまり速く弾きすぎると音譜が団子になり、独り よがりに聞こえてしまうような気がします。ゆっくりとあまり熱くならず、各声部を解きほぐしながら一つひと つ見せてくれるような演奏が良いのではないでしょうか。録音も分解能が高く、低音の厚さに負けない艶のある 音が合いそうです。そういう意味で、第1番を除いて一部で評価が高く、しかし第4番ではあまり良いことを書 けなかったジョン・バルビローリに登場してもらいましょう。イギリスの指揮者ですが、レコー ド会社の施策か評論家の宣伝によるのか日本では大変人気があり、海外盤では買いにくいながら国内では安定し て供給され続けてきました。この録音が行われたのは彼が亡くなる3年前です。そのせいかどうかはわかりませ んが、ゆったり走らず、感情過多にもならずに良いバランスで聞かせてくれます。そしてチェロ奏者でもあった ということはあまり関係はないかもしれませんが、内声部の充実したブラームスの音楽をよく歌わせています。 録音は67年ですが、リマスターのART処理によって大変きれいな音に聞こえます。ビートルズで有名なア ビイロード・スタジオで行うこの作業はセンスが良く、満足行くことが多いようです。弦の高音部が美しく艶や かに再現されているせいで、フォルテでは金管等も含めて若干賑やかな傾向がありますが、音の分離は古い録音 とは思えない良さであり、この頃にはもうステレオ録音もかなり完成されていたことを再認識させてくれます。 フォルテの賑やかさは曲自体の性質でもありますので、CD録音としてはこれはこれで良いのではないでしょう か。アナログ録音として大変バランスが良かった75年のベームのグラモフォン盤もフォルテでは同じように賑 やかな傾向がありました。ラトル、最新のヤンソンスなどと比較すると、新しいものの方がやかましくないもの の、ヤンソンスのDSD録音も2番についてはやや上滑りな音の傾向があったりして完全とは言えません。 Brahms Symphony No.2 in D major op.73 アンドリス・ネルソンス / ルツェルン祝祭管弦楽団
アンドリス・ネルソンスは1978年ラトビア生まれの指揮者で、2014年現在バーミンガム市交響楽団、 ボストン交響楽団の音楽監督を努めています。マリス・ヤンソンスをメンター(尊敬する年長者)と仰いでいる そうで、その演奏スタイルには若干類似したところがあるかもしれません。2014年8月のルツェルン音楽祭 でのコンサートの模様がテレビでも放映され、その演奏が大変素晴らしかったので、CD ではないため趣旨から は外れるのですが、今後この人のたくさんの演奏がリリースされることを願ってここでちょっとだけ取り上げま す。 ブラームスの2番は今まで聞いた中でも最高に感動したパフォーマンスの一つでした。過剰な演出はないです が、出だしから一つひとつの音を慈しむように歌い上げる演奏で、テンポはゆったりとして決して前のめりにな らず、ディテールをおろそかにせずに進んで行きます。楽節の切れ目の音符の処理も歯切れ良く押すのではな く、盛り上げてきた後で力を抜いて適度にやわらかく流したりする、ヤンソンスやラトル、あるいは古楽の演奏 でときどき見られるような今日的な柔軟さが時折聞かれます。それでいて曲の最後に向けての熱のこもりようは 大したものでした。この指揮者は前もっての理論で彫刻するように作り上げるというよりは、その瞬間での奏者 たちの熱意と集中を引き出すのが上手な人ではないかと感じました。内側からの美というのでしょうか、派手さ はありません。また、リハーサル風景を見ると圧倒的な熱とエネルギーで語りかける人ながら、前述のヤンソンスやラトル、最近のアーノンクールもそうだと思いますが、一 方的に厳しく叩き上げるのではなく、熱意を持って説明したり褒めたりして自発的なやる気を起こさせ、創造性 を発揮させることに主眼があるタイプではないかと思いました。コンサートでの団員だちの扱いにそれが見てとれたような気がします。今回は臨時の祝祭管弦楽 団でしたが、恐らくそれだけでもないのでしょう、演奏が終わって各プレイヤーを立たせて拍手をもらう場面がありますが、この曲で活躍したホルンに始まり、 木管金管、 打楽器、弦楽器すべてを紹介し、指揮者も自ら尊敬の面持ちで拍手していました。何度もステージの袖に引っ込んでは出て来て、しまいには手ぶりで全員に立つ ようにうながしても団員たちが従わなくなると、自ら指揮台に座り込み、そこから立ち上がる動作で皆を立たせるという手にまで出ていたのにはびっくりしまし た。奏者たちも驚きとともに皆嬉しそうに笑顔を輝かせており、音楽はまず楽器奏者が作り上げるということを知っている民主的なリーダーの誕生を印象づけま した。どうしてここまでの信頼関係が築かれているのかは謎ですが、このコンサートは彼らの関係における第二章なのであって、実はすでに第一章があったのか もしれません。後述しますが、後で出た DVD の解説の文言に「彼は楽団員の一人ひとりを知っていて我々を途方もない熱狂の波へと引き込む」とコンサート・マスターが語ったとあり、ルツェルンでのアバドのメモリアル・コンサートで信頼と尊敬を勝ち得たと書かれているので、そのことかもしれません。 最初この記事を書いた時点ではリリースされていなかったのですが、最近になって DVD が出ていることに気づきました。やはり名演だったからでしょうか、ありがたいことです。掲載の写真はその DVD のものに差し替えてあります。私はイギリスから買いました。国内よりも1000円ほど安く手に入る ようです。音楽 DVD のためサウンド部分は CD と同じ 16ビット、44.1KHz サンプリングの情報量を持つ PCM ステレオ・フォーマットとなっており、良い音で聞けます。録音自体も大変すぐれています。CD-R に焼く場合は専用ソフト等で変換してあげる必要があるので一手間かかりますが、フリーウェアで出ていますので是非ステレオ装置で聞きたいところです。最近の人は PC をそのままステレオにつなげているかもしれませんが。 *その後ボストン・シンフォニーへ迎えられてネルソンスは新たにブラームスの CD を出しました。それも良いのでしょうが、どうもルツェルンでの感激の方がより大きかったように私には感じられます。やはりこの時が特別だったのでしょう。 今後の活躍が期待される指揮者です。 交響曲第3番 第3番は第三楽章の親しみやすくてもの悲しいメロディーが、恐らくはヴァイオリン・ソナタ「雨の歌」と並 んでこの作曲家の最も有名なフレーズとなっています。第二楽章も大変美しく、魅力のある作品です。そんなわ けで、個人的には真ん中二つの楽章だけよくかけます。両端の楽章はブラスが輝かしく立派過ぎて、私にはもっ たいなくてコメントできそうにありません。第1番が構えて聞かれる硬派の名曲なら、この第3番は歌に酔える 名曲で、ブ ラームス50歳のときの作品です。 そしてこの3番、2番と並んであまり深刻な感じがしません。こうした印象を放つ、心理的に安定した感じの する時期は、作品で言えばドイツ・レクイエムの35歳ぐらいから、この第3交響曲の50歳ぐらいまでの間の ような気がします。途中「雨の歌」のような濃厚なロマンティシズムと憧れに満ちたものもはさまってはいるの ですが、例外的です。これより前は恋愛感情が露わになったようなものが多く、あるいは大きく見せようとして 力んでいるかのような印象のものもあります。反対にこの幸せそうな時期の後は追憶と後悔、もしくは怒りが入 りじったような哀しい響きの曲が多くなるような気がします。 しかしこれが書かれた頃、ブラームスはヘルミーネ・シュピースというアルト歌手と噂がありました。書いた 場所も彼女の住んでいたドイツのヴィースバーデンです。噂がありながら決めに欠けるところは以前と同じで す。ちょっと疲れてきました。というわけで、ちょっと太めのシュピースにのめり込んでいたのですから、若い 時特有のやるせない恋の情熱がまた聞こえてきそうですが、案外そうでもありません。また、四つの楽章が弱 い音で消えるように終わっていることと、第三楽章の哀愁に満ちた旋律から晩年の作風に近いという人もいるな がら、私の耳には晩年に顕著な、あの満たされない憧れと追憶の波長はあまり聞こえないのです。 Brahms Symphony No.3 in F major op.90 Karl Bohm Wiener Philharmoniker
ブラームス / 交響曲第3番ヘ長調 op.90 カール・ベーム / ウィーン・フィル
ベーム晩年のウィーン・フィルとの録音が、そのアナログ録音完成期の素晴らしい音と相まって名演です。グ ラモフォンの録音はときにキツいことがあるのですが、このブラームスのシリーズは大変弾力と艶があり、美し く収録されています。ベームの力まない自然体の歌も心地の良いものです。 Brahms Symphony No.3 in F major op.90 Simon Rattle Berliner Philharmoniker
ブラームス / 交響曲第3番ヘ長調 op.90 サイモン・ラトル / ベルリン・フィル
全集としてどれも素晴らしい出来のラトルとベルリン・フィルの演奏もさすがです。ベームよりも細部に工夫 が行き渡っていますが、どこも納得行く表現です。このEMIも、デジタルになってからときどき詰まった中域 強 調の音に録られることがありますが、この全集は秀逸です。 INDEX |