やすらぎの音 / カンプラとジルのレクイエム
取り上げる曲: カンプラのレクイエム/ジルのレクイエム/楽しいルネッサンスの舞曲集/ボッケリーニ「マドリードの夜警隊の行進」 静かな音楽によってちょっと心を休めたいとき、思いつくのはどんな曲でしょうか。いわゆるヒーリング・ミュージックも悪くありません。 質の良いものは安っぽい旋律線に頼ったりしませんし、繰り返しも単調でなく、シンセサイザーの合成音ばかりでもありません。しかし生の楽器と声によるものが落ち着けるとなると、宗教曲ということになるかもしれません。 クラシック音楽は、ルネサンスからバロック、古典派、ロマン派と時代が進むとともに、だんだん音の主張が 激しくなって行くようです。まるでアマゾン.com のような矢印が、自我の目覚めを現すサインとして歴史の上にマジック書きされているかのようです。複数の作曲家群の中に一様な性格の変化が現れるということは、個体発生が系統発生を繰り返 すという理屈と似たことかもしれません。人の受精卵の様子を受精から胎児に至るまで映像で見て行くと、原始的な 形から魚類、両生類、亀、鳥類、哺乳類動物などの形を経て赤ん坊の形になります。でも動物よりも人間のわがまま に困らされることがあるように、進化した(?)音楽を聞 いて、ときに我々は不安な気分にさせられるのではないでしょうか。 むろん現代曲の中にも静かで美しいものはあります。でも産業化された慌ただしい社会を反映してか、刺々しい不 協和音がよく聞かれますし、後期ロマン派ですら金管が絶叫するシーンがあります。この変化の傾向はミサやレクエムなどの宗 教音楽においても言えると思います。ルネサンスのゆったりとした合唱曲が劇的なモンテヴェルディを経てバロック 時代に入ると、バッハの受難曲になってより物語性が強まります。モーツァルトのレクイエムでは鮮烈さに圧倒さ れ、ベートーヴェンのミサは壮大です。そしてヴェルディのレクイエムに出てくるティンパニはもはや映画の効果音 楽みたいです。で、静かな「第二楽章シリーズ」を CD−R に焼いたりする人種はいつも悩むのではないでしょうか。やすらぎがほしい、と。 お勧めは何でしょうか? ルネサンスの合唱曲は静かです。パレストリーナ、クリストバル・デ、モラーレスとトマス・ルイス・デ・ビクトリア、同じトマスはタリスにウィリアム・バード、名前を並べると催眠誘導のようでやすらぎます。そして実際に美しい曲たちなのですが、無伴奏の合唱であり、旋律はどれも似ていて違いがよくわからない恐れもあります。 そんなときにありがたいのがこのカンプラとジルのレクイエムです。フランス人でも南フランスはプロヴァンスの 作曲家で、プロヴァンスはソレイユ! バカンス! です。バカンスはやすらぎでもあります。この二人の作曲家のレクイエムからは死者のためのミサ曲という悲しい色は感じられず、暖かい日差しのような心地良 さが伝わってきます。 アンドレ・カンプラは1660年生まれ、バッハより25歳、ヴィヴァルディより18歳年上で、太陽王ルイ14 世の下で権力をふるったリュリより28歳若いバロック期の作曲家です。プロヴァンス生まれではあっても後にパリ に出てきて活躍し、83歳という長寿を全うしました。レクイエムは彼の最も有名な作品ですが、時代も時代、器楽 の伴奏がついて、独唱部分もあります。 一方でジャン・ジルはカンプラより8歳年下の、同じくプロヴァンス地方の生まれですが、カンプラとは反対にパ リには出ず、トゥールーズで37歳という若さで亡くなっています。やはりレクイエムが最も有名ですが、モーツァ ルトと同様に死を予感して自分用に書いたという話と、作曲依頼を受けたがお金がかかるということで演奏されず、 結局自分の葬儀で初演されることになったという話があるようです。そのとき指揮したのがカンプラでした。 よく一緒に扱われる二曲ですが、カンプラの方が若干静かで、長い旋律をうねるように、ゆっくり歌う部分が多い 感じです。一方でジルのは出だしの葬送行進曲のドラムの響きが印象的で、ダイアナ妃の葬儀で見られたような、棺を担いだ近衛兵の歩みを思い浮かべる人もいるかもしれません。しかしその後は淡々と、しかもどこか晴ればれと進んで行きます。この音で一生を振り返るとするなら、振り返った歩みには感謝の気持ちが込められるよう な気がします。それとも解き放たれる魂の喜びでしょうか。 Andre Campra / Jean Gilles Requiem Louis Fremaux Chorale Philippe Caillard Orchestre Jean-Francois Pailard アンドレ・カンプラ / ジャン・ジル / レクイエム / ルイ・フレモー / フィリップ・カイヤール合唱団 / パイヤール室内管弦楽団 CDはルイ・フレモーとパイヤール室内管弦楽団のエラートのものが、両曲ともにパイオニアの役 割を果たしたようです。演奏もゆったりとやわらかく、録音もディテールがはっきりする方ではないながら、今でも 十分楽しめる優秀なものです(それぞれ60年と56年の録音)。ただ、私が買ったプレスではジルの方のフォルテ が歪んでいて聞けませんでした。デジタル化する際の失敗のようですからオリジナルの音源が歪んでいるわけではな いと思います。今は直っているでしょうか。 Andre Campra Requiem John Eliot Gardiner English Baroque Soloists アンドレ・カンプラ / レクイエム / ジョン・エリオット・ガーディナー / モンテヴェルディ合唱団 / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ カンプラの方はガー ディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団の盤もありま す。ガーディナーは古楽器の演奏では有名で、ベートーヴェンなどの古典派の作品ではやや速めのテンポですっきりと進めて行きますが、この録音ではめずらし くテンポが遅く、フレーズをつなげて演奏しています。そのためか少々リズムが重い感じもありますが、起伏が あり、メリハリもあってダイナミックです。録音は若干細めの高域ですが残響が長く、よく響いています。合唱は人 数が多く感じます。 Andre Campra Requiem Olivier Schneebeli Orchestre des Musiques Ancienne Les Pages et les Chantres du Centre de Musique baroque de Varsailles アンドレ・カンプラ / レクイエム / オリヴィエ・シュネーペリ/ オルケストル・デ・ミュジーク・アンシエンヌ / レ・パージュ・エ・レ・シャントゥル・ジュ・サントル・ドゥ・ミュジーク・バロック・ドゥ・ヴェルサイユ 同じくカンプラのレクイエムとしては、新しいところではオリヴィエ・シュネーベリ指揮の ものが2010年の録音で出ました。こちらもテンポはゆったり目で、一歩ずつ着実に歩くようなリズムでフレーズ を区切って行くところがあるので、流れる歌というよりも物語のような印象です。録音は残響が多くない方ですが、 さすがに新しいだけあって細部までよく聞け、古楽器の響きが美しいと思います。ガーディナーとは反対に、規模は やや小ぢんまりしている ように聞こえます。 Andre Campra Requiem Philippe Herreweghe La Chapelle Royle ♥
Jean Gilles Requiem Philippe Herreweghe La Chapelle Royle ♥ アンドレ・カンプラ / ジャン・ジル / レクイエム / フィリップ・ヘレヴェッヘ / ラ・シャペル・ロワイヤル ♥ 両曲がそろっていて演奏も素晴らしいのは、ヘレヴェッヘとシャペル・ロワイヤルのものでしょうか。テンポはほど良く中庸であり、抑揚も心地良くついて真摯に十分歌っています。この人たちは古楽の演奏で有名ですから、当然伴奏においてもオリジナル楽器の繊細な音が楽しめます。個人的には目下これがベストです。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ やすらぎの音、というタイトルでカンプラとジルのレクイ エムを取り上げてきたわけですが、そのやすらぎの美しさというものは、例えばフォーレのレクイエムが祈りの感情 を思い起こさせるような静かに澄んだ美しさだとするならば、この二曲はそのように糸の張った美の反対側に位置す るものです。レクイエムであるにもかかわらずリラックスした、楽しい感じすらするやすらかさ。 そして、こうした楽しい波長の延長線上にある世俗的な曲というものも存在します。それは音楽を離れた何らかの 表題性としての楽しさではなく、あるいは劇としての滑稽だったりということでもなく、あくまでも音楽として優雅 でありながらもやすらぎに満ち、楽しくて苦痛を忘れるような曲のことです。カンプラとジルからは時代もジャンル も飛び越えて、以下にそんな日常を癒してくれるCDを何枚かご紹介します。 Tanzmusik der Renaissance Collegium Aureum 楽しいルネッサンスの舞曲集 / コレギウム・アウレウム合奏団 16世紀の舞曲を集めたCDです。こういう企画ものは 今やいっぱいあると思いますが、残された楽譜から驚くような発見をしてみせて、実は当時は こんな風に演奏してたんだ、というような野心も過激さも感じさせない舞曲集です。解説書に は色々と研究成果は書かれているけれど、要するに楽しいかどうかが重要なわけです。ここで 演奏しているのは古楽器演奏の最初の頃の楽団、コレギウム・アウレウムです。ああ、なんだ 今さらと言う人もあるでしょうし、別の項でもすでに紹介しましたが、公式には1962年に フライブルク(ドイツ)のレコード会社、ハルモニア・ムンディによって設立された楽団で す。指揮者を置かない演奏スタイルで、コンサートマスターのフランツ ー ヨーゼフ・マイアーを中心にひなびた味わいの古楽器の音を聞かせていました。演奏法の問題(ビブラートや現代弓の使用など)を色々指摘され、解散になり、 今や廃盤の憂き目に遭っていますが、アットホームで楽しげな演奏に特徴があります。フッ ガー城で収録された残 響の美しい音も印象的でした。 この舞曲集は彼らの録音の中でも大変味わいのあるもので、冒頭のジャック・モデルヌから タンバリンの音も軽やかに、ときどき繰り返しのパートで「あれ、もう一回だっけ」と出遅れる人があってもそのままの、なんとも和める音が聞けます。二曲目 には静かな弦のパヴァーヌ(ジョスカン・デ・プレのミル・ルグレ [千々の悲しみ]が原曲)と息のつけるリュートという具合に順序も良くアレンジされています。リズムのある曲の間に弦楽器のみの静かな部分が挟まる作り は、ムソルグスキーの展覧会の絵で同じテーマが次の絵へと案内してくれるみたいでやすらげますし、そうした静かな部分のほっとする感じや、7. のピエール・アテニャンのトルディオン/パヴァーヌ/ガイヤルドでのリュート一本の落ち着いた泉のような音など、他の舞曲集にはない美しさです。 この団体最初期の61年となっている録音は大変音も良く、一時は国内版CDも 出ていましたが、今は日本のアマゾンなどで買おうとするとプレミア価格になっていたりしま す。海外から取り寄せれ ば送料はかかりますが、それでもまだまだ普通の値段で買えます。 Boccherini "La musica notturna delle strade di Madrid" I Solisti di Perugia ボッケリーニ / マドリードの夜警隊の行進 イ・ソリスティ・ディ・ペルージャ 穏やかで美しい、 楽しい雰囲気もあってやすらげる、そんな音楽としてはボッケリーニも外せません。ハイドンより11歳年下で、 モーツァルトより13歳年上のイタリアの作曲家です。ソナタ形式を重視しない独自の作風を軽んぜられたため か長い間忘れられており、有名な曲といえば、彼自身がチェリストだったこともあってチェロ協奏曲、スターバ ト・マーテル、それに誰しも 一度は聞いたことがある「ボッケリーニのメヌエット」ぐらいでしょうか。しかし、このマドリードの夜の風景を描いた音楽は不思議な音楽です。予備知識なし に聞くといつの時代のどこの人だかまるでわからない。でもなんか楽しげで落ち着ける、他にちょっと聞いたこ とがないような曲なのです。 面白くなってこの作曲家のことを調べようとしても、あまり情報がありません。これほどリラックスできる音 楽も珍しいので、さぞやリラックスした人なのかと思ったら、どうもかなり反骨なところがあるらしく、スペイ ンの王家に仕えていながら、王子に従わなかったために庇護を失ったというエピソードもあるそうです。具体的 なディテールはちょっとずつ違い、王子が演奏に加わった曲のパートが単純だったために王子が批判をし、それ に対して諭して聞かせようとしたため、窓から落とされそうになったという話もあれば、書き直しを命じられた のにそのフレーズを倍返ししたために解任されたという話もあります。真実はよく分かりませんが、自分を曲げ なかったことは本当のようです。「音楽は人の心に語りかけるために作るものだ、情熱のない音楽は無意味だ」 と述べたとも言われます。そしてマドリードで過ごした晩年はつらい時を送ったのだそうで、二人いた妻と娘に は先立たれ、パトロンを失い、作曲家としても忘れられて貧窮のうちに死んだというのです。でも、彼の本当の 心の内は誰にもわかりません。 いずれにしても、この夜警隊の行進という弦楽五重奏は本当にくつろげますので、ぜひ聞いてみてほしいと思いま す。ボッケリーニが誰だったにせよ、幸せな気分になれます。 演奏はイ・ソリスティ・ペルージャのものが手に入りやすく、また演奏も楽しく、チリンチリンというベルの 効果 も聞けてトータルで心地良いものです。カップリングでヴィオッティの協奏交響曲、ロッラのヴィオラ協奏曲という、 同国・同時代の優美な曲も聞けます。2004年の録音で、レーベルはカメラータです。 Boccherini "La musica notturna delle strade di Madrid" ボッケリーニ / マドリードの夜警隊の行進 カザルス四重奏団 こ ちらはバルセロナの四重奏団による演奏で、ハルモニア・ムンディから 出ているものです。よりスローなところと速いところの対比があり、全 体に日だまりの中にいるような雰囲気はイ・ソリスティ・ペルージャの 方があるかもしれませんが、溌剌として意欲的な演奏です。2011年 発行となっ ていますので、録音は2010年でしょうか。この盤の良いところは有名な「ボッケリーニのメヌエット」が聞けるところです。すべてボッケリーニの 曲で構成されており、 弦楽五重奏の第6 番(メヌエットは第三楽章です)、弦楽四重奏ト長調、ギター 五重奏曲第6番が入っています。最後のギターの加わるものは有名な「ファンダンゴ」が第四楽章になっているもので、 G.448となっているので一般に第4番と言われる曲でしょうか。これだけちょっとフラメンコ、情熱、カスタネット という感じで毛色が違いますが、ボッケリーニの室内楽の有名どころをこれ一枚で網羅しようという企画なのでしょう。 その部分を除いてやはりどれもくつろげる曲で す。 INDEX |