ナポリ民謡集 クラシックのレパートリーにある歌ものたち 2 クラシックのレパートリーにある歌もの1として、南仏の民謡である「オーヴェルニュの歌」を前の記事でやりましたので、その第二弾として今度はナポリ民謡です。
このナポリ民謡(サブスクライブのサイトで検索するなら Canzone napoletana / Canzoni napoletane もしくは Napolitan / Neapolitan songs)というのは、一つや二つじゃなくて、多くの歌手たちが録音を出している分野です。サンタ・ルチアだとかオー・ソレ・ミオ、帰れソレントへ、フニクリ・フニクラなどはよく知られているでしょう。今さら説明の必要があるかどうかは分からないけど Wiki 的なことに触れるなら、調べて来ました: 女性が歌わなくもないけど主には男性のテノールが歌う、南部イタリアのナポリ語による歌であり、古くからのいわゆる民謡も含まれるにせよ、ポピュラー音楽として19世紀以降に作曲されたものが多いです。これは1830年以降に毎年行われる作曲のコンクールのようなものがナポリで制度化され、20世紀年頃まで続いたからです。上記の四曲などはどれもそういう経緯で作曲家によって生み出された歌です。テーマはほぼ恋愛についてであり、セレナーデを含んでどれも熱く訴えるものが多く、それ以外だとナポリへの郷愁といったものになります。 ナポリ語で歌うと言いましたが、この言葉は「ナポリ方言」とするには標準イタリア語と大分違っていて、お互いの意思疎通が困難な場面もあるようです。元々ナポリ王国の言葉なのです。したがって非ナポリのイタリア人がナポリ語で正確に歌うのは、抑揚の面で難しいところがあるとのことです。イタリアを言葉で分けるなら、大きく北が北部イタリア語であるガロ・イタリア語やヴェネト語、中部が標準イタリア語の元になったローマ方言を含むトスカナ語にサルデーニャ語、半島の南側の大半がナポリ語で、先端とシチリア島がシチリア語でした(実際はもっと細かく分かれます)。シチリアはシチリア王国というのがあったけど、言葉としてはナポリ語と近いようです。 さて、ではどうしてナポリ民謡が世界でこんなに有名になったのでしょうか。それは1880年頃から1920年ぐらいまで盛んだった南部イタリア人たちの移民によるものです。イタリア統一運動が起こった後、その中心だった中部イタリアの勢力が実権を握り、南部の旧ナポリ・シチリア王国の人々を弾圧したため、北米南米大陸など、世界のあちこちに南イタリアの人が散って行きました。いつの間にかミートボールのみになってしまったアメリカのスパゲッティやマフィアなんかは有名だと思います。コロンボ刑事もイタリア系という設定でした。そして彼らはその先で故国のナポリ民謡を広めたのです。もう一つ、ナポリ生まれの歌手、カルーソー(Enrico Caruso 1873-1921)がニューヨークのメトロポリタン・オペラで活躍したということも大きかったようです。彼はナポリ民謡を録音したりもしました。明るい太陽の下で情熱的に歌われるラブソング、フランス民謡ともドイツ・リートとも違ってからっとした気分になり、時々聞きたくなります。 出ている録音 誰の歌で聞くべきかというと、それはもう全くの好みの世界です。ナポリ民謡を録音している人を生まれ年順で古い方から挙げてみますと、以下の通りです: エンリコ・カルーソー(1873-1921 ナポリ)1917 RCA ティート・スキーパ(1889-1965 レッチェ/南部)1925-38 Prima Voce ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957 レカナーティ/中部)1933-49 EMI *LP の登場が1948年頃なので、以上は SP 時代 フェルッチョ・タリアヴィーニ(1913-1995 レッジョ・エミリア/北部)1964 RCA マリオ・デル・モナコ(1915-1982 フィレンツェ)1955 Decca ジュゼッペ・ディ・ステファノ(1921-2008 シチリア)1953-57 EMI / 1956-65 Decca フランコ・コレッリ(1921-2003 アンコーナ/中部)1962 EMI カルロ・ベルゴンツィ(1924-2014 ポレージネ・パルメンセ/北部)1972 Ensayo ルチアーノ・パヴァロッティ(1935-2007 モデナ/北部)1977 Decca フランコ・ボニゾッリ(1938-2003 ロヴェート/北部)1985 Orfeo プラシド・ドミンゴ(1941- マドリード)2005 DG ホセ・カレーラス(1946- バルセロナ)1980 Philips ジュゼッペ・サッバティーニ(1957- ローマ)マイスター・ミュージック1994 ディミトリー・ホロストフスキー(1962-2017 ロシア/バリトン)2001Delos フランチェスコ・デムーロ(1978- サルデーニャ) 2011DENON 人気のある歌唱 全くの好みとは言ったものの、世間で人気を集めている歌手というのはだいたい決まっているようです。販売サイトで最初に顔を出すものと言えば、その時々によって多少の違いはあるものの、三大テノールとステファノでまず一区切りという感じです。続いて古くからの名演こそがという人向きの区分として、そのステファノを含んだイタリア四大テノールあたりが来るかもしれません。 三大テノール(The Three Tenor/三大の前に「世界」が付く場合もあります)というのは、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの三人のことです。90年代から2000年代初期にかけてそのように呼ばれるようになりました。どうしてそうなったのかというと、1990年にワールド・カップ・サッカーのイタリアでの決勝戦を前にして行われたコンサートでこの三人が歌い、世界中に中継されて何百万人とも8億人とも言われる人が見た上、CD はギネス記録の売り上げを記録したということがあったからです。場所は世界史の教科書には堕落の象徴みたいにして出て来るあのカラカラ浴場。歴史的遺産に照明が当たってムードは満点です。伴奏指揮者は輝かしきエスタブリッシュメントのズービン・メータ氏という顔合わせです。DVD も出ているのでぜひ見ていただきたいと思います。三人は元々はライバルのような関係だったのでしょうが、この中のカレーラスが三年前に白血病を患い、アメリカで回復した後、自身がこの病気の患者のための支援活動を行うようになって、それを助けるために残り二人が集まったという経緯でした。そしてその後もこのトリオは一緒に活動を続けたという美しい話があります。ここで彼らの盤を取り上げないのは別に良くないからではなく、大変な名唱だと思いますので、これもぜひ聞いていただきたいと思います。でもとりあえずは取り上げない分、細かく感想を述べることは控え、一般に言われるところのこの人たちの特徴をそれぞれ記してみようと思います。 ルチアーノ・パヴァロッティはオペラ歌手として常に人気第一位となる人なので説明は不要でしょう。1935年にパン職人の子としてモデナで生まれたテノールで、1972年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場でドニゼッティを歌って有名になりました。高い音を楽々と出すので「キング・オブ・ハイC」と呼ばれ、その輝かしい高音と恰幅の良い体型からの圧倒的な音圧、きれいな音色に加えて、強調されたアクセントのあるドラマティックな強い響きが特徴と言われます。膵臓がんで七十一歳で亡くなっています。ナポリ民謡は1977年録音のデッカ盤が出ています。 プラシド・ドミンゴは1941年、イタリアではなくマドリード生まれのオペラ歌手で、メキシコでデビューしてまずイスラエルで活躍しました。最初はバリトンで後にテノールに変わったので、声質は重いとされます。そして68年から69年にかけてのメトロポリタン・オペラとミラノ・スカラ座での歌唱で有名になりました。この人もドラマティックな演技力で声量がたっぷりあり、太くよく歌いつつも細かな表現力も十分と言われます。三大テノールでは唯一の現役ながら、2019年には指揮者のデュトワやレヴァイン同様、事実は分かりませんが性的嫌がらせ疑惑が持ち上がって多くの舞台で降板しました。ナポリ民謡としては、2005年にドイツ・グラモフォンから出しています。 ホセ・カレーラスもスペインのテノールです。1946年バルセロナ生まれ。70年代初頭からの活躍で、上記二人のような圧倒的声量といった評価はされず、輝かしい艶のある高音とも言われずにややフラットな音色ともされるときがあるものの、声質は元々は軽めでやわらかく落ち着いており、飾らない真っ直ぐな情熱で歌います。詩的で洗練された品の良さがあるとも評価されています。白血病を奇跡的に乗り越えてその支援活動を行うなど、人道的にも高く評価されているようです。劇的な方へ行き過ぎない分、個人的には三人の中で最も好きで、大分前に名唱歌集も買いました。この人のナポリ民謡も録音が新しくて良いです。1980年のフィリップス盤です。 さて、三大テノールには入らないけど、ジュゼッペ・ディ・ステファノのナポリ民謡も定番です。1921年のシチリア生まれで、靴の修理屋を営む貧しい家に生まれ、二次大戦に参戦し、マリア・カラスとの共演で有名です。イタリアのテノールとしては大変名高い人です。発声法については何も触れられませんが、声質はあくまでも明るく、自己流ながら身体全体によく響く大きな声で歌ったとされます。歌い方はドラマティックで、割れんばかりの熱狂的な表現が聞かれます。生活面では天性の遊び人と言われ、残念ながら2004年に強盗に襲われ、そのまま意識が戻らず2008年に亡くなっています。ナポリ民謡の録音は EMI とデッカに、それぞれ50年代と、同じく50年代後半から65年にかけて収録したものがあります。 ステファノを含む「イタリアの四大テノール」 と呼ばれる残り三人は、フランコ・コレッリとベニャミーノ・ジーリ、ティート・スキーパです。スキーパは録音が古いのが残念で、ベニャミーノ・ジーリも新しくはないけど余計な飾りがなく、激情に走らずおっとりと落ち着いて上品に歌っています。甘くやわらかいところもあって歌い方は好きです。音響的なコンディションが良いとは言えないので声の艶などはよく分からないけれども、生ではよく響いていたのだと思います。1890年のイタリア中部生まれで、カルーソーの再来とも言われました。いい音で残っていたらベストに挙げたくなります。 フランコ・コレッリの方は1921年、やはりイタリア中部の生まれで、ナポリ民謡はステレオになってからの1962年の録音です。イタリア海軍の造船に携わっていた父を持ち、本人もそっちの方面に進もうとしていたものの声を評価され、歌の道に入りました。ほとんど独学で技術を身につけて後、いい指導者を見つけて教えを受けたりしたそうです。この人は「プリンス・オブ・テナー」と称され、力強く粘りのある重厚な声の持ち主です。歌い方はゆったりの運びが多く、ナポリ民謡もたっぷりしています。余裕をもって走らず、振った反動で持ち上げるように扇情的に訴えます。 常時褒める人が見つかる歌手たちと言えば以上が主なところでしょうか。これとは別にマリオ・デル・モナコ(1915-1982)もイタリアの偉大なテノールとされます。「黄金のトランペット」と呼ばれる圧倒的な声で男らしいと言われ、輝かしく少し派手に訴えて来るようなところがあります。この人のイタリア民謡集も名盤に入るかもしれません。54年と62年に録音があります。 歌詞 代表的な曲の歌詞に少し触れてみようと思います。最も有名なのはサンタ・ルチアやオー・ソレ・ミオの方かもしれないけれども、きれいな曲なので「帰れソレントへ」と「カタリ・カタリ」にします。 「帰れソレントへ」のソレントというのは、ナポリから見て、ナポリ湾を挟んだ南向かいのソレント半島にある都市です。ナポリ市街からは30キロほどで、切り立った崖の上にあります。この歌は1894年にナポリ生まれの音楽家、エルネスト・デ・クルティス(1875-1937)が作曲し、その兄のジャンバッティスタ・デ・クルティス(1860-1926)が作詞を手がけました。1902年にソレントを訪れた首相の依頼であるとか、それにまつわる贈る側の政治的な意図が取りざたされることもありますが、どうやらそれは曲の成り立ちに関してではなく、元の曲を流用したときの話だということです。 「カタリ・カタリ」は原題が「コーレングラー ト」であり、それを訳して「つれない心」とも呼ばれます。1911年のナポリ生まれでアメリカに移住した作曲家、サルバトーレ・カルディッロ(1874-1947)によって作曲され、リッカルド・コルディフェッロ(1875-1940)によって作詞された曲です。カルーソーによって歌われました。カタリとはカテリーナの略称で、女性の名前です。 帰れソレントへ(Torna a Surriento/Come Back to Sorrento) この海の美しさを見てほしい、 それはまるであなたに思いを寄せる者たちに 白昼夢を見させるあなた自身のように、 あらゆる感情をかき立てる。 この庭を見てほしい このオレンジの芳香を感じてほしい あなたの心に真っ直ぐに届く、 これ以上に洗練された香りがあるだろうか。 そしてあなたは「もう行くわ、さよなら」と言い残し、 この心から、この愛の地から歩み去って行く、 もう戻ろうという気持ちはないのか。 でも行かないでほしい、 この苦しみを与えないでほしい、 ソレントへ戻って来てほしい、 私を生かしてほしい。 このソレントの海を見てほしい ここには隠された宝があるんだ。 世界中を旅する者たちですら、 決して見たことのないようなものが。 ここにいるセイレーンたちを見てほしい 魅惑され、あなたを眺めている、 そしてあなたをこれほどまでに愛している、 彼女たちはあなたに喜んで口づけを贈るだろう。 そしてあなたは「もう行くわ、さよなら」と言い残し、 この心から、この愛の地から歩み去って行く、 もう戻ろうという気持ちはないのか。 でも行かないでほしい、 この苦しみを与えないでほしい、 ソレントへ戻って来てほしい、 私を生かしてほしい。 カタリ・カタリ/つれない心(Core ’Ngrato/Catar?, Catar?/Ungrateful Heart)
カタリ、カタリ、どうしてそんなにつれないことを言うんだ。 どうしてそんなことを言って私の心を苦しめるんだ、カタリ。 忘れないでくれ、私はこの心を君にあげたんだ、カタリ。 忘れないでくれ。 カタリ、カタリ、やって来て、私を傷つける そんな言葉を投げつけてどういうつもりなんだ。 君は私の痛みをかえりみない。 君は考えない! 君は気にもかけない! 心、恩知らずの心、 君は私の人生を盗んだ。 すべては終わった。 そして君はもう過去は何も気にしない! カタリ、カタリ、君は私が教会へ行ったことすら知らない。 そこで神に祈ったんだ、カタリ。 そして司祭様に告白してこうも言ったんだ、 「この大きな愛によって苦しんでいます」 私は苦しんでいます。 私は苦しんでいます、彼女の愛を知ることができなくて。 わが魂を苛む悲しみに、私は苦しんでいます。 そう告白すると、司祭である聖母マリア様が私に言った、 「わが息子よ、もう手放しなさい。彼女をもう放免してあげなさい」 Canzoni napoletane
Ferruccio Tagliavini (t) ♥♥ Orchestra conducted by Carlo Savina ナポリ民謡集 フェルッチョ・タリアヴィーニ(テノール)♥♥ カルロ・サヴィーナ指揮のオーケストラ 先回のオーヴェルニュの歌に続いて、ここでジャケット写真付きで取り上げる CD も一つだけにします。他が良くないというわけでは決してありません。その昔、といっても大分昔だけれども、三大テナーが脚光を浴びる前は、ナポリ民謡と言えばステファノとタリアヴィーニの一騎打ちだった時期があったと思います。そしてファンはどっちかの派に分かれるような感じでした。ファンではないけれども、自分はとりあえずタリアヴィーニ派だったわけです。もちろんこれもステファノが良くないわけじゃありません。どうしてタリアヴィーニかというと、抑揚の付け方です。発生法とかの話じゃなくて、表現の問題なのです。これは偏見かもしれませんが、一般論としてイタリア・オペラって、元々が劇なだけに、劇的な歌手が好まれる傾向があるのではないかと思います。車に喩えると、リズム感良くひょいひょいと曲がるハンドリングの良いスポーツカーよりも、重くても戦車ほどの馬力があるモンスターが突進する方が大向こうが唸るのではないかと感じるのです。もっと具体的に言うなら、少しでも感情の激発が可能になるパートでは惜しみなく大きな声をサービスし、常に全力で歌おうとするような歌手に熱狂する。言い方は悪いにせよ、まるで絶叫しないと駄目なんじゃないかと思えて来るときがあるわけです。高く澄んだきれいな声が出るステファノが絶叫だと言うわけでは全然ないけれども、タリアヴィーニはとにかくそっち側ではなく、洗練されています。録音されたのは1964年なので、最盛期は過ぎているかもしれないし(40年代から50年代がピークだとされます)、それだからこそ血気盛んなところも多少減ってるのかもしれないですが。このとき五十一歳です。 フェルッチョ・タリアヴィーニは1913年、 モデナ、パルマ、ボローニャなどに近い北イタリアのレッジョ・エミリア生まれのテノールです。元から歌が好きで教会でも歌い、認められてその道に入りました。若い時は容姿端麗で映画にも何本も出ており、女性関係も華々しかったようです。一方で晩年は困窮し、パヴァロッティが毎月の手当をあげていたとか。95年に亡くなっています。パヴァロッティってカレーラスの白血病援助にも賛同するし、面倒見がいいようです。そしてこのタリアヴィーニ、世間ではティート・スキーパとベニャミーノ・ジーリの後継者としてもてはやされ、大変人気があった人です。五回ぐらいでしょうか、来日もしていて日本でも往時は評判が良く、雑誌や書籍などでもたくさん取り上げられました。したがって古くからのファンにはお馴染みの歌手ということになるでしょう。最近になってあまり話題にならないのは寂しい気もします。 特徴は、何といってもまずその美声でしょう。甘美で優雅、繊細でやわらかく、やさしい、暖かいなどとも評されるリリコ・レッジェーロです(軽い方の声質を意味する区分だけど、力がなくて神経質に翻るような声ではありません)。発声のことは分かりませんが、ベルカントのお手本だともされます。弱音も見事で、ソットヴォーチェ(そっと出す声、みたいな意味)が滑らかだと言われたりもします。そして表現力、歌い方にも説得力があり、物理的な声の張りのみを追求するのではなく、感情表現が細やかです。そのナポリ民謡は派手な表現を抑えてやわらかく強弱をつけて行くもので、強く盛り上がるところでは朗々と歌うけれども艶のある音色は保たれており、最大限に力づくではやりません。テンポも落ち着いていて興奮して走ることもなく、内側からこみ上げて来る感情を噛み締めるように歌います。「カタリ・カタリ(コーレングラート)」や「帰れソレントへ」など、ワン・アンド・オンリーの絶品ではないかと思っています。個人的にはこの録音がなかったらナポリ民謡は聞かないかもしれません。 1964年録音の RCA です。ステレオ初期ではあるけどアメリカは進んでいたのでしょう、録音は全然悪くないです。わずかに弦の高音が薄い傾向もなくはないけど、滑らかだし、木管など潤いがあります。タリアヴィーニの歌はもちろん美声を捉えていて艶かしく、表現の面で言ってもオーケストラの伴奏部分まで叙情的で風情があり、「帰れソレントへ」など、アレンジが効いていて洗練されています。指揮者のカルロ・サヴィーナは1919年生まれで2002年に亡くなったイタリア人で、作曲家でもあり、「ゴッドファーザー」などの映画の音楽を監督したりしたとのことです。オーケストラは彼の管弦楽団、ということのようです。 上の写真は左が比較的最近の CD のもの。右は昔の日本盤の LP です。レコードのときは全12曲で、CD は16曲に増えました。 CD はこの盤以外にも、ちょっと違う体裁で前にも別のが出ていました。日本の会社はこのタリアヴィーニを何度も復刻してくれていて、ありがたいことです。現行品かどうかは定かでないですが、今も普通に新品が買えますし、今後も時々はプレスし直して出してくれるんじゃないかと期待しています。一方、輸入盤を探すのは至難ではないでしょうか。タリアヴィーニって、もう日本以外ではあまり聞かれないのでしょうか。と思って調べてみたら、本国アマゾンでは RCA イタリア盤など、やはり色々と出てました。 |