ヨハン・シュトラウス / 美しく青きドナウ
美しく青きドナウ クラシック音楽の入門曲。その始まりはドナウ、ビューティフル・ブルー・ダニューブです。ドナウというのはドナウ川のことで、ヨーロッパのど真ん中を横断している長い川です。昔、初めての冬のドイツ旅で「ドナウ川」の看板を見つけ、車を停めて降りてみたことがあります。こちこちに凍った川面を歩ける小さな川でした(上の写真)。でもそこら辺から流れ始めて黒海に注ぐ川なので、まだ小さくて当たり前です。この曲が美しい青い川と称えているのは、流域二番目の国、オーストリアはウィーンを流れる姿なのです(ハンガリーだとする説もあります)。水質は現代では美しくなくなってしまったようですが、作曲者ヨハン・シュトラウスの時代には景観とともに大変きれいだっただろうと思います。曲は第二のオーストリア国歌とさえ言われるほど親しまれています。因みに本物のオーストリア国歌はちょっと前まではドイツ国歌と同じメロディーだったハイドン作で、「皇帝」四重奏の第二楽章 にも使われたものでしたが、現在はモーツァルトがフリーメイソンのために書いた曲(そっくりですが異説あり)を原曲にしていると言われる「山岳の国、大河の国」となっています。この大河というのもドナウ川のことでしょう。 二人いる? ヨハン・シュト ラウスは実は二人います。1世と2世で、1世は1804年生まれの作曲家で「ラデツキー行進曲」を書いた人であり、「ワルツの父」と呼ばれます。2世の方は1825年生まれのその長男で、そちらがこの「美しく青きドナウ」を作曲しました。ワルツというものを完成させた「ワルツ王」と呼ばれます。それだけでなく、この家族(シュトラウス・ファミリー)を中心にワルツを作った人はたくさんおり、ウィーンと言えばワルツということになり、毎年正月になるとウィーン・フィルに よって1939年から続けられているおめでたい「ニューイヤー・コンサート」がテレビでも流れます。 ワルツの起源 そもそもがワル ツはどこから来たかというと、踊りというものはどこにでもあるにせよ、ウィンナ・ ワルツの源流になったものはどうやら13世紀頃のアルプス地方の農民の踊りであるようです。それがハプスブルク帝国時代に発展し、1814年にナポレオン戦争後の 混乱を収拾するためにヨーロッパ各国の代表が集まったウィーン会議の頃に舞踏会ブームとなり、各国の代表は会議をせずに踊ってばかりいたという事態が生じました。歴史で習った有名な「会議は踊る、されど進まず」ですが、それを機にウィンナ・ワルツは世界的に名が知られ、ほぼ19世紀中流行が続いたと言います。 曲について さて、「美しく 青きドナウ」という曲、これは大変美しい曲です。前述の25cm LP でもそれが A 面最初のトラックでした。踊りの前にイントロ(序奏)があって、それが素晴らしいのです。ストリングスのさざ波に乗ってアルプスを思わせるホルンが深々と鳴り、途端にうっとりとさせられてしまいます。元々がドナウ川の美しさを曲想としたのではなく、この序奏だけがドナウのイメージで作られたそうですが、ここを聞くだけでも価値があるというものです。実際この曲は大人気で、その楽譜は印刷銅板が間に合わないほど売れたというし、虜になった有名人も数知れず。 熱心なファンだったブラームスは作曲者の娘にサインを求められたとき、扇子にこの曲を数小節を書き、「残念ながらブラームスの曲にあらず」と記したといいます。同じファミリー・ネームのリヒャルト・シュトラウスも、「あなたがあの『美しく青きドナウ』の作曲家ですか?」と何度も聞かれたよ、と言っていたし、狂った「ラ・ヴァルス(ザ・ワルツ)」を作曲したラヴェルも、「青きドナウ」を書いたシュトラウスこそが唯一成功したワルツ作曲家だ、と語りました。 ところがです。ではヨハン・シュトラウス2世の曲が全部いいかとなると、これは全くの独断と偏見ではありますが、どうも自分には「青きドナウ」一曲なのですね。他のワルツでいくつか覚えやすいメロディーのはあるものの、何度トライしてもドナウほど良いとは思えない。だからニューイヤー・コンサートもあの雰囲気は楽しいものの、どうも退屈してしまって見ることはありません。どこかで読んだ話ですが、同じようなことを言う指揮者か何か有名な音楽家もいたようで、「ウィンナ・ワルツは軽薄だ、だから自分はやらない」と長らく語って来て、あるとき意見を翻して演奏するようになったそうです。その人のきっかけになったような出来事が自分にも起きて、開眼することができたらと思います。 演奏とCD それでは演奏はどの盤にするかという話ですが、ニューイヤー・コンサー トはウィーン・フィルの伝統です。通常はお国ものだから一番、という見方をしないのですが、さすがにこれに関してわざわざウィーン・フィルを外すのもどうかと思われます。それ以外でいくつか褒められることのあるものも存在しますが、通の方のマニアックな楽しみは残しておいて、ここはひねくれないで世界一の伝統があるやわらかい響きのオーケストラから選ぶことにします。そうなるとニューイヤー・コンサートを指揮してきた歴代の指揮者はどうかということになるわけですが、初代のクレメンス・クラウスはやり過ぎないやわらかな伸び縮みが品が良いものの、モノラルです(コンディションは良好)。次のボスコフスキーあたりが伝統的かつ良い録音のものとなるでしょう。テンポがややゆったりで始まり、抑揚がより大きくなって波のように盛り上がっては静まる表現が聞かれ、切り替えて速くするテンポ変動もあります。そしてクラウスとも共通していますが、いかにも踊りのためというような不均等で切れの良いリズムが聞かれます。これが正統派なのでしょう。そしてその後のマゼール、カラヤン、アバド、クライバー、オザワ、ドゥダメルと続いた列の誰かを選ぶというのも一つだと思います。この中で人気があるのはカルロス・クライバーで、急な切り替えではないけ れども伸び縮みするテンポの揺れがあり、シンフォニックというのか、静かなところから熱い盛り上がりまで聞かれる起伏の大きな表現であり、それでいてワルツのリズムはより自然な運びです。これはライヴ・レコーディングです。 Johann StrausU The Blue Danube Karl Böhm Wiener Philharmoniker ♥♥ ヨハン・シュトラウス 2世 / 美しく青きドナウ カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥ そしてここでは ベームの盤を挙げます。ニューイヤー・コンサートの列には入らないにせよ、オーストリアの人であり、ウィーン・フィルが最も尊敬していた指揮者でもあります。時折ドイツ風の角ばったリズムを聞かせるものもありましたが、モーツァルトの協奏曲の伴奏やこのウィンナ・ワルツでは大変柔軟で、正にぴったりな演奏をします。この曲に熱狂的大迫力、要らないでしょう。特に抑揚が大きくはないけどゆったりとして端正で、踊りのためのリズムはとらない純音楽的な解釈ですが、ウィーン・フィルの流儀に任せているのか十分に歌っていて美しいのです。そしてこれには録音の良さも関係があります。1971年ドイ ツ・グラモフォンのスタジオ録音はこのレーベル特有の硬さがなく、やわらかいこの楽団の音を理想的に捉えています。ソフィエンザールのデッカ録音とは違ったバランスで、ムジークフェラインザールで収録した70年代の一連のベームの録音は DG のアナログ録音のベストと言ってもいいでしょう。 INDEX |