フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
Fauré : Requiem in D Miner op.48

faurerequiem

取り上げるCD31枚: アンセルメ/ブーランジェ/クリュイタンス/マルタン/コルボ ('72 /'92 /'05/'06)/フルネ/ラター/ジュリーニ
/デュトワ/ヘレヴェッヘ( '88/'01/'21)/クリヴィヌ/ベスト/ガーディナー/マリナー/ウォーカー/クリストファーズ/エキルベイ
/ダイクストラ/ヤルヴィ/ショート/クレオベリー/ロマノ/ヴァレ/ボルトン/ウェーバー/コカール

 フォーレのレクイエム。この形式の作品(死者のためのミサ曲)の中でもモーツァルトと並ぶ名曲とされ、ヴェルディのそれを加えて三大レクイエムと呼ばれたりもします。満たされた静謐さが遠いルネサンスの合唱のようでもあり、疾風怒濤とロマン派の嵐を経験した後の時代だとは思えません。グレゴリオ聖歌の単旋律にハーモニーが加わったのがルネサンス期の音楽だとすると、そのすぐ後のバロック時代ですら管弦楽を伴って劇的になるのに、この曲の不思議なところはその前のやわらかな響きでありながらもオーケストラの伴奏が加わるところです。こういう感覚の曲として他にデュリュフレを挙げる人もいるけど、おおよそ他にはありません。動きの少ない純化された内声部の上に旋律が揺らめいて行くその昇華された響きは何にも代え難いものです。形容詞に客観性はないけれども今までで最高に美しいミサだと思うし、レクイエム本来の目的として、送る側の魂の安らぎを最も得られるレクイエムではないでしょうか。


フォーレについて
 作曲家のフォーレは1845年というロマン派の時代にフランスに生まれ、無調音楽が出た後の1924年に七十九歳で亡くなっています。印象派への橋渡しをした人だとよく言われますが、その作風は古典的な形式と和声を守りつつ、時として新しい音と転調を見せるというものです。初期の作品には拍節感があったり、晩年は音の重なりと繰り返しが独特の重さを感じさせたりするものの、多くの作品に共通している調性感の移ろい(少しずつずれ て移動して行く転調)と半音階の混じるその音には独特の風情があります。確かに少し印象派に足を踏み入れたようであり、わずかにすみれ色のハーモニーを響かせつつ曖昧に引っ張った静かな歌を聞かせるのです。

 生まれた場所は南フランスで、トゥールーズよりさらに南でピレネーにも近い町、パミエです。父親は教員であり、母は貴族階級の出ではあったものの音楽的環境とは言えない家庭でした。しかし子供の頃に近くの教会にあった足踏みオルガンに興味を持ち、よく弾いていたところを力のある議員に聞かれ、パリで学ぶことを勧められて音楽の道へ入りました。そこではサン=サーンスがピアノの先生になったのですが、教え子は師に憧れ、師の方も教え子を気に入って長く面倒を見るといった関係になり、この二人は生涯親しかったそうです。フォーレの身の振り方、就いた多くのポストにおいて、このサン=サーンスの助言や計らいがありました。

 その後教会オルガニストになったけれども、即興の名手という立ち位置だったし、この楽器は飯の種だと思っていたからか、オルガン作品は残っていません。作曲家としては1876年作のヴァイオリン・ソナタが翌77年に有名になり、初めて評価されました。三十一歳のときです。そしてその同じ年にマリアンヌ・ヴィアルドという女性と婚約するものの相手から破談にされ、傷ついた結果旅行で気晴らしをするようになります。その後は1883 に彫刻家の娘マリー・フレミエと結婚して子供も出来たけれども、この人はどうもその方面で人気が高く、生涯にわたってたくさんの女性との部外活動に勤しみました。銀行家の妻で後にドビュッシーと結婚する歌手のエンマ・バルダックと親しくなったり(このとき「優しい歌」を作曲しました)、弟子の作曲家アディーラ・マディソンと仲良くなったり、あるいはハープ演奏家の娘でピアニストのマルグリット・アッセルマンをパリのマンションに囲い、旅行に公然と連れて歩いたりと いったところが有名ですが、無名のアフェアも数知れないとのことで、やりたいように出来たみたいです。有名作曲家の一部には未発の恋に焦げる例もあるけれども、フォーレはそういうタイプではありません。伝記作家は彼を擁護して、マリアンヌによる心の傷や奥さんの無理解を原因に挙げたりします。

 若いときはよくはしゃぐ性格だった一方、三十代からは鬱が出たりしました。自らが賞賛するヴェルレーヌの詩によるオペラを書くチャンスが舞い込んだ後で頼まれず終いになったときには、その鬱がさらにひどくなりました。でも1896年にはパリ音楽院での教授職に就き、ラヴェルらを教えました。そしてその優秀な生徒であるラヴェルがローマ賞(若い作曲家の登竜門)に予選落ちするという異常事態が起きると、その責任を取って辞任した前任者の後釜として学長に就任します。大変リベラルで公平な人だったので、そのポストでは多くの改革を成し遂げたものの、1911年頃からはベートーヴェン同様に聴力が衰えました。


レクイエム op.48 について
 中期である四十二歳の頃、1887年から88年にかけて作曲され、建築家の葬儀において自らの指揮で演奏されました。ソプラノとバリトンの独唱が立ち、オーケストラと合唱が奏する作品であり、40分前後の長さです。フォーレといったら室内楽も声楽曲もあるけれども、まずなんと言ってもこのレクイエムであり、聞いて楽しむ 愛好家といえどもそこ止まりの人が多いのではないでしょうか。伝統的なカトリックの死者のためのミサ曲の形式ながら、楽章としての「怒りの日」を欠き、その内容的な部分が「リベラ・メ」に含まれるという構成をとっています。それがというわけではないですが、作品自体として教会関係者から難色を示されたこともありました。作曲の動機についてははっきりしておらず、父親がその二年前に亡くなったからだと言われることがある一方、本人は否定しています。このレクイエムが死への恐れを表現出来ていない、あるいは死への子守唄のようだと批判されたことについては、「私は死というものを痛みの経験としてではなく、幸福へ向かう願望として、幸せな解放として見ています」と答えています。フォーレはフランス人らしい愛国心は持っていて普仏戦争では志願して従軍したりもしましたが、特に信心深くはない方でした。「宗教的な空想(幻想)によってなんとか心に描いたことの全てを、私は自分のレクイエムへと持ち込んだのです。それはさらに言うなら、永遠の休息を信じる非常に人間的な感情によって終始一貫支配されていたということです」とも語っています。


版について
 フォーレのレクイエムには楽譜がいくつか存在します。オッフェルトリウム(奉献唱)とリベラ・メ(私を解放してください)の楽章がなかった初演時の第1稿は上述の通り1887年から翌年にかけて作曲されましたが、それを除いても主なものは三つあります。最もよく演奏されている最終版の第3稿に当たる、編成の大きな「1900年版」(二管編成のオーケストラ)がまず一つ。そしてその1900年版が弟子によるオーケストレーションを疑われたことで、より純粋にフォーレ自身の作曲意図を反映させようと試みた小編成の第2稿である「1893年版」が二つ目になるけれども、それがまた二種類あります。そのうちの一つ目は、再発見された自筆譜に基づいて1984年にジョン・ラターが編纂した「ラター版」(1984年版とも)で、もう一つはフォーレ研究家のジャン=ミシェル・ネクトゥーとロジェ・ドラージュが1988年に編纂した「ネクトゥー/ドラージュ版」(1988年版とも)です。


曲の構成(1893/1900年版)
第1曲:イントロイトゥス(入祭唱)とキリエ(主よ憐れみたまえ)
 暗く厳かなところから立ち上がる短調の曲です。入祭唱は短い序のような部分です。

第2曲:オッフェルトリウム(捧献唱)
 バリトンの独唱部分があります。第1曲に続いて厳かながら静かな部分です。

第3曲:サンクトゥス(聖なるかな)
 ヴァイオリンとハープの伴奏に乗ってソプラノの高音部とテノールのパートが流れるように歌う天国的な曲調です。盛り上がって「ホサナ、いと高きところにて」の歓喜に到り、オルガンとブラスを含むオーケストラがそのクライマックスを支えた後、ヴァイオリン・ソロとハープに戻って静かに終わります。

第4曲:ピエ・イエズ(慈悲深きイエス)
 ソプラノが静かに歌う美しい楽章です。女声以外にもボーイ・ソプラノの場合も、複数で歌う場合もあります。レクイエムにはない楽章ですが、本来の構成の中にあるラクリモサ(涙の日)に含まれる文言です。

第5曲:アニュス・デイ(神の子羊)
 テノールの合唱による部分があります。起伏があり、一曲目に回帰したりもするし、転調を繰り返す複雑な構成ながら大変感動的です。

第6曲:リベラ・メ(私を解放してください)
 バリトンが活躍します。正式なレクイエムの中には含まれない埋葬時の応唱の部分ですが、中間部は激しく、このフォーレに欠けている楽章である「怒りの日」を意味する「ディエス・イレ」という文言が含まれます。

第7曲:イン・パラディスム(楽園へ)
 これもレクイエムには本来含まれない埋葬時の祈りの文です。天国をイメージしているのか、静かな、憧れをたたえたような曲調です。


 では CD を取り上げて行きます。録音年代順ですが、一つの演奏者で複数の録音を出しているものがありますので、今回それらは最初のものを基準に一箇所に固めました。



   ansermetfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Ernest Ansermet   Union Chorale de la Tour de Peils
      Orchestre de la Suisse Romande
      Suzanne Danco (s)   Gérard Souzay (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
エルネスト・アンセル メ / トゥール・ド・ペイルス合唱団
スイス・ロマンド 管弦楽団
シュザンヌ・ ダンコ(ソプラノ)/ ジェラール・スゼー(バリトン)
 この曲の古くからの名盤の一つで、アンセルメ/スイス・ロ マンド盤です。アンセルメは1883年生まれで 1969年没。フランス語圏スイスの指揮者でフランスものを得意としました。彼が1918年に ジュネーブに設立したのがスイス・ロマンド管弦楽団。フランス管の独特の音色を持つ楽団だけれども、この曲ではその部分はさほど前面には出て来ないでしょうか。

 遅過ぎはしないけど終始ゆったりした運びはこの時代に共通したものかもしれません。でも拍を動かさないで 終始インテンポなのはアンセルメらしいとも言えます。数学者でもあったので正確な運びが特徴とされるからですが、まあそこまでこじつけることもないでしょう。同時に独特の繊細な色彩感も表現した人だけど、それに関しては録音が大変良いとは言えない状況なので残念ながら分かりやすくはないかもしれません。やや引っ込んでこもった音響で、残響は短めです。合唱はそうした音の問題を除けば、静かなところではそれほどがやがやとはしない一方、大きな音で多少濁るのは致し方ないところです。その意味では静かなパートと強いところとを分けているかのようにも聞こえます。無理のない、ベースがしっかりとした穏やかで品の良い演奏です。

 ピエ・イエズのソプラノはシュザンヌ・ダンコ。1911年ブリュッセル生まれのベルギー人で、2004年 に亡くなっています。プラハで学んでイタリアで活躍したオペラを得意とする人なのでオペラティックではあり、全面ビブラートです。高い声は出る一方で、低い音程での含み声がややメゾ・ソプラノっぽいかもしれません。  

 バリトンは フランスの名バリトンであるジェラール・スゼーで、この盤の聞きどころかもしれません。 1918年生まれで2004年に亡くなっていま す。フォーレのレクイエムはデビューの頃のレパートリーでした。オペラも歌わないことはな かったけど、60年代以降の二十年は歌わず、歌曲ものでの解釈の良さに定評がありました。マルチリンガルゆえにドイツ・リートも歌えるバリトンです。その声はベルベット・ボイスと評され、ここでも滑らかに撫でるように歌っています。曲に相応しいと思います。元々テノールから転向した人なので繊細さを感じさせる重くない声質であり、やさしさがあって良いです。

 1955年 のデッカの録音ながら、ステレオです。コンディションは上記の通りです。



   boulangerfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Nadia Boulanger   The Choral Art Society   New York Philharmonic
      Reri Grist (s)   Donald Gramm (br)   Vernon del Tar (org)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
ナディア・ブーランジェ / コーラル・アート・ソサエティ / ニューヨーク・フィルハーモニック
レリ・グリスト(ソプラノ)/ ドナルド・グラム(バリトン)/ ヴァーノン・デ・タール(オルガン)
 歴史的録音、というよりも、歴史的に重要な人による晩年の録音です。ここでタクトを取っているナディア・ブーランジェと言えば、あのガーシュウィンがラヴェルに作曲技法の教えを請うた際、「二流のラヴェルになることはないと思うよ」と断った上でラヴェルが紹介状を書いた相手です。意地悪をしたわけではなく、当時一流の教師としてブーランジェは有名な人だったのです。1887年生まれで九十二歳まで生きた音楽学者にして作曲家、女流の指揮者かつピアニストであり大学の教育者という偉大な人です。アメリカにいたこともあり、バーンスタイ ンもバレンボイムも、ジャズのキース・ジャレットも教えを受けました。その功績は高く評価されており、このフォーレもフランスの有名音楽雑誌ディアパゾンが名録音として選出したものです。七十五歳頃の録音です。

 歴史的名演ということで、一挙手一投足、細かに論評するのも恐れ多い気がします。一つ言えることは、作曲者自身に作曲法を習ったということで、演奏についてもその意を汲んでいると思われるし、少なくとも同時代の空気を感じさせてくれるマナーだということでしょう。聞いた印象では大変ゆったりとした厳かな雰囲気を漂わせてお り、粘る節回しと独特の重さが感じられます。その他の点では同じ頃の他の有名指揮者による録音と共通したところがあるとも言えるでしょうが、どの楽章も遅いテンポ設定と丁寧なフレーズ運びであるのは特徴的な気もします。合唱はこの頃のスタンダードだと思うけれども、全員でめいめいにビブラートを施し、伝統的な大人数の混声合唱団特有の厚く重なる音響です。がやがやすると言うと否定的評価になるなら、透明さよりは荒削りな力強さがあり、その重厚さに圧倒されます。ソロは比較的高くて清楚な声のソプラノも、低いバリトンもともに、全面にビブラートを施してポルタメントをかけた歌い方で、これも当時のスタンダードだと思います。ソプラノのレリ・グリストは1932年ニューヨーク生まれのアメリカの歌手で、ミュージカルからオペラに入った人です。バリトン のドナルド・グラムは1927年生まれのアメリカのバス・バリトンで、オペラとコンサートの分野で専らアメリカで活躍しました。

 レーベルはディアパゾンで、1962年のライヴ録音です。ライヴということもあってコンディションは決して良いとは言えないけど、音響的にはこの当時の合唱としてほぼ標準的なものでしょう。カップリング曲としては、クリュイタンスの指揮でモーリス・デュリュフレがオルガンを弾くピエ・イエズ(本編とは別/ソプラノはマルタ・アンジェリンで管弦楽はサン・トゥスタッシュ管弦楽団)、クレットリ四重奏団による弦楽四重奏(1928)、録音コンディションの良いジャン=ミシェル・ダマーズのピアノによる夜想曲第6番(1962)となっています。



   cluytensfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Andre Cluytens   Choeurs Elisabeth Brasseur
      Orchestre de la societe des concerts du conservatoire
      Victoria De Los Angeles (s)   Dietrich Fischer Dieskau (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
アンドレ・ク リュイタンス / エリザベート・ブラッスール合唱団 / パリ音学院管弦楽団
ビクトリア・デ・ロスアンヘレス(ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
 LP 時代にはアンセルメやブーランジェよりこちらの方がこの曲の定番扱いされていたように思います。クリュイタンス盤です。ベルギー出身のフランスの指揮者で1905年生まれ。67年に亡くなっています。フランスものを得意としていましたが、ベルリン・フィルで初のベートーヴェンの交響曲全集を出すなど、ドイツ音楽においても定評がありました。しっかりと構築された音楽で、形は崩さないながら滑らかにゆったりと歌うところが特徴だと言えるでしょう。ここでも全編ゆったりとしたインテンポで大きく波打つようにうねる抑揚をつけ、恣意的 な表現(テンポ変動など)を排して進めて行きます。案外ダイナミックな一面も覗かせます。安心して聞ける一枚です。ただし最近の演奏の傾向とは違い、上述アンセルメやブーランジェなどとも共通する伝統的な文法であるとは言えるでしょう。そうした範疇の中では録音も良いです。多少粘りがあるので重い感じを受ける人もいるかもしれません。

 エリザベート・ブラッスール合唱団は創立者の名前をとって1920年に女性合唱から始まったフランスの混声合唱団です。この時代の多人数の団体では時折がやがやとした濁りを感じる場合もありますが、この録音は現代の少人数の古楽の歌い方とはもちろん違うものの、ビブラートは使いならもそうした賑やかさがあまり感じれず、大 変聞きやすいです。オーケストラはパリ管の前身です。

 ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスは1923 年生まれで2005年に亡くなったバルセロナ生まれのスペインの名ソプラノです。オペラでキャリアをスタートさせ、歌曲のリサイタルもこなすようになって行きました。少し含むような滑らかな声で、ボーイ・ソプラノや少女的な声質ではありません。撫でるような音の移動がいくらかあります。わずかに低いような音程感も感じますが、気のせいでしょうか。そうした特徴から基本がオペラの人だったことは分かるものの、派手なビブラートは施さず、きれいに歌って行きます。

 バリトンのフィッシャー=ディースカウは言わずと知れたこの分野のキングなので、説明も必要ないことでしょう。名のある彼を起用したことはこのクリュイタンス盤のレクイエムが長らく決定盤のように言われて来た理由の一つではないかと思います。1925年生まれで2012年没のドイツのリリック・バリトンです。膨大な録音と博識でも知られています。ここでは「冬の旅」のようなドイツものをやるときよりも穏やかで丁寧な感じがしますが、余分なことは言わない方がいいかもしれません。大変表情豊かです。

 1962年録音の EMI です。コンディションはこのステレオ初期としては良いです。ピリオド奏法、古楽唱法などが流行る前の伝統的な形のもので選ぶとするなら、やはりこのクリュイタンス盤ではないかと思います。



   martinfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Reverend Père Martin de l’Oratoire
      Les chanteurs et l’Orchesre de Saint-Eustache
      Anne-Marie Blanzat (s)   Pierre Mollet (br)   Jean Guillow (org)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
エミール・マルタン神父 / サントゥスタシュ教会聖歌隊&管弦楽団
アン・マリー・ブランザ(ソプラノ)/ ピエール・モレ(バリトン)
ジャン・ギユー(オルガン)
 LP 時代からの復刻です。当時からのファンがいて名録音とされるもので、エンジニアのアンドレ・シャルランがワン・ポイント録音をしたという点が販売元からの売りになっているようです。演奏者はフランスで教会の合唱などを指導して来た1914年生 まれのエミール・マルタン神父と、彼が1944年にパリで設立したサントゥスタシュ教会聖歌隊です。聖歌隊とはいっても混声です。伴奏のオーケストラはラムルー管のメンバーでしょうか。

 終始ゆったりの伝統的な歌い方、運び方はこの時代の他の録音にも共通しています。アンセルメやクリュイタンスなどと比べてみてほしいと思います。今聞けば素朴でじっくりと歌い上げるものということになるでしょう か。合唱は人数が多く感じられ、結構分厚い響きで重さがあります。強いパートでは反動で張り上げるような一種の野趣も感じられ、どこまでも揃った透明な音を目指す技術集団という感じではありません。そこがまた素朴で良いところでもあるでしょう。音の重なる部分は力強く、この時代の混声らしく多少がやがやと聞こえる面もありま す。安心感があります。他にない情緒に満ちていて感動すると言う人もいるようです。

 アン・マリー・ブランザは1944年生まれのフランスのソプラノで、そうなるとこの録音は二十一歳頃という若さになります。低くはないけれどもたっぷりとしてよく伸びる透明な声質で、清潔感があります。ボーイ・ソプラノのように軽いのではなく、厚みも感じられてクリーミーというか、きれいです。歌い方としてはフレーズで切る独特の唱法も聞かれます。そして選択的に軽くビブラートをかけているけれどもオペラ的ではありません。一方でバリトンのピエール・モレは1920年生まれで2007年に亡くなったスイス系カナダ人のオペラ・バリトン です。でもここではオペラティックという感じはせず、余裕があってやわらかい歌唱です。   

 1965年収録で、シャルラン・レーベルがオリジナルとなります。ワン・ポイントは自然で良いですが、難しいところもあるとは思います。評判の高い名エンジニアとのことながら、その収録方法、マイクの立て方は別として、音響的なコンディション自体は今聞けば案外当時の標準的なレベルとも言えるかもしれません。合唱団の性質もあるでしょうが、上述のように多少がやついていて、重なる音が重く感じられるところもあるという印象です。



   corbozfaure72
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Michel Corboz   Orchestre symphonique de Berne
      Maitrise saint-Pierre-aux-Liens de Bulle
      Alain Clement (s)   Philippe Huttenlocher (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ミシェル・コルボ / ベルン交響楽団 / 聖ピエール=オ=リアン・ド・ビュル聖歌隊
アラン・クレマン(ソプラノ)/ フィリップ・フッテンロッハー(バリトン)
フィリップ・コルボ(オルガン)
 クリュイタンス盤の後、時間軸に沿ってその後話題になったものはと言えば、72年のミシェル・コルボ盤でしょうか。個人的にもこればかり聞いた覚えがあります。そしてこの人はこのフォーレのレクイエムが得意なのか、その後も何枚も出しています。モーツァルトのレクイエムのところでも触れたけれど も、このスイスの指揮者 (1934-2021)はモンテヴェルディなどの宗教合唱曲を得意としており、激しいところ、走るところのない独特の演奏をします。静寂に満ちた息の長いフレーズが特徴であり、確かにこの曲は彼の表現にもってこいです。厳密な意味での古楽の演奏とは違いますが、どことなくそういう雰囲気が感じられた最初のフォーレでもありまし た。肉感的なところがなく、清浄な印象です。

 ソプラノ・パートは当時としては初めてのボーイ・ソプラノであったアラン・クレマンが担当しており、不安定なところはあっても独特の響きを聞かせていました。逆に今となってはこのぐらいの方が少年っぽくて良いと感じる方もおられるかもしれません。また、この頃にコルボが少年時代から敬愛していた彼の叔父が亡くなり、その指導していた聖歌隊を率いて叔父の念願だったフォーレのレクイエムを録音することになったというのがこのときの経緯であり、本人の思い入れが大きいところもこの演奏が特別な波長を放ち、愛される理由かもしれません。したがってこの合唱団はローカルの、普段コンサート活動をするようなことのない小さな聖歌隊です。反対に楽譜の 方は編成の大きい通常の1900年版を使っています。

 バリトンのフィリップ・フッテンロッハーは1942年生まれのスイスの人で、バッハやシャルパンティエなど、古楽を得意としており、コルボとはローザンヌで長く一緒に活動して来ました。輪郭と深みのあるよく通る声でうねりのある抑揚をつけ、ゆったりと歌って行きます。

 1972年の録音で、レーベルはエラート。当時の名プロデューサーだったミシェル・ガルサンが担当しています。今聞いても良い音です。そして現在でも名盤とされています。



   corboz92
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Michel Corboz   Ensembre Vocal et Instrumental de Lausanne ♥♥
      Magali Dami (s)   Peter Harvey (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ミシェル・コルボ / ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル ♥♥
マガリ・ダミ(ソプラノ)/ ピーター・ハーヴェイ(バリトン)
 コルボの続きです。時代はぐっと下りますが、92年には再録音が行われました。全部で4回録音されたフォーレのレクイエムの中の第2回目です。こちらもゆったりと静かに歌わせる美しさに変わりはありませんが、ソプラノが女性になっています。ピエ・イエズでソロをとっているそのマガリ・ダミというソプラノ、声の美しさと素直な歌い方に魅了されます。他では名前を聞かない人ながらノン・ビブラートで歌うカークビーやジュディス・ネルソンなどと比べたくなります。その二人が古楽の枠から出ずにフォーレを録音してくれなかった中、これは貴重な一枚となりました。ジュネーブ生まれで最初リコーダーを習い、同地の音学院にて合唱に加わったそうで、古楽センターでコルボに指揮法を 学んで学位をとり、82年以降 は彼の指揮の下でローザンヌ声 楽アンサンブルに加わり、合唱 とともにソロも勤めるようになったと紹介されています (2001年以降は教育活動に専念しているようです)。この曲のソプラノとしてはジョン・ラターの盤と並んで大変美しいです。ピエ・イエズはシンメトリックに構成された全曲の中心であり、この歌は大切です。ラター盤のソプラノも完璧な歌唱というわけではないので甲乙つけ難いけれども、マガリ・ダミはやわらかく漂うような高音が大変魅力的です。スコアに関しては、演奏がローザンヌ器楽アンサンブルとはなってますが、前回と同じで通常の1900年(オーケストラ)版です。

 合唱団は1961年にコルボによってローザンヌで結成された団体です。器楽のメンバーもその後加わりました。透明感があって魅力的なパフォーマンスです。再録音でより洗練された合唱となっており、コルボの目指す純化された音の世界が展開されます。

 ピーター・ハーヴェイは1958年生まれの古楽を得意とするイギリスのバリトンで、やわらかく静かに、流れるように歌っており、曲に非常によく合っています。

 レーベルは本やCDも扱う総合家電チェーンの Fnac となっています。1992年の録音は優秀です。やわらかく奥行きがあって気持ち良く響きます。ラシーヌの雅歌 op.11という、フォーレの 作品の中でもレクイエムと並んで美しい合唱曲も収録されています。



   corboztokyo
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Michel Corboz   Ensembre Vocal et Instrumental de Lausanne
      Sylvie Wermeille (s)   Marcos Fink (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ミシェル・コルボ / ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
シルヴィー・ヴェルメイユ(ソプラノ)/ マルコス・フィンク(バリトン)
 来日したときの東京公演でのライブ録音です。コルボの七十一歳の誕生日だったそうで、癌手術からの復帰後ということもあり、この日の演奏は熱く語り継がれているようです。合唱と 器楽は以前と同じメンバーです。終始ゆったりとしたリズムで進められており、どこにも力みが感じられないところが却って個性的だと言える演奏です。何かを見せてやろうとする意図がなく、独唱のソプラノも同じ方向で一致しているように感じます。シルヴィー・ヴェルメイユという人はこの声楽アンサンブルの中の歌い手のようで、声量は大きくないながらはったり のない落ちついた声で好感が持てます。オペラ的なところは微塵もなく、ビブラートもかけません。語尾が伸び切らない部分もありますが、ボーイソプラノのように不安定ではなく、色っ ぽく絡んでも来ません。技術と抑揚においてプロ的な表現でないその真っすぐさが長所でしょうか。スコアは室内楽編成のネクトゥー/ドラージュ1893年版を使っています。リベラ・メの後半で金管が均等なスタッカートを聞かせます。

 マルコス・フィンクは1950年アルゼンチンのブエノス・アイレス生まれでスロヴェニアのバリトンです。

 2005年の録音です。レーベルは Avex Classics となっています。会場は日本のホールということもあり、残響がほとんどありません。したがってこのゆっくりのテンポでは最後の音を延ばすことで滑らかさが表現されますが、合唱はともかく、ソロにとっては息継ぎで苦しいところはあるでしょう。ソフトウェアでわずかにリバーブをかけたい誘惑に駆られます。バランス的にも完璧ではないかもしれませんが、日本でのライブ記録なので上手にとれていると言えると思います。



   corbozfaure06
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Michel Corboz   Ensembre Vocal de Lausanne Sinfonia Varsovia
      Ana Quintans (s)   Peter Harvey (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ミシェル・コルボ / シンフォニア・ヴァルソヴィア / ローザンヌ声楽アンサンブル
アナ・クインタンス(ソプラノ)/ ピーター・ハーヴェイ(バリトン)
 上記日本盤の直後でコルボ4度目の録音です。スコアは前回に引き続き編成の小さいネクトゥー/ドラージュ1893年版です。しかし演奏の方は前回とはちょっと趣の異なるところもあります。全体が遅いテンポだというのは同じですが、終始一貫して力みの抜けた演奏だった 前回に対して、こちらはリベラ・メの出だしと締め括りを異様に遅くして、中間部のフォルテを速めて鮮烈にコントラストを付けるなど、意欲的なところを見せています。こういうメリハリのある表現はコルボにはめずらしいのではないでしょうか。

 ピエ・イエズのソプラノはアナ・クインタンスという1975年リスボン生まれのポルトガルの人です。素晴らしい歌唱です。分類し難いのですが、オペラ的ではありません。清潔な歌い回しで、声も高音と子音が澄み切っていて美しく、若々しさと透明感があります。でもボーイ・ソプラノや少女のようなたどたどしいものでは全くなく、大人の歌唱力を持っています。そういう意味ではヘレヴェッヘ旧盤のアニェス・メロンにも似ているとも言え、聖歌隊で歌っている感覚の前回のシルヴィー・ヴェルメイユより明らかにフリーランスとしての技巧と自信に満ちている感じです。ただ、メロンもそうですが、ビブラートを全くかけないという歌い方ではありません。何気なく聞くとノン・ビブラートの古楽の歌い方とベルカントの中間のように聞こえます。ヴァイオリンでも歌でも、本来はビブラートは選択的に効果を狙ってかけるものなので当たり前ではあるけれども、レパートリーとしてバロック期のオペラを得意とする人というのも頷けます。 真っ直ぐ歌うところはやわらかく真っ直ぐに歌い、感情を込めるところでは硬く透き通る音に変えて力強く強調しつつ、終えるときに効果的にビブラートをかけます。アニェス・メロンと違うのはその強く硬い音での強調の仕方でしょうか。それは宙 に漂うような歌い方をしていた 2回目のマガリ・ダミにもなかった表現で、近代的です。また、ラテン系らしいというか、可愛らしくも機知と色気を感じさせるので気持ちを振り回されるかもしれません。フォーレのレクイエムに合うかどうかは聞き手の感じ方次第でしょう。個人的には良いと思います。

 バリトンは2回目と同じくピーター・ハーヴェイです。やはりこの人が良かったのだと思います。

 2006年の録音は前回のライブと比べると CD として初めから企画されただけあってバランスの良い響きです。レーベルはミラーレです。教会での収録ということですが、そのわりには残響が長くありません。直接音がくっきりと捉えられていてむしろコンサートホー ルでの収録かと思うほどです。このデッドさは編成が小さいと いうことも影響しているかもしれません。本当に少人数の室内楽のように聞こえます。そして楽器の音自体は大変やわらかくとられています。



   fournetfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Jean Fournet   Rotterdam Philharmonic Orchestra
      Netherlands Radio Chorus
      Elly Ameling (s)   Bernard Kruysen (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ジャン・フルネ / ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団 / オランダ放送合唱団
エリー・アメリンク(ソプラノ)/ ベルナルト・クリュイセン(バリトン)
ダニエル・コルゼンパ(オルガン)
 コルボの演奏とは趣を異にしていますが、クリュイタンス盤と並んで独唱陣の豪華さという点ではフルネ盤があります。エリー・アメリンクがソプラノ、ベルナルト・クリュイセンがバリトンを歌っています。フルネの指揮は端正で適度に切れがあり、多くの演奏者が陥りがちな情緒たっぷりを避けてか、テン ポもさらっとしています。といっても抑揚はうねるようで流麗だと言った方がいいのかもしれません。オーケストラは弦が美しくて厚みがあり、合唱は人数は多そうながら澄んでいます。

 ピエ・イエズを歌うエリー・アメリンクは1933年ロッテルダム生まれで96年に引退したオランダのソプラノで、宗教曲と歌曲を得意とした人です。オランダ人ということもあるのかどうか言語には強く、フランスものの表現も完璧と言われます。ただ、宗教曲向きとは言っても今で言う古楽唱法の人ではありません。飾りのない深い抑揚で素晴らしいですが、案外ビブラートも大きく、ここではたっぷりと歌っている印象です。でも当時はこういう歌い方が普通でした。年齢も歌手として良いときで、声に張りがあります。

 バリトンのベルナルト/ベルナール・クリュイセンも古くからのファンには馴染みのある名前でしょう。でも今調べてみると英語版のウェブ辞典のページすらないようです。それともフランス歌曲好きの間でだけ人気があったのでしょうか。彼のフランスものは定評がありました。アメリンクと同じ1933年にスイスのモントルーで生まれ、2000年にオランダで亡くなりました。したがってオランダ人歌手ということになります。ゆったりとして 艶のある声と評されており、ここでも深みあがって艶やかです。案外力強さもあってしっかりとした表現です。

 ダニエル・コルゼンパのオルガンは重低音の響く大変ダイナミックなもので、リベラ・メの中間部などで迫力があります。

 1975年の収録です。フィリップスのアナログ録音はこの頃から大変優秀でしたが、この盤も潤いがあって素晴らしいものです。カップリングで「パヴァーヌ」op.50が入っていますが、フォーレの有名なメロディーであるこの曲は器楽のみの演奏で収録されており、歌のあるものよりも美しいと思います。こちらも大抵の演奏が大 きな表情をつけてゆっくりとやるところを程よく速めのテンポで歌い、それが却って曲の魅力を引き出していて、この曲のベストではと思わせる出来です。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      John Rutter   The Cambridge Singers ♥♥
      Members of the City of London Sinfonia
      Caroline Ashton (s)   Stephan Varcoe (br)
      Simon Standage (vn)   John Scott (org)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ジョン・ラター / ケンブリッジ・シンガーズ ♥♥
シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア
キャロライン・アシュトン(ソプラノ)/ スティーヴン・ヴァーコー(バリトン)
サイモン・スタンデイジ(ヴァイオリン)/ ジョン・スコット(オルガン)
 指揮者のジョン・ラターは古楽の演奏で日本でも知られているイギリスの合唱団、ケンブリッッジ・シンガーズを育てた人で、このフォーレのレクイエムの埋もれていた室内オーケストラ版オリジナル楽譜の再発見者でもあります。ここでは1984年に彼が編纂したその1893年版のスコアが使われています。つまり最近人気のある1893年版の本家本元のパフォーマンスということになります。

 テンポこそ中庸やや速めのところもあり、さらっとしていますが、統一されたアンサンブルと歌わせ方が実に見事です。フレーズの中ほどから盛り上がるように大きくクレッシェンドをかける扱い、弱音での揃った透明感、それらがぴたりと合っているところはよほど表現を練っ た上、練習を積んだのでしょう。文句の付けようがないもので、この盤にしかない魅力に満ちています。

 ピリオド楽器を使っているように聞こえるのは、この1893年版のヴァイオリン・パートがソロになっているからでしょうか。バロック・ヴァイオリンの名手スタンデイジが奏でる独特の細い艶のある音が心地良く響きます。そして編成も小さいため、誰の演奏よりも透明感があります。合唱のケンブリッジ・シンガーズは完璧です。最後のイン・パラディスムの浮遊感はたまりません。

 ピエ・イエズのソプラノ・ソロはキャロライン・アシュトンというイギリス人です。このケンブリッジ・シンガーズをはじめ英国の古楽系合唱団とともに活動しているということしか分かりません。どの音も作為のある強弱をつけず、流れの穏やかな清流のようです。名前と写真からしてもちろん女性ながら、息継ぎをして次に入る部分や強く延ばすときの音程がボーイソプラノのようで、何かの記事でこれをボーイソプラノだと断じている人もいました。意図してそう歌っているのでしょうか。 女性としては少女のようであり、中性的です。そしてコルボ旧盤のアラン・クレマン(最初のボーイ・ソプラノ)ほどではないけれども、その多少不安定なところが却って魅力的に聞こえるほど、ビブラートをかけない透明な声は美しく響きます。 聖歌隊のソロかルネサンス期のモテットでも聞いているような透き通った感覚がいいのです。コルボ盤のマガリ・ダミ、ヘレ ヴェッヘ旧盤のアニェス・メロ ンと並べても、最も魅力的なピエ・イエズではないでしょうか。

 バリトンもまた特筆に値します。スティーヴン・バーコーは1949年生まれのイギリス人で、バロックを得意としていてオペラと歌曲の両方がレパートリーであり、現代ものもこなす人です。深々とした声で力んだところがありません。

 レーベルはコレギウム・レコーズで1984年の収録ですが(ラターがこの版の楽譜を仕上げた直後ということになります)、録音も洗練されています。トータルでコルボ 92年盤とどちらをとるか悩むところながら、聞く回数はこちらの方が多くなって来ました。個人的にはこの曲のベストの一つです。カップリングで入っている曲がまたフォーレの名曲揃いです。レクイエムとは録音時期が異なり、テンポがかなり遅めではあるものの、選曲の良さから通しで聞くのに好都合です。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Carlo Maria Giulini   Philharmonia Orchestra & Chorus
      Kathleen Battle (s)   Andreas Schumidt (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
カルロ・マリア・ジュリーニ / フィルハーモニア合唱団&管弦楽団
キャスリーン・バトル(ソプラノ)/ アンドレアス・シュミット(バリトン)
 イタリアの名指揮者で、熱いファンの方が存在するジュリーニによる演奏です。そこまで意識の高くない者であっても、この人についてはイタリア人の歌というよりも、大変ゆっくりで細部まで磨かれた完璧な演奏に定評があったということを知っています。そしてここでもそうした評価が当てはまると思います。曲の構成がよく分かる丁寧な運びです。したがってこういう風に表現されてこそ作品の魅力が伝わると感じる方もおられるでしょう。重さがあり、落ち着いた深々とした響きに酔うことが出来ます。より詳しい方ならその正確さ、緻密さ、壮麗さなどについて的確に語るべき語彙を持っておられるかもしれません。

 ピエ・イエズのソプラノはオペラ界の女王、キャスリーン・バトルです。もはや説明無用かと思いますが、1948年生まれのアフリカ系の歌手で、声質はドラマティックな方ではなく、軽さがあって美しいリリコ・レッジェーロです。でも歌い方はオペラ系ではあるので、たっぷりとしたビブラートを全体にかけています。好きな方にはたまらないのではないでしょうか。撫でるような音程移動があって妖艶です。ゆったりと間をとって歌います。

 アンドレアス・シュミットはフィッシャー=ディースカウの後でドイツを代表する1960年生まれのバリトンです。音をつなげ、やはり豊かなビブラートで歌います。声は低くて深みがあります。リベラ・メはゆっ たりで劇的、大変力強いです。

 1986年のドイツ・グラモフォンのセッション録音です。コンディションは良好です。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Charles Dutoit   Choeur de l”Orchestre Symphonique de Montréal
      Orchestre Symphonique de Montréal
      Kiri Te Kanawa (s)   Sherrill Milnes (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
シャルル・デュトワ / モントリオール交響合唱団&交響楽団
キリ・テ・カナワ(ソプラノ)/ シェリル・ミルンズ(バリトン)
 フランスものを得意とし、独特の洗練された歌を聞かせるデュトワは元々こういう曲に向いている気がします。1936年スイスのフランス語圏ローザンヌの生まれでアンセルメに学びました。オーケストラは彼が1977年から2002年まで音楽監督だった、これもフランス語圏カナダのモントリオール交響楽団です。デュトワと言え ばこのモントリオール響でしょう。

 ゆったりとした丁寧な運びで、抑えた弱音と壮麗な盛り上がりの両方を聞かせます。入祭唱の終わりのロングトーンは長く尾を引かせ、その先のキリエからも特に速めることなくゆったりしたテンポをキープします。 物腰のやわらかい、この人たちらしい繊細な運びです。一曲目の後半でうねるように大きな波状の抑揚が付くところも特徴的です。二曲目のオッフェルトリウムも同じくゆったりと波打つような演奏で、全体にそのトーンは変わりません。サンクトゥスは少し速めます。

 ソプラノは有名なオペラ歌手、キリ・テ・カナワです。ポルタメントで撫で上げるような歌い方で、やはりフルにビブラートを活用していて妖艶です。1944年のニュージーランド生まれです。

 バリトンは1935年生まれのアメリカ人、シェリル・ミルンズ。イタリア・オペラが得意なメトロポリタンのスターです。ビブラートばかりが特に目立つというよりも、リラックスしたやわらかい低音で静かながら朗々と歌いつつ、盛り上げるところでは回すような抑揚を付け、明確な発音へと切り替えて劇的になるので、やはりオペラ の重要な場面を見ているような物語性が感じられます。

 1987年のデッカです。優秀録音です。カップリングは組曲「ペレアスとメリザンド」op.80と、パヴァーヌ op.50 となっています。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Philippe Herreweghe   Les Petits Chanteurs de St. Louis
      La Chapelle Royale Ensemble Musique Oblique
      Agnes Mellon (s)   Peter Kooy (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
フィリップ・ヘレヴェッヘ / サン=ルイ少年合唱団
アンサンブル・ミュジーク・オブリーク・ラ・シャペル・ロワイヤル
アニェス・メロン(ソプラノ)/ ペーター・コーイ(バリトン)
 古楽の分野で存在感を示しているヘレヴェッヘはフォーレのレクイエムを三度録音しています。ジュスマイヤー版のモーツァルトのレクイエムはピリオ ド奏法の癖もなく、ゆったりと真っ直ぐに歌わせた最高の演奏でした。 カンプラとジルのレクイエムも愛聴盤です。このフォーレも大変期待しました。88年の最初の録音はラターの編纂した1893年版の楽譜を使っており、編成も小さいところが良く、何よりも第一にソプラノが古楽のパイオニア、アニェス・メロンという、ノン・ビブラートで清らかな声を聞かせる1958年生まれのフランスの歌手です。カークビーやジュディス・ネルソン (すでに亡くなりました)が19世紀以降の作品はあまり歌わなかった中で、オペラの匂いのするベルカントではない歌い方を期待できるソプラノは多くありませんでした。

 ピエ・イエズでのアニェス・メロン、さすがに惚れぼれするような美しく透明な声です。わずかな揺らしはありますがほとんど真っ直ぐで清潔であり、しかも制御されたメッサ・ディ・ヴォーチェというか、所々フレーズを膨らませる強弱の表情には大人の表現力が加わります。コルボ最新盤のアナ・クインタンス同様、わずかにビブ ラートをかけるときも選択的に効果を狙っています。これはフォーレのレクイエムのベストでしょうか。

 ただ少しだけ残念なのは、どうも今回は歌の部分でちょっとテンポが遅く、伴奏が足を引っ張ってるように感じるところです。リズムが取り難いのではないでしょうか。音域的に苦しい低音側では特にそんな気がします。何度もリハーサルで合わせているのですから合意の上なわけですが、それともこのテンポの設定は指揮者側の意向ばかりでもないのでしょうか。アニェス・メロンとヘレヴェッヘは古楽の世界で昔から一緒に活動してきた仲だそうです。入祭唱と中間部を除くリベラ・メの両端部、そして最後のイン・パラディスムも遅いです。他の演奏でもゆっくりなのはあるながら、この演奏で特にその部分に意識が向くのは、途中からブレーキをかけるように遅くする 扱いによって遅くしようとする意図を感じるからかもしれません。それでも魅力に満ちた素晴らしいソプラノ歌唱であることには変わりがなく、他にここまでの演奏がなかったのも事実です。メロンは恐らく一番上手な歌手でしょう。

 ペーター・コーイはバッハの宗教曲などで大変活躍している1954年生まれのオランダのバス歌手です。バロックに特化しています。この曲にもうってつけで、リベラ・メでのテンポ 設定は少し速いものながら、深々と落ち着きのある声に魅了されます。

 1988年のハルモニア・ムンディの録音は透明感があって大変優れています。室内楽版ということもあり、サンクトゥスのヴァイオリン・ソロも浮き出るようにきれいです。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Philippe Herreweghe   Collegium Vocale
      La Chapelle Royale Orchestre des Champs Elysees
      Johannette Zomer (s)   Stephan Genz (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
フィリップ・ヘレヴェッヘ / コレギウム・ヴォカーレ
ラ・シャペル・ロワイヤル・シャンゼリゼ管弦楽団
ヨハネッテ・ゾマー(ソプラノ)/ シュテファン・ゲンツ(バリトン)
 二度目の録音の方は1901年版のスコアを用い、大きな編成でやり直しています。1901年版というのは、通常演奏される第3稿である1900年版を第2稿の校訂者であるジャン=ミシェル・ネクトゥーが1998年に手直ししたものです。色々出て来るものですが、新しい版での演奏というのは名誉なことでしょう。演奏は旧盤 よりもさらに磨きがかけられて滑らかな抑揚があり、遅いなが らも美しい演奏だと思います。

 ソプラノは旧盤のアニェス・メロンからヨハネッテ・ゾマーに変わっています。1964年生まれのオランダの歌手で、歌曲もオペラもこなすけれども古 楽の世界で有名な人で、バッハなどで清らかな歌い方を見せます。ただ、アニェス・メロンと比べると、ここでは振りがやや大きいような気がします。大変美しい声の持ち主であり、上手なので好みの問題でしょう。管弦楽が小編成の清らかな雰囲気という意味でも個人的には旧盤の方に目が行くけれども、編成が大きいわりに濁りはなく、こちらの方が良いと思う人も多いでしょう。現代の楽器とどう違うのかはよく分かりませんが、使用楽器はピリオド楽器だということです。

 シュテファン・ゲンツは1973年生まれのドイツのバリトンです。やわらかくつなげる抑揚で細かく震わせ、やさしく歌います。

 これもハルモニア・ムンディで、2001年の録音です。上述の通りオーケストラ版で人数も多いですが、透明度が保たれた優秀な録音です。



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       Fauré   Requiem in D minor op.48
       Philippe Herreweghe   Collegium Vocale Gent
       Orchestre des Champs-Elysées
       Dorothee Mields (s)   KreŠimir StraŽanac (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
フィリップ・ヘレヴェッヘ / コレギウム・ヴォカーレ・ゲント
シャンゼリゼ管弦楽団
ドロテー・ミールズ(ソプラノ)/ クレシミール・ストラジャナツ(バリトン)
 二十年ぶりの新録音です。表現はどう変わったでしょうか。滑らかな歌わせ方は同じでありながら、前二つの録音よりも明らかにテンポが速めとなっています。かといって元々がゆった りな人なので他の演奏者と比べてすごく速いというわけでもないけれども、かなりさらっとした方かと思います。青年期の憂いの霧が晴れ切ったと言うのもどうかと思いますが、これは時間を経て自信がついたと言える現象でしょうか。ヘレヴェッヘも七十四歳。ロマンティックな影はありません。前よりも静けさは減って力が感じられ、しっかりとしたクレッシェンドで盛り上がります。形の上では古楽ブーム前のスタンダードな演奏マナーに近寄ったとも言えるかもしれません。スコアは 1893年版です。

 ソプラノはドイツの歌手、ドロテー・ミールズ。1971年生まれでバロックと現代ものを得意とする人で、ヘレヴェッヘとはよく一緒に活動して来ました。少しこもったように抑えた声で静かに歌います。声質としてはボーイ・ソプラノに寄ったり少女的だったりはせず、中音の張った音色で輪郭はしっかりしています。歌い方はやわらかく撫でる部分がありつつ、ビブラートは語尾以外にも基本的にかけますが、古楽を得意とするだけあってオペラ的な印象はありません。

 クレシミール・ストラジャナツは1983年生まれのクロアチアのバス・バリトンです。古楽とは限らないながらバッハなどを得意としているようです。しっかりとした固めの倍音があり、深みのある声で力まず、さらっと歌います。リベラ・メの盛り上がりもゆったりながらしっかりと力がこもります。

 レーベルですが、自前のフィーではなく、今回はポーランドの NIFC からです。ショパン・コンクールの実況録音盤などでご存知かもしれません。2021年のポーランドでのライヴ録音です。静かな拍手が入ります。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Emmanuel Krivine   Choeurs & Orcheste National de Lyon
      Gaele Le Roi (S)   Rrancois Le Roux (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
エマニュエル・クリヴィヌ / 国立リヨン合唱団&管弦楽団
ガエル・ル・ロワ(ソプラノ)/ フランソワ・ル・ルー(バリトン)
 日本の企画で録音されたものです。国内での賞にとどまらず、非常に高く評価する声があります。エマニュエル・クリヴィヌは1947年生まれのユダヤ系フランス人指揮者で、1987年にこの国立リヨン管弦楽団の音楽監督に就任しました。この録音はその直後のものです。大変オーソドックスな演奏だと思います。使っている楽 譜は一般的な1900年版です。古楽器の楽団ではありません。テンポは全体にゆっくりで、歌わせ方はやや抑え気味で恣意的な表現を避け、起伏をあまりつけない運びです。

 ソプラノのガエル・ル・ロワはリヨン・オペラ座でデビューした人で、全体にビブラートをかけます。離れた二音の間で飛び移るときに音程をずらしながらつなげ気味にし、ポルタメントに近い動きを見せます。フランソワ・ル・ルーの方も1955年生まれのフランスの バリトンで、80年代になってからはリヨン・オペラ座と深い 関係にありました。

 1988年の録音は教会収録とありますが、残響の入らないセッティングです。演奏も含めて、曲の構造を明確に見せることを狙ったような効果が出せていると思います。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Matthew Best   Corydon Singers   English Chamber Orchestra
      Mary Seers (s)   Michael George (b)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
マシュー・ベスト / コリドン・シンガーズ / イギリス室内管弦楽団
メアリー・シーアス(ソプラノ)/ マイケル・ジョージ(バス)
 マシュー・ベストとコリドン・シンガーズによる演奏です。マシュー・ベストは1957年生まれのイギリスのバス歌手で、指揮者。73年にコリドン・シンガーズという合唱団を結成しました。イギリスでは有名な男声合唱団です。

 1893年版(第2稿)です。静かで少し重く、荘重な演奏です。全体にゆったりとしており、間もしっかりとっています。やや暗めの響きながら息苦しくはなく、透明な美しさが独特の魅力を醸します。フレーズの歌い回しには粘性があり、そのまま大きく粘ってのクレッ シェンドなどが聞かれます。ティンパニも要所でどんと決め ます。イギリスらしさというべきか、あるいはゴシック調とでも言うか、この雰囲気が好きな方には他では得られない良さがあると思います。

 ピエ・イエズのソプラノ、メアリー・シーアスはイギリス人で、バロックを得意としてルネサンスから現代ものまでをこなします。ザ・シックスティーンやタリス・スコラーズ、ヒリアード・アンサンブル、モンテヴェルディ合唱団などと共演して来たようです。やや少年のような声で、歌い方も多少たどたどしいような雰囲気を出してい ます。音のつなぎで回しをつけるというか、ポルタメント気味の音程移動が聞かれますが、声自体は真っ直ぐでほぼビブラートをかけないところもボーイ・ ソプラノのようであり、合唱のあり方とマッチしています。

 怒りの日の部分を中間に含むリベラ・メでは、ブラスは歯切れて聞こえるけれども荒くはなりません。バスの声はやはり粘るところが感じられ、多少含み声でやわらかく回します。マイケル・ジョージは情報が多くないけれどもイギリスのバス/バス・バリトンです。元々はケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団で歌っていたようです。録音はかなりあります。

 ハイペリオンの1989年の録音は良く、暗青色の荘厳な印象の演奏をよく表現しています。フォーレと並んで美しいレクイエムと言われることもあるデュリュフレのレクイエムとカップリングになった盤もあります(写真右)。



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      Fauré   Requiem in D minor op.48
      John Eliot Gardiner   Orchestre Revolutionnaire et Romantique
      Mondteverdi Choir   Salisbury Cathedral Boy Choristers
      Catherine Bott (s)   Gilles Cachemaille (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク
モンテヴェルディ合唱団 / キャサリン・ボット(ソプラノ)/ ジル・カシュマイユ(バリトン)
 古楽の名手、ガーディナーもフォーレのレクエムを出しています。スコアは1988年に編纂されたネクトゥー/ドラージュ版(1893年新版)によるものです。フォーレのように新しい時代の人にピリオド奏法も何もないような気がしますが、この指揮者は古い時代の作曲家も含めて常に、ピリオド奏法としての癖をあまり出さない 真っ直ぐな演奏です。ニュートラルで強い個性を感じないかもしれないけど、ここでもその安定した抑揚は安心して聞いていられます。

 この盤は1992年のフィリップスの録音で出来が良く、何度も音を聞きたくなるものです。演奏には直接関係のないことだけど、冒頭からオルガンの3、40Hzぐらいの低音が包み込むように鳴ってくれることもあります。表現そのものは、比較的あっさりとした速めのテンポをとっていて適度に流れるような歌があります。方法論は違うとしてもフルネのアナログ時代の録音とちょっとかぶる印象もあり、同じようにフォルテの激しい部分での切れの良さも見られます。その際、前述のオルガンの重低音が他の盤にないほど地を揺るがします。大きなスピーカーで聞くと良いでしょ う。弦楽器や合唱の音も見事で、そういう感覚的な満足がこの盤の魅力です。切れの良さと言えば、このネクトゥー/ドラージュ版はリベラ・メの部分で金管のリズムが他の版と違っています。それは中間部に現れるフォルテの部分であり、短く均等に区切られたスタッカートでパッ、パッ、 パッ、パッ、と続けられるので激しく感情を揺さぶられます。

 ソプラノのキャサリン・ボットは1952年生まれのイギリス人で、古楽を得意とし、ガーディナーとはよく一緒にやっています。初めからビブラートがかかっていて大きめの抑揚があり、いわゆる古楽系という感じ には聞こえません。でもフルネ盤のアメリンクと比較して派手ということはありません。

 バリトンのジル・カシュマイユは1951年生まれのスイス人です。ガーディナーのオーディションを受けたことがあります。落ち着いており、要所で強さがあります。

 この CD、他にも色々な曲が入っており、中には中学校合唱部課題曲のような印象のものもあって洗練されているとは思えないところもあるし、ドビュッシーやラヴェル(三つのシャンソンはありがたいです)も取り上げてい て統一感はないけれども、マドリガルは美しいと思います。これまでのところソプラノのきれいさでコルボ92年盤と2006年盤、個人的に満点ではないけどヘレヴェッヘの旧盤(ア ニェス・メロンのソプラノ)、トータルの美しさでラター盤、そして録音の見事さでこのガー ディナー盤という感じです。


   marrinerfaure   marriner2faure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Neville Marriner   Academy of St. Martin in the Fields
      Sylvia McNair (s)   Thomas Allen (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内合唱団&管弦楽団
シルヴィア・マクネアー(ソプラノ)/ トーマス・アレン(バリトン)
 マリナーも2016年には亡くなってしまいました。1924年生まれのイギリスの指揮者なわけですが、アカデミー室内管はモダン楽器の小編成で、彼とたくさんの洗練された演奏の録音を残しました。少し軽快なテンポ設定の曲が多かった印象だけど、このフォーレでは出だしの入祭唱部分はゆったりで、フレーズの終わりを静かに延ばす美しい処理が聞かれます。キリエからはテンポが速くなり、全体には中庸と言える一方、所々で適度に緩める柔軟性も聞かれます。モダン楽器の伝統的な演奏の中では大変まとまりが良く、バランスが取れていると思います。響きにやわらかさがあり、しっとりとした落ち着きがあっても重くはならず、力もこもり過ぎません。端正とも言えるでしょう。水準が高い印象です。合唱は輝き過ぎずダイナミック過ぎずで、静かでホサナの盛り上げにも節度があります。

 ソプラノはシルヴィア・マクネアーです。1956年のアメリカ人でオペラが得意だけど、これが大変上品です。同じくマリナー盤でのモーツァルトのレクエイムも、ガーディナーの下での大ミサ曲も素晴らしい歌唱でした。ここでは古楽系とは違うにせよ、少しそれを思わせるようにビブラートを控えめにして語尾にかけるだけにし、若々しい声でやわらかく歌って行きます。ポルタメント気味にして艶っぽさを出すのはやはりオペラを歌う人の表現かもしれないけど、十分に清らかです。

 バリトンのトーマス・アレンは1944年生まれのイギリスのオペラティック・バリトンです。少しこもらせる含み声を使ってドラマティックなところもあるけど、やわらかさは保って歌っています。リベラ・メで は盛り上がるところで管弦楽も速まってダイナミックになります。

 1993年のフィリップスのセッション録音です。このレーベルらしく生っぽいやわらかさも感じられる好録音です。



   walkerfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Antony Walker   Cantillation ♥♥
      Sinfonia Australis
      Sara Macliver (s)   Teddy Hahu Rhodes (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
アントニー・ウォーカー / カンティレイション(合唱)♥♥
シンフォニア・オーストラリス
サラ・マクリヴァー(ソプラノ)/ テディ・タフ・ローズ(バリトン)
 オーストラリアの指揮者アントニー・ウォーカーが2001年に設立した室内オーケストラと合唱団による演 奏です。この人は現在はワシントン D.C. 在住でオペラ方面で活躍しているようですが、大変素晴らしいです。静かでゆったりめのテンポ設定で、力を込めるところでは迫力があり、クレッシェンドも鮮やかでコントラストがあります。波打つような抑揚があり、呼吸の感じられる振幅の大きな演奏です。合唱も管弦楽もアンサンブルが揃っており、非の打ち所がありません。

 バロックものを得意とするオーストラリアのソプラノ、サラ・マクリヴァーも魅力的です。わずかにビブラートをかけ、長く延ばしてゆったりと歌います。個人的な好みとしてはもう少し震わせ方が少なくてもいいけれども、ここまでのびのびしていてコントロールが効いているなら言うことはありません。声もやわらかくて美しいです。 低い方でボリュームがあってやや太く感じるかと思えば、高い方では透明にすっと伸び、音色が変化します。能力の高さを感じさせ、オペラ的でも少女的でもありません。

 バリトンのテディ・タフ・ローズは1966年生まれのニュージーランドの人で、合唱団出身です。力と伸びのある声で、オルガンの音もときに倍音が華やかで美しく、要所で力強く締めてくれます。参加者全員が力量、トーンともに揃っており、これほど実力の高さを感じさせる演奏はそうそうない感じがします。

 スコアはネクトゥー/ドラージュ版で、レーベルは ABC クラシックス、2000年の録音です。音がまた大変 いいです。コルボの92年盤同様、美しいラシーヌの雅歌 op.11がカップリングされています。



   christophersfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Harry Christophers   The Sixteen Academy of St. Martin in the Fields
      Elin Manahan Thomas (S)   Roderick Williams (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
ハリー・クリストファーズ / ザ・シックスティーン / アカデミー室内管弦楽団
エリン・マナハン・トーマス(ソプラノ)/ロデリック・ウィリアムズ(バリトン)
 指揮者のハリー・クリストファーによって1977年に設立されたイギリスの古楽の合唱団、ザ・シックスティーンの演奏です。スコアは1900年版です。透明な声がよく響く音響(残響過多ではありません)で、クリアで統制のとれた合唱が魅力的です。ここはイギリスでも男声合唱ではなく、女性パートの声が美しいです。決し て速くない中庸のテンポで序奏は始まりますが、途中から速くなり、全体には少し軽快なテンポで歌って行きます。ザ・シックスティーンには古楽オーケストラもついていると思うのですが、ここでの管弦楽はアカデミー室内管ということです。モ ダン楽器の楽団ながら、切れも良いです。

 ソプラノは1977年生まれでこのザ・シックスティーンとモンテヴェルディ合唱団からソロに転じたウェールズ出身のエリン・マナハン・トーマスで す。ハリー王子とメーガン妃の結婚式でも歌ったそうです。子供のような声で、フレーズで少し走るところがあるのと、ふわっと持ち上げて切る仕方が声量のないボーイソプラノ風でもあります。これは故意にそういうイメージで歌っているのでしょうか。そうは言っても音程は安定しているの安心して聞いていられます。こういう女声による少年的な雰囲気こそがこの曲には合っているかもしれません。歌い方は語尾を少しだけ震わせますが真っ直ぐでさっぱりとしており、古楽バロック専門のソプラノだというのがよく分 かります。透き通ってよく伸びる声が魅力的です。

 バリトンは古楽専門ではなく広いレパートリーを持ちますが、バロックも得意というイギリスのロデリック・ウィリアムズです。2020年のシューベルトの「冬の旅」は素晴らしい歌唱だと思います。ウェールズ人の父とジャマイカ人の母の間に1965年に生まれたという人で、イギリスではその活躍が広く知られているようです。低音はよく伸びるけれども重過ぎない声であり、ビブラートも控えめで繊細さのある清潔な歌い方には大変好感が持てます。フォーレのレクイエムのバリトンとしてはベストかもしれません。

 2007年のロンドン、バービカン・ホールでのライヴ収録で、レーベルはコロです。上述の通り長い残響というわけではないけれども、よく響くクリアな録音です。



   piaufaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Laurence Equilbey   Accentus
      Member de l'orchestre National de France
      Sandrine Piau (s)   Stephane Degout (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op. 48
ロランス・エキルベイ / アクセンチュス
フランス国立管弦楽団(メンバー)
サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)/ ステファン・デグー (バリトン)
 ロランス・エキルベイはフランスの女性指揮者で、アーノンクールに学んだ人です。日本にも有名な女性の指揮者がいて、日本のロランス・エキルベイと言われるとか言われないとか。でもそれはルックスのこと。アクセンチュスはエキルベイが創設した室内合唱団です。スコアは1893年版です。フランス人たちの演奏だしリベラ・メの金管のリズムからしてもネクトゥー/ドラージュ版でしょうか。でも編成がさほど小さく感じません。エキルベイの表現がなかなかダイナミックなせいかもしれません。線の細くない音も手伝っています。全体にテンポ設定は中庸で、表情がよくついています。

 国内盤が出てないせいか、ラター盤同様に日本ではあまり話題にされてないようですが、ピエ・イエズを歌うソプラノのサンドリーヌ・ピオーが魅力です。ピオーは1965年生まれでフランスでは地位を築いている人で、バロック・オペラの分野で古楽の有名な演奏者たちと活動を共にして来ました。華美にならない伸びのある声の美し さが魅力です。ただ、歌い方はカークビーらの築いてきた古楽のノン・ビブラート唱法とは違うようです。常に発音の初めで小さく、それから山を作るように強く盛り上げるイントネー ションで歌っているからです。

 ちょっと細かいことになりますが、この一音の中にクレッシェンドとデクレッシェンドを盛り込む弓なりな歌い方はイタリア語で「メッサ・ディ・ヴォー チェ(the placing of the voice)」と言います。特に弱くするときに安定させるのが大変難しい技法だそうですが、歴史的には1602年にジュリオ・カッチーニが出版した「新し い音楽」という本の中に最初にその言葉が登場する古いものです。そして18世紀バロックの音楽を当時の演奏様式で復活させようとする運動、いわゆる古楽演奏が盛んになり出した70 年代には、弓のテンションも関係してヴァイオリンなどの弦楽器を中心に器楽の世界でその形が流行するようになりました。ところが元来声楽の分野から発したこの技法は、ピリオド奏法において当の歌の世界ではそうはなりません。古楽唱法を確立させたのは主に前述したイギリスのエマ・カークビーやアメリカ生まれのジュディス・ネルソン、フランスのアニェス・メロンといった人たちながら、彼女たちはノン・ビブラートで極端 なメッサ・ディ・ヴォーチェは感じさせない歌い方をします。伝統的なベルカント、後のイタリアで発達した一般的なマナーに陥らないよう、カークビーたちは資料のない中色々と模索してそこにたどり着いたと言っているのです。
 つまり同じように盛り上がって下がる音でも、器楽と歌とは別なのです。イタリアの歌唱法はそれはそれで独自の発達を遂げて来ており、その中にメッサ・ディ・ヴォーチェは含まれているということは、ここでピオーが歌っているような山なりの発声は、古楽的というよりもむしろイタリア・オペラ的に聞こえてしまうところがありま す。

 歌の専門家の方はもう少し違う説明をするかもしれませんが、理屈はこのくらいにしましょう。このフォーレのレクイエムでのピオーの歌い方、独自の解釈でしょう。山なりに一音を盛り上げて、後半にはビブラートがかかります。それは同じフランスはアニェス・メロンの選択的なビブラートともちょっと違い、かといってイタリア・オペラのきらきらした感じとも違います。しかしフォーレのピエ・イエズは一音を長く延ばす音譜が続くのではなく、比較的短く音程が上下しますので、この弓なりの歌い方だと小さな山が音譜ごとにぽこぽこと連なる音の出方になって滑らではありません。リミッターのかかり続ける録音を聞くような感じで、好みの問題ながら独特の美を聞かせているとは言えるでしょう。

 バリトンのステファン・デグーは1975年生まれでリヨン在住のフランスの歌手で、オペラが得意ですが歌曲のリサイタルも行います。やや大きめなビブラートをかけてやわらかい抑揚を付け、明瞭な声で歌います。

 2008年のナイーヴの録音は中低音がよく響くセッティングです。しっとりとしていて弾力を感じさせる自然さがあります。カップリングでラシーヌの讃歌が入っていますが、オーケストレーションに種類があるのかと思わせるほど、ちょっと他で聞くのとは違う厚みがあります。



   dijkstrafaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Peter Dijkstra   Bayerischen Rundfunks   M?nchener Kammerorchester
      Sunhae Im (s)   Konrad Jarnot (br)   Max Hanft (org)

フォー レ / レクイエム ニ短調 op.48
ペーター・ダイクストラ / バイエルン放送合唱団 / ミュンヘン室内管弦楽団
イム・スンヘ(スンハエ・イム/ ソプラノ)/ コンラット・ジャーノット(バリトン)
マックス・ハンフト(オルガン)
 オランダ合唱界の俊英ダイクストラによるフォーレです。オランダ室内合唱団との透き通るようなバッハのモテットは印象深いものでした。1978年生まれで元はボーイ・ソプラノで歌っていた人です。そのオランダ室内合唱団とここでのバイエルン放送合唱団に加え、一時はスウェーデン放送合唱団も任されて主席指揮者でした。

 スコアは第2稿で室内オーケストラが伴奏する1893年版です。テンポが延びたり縮んだりするところが意欲的です。また、各フレーズの語尾で速度を緩めて長めに引っ張る傾向も聞かれます。合唱そのものはダイナミックかつ透明です。技術の高さを実感させるものと言えるでしょう。ブラスが歌を撫でたりオルガンが浮き出したりという意識の高さを感じさせる箇所もあり、強くきっぱりとしたティンパニが歯切れ良く鳴る瞬間も聞かれます。秋の空気のように澄んでいて、景色の輪郭がはっきりと見えるという感じでしょうか。静けさも十分あってきれいです。

 ピエ・イエズのソプラノは韓国のイム・スンヘ。1976年生まれのリリック・コロラトゥーラ・ソプラノです。暖かくて感動的なヤーコプス盤のマタイ受難曲でも美しい声を聞かせています。ここではフォーレということでビブラートを使っています。呼吸をするように山を作って歌っています。透き通って輪郭のある声です。

 リベラ・メは劇的なところですが、山場では速くなり、金管が目立つというよりも合唱の迫力で押して来る感じで、後半ではティンパニも活躍します。ぶつけるというより、はやる心のように進めます。バリトンのコンラット・ジャーノットもビブラートを用い、ちょっとオペラのように劇的な歌い回しも聞かれます。1972年生まれのイギリスのバリトンです。オペラも歌うけれどもリートで有名です。

 ソニー・クラシカル2011年のセッション録音です。合唱の透明感がよく出ています。



   jarvifaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Paavo Järvi   Chœur de l’Orchesre de Paris Orchestre de Paris
      Philippe Jaroussky (c-t)   Matthias Goerne (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
パーヴォ・ヤルヴィ / パリ管弦楽団合唱団&管弦楽団
フィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)/ マティアス・ゲルネ(バリトン)
 日本のオーケストラもよく指導しているヤルヴィはスポーツのように爽快で歯切れの良いベートーヴェンなどの印象があるけれども、曲によってはやわらかな歌も聞かせ、活躍中の人の中でも才能豊かな指揮者だと思います。フォーレの宗教曲はどういう味わいでしょうか。1962年のエストニア生まれで今はアメリカ人とのことで す。2010年から16年まではパリ管の音楽監督でした。

 息の長い、後半で強くなるようなロングトーンを聞かせたりして、やはり表現意欲のある演奏に感じます。ピリオド奏法が得意ということで、ここでも弦のビブラートは抑えているようであり、真っ直ぐに延びる音が透明で今っぽいです。合唱は強弱がしっかりとあってダイナミックです。入祭唱はゆったりとしていて音を引き延ばしま す。全体には中庸なテンポで、少し速めて颯爽とした印象の部分も出ています。そういうところも今の人に共通していると言えるでしょう。弦が浮き立ったりする工夫も感じられ、巧者です。フランスものというより、どことなくロシアの合唱を聞いているように寒色で荘厳なところもあります。やわらかいフレーズの処理があったとしても パステル調の音ではないのです。コントロールが行き渡ったうねるような強弱があり、意識の高いパフォーマンスだと思いました。

 ピエ・イエズでのソプラノのパートが大きな売りでしょうか。人気のカウンターテナー、フィリップ・ジャルスキーを起用しているのです。1978年生まれのフランス人です。この曲でカウンターテナーというのも異色だけど、ジャルスキーならより話題性があります。この人はちょっと特殊な方面で熱を帯びて騒がれるようだけど、本人はそのことは好まず、同時にある時点から性的指向は公表しているようです。歌手として重要なのは表現力だけど、完璧な技巧があって美しい声だと評価されます。個人的な印象では、ドイツのアンドレアス・ショルのように中性的で芯に強さのある透明感が特徴というより、もっとやわらかくて女性的な声質で、強弱による音色変化があ り、繊細な表現に寄っている感じを受けます。ここでもそうかと思ったのだけど、確かにその通りではあるものの、このフォーレで聞くとまた別の印象もありました。さすがに男性だけあってダイナミックというか、力強いところがあるなと感じたのです。弱音での声は女性的でやわらかいものの、クレッシェンドの立ち上がりに幅があってしっかりした感じがします。はためき方と存在感がボーイ・ソプラノとは全く別物です。女性が少年のような発声で臨む天使声とも違います。

 バリトンは、これもフィッシャー=ディースカウ以降の今のドイツを代表する歌手であるマティアス・ゲルネです。1967年生まれ。ゲルハーヘルと並んでディースカウの弟子でもありました。明るさのあるゲルハーヘルよりむしろジュリーニ盤のアンドレアス・シュミットの方に近いでしょうか。低く被せるような発声で、ビブラートは多用しますので、よりオペラ寄りの表現のように聞こえます。力強い男性的な印象です。

 レーベルはどこと言えばよいのでしょう。今は企業も M&A が進んでいるわけで、元は一緒で表のブランドだけ変えている状況なのかもしれません。エラート/ワーナー/EMI/ヴァージンなどと表記されます。2011年の録音です。ストレートなピリオド奏法っぽい音でもあり、色彩豊かという方向ではないけれども優秀な録音で す。カップリング曲はラシーヌの雅歌 変ニ長調 op.11、エレジー ハ短調 op.24、パヴァーヌ嬰へ短調 op.50、バビロンの流れのほとりにとなっています。



   shortfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Nigel Short   Tenebrae London Symphony Orchestra ♥♥
      Grace Davidson (s)   William Gaunt (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
ナイジェル・ショート / テネブレ / ロンドン交響楽団室内アンサンブル ♥♥
グレース・デイヴィッドソン(ソプラノ)/ ウィリアム・ゴーント(バリトン)
 ナイジェル・ショートと彼が自作曲を演奏するために2001年に結成したロンドンのボーカル・アンサンブル、テネブレの演奏です。ショートは1965年生まれ。元キングズ・シンガーズのメンバーであり、カウンターテナーとなってからはタリス・スコラーズなど多くの合唱団で歌って来た人で、今はテネブレの芸術監督です。その経歴に加えて、合唱団の能力を最大限に引き出すべく起伏をつけてダイナミックに進めるところなど、オランダの俊英ペーター・ダイクストラとちょっと重なるかなという印象もあります。また、テネブレの方は、設立にあたってレーシング・ドライバーのジャック・ビルヌーヴの尽力があったとアップルのサイトなどでは紹介されています。ビルヌーヴと聞くと悲劇的な事故で亡くなったジルを思い浮かべるかもしれませんが、ジャックも二人いてシニアの方でしょうか。その人脈からかロンドンで活躍する複数の合唱団のトップ・シンガーたちを集めて来たオックスブリッジ(名門大学)・クワイヤーズの伝統ということで、初めから上手そうです。古楽から現代曲までこなす若手の混声合唱団です。

 小編成の第2稿、ジョン・ラター版による演奏です。近年のフォーレの録音の中でも大変見事なものだと思いました。合唱は揃っていて透明であり、大変 ダイナミック・レンジの大きな表現となっています。弱音が美しく、大きくクレッシェンドする幅があって力強さも感じられ、極めて上手な合唱団という印象です。おぼろげに霞んだパ ステル調の空気の中でたなびくような演奏ではないけれども、フォーレの静寂は十分に感じられます。テンポは中庸で、やや速めの溌剌とした運びも聞かれます。サンクトゥスやピエ・イエズ、イン・パラディスムなどの静かな部分では適度にゆったりしていて慌ただしさはなく、クリアな響きに浸ることが出来ます。とにかく純化された音という感じです。

 ピエ・イエズを歌うのは、1977年のロンドン生まれでカークビーの後を継ぐかという高く清楚な声のイギリスの古楽系ソプラノ、グレース・デイヴィッドソンです。ザ・シック スティーンとともに多く活動し、他のたくさんの古楽系合唱団、このテネブレ以外でもタリス・スコラーズやコレギウム・ヴォカーレ・ゲントなどでも歌って来ました。映画でもホビットをはじめいくつかに出ており、アニメーションでも活躍しています。この人のここでの歌唱が素晴らしいのもこのショート盤の魅力の一つと言えます。澄んで伸びやかな声で、かといってボーイ・ソプラノを模して途切れ気味になったりたどたどしくしたりせず、ほぼノン・ビブラートで適度に揺らす美しい歌い方です。もちろん音程も安定しています。理想的であり、この曲のベストの一つと言って良いしょう。フレーズの 運びが多少さらっとしたところもあり、ゆったりたっぷり歌う系ではないけれども、それも重くならないので却っていいと思います。

 バリトンのウィリアム・ゴーント(ヨークシャー生まれのバス・バリトン)も余裕のある声で余分な力が入っておらず、上品です。面白いのはこれはコンサートのプログラムなのですが、バッハの作品と一緒に取り上げている点です。マタイ受難曲の有名なメロディーやカンタータの合唱などとともにヴァイオリンの名曲、シャコンヌも聞けます。そこではヴァイオリンだけでなく、合唱が合わせます。これ以外にもそのシャコンヌが含まれる同じパルティータ第2番からの残り4曲も演奏され、それらは合唱が加わるのではなくゴルダン・ニコリッチ(1968年セルビア生まれでロンドン響のコンサート・マスター)のヴァイオリンによるオリジナルの形です。これらの曲 はどれも死者への追悼の意味合いがあるもので(パルティータはバッハの最初の妻マリア・バルバラの死)、それぞれが調性を合わせた順序で上手くつなげられて自然にフォーレへと移行 して行くのです。魅力的な響きを保って違和感なく全体を聞けるので、フォーレの他の合唱曲とのカップリングもいいけど、これはこれでアルバムとして通しで聞くときにありがたいです。そしてこの出し物は大変好評だったようです。

 2012年の録音で、レーベルはロンドン交響楽団自前の LSO でライヴ収録です。音響的にも大変魅力的です。



   cleoburyfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Stephen Cleobury   The Choir of King’s College
      Orchestra of the Age of Enlightenment
      Tom Pickard (s)   Gerald Finley (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
スティーヴン・クレオベリー / ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団
エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団
トム・ピッカード(ボーイ・ソプ ラノ)/ ジェラルド・フィンリー(バリトン)
 ここで歌っているケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団は1441年に設立された歴史あるイギリスの少年(男声)合唱団です。指揮をしているスティーヴン・クレオベリーは1948年生まれで2019年に亡くなっていますが、本人も少年合唱に属したことがあり、オルガニストでもありました。1982からこのケンブリッ ジ・キングズ・カレッジ合唱団で音楽監督を務めていました。今回用いられたスコアは1900年版ながら、そこに色々な問題があると考える最近の流れに乗ってか、オッフェルトリウム(捧献唱)の一部を省略したマルク・リゴディエール校訂版というものを使っているそうです。省略されてない方のラター版でも演奏をしており、それが曲の最後に追加されています。

 割と淡々とした速めのテンポ運びが印象的なダイナミックな演奏です。オーケストラはホーン・セクションと打楽器が活躍します。ディアス・イレへ向かうクライマックスでは天使のラッパの警告がくっきり二段構えに聞こえる意外性とともに、ティンパニが雷鳴のように轟き、大変迫力があります。合唱も古楽の団体という感じでもな いけれどもメリハリをつけているようです。こう書くと力づくできれいでないように聞こえるかもしれませんが、そういう意味ではなく、現代的な切れとメリハリがあるということです。静かなパートは長い残響の中で美しく響きます。よく天使の声などと言われますが、少年合唱独特の響きの良さが十二分に味わえるアルバムです。オッフェルトリウムなどはテンポもゆっ たりしています。

 ピエ・イエズのトム・ピッカードはコカール盤(後出)のボーイ・ソプラノと並んで上手です。澄んだ声で音程が揺らがず、同じく語尾でビブラートをかける余裕すらあります。低い声では幾分小さくなり、拍を一つずつ切り気味にするところと音程が跳ね上がるときの音では独特の少年らしさが出るものの、それは致し方のないことで しょう。ここまで来れば文句なしではないでしょうか。この部分はやや速めの運びであり、個人的にはもう少しゆったり聞きたいかなとは思いました。

 バリトンのジェラルド・フィンリーは1960年のモントリオール生まれで、このケンブリッジ大学キングズ・カレッジで学びました。コンサートとオペラの両方で活躍する人です。ジェントルで大変魅力的です。やわらかい声で伸びがあり、無理をしません。含ませたり硬くするような声音を用いず、拍ごとに力強く弾ませるような歌い 方もせずに静かに延ばします。オッフェルトリウムだけでなくリベラ・メでも同様であり、最も盛り上がるところでも余裕が あります。

 レーベルは Choir of King’s Coll で2014年のセッション録音です。ラシーヌの雅歌 変ニ長調 op.11や小ミサ曲などが組み合わされています。録音コンディションは大変良いです。



   romanofaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Mathieu Romano   Les Siècles Ensemble Vocal Aedes
      Roxane Chalard (s)   Mathieu Dubroca (br)
      Louis-No?l Bestion de Camboulas (org)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
マチュー・ロマノ / レ・シエクル / アンサンブル・エデス
ロクサーヌ・シャラール(ソプラノ)/ マチュー・デュブロカ(バリトン)
ルイ=ノエル・ベスティオン・ド・カンブーラ(オルガン)
 管弦楽のレ・シエクルの方が馴染みがある名前かもしれませんが、指揮者は直裁で少し激しいところもあるあのロトではなく、合唱指揮者であるマチュー・ロマノという人。曲がフォーレのレクイエムということで、合唱団の方を中心に考えれば良いでしょう。その合唱団はアンサンブル・エデス。現在も芸術監督であるロマノが 2005年に設立したフランスのボーカル・アンサンブルで、レパートリーは古楽から現代までです。17人の歌手を核として40人まで、曲によって増えるそうです。現代曲までとはいっても、ここではピリオド奏法に特化したレ・シエクルと同じ波長で歌っているように聞こえます。珍しいですが、スコアは第1稿によるものです。その あたりもピリオド・アプローチと親和性があると思います。もちろんオーケストラもピリオド楽器です。

 演奏ですが、フレーズの語尾をあまり延ばさずさっぱりと切るところがありながらも、音韻の上では癖のあるピリオド奏法ではなく、素直な運びです。ビブラートは合唱も楽器も控えめです。ほぼノン・ビブラートでしょうか。したがって真っ直ぐな透明な音で、残響は少なめなので溶け合う音響という感じではありません。テンポは中庸で遅い方ではないけれども、かといってさらっとし過ぎることもなく、ほぼインテンポを守ります。歌わせ方も割と直線的で、うねるような強弱を付けたりはしない清潔感のあるものです。抑揚は抑え気味と言っていいで しょう。丁寧で形が美しいという感じで、人によっては多少慎重な印象も受けるかもしれません。響きの雑味を抑えて純粋にやろうとしているのだと思います。指揮がロトではないということで、強い部分でのダイナミックさはどうかというと、サンクトゥスでのホサナの盛り上げはさほど劇的ではありません。真っ直ぐなブラスが特徴的 で、弦もノン・ビブラートなので簡潔な鋭さはあります。やわらかくはないけれども、特に激しいものでもないという印象です。ではリベラ・メのクライマックスはどうでしょうか。そこではテンポを上げ、ティンパニが短く歯切れ良く鳴って鋭いクレッシェンドが聞かれます。 結構な切れ味ながら、雑さはなく、やはり荒々しくはありません。

 ピエ・イエズはロクサーヌ・シャラール。フランスの女性ソプラノです。古楽から現代ものまでの広いレパートリーを有し、アンサンブル・エデスとよく共演しているようですが、年齢やデビューの経緯など、詳し いことは分かりません。最初の音はまるでボーイ・ソプラノかと思いました。でもそれ以後で強く張り上げるところは女性歌手らしい音になります。ビブラートは控えめにかけます。全体的に中性的な印象で、抑揚の面では普通は強めに出るところで少し声を抑えて表情を作ったりし、それが強いところとコントラストを成したりします。この部分のテンポも一定です。

 バリトンのマチュー・デュブロカの方は1981年生まれのフランス人ということです。軽めの声で、抑えて歌う感じがありながら、抑揚は適度にやわらかく、繊細な面も聞かせます。

 レーベルはアパルテで、2018年のセッション録音です。音響については前述した通り、長い残響があるものではありません。ピリオド奏法によって各パートがはっきりと聞こえるすっきりした音です。暖色系ではないかもしれません。



   valleefaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Jean-Sébastien Vallée   Chœur de l’Église St. Andrew and St. Paul ♥♥
      Les Petits Chanteurs du Mont-Roya
      Philippe Sly (br)   Jonathan Oldengarm (org)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
ジャン=セバスチャン・ヴァレ / 聖アンデレ&パウロ教会合唱団 ♥♥
ル・プティ・シャンテール・ドゥ・モン・ロイヤル合唱団
フィリップ・スライ(バリトン)/ ジョナサン・オルデンガーム (オルガン)
 カナダの人たちの演奏です。指揮者のジャン=セバスチャン・ヴァレはカナダ出身のアメリカ人で、合唱を得意としていてカナダの多くの有名オーケストラに加えてシカゴ響とも演奏しました。大学で研究している音楽学者でもあり、アメリカ各地で教え、レパートリーは広くて現代音楽も得意とします。聖アンデレ&パウロ教会合唱団はフランス語圏であるモントリオール地域の歌い手を集めた教会合唱団で、ル・プティ・シャンテール・ドゥ・モン・ロイヤル合唱団の方は1956年設立の同地域の男子のみの少年合唱団です。

 スコアは1893年ラター版ながら、オルガンによるもの(器楽なし)です。でもこのジョナサン・オルデンガームのオルガンが凄いです。ストップを駆使して音量を変えており、音が減衰して行く場面では4段階ぐらいに徐々に小さくなって行く効果すら出しています。そして重低音が響き、オーケストラに全く劣らない迫力です。独特の味があるので、却ってこのバージョンの方がいいかもしれないと思いました。

 現代音楽も得意な音楽学者の指揮ということから鋭くてくつろげない演奏なのかと思うと全く違い、技術的には研ぎ澄まされていながらも、聞いて癒される美しい響きのレクイエムです。強弱はしっかり使い分けつつダイナミック過ぎるということがなく、静かなたたずまいがあるのです。テンポは全体に中庸で、パートによって少し速めるなど、適切に陰影が付きます。合唱はどのパートも揃っており、どこをとってっも透明感があります。地域で括るのもなんですが、確率的にカナダの演奏者はケヴィン・マロンとアラディア・アンサンブルのバッハにしろ、ベルナール・ラバディーとレ・ヴィオロン・ドゥ・ロワのモーツァルトにしろ、このようにクリアで恣意的でない波長のものが多い気がします。

 ピエ・イエズでのソプラノ・パートは少年たち複数の歌唱によっています。ソロでないので音程も安定して大変きれいであり、こういう選択もいいと思います。オルガンの音と溶け合って気持ちがいいです。

 バリトンのフィリップ・スライは1988年オタワ生まれのバス・バリトンで、歌曲とオペラの両方をこなします。少年のときから歌って来てサンフォード・シルヴァンに師事し、メトロポリタンで評価されました。でもレコーディングはオペラより歌曲が多いようです。深々とした声質ながら透明感があって輪郭がくっきりしており、リラックスしたマナーで歌います。見事です。

 2018年録音で、レーベルはカナダのアトマ・レコーズです。フォーレと並んで美しいとされる名曲、デュリュフレのレクイエムとのカップリングもう れしいところです。ひょっとして、デュリュフレのベストでしょうか。



   boltonfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Ivor Bolton   Balthasar-Neumann Chor Sinfonieorchester
      Basel Katja Stuber (s)   Benjamin Appl (br)

フォーレ / レクイエム ニ短調 op.48
アイヴォー・ボルトン / バルタザール=ノイマン合唱団 / バーゼル交響楽団
カーチャ・ステューバー(ソプラノ)/ ベンヤミン・アップル(バリトン)
 バルタザール=ノイマン合唱団による演奏です。演劇的な要素と組み合わせた芸術を目指して1995年にトーマス・ヘンゲルブロックによって設立された合唱団で、96年のロ短調ミサは高い評価を得ました。指揮はそのヘンゲルブロックではなくアイヴォー・ボルトンで、1958年生まれのイギリスの指揮者です。それ専門というわ けではないけれどもチェンバロも弾く古楽に強い人であり、2016年からバーゼル交響楽団の首席を務めています。

 ブラスの音も元気に始まります。それだけでもう切れが良さそうな印象ですが、合唱も弱音はしっかり抑え、力を抜くところは抜き、強く持ち上げるところで鋭さを出すという、現代らしいダイナミックな処理によって明晰な感じがします。テンポは入祭唱ではゆったりながら、キリエはやや軽快、オッフェルトリウムではまたゆったりという具合で場所によって変えます。オーケストラはピリオド奏法です。弦はノン・ビブラートで語尾をあっさり切るところがありますし、ボウイングではメッサ・ディ・ヴォーチェ様の山なりの強弱が聞かれます。このあたりは現代のスタンダードとも言えます。リベラ・メは切れの良い拍で強弱の浮き沈みを付け、くっきりと力強いです。 スコアは2011年に改訂されたベーレンライター新全集版を使っています。初版のフル・オーケストラ版(1900年 版)を手に入る資料をもとに再検討したもののようです。

 ソプラノはカーチャ・ステューバーということで、2008年頃から活動しているドイツのソプラノです。バッハなどの古楽も歌っていて録音があり、オペラにも挑戦しています。少しふわっとした雰囲気があり、声はどこか少年っぽくもあってハスキーな印象で、艶っぽいものではありません。歌い方も清楚、レガートで長く引っ張って 滑らかに流すという方向ではなく、フレーズごとに分けて行くような歌い方がボーイ・ソプラノ系の清々しさを感じさせます。

 バリトンのベンヤミン・アップルは1982年生まれのドイツ系イギリス人で、ディースカウの最後の弟子ということもあってリート歌曲に強く、オペラも歌います。声質は重くなく、輪郭はくっきりしていますが透明感があります。歌い方に おいては繊細な抑揚を与え、どこかやさしさが感じられます。リベラ・メではしっかりと強弱 を付けており、力強くも荒さがなく、やはり明晰で古楽寄りと いう印象です。

 ソニー・クラシカル2019年の録音です。大変クリアで繊細な録音です。ラシーヌの雅歌 変ニ長調 op.11、「バビロンの流れのほとりに」等の曲がカップリングされています。このボルトンによるフォーレは他にもアルバムが2枚出ていて、「ザ・シーク レット・フォーレ」と銘打ってこの作曲家の歌曲や合唱曲、オーケストラ曲を網羅しています。フォーレを味わい尽くしたい方に朗報であり、美しい調べにうっとりします。



   weberfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Keno Weber   Quilisma Jugendchor Springe
      Hannoversche Hofkapelle
      Josefine Mindus (s)   Konstantin Ingenpa? (br)   Robin Hlinka (org)

フォー レ / レクイエム op.48
ケノ・ウェーバー / シュプリンゲ・キリスマ青年合唱団
ハノーファー宮廷楽団
ユセフィーネ・ミンドゥス(ソプラノ)/ コンスタンティン・インゲンパス(バリトン)
ロビン・フリンカ(オルガン)
 珍しく、第1稿の1888/89年版による演奏です。ケノ・ウェーバーはフリーランスの指揮者で、この青少年の団体であるシュプリンゲ・キリスマ合唱団と同時に指揮を担当しているハノーファーシュ・オラトリエン合唱団の方では、国際合唱コンペティション (Bratislava Cantat 2019)でゴールデン・リボン賞を取っています。シュプリンゲ・キリスマ青少年合唱団は1988年に創立され、2005年からハノーヴァー近郊のシュプリンゲに移り、2014年からケノ・ウェーバーが総合的な経営を任される立場にありまし た。四歳から二十四歳までの100人ほどで構成されているとのことながら、ここでは青年たちが中心でしょうか。女性も含まれます。ハノーファー宮廷楽団の方は1995年にハノーヴァーで設立されたオーケストラです。メンバーたちの多くがバロックやピリオド楽器の楽団で弾いて来た人ということながら、モーツァルトなどの古典派も演奏するそうです。室内楽も交響曲もレパートリーのようです。

 入祭唱は中庸のテンポで、ゆったり流れる部分もある一方で少し速めのところが聞かれる演奏です。流れるように歌って行きます。スコアの楽章構成が異なるので違った順序であるように聞こえます。上手な合唱団で、女性の高音部が美しいです。器楽の方も、サンクトゥスのヴァイオリン・ソロが浮き出して来てきれいです。やはりあまりビブラートは使わない弾き方です。

 スウェーデンのソプラノ、ユセフィーネ・ミンドゥスはボーイ・ソプラノ的でも少女的でもなく、低い方にもボリューム感と響きの良さが感じられ、伸びがあって力もある高音で歌います。オペラを得意とする人であり、部分的にビブラートも使うものの、ここでは特にオペラ的ではありません。上品な歌唱です。

 ハノーヴァーに比較的近いオサナブリュック生まれのバリトン、コンスタンティン・インゲンパスは声質としてはあまり低い方ではなく繊細であり、落ち着きがあってやわらかく、やさしい歌い方です。古楽的ではなくて普通にビブラートは用いますが、こちらも大変上品です。 歌曲で賞を取るなど、オペラ系の人でもないようです。

  レーベルはロンドー・プロダクション。2021年のヒルデスハイム、聖ミカエル聖堂での録音です。他に多 くの歌曲がカップリングされて います。



   coquardfaure
      Fauré   Requiem in D minor op.48
      Samuel Coquard   Maítrise des Bouches-du-Rhône ♥♥
      Lenny Bardet (s)   Marc Scoffoni (br)
      Emmanuel Arakélion (org)

フォーレ / レクイエム op.48
サミュエル・コカール / ブーシュ・デュ・ローヌ聖歌隊アスマラ室内合唱団 ♥♥
レニー・バルデ(ボーイ・ソプラノ)/ マルク・スコフォーニ(バリトン)
エマニュエル・アラケリアン(オルガン)
 南フランスの少年たちによる聖歌隊合唱団がオルガン伴奏(オーケストラはなし)で演奏するレクイエムです。指揮者のサミュエル・コカールは1976年生まれ。パリのノートルダムで合唱を学びました。特に聖歌を得意とする人であり、2004年にブーシュ・デュ・ ローヌ聖歌隊アスマラ室内合唱団を設立しました。ブーシュ・ デュ・ローヌ地方といえばマルセイユを含むプロヴァンスの地で、ワインでも聞き覚えがあるかもしれません。

 出だしからオルガンで、驚きます。そして少年たちが入って来ますが、聖歌隊らしくてこういうのもいいです。抑揚を抑えて真っ直ぐに静かに歌い出し、テンポは全く急ぐことなく、天国的というのか、全編ゆったりです。それがまず独特の雰囲気でしょうか。大変ゆっくりなところもあります。基本は静かながら、要所で盛り上げることで目が覚めるようにはっとしたりもします。急に人数が増えたような感覚で強くなる箇所もあり、そういう部分では何だか聖歌を現代風にアレンジした曲のようだとも言えるでしょう。オルガンの伴奏も他にない良い雰囲気を醸し出しています。上手かどうかという観点で言うなら、全く気にならないけれども、少年合唱ゆえに瞬間的には 音程が揺れる箇所もないわけではありません。その上で♡♡にしたのでは、演奏の出来不出来を採点する目的からは相応しくはないでしょうか。でもそれゆえにと言うと語弊がありますが、それを含めてこの自然な雰囲気がなんとも魅力的なのです。残響の多い教会での収録であり、ゆっくりと、やわらかく天に漂うように子供達の声が溶 け合います。瞑想的というのか、違う時間の流れの中にいるというか、夢の中でとり行われる儀式を見ているような独特の音の世界です。盛り上がる箇所のホサナでも、オルガンの音に乗ってゆったりと歌われます。イン・パラディスムの消え入るような終わり方も異世界に迷い込んで行きそうです。

 ピエ・イエズのソプラノはレニー・バルデというボーイ・ソプラノです。大変上手です。一番かもしれません。非常にわずかな音程の揺れと長く続かない音はどうしても出るものの、ボーイ・ソプラノとして理想的で、これ以上は望めないのではないでしょうか。ビブラートも用いてちゃんとコントロールしており、声も澄んでいて伸びが あります。大変きれいです。そしてここもゆっくりです。

 バリトンはパリ音楽院を出、テレサ・ベルガンサに学んでオペラを中心に活躍するマルク・スコフォーニです。ボリューム感のある、オペラのワン・シーンのようなイタリア的な盛り上げが劇的です。ここだけ聖歌隊とは違う波長で面白いです。何か物語的な意図があるかのと思うぐらいです。そしてそれはちょっと自分の好みの方向では ないなと最初感じたものの、後半の感情の高ぶりには説得力があり、フォーレが世俗的な人間らしい情からこの曲を作ったという話からすれば、案外こちらの方が正解なのかもとも思いました。

 レーベルは Klarthe で2022年のセッション録音です。上で述べた通りサン・ヴァンサン・ド・ロクヴェール教会での収録は残響が豊かで、魅力的な音です。ラシーヌの雅歌変ニ長調 op.11などとカップリングされています。



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      Sandrine Piau (s)   Susan Manoff (pf) ♥♥

エヴォカシオン / サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)/ スーザン・マノフ(ピアノ)♥♥
 フォーレのレクイエムでの歌唱は個性的ですが、サンドリーヌ・ピオーの魅力を十分に伝える素晴らしいアルバムは他にもあります。記憶の喚起を意味する「エヴォカシオン」というタイトルで、ショーソンなどの静かで美しい曲が集められたものが出ており、大変癒されます。女性がテーマだそうです。



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      a film by Yann Arthus-Bertrand ♥♥

ホーム  空から見た地球 / サウンド・トラック ♥♥
 他にもピオーは、世界中の出産場面を集めたドキュメンタリー映画「プルミエール私たちの出産」(Le premier cri〔産声〕 2007)でやわらかく美しい声で歌っており、YouTube でも聞くことができます。そして「HOME」という映画でのテーマ曲は大変魅力的です。これもプルミエールと同じくイスラエル生まれのフランスの映画音楽作曲家、アルマン・アマールの曲です。フレーズを長く延ばすゆったりとした歌であるため、波打つようなピオーの発声の美しさが際立ちます。

 この「HOME 空から見た地球」というフランス映画は2009年に全世界で劇場公開された環境問題をテーマにした作品です。その衝撃的な内容とともに空から写した美しい映像の数々に心を打たれます。地球温暖化については様々な説が唱えられますが、人類が化石燃料を使い始めた産業化の後、短期間で実際にどれほどの変化が起こっているかを見せてくれます。ヤン・アルテュス=ベルトラン監督が15年以上温めて 来た構想を54ヵ国1年9ヵ月かけて空撮したもので、彼が著作権、配給権を放棄したために YouTube でも全編無料で見ることができます。英語でも出て大変な評判を呼び、アップした最初の24時間で181ヵ国40万アクセスがあり、2012年までに3200万回観られているということです。日本語字幕が必要な場合はDVDを買うことも出来るようです。