ヴィヴァルディの「四季」聞き比べ
ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4  

thefourseasons

取り上げる CD 15枚:イ・ムジチ(アーヨ)/ アッカルド/マリナー/カラヤン/パイヤール/ビオンディ/アーノンクール/ピノック('78/'81)
/ホグウッド/カルミニョラ/ワレーズ('75/'80)/フィッシャー/ベル   

 ヴィヴァルディの四季」といえばクラシックの入門曲として不動 の地位を保っていますが、専門家が音譜の 空き具合から色々不満を言うことあるにせよ、数多いヴィヴァルディ作品のなかでもスターバト・マーテルとならんで、やっぱり最大の名曲でしょう。
 シェイクスピア複数説というのがあります。同じように、ヴィヴァルディにも二面性を感じるときがあります。こぼれ落ちる美しいメロディがあるかと思えば、断定的な独り言がユニゾン(同音)で奏でられ、さらにそれがしつこく繰り返されて、冗談かと思いたくなる曲もあります。本当に同じ人が作ったんでしょうか
 それにこの時代、作曲家は同じフ レーズを別の曲で何度も使い回してお金を稼いでいたところがあります。「これはどこかで聞いたメロディだけど、あ、あれと同じだ」となるわけです。
 しかし四季にはくどい冗談はないし、似たフレー ズを他でも聞くことあるものの、春、 夏、秋、冬、どこをとっても簡潔で美しい旋律に満ちあふれ、楽章間の見事なコントラストがあって、真に芸術的な小説家が生涯に書く傑作は数本だけという状況に似ているような気がします。

 ヴィヴァルディは謎の多い作曲家で、膨大な作品を作りながら長い間忘れられており、本格的に再評価されるようになったのは20世紀に入ってからです。 イタリアで再研究が始まったのが4、50年代、頻繁に演奏されるようになったのはその世紀も半ばを過ぎてからでした四季自体も出版こそ1725年のアムステルダムでしたが、初めての録音が行われたのは説が分かれて1939年か42年。しかしステレオが普及して以来の半世紀には様々な録音が百花繚乱、咲き乱れてきました。そしてこの曲がヴァイオリン協奏曲の形をとるためもあり、特に古楽器ブーム以降時代が下るにつれて、四季はヴァイオリニストが自分をアピールするための派手な舞台となっているようです。そこで今回は イ・ムジチから最近のものまで、話題になった CDピックアップして少しだけ聞き比べてみようと思います。


 ステレオ録音に限って言えば、最初にこの曲を世に紹介する役割を果たしたのはミュ ンヒ ンガーの58年盤でしょう。ドイツ語の響きを聞くような、フレーズのくっきりとした演奏です。さらにその翌年に出たのが「私たちは音学家」を意味する イタリアの「イ・ムジチ」合奏団です。そして四季という曲がクラシック入門の定番なら、演奏の定番は長い間この イ・ムジチということになりました。少なくとも70年代に入った頃からは、毎月毎月、クラシックレコード売上げナンバーワンはこれでもかというほどイ・ムジチの四季と決まっていました。ヴァイオリニストはアーヨ、ミケルッチなどと録音ごとに変わりましたが、イ・ムジチがトップの座を明け渡すことはありませんでした。そして二位には赤と緑のリンゴのジャケットのカラヤン盤が入るのです。当時の演奏のほとんどは、どれもテンポ一定していて表情も節度のあるものでした。 イ・ムジチはそういう正統派の代表で、全曲の楽譜入りLPが出ていたように、 曲の構成を見るのに最適な演奏だったと言えるでしょう。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Felix Ayo (vn)   I Musici

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン)/ イ・ムジチ合奏団
 イ・ムジチの独走は、初代のコンサートマスターであるフェリックス・ アーヨのステレオ録音の完成度の高さと、何度も来日しているという親しみがあったからでしょうか。アーヨの59 年のフィリップス録音は、同じ顔合わせで行われたモノラルの録音から数えて二度目になりますが、ゆったりとした 中に過剰にならない歌があり、アンサンブルもみごとです。音も若干中域に張り出しがあるものの、今聞いても不満ないもので、定番の定番たるゆえんを知ることのできる一枚です。その後のベルト・ミケルッチの盤はアーヨの勢いに乗って記録的なセールスを達成しましたが、テンポがやや 速く、表情も中庸になった感じがします。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Salvatore Accardo     I Solisti Di Napoli
    
ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
サルバトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)/ イ・ソリスティ・ディ・ナポリ
 一時期イ・ムジチのコンサートマスターを努めたことがあるサルバ トーレ・アッカルドがイ・ムジチと入れた録音もあった記憶なのですが、あらためて調べてみると、四季はイ・ソリ スティ・ ディ・ナポリ(I Solisti Delle Settimane Internazionali Di Napoli)との音楽祭ライブ盤で、カップリングでイ・ムジチとの曲が入っているためにジャケットに「I MUSICI」と書いてあるものがあるだけで した。手に入れてみるとデッカから再販された西ドイツ製造の盤で、音楽祭が収録されたのは87年、デ ジタルになってからの録音でした。そんなこんなで取り上げる順序が前倒しになってしまったのですが、これよりもっと前にイ・ムジチ盤と比較して云々されて いたアッカルドのレコードは、イタリア室内管との RCA 盤だったでしょうか。

 このライブ盤の方はクレモナ・フェスティバルでの収録ということで、クレモナといえばクレモナの名器、ストラ ディバリやガルネリ などのヴァイオリン誕生の地であり、この演奏では全員がストラディバリを使っているのが聞きどころです。独奏は楽章によって楽器を使い分けています。夏と冬の楽章は同じです が、春と秋とはそれぞれ別の楽器で、合計三挺のヴァイオリンを 弾き分けているようです。ただし、ストラディバリは作られたときはバロック・バイオリンでしたが、ここでは改造 済みのモダン楽器です。

 ソロのアッカルドは冬の第一楽章が速めな以外、総じてゆっくり目のテンポをとっています。滑らかにつながった 抑揚を好むフランス人と違って、イタリアの演奏者は音譜の区切りではきはきした表現をすることが多いように思い ます。とくに最近のものはビオンディにせよカルミニョラにせよ、スタッカート用した先 鋭なフレージングが目立ちます。しかしアッカルドはどちらでもなくひ きずるような重みのある運びで、しかも力がこもっています。レガートではなくテヌートというべきでしょうか、音 譜を最大限長く弾くのです。また、ピリオド奏法でお馴染みの、 最初のアタックは弱めで途中で力を入れて行く弓の運び方(メッサ・ディ・ヴォーチェ)を短い音譜でもやっている ようなところがあり、連続すると全音に第二音節的アクセントが入り、一音一音が断定的になって、常に大きな声で 強調して喋っている人のような印象を受けます。場所によっては音譜の入りにタメをきかせてからそれをやるので、ちょっと頑固なおじいさんと話しているようです。 しかし慣れると気を許せるおじいさんかもしれません。装飾音を自由につけるところなど、イ・ムジチ の優等生的な枠を出た個性的な演奏だと思います。

 それ以上に面白いのはブルーノ・カニーノのチェンバロで、あまり聞いたことのない動きを見せます。ちょっとし た即興の範囲を超えており、次は何が出てくるのだろうかと期待させます。たとえて言うなら、水琴窟の水音が意図 しないところでポチャンと聞こえてくるような感じです。ここでの演奏がモダン楽器の楽団によるものだということ を考えると、古楽演奏ブームの風は皆の体を吹き抜けて行ったの だなと思わせます。

 録音は80年代も後半に入ってからですが、2、3KHzぐらいの中高域に張りのある音です。ストラディバリの 美音を期待して聞く人もあるかと思いますが、その意味では悪くはありません。でも若干ボリュームを下げ気味にし た方がきれいに聞こえるでしょう。アッカルド自身はその後別の団体とも演奏しています。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Alan Loveday (vn)   Neville Marriner    Academy of St. Martin-in-the-Fields

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
アラン・ラヴデイ(ヴァイオリン)/ ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
 音楽評論家の吉田秀和氏が絶賛した演奏です。「静止した均衡ではなく、過多から来るダイナミックな活動であ り、その行きすぎ、それこそバロックだ」と述べているので、どんなに斬新な演奏なのだろうと思って聞くと、テン ポは一定で、緩徐楽章は大変ゆっくりしています。表情も大きくはありません。わずかにヴァイオリンとチェンバロに時折聞き慣れない即興が入るぐらい が過多なところかな、という感じです。ただ、これが録音されたのは1969年ですから、確かにその時点では先進 的だったのだろうと思います。我々はその後の演奏家たちのことを知っているわけで、今反論するのはフェアではな いでしょう。評論自体はヴィヴァルディと曲の周辺について色々詳しく、面白いものです。
 確かにリズムはスタッカート気味で弾む感じがするところもあります。マルカートとスタッカートを楽譜通りに正 確に弾き分けているのだという指摘もありましたが、そうなのだと思います。また、ARGO レーベルに録音されていて、この楽団の後の盤のようにフィリップスからのものではないので技師も違うのでしょう、軽く明るい音に聞こえます。このやや薄く 高域のはっきりした音は、96KHz/24bit でリマスターされたデッカの音かもしれませんが、そのせいで滑らかさよりは少しエッジの立ったような印象を与えるところが、イ・ムジチなどのレガートでつ なぐ歌わせ方との違いを強調しているようにも感じます。時代は変わって行きますし、記録された演奏自体は同じで あ るにもかかわらず、我々の側でつい相対的に聞いてしまうということもあって、今となっては落ち着いたものに感じ られるのでしょう。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Michel Schwalbe (vn)   Herbert Von Karajan   Berliner Philharmoniker

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ミシェル・シュワルベ(ヴァイオリン)/ ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィル
 カラヤン好きにはやはりカラヤンでしょう。彼は二度録音しており、 例の72年のリンゴ盤の方は旧録音です。そしてそちらの方がカラヤンらしさがよく出てお り、速めのテンポをレガートでつないで行く流麗なカラヤン節が満喫できます。また、サンモリッツの教会録音は残 響が豊かで、独特の艶もあります。ソロは当時のコンサート・マスターであった名手、ミシェル・シュワルベです。

 カラヤン二度目の録音は彼と色々噂のあったアンネ・ゾフィー・ムターがソロをとっていますが、そちらは ウィーン・フィルとの演奏で、ムターファン、ウィーン・フィル好きには欠かせない一枚でしょう。ムターはその後再録音もしています。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Gerard Jarry (vn)   Jean-Francois Paillard
                
ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ジェラール・ ジャリ(ヴァイオリン)/ パイヤール室内管弦楽団
 イ・ムジチと同じように節度を重んじる演奏で完成度の高いもの に、ジェラール・ジャリがヴァイオリン・ソロを努めるフランスのパイヤール室内管弦楽団のものあ ります。アーヨ盤と同じくゆったりしたテンポで丁寧に歌われて行く演奏で、ミュンヒンガーのドイツ語なまりとは 正反対の、フランス流メロドラマというの か、流れるようなやわらかさが特徴です。当時のパイヤールのもとには管楽器のスタープレイヤーが集う傾向があ り、73年録音の バッハのブランデンブルク協奏曲など今もってマイ・ベストですが、管に限らず彼らのアンサンブルは 高レベルです。
 音についてもエラートはフィリップスと並んで自然な録音が多く、この76年の四季はアナログ黄金期のもので す。残響が美しく、同時期のフィリップスよりも高域がすっきりと延びて色気があり、高音質CDも出されるほどの ハイファイ録音です。


 さて、インターネット時代になって みて、イ・ムジチ人気は日本限定の現象だということがわかりました各国のアマゾン でこの楽団が最初のページに何枚も顔を出すのは日本だけなのです。6回録音さ れたうち、最新盤がすぐに出てくるのも日本のサイトのみで、イタリア本国のアマゾンでも「イ・ムジチ」と検索語を入れない限り顔を出しま せん。

 四季のCDの変遷を見ると、以前は 楽団ごと、指揮者別というとらえ方が普通だったのですが、最近では独奏ヴァイオリンが誰であるかという ことがより前面に表示されるようになってきました。同時に演奏スタイルもソロ・ヴァイオリンが 引っ張って大胆にテンポが変動し、表情も自在なものが当たり前になってきました。これはアーノンクール以降の古楽器演奏の 流行が背景にあったのでしょうが、こと四季に関して言えば、ファビオ・ビオンディのバロック・ヴァイオリンによる演奏が大きな影響を残したのだと思います



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Fabio Biondi (vn)   L'europa Galante

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)/ エウローパ・ガランテ
 91年、設立したばかりのエウローパ・ガランテを率いるシシリアの 若手、ビオンディの登場はコーザ・ノストラの衝撃(?)だったようです。CDのジャケットに物憂げな表情でポー ズをとった若者の写真がありましたが、それを見てなるほどと思わせるような、若さ あふれる挑戦的な演奏です。来日して聞きに行ったときの印象ではもはや若者という感じでありませんでしたが、ソナタのときはピアニストの手にうやうやしくキ スをしたりして、最大限に女性を讃える仕種がいかにもイタリア男性を思わせま した。室内楽団のリーダーとして登場するステージでは、鮮やかなスカーフを広げたまま顎と ヴァ イオリンの間に挟み、それを長くなびかせて演奏するなど、これもまた演奏の質を視覚的に表現したかのような派手 なものでした。面白かったの は、合奏を始めるときの合図が、彼が吸い込むバカでかい鼻息の音だったことです。

 しかしこのビオンディ、その後に出てきたいくつもの個性的な演奏に対抗するためか、たった9年後の2000年 に再録音をしてより過激な演奏を聞かせています。新録音の方は急激な強弱やテンポの切替え、意外な間の取り方な どが前よりいっそう目立ち、伴奏部分で弦を押さえながら強奏するような驚くべき仕掛けも色々とやってくれて、い かにも鼻息荒いビオ様の面目躍如の仕上がりになっています。こう書くと意地悪を 言っているようですが、少なくとも旧盤の方(上の写真)は統一性もあり、生き生きとした自在 な創意を感じさせる名演です。

 ちなみにビオンディ新盤とよく比較されることのあるライバルは、イル・ジャルディーノ・アルモニコの94年盤 あたりでしょうか。面白い音の仕掛けはこちらの方が先かもしれません。録音も素晴らしく、この方面が好きな人には逃せ ない一枚でしょう。こういう頭脳に優れた演奏はまだ他にもあるようで、ハマる人は「保守的な演奏はもう聞けな い」と言う一方で、マジックの腕くらべだと感じる人もいるかもしれません。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Alice Harnoncourt (vn)   Nikolaus Harnoncourt    Concentus musicus Wien

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
アリス・アーノンクール(ヴァイオリン)
ニコラウンス・アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 紹介順序を録音日時と逆転させたのにはわけがあります。過激と言え ばニコラウス・アーノンクール(指揮)の演奏も、ノンビブラートでスタッカートを多用し、驚くほど走る部分があ るという、いわゆる古楽解釈の最も先鋭的な形を伝えている一枚だと思います。ソロをとっているのは奥さんのアリ ス・ アーノンクールです。

 このアーノンクール、来日時の様子を映像で見ていると、彼自身がどれほど音楽を豊かに感じているかがわかりま す。そしてその愛情が楽団にも共有されているのでしょう、団員の中に、自分のパートが休みのときに他の楽器の演 奏をリラックスして楽しんでいる人も映っていました。アーノンクールがこういう場を作り出すオーラは彼が円熟し てくるにしたがって強くなっている ようで、CDの演奏も録音日時が現在に近づくほど味わいが増しているように感じます。今は老齢ゆえに海外遠征も控えているようですが、モーツァルトのレク イエムも二度目の録音の方が深みがありました

 ただ、この四季に関しては、前述した通り、恐らく彼自身の経歴のなかでも最も実験的なスタイルになっていると 思います。録音は76〜77年。ビオンディの登場よりずっと前です。ロマン派以降の美麗なフレージングを見直し、生 まれた当時の演奏をモットーにバロック音楽を再構築しようとしたピリオド・アプローチはこうして始まったので す。ビオンディらの個性的な演奏もこの流れの上に出て来たわけで、それが受け入れられるまでにまだ十数年のモラ トリアムが必要だったということでしょう。そんなわけでアーノンクール、実はビオ様より革命的なのです。若いときはずいぶん尖った才能だったアーノンクール。しかし彼一人のせいではないにせよ、その後の音楽界に 「古楽のセカセカした演奏」などという言葉が生まれるような拒絶反応を誘発してしまったとすれば、四季も登場が少し早過ぎたでしょうか。

 

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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Simon Standage (vn)   Trever Pinnock   The English Concert  '78

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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Simon Standage (vn)   Trever Pinnock   The English Concert  '81

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
サイモン・スタンデイジ(ヴァイオリン)
トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート '81
 ピリオド楽器(古楽器)の演奏では、もちろん過激でないものも存在 します。ピノック盤はいつも水準の高い彼らの演奏の例外ではなく、四季でも良識ある絶妙のバランス感覚を見せて います。ヴァイオリンはサイモン・ スタンデイジです。しか実 は、この人たちの同じ組み合わせで 録音は二つ出ています。一つは78年にイギリスのCRDレーベルから出されたもので、ライセンス・プレスによる ブリリアント社の廉価な箱ものも買えます。もう一つはその三年後の81年に 録音されてアルヒーフから出たもので、こちらの方が一般的かと思います(上記写真)。短い間に同じ顔合わせで二回録音した意図はわかりませんが、演奏には 違いがありま す。

 78年の録音の方は、比べると全体にテンポが遅めで、装飾音譜も少なめです。そんななかで夏の第二楽 章には遊びがあり、遅いながら大胆に表情をつけており、反対に冬の楽章はアップテンポで精力的す。モダン楽器の正統派の演奏と違うのはそれら二つの楽章の表情の大 きさと、ピリオド奏法特有のアクセントが過度ではないながら感じられるところでしょうか。全体としては落ち着い た良い演奏だと思います。イ・ムジチなどに慣れた人にはこの録音の方が好まれるかもしれません。アナログ・レ コーディングですがバ ロック・ヴァイオリンの音はよくとらえています。録音レベルが若干低いかもしれません(ボリュームを上げれば解決します)。

 81年のデジタル録音はより表情がついており、一般にはこちらの方がお勧めでしょう。表情といっても奇抜なも のではありません。フレーズを半拍近く遅くとってくっきりと区切ったり、装飾を入れたりと古楽器演奏の特徴を 持っていますが、自然な範囲で気持ちがいいものです。テンポは前のものよりやや速めです。快活な歯切れの良さが 目立っていて音に明るさがあるのがこちらの録音の特徴でしょうか。とくに春の第三楽章では独奏ヴァイオリンの装 飾の入れ方がより自在であり、夏の第一楽章は全体によりダイナミックです。
 ピリオド奏法で一般的になっているボウイング(運弓法)のア クセントも不自然な感じはしません。これは最初を弱く、真ん中でクレッシェンドして強く盛り上げて、最後に緩め る山なりの弦楽器の弾き方(メッサ・ディ・ヴォーチェ)ですが、彼らの演奏では最初が弱くて後で強くする部分が 際立っているようです。しかしアッカルドのようなアクセントの強い感じではありません。
 録音は高域寄りでやや細めですが、最新録音と比べて劣るよう なものではなく、78年盤よりもバランスがとれているように感じます。彼らの演奏はヘンデルのオルガン協奏曲集 やコレルリの合奏協奏曲集など、どれも高いレベルでまとまっていて愛聴していますが、この四季も見事です。派手 な自己PRの場と化す前の、この曲の古楽器演奏のスタンダードだと言ってよいでしょう。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Christopher Hogwood   The Academy of Ancient Music

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団
 もう一つ、ホグウッド盤も古楽の美しい演奏です。 まず、細めのきれいなヴァイオリンの音が特筆に値します。そしてソロは楽章ごとに別々の四人が担当するというめずらしい趣向です。誰の演奏が好きかと聞きくらべてみるのも面白いか もしれません。ピノック盤同様に通奏低音にはリュート系が加わっているようですが、チャンバー・オルガンの方が 目立って聞こえます。

 ヴァイオリン・ソロごとに見て行きましょう。春の楽章はクリストファー・ハロインズが担当します。テンポは全 体にゆっくり目で、鳥を模した音形のところをより鳥っぽくやっているようで、表現に意欲的です。タメがあり、装 飾 もよく付けられており、ピリオド奏法的な運弓のアクセントもくっきりとしています。

 夏の楽章はジョン・ホロウェイの担当ということで、この人も春の人の弾き方と調和がとれています。ワンテ ンポ拍を遅らせるリズムが少したどたどし聞こえるところがあ るくらい、古楽器奏法的です。そして第二楽章では即興による装飾が多くなっており、遊び心と自由さを表したいと いう意図を感じます。

 秋の楽章はアリソン・バリー。これまでは男性のソロでしたが、ここからの二人は女性のようです。そして白組と 赤組とでは表現にちょっと違いがあります。春、夏の男性二人は芸達者で表情が大きく、秋、冬の女性二人は反対に 控えめで、変わったことをしないでじっくり弾いて行くタイプのようです。秋のアリソンの方は弾むとこ ろとゆっくりのところとの対比が見事です。ボウイングも癖のない運びで、装飾音譜もほとんど聞かれません。

 冬の楽章はキャサリン・マッキントッシュです。楽器の音細くなく、中域に艶もあって若干モダン楽器に近い響きです。第一楽章 は少し速めのテンポになっており、軽いスタッカートが目立ちますが、自分らしさを見せようとするような表現では ありません。第二楽章もやや速めですっきり歌わせています。面白いのは第三楽章で、速めだったテンポがここでは ゆっくりになり、夏の楽章でジョン・ホロウェイが見せたような飾り音譜が入っており、男性が担当した 前半部との表現上の調和が図られているようです。ただ、この人自身の性質は、秋のアリソンほどではないもののク セの少ない安定性が持ち味のようです。男女の違いが表れているようにも聞こえます。

 ピノックとホグウッド、これら二つ の演奏は物議をかもす録音の陰に隠れて目立ちません。しかしどちらも味わいのある一枚で、落ち着いた古楽演奏を聞きた い人には最適です。ホグウッドは80年の録音で、ピノックともどもデジタル初期の音痩せが心配されますが、線はやや 細いながらどちらも心地よい音質に収録されています。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Giuliano Carmignola (vn)   Venice Baroque Orchestra

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ジュリアーノ・カルミニョラ(ヴァイオリン)/ ヴェニス・バロック・オーケストラ
 ビオンディ(旧)が登場して以降、イタリアでは99年録音のカルミ ニョラの盤が表情豊か素 晴らしい演奏でした。 ヴィヴァルディが活躍した土地であるヴェネチアの楽団で、こちらは現在の定番的な地位を築いているようです。この人も一連のヴィヴァルディ・シリーズの CDで高そうなジャケットを着てダンディに写真に収まっています。四季のシャツのいかにもイタリアものらしい袖 のゆったりとした裁断
 このカルミニョラ、ビオンディ旧盤と比べて大胆さでは劣らないものの、おどかすようなやんちゃな波長はより 少なく、大人びていると言えるでしょうか。曲自体の流れの面白さを追う聞き方ができることも同じですが、この演 奏にはバロック・ヴァイオリン独特の、繊細に震える音の美しさを楽しむという一面もあります。

 バロック・ヴァイオリンはモダン・ヴァイオリンと比べて色々違いがあります。ネックの角度が緩くて顎当てが なく、金属を巻かないプレーン・ガット(羊腸)弦は張力が高くありません。弓も棹の反りや張力が異なり( 弱く)、毛の方向もダウン側が大きな音になるようにそろえて張ってあります。弓全体も短いようです。このような 特徴を持ったバロック・ヴァイオリンは音量は小さいながら高域の繊細な倍音に特徴があります。モ ダン楽器の方が音量とともに中音域の張り出しがあり、そこが艶に聞こえるところでもあるわけです。余談ですが、 録音の場合はパソコンのイコライザーで7KHzあたりから上を強調するとちょっとバロック・ヴァイオリンに近い 響きとなり、2KHz前後を強調してやるとモダン・ヴァイオリン的な音になります。あくまでも遊びですので実際 の違いは出ませんが。

 ストラディバリウスやガルネルウス、アマティといった歴史的名器は元々バロック・バイオリンの形で作られ ましたが、後に改造されているのでモダン楽器に入ります。ビオンディのバロック・ヴァイオリンは生で聞いても すっきりとした、ストレートな音の傾向に感じましたが、カルミニョラの方はCDで聞く限り、かなり豊かな倍音 が乗っているように聞こえます。このあたりは楽器ごとに大きな差があります。

 さて、音のことばかり触れましたが、演奏はやはり四季のワンノブザベストでしょう。ピノックらよりも後の 世代でありながら、古楽演奏としてスタンダードの地位を築いていることに納得が行くものです。テンポは大胆に動かしますが、それは驚かせよう とした結果ではなく、感情の流れに追従しているように感じます。スローなところでは十分に歌い、アップテンポに おいては気持ちの高まりとともに超速になります。刃物のように切れ味が良く、フォルテも羽のように軽く鮮やかに 弾き切るのです。情熱的なイタリア魂なのでしょう、興奮のボ ルテージは相当高い方です。イ・ムジチが悪く言えばメトロノー ムのように正確だとすれば、カルミニョラは拍の取り方も感情のおもむくままに早く、遅く、ラップのように絶妙に外します。しかし次のワレーズ盤のように滑 らかにつなぐフランス流のフレージングではなく、スタッ カートで短く切って一音ごとで勝負するような方向です。ヴェネチアの光と影、でしょうか。

 カルミニョラとヴィヴァルディのこのシリーズ、録音も優れています。ただ、それ以外の協奏曲のCDに比べて四 季は収録されたのが早いせいか、若干高い音が前へ出ているように感じます。初出の2000年の盤ではそれでもバ ランスが良かったですが、後にDSD方式でリマスターしたもの(ジャケットの四辺が黄色く縁取られているもの) の方は、ケースに「イメンス・ブリリアンス」という シールが貼られてい通 り、高域の分解能を上げる工夫がされているようで、弓の返しなどはっ きり聞こえるものの、元来のハイ上がり気味のバランスが強調されてしまっているように感じます。DSDリマスターシリーズには滑らかな音のものもありますが、このCDについてはオ リジナル盤の方が良いようです。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Jean-Pierre Wallez (vn)   Ensemble Instrumental de France '75

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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Jean-Pierre Wallez (vn)   Ensemble Orchestral de Paris '80

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ジャン・ピエール・ワレーズ(ヴァイオリン)/ フランス室内管弦楽団 '75♥♥
 ここまでは誰もが認める四季の名演奏でした。またもや順序は前後しますが、ここで少し外れてみま しょう。表情の豊かさでそれまでにない境地を拓いたビオンディでしたが、古楽演奏を除いて彼の登場までそういう 個性的な演奏がなかったかというと、もちろんそうではありません。ビオンディほど驚かせる傾向ではありませんで したが、フランスのヴァイオリニストであるジャン・ピエール・ワレーズが75年にIPG レーベルから出したLP、これが大変ユニークでした。演奏はフランス室内管弦楽団です。今や珍盤の類で、昔聞いて印象深かったのであらためて手に入れよう としたところ、結局フランスのオークションに頼らざるを得ませんでし た。したがってこれに言及すること自体オタク的満足になってしまうのですが、よい演奏だっただけに残念です。録音は遠くで反響しているようでありながら強 奏部分で少しメタリックになるものですが、不思議と気持ちよく、リマスターをかけて再販されたらよいのにと思い ます。

 ワレーズのこのレコードの演奏にはうねるような呼吸があります。しかしこれは古楽の演奏ではないので、そのう ねりは歌唱法から出た古楽のイントネーションである「メッサ・ディ・ヴォー チェ」だとは言えないでしょう。その豊かな表情はわざとらしくなく、自発的な愉しみに満ちています。 イタリア系の溌剌とした、あるいは古楽器系のスタッカートで区切りながら身体を捩じって歩くような抑揚ではな く、フランス流儀のしなやかにつないで歌う節回しですが、はじめて聞いたときには大胆だなと感じました。語りと 歌を自在に行き来するシャンソンのようでもあり、イ・ムジチなどの演奏に慣れていた耳には新鮮だったのです。まだ若かったワレーズがここまでのびのびできるのかと驚 くべきなのでしょうか。あるいは新進気鋭だからこそ自由な表 現なのでしょうか。たとえば後述するユリア・フィッシャーと比べると、どちらも自在ながらユリアの方がエナ ジー・レベルが高く、ワレーズはもっとリラックス系のようで す。
 昔憧れて手に入らな かったものを今手に入れて、なんだガッカリということはよくあるものですが、この演奏は今聞いても新鮮です。フランス人には音韻法に独特のセンスがあるよ うです。ただ残念なことは、このヴァイオリニスト、80年に 再録音をしていてそちらはCD化されたにもかかわらず、 そこではこのときの自由さが感じられなくなってしまったことです。録音はその都度の様々な条件を反映するもので すからワレーズ自身が時間とともにそう変化したとも言えないと思いますが、再録音の方が好みでないことはクラ シックのCDではときどきあるものです。新しい方の四季は楽団も変わり、パリ室内管弦楽団となっていま した。どうやらこちらも廃盤のようです。
 ワレーズ / フランス室内の四季、心地良くて最もかけたく なる一枚です。中古レコード店には、たまに出ることもあるのでしょうか。



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
     Julia Fischer (vn)   The Academy of St. Martin in the Fields

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン)/ アカデミー室内管弦楽団(DVD)♥♥
   時代はぐっと下がって、天才ユリア・ フィッシャーの登場です。83年生まれのドイツのヴァイオリニストでピアノも4歳から習っており、十代でユー ディ・メニューイン国際コンクールなど8つのコンクールを受けてすべてで優勝し、あり得べきことか、そのうちの 3つはピアノによる受賞でした。ルックスから他のフォトジェニックなタレントと同じ扱いをされがちで、CDの表 紙はいつも顔写真。しかしこの人は百年に一度の逸材でしょう。ショーソンの詩曲を出したからといってビジュアル 系新人の一人ではないのです。バッハのシャコンヌを早々と録音し、それがこの曲のベストCDではないかというア ンファンテリブルぶりですから! 日本でさほど騒がれていない のは・・・まあいつものことかもしれません。

 さて、彼女は四季も録音しています。ただしDVDです。LPCM なのでCD音質です。専用ソフトウェアでフォーマットを変換すればCDプレーヤーでも聞くことはできます。 プロモーション・ビデオのような構成で鳥のさえずりや小川の音、蜂 の羽音などがわずかにブレンドされていますが、それがかえって魅力を増しているぐらいに思えます。場所はウェー ルズ植物園のドーム球場のような ガラス温室で、土の上に臨時のステージを作り、四季の季節ごとに衣装も時刻も変えて録画しています。「ディレク ターズ・カット」の方を選ぶと園の外の花や小川、輝く雲などがときどき環境ビデオのように映し出される映像にな ります。2001年の収録ですからフィッシャーは18歳。DVDとして見ればそれ単体で美しい芸術作品です。妖 精が自然のなかで弾くという売りだったのでしょうが、演奏の方はどうでしょう。

 まず、内側を流れるエネルギーの高さに驚きます。自信があるのでしょう。高みに向けて抑えるべきと ころは抑える巧みさは、音楽全体の流れに対する彼女の明確なイメージを見せられる思いですが、設計というよりは即興のようにも聞こえます。何を弾かせても 波のように寄せては引くエクスタシーの揺れがあり、顎を震わせて夏の第一楽章二つ目の主題がどんど んクレッシェンドして行くあたりでは、思わずゾクゾクしました。ま た、春の第三楽章でチェロが繰り返しのフレー ズの部分で三音の飾りを強調して遊んでみせると、彼女は思わず笑顔をほころばせます。インタビューでは録音は大変だったと答えていましたが、余裕が見て取 れるところです。わが国では技巧派新人が人気ですが、押しやキレの演出を必要とせず、スケートのテクニシャンが四回転の合間をフリーズした滑りでつなぐよ うなのとは違うのです。姿は可愛らしい少女ですが、さては前世で非業の死をとげた天才が生まれ変わってリベンジに来たのか。
 バロック・ヴァイオリンによる演奏が全盛である今、すべての四季のなかで最高の演奏の一つとして私はこれを推します。え、姿に惑わされてるって?



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       Vivaldi   Violin Concertos (The Contest between Harmony and Invention) op.8: 1-4
       "The Four Seasons"
       Joshua Bell (vn)   The Academy of St. Martin in the Fields

ヴィヴァルディ / ヴァイオリン協奏曲集「和声とインヴェンションの試み」op.8: 1-4「四季」
ジョシュア・ベル(ヴァイオリン)/ アカデミー室内管弦楽団
 次はミスター・ハンサムの登場です。ジョシュア・ベルは67年生まれのアメ リカのヴァイオリニスト。2007年にはワシントンDCの地下鉄駅でストリート・ミュージシャンになりすまし て、 はたして何人が立ち止まるだろうかという企画で話題になったようです。その模様がインターネットに 画像として出ていて楽しめます。結果は数人が後ろ髪をひかれるように立ち止まりますが、すぐに立ち去ってしま い、ほとんど誰も残らないというものでした。最後に公務員の女 性が、「あなたが以前に連邦図書館でチャリティーコンサートをしたのを聞いたことがある、DCではこういうこと があるから素晴らしい」、とお礼を言います。ベルと知っていたのかどうかはわかりませんが。ただ、誰も振り返ら ないというこの結果も人が言うほど驚くことだとは思えません。匿名で才能がわかる人は愛好家の中でも一部でしょ うし、ラッシュアワーではたとえ気になっても立ち止まる余裕はないでしょう。DCではなく、クレモナあたりで、 あるいはパリでやったらどうなのかという興味は湧きますが。

 このジョシュア・ベル、フィッシャーと同じく幼い頃から才能を発揮したようで、ウィキペディアによると家中の 輪ゴムを集めてドレッサーの引き出しに結わえ、それを弾いて母親のピアノを真似たことから両親がヴァイオリンを 習わせたという逸話があるそうで、その後は普通の少年と同じようにスポーツでもなんでもやったということです が、いかんせん、最初から勝ち組のジョッシュは14歳でのデ ビューでした。

 2008年録音のベルの四季、ビオンディやアーノンクールのようなびっくりする仕掛けはありません。全体遅めのテンポ、ワンフレーズごとに区切って行く伴奏の上でベ ルが変化をつけてソロ・パートを弾きま す。爽やかな容貌に似てその抑揚は悪魔的ではないものの、やわらかいレガートでつないで行くフレージングはポルタメントに近いところもあり、一音一音慈し むような丁寧さがありながら軽やかな装飾も加わります。ユリ ア・フィッシャーと比較すると、ベルの方は静かに弾き始めて途中で滑らかに強くしたり(ピリオド奏法を知っている世代です)、急に力を抜いたりというフ レーズの変化はあるものの、「抑えていたところから高まって行く興奮」ではなく、ややオーバーアクション 気味ながらその場その場での粋な表情が見られるもので全体に 少し泣き系かもしれません。爆発的なセールスを記録した「ヴァイオリン・ロマンス」の短調の曲を聞くと、むせび 泣く表現も得意なのだとわかります。そして変なたとえですが、エネルギーの揺れにまかせて行くユリアがセクシュ アルな興奮だとすると、ジョシュアは枕元で甘える愛の言葉という感じでしょう か。言葉に乗せた感情表現に近いものを感じます。彼の技法の魅力をひとことで言うと、ささ やくような弱音、で

 そしてもうひとつ、音色がとびきりきれいです。なにしろ以前持っていたストラディバリを手放して2003年に 新たに手に入 れた新しいストラディバリ・ギブソンは400万ドル弱といいますから、3億円以上の名器です。これで地下鉄駅で ジーンズに野球帽を被って弾いたのですから...
 素直でゆったりした解釈ギ ル・シャハムは美音でも有名ですが、その四季よりもこちらの方がヴァイオリン自体はきれいに収録されているので はないかと思います。オーケストラの低音部 に、ある音だけが強調される部屋の共振が乗ってブーミーになるところが唯一の欠点ですが、細かな倍音の 美しさが補って余りあります。実は、この音に魅かれて何度もかけたくなってしまうのです。紙ジャケットのCDに は2009年のですが、特大顔写真カレンダーも折り込まれています。



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