グリーグの名曲
 ピアノ協奏曲 & ペール・ギュント組曲


griegfrog 
取り上げる CD 10枚
〜ピアノ協奏曲:ユリア・フィッシャー/ アマリエ・マリング/ ハヴィエル・ペリアネス/ ヴァディム・ホロデンコ/ クリスティアン・ツィマーマン
/ マレイ・ペライア/ シャニ・ディリュカ/ ステュワート・グッドイヤー/ レイフ・オヴェ・アンスネス
〜ペール・ギュント組曲 : ネヴィル・マリナー/ アカデミー室内管弦楽団

 ロマン派の作曲家の中で親しみの湧く人物と言えば、恋愛感情をボイラー燃焼させる若き日のブラームスも愛すべき存在ながら、ドヴォルザークとボロディ ン、それにグリーグでしょうか。ドヴォルザークは新大陸に渡ってアフリカ系アメリカ人に親切に教えたとか、毎日楽しみに機関車を見に行っていたという話が 伝わっており、そんなリズムも聞こえる人懐っこいメロディーでお馴染みです。ボロディンは天才化学者であり、生徒たちの福祉に心を砕き、絶望的に思えた結 核の婚約者を何年も待ち続けたということです。民族色という点で彼らと並ぶノルウェーの作曲家グリーグは、髭とぼさぼさの髪のせいか老年期の写真はどこと なくアインシュタイン風でありながら、女性関係では天才物理学者とは異なり、歌曲を捧げてきた奥さんとは最後まで仲睦まじく、自然を愛し、ステージでの緊 張対策としてマスコットの蛙ちゃんをポケットの中で握りしめていたといいます。ロマン派にありがちな自我肥大の問題を感じさせることがなく、北欧情緒の美 しい歌で親しまれています。ヴァイオリン・ソナタのきらめきにはすでに触れましたが、ピアノ小品などのこぢんまりした曲に魅力があります。

 そんな彼の作品の中でも最も有名なのは、オーケストラのペールギュント組曲と並んでピアノ協奏曲イ短調でしょう。他にロマン派のピアノ協奏曲で親しまれ ているものにシューマン、ショパンの1番、ブラームスの2番、チャイコフスキー、ラフマニノフの2番などがありますが、その中にあってもグリーグのものは 最もよく演奏さ れる一曲です。本人も若いときに作曲して生涯直し続けていたという力の入れようで、単に北欧情緒だけでは語れない国際性があると思います。どこかにショパ ンを思わせる響きが感じられる一方で、影響を受けた二十三年前のシューマンのものとよく比較され、反対に三十二年後のラフマニノフの緩徐楽章にはこれに似 た瞬間があります。そしてこの曲が有名になった一因として、滝を模したという始まりのドラマチックさがあるでしょう。ティンパニの連打が極まった最後の音 にピアノの一撃が同拍で入って流れ落ちる。小説で言えばスピード感を出すショッキングな場面を冒頭に持ってきて、それから状況説明を挟むのが売れるための セオリーだ、という感じです。こうした華々しさが随所にちりばめられていてどうかするとのんびりできなかったりもしますが、一方でこの作曲家らしい叙情的 な部分もたくさんあり、剛柔併せ持つ心憎い曲です。

演奏について
 ただし演奏となると満足できるものを見つけ難かったりします。技を見せればやかましく、情に流されれば安っぽくなります。ちょうどいいバランス点は、多 分人によって違うでしょう。華々しいところについて言うならば、力のこもった演奏はたくさん存在しました。リストに褒められた話もあり、この曲には「華麗 なピアニズム」や「ヴィルトゥオーゾ的要素」が見られると言われますから、弾く側も自ずと強く硬質な音にして、明晰さと勢いが競い合ってるようになりがち です。しかし曲自体に要求される技巧は聞いたほどには難しくないのだそうです。そしてこの曲ではないですがグリーグ自身のピアノ演奏も残っていて、何曲か は録音で聞くことができます。軽妙な揺れのあるさらっとしたもので、自在に緩めるところがあって息がつける表現に感じます。このピアノ協奏曲もそうやって 弾くといいのではないでしょうか。頑張らなければ本来どのパートも美しい曲です。
 CD で古くから定評のある演奏をざっとたどってみますと、まずバックハウスはこの人らしく、評論家がアッチェレランドとも評した前のめりに走るところと叙情的 に遅くためるところとがあり、ミケランジェリは速いパッセージで華麗なトリルの連続のように駆けます。反対にルビンシュタインは特有のずっしりしたリズム に特徴があり、リヒテルになると表情が大きくて大変ロマンティックです。リパッティはデモニッシュという評判よりは破綻のない完成度の高い演奏ですが、録 音状態に古さを感じるのは仕方のないことでしょう。カーゾンもこの曲は均整のとれたもので、第二楽章でもモーツァルトのときほどの弱音耽溺の印象はなく、 案外さらっと洗練されています。サドゥのような風貌で「千人に一人のリリシスト」と評され、70年代に人気のあったルプーはここでのバックハウスよりも揺 れ幅が大きく、リヒテルよりもさらにロマンティックなテクスチュアがあるように感じます。常にユダヤ系の人と活動し、遅いところは力を込めて遅く、速いと ころはミケランジェリ同様に駆けて振り幅の大きい人です。これらの大家たちは常に高い評価を得ていますからここで取り上げるまでもなく、評される方たちの 言葉が一番相応しいものと考えます。以下ではもう少し新しい録音を中心にご紹介します。



    fischergrieg.jpg
      Julia Fischer   Matthias Pintscher   Junge Deutsche Philharmonie ??

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
ユリア・フィッシャー(ピアノ)??
マティアス・ピンチャー / ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー管弦楽団

 まず初めに、これは DVD です。CD と同じ 44.1kHz/16 ビットの情報量ですが、CD プレーヤで聞こうと思うならフォーマットを変換して曲間の区切りを変え、 CD-R に焼かねばなりません。なので例外として取り上げます。
 1983年生まれのドイツの女性ヴァイオリニスト、ユリア・フィッシャーについては何度も取り上げてきましたが、ピアノを弾いても三つのコンクールで優 勝するという才能豊かな人です。ヴァイオリンでやって行くことに決めたわけですが、唯一ピアノの音が聞けるのがこの録音です。楽器を持ち替えて二曲を主役 でやるコンサートを収録したものなので、後ろに映る楽団員たちの驚きの賛嘆顔と、ひょっとすると妬みのような表情も見ることができるかもしれません。この 企画、あまりに話題になり過ぎたようで、本人は後に「その話はもういいから」ぐらいに辟易することになったようですが、果たしてピアノの腕前はどんなもの なのでしょう。

 若さと、恐らくは外見もレコード会社としての売りだろうこの世代の女性ヴァイオリニストとしてすぐに思い浮かぶのは三人。十二歳ぐらいから注目を浴びて いたフィッシャー以外に、79年生まれで十一歳のときにリサイタルを開いたアメリカのヒラリー・ハーン、同い年で十六歳から活躍したジョージア出身のリ サ・ヴァティアシュヴィリです。この中で、興奮の度合いを間を詰めた速さとストレートな強さでは出して来ない方に寄っているのがユリア・フィッシャーで しょう。誰の腕前が優れているということもないと思いますが、フィッシャーは技巧を前面に出すタイプではなく、常に微妙な揺れがあり、間を取りつつ奥の方 から二次曲線的に熱くなるという風情です。十分に熱いのに攻撃的でないところが好みなので注目している現代の演奏家なのですが、そういう性質は分かりやす い方向でないせいか、最近はどんどん CD をリリースしている様子でもないのが残念です。古楽の潮流のあるものが出し難いだけで、単に自分があまり聞かないロマン派作品の方を向いているからそう感 じるのかもしれませんが。

 わざわざこれを持ってくるか、と言われそうですが、単にヴァイオリンの名手がピアノをやってみたというだけでもないのです。そして聞くのが fun だからであって、fan 心理からでもありません。そもそもこの曲は華やかな部分で気張ると騒々しくなると最初に述べました。そういうのは好みの問題ですが、グリーグ自身はそちら の方向では弾かなかったことにも援護されてるつもりです。そして落ち着いた美しさを感じさせる演奏となると数に限りがあるわけです。ユリア・フィッシャー はヴァイオリンのときでも技巧を見せる方向には弾かないわけで、同じ人ですからピアノでも音楽のつかみ方は同じになります。打鍵楽器であるピアノはヴァイ オリンのようには強弱を滑らかな線的連続で表現しにくいものの、揺れと曲線的な高まりを見せるヴァイオリンの名手はグリーグでも曲本来の内面的な歌を聞か せてくれます。技術的な問題は全く感じません。

 熱いのに大仰にならない演奏です。間を感じさせ、頭から叩きつけるような攻撃では来ません。第一楽章から落ち着いていて、テンポはこの人らしくやや遅め でしょうか。走ることなく感情を高ぶらせて行きます。微細な揺れはヴァイオリンでの方が表現しやすいので、あれがこうなるのか、という楽器の違いを味わえ て知的好奇心が満足させられます。
 第二楽章の歌わせ方にはピアノなりの揺れがあり、やはり落ち着いていて内側に歌を持っています。フィッシャーらしい寄せては返す波のようなところが出 て、明るい夕暮れの中に立つとでもいうか、鮮やかな色を感じます。はっきりとしたタッチでコントラストをつけるように鳴らし、弱々しく消え入るようには情 緒を表しません。長い流れの中で要所の拍の頭に力を入れ、リズムが隠れていることを示す読みの確かさもあります。速いところも丁寧さを失わず、我を忘れて 走ったりしません。こういう高まりはいいです。
 第三楽章も明確なフレージングで、ピアノに持ち変えるとこうなるか、とここでも思います。もっとやわらかい波でくるかと思いきや、この人の激しさがエッ ジの立った強さに出るのです。誇張し過ぎかもしれませんが、この曲の音の大きくなるところでも良いと思えたのは初めてかもしれません。この楽章での盛り上 がりはとにかく感動的です。ラストに向って間を詰めないくっきりとしたタッチでどんどんエナジーを高めてくるところは、バッハのシャコンヌで恋愛感情のよ うな高まりを見せていたときの、あの情熱です。  

 レーベルはデッカ、2008年フランクフルトでのライヴ収録です。中身に焦点のあった、こんな有機的なグリーグはなかなか聞けないのでは?



    mallinggrieg.jpg
       Amalie Malling   Michael Sch?nwandt   Danish Radio Symphony Orchestra ??

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
アマリエ・マリング(ピアノ)??
ミカエル・シェーンヴァント / デンマーク放送交響楽団

 技巧を見せるのではなく音楽の呼吸を伝えるグリーグの協奏曲 CD として、1948年生まれのデンマークのピアニスト、アマリエ・マリングが一際光っていました。また女性の演奏ということになります。これはまるでグリー グ自身が弾いているような、とでも言いましょうか。エドヴァルド・グリーグのピアノ演奏は1900年代頭のものが古い録音とロール・ピアノとによって残っ ており、CD でも聴くことができます。粋に拍を動かし、間をとって緩める落ち着いた波長と歌い方がこのピアニストと似ています。グリーグの方は揺れがもう少しあります が、それはルバート奏法と言っていいかどうか、数拍分速くなったり、ふらっと遅くなったりするような種類で、20世紀初頭のピアニストたちには共通の語法 でした。あまりやり過ぎると歌手がビブラートで音程をカヴァーするようにタッチをごまかしているのかと思えてきますし、投げやりな印象にもつながります が、グリー グのはそこまでは行かないようです。コルトーやもう少し後の新即物主義とされるギーゼキングなどにも聞かれる独特の間合いです。マリングはそういう部分を 除いて、グリーグならこう弾いてほしいんじゃないかなと思える運びです。フィッシャーの内なる情熱というのとはまた少し違う落ち着いた美しさに満ちてい て、現代曲もできるスコア読みの確かさによって曲の本質をつかみ出す、グリーグのピアノ協奏曲のベストとして挙げます。

 このピアニスト、ブレンデルと一緒に活動していた時期があり、スカンジナヴィアン・ピアノ・コンペティションで一位を取って現代作曲家の献辞も受けるの だそうですが、CD は多くはなく、日本ではあまり知られてこなかった存在かもしれません。第一楽章ではやわらかくゆったり、それでいてフィッシャー同様タッチはくっきりと歌 わせます。オーケストラともども余分な力が抜けていていいです。この伴奏は大変上手いと思います。ピアノは拍を少し遅らせる手法が聞かれ、その崩しが心地 良いです。皆が走るところで落ち着いて進め、声高に叫ばない一方で、弾むように区切れたリズミカルな感覚に乗れます。一番特徴的なのは間が十分にとれてい ることでしょう。力を抜いて楽しみ、味わいながら弾いているようです。したがって作曲家の中から出てくるときはこういう音だったろうと思えてくるのです。 うるさくならないのでどの音も聞いていられるというのはこの曲では珍しいことです。しっとりとしていますが、しかしセンチメンタルというのとは違う大人の 味わいです。
 第二楽章もゆったりしていますが、遅過ぎることはありません。弱くして霧の中に埋もれるような表現ではありません。キラキラと粒が立ち、エッジがくっき りとしています。ここでも間を楽しんでいます。こういうバランスの感性はなかなかないでしょう。心満たされた人が自然の美を愛でているような成熟ぶりが美 しく、倫理的ですらあります。
 第三楽章はくっきりとして十分迫力もあります。やはり飛ばさない分だけ一音ずつのリズムの刻みが心地よく聞けます。中間部のスローなところのなんと美し いことでしょう。フルートと弦もきれいな音で、明るい湖面に反射する光を見ているようです。トゥッティもノイジーになりません。エンディングに向けてはス ケールは大きいけども堂々と落ち着いており、官能・興奮度の高いフィッシャーとは違う種類です。ラストはじっくりと進めて愉悦を感じさせ、喜びへとクレッ シェンドして行きます。他と全く異なるテイストで、別の曲のような歓喜の音で終わります。

 英シャンドス1998年の録音は音に隙間があるので自然です。オーケストラのバランスがまた良いです。



    perianes.jpg
      Javier Perianes   Sakari Oramo   BBC Symphony Orchestra ??

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
ハヴィエル・ペリアネス(ピアノ)??
サカリ・オラモ / BBC 交響楽団

 1978年生まれのスペインのピアニスト、ハヴィエル・ペリアネスです。これも落ち着きと軽妙さがあり、息のつけるところのある第一候補の魅力的な演奏 です。出だしから演奏解釈の形としてすごく変わったところはなく、素直で力強さもある表現ですが、静かなパートでの歩調を緩めた繊細な呼吸が素晴らしい です。変わったところはないと言っても瞬間的なテヌートを加えたりの工夫はあって、大変知的です。次に取り上げる同じハルモニア・ムンディの USA 盤と比べると工夫が多いとも言え、鋭角的な立ち上がりと切れも聞かれます。大胆に遅くしてコントラストをつけるところもありますが、嫌みにはなりません。 そしてデリケートな表情に震えるようなオラモの伴奏のオーケストラがまた素晴らしいです。全体に完成度が高いという印象です。
 第二楽章は風情がありますが、あまり遅くはやりません。オーケストラの伴奏からそういう設定なので、話し合った結果でしょう。弱音でも陰にこもる感じが せず、デリケートで情緒豊かなのですが、どこかさわやかな明るさがあって大変美しい緩徐楽章です。この人はこういうところに一番の魅力があるでしょうか。
 第三楽章は後でご紹介するツィマーマンよりも前へ転がるように勢いが良いところがあり、そういう意味での興奮度は高いと言えるでしょう。フィッシャーの ように内側からどんどん熱くこみ上げてくる感覚というよりも、健全なバランス精神と良識を感じます。とにかくセンシティヴです。そしてラストではブラスに クレッシェンドの表情があり、オーケストラとともに盛り上がって感動的です。

叙情小曲集
 この盤は叙情小曲集(Lyric Pieces) がカップリングになっています。これもグリーグの魅力を伝える代表的な作品ですが、小曲の数が結構あり、ここでは選集となっています。そしてその曲の選び 方にセンスを感じます。この盤の一番の魅力はこの曲集かもしれません。ここでは?三つ付けたいぐらいです。グリーグのピアノの小品にはユーモラスで面白い 動きのある曲と美しい叙情性を感じさせる曲とがありますが、この人は一般的に選ばれがちな有名作品ばかり持ってくるのではなく、しっとりとした美を感じさ せるものを中心に取り上げています。アンスネスの協奏曲旧盤も同じ小曲集との組み合わせでしたが、そちらは速く流したり大変ゆっくりだったりでメリハリが あり、このペリアネスの表現とは目指すところも選曲も違います。したがって曲集も別物に聞こえます。アンスネスのように弾く人の方が主流で、リリック・ ピースと言えばああいう感じが王道でしょうが、個人的にはこのペリアネスが大変好きで、叙情小曲集はこの盤で、そしてここに選ばれているだけで満足してし まうところもあります。
 演奏は自然な静けさがあり、声高に主張しない流れにわずかな揺れを加え、基本は落ち着いています。やはりセンチメンタルにならず、動きのある曲も入れて いますが、面白さを強調し過ぎません。op.54のV Trolltog Allegro moderato でもむやみにガチャガチャと弾かないのです。軽やかにリズミカルに、自然な強弱を滑らかに付けて行きます。なんか、ジャズ・アレンジャーのデイヴ・グルー シンのピアノ・ソロの曲に時々似てるように感じさせるおしゃれな感覚です。もちろんデイヴ・グルーシンがグリーグに似ているのですが。 ヴァイオリン・ソナタの第二楽章で感じた、あの魅力的なきらめく静寂の世界です。

 ハルモニア・ムンディ・フランス2015年録音はピアノの輪郭が艶で覆われるというよりも、強打で明るさがあり、芯のある美しい音です。管弦楽は弦がさ らっとした倍音の質感で、分解されて固まりません。



    kholodenkogrieg.jpg
       Vadym Kholodenko   Miguel Harth-Bedoya   Norwegian Radio Orchestra ??

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
ヴァディム・ホロデンコ(ピアノ)??
ミゲル・ハース=ベドーヤ / ノルウェー放送管弦楽団

 ユークレイン出身1986年生まれのヴァディム・ホロデンコの演奏は同じハルモニア・ムンディはフランスの方のペリアネスと比較して工夫に溢れているわ けではないようなことを言いましたが、それがどうして、これも誠実さを感じさせる気持ちの良い演奏です。力で押し切らず、この演奏を最初に聞いていたら曲 を無条件に好きになっていただろうパフォーマンスとでも言いましょうか。やわらかさがあり、いい意味での重さも少しあるかもしれません。
 出だしからまっとうな正攻法の落ち着いたアプローチで、確かに変わった表現はないですが、走ることなくおっとりしており、丁寧さとやさしさを感じます。 第二楽章は粒をキラキラさせずに静かに弾きますが、遅過ぎず、耽溺もしません。一音ずつを丁寧に扱い、その音の美しさを聞き分けるようにしてベストの強さ で弾いているのかな、と思わせます。ロシアで学んだ人だからといって力で来るのではなく、強く叩き過ぎることがありません。もちろん最近の人は男らしい ヴィルトゥオーソという一頃のステレオタイプでは言い表せないわけですが。複雑な歴史からこの国の人がロシア人と間違われたくないのかどうかは知りません が、何でしょう、地味だけどセンスが良いのです。健全さを感じさせると言ってしまえばペリアネスとの違いが分かり難いかもしれません。敢えて表現すれば、 敏感な揺れと動きでシャープな一面も出せるポテンシャルを持ったペリアネス、音の丁寧さでホロデンコという感じでしょうか。音色も尖り過ぎないピアノの艶 がすごくきれいです。ラストでも力一杯行くのではなく、ゆったりしたテンポで堂々としています。大きさに包まれ、じわっと来ます。いいピアニストです。

 レーベルはハルモニア・ムンディ・アメリカで、ペリアネス盤の一年前、2014年の録音です。指揮者のミゲル・ハース=ベドーヤはペルー出身で、管弦楽 はグリーグの国の人たちです。低音に裏打ちされ、カップリングのサンサーンスのピアノの音もやわらかい艶があってすごくきれいです。



    zimermangrieg.jpg
       Krystian Zimerman   Herbert von Karajan   Berliner Philharmoniker ??

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)??
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィル

 さて、一般にはこれが真打ちではないかという演奏です。18歳でショパン・コンクールの一位となった後、その完璧な技巧には折り紙付きというポーランド 出身のビッグネーム、クリスティアン・ツィマーマン(ツィメルマン)です。ピアノの構造にも明るく、コンサートでは自前のピアノで弾くそうで、東京に家を 持つ親日家ということで日本でも大変な人気です。
 この演奏に異議を差し挟もうとするのは大変難しいでしょう。どの瞬間も微分すれば指に対して完璧な瞬間速度で、音色も制御されていて脱帽ものです。少し の無理もなくやすやすと進めるので、技巧を前に出している感じにもなりません。レトリックではありますが、やかましいところもやかましくならない。速い パートも優雅ですらあり、リタルダンドも余裕です。面白い崩しはありませんが、もはやこれは歌わせ方が好きとか、感じられる人柄が好みだとか言っている次 元ではなくて、隅々までとにかく上手いことが先に来ます。その結果雑音が消えて、表現の静けさではなく、音に静けさが出るのです。それを気品と呼んでもい いでしょうが、ソフトウェア上の気品ではなくてハードウェアのものです。喩えて言うならヨーロッパの音響機器が楽器を熟知して音のバランスを整えるのに対 して、アメリカのものが圧倒的な物理特性でリアリティを追求するようなものかもしれません。どちらも上手く行けば最終的には美しくなります。それでももし この人の性格について感じようとするなら、全てをコントロール下に置こうとする生真面目な性質ということになるのではないでしょうか。それが行動として表 れると、レポートされているように倫理に厚い正義の人なのかもしれません。

 第一楽章後半での盛り上がりではものものしいほどに間を取り、だめを押すようにゆっくりな進行もあります。そういうところでは
音と音の無音の間に想定され るやわらかな連続線がないように感じられ、沈黙が重くなります。これは後期ロマン派の深刻な気分の表現にはぴったりな気がします。やや無機 質に感じる一方で、スケールの大きな名演とも言えるでしょう。
 第二楽章もこの人らしくかなり遅い方で、弱い音は非常に弱いけれどもこれまたセンチメンタルというのとは違います。最初の拍をため気味にしてゆったり区 切って弾いて行きます。静けさという意味では一番かもしれません。繊細な伸び縮みと強弱の波が前に出ないことで、逆に静けさが浮上してきます。第一楽章の 後半と同様、音の間に風が吹くようなペライアなどとは違っていて、同じテンポを取っていても無の中で待っているかのような間が感じられます。そうして静寂 に包まれ、そこからダイナミックに速くなると強いコントラストが付きます。第三楽章全体とラストも鮮やかで曇りがありません。

 それにしても圧倒的なピアノの音のきれいさです。金属的な濁りに寄らず、ぴんとしていて被ることもなく、細身ながら芯のある絶妙の艶です。録音の良さか 楽器の調整かタッチかというバランスは私には分かりませんが、ピアノは選ばれたものを入念に調整しており、この音を目指してコントロールされていることは 確かだろうと思います。ツィマーマンのグリーグ、この曲に多くの人が期待することが全てあるでしょう。ラヴェルでも他のでもそうでしたが、好みの感情方向 とはちょっと違うような気はしていても、最終的にはこれが一番かと思わせられてしまう完成度を常に出してくるピアニストです。揺れがない分お国もののショ パンはどうかと思うものの、 ショパンも本人はあまり揺らさなかったというから、結局オールマイティな人ということになるのかもしれません。

 ドイツ・グラモフォン1982年ディジタル録音です。ピアノだけでなく、管弦楽も良いバランスにリマスターされています。カラヤンとしては最後のコン サートまであと六年というところで、大きくてやや無機的な音を響かせることもあった時期だと思いますが、ここでは流麗で細部まで不満がありません。

 

    perahiagrieg.jpg
       Murray Perahia   Colin Davis   Bavarian Radio Symphony Orchestra ?

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
マレイ・ペライア(ピアノ)?
コリン・デイヴィス / バイエルン放送交響楽団

 ペライアについてはバッハなどの記事でやわらかな抑揚があるけれども哀しみが乗るときがあると言ってきました
が、このグリーグではその湿り気のあるソノリティをあまり感じることなく美しさを堪能できまし た。静かなところで彼のデリケートな美点が遺憾なく発揮されていると思 います。戦 後世代のジューイッシュで洗練が命の人という印象であり、好きなピアニストです。フォルテの音の重なりでは一頃のアシュケナージにあったような軽く華やか な金属性の倍音が乗ることがあり、80年代的な録音の特性のように感じられますが、速い楽章よりもゆっくりのところに特徴の出る演奏ですので問題はありま せん。

 速いパートではペライアらしいためや揺らしが出る方向ではなく、第一楽章では意外性はなくすっきりと流す印象です。わずかに間をとるやわらかさと、走っ て行って流れの終わりですうっと緩めるところがわずかにこの人だなという気がします。
 一方で第二楽章はまるでラフマニノフの2番のように、夢見るように美しいです。こういうものをこそ求めていたという人も多いのではないかと思います。コ リン・デイヴィスがよく合わせて歌わせているのも興味深く、ベルリオーズの緩徐楽章でのあのあっさりとした表現の人と同じには聞こえないなと思いました。 静かな間があり、やわらかな風に揺られるようです。ピアノもゆったりした旋律の扱いでは次のシャニ・ディリュカよりもむしろ流動性があります。第三楽章は もう少し落ち着いていた方が好みではありますが、軽さがありながら、この人としては熱い乗りです。1988年の録音です。



    shanidilukagrieg.jpg
       Shani Diluka   Eivind Gullberg Jensen   Orchestre National Bordeaux Aquitaine ?

    road66.jpg
       Road 66   Shani Diluka

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
シャニ・ディリュカ(ピアノ)?
エイヴィン・グルベルグ・イェンセン / ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団

 ペライアよりさらに弱音でたっぷりと歌うのがシャニ・ディリュカです。珍しい出自で両親はスリランカの人、モナコで生まれ、グレース王妃(女優だったグ レース・ケリーです)が始めた、才能ある子に音楽教育を援助するプログラムで出て来た人です。1976年生まれで、このグリーグが初 CD です。

 第一楽章では思い入れのある遅さが聞かれます。ペライアはここではそうせず流していました。そしてそこからの力を込めた情熱的な盛り上がりはスケールが 大きく、洗練よりはたっぷり歌う方へ表現の幅を広げようとしているようです。一方で走らないで軽さが聞かれる瞬間も、速く駆けるパートもあって立体感があ り、多彩な人です。こういう性質はヨーロッパ文化圏で共有される空気とは若干違いがあるのかもしれません。中国系の人にも同じようなことを感じたことがあ りますし、大きな物語はヨーロッパの演奏家だと80年代以前のスタイルを思わせもしますが、音楽に進化があるわけでもないのでそういう時間軸での典型化も 失礼でしょうか。大家の風格です。
 そして第二楽章の弱い音のなんと弱いことでしょう。バッハでのペアイア、モーツァルトでのカサドシュを上回るかのようです。現代の人だけにフレーズは重 くはならないのですが、ペライアに聞かれる以上に哀しみを乗せてくるところがあると思いました。それが一番良く分かるのはむしろカップリング曲となってい る叙情小曲集の中の静かなパートのタッチと、彼女の選曲によるアメリカの作曲家を集めた2013年発売のアルバム、「ロード(ルートではなく)66」かも しれません。このアメリカ横断66は大変美しい曲揃いで、ECM 時代のパット・メセニーとライル・メイズか何かのようですが、いかんせん哀しい感覚に囚われます。自分の感情の投影だろうと言われればその通りで、同じ心 を持っているのでちょっとやめようかと思いながら、ただ美しくて魅惑されてしまうわけです。自我の働きとしてはみな今にいないわけですが、ロンギング66 というか、それは遠い未来に憧れを投げて待っている人の感覚です。彼女の中に何かそういう想いがあるのでしょう。ワルツ・フォー・デビーなど、ビル・エ ヴァンスのリリシズムとは全く印象が違って驚きます。叙情小曲集の方は暗い情念寄りの曲やリズムと動きのあるものも選んでいて前述ペリアネスとは趣が異な りますが、やはり静かなパートでは満たされない憧れに浸るところを感じます。 
 第三楽章は一転してスピード感ある出だしで、十分な迫力があります。この楽章は中間部の静かなところを除いてトータルでそんな感じです。ラストで盛り上 がる悠然とした迫力は、内側から膨らむユリア・フィッシャーともまた違うアプローチです。

 2007年ミラーレの録音です。フランスのオーケストラで、指揮者のイェンセンはグリーグと同じノルウェーの人です。

 

    goodyeargrieg.jpg
       Stewart Goodyear   Stanislav Bogunia   Czech National Symphony Orchestra

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
スチュワート・グッドイヤー(ピアノ)
スタニスラフ・ボグニア / チェコ・ナショナル交響楽団

 面白いと言っては失礼ながら、個性的な演奏はグッドイヤーです。ラヴェルのところでも取り上げましたし、ベートーヴェンも出していて、不思議な感覚で す。思い入れという点ではシャニ・ディリュカとは正反対と言えるでしょうか。ディリュカの二歳年下で、今の世代だからこその弾き方だと思います。出自には 関係ないでしょうが、この人はアフリカ系カナダ人です。

 余計なものはすっぱり切り捨てて行きます。その潔さは痛快です。最初の部分では頭の間を詰め、後ろで延ばす運びが聞かれますが、その後は間をとるかと思 うと快速で走ります。どんなに速く弾いても急かされてるという圧は感じません。速いところと遅いところのコントラストがありますが、深刻だったりロマン ティックだったりの心を込めてそうしているわけではありません。ただコントラストを楽しんでいるのでしょう。まるで音楽は感情を運ぶ器ではないと言ってい るかのようです。遊びがあり、ジャズの乗りというのか、リズムの勝利です。たとえパワーがあっても男らしいとかの余分な思い込みは乗らず、したがって勢い 込んで全開炸裂になってもやかましくなく、スタインウェイらしい芯のあるキラキラした音が心地良いです。これはグリーグというか、まあ、グリーグなので しょう。間違いなく一番歯切れの良い演奏で、余裕でスポーツを楽しんでいるような純粋な音の愉悦を味わえます。  
 第二楽章はさらっと速めで、途中で駆けます。そしてまた力を抜いて遅くする。緩徐楽章の情緒というものとは違うリズムの彫琢です。ここも硬質な艶のキラ キラした音がきれいです。
 第三楽章は快速で重くなりません。力で押さない軽やかさがいいと思います。あまり褒めるとマイノリティに対する是正措置のように思われますが、この人を 聴くときは期待のチャンネルを一つ変えましょう。さほど変わったことはしないラストもどこかお祭りのように明るい波長を楽しめます。

 2013年の録音で、ピアノはニューヨークかと思えばハンブルク・スタインウェイです。お抱えピアニストになるのでしょうか、スタインウェイとしての CD であって、レーベルは Steinway & Sons です。



    andsnessgrieg2002.jpg
      Leif Ove Andsnes   Mariss Jansons   Berliner Philharmoniker

グリーグ / ピアノ協奏曲イ短調 op.16
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
マリス・ヤンソンス / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 お国ものということかもしれませんが、グリーグと同じノルウェー人のピアニストで人気なのは70年生まれのアンスネスです。繊細な演奏者という評を聞く と、感情に即応した形で微細な強弱がつき、大げさにならないテンポの揺れが聞かれるような種類を想像します。しかし別の感覚で捉える人もあるでしょう。そ れはやや速めのテンポでさらさらと流しながらストレートな高まりを見せる、淀まない水のように直截な演奏をそう感じる場合です。

 遅く静かなところではテヌートを用いたりしてゆったり弾きますが、ためを用いる方でなく、強くなるとためらいなく前へと出ます。その思い切りの良さはあ る種マンリーな感覚を伝え、男性として小さいことで思い悩まず、一気に解決を目指す潔ぎ良い人のようです。自分には休める止まり木がないようにも感じまし たが、あっさりして大変素直と言うのが良いでしょう。出だし以外のところでも川のように流れ落ちる快速が聞かれ、技術を堪能できるのが好きな人には胸がす くかもしれません。
 第二楽章も同じ意味でさわやかです。ためないこだわらないの運びで、きれいだけど全く耽溺しません。といってもグッドイヤーのようなリズムの遊び場では ありませんが。第三楽章も前へのめるリズムではないですし、他と比べて最も速いテンポでもないものの、快適に飛ばす感覚はあります。ラストもストレートに 終わります。

 表現としての全体の形はオーソドックスなもので、揺らぎや崩しは目指しません。もしジャケット写真に持ってくるような北欧の静まり返った景色を期待され るなら、第二楽章よりも第三楽章中間部のスローなパートでしょうか。北欧情緒の本体が何かはよく分からないながら、その言葉は私にはあまり当てはまらない ようにも思え、世の中の評とは反対に感じる演奏でもありました。均整のとれた名演でしょう。

 アンスネスは1990年にもエラートからこの曲を出していましたが、そちらは速いパートの基本設計は変わらないものの、全体にさらさら流れる演奏だとは 言えず、遅いところはもっと遅く、強くてゆっくり区切る部分もあったりして全体にメリハリがついている印象です。洗練されていてピアノの音にも潤いと落ち 着きがあるのはヤンソンスとのこの新盤ということになるかもしれません。2002年の EMI です。

                                                            arabesque4.jpg

    griegpeergynt.jpg
       Peer Gynt Suites   Neville Marriner   Academy of St. Martin-in-the-Fields ??

グリーグ / ペール・ギュント組曲〜管弦楽名曲集
ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
??
 グリーグの作品のうちで最も有名で、親しみやすい旋律のオーケストラ曲 についても一枚挙げてみます。ご存知のペール・ギュント組曲です。「人形の家」で有名なイプセンの戯曲に付けた音楽で、ノルウェーではなくモロッコの情景 描写である「朝」や、主人公のペールギュントに置いて行かれ、最後まで待ち続ける恋人が歌う「ソルヴェイグの歌」の澄み切った美しさは誰しも耳にしたこと があるでしょう。「オーゼの死」はさくらさくらの原曲となる葬送の音楽かと思えますが、ペール・ギュントの母が息を引き取る場面です。
物語自体は荒唐無稽な展開に感じられるものの、民話を元にしたものなので神話のアー キタイプとして理解すべきなのでしょう。

 ネヴィル・マリナーとアカデミー室内管弦楽団の CDは
智に働かず、情に棹ささずの 均整のとれたきめ細やかな演奏がグリーグに理想的であり、また録音もオーケストラものとしては最高の出来の一つだと思います。瑞々しくふくよかで、オー ディオ機器が自然な音色かどうかをチェックするのにも最適です。ペール・ギュント第1組曲 op.46、第2組曲 op.55 に加えてホルベルグ組曲 op.40、二つの悲しき旋律 op.34、ピアノ曲からの編曲である「二つの叙情的な小品」がカップリングされています。頭にホルベルグ組曲を持って来て二つの悲しき旋律へと続ける選 曲も良く、最初の曲から惹き付けられます。 そしてピアノ協奏曲のように元気過ぎるところもなく北欧情緒に魅了されたままペールギュント組曲へと流れ込み、二つの叙情的な作品の夢見るような「ゆりかごの歌」で締め括ります。一分の隙もあり ません。

 ヘンスラー1994年の録音です。



INDEX