トロイメライ 〜 シューマン「子供の情景」  

schumannhaus
  Schumann House, Leipzig

取り上げる CD19枚(録音年代順): コルトー/カーゾン/ハスキル/ホロヴィッツ/ケンプ/アラウ/ブレンデル/アシャツ/アルゲリッチ/ピリス
/カツァリス/アシュケナージ/ヤンドー/ルプー/シャオ・メイ/シュタイアー/シフ/ル・サージュ/プーン

「トロイメライ」を取り上げます。クラシックの入門的な小品としても大変人気のある美しいピアノ曲です。よく恋愛ドラマ、主に海外作品でしょうか、で恋人が弾いてくれる愛のテーマのようにして出て来るという意味で、ドビュッシーの「月の光」と双璧かもしれません。作ったのはシューマン。一方でこの作曲家自体は、誰が好きかと聞かれて彼の名を挙げたりすると、クラシック・ファンの間でもちゃんとした音楽教育を受けて来たんだなという感じになり、音大卒だと見られたり、演奏家かピアノの先生ぐらいに思われたり、あるいはかなり主張してる感じになったりするほどに人気が上位には入って来ない人、かもしれません。作風から「詩人」のようにも言われることがあり、その中で最も有名なのが「トロイメライ」ということになります。


作品の特徴
 そのロベルト・シューマン(1810-1856)ですが、区分としてはロマン派に入り、独特のスタイルで主観的感情を描くという意味ではまさにそうかもしれないけれども、歌曲とピアノ曲で特に評価されています。それ以外ではピアノ協奏曲は有名で、後はそれほど一般的ではないかもしれないけど交響曲もそれなりの知名度があります。しかし編成が大きいと重く音が重なる傾向があって好き嫌いは分かれるようです。室内楽ではピアノ五重奏でしょうか。また、一般的にはメロディーには始まりの部分があり、そこから山を描いて収束するものだけれども、シューマンの曲には「それでね」から喋り出すような、途中の展開部分から始まってそのままさらに独り言が繰り広げられて行くような造りの曲が多い印象で、トロイメライのようにすぐさまそれと気づく美しいメロディーの作品はむしろ例外的でしょう。その辺が詩的だけど内向的で分かり難い作曲家だと言われる理由な気もします。加えて一つのことに固執すると言うとなんですが、性格からも来るのでしょうか、特定の音型を熱中して繰りす傾向が情熱のほとばしりと同居するようなところもあり、そうした展開部分では技法が評価されたりする一方で、編成の大きくないピアノ曲であっても傾聴が持続しなくなったり、その強い音自体が苦手という人もいることでしょう。こうした一種の難解さは少なからぬクラシック・ファンを挫折させるところでもあるようで、そのうちいくらかの人々は単なる好き嫌いを超えて学問のように捉え、長い経験を経てようやくこの作曲家の真価が理解できた、あるいはいつか理解できるようになりたいといった垂直的な価値を見出そうとします。本格的な研究家もそれぞれ独自の概念を駆使して解明に臨み、書籍論文を発表するといった具合です。このように音楽を感性で捉えるだけでなく理論化しようとする試みは音楽史自体が根本に持っているものではありますが、シューマンとなると同じ時代を生きたショパンよりも秘教的な印象を漂わせ、感性を一つにした人々の間でマニアックな支持を集めているようです。日本ではそうしたシューマン愛好家の方々がマニアの意味を含ませ、「クライスレリアーナ」にかけてサボテン族と同じような名称で自分たちのことを呼び習わす慣習もあります。

 よく言われる技法的な特徴はというと、バッハを敬愛していたシューマンはその時代の対位法(ポリフォニー)的な要素を取り入れていて単純ではないということです。これはこの作曲家が高く買われている部分でもあり、例えば左手が一つの声部を弾いている中、その上と下をクロスする形で右手が別々の声部を往復弾き分けするような曲もあります。トロイメライに限っても、出だしのド・ファーで四分休符が来て F のコードが鳴りますが、その F がすでに別の声部になっているし、そこから上昇下降をするミファラド・ファファー/ミレドファ/ソラ♭シレ/ファソラド・ソーまでの右手が一つの歌(声部)になっており、その最後の音に被せて左手がドレド♭シソラ/ファーと来る部分がそれとは別の声部だというのは分かりやすいでしょう。ピアノの先生だったらシューマンを弾くときは内声部の存在をよく意識して弾き分けるように、と指導するのかもしれません。このようにポリフォニックな特徴を持つシューマンはその意味でも玄人受けする部分があります。後で触れますが、シュタイアーが「バッハに捧げる」という意味のタイトルをシューマンのアルバムに付けているのも、またシフの演奏が、彼のバッハを彷彿とさせるようにリズミカルに明晰に音を区切って進める(個人的にそう聞こえるのですが)のもこうした対位法的な性質を意識してのことなのかもしれまん。とにかく単純ではないのです。以上のようなこともあり、このページでは「美しい五月に」の入っている最も知られた歌曲集「詩人の恋」と、交響曲の第4番だけを過去に取り上げるにとどまっています。そんなわけで全ての作品とは行かないと思いますが、それでもときに他では味わえない繊細な美しさを持った歌を聞かせるシューマンは、大変魅力的な作曲家だと思います。

 ではそのシューマンのことについてざっとおさらいというか、最初に大雑把に記してみます。


シューマンという人
 生まれたのは1810年、ライプツィヒやドレスデンのあるドイツの右下の方、ザクセン州の都市ツヴィッカウというところです。お父さんは文学を志した人で本屋、及び出版業を営んでおり、裕福な家庭でした。小説を書くだけあって芸術全般、音楽にも理解があり、息子がその才能があると知ると色々と応援しました。お母さんは歌が得意でピアノも弾け、音楽の素養がありました。したがって本人も小さいときからピアノには触れていました。七歳ごろから一段と興味が湧き、十歳でギムナジウムに入ると教会オルガニストのヨハン・ゴットフリート・クンチュという人に本格的にピアノを習います。1828年、十八歳のときに後に妻となる九歳のクララと初めて会うのですが、その父フリードリヒ・ヴィークも有名なピアノの教師であり、厳格な人という噂だったけれども師事します。これが後の争いごとにつながって行く一方、そうやって音楽一筋のように見えていながら、父の死後の母の望みもあって大学では法律を専攻します。ライプツィヒ大学でした。そして情熱は音楽にあったのでピアノは続けたものの、指の故障でピアニストはあきらめることになり、その後作曲家を志します。


恋愛と遊び
 さて、トロイメライが恋愛感情に関係があるということで、ご本人のアフェアについても触れましょう。初恋かどうか分からないけど、記録に残ってる最初の方の出来事では十七歳頃、八歳上で医師の妻であるアグネス・カールスに思いを寄せます。と同時にナンニ・ペッチュとリディ・ヘンペルという少女とも実際の交際があったようです。クララと会う少し前です。といっても、会ってからもクララは当時子供だったわけで、最初は妹みたいな存在であって女性としては見ていません。
 そして二十歳ぐらいになると、クララの父ヴィークの家に泊まり込みながら遊び回ります。女性にはもてたようで、このとき羽目を外したおかげで梅毒を拾ったともされ、後に短い生涯を閉じる原因ともなります。
 二十四歳の1834年になると、ヴィークの弟子として新しく住み込みになったエルネスティーネ・フォン・リッケンという女性と恋仲になり、婚約しますがすぐに解消します。そしてその翌年、やっと十六歳になったクララとの恋愛が始まります。本人は二十五歳でした。この恋は熱烈な形で続き、結婚を視野に入れるけれども、クララの父ヴィークは猛烈に反対します。暴力を振るったり虚偽の芝居を打ったりしてあらゆる手を尽くされたこともあり、シューマンの側が裁判に訴えることになりました。その裁判に勝ち、やっと二人は結婚できたのです。1840年、シューマンは三十歳になっていました。付き合い始めて五年後のことです。


トロイメライの作曲
 そうやって反対に遭った結果シューマンとクララの恋はより一層燃え上がったとも言えるでしょう。この長い恋愛中には会えなくて手紙のやりとりをする期間もあり、その情熱が多くの作品を生み出す原動力ともなりました。クララがいなかったら作曲家シューマンもいないのかもしれません。前述の「詩人の恋」もこの結婚の年に作曲しています。トロイメライの方は2分半ほどの短い曲ですが、それが含まれているピアノ曲集は13曲から成る「子供の情景」op.15 です。他の曲も親しみやすいもので、一曲目もよくあちこちで流れます。なぜ子供の情景(Kinderszenen / Children's scenes / Scenes from Childhood)と呼ばれるのかというと、これは決して子供向けの練習曲などではなく、クララに「あなたは時々子供みたいね」と言われたことから着想したからなのです。つまりクララとの思い出を曲にしたのであり、トロイメライも彼女を思って作ったわけです。何より「トロイメライ」というドイツ語の意味は「夢想 dreaming (day dreams) / reverie」です。ドラマで愛のテーマとして恋人が弾いてくれるのも道理なわけです。作曲されたのは1838年のことで、シューマンは二十八歳。付き合って三年目であり、結婚の二年前のことでした。


結婚に続く病い
 結婚後はピアノの名手でもあるクララに音楽のことを含めて何でも相談し、二人で日記を付けて仲良く暮らしました(上の写真は二人が結婚後四年間暮らした家です)。十年前は若さから色々と冒険もしたようだけど、三十を過ぎると一途な感じがします。浮気性の女遊びの記録も今なら普通に認められる青年期の試行錯誤であり、それについてクララの父の肩を持ち、酷評して本にする人もいるけれども、本来は真面目で誠実な性格なのでしょう。二人の間には8人の子供が出来ました。

 しかし良いことは続きません。1842年、結婚後二年ですが、シューマンは病気で倒れます。このときは過労とも神経衰弱とも言われます。シューマンと言えば気が狂って死んだ人、というように長らく言われて来ましたが、その意味では最初の発作ともとれます。そしてさらに二年後の1844年には本格的に精神症状が現れ、様々な恐怖症の症候とともに幻聴、振戦などが起きます。また二年後の1846年には双極性障害の兆候と言われるものも出て来ることになり、そうした原因不明の病いは根治することなく一進一退を続けて悪化して行き、最後の子供が生まれたのは1854年の四十四歳のときだけれども、その同じ年に病気を苦にしてライン川に飛び込み、自殺を図ってしまいます。彼が昔から好きだった川です。しかしその瞬間は漁師が見ており、死ぬことはなく救助されます。その頃クララはまだ懐妊中だったのでその事実は告げられなかったのですが、シューマンは以後自ら望んで精神病院に入り、そこで悪化して二年後に亡くなっています。1856年、四十六歳でした。この精神障害は今まで双極性障害、統合失調などと様々に言われて来て決定打がありませんでした。シューマンの気質的な傾向と絡めて心因性の神経衰弱ではないかと言う人もあります。つまり、妻クララがピアニストとしてあちこちで評価されるのに自分は認められないだとか、あるいは指揮者として上手くオーケストラをまとめられないというような絶望が原因でおかしくなった繊細な人なのだ、という解釈です。しかし近年はシューベルトと同様に梅毒の症状ということで一致しているようであり、潜伏期間から遡って計算した結果ライプツィヒ時代、例の二十歳前後の女遊びという話が出て来るようです。


ブラームスと
 もう一つ、シューマンと言えばクララとブラームスとの三角関係も有名です。ブラームスがクララを心から慕っていたのは間違いないでしょうが、実際の関係がどうだったかの決定的な証拠はありません。少なくとも自分を認め、良くしてくれた恩師であるシューマンの死までの間にその妻と深い関係になっていたとするのは、ワーグナーではなくあの慎重で自己抑制的な性質のブラームスとしてどうでしょうか。シューマンが亡くなった後もクララの死までの間、二人は最も信頼し合う関係であり続けたようだけど、ブラームスはブラームスで何度か他の女性に思いを寄せる一幕もあったみたいです。ピアニストのイモージェン・クーパーのようにこの三角関係をテーマに演奏する人もいるし、ドラマでも注目されるエピソードなわけですが。因みにそのイモージェン・クーパーは素晴らしいピアニストで、トロイメライの演奏も期待したくなるわけだけど、どうも「子供の情景」の録音だけは見当たりません。これからなのでしょう。



   cortotschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Alfred Cortot (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
 ただ真っ直ぐは弾かないのが粋な方の代表のような演奏です。コルトーと言えば延びたり縮んだりのテンポ・ルバート奏法を代表する19世紀生まれのフランスのピアニストです。その「子供の情景」は歴史的名演のうちに入るかもしれません。録音されたのは1950年代ということで、モノラルながら音は悪くないです。また、この人は特に後年になって技術的に色々言われるようで、これなども時期からすればその区分に入るのかもしれません。でもそれはピアニスト目線での話であってここでは関係ありません。最近の人でも走ったり止まったりを表現として取り入れ、速度が楽譜通りでないことは多いわけで、その元祖を知るということで大変意義深いと思います。トロイメライの揺れは見事で、一つの理想です。

 1953年の EMI の録音です。色々なレーベル名で再販されたと思いますが、上の写真はナクソス盤です。少し奥まって靄がかかる反響傾向はあるものの、全く問題ありません。  



   curzonschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Clifford Curzon (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
クリフォード・カーゾン(ピアノ)
 今度は逆にルバートではなく、素直にゆったりたっぷりの方の代表となるような演奏です。クリフォード・カーゾンは19世紀ではなく1907年生まれのイギリスのピアニストで、82年には亡くなっているので、02年生まれで88年没のカットナー・ソロモンと並んでやはり少し前の人です。モノラル時代の大御所なのであり、そんな時代もあってか録音嫌いでも有名でした。

 トロイメライの演奏時間はちょうど3分。2分半でも少しゆったりめなのに、かなりゆっくりです。この後に68年の映像もあるけどそちらも2分43秒で、この録音ほどではないにしても基本的にトロイメライの解釈としてはスローを貫いています(一般的な楽譜の指示は Moderato ♩= 80)。そしてコルトーとは違い、延びたり縮んだりは大きくありません。こういう方向の演奏は最近でも若手のデビュー録音やアジアのピアニストなどに傾向として案外多く見られるでしょうか。そこに女性演奏家も含めると性差別に当たるでしょう。アジアの新人女性がみなたっぷり真っ直ぐなわけではありません。でもこのカーゾン、余計なことをしないでしっかりと思い入れを込めて歌わせて行く、ある意味素直なパフォーマンスであり、弱音の抜きがデリケートで、まさに夢見るようなトロイメライとなっています。でも「子供の情景」全体としては軽やかに速いところもあり、イギリス的控えめというのか、あっさりと洗練されてもおり、楽譜通りの素人っぽい演奏などでは決してありません。

 1954年録音のデッカです。モノラルですが、これもコンディションは悪くありません。重なる強い音では少しがやつくところもあるでしょうか。



   haskilschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Clara Haskil (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
クララ・ハスキル(ピアノ)
 上述クリフォード・カーゾンと並んでモーツァルトの評価が高く、女性ピアニスト御三家(他にリリー・クラウス、イングリット・ヘブラー)の中で最も翳りのある表現をするクララ・ハスキルも19世紀生まれのルーマニアのピアニストで、1960年に亡くなっているのでほぼモノラル世代です。

「子供の情景」最初の曲から一音に微かな間というか、瞬間的立ち止まりが聞かれるところが傷ついた者のたどたどしさのように聞こえます。演出だと言うと言葉が悪いわけで、それが地なのでしょう。リタルダンドも大胆自在です。そしてトロイメライですが、これは見事です(この曲に関してはモノラルでなければ♡♡にすべきでしょう)。コルトーのようにルバートが大きくはないけど詩情溢れるというのか、独特のデリケートな表情があります。やはり部分的に立ち止まり気味になりかけては止めるような素振りが聞かれ、強弱の階調となる繊細な区分があって心の揺れが見事です。この波長が好きだと恋の切望のような気持ちになり、やめられないと思います。性格の上でシューマン的かどうかはともかくとして、曲の成り立ちに相応しいと思います。

 レーベルはフィリップスですが、1956年で残念ながらモノラルです。でもこれも響きは悪くありません。芯のあるピアノの粒立ちという点ではコルトーやカーゾンより良いでしょう。



   horowitzschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Vladimir Horowitz (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)♥♥
 さて、大御所大御所と言って来て、真打登場です。ホロヴィッツです。1903年のロシア(現ウクライナ)生まれでファンには神様です。でも今回ばかりはここでも神様、かもしれません。実にいいのです。といっても新しい方の1986年のライヴ盤(DG)ではなく、1962年コロンビア・スタジオ録音の旧盤(ソニー・クラシカル)です。これはホロヴィッツの代表盤ともされるようで、異論はありません。五十九歳の脂の乗った時期です。ドイツ・グラモフォン盤の方は、日本評論界の重鎮だった吉田秀和氏が1983年に「ひびの入った骨董」と評した三年後で、ホロヴィッツ八十二歳のときの録音となります。酷評を受けたコンサートは特別コンディションが悪かったようなので、これはそこまで悪いこともないと思います。

 でも表現は両者で異なっており、トロイメライで言うと、新盤は形の上では拍とテンポの気まぐれな動かし方は大きい一方、緊張感は少ないように感じます。演奏時間は2分34秒ほどで平均的。旧盤の方はそれより20秒長いゆったりめのテンポになる反面、強弱の面で目の覚めるような音の立ち上がりがあり、心のテンションが高いです。

 ホロヴィッツと言えば超絶技巧でばりばり弾くところがすごかったわけで、耳をつんざくジェット機の離陸のようなアタックも聞かれ、そういう激しさが人気の一端ではあったと思います。巷の評を見る限り、そこばかり褒める人は静かな表現はつなぎに過ぎないと思ってたふしもあるようです。でもそれは大きな間違いでしょう。バラードにはバラードで、この人独特の詩情があるのです。

 その最も見事なものがこのシューマンのトロイメライかもしれません。2分53秒とゆっくりですが、出だし(と繰り返しのフレーズの最初)の三音(メロディー・ラインでは二音)であるド・ファ+ F の区切りで延ばすところはさほど長く取らずに切り上げているように聞こえ、耽溺しません。楽譜の上では二分音符と八分音符のタイなので正しいのですが、テンポがゆったりなので相対的に長く感じないのです。揺れ方は自在で、有機的なつながりを持って動かすルバートの見事な歌があります。そしてはっとするような呼吸、息の白くなるような空気感があります。弱音の繊細な表情は無段階であり、独特の孤独感を感じさせるものです。それはハスキルともグールドとも別の周波数で、自己完結して静観するような透明感と言いますか、寒色系のきらっと光るような種類なのです。lit. al Fine 記号(終わりまで次第に遅く)が付くのは本来最後の三小節なのだけだけれども、後半は間の取り方がより大胆になって弱音を駆使し、ゆったりと歌って消え入るように終わります。

 次の曲の強い音とのコントラストにも圧倒され、「子供の情景」全体ではこの人らしい歯切れの良いところも聞かれるものの、この曲集では驚くほどの強打はありません。

 レーベルはソニー・クラシカルです。62年なのでしっかりステレオであり、録音のコンディションとしては今まで取り上げた三人とは違って全く良好です。明るくくっきりとした音がします。この人はいつもそうだったので、ニューヨーク・スタインウェイだと思います。カップリングについてですが、色々な種類が出ているようです。ジャケット写真を掲載した輸入盤は幻想曲ハ長調 op.17、「花の曲」変ニ長調 op.19、「アラベスク」ハ短調 op.18、トッカータハ長調 op.7 となっており、このうちの幻想曲をクライスレリアーナに差し替えた DSD リマスターの国内盤などもあります。



   kempffschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Wilhelm Kempff (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)♥♥
 1895年生まれながら時代のスタイルに飲み込まれることなく、洗練された独自の叙情性を見せたドイツを代表するピアニスト、ケンプ。晩年(91年没)の味わい深いバッハも、ベートーヴェンのソナタ全集も高く評価されています。シューマンが悪かろうはずはありません。

 耽溺することなく、仰々しさがなく、自在なテンポの揺れと繊細な強弱で聞かせます。速い曲では極端に走ったり乱暴になったりせずに、軽やかでリズミカルな動きも見せます。トロイメライですが、ホロヴィッツと同様にフレーズ頭の三(二)音の後で長く延ばしません。半拍早く聞こえるぐらい (✳︎) で、こういう曲だからといって情緒纏綿には陥っていません。厳格な宗教家の家庭で育ったからケンプが禁欲の徒なのかどうかは分かりませんが、もう一つの大変叙情的な側面と矛盾なく同化しているのです。そしてこうした運びこそがケンプの洗練でしょう。全体のタイムはすごく速いわけではない(2分25秒)のにテンポはあっさりとしたものに感じさせます(一般的な楽譜の♩= 80 ぐらいでしょうか)。その一方、自然でありながら息を飲む弱音があり、そこからの推移に見事な強弱の階調とテンポの動きを聞かせてデリケートな歌をうたいます。最後は lit. の指示通りにテンポをぐっと落とし、静かでたっぷりとした叙情を聞かせます。二十代の恋愛の歌かどうかはともかく、高雅で見事なトロイメライです。「子供の情景」全体としても哲人の深みと慈しみを感じさせるシューマンとなっています。

 ドイツ・グラモフォンで1973年、七十七歳時の録音です。なんとも言えない晩年の味わいがあったバッハのイギリス組曲やフランス組曲の入った盤(「晩年のケンプ」)が75年でしたから、これもケンプとしては大変後ろの方の録音です。指の衰えなどについて言う人もいますが、そこばかり見ると演奏のあり方を見失うかもしれません。機器のコンディションとしては70年代に入っており、音も自然なやわらかさを聞かせて最良の部類です。強いタッチでの芯と艶の出方が申し分ないことも、分解能のある機器で再生するとよく分かります。カップリングは謝肉祭 op.9、クライスレリアーナ op.16 です。個人的には「森の情景」op.82(1948年作曲/三十八歳時)が美しい曲と演奏だと思いますが、そちらはシューマンの作品集4CD (Schuman Piano Works, Collectors Edition)か、一枚ものではガレリアの輸入盤、テディ・ベアの表紙の輸入盤/国内盤、もしくはサブスクライブのサイトで聞けます。

 ✳︎ 始まりのド・ファーの2音目をどれだけ延ばすかだけど、2音目は四分音符で2拍半であり、一音目から行くと、タン・タン・タン・タ・リララララランー(低音のコード F のジャンーが加わるのは3拍目のタンと同時)で、2音目は二つ目のタンからタまでです。タリラン言ってしまいましたが、多くの演奏は一音目が長かったり二音目を引っ張ったりと自由であり、メトロノームの通りには行きません。結果的に楽譜の指示は守っていても、この部分の間に余裕があるように聞こえるものが多いと思います。




   arrauschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Claudio Arrau (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
 1903年生まれのチリ出身のピアニスト、アラウはドイツものを得意とする人で、ベートーヴェンとシューマンは評価が高いです。才能があったためにチリ政府によって八歳から10年間のドイツ留学に送り出され、その地で成功をおさめました。ドイツ文化の中で育ったわけで、もはやドイツ人と言ってもよいぐらいかもしれません。その後はアメリカで生活しました。

 ベートーヴェンのソナタと同じ波長を持っています。このシューマンも「規範」と言われることがあるようで、まさに模範的な演奏かと思います。かっちりとしていて危なげのない運びは格調が高く、トロイメライはゆったりしたテンポで3分かけ、じっくりと弾いています。ところどころで確固とした強いタッチの音を用い、それによって区切るように定義して行くところが同じタイムのカーゾンとは違います。意志の強さみたいなものを感じさせます。もし不満があるとすると、この人の場合はそのせいで恋愛の曲のようには聞こえないところかもしれません。若さや危うさとは縁がないような印象です。

 フィリップスの1974年の録音です。このレーベルのこの時期ということもあり、素晴らしい録音です。



   brendelschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Alfred Brendel (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)♥♥
 1931年チェコ生まれのウィーンのピアニスト、ブレンデルもシューマンには相応しい印象です。作曲家と曲によってはロマンティックを通り越して涙目のように感じることもあるものの、シューマンは違うようです。モーツァルトよりもロマン的な要素を持つベートーヴェンで逆に耽溺しないアプローチを取るなど、色々と考えのある理知的な人のようで、これというイメージで割り切れるピアニストではないのでしょう。やわらかく包み込むようなシューマンです。

 トロイメライはトータル2分30秒という中庸のテンポで、ホロヴィッツと同様、フレーズ初めの三(二)音目であまり長く余韻を響かせ過ぎることなく、次のフレーズはやや速めというテンポを取るという弾き方です。したがってこの人のモーツァルトの協奏曲における緩徐楽章の扱いのように耽溺する感じにはなりません。特筆すべきはタッチがやわらかいことでしょうか。内向的な感じがします。理想的な揺れのある歌わせ方はさすがで、弱音への落としも繊細ながら、かといってここでは暗くは感じません。そこはかとない悲しさのような感覚を伝えて来る点で時折このピアニストと似た瞬間があるペライアもシューマンには合っているかと思いますが、「子供の情景」の録音だけはボックスにも入ってないし、どうもなさそうな気がします。そうなると陰の部分を最も強調するトロイメライの演奏は案外ホロヴィッツぐらいになるのでしょうか。ここでのブレンデルは穏やかで静かながら平静な感覚もあり、アラウの強さや硬さとは反対の意味で格調高く感じました。変わったことはしていませんが、安心して聞けるという点では同じく規範と言ってもいいのかもしれません。

 1980年のフィリップスの録音です。前述した通りのやわらかい音色のピアノ録音です。モーツァルトのときのような芯の硬さはなく、時折金属的なまでのきらめきを奥に感じるようなきれいさとは違います。自然美と言えるでしょう。



   ashartzshumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Dag Achats (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ダグ・アシャツ(ピアノ)
 1942年ストックホルム生まれのスウェーデンのピアニスト、ダグ・アシャツが BIS に録音したものです。コルトーやペルルミュテールなどに師事しており、日本でも教えることがあるようです。大変良い演奏です。

 トロイメライは2分41秒のややゆっくりした運びで、少しためをとっては速めて戻すテンポ・ルバートの揺らしがあり、たっぷりと歌います。その揺れと戻し、一瞬のためが大変心地良いです。丁寧ながら楽譜通りのありきたりではなく、しっかりと曲を呼吸しています。速く戻して馳ける部分はかなりスピーディですから、その分ゆったりのところでいかに歌わせているかが分かります。強い音はくっきりとしたタッチです。最後は十分にリタルダンドします。

 BIS1980年の録音は優秀です。強い打鍵では少し硬めの倍音を乗せ、粒が立って歯切れが良く、クールな方の音かと思いますが艶があります。静かな曲では十分なやわらかさも聞かせます。



   argerchschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Martha Argerich (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
 人気ナンバーワンはやはりアルゲリッチでしょう。説明が要りません。販売サイトを見ても最初に来るし、コメントも多いです。超絶技巧の人はホロヴィッツもポリーニもですが、常に人気があります。そして彼女のシューマンは全盛期の名盤ともされています。

 でもシューマンと超絶技巧のピアニストって相性が良いのだろうか、と聞く前には思ってしまいます。少なくともがつんと来る強いフォルテやめまぐるしい速度の正確な打鍵が似合う作曲家ではありません。ホロヴィッツは大変魅力的でしたが、歯切れの良い瞬間はあるにしても、やはりそういう弾き方はしていません。静かで詩的な表現とも言える部分が前面に出ているのです。アルゲリッチもホロヴィッツ同様に強烈なアタックと度肝を抜かれる高速パッセージを聞かせることで有名ながら、やはりシューマンでは必ずしもそんな感じにはなりません。もちろん歯切れ良さの片鱗が垣間見える点はホロヴィッツ同様だけど、そことは別の魅力を生み出していると言えるのではないでしょうか。では、それはどんなポイントでしょうか。ホロヴィッツの、ゆったりした中に独特の孤独な影を漂わせるポエジーとは違います。彼女の場合はもっと表現が濃く、しっかりと抑揚を乗せる方向です。何気なく洗練された中庸の模範演奏とは違い、面白みがないなどということは決してありません。行列のできるラーメン店が薄味ではないように、誰が聞いても食い足りないことはなく、しっかりとした味付けに満足できるのです。こうした濃い味を聞かせるピアニストは他にも1979年のブリジット・エンゲラー(Philips/HMF)などもいます。でもアルゲリッチはやはりさすがです。

「子供の情景」の初めの曲こそさらっと行くように聞こえますが、テンポの大きな緩め方に十分な表情があります。そして強い音にはアラウにも負けないような確信も聞かれます。メリハリがあり、きらきらとしたタッチの歯切れ良さも堪能できます。
 トロイメライはタイム的には2分半少しで特に遅くはないけど、フレーズの切れ目で音を延ばす際に禁欲的に短かくして行く傾向はなく、軽さを出すのではなくたっぷりと歌わせます。テンポの揺らしもちゃんとしており、表情が濃いです。後半は特に速度をぐっと緩めます。洗練とは違うかもしれませんが、決して分かり難くないところが良いと思います。ファンの方は間違いなくこれでしょう。

 ドイツ・グラモフォンの1983年の録音です。他にもドレミ・クラシック(カナダ)の1965年の放送用セッション録音があるようです。



   piresschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Maria João Pires (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
 モーツァルト弾き女性御三家に続いて人気を博したピリスは1944年生まれのポルトガルのピアニストで、ヴァイオリニストのデュメイとも一時期仲の良いときがありました。その音楽は常に誠実で温かみがあり、奇を衒わないものです。モーツァルトとしてはヘブラーなどよりは粒が立ち、多少ダイナミックな音でもあったと思います。

 その性質からピリスもシューマンには向いていそうです。グラモフォンからも後年録音が出ているけれども、「子供の情景」に関しては1984年のエラート盤となります。

 さて、トロイメライですが、大変ゆったりしています。3分かけたクリフォード・カーゾンを上回り、3分14秒と、他に知らないけど最長じゃないでしょうか。四十歳頃の録音で、大変ロマンティックです。いたわるように、非常に丁寧に運びます。フレーズ最初の三音の間も長く取り、感情が湧き上がるように速めたりしてテンポの揺れはあるものの、さらっと感じさせたり駆け足にしたりというところはありません。あくまでもじっくりと取り組んでいます。ここまでの表現も珍しく、存在意義があります。たっぷりと浸りたい人にはピリスでしょう。次の「不思議なお話」は遅くはないし、「子供の情景」が全体に最長という演奏ではないですが、「鬼ごっこ」なども音を区切るタッチでころころと進めつつ、速過ぎはしません。

 1984年の録音は良好で、カップリングが「森の情景」というのもありがたいです。音の粒が美しいです。  



   katsarisschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Cyprien Katsaris (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
シプリアン・カツァリス(ピアノ)
 カツァリスも技巧の光るタイプでしょう。どこか人工的にまで整った完璧な演奏をする人というイメージもあります。同時に詩的だとも評されることもあります。そういう意味ではシューマンは期待できます。嬉々として音の連なりを試すようなショパンも、ベヒシュタインで弾く完璧なグリーグも魅力的でした。1951年生まれのギリシャ系フランス人ピアニストです。

 トロイメライのテンポはトータル2分半と標準的で、甘い感情に浸り過ぎないように抑制しようとするさらっと傾向などはテンポ設定においては特にありませんが、だからといってロマンティックというのとは根本的に違うようにも感じます。出だしでは一音ずつを大切にするようなタッチで少しだけ延ばし気味に進め、途中の展開では部分的に速める動きによって表情も付けます。でもそれも全体として見れば一音入魂の丁寧な姿勢に感じられます。そして本人はすごく感情に浸っているのかもしれないけど、どこがどうと具体的に分析するのは難しいながら、それは内側から湧いて来るというよりは、音を吟味し、味わいつつ完璧な構築を目指しているかのような印象なのです。ショパンのときと変わらないこの人独特の雰囲気です。無機的というのとも形から入るというのとも違うでしょうけど、ドラマ的な感情に惑わされることのない独特の静謐な内的世界。しかも熱中と喜びがある。磨きのかかった音による完成された作品となっています。

 テルデックの1986年の録音です。カップリングで「森の情景」を選んでいるのもいいです。カツァリス本人のピアノ21レーベル(フランス)からも別録音(89年東京ライヴ)が出ていますが、演奏の傾向は同じように感じます。



   ashkenazyschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Vladimir Ashkenazy (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
 ソ連からの亡命ユダヤ人ピアニストであるアシュケナージも美しい音色と丁寧な表現、テクニックの見事さで長らく人気のある人です。1937年生まれです。ロシアものではないけどシューマンも良さそうな気がします。1963年に国を出てロンドンに移住し、その後西側で名声も得て指揮活動もするようになり、すっかり地位を築いた1987年の録音です。

「子供の情景」第1曲(「見知らぬ国と人々について」)からゆったりよく歌わせる方向の演奏です。3曲目(「鬼ごっこ」)での思い切った強いタッチ、6曲目(「重大な出来事」)でのリズムの多少の重さなどもありますが、この人が後年になって聞かせた驚くような遊びのある解釈(97年のショパンの協奏曲の第三楽章は跳ね踊っていました)は特になく、全体としては静かでやわらかであり、しっかりと歌う模範的なパフォーマンスだと思います。終曲(「詩人は語る」)は大変ゆったりです。
 トロイメライもこの人らしい素直な歌で美しくまとまっています。トータル演奏時間は2分47秒と長いですが、前半はそこそこさらっとしたテンポで耽溺することもなく、途中からだんだんと夢見心地な展開となり、後半はたっぷりと歌います。遅くなった部分では弱音がやわらかくて心地良いです。

 デッカの1987年録音です。強いタッチの部分では以前からのこの人の録音で聞かれた特徴的な華やかな倍音が乗りますが、リマスターされたせいかどうか艶もあり、重くはないけれども薄っぺらい響きにはなっていません。カップリング曲は謝肉祭 op.9、アラベスク op.18、幻想小曲集 op.12 の一部、花の曲 op.19 となっています。聞けてはいませんが、他に日本のオクタヴィア・レコードから2001年録音の「子供の情景」が入ったアルバムも出ています。そちらは「森の情景」とクライスレリアーナの組み合わせのようです。



   jandoschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Jenö Jandó (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
イェネー・ヤンドー(ピアノ)
 1952年生まれのハンガリーのピアニスト、イェネー・ヤンドーはロマン派のピアノ曲を得意としています。2023年に亡くなっています。

 東欧の演奏家は音楽に向かう姿勢が真摯というか、もちろんどこも真摯ではあるだろうけど、変わった表現や面白い遊びを加える恣意的なパフォーマンスは少ないような印象があります。特にハンガリーは、人それぞれではあるにせよ、音韻の面でも丁寧に発音して行って、人によってはかっちりとした生真面目さに寄る場合もあるのではないでしょうか。国籍で色眼鏡というのはよろしくないけれども、イェネー・ヤンドーも全く危なげのないしっかりとした演奏だと思います。どこをとっても納得できる表現で、かといってリズム面で堅くて生真面目ということはなく、自在に速めたりして細かな揺れも実に音楽的です。うんと弱音に寄せてたっぷり歌わせるロマンティックなものではなく、禁欲してさらさら流すでもありません。ナクソスの看板ピアニストだけのことはあり、見事です。

 トロイメライですが、2分42秒と、アシュケナージとほぼ同じでややゆったりな運びです。前半ではあまりゆっくりに聞こえず、後半でスローダウンする率が大きめなのも同じです。その後半では弱い音も表現として駆使しますが、極端に弱音に寄せ、夢の中に沈み込んで行くような感じにはなりません。ロマンティックに過ぎることはないけど十分に叙情的に歌うのです。まとまったフレーズの出だしの表現としては、一音目が長く、その分場所によっては相対的に二音目が強くなるようなアクセントがあります。音価を短く切って覚醒させる手は使わず、さらっと速めて揺らすところはあります。そうしたアゴーギクでの動き、呼吸の入り方は自在です。平凡ではないけど自然で破綻のない豊かな表現であり、素晴らしいと思います。見事なトロイメライでしょう。

 レーベルはナクソスで1992年の録音です。カップリング曲は蝶々 op.2、謝肉祭 op.9 となっています。



   lupuschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Radu Lupu (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ラドゥ・ルプー(ピアノ)♥♥
 1945年生まれで2022年に亡くなったユダヤ系ルーマニア人ピアニストのルプーは、ロンドンの新聞に評された「千人に一人のリリシスト」という言葉でよく知られています。流派としてはモスクワ音楽院でギレリスやリヒテルの先生であったネイガウスに師事したのでロシアン・スクールに入るでしょうが、本人は自分流だと考えていたようです。正反対にも思えるホロヴィッツもルービンシュタインも尊敬し、ホルショフスキからは大きな影響を受けたと語りました。インタビュー嫌い、報道関係者嫌いは有名で、隠遁者のように言われることもありました。

 トロイメライのベスト、かもしれません。実に見事です。耽溺側にも禁欲側にも振れずに全く過不足がありません。思わせぶりでなく自然体でありながら、まさに「リリシズム」であり、詩情あふれるやわらかな表現となっています。具体的には前半は少しさらっとさせながら、音の延ばし加減についてはそうして欲しいと思う通りの長さでよく呼吸しています。頭の部分では一音目を短く、二音目を長く延ばしたりもして(低音が加わった後の半拍は正確)、全体のテンポ・ルバートのかかり(時間軸の揺れ)も絶妙です。タッチの軽さとやわらかさは特筆すべきで、後半は静かでゆっくりになり、よりソフトな感触となります。終わり方も良く、ラストから二番目の音を少し早め、夢からのわずかな覚醒感と心の揺れを表現するあたり、パーフェクトとしか言いようがありません。タイムは2分27秒です。一抹の寂しさを感じさせてよく歌うホロヴィッツ、洗練されてやわらかい詩情があふれるケンプと比べて、どれが理想だろうかと悩みます。 ピアニスト固有の色をあまり意識させず、さらっと洗練され過ぎもせずにこのシューマンのメロディアスな歌をしっかりと聞けるという意味では、トロイメライのベストはまずこのルプー、あるいは次のシャオ・メイぐらいかな、と思ったりもします。

 デッカの1993年の録音も見事です。元々しっとりとした美音で有名な人ですが、ここでもやわらかくて底光りする、芯のある理想的なピアノの音です。強い音ではきらっとし過ぎず粒立ち感があります。デッカは明るい音が多い印象だけど、その中でもこれは自然でソフトな方に寄ったベスト・バランスです。



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      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Zhu Xiao-Mei (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
シュ・シャオ・メイ(ピアノ)♥♥
 バッハの演奏が素晴らしかった1949年上海生まれの中国系フランス人ピアニスト、シャオ・メイに期待しないはずはありません。シューマンはぴったりな感じがします。亡命の苦労話からも納得してしまうような、深い情緒をたたえながらも耽溺には陥らないその音には毎回感心させられてしまいます。

 トロイメライは2分26秒と、タイムとしては標準的です。わずかだけど瞬間的に声部のフレーズが湧き上がるような歌わせ方は彼女らしいと思います。ためと戻しもしっかりとありながら自然で、どこか音に深い瞑想的な感覚を覚えるのはなぜでしょうか。ためと言えば、少しだけ大きく待って次の打鍵を強める表情もあります。個性だと言えるけれどもそれも自然のうちで、こういう風に変わってはいないのに味わいがある点、歌うのに洗練されている様はこの人の持って生まれた感覚なのでしょう。存在意義をしっかりと感じさせ、国際的に通用するこの感覚、やはりさすがです。そんじょそこらにはいない大器だと思います。癖に寄り過ぎず平坦になり過ぎずの理想的な歌のトロイメライとして、ルプーの演奏と並んで個人的にはこのシャオ・メイもベストです。他の曲に関しても、「鬼ごっこ」などでも走り過ぎず、どこも納得の表現です。

 マンダラ・レコーズ2002年の録音で、その後ミラーレ・レーベルから新しく再販されています。やわらかい方の録音で金属的にはなりません。やわらかいといってもさすがに新しい分だけ細かな角の倍音部分も後ろでより聞こえており、大変良い音です。カップリングはダヴィッド同盟舞曲集です。この作品はシューマンのピアノ曲としては最も有名なものには入らないでしょうが、「動 F」と「静 E」の二面に分けた曲作りがされており、「静」の部分には「森の情景」にも聞かれるようなメロディアスで美しい曲があります。トロイメライを軽視したり、「クライスレリアーナ」や「幻想曲」を最高傑作とする意見もありますが、精神的な特徴を表すようなシューマンの元気なところに加えて技巧に熱中したり執拗に繰り返す部分が苦手な方にとっては、この作曲家の他の作品よりもこれら「子供の情景」、「森の情景」、「ダヴィッド同盟舞曲集(の半分だとしても)」が組み合わされている CD はよくかけたくなるものかもしれません。



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      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Andreas Staier (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
アンドレアス・シュタイアー(ピアノ)
 シュタイアーは1955年生まれのドイツのフォルテピアノ/チェンバロ奏者です。つまりこのシューマンは古楽系の、フォルテピアノによる演奏ということになります。シューマンはロマン派だけど、その時代の楽器でやるというのは意義の深いことだと思います。

 トロイメライは最初の楽譜指定である初版第二刷のメトロノーム指示♩=100(シューマン本人が書いたものではなく出版社によりますが、指示したか、少なくとも同意はしていたとも考えられます)に従う速い演奏であり、まずそういう意味でも時代の解釈を重視するピリオド奏法らしいでしょう。厳密なことを言えば、一般的な楽譜では♩=80であり、シュタイアーの場合、出だしは 100 より遅く、上昇音からは少し速く弾いています。タイムは最速の1分48秒。他を周回遅れにしてぶっちぎりの優勝です。最初のメトロノーム指示は間違い(シューマン本人のが壊れてた)説を唱える人が多くて今に至ってるわけだけど、音楽学者の見方は違ようです。でも「子供の情景」全部が速いわけではなく、最後の曲などはゆったりしています。また、フレーズの途中から駆け足になるような表現もピリオド奏法そのものです。いずれにしても、こうして当時の音が聞けるのは新鮮な喜びでもあります。使用楽器もエラールの1837年製です。シューマンは二十七歳。クララと付き合いだして二年、結婚の三年前、「子供の情景」の作曲一年前に作られたものということになります。独特の音が楽しめます。

 ハルモニア・ムンディの2007年録音です。タイトルは「バッハに捧ぐ」となっています。シューマン本人も、シュタイアーもともにバッハを尊敬しているから、ということのようです。シューマンのポリフォニックな側面に光を当てたかったのかもしれません。独立した一枚もの以外にも、シューマンの作品を集めた三枚組としても出ています。他にない貴重な CD です。



   schiffschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      András Schiff (pf) ♥♥

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)♥♥
 さて、アンドラーシュ・シフです。バッハの各鍵盤作品で見せた絶妙な即興感覚、ベートーヴェンの最後のソナタの第二楽章における静かできらきら光る深みのある演奏にはハートを射抜かれました。もはや説明の必要がない円熟の極みにあるハンガリーの名手です。ロマン派が中心というわけではないのだろうけど、シューマンをまとめて録音しました(二枚組)。五十六歳時のライヴ収録です。ここには他の人のシューマンにはない魅力があります。

 どんな魅力でしょうか。シフはデッカ時代の若い頃の録音を聞くと、若者らしいというか、そこそこロマンティックな雰囲気を漂わすものもあるように思います。例えばショパンの2番の協奏曲とかです。バッハにおいても再録音がある場合に比べてみると、少しそんな傾向は見られます。そのため、独特の熱中と暗さによってロマンティックな傾向が感じられるシューマンは合うのかもしれない、という期待を抱かせます。結論から言うと、大変魅力的だけど、そういう意味でのロマンティックなシューマンではない、別の良さが際立ってる気がします。ECM に移籍して以降の彼は熟成とともにリズム感の良さ、大きくはないけど独特の即興的な揺れの見事さが表面に出て来るようになりました。ここではそのリズムの歯切れの良さが意外な形で魅力的なのです。もちろんそれは強いタッチの曲、速めに弾かれる曲の方でより顕著なのですが、繰り返しに熱中して音が重なるように聞こえるシューマンらしいパッセージも適度に解け、楽しく跳ねるように行くことで重く感じません。大変クリスプな印象です。

 トロイメライについて言えば、これも大変魅力的だけど、思い入れのあるロマンティックな演奏というのとはまた違うようです。タイムで言えばトータル2分01秒と、シュタイアーほどではないですが、かなり速いです。同じくメトロノーム指定解釈の問題なのかとも思いましたが、シュタイアーは元の♩=100 を意識していいるのだろうし、シフの場合は一般的な♩= 80 よりも頭で少し遅いぐらいでしょう。正確な 80 に近いのはバドゥラ・スコダぐらいでしょうか。でもシフはベートーヴェンの月光の出だしでも独自の学問的な解釈でゆっくりはやらなかったということがありました。加えて最近の彼は浅はかなロマンティシズムは避ける傾向もある気がします。ショパンをほとんど弾かないのと関係あるでしょうか。理由はともかく、甘い愛の思い出の曲であっても、ケンプ以上に洗練された運びを見せるのです。強調しますが、そっけなくてつまらないのではありません。最初の三音はほどほどにゆったりとした情緒を現して延ばすけれども、そこから展開するところはさらっと速めます。しかしためはあり、表情はしっかりしていてデリケートなので、弾き飛ばしているような感じではなく、ニュアンスにあふれています。最初にこれで聞いたらこれこそがベストだと思うでしょう。真似のできない揺れの見事さ、弱めの自在さはやはりシフです。より大人のシューマン、回想を肯定して暗さや切望には入り込まない周波数です。それがむしろより美しいとも言えます。バロック的と言ってもいいのか、バッハのときの魅力に近いですが、最後の最後で歩を緩めます。

 ECM レーベルの2010年の録音です。タイトルは Schumann Geistervariationen(シューマン・リサイタル)です。シフはこの翌年、シューマンの生まれたツヴィッカウ市からロベルト・シューマン賞を受けています。二枚組と書きましたが、カップリング曲は「蝶々」op.2、ピアノ・ソナタ第1番 op.11、幻想曲 op.17(第三楽章は初稿と最終稿の二つを収録)、「森の情景」op.82、主題と変奏「幽霊変奏曲」となっています。これよりも前の1999年録音のライヴで同じレーベルから、95と97年にはテルデックから、77年には DENON からもシューマンを出していました。クライスレリアーナなどはテルデック盤で聞けます。

 録音のコンディションは大変良いです。明るい艶と張り、芯の強さがあっても金属的にならず、透明感が感じられるうっとりするピアノの音です。



   lesageschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Éric Le Sage (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
エリック・ル・サージュ(ピアノ)
 エリック・ル・サージュは1964年生まれのフランスのピアニストで、シューマンを得意としています。特にトロイメライに関してでしたが、冒頭でシューマンの弾き方にも素直に真っ直ぐ歌ってロマンティシズムを発揮するもの、ルバートなどで意欲的な表情を付けるものの違いがあると述べました。さらに付け加えるなら真っ直ぐだけどさらっと禁欲的に、速めに流すという手もありましょうか。まあそんなに事は単純ではありませんが、アジア系の方や新人などにはたっぷりと素直に歌わせる演奏者がいたりするという思い込みがあったりもします。若くはないにせよ、大御所という世代でもないこの人はどうでしょうか。

 トロイメライを聞いてみると、その素直に歌わせる派に属するのかなとも感じます。長老で言えばカーゾンあたりがゆったり素直系で、ピリスも最大遅いテンポ(3分13秒)で感情を込めていました。その点このエリック・ル・サージュは2分22秒なのでむしろ少し速いぐらいであり、ゆったり系とはならないにしても、素直な弾き方で大変清潔な印象です。途中さらっと流すのに、おっとりとしたきれいな運びに聞こえるのです。大きな強弱によって自己主張しないところは新しい世代の特徴でしょうか。若者に人気だという次のティファニー・プーン(2分27秒)などとも共通しているようです。特に耽溺ではないにしても丁寧に禁欲せずに歌って行き、アゴーギク面での揺れも多くありません(瞬間的に走ったりしません)。どこにも抵抗を覚えるような強引な表現はないわけです。かといって常におっとりでもなく、三曲目(「鬼ごっこ」)などはかなり速いです。ピアニストを聞くのではなく、楽譜に書いてあること、シューマンそのものを聞くという意味ではエリック・ル・サージュ、理想形ではないでしょうか。

 レーベルはアルファで2010年の録音です。これもしっとりとした好録音です。



   poonschumann
      Schumann Träumerei (Kinderszenen op.15)
      Tiffany Poon (pf)

シューマン / トロイメライ〜子供の情景 op.15
ティファニー・プーン(ピアノ)
 ソーシャル・メディアで若い世代の人たちに人気だというティファニー・プーンは1996年の香港生まれであり、ジュリアードでエマニュエル・アックスに師事した人です。ニューヨーク在住ということで中国系だけど何人になるのでしょうか。

 この人も前述のエリック・ル・サージュと同様、新しい世代だけあって余計なことはせずに素直に歌わせて行くタイプのようです。感銘を受けないとかそういう話ではなく、こちらの能力の問題でどういう特徴というのがすぐには分かりませんでした。テンポ設定も強弱のつけ方もよく似ていてニュートラル、ありのままのシューマンという感じです(10曲目の「むきになって」と12曲目の「眠りに入る子供」は大変遅くしており、何か言いたいことがあるのだと思います。それらは個性的です)。録音の問題もありますが、比べるならエリック・ル・サージュよりタッチがもう少しやわらかいでしょうか。トロイメライは2分27秒でタイムもほぼ同じです。インタビューではしっかりと主張がありましたが、音楽の上ではほとんどの部分で押し付けがましさを感じさせず、上質なシューマンを堪能できます。

 レーベルはペンタトーンで2023年の録音です。前述の通りやわらかめできれいなピアノの音です。少し靄のかかったようなシルキーなところもあり、芯はしっかりしていて大変良い録音です。



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