正統派で例外のミサ・ソレムニス
ベートーヴェン / ミサ・ソレムニス 二長調 op.123
イギリスの古楽系指揮者のパイオニアの一人にジョン・エリオット・ガーディナーがいます。名門ケンブリッジ大学の出で、その学問的研究の深さ、裏付けの確かさで評判の高い人です。しかしケンブリッジ出と言えば他にもノリントンやホグウッドがおり、やはりエリート量産のルートはどこも一つ所に集約されるようです。このように一見イギリスの人が目立つような気がするので、古楽界でお馴染みの指揮者を国別に分けてみました。 イギリス アルフレッド・デラー 1912 ロジャー・ノリントン 1934 ク リ ストファー・ホグウッド 1941 ジョン・エリオット・ガーディナー 1943 アントニー・ハルステッド 1945 トレヴァー・ピノック 1946 アンドリュー・パ ロット 1947 ポール・マクリー シュ 1960 リチャード・エガー 1963 アンドルー・マンゼ 1965 アシュリー・ソロモン 1968 ベルギー ジキスワルト・クイケン 1944 ヨ ス・ファン・インマゼール 1945 ル ネ・ヤーコプス 1946 フィ リップ・ヘレヴェッヘ 1947 オランダ グスタフ・レオンハルト 1928 フランス・ブ リュッ ヘン 1934 ト ン・コープマン 1944 ドイツ ニコラウス・アーノンクール 1929 ラインハルト・ゲーベル 1952 トーマス・ヘンゲルブロック 1958 イタリア ジュリアーノ・カルミニョーラ 1951 アンドレア・マルコン 1963 リナルド・アレッサンドリーニ 1960 ファビオ・ビオンディ 1961 ジョヴァンニ・アントニーニ 1965 フランス(アメリカ) ウィリアム・クリスティ 1944 エルヴェ・ニケ 1957 スペイン ジョルディ・サヴァール 1941 カナダ(アメリカ) ジーン・ラモン 1949 ケヴィン・マロン ? どれぐらい有名かという尺度は単に私が思いつくかどうかなので、リストに入れる線引きはいい加減なものですが、こ うしてみると世代的には終戦前後の生まれの人が目立ち、国別ではやは りイギリス人が多いようです。 どうしてでしょうか。答えはありませんが、英国人は古いものと統計が好きという印象があります。家具でも車 でもヴィンテージものを直していつまでも使い、アンティーク・バフという言葉もイギリス人が作ったのだろうと思えるほどの骨董好きで、「なんでも鑑定団」 のような番組はイギリス発祥です。ヘインズという出版社の自動車の整備マニュアルも世界的に有名で、色々な国の膨大 な車種があり、私も愛用しています。資料統計と言えば鉄道の時刻表もトーマス・クックが定番で、ヨーロッパ全土が一冊で引け るので皆さんこれで旅行をされ るのではないかと思います。そんなわけで、英国人は古い楽器を使い、昔の流儀を調べて音楽を奏でることにも情熱があるのでしょう。 さて、話を戻して古楽系指揮者の一人、エリオット・ガーディナーなのですが、若いときの風貌同 様いつもすっきりさわやかで、行き過ぎのないニュートラルな演奏をする人という印象です。もちろん楽曲への考証が行き届いていることは冒頭で述べた通り で、ベルリオーズの幻想交響曲などは初演のホールで録音を敢行しましたし、 ベートーヴェンの交響曲全集は資料的にも評価されて日本で賞をもらったりもしています。 近頃は力のこもったダイナミックな演奏をする場面もあるようですが、いわゆる学者の音楽と言うと 言葉は悪いものの、エロス/パトスこそがわが命というタイプの演奏家ではないように感じてきました。具体的には常 にテンポがやや速めで、過度に抑揚を付けません。レオンハルトやブリュッヘン、アーノンクー ルのバ ロック解釈に顕著だった、いわゆる古楽の息づかいというもの、メッサ・ディ・ヴォーチェ様にロング・トーンの真ん中をぎゅっと盛り上げて弱めるような呼吸 は ほとんど感じられません。古楽の演奏家の中で最も自然なディナーミクなのではないかと思います。近頃のヘレヴェッへ にも似て素直でありながらゆっくりスラーで伸ばす傾向も見られず、あっさりとフレーズを切って行く感じに聞こ えます。でもこういう性質を感じるがゆえに、私はいつも最初にガーディナーから聞こうとは思わないと いう構えを身に付けてしまっているところもあります。 ところが、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスはガーディナーが救世主でした。なんだミサ・ソレムニスが苦痛なのか と 言われそうですが、確かにときどきはそうです。あの偉大さがわからないのでしょう。混声大合唱の賑やかさに圧倒され、オペラ歌手の迫力に負け、長大な上に 音が重なって疲れる こともあります。 作品の解説はガーディナーのような人に譲りますが、第九と並んで時期的にも構成的にも重要で、大作曲家の晩年 に五年もかけて作曲された大曲です。その真価を誤解していて大好きというわけでもないようなやつが CD 評など書くべきでないでしょう。ただ、時々出だしの部分が頭に浮かんで来てかけるのをせがむことがあるので困るの です。それだけ不思議な魅力を秘め た曲だということで納得することにしています。 この曲の名演と言 えば、古来よりクレンペラーの演奏が不動の地位を保っています。 人数の多い伝統的な合唱の宿命で、録音の古さもあって音ががやがやするのがどんなリマスターをかけても残るところですが、この演奏、確かに独特のものがあ ります。テンポは大変遅く、車で言うなら大きなアメリカ車に乗せられているような感じでしょうか。V8エンジンは低 い回転か らマッシヴなトルクがあり、ただひたすら雄大です。巨大なミサ・ソレ ムニスには最も合っているかもしれません。新譜から買って長らく聞いていたベーム二度目のウィーン・フィルとの演奏も名盤だと思います。やはりゆったりし たテンポで、こちらは管弦楽は力で押す感じもなく自然体ですが、合唱は巨大で独唱者も特に女声がパワフルに鳴り響き ます。 自然体でモダン楽器の伝統的なスタイルで合唱も力があってという方向ならば、新しいところでは2014年録音のハイティンク/バイエルン放送交響楽団/合唱団 ♥ が良いと思いました。タイトルに掲げた正統派ではあっても例外ではないので今回は敢えて写真までは掲載しませんが、合唱も素晴らしく、ミュンヘン・ヘラク レス・ザールで収録されたその音も昔のようにがやがやと濁ったりせず、楽器も艶やかです。力強いところでは力強く、 弱音は美しく響きます。 Beethoven Missa solemnis in D major, op.123 John Eliot Gardiner The Monteverdi Chor Orchestre Revolutionnaire et Romantique ♥♥
Charlotte Margiono (S) Catherine Robbin (A) William Kendall (T) Alastair Miles (B) ベートーヴェン / ミサ・ソレムニス 二長調 op.123 ジョン・エリオット・ガーディナー / モンテヴェルディ合唱団 ♥♥
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク シャルロット・マルジョーノ(ソプラノ)/ キャサリン・ロビン(アルト) ウィリアム・ケンドール(テノール)/ アラステア・マイルズ(バス) 一 方ガーディナーも最近になってこの曲を再録音しています。バービカン・ホールでのコンサートが大変評判が良 かった ようで、ライヴ録音です。こちらは速いながら大変力があります。この曲のまっとうな聞き手なら ばこの新録音を選ぶかもしれません。ただ、すっきりした進行と独唱陣の好みという点で、ここでは古い方の1989年の録音をあげておきます。やは り大変テンポが良く、透明で分解的です。そして何よりモンテヴェルディ合唱団の美しさが際立ちま す。最近のブラームスのレクイエムで圧倒的に素晴らしかったアーノンクール(旧)にも期待したのですが、ガーディナーは すっきり と速いところが他に全くない魅力です。夏に向かうコリーの毛を櫛で梳かしたように、力とともに余分な偉大さが抜け落 ちています。クレンペラーとは正反対のアプローチと言えるでしょう。 普段から得意としない曲を得意としない演奏家で聴いたら良かったと言ってしまったようです。マイナスとマイナスを 掛け たらプラスになるみたいな話で、そんなことなら最初から聴くなと言われそうです。しかし反発を覚えるけど気になって しまう禁断の恋人のようで、拒絶する分だけ魅せられるのか、はたまた運命だったのか、ガーディナーのミサ・ソレムニ ス、聴きたくなるのです。乱暴な人に急にやさしくされ たという手の反動愛着でないといいのですが。 Beethoven Missa solemnis in D major, op.123 Philippe Herreweghe Collegium Vocale Gent Orchestre des Champs-Elysées ♥♥
Marlis Petersen (S) Gerhild Romberger (M-S) Benjamin Hulett (T) David Wilson-Johnson (Br) ベートーヴェン / ミサ・ソレムニス 二長調 op.123 フィリップ・ヘレヴェッヘ / シャンゼリゼ管弦楽団 / コレギウム・ヴォカーレ・ゲント ♥♥
マルリス・ペーターセン(ソプラノ)/ ゲアハルト・ロンベルガー(メゾ・ソプラノ) ベンジャミン・ヒューレット(テノール)/ デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バリトン) 古楽系でもう一つ、いいのがあります。ベルギーの宗教音楽の匠、ヘレヴェッヘの盤です。マタイ受難曲などのバッハ の大作でも見事でしたが、傾向は同じと思います。ガーディナーが間延びしないテンポですっきり端麗に行くな ら、ヘレヴェッヘはもっとゆっくり歌わせ、美麗という感じです。ベートーヴェンの管弦楽を伴う荘厳な大作というより も、透明な音が溶け合う昔の教会合唱曲であるかのような錯覚を覚えます。グロリア、クレドでの切れ目ない力強さは十 分なのでそれはちょっと言い過ぎかもしれませんが、そう感じる瞬間があるのは事実です。後から出たアーノンクールの 最後の録音と比 べると、人生の締めくくりという目で見ることもあるのでしょうが、あちらは瞑想的な静けさに満ちていて一歩ずつ歩く 感じであり、ときに一瞬一瞬が止まったような不思議な感覚を演奏者との間で共有していますが、同じく宗教的作品とは いってもヘレヴェッヘにはもっと音響的に磨かれた美しさがあり、音の彫刻としての完成度では勝っているかもしれま せん。 ここで取り上げる のはヘレヴェッへのプライヴェートレーベルであるフィーから出されている2011年の新録音の方です。ハルモニア・ ムンディ・フランスの旧盤が1995年録音で出ており、レーベルの知名度からいえばそちらになるかと思いますが、最 近は録音技術の差がなくなっており、このミサ・ソレムニスについては新盤が大変良い音で、演奏も見事です。旧盤は ゆっくりのところは新しい方同様、もしくはそれ以上にゆったりしていましたが、速いところでは歯切れ良くかなりダイ ナミックでした。新盤は全体に洗練され、統一感があります。様々な演奏の中でも最もきれいで耳に心地よく感じました。 独奏ヴァイオリンの艶が美しく、合唱がまた大変きれいで、独唱陣もオペラくさくなくて声が透き通っ ています。ブラスにすら艶を感じます。古楽バンドですが低音には厚みがあります。遅いところにメリハリがあるわけで はないので、その流麗さをときに濃厚で重いと感じる人もいるかもしれません が、とろけるような心地よさは他では味わえません。どこをどうやったのか解釈的なことはわかりませんが、ちょっと別の曲だったりします。 Beethoven Missa solemnis in D major, op.123 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musics Wien Arnold Schoenberg Chor ♥♥
Laura Aikin (S) Bernarda Fink (A) Johannes Chum (T) Ruben Drole (B) ベートーヴェン / ミサ・ソレムニス 二長調 op.123 ニコラウス・アーノンクール / アルノルト・シェーンベルク合唱団 ♥♥
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス ローラ・エイキン(ソプラノ)/ ベルナルダ・フィンク(アルト) ヨハネス・チュム(テノール)/ ルーベン・ドローレ(バス) 2016年三月に86歳で亡くなったアーノンクールの最後の録音となったのがこのミサ・ソレムニスです。故 郷のグラーツでの2015年七月のコンサートを 収録したライヴで、この後同じ月に同曲をもう一度演奏したものが彼の全演奏活動としても最後になったそうです。五月の第5シンフォニーでは古楽器演奏運動 の先頭に立ってきた彼のアグレッシブな側面をあらた めて見せてくれ、ある種驚かされました。というのも、彼が創設したこの古楽器専門のバンド、コンツェントゥス・ムジ クス・ウィーンでは学究的発掘というのか、実験的な解釈でずっとやってきており、最近のモーツァルトでさえ元気な演 奏を聞かせてくれたので驚くことではないのでしょうが、二度目のレクイエムでは尖ったところが少なくなっていたし、 ヨーロッパ室内管との演奏ではしっとり歌う面も見せてくれるようになり、来日公演でもリラックスしたなかに宗教的な 感覚も味わえたからです。だから人生最後にこう来るか、と思ってしまったわけです。こうした彼の変幻自在さは、表現 を楽団と使用楽器で分けていたのか、宗教曲となると彼独自の考えがあったのか、など色々想像するも、答えは風の中で す。 しかしこの最後の壮大なミサは、アーノンクール自身がライフワークのように前から取り組みたがっていたこともあ り、遺言になろうかという時期もあり、穏やかにして深遠を覗かせる名演となりました。第5のときのような極端 な間と鋭角的なフレーズ、金管とティンパニの炸裂という構えはなく、純粋に作品に向わせてくれます。ガーディ ナーの項ではテルデックから出たヨーロッパ室内管との92年録音の旧盤について「期待していたけど ... 」のように言いましたが、この 新盤には言葉を失います。交響曲の演奏でのコンツェントゥス・ムジ クスとヨーロッパ室内管の位置関係がちょうど逆にな り、テンポは遅くなり、いつも過激だった自分の古楽バンドとの演奏であるこちらの方が静けさに満ちています。海 外の評をちらっと読んだら迫力が足りないという意見もあるようでしたが、音響的な豪快さを求める人は常にいますし、 確かにそういう外向的な迫力というのとは違うでしょう。そちらの嗜好の方は他の演奏を求めるといいと思います。ここ では活力のあるパートでも余分な力が入らず、決然としています。グローリアやクレドなど、分厚い大音響が苦手な私は 前述の通りガーディナーの清新なアプローチが好きです。でもアーノンクールの静寂の際立つ演奏はまた別の次元です。 この一歩一歩を踏みしめるような音楽、サンクトゥス/ベネディクトゥスの静かなところなど本当に心にしみます。サン クトゥスというのは感謝の歌ですが、神への感謝はそのまま存在への感謝 と言い換えてもいいでしょう。ベートーヴェンの感謝の歌は田園の最終楽章や弦楽四重奏曲15番の第三楽章が有名です が、その固有の波長からこのミサの部分(後半は祝福を意味するベネディクトゥス)も加えてもいいと思います。 死の直前になって、人はよく透明に透けたようになってくると言われます。将来に結果と満足を得ようとする期待は薄 まり、ありのままを受け入れることで、むしろ先延ばしにしない救済を得るのでしょう。そこには感謝のみがあるのかも しれません。アーノンクールのこのひとときはどういうものだったのでしょうか。この没我の音を聞く限りでは、美しく あろう、よりオリジナリティーのある抑揚を付けようというような意図はもはや放棄しているかに思えます。他のものに なろうとする努力はもうしないのです。少し大げさなことを言いますが、自我の生み出す時間を超えて、一時の中に永遠 を見る境地のようにも聞こえます。第5シンフォニーも最後の時にあって輝く彼らしい個性の発露なのでしょう。どんな に透明になっても個性というものはなくならないからです。そしてこのミサも魂に訪れたひとつのあり方でしょう。彼の 放つ何かが、演奏者たちに浸透したかのような音楽です。 この年の年末に体調不良を訴えて引退声明を出し、数ヶ月後には亡くなったわ けですが、作曲家の最後の大作は、この個性的な指揮者本人が望んでいた通り、彼自身の最高の演奏の一つとしていいでしょう。グレート・ミサとは大きさでは なく、深さでした。この曲の偉大さを初めてわからせてくれた演奏のような気がします。最もスピリチュアリティーが高 く、普遍的でありながら例外的なもの。華やかな祝祭でなく、心の歌としてのミサです。 自然の中で撮影されたカヴァー・フォトは他のレーベルでも少し前から使われていましたが、嵐の前のような空の下、 ベートーヴェンの散歩のような姿で背中を見せているアーノンクールらしき写真、ケースを開いた中には彼が写っておら ず、ただ 同じアッターガウの野原だけが広がっており、亡くなった後で写真選定したのかな、彼と風景は別撮りなのかな、などと 考えをめぐらせつつ、なにか宙をつかもうとするような喪失感を覚えました。撮影は2011年の四月なので、彼の立っ ていたところは後で別フレームから合成したようです。レーベルはソニーで、よく準備されていたのか、録音状態は大変 良いです。 INDEX |