ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番
このピアノ協奏曲第2番のページは当初、「ラプソディ」と合わせて一つの記事でしたが、整理のために分けました。 パガニーニの主題による狂詩曲(ラフマニノフのラプソディー)はこちら ラフマニノフの2番と言えば、こういう形式の協奏曲の中で も最もロマンティックで、恋愛映画に使われるような大変きれいなメロディにあふれた曲です。他ではショパンの1番がそれを追撃してるぐらいで、形式に限ら ずクラシック音楽全体を見ても独走態勢と言ってもいいでしょう。昔むかしのある時代、映画で白血病をネタにするのが流行りました。友達がその病気で亡く なってるので茶かす気など毛頭ないですが、記憶喪失やタイムスリップと並ぶベタな筋書きの三冠王だったわけであり、そんな一つに「ラストコンサート」 The Last Concert (Stella) 1976 という、フランスが舞台で日本出資の英語のイタリア映画がありました。感動的だけど「ある愛の詩」の後追いのような内容の、売れない中年作曲家と病に冒さ れて最後は死んじゃう少女の悲恋ものでした。タイトルも忘れてて調べてやっと出て来たぐらいマイナーなので、今観るとどうか分からないからお薦めはしませ んけれども、モン・サン=ミッシェルを背景に切ない場面で甘い旋律が駆けめぐるのですね。それをずっとラフマニノフのこの曲だと思ってました。でも実際は そのまんまではなく、第一楽章のフレーズを上手くはめ込んだ主人公の作曲家作ということにしてあるキメラ音楽でした。そういう使い方って、実はたくさんの 映画で定番的にやられてるのです。そしてラフマニノフの2番そのものも、古くは終戦の年の「逢びき」Brief Encounter をはじめ、数々の物語のロマンティックなシーンを彩って来ました。 時代と作風 一方、作曲家ラフマニノフ自身についてはここで詳しく説明 するようなことでもないでしょう。以下はウィキピディアに載ってるようなことです。1873年生まれで戦時中の1943年に亡くなっているので、世代とし ては19世紀末から20世紀前半を生きた人です。マーラーやリヒャルト・シュトラウス、シベリウス、ドビュッシーらよりも後で、シェーンベルク、ホルス ト、ラヴェル、ストラヴィンスキーが続きます。シェーンベルクとは一つ違いなのに現代(無調)音楽には全く興味を示さず、ロマン派としてひたすら伝統的な きれいな和音で曲を作ったため専門家からは酷評され、一般の聴衆からは愛されました。ホルストやリヒャルト・シュトラウスと同じです。後世ではその専門家 が評価した作品の方が聞かれなくなり、酷評された方が何倍も演奏されるようになったのはご存知の通りです。ラフマニノフは心に湧いて来たものを語るのだと 言ったそうです。 ロシアの没落貴族の出で、社会主義のソ連が出来たロシア革 命(1917)によってアメリカに亡命し、帰国はしませんでした。社会主義は平等な労働者が治めるという一応の建前でブルジョワジーは敵であり、いくら領 地を無くしたとはいえ貴族出身では居づらかったのでしょう。使われる映画の方はベタなストーリーのものもあったりするものの、作風のエレガントさ、洗練さ れた音遣いには貴族的なところが見られると思います。そしてロシアの貴族ではあってもモンゴルの血も流れていたため、写真で見られるように目と眉の間は離 れている顔立ちです。 ピアニストとして 交響曲第2番の第三楽章も映画に使われたりするものの、ラ フマニノフはショパン、リストの次に来るピアノの人で、自身も大変上手なピアニストでした。亡命後はアメリカで作曲をせずに演奏活動ばかりしており、多額 のお金を稼ぎました。古いながら録音が残っていて、今聞いても流れの捉え方が時代を感じさせず、素晴らしい演奏だと思います。身長もですが手が並外れて大 きく、彼の曲は彼以外の人が弾くと超絶技巧の難曲になってしまうというのはよく言われることです。特にこの2番の次の第3番の協奏曲がそれで有名です。 作曲の背景 2番については、それがうつ病のときに作曲されたことが知 られており、悩みを抱える人にとって励ましになったりもするようです。壊れてたのに書けたなんてすごい、というわけです。でも実は挫折が生んだ名曲なん じゃないかなという気もします。きっかけは二十四歳のときです。彼が作った最初の交響曲(第1番)が、あのヴァイオリン協奏曲で有名な作曲家グラズノフの 指揮で初演されたのですが、これがこてんぱんに評論家に叩かれてしまいました。それまでは天才的な才能を認められてエリート教育を受けて来ており、モスク ワ音楽院も金メダルだし、ピアノ協奏曲第1番とオペラ(卒業制作)の両方で高い評価を受けていました。その問題の交響曲は色々録音も出ていますから、評論 家の言う通りか、それとも彼の側に立って援護してあげられそうか聞いてみるのもいいかもしれません。その後ダーリという医者の催眠療法などを受けて回復し ましたが、大成功を収めたこの2番のコンチェルトについて、ラフマニノフはその医者のお陰だと言うほど感謝してました。それでも実際はその療法のせいでは ないのだと強く主張する人もいるようです。しかしこうした心理療法の有効性は科学的根拠で計れるものではなく、投薬の作用機序のような再現性も通用しない 世界です。メソッドのせいで治るのではなく、何であれ快方に向かうセッションは快方に向かいますから、音楽史の学者が評価することではないでしょう。機が 熟せば肩を叩くだけで十分なのかもしれません。 私生活とか ロマンティックな旋律に満ちていると書きました。ではマー ラーの5番のアダージェットのように具体的なロマンスと関わりがあるのでしょうか。作曲されたのは20世紀が始まった1900年から1901年。その翌年 の1902年にはいとこ(従姉)のナタリア(愛称はナターシャ)と結婚しています。知り合ったのは十代の頃なので作曲時には好意を持ってたでしょう。彼と その曲は女性に人気があってコンサートではライラックの花束が匿名で送られていたのは本当だけれども、伝記映画が描く妻以外の女性との複雑な私生活は創作 です。人間だから何があっても驚きませんし、彼の音楽が使われたその他の映画でも既婚者同士や浮気の話が多かったにせよ、本人には確定したゴシップは特に ないようです。その後建てた別荘の名前にもナタリアの名を使ったぐらいで、夫婦仲は良かったのではないでしょうか。因みにライラックはそれまでにラフマニ ノフを象徴する花となっていたのであり、それは結婚当初に作った美しい歌曲「リラ(ライラックのフランス語)の花」op.21-5 に人気があり、ピアノ曲にも編曲されたことから来ます。三大香木はジンチョウゲ、ガーデニア(クチナシ)、金木犀ですが、ライラックも歌詞の通り、たった 一つの幸福を探して朝露を踏んで歩く春の空気のように香る花木です。品種改良が進まない限り温暖化で日本では今後ますます適さない木になりそうだけど、代 わりにジャカランダが咲くでしょうか。 性格 気難しい顔で写ってる写真の通り、挫折後のラフマニノフは 多くの人にとって近づき難かったようです。子供の頃に父親が出て行ったし、評論家には酷い仕打ちを受けたのでなかなか人が信じられなかったのでしょう。う つ病を患う典型的気質とも言えるぐらい几帳面な性格でもあったようです。しかし良好な関係を続ける相手も多く、一度心を許した人には誠意を示し、人望も厚 かったと言われます。なかでも歌手のシャリアピンは親友でした。来日したときに歯痛で硬いものが食べられず、キアヌ・リーヴスも大好きな帝国ホテルがサー ビスで考案したシャリアピン・ステーキ。薄く叩いて切れ目を入れた肉に消化に良い玉ねぎのソテーを乗せたもので、ホテルでは今でもメニューにあって頼めま す。 演奏について この曲の CD の選び方としては、定評のある有名どころでまずアシュケナージ、関心の深い人は自作自演盤、自国の人を応援、それからジャケットで映えるお姉さん/お兄さ んといった感じでしょうか。作曲家と同国のピアニストや技巧派という関心の持ち方もあるでしょう。人気曲だけに実にたくさん出ています。コンパスを持って ないと道に迷ってしまうかもしれません。以下にいくつか取り上げてみますが、敢えてここでの方針を言えば、この曲は甘いメロディという点で突出してるわけ ですから、3番のように難しいパッセージでの技巧に注目するのではなく、静かな部分で美しい旋律をどれだけセンス良く歌っているかで選んでいるということ になります。センスの良さを感じるかどうかは全くの好みの問題です。そしてここで取り上げる演奏の方向に納得の行かない方はリヒテルやワイセンベルク/カ ラヤン盤に当たってみると道が開けるかもしれません。別の次元の魅力を発見できると思います。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Sergey Rachmaninov (pf) Leopold Stokowski The Philadelphia Orchestra ♥♥ ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ) レオポルド・ストコフスキー / フィラデルフィア管弦楽団 ♥♥ 最初は本人の演奏から行きます(実は時代順)。見事なもの です。第二楽章の出だしの左手、四音ずつ三回繰り返す十二音のフレーズごとに緩めて間を空けますが、その大き過ぎない表情から実に適切で、速いテンポでや やためながらさらっと運びます。見事に揺れ歌う抑揚があり、右手が出てからすぐの、二音ずつ組でもの憂げに三回下降する部分のぴったりな感じ(表情のない 人とつけ過ぎる人がいます)、次の動機に入る手前で切って、実際の切り替わりでは続けるセンス、あるいは右手のメロディーが素直なときに左手に表情があっ たりなど、もはや完璧と言ってもいいでしょう。一見何気ないかすかな拍の遅らせや決して大袈裟にならない繊細な表情には貴族的な洗練と言いたくなるところ があります。 こうした緩やかな部分での絶妙な表現だけで♡♡を付けまし たが、だからといって最初の一枚として一般に薦められるようなものではありません。1929年の録音は針音がシャーシャー鳴ってるし、その割にピアノは驚 くほど元の音が想像できるコンディションだけど、やはり歴史的な記録と言って良いからです。技巧の高さで驚かれた人ながら技巧を見せつける風でないところ もいいですが、速いパッセージの処理についてはもちろん現代の、例えばツィマーマンなどと比べるものではないでしょう(特に第三楽章の出だしの一部)。 レーベルはナクソスです。自作自演で完璧なのはこの人ぐらいかという、時代を超えた名演です。カップリングは十年後のオーマンディとの第3番です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Arthur Rubinstein (pf) ♥ Fritz Reiner Chicago Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)♥ フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団 コルトーやギーゼキングなどと並び称される19世紀生まれ のルービンシュタインですが、録音が比較的新しいものまで残っていることと、ショパン弾きでもあるという意味ではホロヴィッツとよく比較されるでしょう か。ショパンでは独特の重いタッチが個人的には好きではなく、この人自体をあまり取り上げて来ませんでした。でもこのラフマニノフ、悪くないのです。とい うか、味があって大変気に入りました。やっとその良さに気がつけたわけです。ホロヴィッツの方は同様に味のある曲も聞けるながら、元祖超絶技巧ということ もあってバラバラと豪快に弾く傾向があるせいか、難曲の3番は複数録音してるものの2番はやっていません。甘ったる過ぎるのかもしれません。 タッチの重さの話をしました。でもここではさほど重くは感 じさせず、多少遅らせる間の取り方に重みはあるものの、その訥々としたところが却って味わい深さとなっています。揺れがあって渋く枯れたテイストです。ル バートのかけ方が19世紀の人なんだなとも思いますが、そういう言い方だと古さを全く感じさせないと上で表現したラフマニノフ自身の絶妙な揺れも同じよう なカテゴリーのルバートに入ると言えるのかもしれません。ラフマニノフはもっとさらっと流すのだけれど、なだれ掛かるような動きの自在さが似ています。 第二楽章の話ですが、ここでのルビンシュタインは左手の表 情をはっきりさせたりやわらかくしたりの変化を付けています。弱音でやわらかくするところは美しいです。決して走らず、速めるパッセージがあまり目立たな い真面目な印象です。シックで底光りすると言うとタマーシュ・ヴァーシャーリもそういうところがあるものの、もっと粘り気がある表現です。走らないとも今 言ったばかりながら、第一楽章では相当に速いところもあります。 1956年と新しい録音ではないのに、レーベルは RCA で音は大変良いです。艶のある粒立ちの良いピアノの音が大変きれいです。バックはカルト的人気を誇るフリッツ・ライナー率いる引き締まった音のシカゴ響で す。カップリングはパガニーニの主題による狂詩曲です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Arthur Rubinstein (pf) ♥♥ Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)♥♥ ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団 新盤がまたすごいのです。すごいという言葉は当たらないで しょうか。第二楽章のピアノの運びについてなら、あらゆる演奏の中で最も心に響いたと言ってもいいぐらいかもしれません。何をいまさらと LP 時代からのファンには言われそうですが、大昔に重いショパンを聞いて以来勝手にこのピアニストを敬遠してるところがあったので、有名だったのかもしれませ んが知らなかったのです。そしてまた録音の点でもピアノの音がすごくきれいです。このラフマニノフの2番は甘く美しいメロディーが人気の曲ですから、そう いう部分の運びが良ければまずそれで OK として良いのではないでしょうか。 ライナーとの旧盤と表現は同じようではありますが、さらに 枯れた味わいがあります。具体的にはルバート(厳密な意味ではなく、拍の入りでためたり、途中で遅らせたりの時間的な揺れのことです)が抑えられてすっき りしています。苦手だったこの人の重過ぎる運びはほとんど感じません。より素直な揺らしと自然な強調へと変化しているのです。その絶妙の揺れで歌って行く 様は名人の晩年の境地という感じです。こういう感覚って出そうとして出せるものじゃないですね。ショパンももう一度聞き直してみようかと思います。 しかし何でもかんでもがベストだとは言いません。このとき ルービンシュタインは84歳です。この曲の技巧的な部分については期待する方がどうかと思います。68歳だった旧盤の方がいいでしょう。両端楽章の速いと ころの話ですが、それらの楽章にも美しいメロディーの箇所が出て来ますから、そういうところで十分満足しようと思います。第三楽章で速いパッセージをやや 緩めて悠然とこなす様も粋というものでしょう。 それと、バックはオーマンディです。オーマンディはアゴー ギクの感じ難い人です。こんな言い方をするとファンに叱られますが、人によっては賑やかで大味だと言うこともあります。でもテンポを微妙に揺らして行くの は彼の芸ではないというだけで、真っ直ぐゆったり歌わせるところが美点なのです。そのためこのラフマニノフでは、聞きようによってはややベタな映画音楽的 な展開に聞こえる箇所もあるかもしれません(特に第一楽章)。止まりそうなほど丁寧な歌い方になるところも聞かれ、ライナー盤とは対照的です(それともピ アニストの意向なのでしょうか)。曲の終わりもゆったり堂々です。でもその緩いテンポが功を奏し、オーケストラの細かな表情がない分だけ却ってピアノの個 性を引き立ててるとも言えます。 RCA 1971年の録音はピアノに関しては艶と芯があって新しいものと比べてもベストだと思う一方で、オーケストラも十分良いなりに、厳密なことを言えば幾分薄 く響く方ではあるでしょうか。でも全く気にならない見事な音です。ゆったりしていて歌のセンスが良いものとしてラフマニノフの2番のベストです。晩年の ルービンシュタイン、少しも動揺することなく暮れ行く光のなかで自ら味わっています。悠然たるものです。 LP 時代のオリジナルはこの曲単独だったようですが、ここではサン・サーンスのピアノ協奏曲第2番と一緒になっています。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Vladimir Ashkenazy (pf) ♥♥ Kiril Kondrashin Moscow Philharmonic ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ヴラディーミル・アシュケナージ ♥♥ キリル・コンドラシン / モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 これさえあればという、ベストと言える一枚です。派手さは ないけどパーフェクトです。アシュケナージといえば「ラフマニノフといったらこの人」ぐらいの人気を誇り、高く評価され続けて来ました。貧しかったソビエ トの地方都市出身で一族の期待を背負って出て来たユダヤ系(その姓自体がヘブライ語であり、自動的にユダヤ系を意味します)の人で、多くのコンクールを勝 ち抜き、テクニックの確かさでも定評があります。この有名な2番の協奏曲では最新録音であるハイティンクとの盤が最も売れたと思います。そちらもいいです が、ここで一番に挙げるのはチャイコフスキー・コンクールで優勝した翌年の1963年、亡命直後のロンドンでの26歳の時の演奏です。人生の中でも大きな 決断だったことでしょう。三つある録音のうちでこれが最高ではないかと思ってます。録音も見事です。 そのアシュケナージについては、実は個人的には長らくあま り好意的ではありませんでした。良さがよく分からなかったのです。共演者に合わせたのか、やたらと拍の重たいゴツゴツしたベートーヴェンの室内楽(表現へ の試行錯誤だったのかもしれません)があるかと思えば、音が薄っぺらくて高域がハーモニカの倍音みたいに華やかになる録音(本人に非はありません)もあり ました。技巧が凄いってほめられるけど、どこに特徴があるのか分からないきれいな優等生的演奏だと思ったこともあります。でも結局は理解できてなかったと いうことなのです。これを聞くといかに繊細な感性の持ち主か分かります。こういう人なんですね。ルービンシュタインもだったけど決めつけはいけません。 やっといいことが書けてうれしいです。 また第二楽章で言いますが、フレーズごとにやや間を置いて 頭にアクセントをつけながらも自然に流して行きます。自作自演盤のようにさらっと速く行くのではなく、落ち着いた歌が良いです。ちょっとうつむいた表情が あり、しっとりと静かに、夢見るように語りかけます。若く多感な感受性という意味で、アシュケナージはこのときがこのロマンティックな曲の感情に最も合っ てたんじゃないかと思えて来ます。静かなパートで大変よく歌うのだけれど、これがメロドラマティックに行き過ぎることなく踏みとどまり、大変洗練されてい ます。あるがままのこの曲の美しさが感じられます。 前述の通り、1963年のデッカ・レーベルです。大変良い 音で、年度は古いけどデジタルの84年新盤よりいいぐらいだと言えます。数あるこの曲の録音の中でも、新しいのも含めて最も魅力的な音の一枚でしょう。傾 向として華やかなことが多いデッカながら、潤いがあって輝き過ぎず、低音がしっかりしていて厚みを感じさせるバランスです。ピアノもしっとりとしたところ に適度の艶が乗り、派手で薄っぺらくならない粒のきれいな音です。しかも高い方も抜けが良いです。色々リマスターして出され、レジェンズ・シリーズでも出 てました(レポートしている盤)。3番とのカップリングです。同じ時期に「ラプソディー」の録音がないのがちょっと惜しまれます。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Vladimir Ashkenazy (pf) ♥ Bernard haitink Concertgebouw Orchestra, Amsterdam ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ヴラディーミル・アシュケナージ ♥ ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 コンドラシンとの最初の盤の後に、アシュケナージは同じ デッカに1970年にプレヴィンと再録音をしています。ロンドン・シンフォニーということもあってイギリスでは一番人気です。それもいいのだけれど、彼が 録音した三つのうちでは最も振幅の大きさが感じられるものです。亡命後にコマーシャリズムの西側で行われるような表現を取り入れてみようとしたのでしょう か。どういう心が、どんな経緯や意図を経てその音に表れたのかということは常に判断が難しくて、容易に誤った解釈をしてしまいます。心理学の教授が傷つい た人の振る舞いを真逆に受け止めるのを見たこともある気がします。アシュケナージのこの変化には何があったのでしょうか。フレーズことに間を置くのはコン ドラシン盤と同じですが、より癖を感じるような間のリズムです。オーケストラもやや拍に強調があります。微妙なところながら、そんなわけで個人的にはそれ よりももっと素直に流れる最新の録音の方を二番目として選びたいと思います。日本で一番人気のこのハイティンクとのものです。もう一度原点に戻ってラフマ ニノフ自身の弾き方にも多少寄ったようにあっさりしています。これといって強い個性は感じませんが、必要にして十分、洗練されていて美しいです。「ラプソ ディ」の入ってるパガニーニの主題による狂詩曲も同じ時期に録音していて揃えられます。 第二楽章ではやわらかく静かに、さらっと運びます。自然な 揺れはあるけど大きなルバートはかけません。大変上品です。出だしではやわらかい音が靄の中に飲み込まれるようで、背景の音と位置付ける左手です。テンポ は最初やや速めながら、全体としては大変穏やかに弾いています。耽溺せず、一人静かに回想しているようなところがこの盤のいいところです。旧盤と比べて♡ 一つにしましたが、これも選んでおいて間違いのない一枚です。 1984年のデッカ録音です。ピアノの音が輝き過ぎず、芯 があって良いです。リマスターの加減によって若干違って聞こえる場合があるかもしれません。4番とのカップリングで、他に出ているのは1番とパガニーニの 主題による狂詩曲が合わさったもの、3番が独立で、それから全集という具合です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Tamás Vásáry (pf) ♥ Yuri Ahronovitch London Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 タマーシュ・ヴァーシャーリ(ピアノ)♥ ユーリ・アーノロヴィチ / ロンドン交響楽団 70年代に定評のあった演奏です。タマーシュ・ヴァー シャーリは1933年生まれのハンガリーのピアニストで(スイス在住)、ラフマニノフを得意としています。派手さのない落ち着いた演奏で、ゆったりとして いてやや重い音で弾く人です。ラフマニノフのこういう解釈もあって良いと思います。泥臭いなどと表現する人もあるようですが、確かにきらびやかな方向とは 反対の音の、浸るような感情表現のロマンティックな演奏であり、こういうのこそが良いと感じる方も多いと思います。 第二楽章ではやや重くやわらかく始め、拍の頭でためつつフ レーズごとにも間を取ります。テンポは終始ゆったりです。湿り気のある重さのあるタッチで弱音はもやがかかったように聞こえ、強い音は底光りするというの か、シックで粒立ちの良い音です。うつむいた感じにも聞こえるので、うつだったラフマニノフの感覚には合うところもあるかもしれません。誠実さというの か、ある種真面目さも感じられて浸れる、大きな演奏です。 1975年のドイツ・グラモフォンで、演奏と同じでピアノ の輝きは十分に感じられるけど派手ではない音であり、どっしりとした好録音だと思います。CD としては LP 時代そのままの復刻(1番/2番)ではなく、3番とのカップリングのものや4番とのものなどの他、パガニーニの主題による狂詩曲と合わせてある盤(ジャ ケット写真はそのうちの日本の廉価盤)もあります。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Cecile Licad (pf) ♥♥ Claudio Abbado Chicago Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 セシル・リカド(ピアノ)♥♥ クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団 セシル・リカド。大変いいです。これも間違いなく第一候補 です。珍しい、フィリピンのピアニストです。アジア系の人って、先入観で言うわけじゃないけどちょっと独特の色はあると思うのです。全部じゃないのです、 もちろん。それは大雑把に言えば拍の流れが素直で真っ直ぐな傾向ということになるでしょうか。リズム感とかアゴーギク(時間的な揺れ)の問題です。何分の 一拍かずらして入ったり、ためておいて加速したりという方面で真似のできない粋な感じが出る人は少なく、誠実に流して行って、人によってはディナーミクも あっさりだったり、反対にベタっとしていると言えば言葉は悪いものの、感傷的なまでに波のような強弱を付けて情緒に浸る人もいます。騎馬民族の気まぐれ、 という感じには決してなりません。きれいでいいですし、それが個性ですから上手いとか下手とかではなく、結局自分が立体感がないのが苦手とい うだけのことなのですが、文化の集合的な縛りってあるのかなと思わなくもないわけです。当てはまらなかったのはリサ・タハラという日本名のピアニストで、 この曲で見事な揺らしが出ますが、どうも子供の頃からカナダで育った人のようです。 アジア系と一括りにしましたが、ラフマニノフの2番で評判 の良いピアニストは中国のラン・ラン(2004ゲルギエフ/マリインスキー管/DG)、同じく中国のサ・チェン(2011フォスター/リスボン・グルペン キアン管/ペンタトーン)、ユジャ・ワン(2013ドゥダメル/シモン・ボリバル管/DG)、それから韓国のイム・ドンヒョク(2018ベデルニコフ /BBC響/ワーナー)あたりでしょうか。技巧についてはここでは触れませんし、見事な演奏だと思うので是非聞いてみてください。 ところでセシル・リカドです。この人はフィリピン生まれで ピアノで活動するようになるまでフィリピン育ちでした。後にアメリカへ渡りますが、どうしてこういう風に弾けるのでしょうか。アメリカ統治が長かった国だ からというのも単純です。事実上彼女のデビュー盤ということで、このとき22歳です。曲は順番通りに録音したのでしょうか、第一楽章はよく聞けば若干緊張 もあるのか、流れるような自然さというよりも予めの設計に沿ってブロックごとに表現のあり方を変えるようなくっきり感が多少あるものの、第二楽章からの表 現は自在なものとなって行きます。ゆったりよく歌っていても重さやネガティブさを微塵も感じさせず、これほど聞いていて気持ちの良いものも滅多にありませ ん。 ややゆったりで始まる左手の動きに続き、途中からはさらっ と流すように速まるところも出ます。そのさらっとした中に表情を付け、丁寧さはありますが前へ倒れるように速めては緩めるところ、飲み込むような弱音が出 るところ、流れる線の浮き沈みに独特のセンスを感じます。右手は強くくっきりとメロディをたどり、左は靄の中というコントラストも聞かせます。場所によっ てわずかに速めるような変化もいいです。もっと表情が大胆になるところもあります。景色のある演奏です。 中ほどから後ろへ向けての盛り上げではじっくりと熱くなり ます。余裕を持って間を空け、最初から走らないで敢えて明快にゆっくり力を込め、途中から加速します。その波のようなエモーショナルな揺れに思わず体ごと 任せてしまうのですが、不思議なことに22歳にして危うい感じが全くしない大人の情緒であり、熱くなってるときに思い込みもなく、否定的な感情の叫びとい う波長に決してなりません。それを気短かに走らないからとだ言ってしまえば表面的な見方になるでしょう。でもこのバランス感覚の出所はよく分からないので す。残念ながらこの人、この後に華々しく録音を発表しているという風でもなさそうで、アメリカものの曲を集めたアルバム数枚とガーシュウィンなどを聞く と、もう少し丁寧でゆったりな傾向にシフトしいるような気もします。 無表情でも泣き系でもなく、予備知識なしに聞くと全く東洋 系ということが分からないセシル・リカド。この2番に関しては評判の高いアシュケナージと比べても魅力において少しも劣らず、最も素直に熱くなれた演奏で した。バックのアバドも大変よく歌わせています。バックと言えないぐらい目立つところもありますが、応援しているのでしょう。速いところではすごく情熱的 になり、驚くほどです。こういうアバド、若さがあっていいです。カップリングがパガニーニの主題による狂詩曲なのもありがたいです。その演奏もベストで す。 1983年録音の CBS マスターワークスです。元々の音のバランスは若干ハイが薄く持ち上がったものだったのかもしれませんが、リマスターによるのでしょうか、潤いがあって大変 良い音に仕上がっています。ジャケットの写真は左側がオリジナル、右側がレポートしたリマスター盤です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Zoltán Kocsis (pf) ♥ Edo de Waart San Francisco Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ゾルタン・コチシュ(ピアノ)♥ エド・デ・ワールト / サンフランシスコ交響楽団 この曲の演奏のうちで最もさらっと速く流す方です。といっ てもハンガリー出身のコチシュ、アジア系の一部の演奏者のように抑揚が直線的というわけではなく、さらっとした中に揺れの表情はあります。作曲者の自作自 演盤に似てるとする方もいらっしゃるようですが、確かにラフマニノフは左手に動きをつけてる間に右では直線的に弾いたりもしてますからそうかもしれません が、全体には19世紀的とも言われた揺らぎが独特で、なだれかかるような動きや間の呼吸があって壊れやすそうです。そういう面ではコチシュはもっとスト レートであり、別種のものに聞こえました。それを言うならまだ少し、ベルント・グレムザーの方が似てるかなという気もしないではありません。 1952年生まれで、同世代のラーンキ、シフらと並んでハ ンガリーの(美男)三羽烏と一時期呼ばれたこともあった人です。分野は違うけど日本で世代的に近いのは郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎でしょうか。このうち 西城秀樹は水を飲まないフィットネスか何かで早くに亡くなってしまいましたが、コチシュも心臓系の疾患で2016年に六十四歳で他界しています。 緩徐楽章では区切りで弛めるけどさらっとしており、素直で 好感が持てます。無表情ではなく控えめな抑揚があって気持ちが良いです。大仰な演奏に食傷気味の方にはまたとない清涼剤となるでしょう。 1984年のフィリップス録音です。このレーベルの自然な 音です。打鍵楽器であるピアノについては、オーケストラではかちっとしがちなデッカや RCA などのくっきり方向の録音も案外魅力的に聞こえますから、どちらがいいとも言えないかもしれませんが。このコチシュ盤については静かな部分でやわらかい音 のピアノがやや引っ込んで聞こえるかもしれません。オリジナルは1番との組み合わせで、日本盤ではパガニーニの主題による狂詩曲とのカップリングに変えて あるものも存在します。コチシュの顔がより遠景になって画角にピアノも入ってるジャケットの方です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Howard Shelley (pf) ♥♥ Bryden Thomson Royal Scotish National Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ハワード・シェリー(ピアノ)♥♥ ブライデン・トムソン / ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団 モーツァルトの協奏曲が素晴らしかったハワード・シェ リー。日本ではさほど人気がないのでしょうか。でも素晴らしいピアノだと思います。ラフマニノフには特に力を入れていて評価も高いのです。ラフマニノフ弾 きといってもいいぐらいでしょう。1950年生まれのイギリス人で、この国らしいのかどうか、適切な表現で磨かれ、ゆったり歌いつつ上品で洗練された演奏 です。 最初の楽章から走らず落ち着いており、一つひとつ味わいつ つ表現を進めて行くようなスタイルです。ふわっと緩めるようなやわらかいところがエレガントで、ラフマニノフに大変合っていると思います。表情の洗練され た見事さいう意味では次のグレムザー盤と比べられますが、グレムザーより速いところではほぐれていていいと思います。それに歌の表情がややたっぷりとして います。各動機に差を付けて細やかに扱い、ピアノの音も透明感と伸びがあって大変きれいです。 第二楽章ですが、第一楽章では技巧を見せつけるようには走 らなかったわけですが、反対にここではややさらっとしたテンポでやわらかく静かに入り、派手なこと、変わったことはしないけど細かなニュアンスがありま す。ベタに歌わせないで表情豊かというバランス感覚がいかにもこの曲に相応しく、洗練されていて絶妙なのです。 その表情のつけ方ですが、波打つ自然な感情の盛り上がりと 静まりが感じられます。主旋律以外も動きがよく捉えられていて立体感があります。グレムザーは流れる中に抑揚がありますが、シェリーには間があってより落 ち着いています。そしてだんだん熟してきたように後半では情緒の襞に入り込み、ゆったりと歌わせるように変化して行きます。そこでも揺れや崩しはあるけ ど、穏やかで誠実な感じもします。洗練と同時に浸らせてもくれるという意味でこの曲一番でしょう。 シャンドス1990年の録音は絶品と言って良いと思いま す。オーケストラも自然なウェットさで、楽器にはナチュラルな艶があり、バランスの良い録音です。3番とカップリングです。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Bernd Gremser (pf) ♥♥ Antoni Wit Polish National Radio Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ベルント・グレムザー(ピアノ)♥♥ アントニ・ヴィト / ポーランド国立放送交響楽団 第二楽章での絶妙に洗練された表情で一番かと思う演奏で す。上記のシェリー盤も良かったですが、こちらはあそこまでたっぷりと歌わせる策には出ず、もっとさらっとしていてより微妙な揺らぎのセンスが磨かれてい ます。こういう抑揚は本当に呼吸の問題ですから、このピアニストの資質なのでしょう。コチシュのところで、比べるならこの人の方がラフマニノフ自身の弾き 方に近いのではないかと申し上げましたが、よく聞けば揺らし方のセンスはもちろん違います。こちらは二十世紀も終わりの人であり、自作自演盤のように部分 的にそっけなく右手を流して左とのコントラストを付けたり、危うく倒れかかるように小走りになって戻るような大胆な変化は少なく、しかし部分ごとにやらず に全体に独特の拍の変化を付けます。破れる手前で踏みとどまるラフマニノフの洗練とはちょっと性質が違うのです。 1962年生まれのドイツのピアニストです。ナクソスから 録音を出しています。ナクソスではこの人気のあるラフマニノフの2番をたくさんリリースしていますが、その中でも特に感覚が光っている演奏のように感じま した。演奏家の世界というものは、芸術ではあるけれども芸術点よりは技術点の方が上に来るという意味で採点型スポーツと同じです。良し悪しを評するときに 「ミスしてる」とよく言われる所以です。それも分かりやすい指標なので仕方ないでしょう。この人はコンクールには多く出て入賞を果たして来たものの、ア シュケナージやツィマーマンのような経歴の持ち主ではありません。そういう登場の仕方からも、上手ではありながら技巧をばりばりと全面に出す人ではなく、 センスの徒だということが分かると思います。ドイツで最も若いピアノ教授、などとも言われたようです。ピアニズムの一つの極致である完璧な技術を感じさせ る次のツィマーマンが見事なのはもちろんです。でも個人的にはこういう音のつかみ方の部分でより複雑な感覚の喜びをもたらしてくれる演奏家の方が好きで す。形は違うけど真似のできない歌心の機微という点で、アンドラーシュ・シフやジャック・ルヴィエ、ポール・クロスリー、フセイン・セルメット、アラン・ プラネスなどにそれぞれ違う形で感じて来た独特のセンスに並ぶものがあります。フランソワのように崩すのとも違います。 第二楽章の出だしの左手は速めで、何気なく始めます。そし て薄い雲の日陰に入るようにふわっと弱める表情が出ます。ためはあるけどあまり大袈裟に止めたりはせずに流す人です。右手に入ってからのメロディー部分も コントラストを付けることなく、同様にさらっと抜けながら絶妙な揺れを出します。何気ないけど実に豊かな表情があるのです。気持ちが盛り上がるところでも わずかに遅くする方へ振り、決して派手にのめり込まず、ディナーミク、アゴーギクともに呼吸をするような自然な動を見せます。だから分からない人には素通 りされてしまうかもしれません。両端楽章など速いパッセージでもさらさらと駆け足で個性を感じにくい面があるでしょう。そういう意味では緩めるところでセ ンスが発揮されるタイプだと言えるでしょう。トレモロの緩め方が印象派のようで、中ほど以降の最も盛り上がる箇所ではテンポ方向の揺れを使います。因みに 映画「スパイダーマン3」で使われたのはこの人の演奏だということです。 1996年のナクソスです。楽器が重なるフォルテで最優秀 録音だというほどではないにせよ、新しいだけにきれいなピアノの音です。3番との組み合わせです。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Kristian Zimerman (pf) ♥♥ Seiji Ozawa Boston Symphony Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)♥♥ 小沢征爾 / ボストン交響楽団 誰も欠点を指摘できない見事な技巧による演奏です。ご存知 の通り、18歳でショパン・コンクールに優勝したポーランドのピアニストで1956年生まれ。どんな曲でもこの人を出しておいて間違いはないと思います。 完璧を期して録音が少ないことでも有名で、このラフマニノフでは雑誌のレコードアカデミー大賞を取っているそうです。 演奏の性質については多少複雑な思いがあります。その見事 さについては後で触れるとして、全くの個人的感覚ながら歌わせ方、感情表現のあり方で最も好きなタイプではないからです。特に緩徐楽章でのゆったりした部 分での扱いが、自分の基準からするとちょっと大きく歌わせ過ぎる傾向があります。洗練されてないと言うと批判にあたりますが、分かりやすい形だと思いま す。ところが面白いのは、テンポもゆっくりでそんな風に情緒たっぷりの泣きの形ではあるのだけれど、感情的にのめり込んで行く感覚でもないところです。乾 いてるとか無機的だとか言うとこれも悪い意味になってしまうものの、青白い炎というのか、どこか底の部分でクールな感覚を維持してるように感じさせます。 彼の中のどこかが起きていて感傷には浸らず、逆に浸って見せているのでしょうか。したがって安っぽい感じには聞こえません。音の美しさも相まって案外どん な曲でも感服させられてしまいます。ラヴェルのト長調の協奏曲でも、第二楽章が遅すぎると思いつつ、フセイン・セルメットを知るまでツィマーマン盤を主に 聞いて来ました。 さて、この人のすごいところです。人気のピアニストなので 敢えて説明は不要でしょうか。強い音が透き通って抜け、それより少し小さい音は艶があって粒立ちの良い大変きれいな響きに統一されます。弱くなるとやわら かい繊細な小声になります。音色の階調がたくさんあって変化に富み、それを生み出す強弱が意のままにコントロールされてる感じです。盛り上がりでは駈けて 情熱的に強く、振りが大きくて大変ダイナミックです。ピアノという楽器の可能性を見せてくれる演奏だと言えるでしょう。むしろそのために曲があるかのよう です。そのようにピアノの音の魅力を最大限に味わえる卓越した技術が好みという次元を超えるため、例外的に♡♡としました。 問題の第二楽章はというと、ところどころ緩めて間を取りな がらもながら滑らかな左手で始め、メロディーも山なりに起伏を付け、フレーズごとに間を空けてためます。形の上でかなり表情が付いています。自分には大袈 裟に聞こえても、上述の理由から否定的に評価しようという気が全く起きません。情緒表現は好みの問題であって多くの方はその点でもこの演奏に納得されるで しょうから、やはり最強のラフマニノフと言っていいかもしれません。以上を一言で表現すれば、感情起伏が大きくて、ピアノのダイナミズムに奉仕することで 耽溺しない演奏です。 ドイツ・グラモフォン2000年の録音も大変良いもので す。低音からたっぷりとよく響き、抜けの良いピアノの音が捉えられています。1番と組み合わされています。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Boris Berezovsky (pf) ♥ Dimitri Liss Orchestre Philharmonique de l'Oural ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ)♥ ドミトリー・リス / ウラル・フィルハーモニー管弦楽団 ピアノに限らず本ページではあまりロシアの人を積極的に取 り上げてない気がしますが、ボリス・ベレゾフスキーは1969年モスクワ生まれのロシア人で、チャイコフスキー国際コンクールで優勝しています。でもテク ニックはもちろん素晴らしいとして、静かな歌の部分でも洗練された運びを聞かせるピアニストです。 第一楽章では重みのある出だしから振りが大きく、オーケス トラの音も分厚く響いて聞き応えがあります。結構情緒的なので、ロシア人ですよと言われれば、そうかなと思います。一方で第三楽章では華麗に自在に弾くの で、技巧家ですよと言われれば、そうかなと思います。どちらかというと音色の千変万化というよりも、よどみなく豪快に飛ばす方の技巧ではあるでしょうか。 でも技術については言わないはずでした。その方面に関心のある方はご自身で確かめてみてください。体格の良いこともあるのか、エネルギッシュには感じま す。 第二楽章ですが、速めでさらっと行くけれども出だしからの 左手の伴奏はフレーズごとのためがしっかりあります。後半にすっと弱める扱いがデリケートで、繊細な感性を覗かせます。小声の軽いパッセージも聞かせ、主 旋律は意図的に真っ直ぐに、むしろためずに流します。中間部以降の盛り上がりでは反対にためが効いて来てやや歯切れ、劇的な感じになります。拍にアクセン トをつける個性的な試みも聞かれ、表情が変化します。しかし全体としてはロシア的にも一般的な意味でも正統派の演奏だと言えるでしょう。世間では技術にこ そ注目が集まるピアニストのようですが、それだからか、それにもかかわらずか、表現全体にわたって大変安心して聞いていられます。名演だと思います。 ミラーレ2005年の録音です。派手ではないですが大変良 い音です。3番とカップリングです。むしろそちらに興味のある方もおられると思います。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Katie Buniatishvilil (pf) ♥ Paavo Järvi Czech Philharmonic ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 カティア・ブニアティシヴィリ(ピアノ)♥ パーヴォ・ヤルヴィ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 コンサートではサイン会が開かれることがあります。サイン に興味はないけどその特設ブースに行ってみたことはあります。さほど有名ではない年配の男性演奏家だったので列というほどのものはできてませんでした。で もこの世界にはきれいなお姉さん、もしくは可愛い人シリーズという企画があるわけで(もちろんハンサム・ガイもですが)、すごいことになるようです。いわ ゆる「ジャケ買い」の世界ですが、でも上手で容姿も素晴らしければそれに越したことはありません。このラフマニノフの CD としては、YouTube のセルフプロモーションが100万回再生されたウクライナ生まれのヴァレンティーナ・リシッツァをはじめとして、同じくウクライナのアンナ・フェドロバ、 イタリアのヴァネッサ・ベネリ・モーゼルとグロリア・カンパネル、すでに活躍華々しいフランスのエレーネ・グリモー、それに超絶ぶりに萌えるのでしょう か、中国のユジャ・ワンなどがいます。ビデオ・クリップでは後ろの男性オーケストラ団員の表情が緩みっ放しになってるのが見られます。どれも素晴らしい演 奏なので、ぜひ聞いてみてください。 そんな中からここで取り上げるのはカティア・ブニアティシ ヴィリです。難しい発音ながらヴァイオリンのリサ・ヴァティアシュヴィリに似た名前で、同じジョージア出身です。1987年生まれでパリ在住。ただきれい なだけでは終わらない何かを持った人だと思いました。大変個性があります。後はその個性が好きかどうかという段階です。容姿は上のジャケットで分かると思 います。他の写真ではブルネットながら影のあるマリリン・モンローみたいに写ってるのもあります。かなり情熱的な人で、こみ上げる感情のままに崩すような ところが聞かれます。 まずは他と同じように第二楽章です。やわらかく靄の中にい るような左手で始まります。最初はあまり崩さないし、ためも聞かれません。小さな声でそっと話すような感じです。聞いてと言ってる思わせぶりなのか、地の 繊細な心なのかはよく分かりません。でも寂しい波長を全開に出していて、壊れそうで守ってあげたくさせる種類です。ウィキピディアによると「音楽は孤独の 象徴」だと仰るのだとか。しばらくはさらっと流し、その中に軽いためと揺らしが出て来ます。このデリケートな強弱の付け方はこの人独特のセンスでしょう。 そして曲が強く盛り上がる後半にかけてはためがなくなり、短くストレートに、かなりの勢いで駈けて行って大きな間を取ります。そしてまた静かに独り言のよ うなやわらかい小声のつぶやきに戻って寂しい心の世界が語られます。 でもより特徴が出るのは両端楽章の激しいパートかもしれま せん。かなりの燃焼具合で、短気なぐらいに突然駆け出す場面もあり、そこから大胆に遅くしたりもします。第三楽章はハイスピードかつダイナミックです。そ れでいて強い表現の中にも余裕で表情があったりするのがすごいところ。何とも魅力的な運びだけど、天使か小悪魔か、夢中になったら振り回されるかもしれま せん。そもそもがこの人は大変な才能の持ち主で、ユリア・フィッシャーみたいにヴァイオリンも完璧に弾けたけど反対にピアノを選んだのだとか。五カ国語を 話すマルチリンガルでもあります。プーチン嫌いで断固譲らないらしいです。そして若いときのアルゲリッチとも比較されるようだけど、あんな風にそっけなく 流しておいて突然爆発して驚かせるというよりも、激情を露にする前から独特の表情を持っているように思います。 2016年のソニー・クラシカルです。録音が新しいだけに 明晰で艶のあるピアノです。オーケストラも抜けが良くて大変良好です。 Rachmaninov Piano Concerto No.2 op.18 Daniil Trifonov (pf) ♥ The Philadelphia Orchestra ラフマニノフ / ピアノ協奏曲第2番 op.18 ダニール・トリフォノフ(ピアノ)♥ ヤニク・ネゼ=セガン / フィラデルフィア管弦楽団 また新しい世代のピアニストの登場です。ブニアティシヴィ リより四つ年下で、ソ連崩壊の年である1991年生まれのロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフです。ショパン・コンクール3位、チャイコフス キー・コンクール優勝という経歴で、技巧派として注目を浴びています。ドイツ・グラモフォンと契約して「行き先ラフマニノフ」Destination Rachmaninov というタイトルにして「出発」と「到着」の二枚の CD を出し、協奏曲を網羅しています。他にもパガニーニの主題による狂詩曲、「祈り」というタイトルで三重奏曲なども出しており、ラフマニノフは重要なレパー トリーのようです。2番の協奏曲は「出発」で、もう一枚と同様列車のコンパートメントでの写真がジャケットになっています。上の路線の続きじゃないです が、人によっては髭があったりなかったりする写真が気になるでしょうか。そっち方面で人気なのかどうかは分かりませんが。 これからの人なのでこういう演奏と決めつけてしまうのは避 けたいですが、表現においては大胆で大きな振りの部分とさらっと流すところの両方が混ざって出てくるように聞こえます。技巧において素晴らしいのはもちろ んでしょうが、そこはその方面に明るい方が細かくチェックしてみてください。 第二楽章は弾き始めに一瞬ためがあった後は軽快なテンポで 流します。コチシュほどさらっとはしていないものの基本は素直で端正な感じであり、ことさら特徴的な表現も嫌味もない運びで、所々で立ち止まり気味に緩め るリズムがあります。それは常態的な揺れというよりも部分的な延びという感じです。右手が出て来るとくっきりとした音で表情があり、強く叩く音符によって 区切りを付けます。二拍目を強める癖もあるようです。短調になる前で大分速度を落とし、そこからまた速めて行きます。そしてだんだん乱れの表現を加えつつ 盛り上げて行き、極まると遅い拍で区切ることを繰り返します。頂点では前へ前へとかなり揺らして走り、やはり嫌味はないけど振りの大きな表現となります。 意図的にしなを作ってる濃い表情だとも言えるでしょうが。また、合わせているネゼ=セガンの伴奏の動作が大きく、それは両端楽章の方がより顕著ながら、多 少やり過ぎ感もあるかもしれません。でもこのぐらい粘り腰でサービスしてくれる方がいい気もします。 2018年ドイツ・グラモフォンの録音はかなり良く、これ がまた一つの魅力のポイントです。さほど残響を感じさせない見通しの良い音のオーケストラに輝き過ぎないピアノがマッチしています。4番との組み合わせで すが、2番はセッション、4番はライヴ収録です。 |