シューベルト / ピアノ五重奏曲「鱒 (ます)」 ゲルハルト・ヒッシュ、ハンス・ホッターといった日本にも縁のあった人たちの活躍と教育によって、シューベルトといえば年配の方にとっては冬の旅などの歌ものになると思います。宮沢賢治を愛する心とでもいうか、その心象風景は日本人のメンタリティにも合うのかもしれません。もちろんドイツ・リート(歌曲) は世界的にもシューベルトの音楽史での功績ということになるのですが、冬の旅などの暗く甘い傷心の歌は日常的に聞くにはどうかと思う方もいらっしゃるで しょう。しかし五曲目の「菩提樹」や、 元々は宗教曲ではなかった「アヴェ・マリア」など、シューベルトには心やすらぐ美しいメロディーもあります。そして歌心あふれるシューベルトゆえ、器楽・ 室内楽曲でもそうした親しみやすい歌曲の一部が使われているものがあり、ピアノ五重奏曲の 「鱒(ます)」などが代表的です。学校教育でも「魔王」、「野ばら」などと並んで必ず登場するメニューですから、音楽室で聞いたことがあるかもしれませ ん。 鱒の五重奏曲はシューベルトが二十二歳のときに作曲したもので、くつろいだ楽しげな雰囲気に満ちています。5番の交響曲と並んで明るい気分にしてくれ、「未完成」と並んで有名です。第四楽章に歌曲の「鱒」のモチーフが変奏曲として用いられているためにこのニックネームで呼ばれ、かつその穏やかな至福に満 ちたパートが特に有名ですが、歌曲でのその歌詞自体は必ずしも安穏としたも のではありません。詩の中の「私」が澄んだ川で鱒が元気に泳ぐのを眺めていると、釣り竿を手にした釣り人がその鱒を狙っていることに気づきます。こんなに 水が澄んでいるのだから魚が釣り針に騙されることもあるまいと思っているとしかし、釣り人は川をかき混ぜて濁らせ、鱒を釣り上げてしまった、というもので す。本来の詩には「男どもは汚い手を使って娘たちを釣るから気をつけなさい」と言う部分が続くのでそれが寓意だと分かるのですが、シューベルトはそこを割愛しています。 Franz Schubert Piano Quintet in A Major, D.667 "The Trout" Fantasy in C Major, D.934 Guillaume Chilemme (vn) Nathanaël Gouin (pf) ♥♥ Marie Chilemme (va) Astrig Siranossian (vc) Émilie Legrand (cb) シューベルト/ピアノ五重奏曲イ長調 D.667「鱒」 幻想曲ハ長調 D.934 ギョーム・シレム(ヴァイオリン)/ ナタナエル・グーアン(ピアノ)♥♥ マリー・シレム(ヴィオラ)/ アストリジ・シラノシアン(チェロ) エミリー・ルグラン(コントラバス) この室内楽の「鱒」という曲、元々は大変愛らしい曲で楽しげなのですが、伝統的な巨匠たちの演奏ではよくよく力が入り過ぎ、耳に痛く感じるときがあって 苦手でした。コントラバスを加えた変則的な編成による分厚い響きと、技法に慣れていなかったとされる作曲家自身の曲の扱いもあってそう聞こえるのかもしれ ません。楽器が多過ぎ、強い音になるとピアノも弦の連続音も釣り人のかき混ぜた川のように濁って感じられるのです。なので軽やかに勢い込まず、リラックス したマナーで楽しませてくれる演 奏はないものかと待ち望んできました。そして今やっと、その理想に応えてくれるものに出会うことができました。ギョーム・シレムのヴァイオリン、ナタナエ ル・グーアンのピアノという若手の演奏です。ギョームは1987年生まれ、ナタナエルは1988年生まれのフランスのデュオで、スウェーデンのコンクール で優勝しています。 くつろいで楽しんでいるような運びで、全体にタッチの軽やかさがあります。エッジが曖昧な のではありません。ピントはきりっと合っているのに尖らないもので、繊細によく歌い、清々し い演奏です。速いところでも速くし過ぎず、音が分離していて団子になりま せん。これが釣り人が来る前の美しい「鱒」の泳ぎでしょう。 カップリングの幻想曲 D.934 は死の前年から最後の年にかけて作曲されたヴァイオリンとピアノによる曲で、楽章がなくて続けて演奏されます。ヴァイオリン・ソナタではありません。昔で 言うジプシー、ボヘミア風ともされますが、三番目の主題は途中までモーツァルトのトルコ行進 曲を思わせます。 2017年録音のフランス、エヴィデンス・クラシクス・レーベルです。残響の長いやわらかい音ではないですが、くっきりとして瑞々しく、繊細な表情が捉 えられています。ピアノはドイツのベヒシュタインで、それらしい艶というよりも粒立ちの良さが際立っている印象です。それでいてコントラバスの低音がしっ かりとやわらかく響きます。 Franz Schubert Piano Quintet in A Major, D.667 "The Trout" Sonata for Arpeggione and Piano, D.821 Jos van Immerseel (fortepiano) Vera Beths (vn) Jürgen Kussmaul (va) ♥ Anner Bylsma (vc) Marji Danilow (cb) シューベルト/ピアノ五重奏曲イ長調 D.667「鱒」 アルペジョーネ・ソナタイ短調 D.821 ヨス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)/ ヴェラ・ベス(ヴァイオリン)♥ ユルゲン・クスマウル(ヴィオラ)/ アンナー・ビルスマ(チェロ/ヴィオロンチェロ・ピッコロ) マージ・ダニロフ(コントラバス) 「未完成」同様ピリオド楽器による「鱒」も取り上げます。同じインマゼールがピアノを弾き、ヴェラ・ベスのヴァイオリン、アンナー・ビルスマのチェロと いったメンバーによる「ラルキプデッリ」と名乗る人たちの室内楽演奏です。一時は「未完成」と二つを並べてインマゼールの古楽的シューベルト、という切り 口でご紹介しようかと思ったほどで、ロマン派の靄が晴れた有り難いパフオーマンスです。ピアノはここではフォルテピアノですが、例の軽いおもちゃのような 音ではなく、案外普通のピアノにも聞こえるもので、面白みはないものの落ち着いて聞けます。演奏も古楽器奏法の癖のうち不均等なリズムは出さず、その点で も落ち着いて楽しめます。一方で速く駆け出すところはやはり若干あり、ゆったりなところとパラグラフを分けて交互に出てきます。両者は同居しないのでリズ ムの揺れとなって現れはしないものの、ピリオド奏法へと向う欲求は皆無ではないということです。したがってシレム=グーアン組のようなリラックス感は比較 すれば少なく感じます。それでも軽やかさという点では十分軽やかであり、伝統的な重さのあるリズムとは違って壮快なものです。速い楽章ではややせわし ないときがありますが、第二楽章や鱒の主題の第四楽章では速めのテンポながら気持ちよく歌っており、その清々しさが大変良いと思います。ヴァイオリンの音 も典型的なバロック・ヴァイオリンの細身の音ではないものの魅力的です。 そしてこのアルバムの最大の魅力はアルペジョーネ・ソナタが聞けることです。最初の楽章の憂いを含んだメロディーは一度聞いたら忘れない種類なので、曲 は知らなくても聞いたことがある、という事態になることもあると思います。アルペジョーネというのはシューベルトの時代に発明され、今や廃れてしまった楽 器で、ギターの弦の中央を駒で持ち上げて弓で弾けるようにし、丸孔の代わりにチェロのような二つの共鳴孔を開けたものです。別の言い方をすればヴィ オラ・ダ・ガンバにフレットを取り付けたと言ってもいいかもしれません。現在は五弦のヴィオロンチェロ・ピッコロで代用されることが多いようですが、ここ でもアンナー・ビルスマがそうしています。演奏は主導権がインマゼールからビルスマに移ったからか、あるいはそういう解釈なのか、ピリオド奏法の駆け出す ように速くする傾向が「鱒」のときほど聞かれません。くつろいでいて良いと思います。因みにアンナー・ビルスマは男性で、ヴェラ・ベスは女性です。 録音は1997年でレーベルはソニー・ヴィヴァルテです。シレム=グーアンの盤よりも残響が含まれた間接音の多いやわらかな響きで、高い方が鋭くなく、 これもコントラバスの低音がよく響きます。 INDEX |