シューベルト / 交響曲第8番「未完成」

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 ご存知「未完成交響曲」はシューベルトの中でも最も有名で、作曲者が二十五歳という若さだったことによって、あるいは有名ゆえにこの曲を最初に知った遠い昔の青春の思い出が蘇ったりして、聞くたびに甘酸っぱさや胸詰まる感覚を思い出す方も多いことでしょう。そして初めて聞いた瞬間から「なんてきれいな音楽だろう」と思える親しみやすい名曲でもあります。二楽章構成で完成度が高く、第一楽章は夜明けのようにほの暗い始まりで劇的な短調ながら所々で夢見るようになり、また第二楽章は憧れて空に舞うようにロマンティックで、途中で一度劇的になります。1822年の作で、音楽協会から賞をもらったことへのお礼として書かれたのだけど、そこへは二つの楽章の楽譜しか送っていません。なぜ未完成になったのか(交響曲は通常四楽章構成)は色々な人が様々に言って来たけど決め手はなく、後世の映画では想像力豊かにロマンスの物語に仕立てられてもいます(「未完成交響楽」)。でもどうやら最初から二楽章にするつもりではなかったらしく、第三楽章のスケッチらしきもの(スケルツォ)が見つかっているようです。あまり演奏されないけどそこから全体を補筆する試みもなされています。LP の時代にはベートーヴェンの「運命」とカップリングされて黄金の組み合わせとなり、続けて聞かれるようなものにもなっていました。



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      Franz Schubert   Symphony No.8 (7) in b, D.759 "Unfinished" ♥♥
      Guido Cnatelli   Philharmonia Orchestra


シューベルト / 交響曲第8 (7) 番 ロ短調 D.759「未完成」
グィド・カンテッリフィルハーモニア管弦楽団 ♥♥

 ここではグィド・カンテッリ盤を挙げてみようと思います。古いものに威光を感じるからでも知られていないからでもなく、素晴らしい演奏だったからです。完全無欠と言ってもいいでしょう。そしてこれはステレオ盤で、音も良いのです。

 カンテッリは1920年生まれのイタリアの指揮者で、ピアノのリパッティやベネディッティ・ミケランジェリなどと同じ世代です。早くに亡くなったことで 知られています。夭折の指揮者といえば白血病で逝ったフェレンツ・フリッチャイや溺れてしまったイシュトヴァン・ケルテスなどが有名で、その悲劇性ゆえに 常に熱を帯びて語られがちです。そしてカンテッリは三十六歳でした。シューベルトより五年長く生きたに過ぎません。1956年11月24日の土曜日へと時計 が深夜を回った頃、アリタリア航空の前身 LAI が飛ばす451便ダグラス DC−6はアイルランドを経由してニューヨークへ向うところでした。霧立ちこめるパリ・オルリー空港の26番滑走路へとタキシングし、全力でプロペラを回 して滑走を始めましたが、車輪が地面を離れて十秒足らずで高度を失い、滑走路の終わりから600m 過ぎたところにあった家に衝突して炎に包まれました。乗客は25人、その中にカンテッリも含まれていました。乗務員も含めて生き残ったのは二人だけでし た。アヴィエーション・データベースによると当日の視程は2.2m、気温は摂氏マイナス2度でしたが、直接の原因は高度を失ったことで、型通りの調査では なぜそうなったかは説明されず、離陸滑走路上に何らかの障害物があったのではないかと推測されるということです。700機ほど製造された同型機で二十五回 目の致命的事故だったそうで、昔は航空機事故の割合が高かったのでしょうか。著名なヴァイオリニストであるジネッタ・ヌヴーとジャック・ティボーも飛行機 で亡くなったことはすでに書きました。この二人は着陸進入時の航路逸脱で山に激突したのですが、三人ともオルリー空港発の便です。ジネッタは三十歳でし た。

 カンテッリがニューヨークに向っていたのはトスカニーニに呼ばれて以来活動の拠点がアメリカにもあったからです。将来を嘱望される指揮者でした。トスカ ニーニは息子のようにかわいがっていたそうで、彼がグィドを気に入った理由はもちろん第一に演奏の素晴らしさでしたが、その来歴にもあるようです。カン テッリは大戦中に兵隊に取られてしまいました。イタリアは早々と連合国側に降伏しましたが、それを受けて侵入してきたドイツに軍がなびき、ナチが嫌いだっ たカンテッリは逆らってドイツの収容所に入れられます。しかし脱走し、レジスタンス運動に加担して再度捕まって処刑されそうになり、また脱走して、他の多 くの仲間が捕まる中とうとう逃げ切りました。そういう強者のエピソードを知って、ナチに断固として反対してきたことで有名なトスカニーニは大いに喜んだよ うです。
 
 さて、そのグィド・カンテッリの演奏ですが、「未完成」が大変きれいです。トスカニーニに自分のスタイルに似ていると言われて以来、同じような演奏をす ると思われてきたようですが、似たところと違うところがあると思います。トスカニーニの演奏には、NBC 響とのこの「未完成」でも正にそうですが、湧き上がるような興奮が短いクレッシェンドとなって現われるところがあり、激発という感じがします。残響の短い 録音スタジオのせいもあるながら噂通りの怒りん坊さんを思わせる表現であり、筋肉質に引き締まり、どの一瞬も完璧にしようとする意志の強さを感じさせま す。火の性質とでも言いましょうか。第二楽章も 適度に流れるテンポでメリハリが付いています。カンテッリが彼と似ているところは、同じく完成された感じがするところと、 恐らくはそこへの要求度が同様に高いだろうと思えることです。それは癇癪のようではないものの、抑えられたピアニシモとそこからの息の長い完璧な盛り上が り、そしてすっきりもたつかない切れの良さに表れていると思います。どの部分もコントロールが大変効いている印象なのです。かなり練習しないとこうは行か ないはずで、実際気に入らなくて録音を何度もやり直す傾向があったそうです。

 一方でトスカニーニと違うところは、そのような統率力を流れるレガートの、もっぱら美に奉仕するかのような滑らかさに発揮するところです。同じ技術で目 指すところが異なるのです。中心にはマグマの火が燃えていながらも、表面は地殻のように静謐です。それはいわゆるカラヤン・レガートとは違います。弱い音 に徹底していた頃のチェリビダッケのように弱くもありません。細部まで統制が効いて滑らかといえば、前にドヴォルザークでのドホナーニ/クリーヴランド管 が似た発想だとレポートしていますが、84年のテラークのシューベルトに関しては荘重な足取りであり、第二楽章もゆっくり極力静かに行くながら、カンテッ リの種類の流線型ではないように感じます。この曲で近いと言えば流麗に延ばす歌が聞かれるストコフスキー/ロンドン・フィルが形は似た印象がなくもないと いうところでしょうか。でもそれもやっぱり別物です。普通一つの音符を弾けば弦楽器など強弱が幾分山なりになりがちですが、カンテッリの場合スラーをかけ るとなると完璧で、音符の連なりが定規で引かれたように均されて一体化しています。張りつめるほど抑えている結果、大変スムーズなのです。ここにこの人の 独特の美学を感じます。その流れるような美しさは他では得られない種類なので、今回取り上げることにしたわけです。生涯の短かった作曲家と共鳴し合い、「未完成」と非常にマッチしています。

 グィド・カンテッリ。不慮の死によってビッグ・ネームとなることの叶わなかった人ですが、そのピンチヒッターとなった指揮者よりも、同じイタリアで彼の 代わりにその後活躍した指揮者よりも、もっと好きになれたかもしれないと思うと残念です。しかしそれもまた必然なのでしょう。長生きしたらまた違う表現へ と変化して行ったかもしれませんし。いずれにせよ、張りつめた緊張感によって美しさを表現した「未完成」はカンテッリのベストであり、カンテッリの「未完 成」は「未完成」のベストです!

 普段歴史的名演は敬遠しがちな方ですが、これは驚いたことにステレオです。1955年といえばこの技術による収録は始まったばかりで、まだステレオ LP 盤が世に出る前のことです。しかしここでは新たに出すにあたっての調整がかけてあるせいもあるのでしょう、ステレオ初期特有の薄っぺらい感じも高域の詰 まった硬さもなく、ふくよかで潤いすら感じられます。この CD は EMI の8枚組のボックス・セットですが、値段は一枚より安く手に入ります。「未完成」と一緒の盤に入っている、カンテッリが亡くなる年に収録したベートーヴェ ンの7番の交響曲が同じくステレオで、それもまた素晴らしい出来です。他にも第一楽章が入れられず仕舞いになってしまった第5交響曲(運命)、モーツァル トの29番のシンフォニーもステレオです。このモーツァルトなど、やわらかな歌と引き締まった均整美とのバ ランス、理想的なモーツァルトではないでしょうか。

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 カラヤン・レガートの話が出て来たので、ここで少し他の演奏とも比較してみます。まずそのカラヤンですが、同じ時期の同じフィルハーモニア管との演奏は 明らかにもっと拍を区切っています。その後のベルリン・フィルとのもの('64)はより劇的な動きのあるものになり、第二楽章ではリズムが重く分割されま す。そして他の曲でも同じ傾向ですが、70年代の BPO の録音('75)はより流麗で起伏が大きくなります。タイムも長くなり、「未完成」は第二楽章が遅過ぎるように感じて自分の好みではないながら、よく歌っ て大変ダイナミックです。音も良いので、迫力ある演奏が好きな方にとってのベスト盤となることでしょう。

 ついでに申し上げれば、同じように熱い演奏として「未完成」の最も魅力的なものの一枚はカルロス・クライバー/ウィーン・フィル盤かもしれません。第一 楽章はテンポが遅過ぎることはないですが滑らかに推移し、それから動かして行って後半は猛然と盛り上がります。第二楽章もさほどゆったりではないけれども 弱いところはぐっと抑え、その静かなところでは極上の滑らかさを感じさせます。ウィーンフィルのきれいさが際立っていて、木管も美しいし、録音も大変良い ものです。シンフォニックに凄い演奏だと思います。

 スケールの大きさというよりもフォルテでの歯切れの良い演奏がお好みならばケルテス/ウィーン・フィルという選択もあります。同じくウィーン・フィルの 美音ですが、デッカの明るく歯切れの良い録音で聞けます。シューベルトは全集を出しています。第二楽章は一歩一歩重く歩く感じもあるながら、同時に力強さ も感じます。

 トスカニーニの鍛え抜かれた演奏とカンテッリを最初に比べましたが、ちょっと似た波長を感じさせるセル/クリーヴランドはどうかというと、後継者のドホ ナーニとは違い、滑らかにつながって上下する感覚はありません。リズムもやはりしっかりと区切られたものになります。
 トスカニーニの対極にあるライバル、フルトヴェングラー/ベルリン・フィルともなると、それはもう、シュバルツバルトの森にかかる濃霧のように抑えたと ころから突如盛り上がる様が物語性に訴えており、神秘的なメリハリを感じさせます。

 さて、好みの方向性はこの曲らしく滑らかにゆったりと歌ってくれるものでした。そこでまず思い出すのはワルター/コロンビア響でしょうか。そう思って大 昔に手に入れた演奏は、確かにゆったりとして美しいのですが、自分には第二楽章がやや悠然とし過ぎでした。この人と常に比べてしまう歌のある指揮者、クー ベリック/ウィーン・フィルの60年盤は、これもゆったりめで、大変オーソドックスな演奏です。第一楽章では特に滑らかなスラーというわけではありませ ん。

 やかましくならない洗練という意味では、いつもマリナー/アカデミー室内管を思い出します。こちらは初期の颯爽とした速い演奏ではなく、ディジタルに なってからなのでややゆったりしたテンポです。しかし相変わらず均整のとれた滑らかさがあり、第二楽章も遅過ぎません。全体に中庸の美という印象です。そ してこのマリナーも全集を出しています。面白いことに、その「未完成」は完成された版として第三、第四楽章を補っています。第三楽章は遺されたスケッチか ら拡大し、第四楽章は他曲からインスピレーションを得て創作したもので、好奇心を満足させてくれますが、未完成だから良かった、などと言ったら失礼でしょ うか。元来元気なシューベルトは得意でないのでそんなもの言いになってしまいます。それから、マリナーのレパートリーをもっとロマン派寄りにして同様の洗 練を売りとするデュトワは、この曲は出してないのでしょうか。

 反対にごつっとした印象を持つことのあるベームは、モーツァルトと同様シューベルトでも実は柔軟で、魅力のある演奏に感じます。ベルリン・フィルと ウィーン・フィルがありますがどちらも実直な印象であり、前者はテンポがすっきりしていて、後者は滑らかながらも遅く区切られたリズム傾向です。伝統的な ウィーンの流儀を伝えるものでしょう。

 もう一人、カンテッリより六つ年上ながら同時期にイタリアで活躍していたジュリーニとシカゴ響はどうかというと、この人は無機的なほどゆっくり抑えてや ることもありますが、第二楽章はスラーで波打つように滑らかというよりはやはりもっと平坦であり、強いところは全体に重いリズムで運んで行きますし、ブ ロックごとに盛り上がるように強弱をつけるという印象でした。個性的な演奏です。

 同世代とも言えない八つ年上ながら忘れてならないのはチェリビダッケでしょう。ミュンヘン・フィルとの88年盤は、いつも弱音でやらせていた時よりずっ と後、テンポが遅くなってきた頃の演奏です。ゆったりでごつごつはしないですが、雄渾荘重な演奏です。第二楽章も真面目で重みがあり、ここまで立派だと曲 と比べてどうなのでしょう。見方によると思いますが、これもまた「未完成」の一つの名演奏だと思います。

 奇才アーノンクールはロイヤル・コンセルトヘボウとでピリオド楽器ではないで すが、ノン・ビ ブラートの独特の音で聞かせます。この人には、本人にとっては一つでも、端から見ると二十面相のようなところがあります。大きく分ければ二つ、尖った拍と 歯切れの良い金管打楽器が速いテンポで押すアグレッシブな側面と、瞑想的とも言える宗教曲やドヴォルザークなどでの滑らかで息の長い歌を聞かせる一面で す。晩年のロ短調ミサのライなどの例外を除いて、それは概ね古典派以前かそれ以降かで分か れているようで、分水嶺は両方あるベートーヴェンです。ではシューベルトはどうかというと、どうも古典派という解釈のようで区切られた拍で間が大きく、アクセントがはっきりしています。
テンポはゆったりめですが、盛り上がる部分でも走らないのがむしろ強靭な印象 を与えます。金管鋭いです。第二楽章もゆったりながら、やはり滑ら かにつなぐというよりも、落ち着いて一つひとつ音を鳴らして行く感じです。リズムがくっきりして、フォルテでは迫力があります。
 


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      Franz Schubert   Symphony No.8 (7) in b, D.759 "Unfinished"
      Herbert Blomstedt   Staatskapelle Dresden
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シューベルト / 交響曲第8 (7) 番 ロ短調 D.759「未完成」
ヘルベルト・ブロムシュテット / シュターツカペレ・ドレスデン
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 ちょっと変わり種を最初にご紹介したので、今度はど真ん中の正統派でありながら、他の多くの演奏と比較し てもなかなか魅力ある名演かなと思うものを取り上げます。 音が素晴らしく、一般には
「未完成」ならこれだけお勧めすればい のかもしれません。指揮者はスウェーデン人のブロムシュテット、オーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンです。同じく国内盤で出ることのあるスウィー トナー/シュターツカペレ・ベルリンと並んで燻し銀などと言われる旧東側の楽団による演奏で、この両者とも指揮者は西側出身にせよ、コマーシャリズムに縁 のない世界からのエコーを思わせる、はったりのない真面目な音を聞かせてくれます。したがって二人の演奏を比べると、ブロムシュテットの方が若干ごつっとして力強い場合もあ るかなと思うものの、(大変失礼ながら)ときに見分けがつかないケースもありました。そ して本人は何も変わったことをする意図はないでしょうが、ここでのブロムシュテット盤はこの人の最良の録音の一つだと思います。もちろん派手 な解釈は加えていません。

 ブロムシュテットでまず思い出す CD にはモーツァルトの40番のシンフォニーがあり、艶やかで潤いのあるなんとも魅力的な音楽でした。この「未完成」ではその真っ直ぐさに加え、大変力強さも ありながらロマン派寄りの積極的な静けさとやわらかさも聞かれます。テンポは遅めの方に入ります。録音に負うところも大きいと思いますが、角が鋭過ぎず、 ピアニシモが大変美しいです。第一楽章では息の長いクレッシェンドが印象的ですが、何より特筆すべきなのはフォルテでやかましくならないところです。この 音響はちょっと生で聞いているようで素晴らしいです。たゆませて歌わせるところが柔軟です。
 第二楽章はゆったりしていますが、遅過ぎるようには感じません。なだらかな呼吸があって、音が溶け合って有機的につながっているからでしょうか。会場の 性質も加わり、そこに合わせてやわらかくて優しい歌を聞かせます。正攻法のベストな演奏だと思います。

 レーベルはシャルプラッテンーベルリン・クラシクスで1978年の録音。ドレスデンのルカ教会での収録で、大変美しい音響を生んでいます。サンフランシ スコ響とのデッカの CD も出ていて良い演奏ですが、ドレスデン・シュターツカペレ盤音 の良さには利点があると思います。カップリングは第5番です。こ のときのセッションは版権が安くなっているようで、これ以外にも組み合わせを変えた国内盤があり、それからブロムシュテットは「未完成」が曲に合っていて良 かったわけですが、同じレーベルでの全集、廉価盤のブリリアントでの全集も出ているようです。他曲でも 基本的な解釈は変わってないと思います。



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      Franz Schubert   Symphony No.8 (7) in b, D.759 "Unfinished"
     Jos van Immerseel   Anima Eterna Brugge
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シューベルト / 交響曲第8 (7) 番 ロ短調 D.759「未完成」
ヨス・ファン・インマゼール / アニマ・エテルナ
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 ピリオド楽器による演奏も一つ挙げます。最初「未完成」の CD というとこれが浮かんだぐらい有り難い演奏で、全集を買ってしばらくこの人のばかり聞いていたことがありました。シューベルトの「未完成」、ロマンティッ クな曲であるがばかりに重く過剰に歌わせるものが多くて、どうかすると深刻な感じすらさせる演奏もあり、フル・オーケストラではなくてこぢんまりとした室 内オーケストラのものはないか、どうせならバロック・ヴァイオリンの音で聞きたい、と思っていたからです。他にブリュッヘン/18世紀管のものもあり、そ れもいい演奏ですが、この曲に関してはややリズムが重く、ゆっくりで重厚さを感じました。好みの問題ですが、タメも大きくてピリオド奏法の隈取りのしっか りした個性的な演奏です。その点このインマゼールはいつもの彼らというか、ベートーヴェンのときと同じようなアプローチでより自然体です。

 第一楽章は活気があって歯切れのよい演奏です。静かなところでは軽さのある歌わせ方で、透明度が高いというのが最初の印象です。録音としてはさほど細く はとられていませんが、ピリオド楽器のノン・ビブラートの弦の音はやはり大変いいです。テンポはゆったりではなく、爽やかでリズムが重くなりません。ティ ンパニは軽い音でタン、と響き、ロマン派の霧を晴らしてくれます。こういうのはブロムシュテット盤のような意味での正統とは言わないのかもしれませんが、 往時は案外こうだったのかもしれません。余計なことをしない純粋さ、若々しさが素晴らしいと思います。
 第二楽章もピリオド楽器の楽団らしく、速めのテンポで爽やかに歌わせて行きます。ビブラートがかからないので真っ直ぐな音で、大変新鮮です。この演奏の 最大の魅力だとも言えるでしょう。リズムもよく弾むすっきりとしたものながら、速い中で滑らかによく歌わせています。決して昔のピリオド奏法の短 くフレーズを切り上げる手法ではありません。そしてその中に情緒を感じさせる歌があります。特筆すべきはオーボエで、よく抑揚がついて美しいです。そこか らフォルテに来ると結構勇ましいのですが、うるさくは感じず、高原の空気のように新鮮で初々しいものです。「清涼剤」という薬が具体的にあるのかどうか分 かりませんが、あるならこういうものであって、やはりこれが本来のシューベルトだ、などと思えてしまうところが不思議です。最後に強調します が、決して奇をてらうものではなく、オーソドックスだけどよく考え抜かれた抑揚なのだと思います。最後の方でのピアニシモで、ぐっと抑えられた弦のなんと 美しいことでしょう。

 レーベルはフランスのジグ・ザグ・テリトワールで1996年の録音です。ここでは全集盤の方のジャケットを掲げましたが、国内盤で一枚ものも出ており、 まだ買えるようです。そちらは5番(シューベルト)との組み合わせです。5番も同じ乗りの速いテンポで颯爽と進めて行くもので、優美な曲だからといって穏 やかに軽く流すのではなく、活気があって結構力強くやっています。



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