シュッツ / 十字架上の7つの言葉
「十字架上の(キリストの)7つの言葉」はシュッツの名曲です。同名のものにハイドン作のもありますが、それより先に作られたこの作品、この作曲家のものとしては特に印象的な旋律の動きとハーモニーを持ち、静けさをたたえた魅力的な曲です。20分ほどで大作ではないけれども、シュッツで一つ挙げるならこれという代表曲だと言ってもよいでしょう。他にも三つある受難曲の方こそという意見もあり、そちらも評価が高く、演奏時間はより長いです。そしてバッハのものより厳しさがあるとも言われるけれども、その「厳しさ」の中身は無伴奏のア・カペラであるということであり、独唱者が語るような部分(レチタティーヴォ/グレゴリオ聖歌の出だしに似ている)が多いという意味でもあります。ロマン・ロランの言うような精神的価値を否定するわけではないですが、本来の典礼目的ではなく、またドイツ語の響きや内容に着目するのでもなく、音楽をただ楽しみとして聞く場合に限れば、構成がシンプルな分感覚に訴えかける要素が少ないとは言えるかもしれません。それとは別に、古楽の合唱を網羅的に録音している名人であるフィリップ・ヘレヴェッヘもドイツ・レクイエム(Musikalische Exequien SWV279-281)、宗教的合唱曲(29のモテット)、小宗教コンチェルト、白鳥の歌(晩年の13のモテット)などを録音しているけれども「十字架上の〜」はやってないようです。でもそれを外すのはむしろ珍しいのではないでしょうか。ルネサンスの宗教曲などが好きな方にとっては重要なレパートリーだからです。元来これを聞くのはバッハの受難曲などから興味を持った人、古楽の合唱に親しんでいるような人などでしょうから余分な説明は不要かとも思いますが、マイナーな作曲家だからといってクラシックの重要曲リストから外すのは勿体ないです。曲の内容からいって厳粛な雰囲気ではあるけれど、はきはきとテンポが速かったりすると恋心を歌うモンテヴェルディのマドリガーレのようにも聞こえます。ドイツ語のオラトリオ、もしくはカンタータのような形式で書かれ、ソプラノ、アルト、テノール2(一人はキリスト役)、バスの5つの独唱パートとその5人による合唱(独立した合唱団による場合が一般的)、5つの楽器による伴奏(数と内容が変わる場合あり)から成る構成です。
作曲家について
ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)はバッハの100年前に生まれたドイツの作曲家で、パッヘルベルやテレマンを除けばブクステフーデ(1637?-1707)と共にバッハに影響を与えた同国の先人という言い方をよくされます。前述の通りバッハの曲と同じ形式名である受難曲というもの(マタイ、ルカ、ヨハネ)をすでに作曲していました(古くからの形式ながらこの時代ではルター派圏内に限られ、中でもシュッツのものは最も知られています)。では100年前ということはパレストリーナ(1525?-1594)やクリストバル・デ・モラーレス(1530?-1553)などのルネサンス時代を代表する作曲家になるのかというと、ちょっと違います。シュッツは世俗曲も残したものの楽譜がなく、無伴奏の宗教合唱曲が多いので確かにそんな印象はあります。また、イタリア風の技法もあってルネサンスの多声合唱と似たような響きにも聞こえます。でもルネサンス音楽は15〜16世紀であり、その後期で1600年頃までとされますから、シュッツはモンテヴェルディ(1567-1643)と同様にルネサンスからバロックへの橋渡しをした人という括りになります。実際、モンテヴェルディの弟子でもありました。音楽史的には当時後進国だったドイツにイタリアの音楽を持ち込んだ先駆者という言われ方もします。三つの受難曲、クリスマス物語、ドイツ・レクイエム、宗教合唱曲(29のモテット)、そしてここで取り上げる「十字架上の7つの言葉」などが有名です。
Heinrich Schütz
どんな人だったのかということになると時代も古いので、バッハのように剣を抜いて喧嘩をしただとか女の子を教会に連れ込んだとか、吝嗇だったといったような具体的なエピソードはあまりありません。私生活においては三十四歳頃に十六ほども下の女性と結婚し、二人の娘がいたということぐらいでしょうか。生まれたのはライプツィヒの南にある現バート・ケストリッツという町で、五歳頃にはよりライプツィヒに近いワイセンフェルスに引っ越しました。父親は宿屋を経営しており、後に市長にもなって複数の宿を持ちました。そしてシュッツが十四歳だった頃、当時領主だった人(ヘッセン=カッセル方伯モーリッツ)がその宿に宿泊した際、歌っている彼の才能に気づいて自分の下での教育を申し出、道が開けました。その後聖歌隊で歌った後は法律も学んだようです。そして二十四〜二十七歳頃の三年間イタリアのベニスに行き、有名な作曲家ジョヴァンニ・ガブリエーリ(1554?-1612/モンテヴェルディが属するヴェネチア学派の頂点を築いた人)の弟子となりました。したがってドイツ人でありながら当時のイタリア音楽に精通し、そのイタリアの手法(マドリカーレなど)による音楽でドイツ語の宗教音楽を作ることになったのです。ドイツに戻るとオルガニストとなり、またドレスデンで宮廷楽団の指揮者にもなってその地で活躍します。そのときの宮廷楽団が今のドレスデン・シュターツカペレです。後年は楽長でもありました。その後は四十三〜五十歳頃までの7年間、再度ベニスに住んでモンテヴェルディの弟子になりました。そしてデンマークでも長く生活しましたが、またドレスデンに帰り、さらにワイセンフェルスに戻って引退して、最後は脳卒中で亡くなりました。八十七歳という長生きでした。
作曲時期など
「十字架上の7つの言葉」は1645年前後の作ということで、六十歳頃にワイセンフェルスで作曲し、十年後の1655年から二年ほどかけて改定しました。六十歳というと遅い時期のように思えますが、三つの受難曲を作ったのは1665〜66年で、白鳥の歌であるドイツ・マニフィカートは死の前年である1671年です(これも聞けばまるでモンテヴェルディのマドリガーレのようです)。したがって晩年の作ですらありません。この人の作風はイタリア色以外にもルネサンス時代のフランドル楽派の影響も指摘される一方、若いときは進歩的だったけれども後年は禁欲的なまでに簡潔なスタイルになったとされます(受難曲などのことです)。それについては三十年戦争で国土が荒廃したことで、音楽の環境としても大規模な作品は難しくなったということもあるようです。こちらの「十字架上の〜」の方は受難節のカンタータとも呼ばれており、円熟した語法で書かれました。受難節の式典用か、もしくは自発的・個人的に作ったものという見方がされています。
内容
「字架上の7つの言葉」は、聖書の4つの福音書(新約聖書の最初の4章)に書かれている、キリストが十字架の上で死ぬまでに語ったとされる言葉のことです。それぞれ別の作者によって後世に記されたものですが、教義的には一つのものとしてまとめられています。16世紀からは受難日とも呼ばれる聖金曜日(復活祭の前の金曜日)の説教として語られて来たし、派に関係なく典礼でも用いられて来ました。そしてシュッツはヨハン・ベーシェンシュタイン(1472-1540)によるルター派の受難の賛美歌 ”Da Jesus an Kreuze stund”「イエスが十字架の傍に立ったとき」の歌詞を用いて作曲しました。以下にその序と7つの言葉、結びを記します:
序(序曲)
心の中で黙想せよ
つらい悲しみの中
十字架の上で
満身創痍で
イエスが語ったあの七つの言葉を
七つの言葉
最初の言葉:父よ、彼らをお許し下さい。なぜなら、彼らは自分たちが何をしているか分からないのです。
第2の言葉:女よ、あなたの息子を見なさい。ヨハネよ、あなたの母を見なさい。
第3の言葉:真実をあなたに言います。今日、あなたは私とともに楽園にいます。
第4の言葉:エリ、ラマ、アザブタニ(わが神、なぜ私を見捨てられたのですか。)
第5の言葉:喉が渇いた。
第6の言葉:全ては終えられた。
第7の言葉:父よ、わが霊をあなたの手に委ねます。
結び(終曲)
この神の殉教を褒め称える者を
そしてこの七つの言葉をよく思い起こす者を
神は確かに省みるだろう
彼の寛大さによってこの地上において
そしてまたそこに永遠の時があるだろう✳︎
✳︎この地上 hie auf Erd (here on earth) に対してそこ dort (there) の意味をこの地上ではない天国(神の国)であると解釈し、その天国で将来永遠の命 ewigen Leben (eternal life) を獲得出来るだろうという意味に理解するのが伝統的なキリスト教(カトリック、プロテスタントを問わず)の贖いによる救済の概念です。
以下に年代順で主だった録音を取り上げます。廃盤で CD は中古でしか手に入らないもの、主要なサブスクライブのサイトでは探せなかったものも一部含まれます。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Jürgen Jürgens Monteverdi-Chor Hamburg Das Leonhardt-Consort ♥♥
Irmgard Jacobeit (s) Bert van t’Hoff (t) Max van egmond (br)
Peter Christoph Runge (br) Jaques Villisech (b) Gustav Leonhardt (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
ユルゲン・ユルゲンス / ハンブルク・モンテヴェルディ合唱団 / レオンハルト・コンソート ♥♥
イルムガルト・ヤコバイト(ソプラノ)/ ベルト・ヴァン・トホフ(テノール)
マックス・ヴァン・エグモント(バリトン)/ ペーター・クリストフ・ルンゲ(バリトン)
ジャック・ヴィリゼク(バス)/ グスタフ・レオンハルト(オルガン)
古い方からということで、モノラル時代にもフェルディナント・グロスマンの指揮、ウィーン・アカデミー室内合唱団、ウィーン交響楽団による1951年の録音などもありました。グロスマンはオーストリアの合唱指揮者で、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン少年合唱団などを指揮し、アカデミー室内合唱団は戦後間もなくに本人が設立したものです。武蔵野音大でも教えていたので日本では馴染みのある人かもしれません。ただ、シュッツのこの曲が広く聞かれるようになったのは次の項でご紹介するマウエルスベルガーの66年録音盤からと言って良いのではないかと思います。グロスマン盤は大変ゆったりとしたテンポで(トータル 28’41”)、国立歌劇場合唱団や楽友協会合唱団など、昔の混声合唱団の録音にも共通するような分厚い響きの合唱が付いており、今の少人数の古楽の解釈からすると多少がやがやと聞こえるでしょう。そういうスタイルだったし、録音コンディションの問題もあります。当時の音を聞くことが出来ます。
そして定番扱いとなったマウエルスベルガーの二年前の録音として、この上にジャケットを掲げたユルゲン・ユルゲンス盤がありました。ユルゲンスは1925年生まれで94年に亡くなったドイツの合唱指揮者です。モンテヴェルディのパイオニアで、ハンブルクの同名のこの合唱団は彼の創設です。そのマドリガーレは大変美しく、FM の朝バロなどでもよく取り上げられていました。マナーとしてはその後の古楽演奏で聞かれた、世俗的な元気の良さを強調する踊るようなリズムに乗った切れの良いものではありません。そしてその頃はこの種の音楽研究の大御所だったけれども、以後多くの録音が廃盤となりました。ハンブルクの合唱団なので、この「十字架上の〜」もシュッツゆかりのドレスデンやコペンハーゲンの団体のような注目のされ方はしなかったかもしれないけれども、今聞いても大変魅力的です。逆にユルゲンスはモンテヴェルディのスペシャリストなので、モンテヴェルディに習って作風も似ているところのあるシュッツには最適という言い方も出来るかもしれません。
テンポは最近のスタンダードよりはゆったりしていますが、グロスマンほどスローではありません。出だしではマウエルスベルガーより少し軽快でしょうか(トータルは18分08秒)。合唱は当たりがやわらかく、流れるような強弱の抑揚がよく付いています。最近のほど少人数ではないにしても昔の大勢の響きではなくて、澄んで透明なハーモニーを聞かせています。その後の古楽ブームを先取りしていたと言えるでしょう。レオンハルト・コンソートの器楽の伴奏も滑らかで良いです。各独唱も品が良く、ソプラノはバッハの「狩のカンタータ」で清楚な美しい声を聞かせていたイルムガルト・ヤコバイト。マウエルスベルガー盤のようにボーイ・ソプラノではありません。このあたりは考え方、好みによって違うでしょうが、個人的にはありがたいです。
テレフンケンの1964年の録音です。音は良いです。その意味で、最近のものでなければならない理由はないでしょう。ルカ受難曲とのカップリングです。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Rudolf Mauersberger Dresdner Kreuzchor ♥
Michael Cramer (s) Eberhard Dittrich (a)
Hans-Joachim Rotzsch (t) Rolf Aprech (t) Peter Schreier (t)
Hermann Christian Polster (b) Theo Adam (b)
Doris Linde (a-gamb) Friedemann Starke (a-gamb) Hans-Peter Linde (a-gamb)
Wilhelm Neumann (vn) Peter klug (treble-gamb) Hans Grüß (t-gamb)
Mathias Siedel (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
ルドルフ・マウエルスベルガー / ドレスデン聖十字架合唱団 ♥
ミヒャエル・クレーマー(ソプラノ)/ エバーハルト・ディットリッヒ(アルト)
ハンス=ヨハヒム・ロッチュ(テノール)/ ロルフ・アプレッヒ(テノール)
ペーター・シュライアー(テノール)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)/ テオ・アダム(バス)
ドリス・リンデ(アルト・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
フリードマン・スタルケ(アルト・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ハンス=ペーター・リンデ(アルト・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ウィルヘルム・ノイマン(ヴィオローネ)/ ペーター・クルッグ(トレブル・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ハンス・グリュース(テナー・ヴィオラ・ダ・ガンバ)/ マティアス・シーデル(オルガン)
長らく定番の LP として君臨して来た演奏です。日本でも有名な評論家の方たちが絶賛していたようで、そのあたりの事情には詳しくないけれどもアルヒーフから出ており、当時の大抵のクラシック・ファンがシュッツと言えばこの盤を買い求めたのではないかと思います。聞き馴染んだ演奏ゆえにあらためて比べるまでこれを標準のように考えていたという場合も多いでしょう、とそれは個人的な話。指揮者のルドルフ・マウエルスベルガーは1889年生まれで1971年に亡くなったドイツの指揮者で、ドレスデン聖十字架合唱団を1930年から亡くなるまで指揮していました。独唱者としてここで名を連ねるペーター・シュライアーとテオ・アダムはこの合唱団の出身であり、この盤の価値を高めてもいるでしょう。マウエルスベルガーというと実はもう一人、混同しそうなエルハルト・マウエルスベルガーという指揮者もおり、バッハの140番のカンタータが落ち着いていて良かったとここでも書きました。シュッツに関してもルドルフと共同で指揮してたりするわけだけれども、弟です。戦前から活動していたのでナチ党員だった時期もあるというルドルフですが、そのイデオロギーには共鳴せず、ヒットラー・ユーゲントの活動も極力排するようにしていたとのことです。
ドレスデンといえばシュッツのホームグラウンドです。その意味で、この人たちの演奏は本家本元のものと言えます。また聖十字架合唱団は13世紀から続くとされ、シュッツ本人も褒めました。バッハのライプツィヒ聖トーマス教会合唱団と並ぶドイツの二大合唱団です。そしてその少年たちの声がこの盤の一つの特徴です。独唱に関しては上手だけどもいかにもボーイ・ソプラノらしいところはあり、女性ソプラノと好みは分かれるでしょう。でも合唱の音色とも相まって独特の魅力を発揮しており、これでなければという方も多いことと思います。テンポはグロスマン盤ほどではないにしてもゆったりとしたもので(トータルで22分06秒/グロスマンより6分以上短く、ユルゲンスより4分ほど長い)、現代の慣行とは異なりますが、遅過ぎるという感じでもありません。何しろこれをスタンダードとして聞いて来たこともあり、しっくり来るのです。フレーズを区切って確固とした意志のようなものを感じさせる演奏で、張り詰めた一種の厳しさも感じます。滑らかなフレージングのユルゲンスとは違うし、前述エルハルトの140番のカンタータ演奏が温かみを感じさせるのに対し、より切実で訴求的な印象を受けます。曲によるのかもしれませんが。
アルヒーフ・レーベルで出たもので、録音は1966年です。コンディションは良く、ユルゲンス盤と並んで音的には全然問題ありません。これ以上の演奏は以後出てないなどと断じるのは違うと思うけど、今なお魅力的な一枚だと感じます。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Ensemble Clément Janequin Les Saqueboutiers de Toulouse
Agnès Mellon (s) Dominique Visse (c-t)
Bruno Boterf (t) Philippe Cantor (br) Antonine Sicot (b)
Konrad Junghönel (lute) Jonathan Cable (b-gamb)
Bernard Fourtet (sacbut) François Février (sacbut)
Willem Jansen (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
ドミニク・ヴィス / アンサンブル・クレマン・ジャヌカン
レ・サックブーティエ・ド・トゥールーズ
アニェス・メロン(ソプラノ)/ ドミニク・ヴィス(カウンターテノール)
ブルーノ・ボテフ(テノール)/ フィリップ・カンター(バリトン)
アントニン・シコ(バス)/ コンラッド・ユングヘーネル(リュート)
ジョナサン・ケーブル(バス・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ベルナール・フルテ(サックバット)/ フランソワ・フェヴリエ(サックバット)
ウィレム・ヤンセン(オルガン)
フランス勢です。ハルモニア・ムンディ・フランスが出して来たもので、今はちょっと手に入れ難いかもしれません。カウンターテナーでリーダーのドミニク・ヴィスと、彼が1978年に結成した個性的な古楽の団体、アンサンブル・クレマン・ジャヌカンの演奏です。演劇的なルネサンスのシャンソンなどを聞かせて来た人たちだけど、このシュッツに関しては世俗的で外連味があるという感じではありません。むしろ徹頭徹尾力が抜けたというか、マウエルスベルガー盤のような緊張感はなく、ユルゲンス盤のような滑らかに波打つ歌もなく、静かで平静な印象です。所々で間をとって切るフレーズ処理はあるものの、基本は真っ直ぐな線で音がつながったような抑揚で進めます。サックバットなどの器楽も古楽の持ち上がるようなイントネーションは付けず、抑えつつふわっとしています。前へ駆り立てるようなところが一切なく、ただひたすらひっそりと漂っているような演奏だと言えるでしょう。どこか遠くでやっている楽隊の音が風に乗って聞こえて来るという風情です。トータルの演奏時間は17分13秒と、テンポは上記のものより速めであり、古楽運動後のものらしくて最近の標準の範囲と言えます。といってももっと速いのはあるわけで、感覚的にはゆったり落ち着いて聞こえます。
ソプラノにフランスの古楽唱法のパイオニア的存在であるアニェス・メロンが加わっています。基本ノン・ビブラートで少女的な声に独特の色気を感じさたりする人だけど、ここではそんな妖艶さは出さずに静かにきれいに歌っています。リュートのコンラッド・ユングヘーネルも古楽界で名の知れた人です。
1986年のハルモニア・ムンディだけど、音としては残響が少ないということにまず気づきます。そのせいで一層平静な感じに聞こえるのかもしれません。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Masaaki Suzuki Bach Collegium Japan
Midori Suzuki (s) Yoshikazu Mera (c-t)
Chiyuki Urano (t) Makoto Sakurada (t)
Yoshitaka Ogasawara (b)
Azumi Takada (vn) Natsumi Wakamatsu (vn)
Viola da Gamba Consort “Chelys”
(Masako HIrano, David Hatcher, Hiroshi Fukazawa, Tetsuya Nakano)
Hidemi Suzuki (vc) Masaaki Suzuki (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
鈴木雅明 / バッハ・コレギウム・ジャパン
鈴木美登里(ソプラノ)/ 米良美一(カウンターテノール)
浦野智行(テノール)/ 桜田寮(テノール)
小笠原美敬(バス)
若松夏美(ヴァイオリン)/ 高田あずみ(ヴァイオリン)
ヴィオラ・ダ・ガンバ・コンソート「チェリス」
(平尾雅子 / デヴィッド・ハッチャー / 福沢宏 / 中野哲也)
鈴木秀美(チェロ)/ 鈴木雅明(オルガン)
バッハのカンタータの素晴らしい全集を BIS から出した鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏です。バッハだけではなく宗教合唱曲全般を録音する傾向はヘレヴェッヘなどと共通しているかもしれません。バッハの演奏においてはメリハリをつけてダイナミックに行くというより、むしろ静的な美を聞かせるところに特徴があったという印象です。軽くて少し速めのテンポの曲もあるものの、概ねゆったりと歌わせていて、古楽奏法のエッジーな癖がなくて大変自然なところが魅力です。でもモーツァルトのレクイエムなど、存外力が入って弾けてるようなパフォーマンスもありました。そしてこのシュッツについてもまた、バッハのときともモーツァルトのときとも違う意味でちょっと個性的であり、意外なところがありました。やわらかく品を作るというか、曲線的にたわみを付けて歌わせて行くところが珍しい感じなのです。ときに声をひそめるようにして進行するパートもあるけれども、歌謡的な面が強調されており、全体には叙情的なアプローチだと言えそうです。そうした歌い方はソロ全員の傾向としてあるので、何らかの合意のもとにやっているのだと思います。カウンターテナーの歌い方も独特で目立つところがあります。トータル・タイムは19分57秒なのでマウエルスベルガーよりは速いながら、最近のスピーディなものよりは随分とゆったりとしています。ユルゲンス盤よりも2分近く遅めです。意外とは言ったものの、シュッツだから特にそう思うのでしょうか。やわらかく丁寧に、きれいに歌って行くところが魅力の演奏だと感じました。
BIS の1997年の録音です。音は大変良いです。でも盤としては今は多少手に入れ難いかもしれません。サブスクライブのサイトでは聞けます。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Wolfgang Helbich Alsfelder Vokalensemble ♥♥
Himlische Cantrey Barockorchester I Febiarmonici
Veronika Winter (s) Bettina Pahn (s) Henning Voss (c-t)
Jan Kobow (t) Henning Kaiser (t) Ralf Grobe (b)
Ulrich Maier (b) Beate Röllecke (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
ウォルフガング・ヘルビッヒ / アルスフェルト声楽アンサンブル ♥♥
ヒムリシェ・カントライ / イ・フェビアルモニチ・バロック・オーケストラ
ヴェロニカ・ウィンター(ソプラノ)/ ベッティーナ・パーン(ソプラノ)
ヘニング・フォス(カウンターテノール)/ ヤン・コボウ(テノール)
ヘニング・カイザー(テノール)/ ラルフ・グローブ(バス)/ウルリッヒ・マイアー(バス)
ベアーテ・レーレッケ(オルガン)
1943年のベルリン生まれで2013年に亡くなった、教会音楽と合唱の指揮者にして音楽学者でもあったウォルフガング・ヘルビッヒと、彼が1971年に創設した混声のアルスフェルト声楽アンサンブルによる演奏です(現在は本拠地をブレーメンに移しているようです)。
見事なアンサンブルで大変美しい演奏です。これより後に出たポール・ヒリアー盤が今のところ最も好みですが、これも負けず劣らず魅力的で、カップリング曲の聞きやすさではこちらの方がかけやすいかもしれません。ヒリアーの真っ直ぐで透明な響きと比べ、歌い方がやわらかく、やさしい雰囲気があります。アタックが最初強くなく、ふわっと盛り上がるような歌い方の抑揚があり、器楽も呼応してピリオド奏法らしく、ロングトーンでの中程で持ち上がるようなボウイングが聞かれるけれども大変自然です。キリストの死を強く悲しむべきであるとか、厳しさが必要だと考える向きには薦められないかもしれませんが、静かに見守って受け入れるような波長が良いです。独唱者たちも力まず大変自然です。トータルの演奏時間は17分17秒なので、クレマン・ジャヌカンとほぼ同タイム、18分08秒のユルゲン・ユルゲンスとも聞いた印象では同じぐらいです。新しい演奏だけど現代的にスピーディーというものではなく、ちょうどいいぐらいにゆったりしています。
ナクソスの2001年の録音です。音は残響もほどほどあり、やわらかくて心地の良いものです。カップリングはドイツ・レクイエム、「涙とともに種蒔く人は」SWV 378、宗教合唱曲集から「私はイエス・キリストの御もとへ行く」SWV 379 となっており、合唱の団体だけあって受難曲など、独唱の語り部分が多いような曲は選んでいません。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Hermann Max Rheinische Kantorei Das Kleine Konzert
Veronika Winter (s) Alexander Schneider (a)
Uwe Czyborra-Schuröder (a) Alexander Osthelder (c-t)
Bernhard Scheffel (t) Hans Jörg Mammel (t)
Ekkehard Abele (b)
ヘルマン・マックス / ライニッシェ・カントライ / ダス・クライネ・コンツェルト
ヴェロニカ・ウィンター(ソプラノ)/ ウーヴェ・チボラ=シュレーダー(アルト)
アレクサンダー・シュナイダー(アルト)/ アレクサンダー・オステルダー(カウンターテノール)
ベルンハルト・シェッフェル(テノール)/ ハンス・イェルク・マンメル(テノール)
エッケルト・アベーレ(バス)
ヘルマン・マックスは1941生まれのドイツの合唱指揮者です。彼が1977年に後にライニッシェ・カントライ(合唱)とダス・クライネ・コンツェルト(器楽)となる団体をドルマーゲンに創設しました(1985年に名称を変更)。合唱は12人から32人のメンバーから成ります。ルネサンスとバロック期の音楽がレパートリーです。
総演奏時間12分18秒というスピーディなものです。それは聞いた瞬間から分かり、他の演奏で馴染んだ人には別の曲のようでしょう。軽くモダンな運びを楽しめます。所々で力の抜けたリズムがあります。短く切り詰めたり強拍をおごったりするような意味でのピリオド奏法の癖はないですが、装飾を加えて声を震わせての独唱はルネサンスの世俗シャンソンか何かのようでもあり、あるいはモンテヴェルディの恋愛マドリガーレのようにも聞こえます。演劇的解釈が先鋭的だった頃の古楽表現を思わせるものです。音楽学的配慮からか、トラックが言葉の内容ごとに細かく分かれています。
2002年録音で、レーベルはカプリッチオ。カップリングはルカ受難曲、小宗教コンチェルト集からの数曲となっています。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Paul Hillier Ars Nova Copenhagen ♥♥
Else Torp (s) Linnéa Lomholt (a)
Adam Riis (t) Johan Linderoth (t)
Jacob Bloch Jespersen (b)
Eric Lindblom (sacbut) Erik Bjorkqvist Ian Price (sacbut)
Juliane Laake (gamb) Sarah Perl (gamb)
Allan Rasmussen (org)
シュッツ / 十字架上の7つの言葉 SWV 478
ポール・ヒリアー / アルス・ノヴァ・コペンハーゲン ♥♥
エルセ・トルプ(ソプラノ)/ リネア・ロンホルト(アルト)
アダム・リース(テノール)/ヨハン・リンデロース(テノール)
ヤコプ・ブロッホ・イェスペルセン(バス)
エリック・リンドブロム(サックスバット)/ エリック・ビョルキヴィスト(サックスバット)
イアン・プライス(サックスバット)/ ユリアーネ・ラーケ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
サラ・パール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)/ アラン・ラムスッセン(オルガン)
これは素晴らしい演奏だと感じました。往年のマウエルスベルガーの定番の一枚に慣れた耳にも驚きだし、ユルゲンスやヘルビッヒ盤に満足して来た人にも新鮮だと思います。今のところ個人的にはベスト盤です。ポール・ヒリアーは有名なイギリスの男声古楽カルテットであるヒリアード(エリザベス朝期の画家の名前)・アンサンブルを創設した人で、1949年生まれのイギリス人。1990年にはそこを脱し、2003年からはコペンハーゲンで活躍することになり、アルス・ノヴァ・コペンハーゲンの指揮者を務めました(2023年まで首席指揮者)。アルス・ノヴァ・コペンハーゲンは1979年に結成されたボーカル・アンサンブルで、現代ものもやるけれどもルネサンス期の多声の曲を得意とします。コペンハーゲンはシュッツが長く生活した場所で、ベニスと同様に第二の故郷と言ってよく、その意味でもゆかりの地の演奏と言えます。
何と言っても透明感があります。リラックスは出来ますが、凛としたたたずまいがあり、真っ直ぐで純粋という感じでしょうか。ユルゲンスやヘルビッヒ盤のようにやわらかい抑揚、やさしく撫でるような歌い方ではなく、かといって殊更に厳しさを出そうとしているわけでもありません。曲によっては静けさに満ちています。テンポは新しい割にゆったりしており、トータル・タイムは19分54秒。17分17秒のヘルヴィッヒや17分13秒のクレマン・ジャヌカンはもちろん、18分08秒のユルゲン・ユルゲンス盤よりも長く、19分57秒の鈴木雅明盤とほぼ同じであり、22分06秒のマウエルスベルガーにも近づいています。古楽奏法時代を経た2000年代以降の新しい録音としては大変堂々としています。各独唱者の歌声もヒリアード・アンサンブルをも思わせる透き通ったもので、一音の中で力を込めてのクレッシェンドはありますが、飾らず震えず真っ直ぐに歌います。どの声も揃っていてニュアンスがあり、理想的です。
2009年の録音です。レーベルはダカーポ・クラシックス。録音がまた大変良いです。リアルで響きが良く、残響の中に溶けて行く透明な声が堪能できます。艶やかな楽器も美しいです。カップリングはヨハネ受難曲ですが、他に4CD でマタイ受難曲、ルカ受難曲、ヨハネ受難曲、クリスマス物語、復活の物語が入ったボックスも出ています。
Heinrich Schütz Die Sieben Worte Jesu Christi am Kreuz SWV 478
Hans-Christoph Rademann Dresdner Kammerchor The Sirius Viols
Ulrike Hofbauer (s) Maria Stosiek (a) Stefan Kunath (c-t)
Jan Kobow (t) Tobias Mäthger (t)
Felix Schwandtke (b) Martin Schicketanz (b)
Hille Perl (lirone) Ludger Rémy (org)
ハンス=クリストフ・ラーデマン / ドレスデン室内合唱団 / ザ・シリウス・ヴァイオルズ
ウルリケ・ホフバウアー(ソプラノ)/ マリア・シュトージーク(アルト)
ステファン・クナス(カウンターテナー)
ヤン・コボウ(テノール)/ トビアス・メスガー(テノール)
フェリックス・シュワントケ(バス)/マーティン・シケタンツ(バス)
ヒレ・パール(リローネ)/ ルトガー・レミー(オルガン)
シュッツに力を入れ、その全曲録音を成し遂げたハンス=クリストフ・ラーデマンの指揮、少人数の合唱団による、解釈のしっかりとした演奏です。ラーデマンは1965年ドレスデン生まれの合唱指揮者で、ドレスデンの南西、シュワルツェンベルク/エルツヴェビルジュのカントールの家系に生まれ、子供の頃はドレスデン聖十字架合唱団のメンバーとして歌っていました。指揮はリリングとヘレヴェッヘに習いました。1985年にこの混声のドレスデン室内合唱団を設立し、現在も音楽監督です。聖十字架合唱団のような伝統はないですが、マウエルスベルガー盤と並んでシュッツの本拠地だったドレスデンの団体のパフォーマンスということになります。
この演奏も現代のものだけあってテンポは軽快です。古楽ものが速くなって来たのは解釈の問題もある一方で、現代人の時間感覚もあるのではないかという説があります。理屈は付け方なので分かりませんが、この演奏のトータルの時間は15分39秒ということで、ヘルマン・マックスの12分そこそこというのと比べれば、古楽運動の中から出て来たクレマン・ジャヌカンなどよりもスピーディーです。かといってピリオド奏法を殊更意識させるような角のあるものではありません。歌の抑揚は素直で軽く、やわらかく通る真っ直ぐなソプラノはときに少年の弾むような声になり、同じく弾むようなテノールが聞かれる瞬間もあるけれども、どの人も全体に清潔感のある表現で重々しさはありません。厳しさや漂う深刻さを演出するような方向ではないでしょう。見事なアンサンブルだと思います。
ドイツのレーベル、カルスの2012年の録音です。コンディションは大変良いです。この「十字架上の7つの言葉」は11CD から成るこのグループのシュッツ全曲録音(DVD も一枚付いており、シュッツの生涯を解説しています)の中の Vol.6に当たります。ルカ受難曲とのカップリングです。
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