シューベルトの偉大さ? / ザ・グレイト交響曲
シューベルト / 交響曲第9(8)番ハ長調 D944「ザ・グレイト」
シューベルトという作曲家、好きな人とそうでもない人とに分かれるような気がします。自分はどうかというと、弦楽四重奏の「死と乙女」はときどき聞きま す。「未完成交響楽」はきれいだし、5番のシンフォニーは大変好きです。しかしこの作曲家の代表分野であるリートはあまり聞きません。したがってこの偉大 な作曲家の CD を取り上げるのに自分は相応しくないと感じます。ただ、「ザ・グレイト」については不思議な感覚を覚えたことがあるので、少しだけ書こうと思います。
「ザ・グレイト」というのは通称で、長らく交響曲第9番と呼ばれて来た曲のことです。最近は8番とも呼ばれるので混乱しますが、ドイッチュ番号だと D.944 です。平明なハ長調の、一時間ほどという長大な曲です。以前考えられていたように死の年の作曲ではないことが分かってきましたが、シューベルト・シンフォ ニーの最高傑作と言われるのは変わりません。「未完成」交響曲の後、死の二、三年前である28、9歳の頃に作曲された最後の交響曲です。しかし正直に言っ て、シューマンやメンデルスゾーンが驚喜したほどにはこの曲を楽しめていないように感じてきました。冒頭の深々としたホルンは印象的ですし、確かに豊かな メロディーに満ち、様々に工夫を凝らした主題が目白押しなのですが、ユニゾンの多用と屈託のない明るさが、むしろ平常心を幾分越えた強迫寄りの没頭に聞こ えるときがあり、なんとなく「躁状態」を感じさせます。シューマンとメンデルスゾーンにも、特にシューマンには同じ心の傾向が聞かれるように思いますの で、そういうところにも彼らがこの曲を喜んだ理由があるのかもしれません。しかし自分はどうやら音の洪水に気圧され気味のようで、元々が後期ロマン派を得意としないような人間でもあり、知らず知らずに意識をカットオフしてしまっているようです。 ところが、最後の最後になってとんでもない音が出てきて目を覚まされるのです。それは第四楽章に入ってから、正確を期すと1062小節目の出来事です。終わりに向かってあと一割というところで(*)、 二分音符のフォルティッシモで全弦楽器群が「ド」の音を四回、ダン、ダン、ダン、ダン、と断定的に打ちます。なんと異様な響きでしょう。狂気と言うのは当 たらないかもしれませんが、今までの平和は破壊されます。続けてトランペットとホルンが四分音符とその三連符で、パッ、パパパ、パッ、パパパ、パッ、パパパ、パッ、パッ、と鳴らされ、それをもう一度繰 り返すものを1セットとして全体でまた二度繰り返されて、唖然とした聞き手を残したまま後は終結部になだれ込んで終わるだけです。シューベルトはいったい 何を考えてこんな音を持ち込んだのでしょう。まるでこの曲全体が、こんなことを言ったら叱られるながらハ長調の長大な繰り言が、ここへ集約するために書かれていたのかと疑ってしまいます。それとも頂点まで行った躁状態のほころびの兆しでしょうか。ある種ベートーヴェンの勇ましさを意識したとも言えるかもしれませんが、この型破りは全く「グレイト」です。 Franz Schubert Symphony No.9, D.944 'The Great' Simon Rattle Berliner Philharmoniker ♥♥ シューベルト / 交響曲第9(8)番 ハ長調 D944「ザ・グレイト」 サイモン・ラトル / ベルリン・フィル ♥♥ 演奏ですが、ベームとベルリン・フィルのものに馴染んできました。と、思ってもう一度表紙を確認してみたら、よく聞いてきたのは同じベームでもドレスデ ンのオーケストラでした。東京公演のもあるので混乱します。違いに触れると、ドレスデン・シュターツカペレの方は1979年のライヴで、ベルリンのと比べ て運びにゆとりが感じられ、ライヴらしい大きな歌にも特徴があります。クライマックスも力がみなぎっています。録 音は最近のものとは違い、ライヴだなとわかる種類でフォルテが若干賑やかなところもありますが、低音は良く出ていて水準は高いと思います。ウィーン・フィ ルとの1975年の東京公演も熱演でしたが、音のバランスは当時の日本の収録だけによりライヴの癖を感じます。一方ベルリン・フィルとの演奏は人によって は歌のニュアンスが素晴らしいと言う場合もあるようですが、スタジオ録音らしく完成度が高く、慣用表現で言えばどこから見ても美しいギリシャ彫刻のようで す。力強くはありますが最後までこのバランス感覚は維持され、熱く燃えて終わるという感じではありません。録音は低音がやや少なめで軽く、トゥッティは硬 めですが、高い方の弦などはスタジオものらしく潰れずに分解されて聞こえます。ステレオ初期の1963年の録音ながら古さは全く感じさせません。ベームは この曲が好きだったのでしょう、以上のどれもがスタンダードな名演と言われます。 同じベルリン・フィルではギュンター・ヴァントの盤も情熱的でよく歌い、正攻法の演奏として評判が良いです。それから、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルなら何か目から鱗 なことをしてくれるかと期待していたら、クレンペラーもかくやというゆったり演奏によって別の意味で期待に応えてくれました。最近ですと、デビッド・ジン マン指揮のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のものもあります。これも評価が高く、エンジニアが優秀な人で録音が良いという声も気になりました。表現はど こにも隙がなくて素晴らしいですが、フレーズの区切り方が短くてくっきりするところがあり、その分若干軽めであっさりした感じでしょうか。 あっさりと言えば古楽器での演奏で、ヨス・ファン・イン マゼールとアニマ・エテルナのものも良かったと思います。これも鋭さがありながら軽く颯爽とした表現で、ピリオド系は当然そうだろうというテイストによって曲を長大に感じさせません。 古楽器ではないながらノン・ビブラートで行くのはアーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウですが、くっきりとした拍の取り方が新鮮です。第四楽章がやや速めである以外テンポは遅く、全体に繰り返しもあるせいか大変長く感じました。表現は弦の伴奏部分の動きが浮き出して聞こえたりする意欲的なもので、ブラスは鋭いです。緩徐楽章も歯切れの良いリズムで工夫のある歌わせ方が聞かれます。 コンセルトヘボウと同じように伝統のある旧東側のオーケストラを率いるブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデンは「未完成」で素晴らしい音を響 かせていましたが、ザ・グレイトは曲そのままというか、同じように力はありながら自然で、チェリビダッケほどではないものの悠揚迫らざる運びです。 しかしこれらはどれも、上で述べたラストの驚くような音の連続を際立たせる意図はあまりないようです。そういう点で行けば、日本の根っからのシューベル ト・ファンにはあまり評判が良くないようではあるものの、知性派ラトルの盤はさすがにこの部分の鬼気迫る感じをしっかりと表現しています。スコアの読みの 深い指揮者ですから、楽譜に表れたこの箇所に何か感じるものがあったのでしょうか。立体感のある、細部まで入念に彫琢された演奏で、退屈させません。 2005年の EMI 録音も大変優れています。 Franz Schubert Symphony No.9, D.944 'The Great' Mariss Jansons Bayerischen Rundfunks ♥♥ シューベルト / 交響曲第9(8)番 ハ長調 D944「ザ・グレイト」 マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ♥♥ ヤンソンスも「ザ・グレイト」を出してきました。最近の彼らの演奏らしく、表情が豊かで楽しげです。ラストの C のコードの連打では狂気じみた迫力という感じにはなりませんが、曲全体を楽しく聞かせてくれる希有な演奏だと思います。乗りが良く、古楽のさっぱり演奏と は別の意味で曲の冗長さを感じさせないのです。最後の部分しか曲に価値がないようなことを言っておいて無責任でもあるのですが。 変わった演奏だとは思いませんが、自在に伸び縮みする生き生きした運びがまた曲の別の面を引き出している、とも言えそうです。比べてみるならば、ラトル の方は細部まで注意が行き届いていて磨かれ、一つひとつの動機をはっきり示すことで曲の成り立ちを理解させてくれるような巧者なところがあると思います。 いわばシャープネスのスライダーを一段上げたような印象なのです。そのせいでオーケストラの曲としては立体的でうならせるものがあります。一方でヤンソン スには波のような動きがあり、構築されたパートを連結して自然な絵にしたというよりも、演奏行為を一つの時間軸の中で楽しむ行事として感じさせてくれ ます。もちろん入念に計画してパートごとの練習を重ねてきたでしょうが、そう思わせてくれる情緒の連続性の方を強く感じるのです。 シューベルトのこの曲、著名な評論家をはじめこの曲を好きな方がたくさん語ってきました。私は細部をこうやるべきだという意見を持っていないので語る資 格がありませんが、あくまでも自分の好みとしては、このヤンソンスは大変楽しめるものでした。いつもそうなのですが、幸せになれる波長を感じます。音の形 というのではなく、どこか、愛情に似た穏やかさも感じます。 録音は2018年です。ミュンヘン・ヘラクレスザールでのライヴです。レーベルは自前の BK クラシックです。 * 全体は1155小節で、45ページある楽譜だと42ページ目、116ページある楽譜だと 107ページ目(繰り返しを除く) INDEX |