バッハの名旋律 〜 協奏曲
      ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲
      チェンバロ協奏曲第5番(バッハのアリオーソ)
        ヴァイオリン協奏曲第1・2番
      二つのヴァイオリンのための協奏曲 / 三重協奏曲

violinoboe

 バッハのきれいなメロディーという話になると、それはたくさんあるわけですが、協奏曲ではチェンバロ協奏曲第5番の第二楽章のラルゴ、それと同じものであるカンタータ第156番「わが片足すでに墓にありて」の出だしのシンフォニアの部分(こちらは オーボエで吹かれます)が思い当たるでしょうか。瞑想的な静けさが印象的で「バッハのアリオーソ」として映画にも使われるほどの名曲ですが、それ以外となると、おそらく「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を挙げていいのではないかと思います。もちろん「協奏曲」というカテゴリーそのものとしてはブランデンブルク協奏曲の方が有名ですが。

 ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 BWV1060は1736年頃の作品で、上述チェンバロ協奏曲のラルゴ の少し前、というかほぼ同じ時期に作曲されました。ライプツィヒのトマスカントールに就任して十三年ほど経ち、望んでいたザクセンの宮廷作曲家の称号を手に入れたバッハは五十一歳、ロ短調ミサなどに取り組む円熟期です。解け合うような音色のハーモニーを生み出す組み合わせである、ヴァイオリンとオーボエという楽器の選択も最高です。ただしよく言われるように、この作品は元来そのままヴァイオリンとオーボエの作品だったものをバッハが二台のチェンバロ用に書き直し、オリジナルの方の楽譜は失われていたためにチェンバロ協奏曲から再度復元されたものだそうです。したがって原曲のアイディアが生まれたのはもう少し前かもしれません。何はともあれ、三楽章構成のどの部分をとっても鮮烈で美しい音楽となっており、魅力的な第二楽章は「アリオーソ」に劣りません。



    juliafischerbachconcerto
      Bach  Concerto for Violin and Oboe in C minor, BWV1060
      Concerto for 2 Violins BWV 1043   Violin Concerto No.1 BWV1041   Violin Concerto No.2 BWV1042
      Julia Fischer (vn)   Andrey Rubtsov(ob)   Alexander Sitkovetsky (vn)   Academy of St. Martin in the Fields
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バッハ / ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ハ短調 BWV1060
二つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043
ヴァイオリン協奏曲第1番 BWV1041 / ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV1042
ユリア・フィッシャー(vnと指揮)/ アンドレイ・ルプツォフ(ob)
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アレクサンダー・シトコヴェツキー(vn)/ アカデミー室内管弦楽団
 2009年にユリア・フィッシャーのこの盤がリリースされて以来、自分のなかでバッハのこのあ たりのヴァイオリン協奏曲たちはこれ一枚でこと足りるような状況になってしまいました。どこからみてもパーフェ クトとは言わないものの、ほぼ満足です。ユリア・フィッシャーの才能というか、この息遣いの妙というか、やら れっぱなしです。もちろん彼女のすべての
CDがそ の曲のベスト盤というわけではないですが、バッハに関する限りは、好みの 古楽器というわけではないものの、どれも素晴らしいと思います。過剰なロ マンチシズムには陥らないけれども、大変表情豊かで、自然にうねりながら 歌って行くリラックスしつつ集中した様はどこからこの自信がみなぎってく るのだろうという驚きを感じさせます。音楽が自らの意志で自在に変化し、 呼吸して います。このCDでも彼 女のヴァイオリンパートはどの部分も曇りがありません。そして今回アカデ ミー室内管弦楽団の指揮をとっているのも彼女です。テンポ設定は現代的な もので、一頃のゆっくりと区切って歩いて行くようなのっぺりとしたものと は違い、溌剌としています。もっとも、ピリオド楽器によるバロック演奏は 全体にやや速目のテンポになってきていますから、今やこうした表現の 方が自然に感じるとも言えるでしょう。そのテンポの中でけっして速さを感 じさせない滑らか な歌が聞けます。そこがありがちなピリオド系の奏者の表現と違うところかもしれません。緩徐楽章は比較的ゆったりとよく歌います。
 共演しているオーボエのアンドレ イ・ルプツォフはそれまで知りませんでしたが、ホームページを見ると作曲 家にして指揮者、オーボエ奏者という多才な人のようです。管楽器の専門家 ではないのでどういう楽器をどんな流儀で吹いているのかは知りませんが、 いいオーボエです。小節の終わりのロングトーンでこそ強弱を変化させなが らのスラーで次の音符につなげて行くような濃厚な表現は見られず、やや控 え目にスッと区切って行く傾向のようですが、乗っている感触はあるという のか、一連の歌の流れの中では息遣いを強めて抜いて行く抑揚がよく感じら れ、強弱で音色を変えるオーボエという楽器の魅力を堪能できます。この曲 の演奏においてはホリガーですらあまりねばりの強い運びは見せていません ので、現時点では最高度に魅力的な演奏の一つとすら言っていいかもしれま せん。長音符の中での抑揚の濃さこそユリアの方が大胆ですが、息は合って いて大変魅力的です。 オーボエの有名な大家の中には自分にとって好みでない表現をする人たちも いますから、ここまで全体の景色に溶け込んで心地よいのであれば、もはや 何も言うことはありません。そして前述した通り、バッハのヴァイオリン協 奏曲関 連はこれ一枚で網羅される選曲になっています。

 録音は2008年です。艶がありながら分解もされている素晴らしい音で す。オーディオのチェック用にも使っていて重宝しています。



    grumiauxholligerbach
      Bach  Concerto for Violin and Oboe in D minor, BWV1060
      Arthur Grumiaux   Heinz Holliger   New Philharmonia Orchestra  Edo de Waart ?


バッハ / ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ニ短調 BWV1060
アルテュール・グリュミオー(vn) / ハインツ・ホリガー(ob)
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エド・デ・ワールト / ニューフィルハーモニア管弦楽団

  グリュミオーとホリガーの組み合わせと聞いて放置できるはずがありません。オーボエという楽器で真っ先に思い浮かぶ奏者はホリガーでしょう。この名人芸を 霞ませる人がいったいどのくらいいるのか。オーボエという楽器は管楽器の中では比較的ヴァイオリンに近い倍音を 持つと言えるでしょうが、強弱によってその音色を変える度合いも大変大きい楽器だと思います。クラリネット奏者 はクラリネットもそうだと言うでしょうが、素人耳にはあまりよくわからないところがあります。フルートは強く吹 き過ぎれば濁るし弱ければかすれるので、
きれいに 聞こえる強さのレンジは案外狭いような気がしま す。そしてオーボエのこの特徴、息を強めて行くと硬い艶の乗った張りのある音色になり、弱めると繊細でやさしい そよ風のようになる特性を最もよく感じさせてくれる一人がホリガーだと思います。変幻自在と言うのがぴったりで しょうが、長い息の音符の中で徐々にクレッシェンドしたり、スーっと抜いたりする濃厚な表現が美しく、しかも出 身地スイスの空気感を思わせるような過剰にならないセンスの良さも持っている人。なんといってもこの楽器の第一 人者として活躍してきた奏者です。一方でグリュミオーといえば、あのシャコンヌでの素晴らしい演奏が忘れられま せん。一般にはヴィブラートの妙と音色の美しさによって知られてきたわけですが、構築性の高さと没入して行くと きの自在な動きが名人芸で、他にもベートーヴェンの協奏曲など、名演揃いです。
 ホリガーの方はこの1970年録音の後にもクレーメルとの新録音がありますが、この盤での演奏は新盤に比べて やわらかい抑揚でわずかに勝っているような気もします。とくにグリュミオーのヴァイオリンが甘く歌う傾向を持っ ているのに引っ張られているのか、
緩徐楽章 でそんな感じなのですが、微妙な違い なので言うほどのことでもないかもしれません。トータルではホリガーとしては節度のある部類の演奏になるとして も、バッハの表現としては適切だし、彼らしい魅力は満載です。
 グリュミオーは申し上げた通り、ここでもやわらかく繊細な襞を感じさせ、よく歌う名演となっています。ただ、 全体のテンポはピリオド楽器のムーブメントが起こる前のことでもあり、当時の伝統的なあり方としてゆったりとし ており、フレージングもフラットで今の演奏に慣れた人には丁寧な、というか、両端の楽章でややもったりした運び に聞こえるかもしれません。この盤の特徴をひとことで言えば、ヴァイオリンもオーボエも互角で次元の高い共演を している、そういう意味で希有な名盤ということになるでしょうか。そしてもう一つ、ここでは Dマイナー、ニ短調の楽譜が使われています。この曲には調性の違う二種類のスコアがあるのです。絶対音感のある人にはそれだけで印象が違って聞こえるので しょうが、ホリガーの新録音との比較で申し上げたことは、私はあくまでも吹き方の問題として捉えています。

 フィリップスのアナログ録音です。平均的な当時のフィリップスの録音よりも中域がやや厚みを持って反響し、ふ くらむ傾向を有しているように感じますが、今でも美しい録音です。このレーベルの中では次のクレーメルとの盤と 対照的なバランスと言えるでしょう。



    kremerholligerbach
      Bach  Concerto for Violin and Oboe in C minor, BWV1060
      Gidon Kremer   Heinz Holliger  
Academy of St. Martin in the Fields ?

バッハ / ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ハ短調 BWV1060
ギドン・クレーメル(vn) / ハインツ・ホリガー(ob)
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アカデミー室内管弦楽団
 ハインツ・ホリガーにはギドン・クレーメルと共演した新盤があります。それと前述のグリュミオーとの旧録音と でどちらを取るかは微妙です。ホリガーのパートについては新盤の方がわずかにサラッとしているような気もします が、相変わらずホリガーらしい魅力的な演奏であることに違いはありません。一番違うのは全体のテンポ設定でしょ うか。緩徐楽章を除いてこちらの新盤の方が現代的で速く、溌剌としています。ピリオド楽器によるものではないも のの、私はこの方が馴染む気がします。
 ギドン・クレーメルについてはご存知の通りですが、とりたてて彼のことについてという意味ではなく、一般に ヴィルティオーソと評されることのある演奏家の一部に共通するように思うのですが、鋭いフレージングで切れ味が 良く、とくに速いパッセージを直截に、鮮烈に駆け抜けるように表現する傾向が時折見られるように思います。裏を 返せばリラックスしつつ一音の中に微妙な変化を込め、自在にしなうように歌って行くという方向性ではないわけ で、正直に言うと自 分の好みではないのです。しかしここでのクレーメルは、これはなかなか良いと思いました。直線的であっ さりとしていて語尾を延ばしたりはしませんが、強いパッセージでは活気がこもって盛り上がります。ホリガーです ら、あの繊細で自在な音の変化をもたらす吹き方の基本的なスタンスは変わらないものの、クレーメルのこのエッジ の効いた運びに若干は影響を受けて合わせているところもあるのかな、と思わないでもありません。自分にとっては オーボエの魅力が勝った盤ですが、ユリア・フィッシャーの
CD出るまで一番良くかけていました。

 1982年のフィリップスのデジタル録音は、デジタル初期特有のやや線が細く、高域に硬質の艶を感じさせるよ うな輝かしい傾向があります。ただしそこはフィリップスのこと、ハイ上がり過ぎで潤いに欠けるというようなこと はなく、ぎりぎり滑らかさは失っていないと言えるでしょう。個人的には生音というよりもデジタルを感じさせる硬 さがあるので、もう少しイコライジングした方がいいかなとは思いますが、一般には明るい音の好録音と言ってもよ いのだと思います。クレーメルの細めの音色と演奏に合っているというのか、このレーベルとしては、前述のグリュ ミオーとのアナログ録音とベクトルが反対方向に振れた音質傾向ということになります。



    bourguebach
      Bach  Concerto for Violin and Oboe in D minor, BWV1060
      Concerto in A minor for Flute,
Violin and Harpsichord BWV1044
      
Jean-Jaccques Kantrow (vn)  Maurice Bourgue (ob)  Andras Adorian (fl)   Huguette Dreyfus (hc)
      Netherlands Chamber Orchestra   Kees Bakels
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バッハ / ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲二短調 BWV1060
フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲イ短調BWV1044
ジャン・ジャック・カントロフ(vn)/ モーリス・ブールグ(ob)
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アンドラーシュ・アドリアン(fl)/ ユゲット・ドレフュス(hc)
キース・バケルス指揮 / オランダ室内管弦楽団
 これまでヴァイオリンのユリア・フィッシャーとオーボエのハインツ・ホリガーの盤を紹介してきました。話を オーボエに限って行くと、ホリガーは世界的に名の轟いたスイスの奏者なわけですが、古くからのクラシックファン ならば皆知っているという名オーボエは他にもいます。ドイツを代表する
往年のオーボエ奏者は指揮者でもあるヘルムート・ ヴィンシャーマン飾り気の ない直線的な演奏が持ち味で、この曲でもそういう傾向があると思いました。根強いファンがいます。もう 少し世代が下になると、カ ラヤン時代のベルリンフィルを代表するオーボエ奏者であるローター・コッホが います。ヴィ ン シャーマンと比較すると、直線的で飾らないところは似ていても、やや太い音で甘いやわらかさも持ちながら、グッとよく吹き込んでいるな、自信に満 ち、力を込めて朗々と歌っているなという印象を与えます。一方、フランスのオーボエ奏者で恐らく一番名を知られ てきた人はピエール・ピエルロでしょう か。これは全く正反対の方向に感じます。軽く明るい倍音のいかにもフランス管という感じ のペ カーっとした音色を持ち、静かな部分であっても、息の長い瞑想的なロング トーンの中に色彩の変化を表すというのとは真逆に、装飾音符も自在に、こま切れにスキップするような軽快さで進んで 行きます。

 そしてもう一人、私はホリガーと並んで素晴らしいオーボエだと思ってきたフランスの奏者がいます。モーリス・ ブールグです。パリ管の主席だった人で、同じフランスのピエルロの吹き方とは大変異なり、ホリガーに近いかと思 わせるような呼吸のアプローチで一音の中での繊細な変化が聞かれ、とくに長音符で漸進的に変化させる様が美しい と思います。もちろん各音符間での陰影も豊かです。オーボエという観点だけでこのバッハの曲を見た場合、私はホ リガーかこのブールグをとります。
 ヴァイオリンはジャン・ジャック・カントロフ。フランスの、録音当時は若手だった名手です。ルヴィエと組んだ ラヴェルの室内楽などで私はこの人が一番好きですが、フランス人らしいしなやかな歌がありつつ節度があり、現代 的なキレも持ち合わせているという大変好きなヴァイオリニストです。ブールグと共演しているということで、グ リュミオー/ホリガーの盤と並んで、ヴァイオリンもオーボエも揃って素晴らしい水準を実現している希有なものの 一つだと思います。
 テンポは若干ゆったり目です。そういう意味ではよく歌が聞けますが、ピリオド楽器のムーブメントに左右されな い運びなので、当時の伝統的な手法というのとは若干違うにせよ、グリュミオーの盤と同様オーケストラ進行でのフ レージングは少しフラットに聞こえるかもしれません。カップリングは三重協奏曲です。

 ここでのレコーディングはホリガーのクレーメルとの盤とほぼ同じディジタル初期にあたる1981年デンオン (現デノン)のPCMシリーズですが、企画は日本でもエラートとの協同録音のようで、技術者はエラートからの人 のようです。時期的にクレーメルの盤とちょっと似たハイが強調された感じはやはりありますが、こちらの方が滑ら かに感じます。バランス的にやや中低域が弱目ですが、透明できれいな音です。


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チェンバロ/ピアノ協奏曲(含第5番〜第二楽章 ラルゴ「バッハのアリオーソ」)      
 協奏曲のきれいな旋律という意味で、
冒頭で述べたチェンバロ協奏曲第5番の第二楽章というのがありました。せっかくですのでこの曲についても少し書きます。そうすると、チェンバロ=ハープシコードによる協奏曲というのですから、ピリオド奏法系のものが自然に思い浮かぶところでしょう。ただ、チェンバロの音色について はたいへん個人的な話ですが、録音がかなり気になります。ピーンとした滑らかな音は好きですが、速い パッセージでガシャガシャとした音に聞こえてしまうような倍音成分が苦手です。とくに音の小さいチェンバロとい う楽器をよくとらえようとしてオンマイクにしたものにその傾向がありますが、楽器そのものも個々に大変音色が違 うわけで、ギスギスした音に聞こえるものもあります。そういう意味で、素晴らしい演奏であっても音が苦手だとご めんなさいということになってしまいますので、主観というものは元来そういうものですが、ここで取り上げるチェ ンバロの盤は公平ではないと申し上げておきます。



    pinnockbach
      Bach Harpsichord Concertos   Trevor Pinnock  The English Consert
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バッハ / チェンバロ協奏曲

トレヴァー・ピノック / イングリッシュ・コンサート
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 全曲揃っていて比較的手に入れやすいものの中では、ピノック盤がいいです。金属的ではない、きつくない音で録 音されてます。よく比較される同じ古楽ムーブメントの雄、ホグウッドと比べると、これは好みですが、鍵盤奏者と してはピノックの方が節回しがやや素直な気がします。ただ、バッハの時代の演奏は楽譜をそのまま弾くのではな く、そこを出発点として装 飾音を加えた り、二度目の展開を大胆に変更したりして進んで行くのが当たり前というのが研究結果を踏まえた
今の常識ですから、ピノックも自由にそういう 即興性を発揮してやっている箇所があります。問題はそういう奏者独自の個性的な表現のあり方が波長として好きかどうかとい うことで しょう。当時としてはあり得ない演奏だと知っていても、あえて装飾など加えずにまっすぐ弾いてくれた方が 美しいのに、と感じる場合だってあるかもしれません。ピノックがそうというわけではないのですが。



    lacroixbach
     
Bach Harpsichord Concerto No.5   Robert Veyron-Lacroix   Jean-Francois Paillard   Orchestre de Chambre Jean-Francois Paillard ??

バッハ / チェンバロ協奏曲第5番(ラルゴ)
ロベール・ヴェイロン・ラクロア / ジャン=フランソワ・パイヤール / パイヤール室内管弦楽団
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  ロベール・ヴェイロン・ラクロアの1968年録音の盤は静かで艶のある 音色といい、昔は みなそうだったという、装飾が過剰では ない運びがかえって新鮮に聞こえる演奏です。時期的にピリオド奏法のムーブメントが一般に広まる前ですので、フレージングもあっさりしています。それでい てこの人のフランス人らしいセンスなのか、ルバートと呼ぶには少な過ぎるような、ごく微妙に打鍵の時間を前後に ずらすやり方が粋です。音がいいと言いましたが、楽器はドイツ・ノイペルトのチェンバロを使ったものです。実は この10年前にも同じ顔合わせでフランス・プレイエルのチェンバロによって同じレーベルに録音をしており、そち らは MP3 など(よりハイレゾな配信もあるようです)でダウンロードできるのですが、テンポが若干速く、音の艶やかさも新盤の方がいいように感じます。どちらの楽器 も歴史的なものではなく、19世紀後半から20世紀初頭に本格的に作り始めたメーカーのものです。それ以外にも この奏者は、ステレオになる以前に LP もリリースしていたようです。いずれにせよフランスならどこの楽器であれチェンバロではなくてクラヴサンと呼ばなくてはならないかもしれません。こんなこ とを言っているとなんでもフランスものを 褒めると言われそうですが、個人的にはこの68年のロベール・ヴェイロン・ ラクロアの CDが 数ある同曲の録音のなかで一番美しいと思ってます。パイヤールがバックです から、定評のあったエラートの録音(大変滑らかでやわらかく、最新ディジタル録音 に劣るところがありません)といい、例のフランス流儀の流麗に歌う抑揚といい、文句のつけようがありません。ですから ひとつ挙げろと言われたらこれなのですが、問題は廃盤ということで、チェンバロの協奏曲がセットになってい るものは今のところ足並みを揃えた価格つり上げに遭ってしまっており、中古盤もおすすめできる値段にありませ ん。そんな中でもどっかの本屋さんは安かったりと、たいてい例外があったりするものなんですがそれもなく、こ れってそんなに人気があるんでしょうか? 付和雷同はいけません。需要供給曲線が法則だと考えたくもありませ ん。ま、CD 一枚どうでもいい部類ですが、普通は海外から買えたり もするものなんですがね。逆に日本だけがこうした古目の盤を再販してくれるという好条件が仇になり、それも不可 能なようです。ここはひとつ、またメーカーが再販してくれることを期待するところです。

 しかし、全曲揃うということに関心がなく、綺麗なメロディーは5番の第二楽章だけだと割り切ってしまえる方に は、パイ ヤール演奏の有名曲を集めたシリーズがあります(写真)。選曲のセンスはどうかわかりませんが、パッヘルベルの カノンな ど、その曲一の名演というようなものもカップリングされているので大変お得です。事実、バッハのチェンバロ協 奏曲は5番の第二楽章のみちょっと性格が違うように感じられるところもあり、他の緩徐楽章も同じ波長とは言いが たいですし、それ以外の速い楽章は演奏によっては元気良いだけの音楽に聞こえてしまうものもあるように思えま す。したがって名曲集、ま、これでいいか。酸っぱい葡萄になってきた...



    piresbachconcertos
      Bach Piano Concertos   Maria-Joao Pires   Gulbenkian Orchestra   Michel Corboz


バッハ / ピアノ協奏曲

マリア・ジョアン・ピリス / ミシェル・コルボ / グルベンキアン管弦楽団

 一方でピアノによる演奏ということになると、これがまた難しい。魅力的な演奏は色々あるけれどもそれぞれ個性 的。古いところではマリア・ジョアン・ピリスの比較的若いときの録音がまだ日本では手に入りやすいようです。良 く評される通り、ピリスらしい端正さが感じられますが、あどけなさというか、イノセントな真っすぐさと夢見るよ うな静けさが合わさったような音で、この頃30歳だったと思いますが、後の彼女の弾き方を知っているとやや異 なった印象を持つかもしれません。バックは静かな宗教音楽において独特の魅力を発揮するミシェル・コルボです し、録音はガルサンの頃のエラート。魅力的です。



    perahiabachconcerto
     
Bach Piano Concertos   Murray Perahia   Academy of St. Martin in the Fields

バッハ / ピアノ協奏曲
マレイ・ぺライア / アカデミー室内管弦楽団

 反対に比較的新しいところでは生まれはニューヨークの、マレイ・ペライアの2001年の録音というのもありま す。やわらかな物腰で滑らかにつながって音が紡ぎ出されてくる演奏です。言葉に挟まれた無音の間に見えないス ラーがかかっているようで、それでいて軽やかで自在な運びであり、音色もやさしくおだやかでありながら適度な艶 がある。そのたおやかな中に幾分湿り気を感じさせる、この人特有のメランコリーのかすかな痕跡が大変個性的で す。



    schiffbachconcertos1
      Andras Schiff   Thierry Fischer   Chamber Orchestra of Europe

    schiffbachconcertos2
      Bach Piano Concertos   Andras Schiff   George Malcolm   English Chamber Orchestra ?

バッハ / ピアノ協奏曲集
アンドラーシュ・シフ
ジョージ・マルコム / イギリス室内管弦楽団
ティエリー・フィッシャー / ヨーロッパ室内管弦楽団
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 大好きなハンガリーのピアニスト、バッハと言えばこの人、アンドラーシュ・シフも忘れていません。ピアノ版の ベ ストの一つと言ってもいいでしょう。ただ、少なくとも二つ録音があります。一つは1979年のデンオンPCM シリーズのものでイギリス室内管弦楽団との演奏。ゆったり目なテンポと静けさの際立つ演奏で、ペライアほどでは な いにせよ、この人にしては湿り気のあるロマンティックな一面を覗かせる録音となっています。26歳の頃ですか ら、青年期の憂いが表れているという言い方も可能でしょうか。ピリスの盤同様、後のこの人の愉悦に満ちた自在さ を知って いる我々にはある種新鮮な印象をもたらします。もう一つのデッカ盤は10年後、ヨーロッパ室内管との1989 年の録音で、こちらの方がややテンポが速くなり、ロマンティックな霧が晴れてよく知っているシフらしい静けさと 自発的な明るさが感じられます。それでも最近の演奏からすればまだ十分若さを感じさせるもので、旧盤と比べてど ちらが好きかは好みでしょう。私は新盤の方がいいような気もします。



    katsarisbach
      Bach Piano Concertos   Cyprien Katsaris   Janos Rolla   Franz Liszt Chamber Orchestra ?

バッ ハ / ピアノ協奏曲集
シプリアン・カツァリス / ヤーノシュ・ローラ / フランツ・リスト室内管弦楽団
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「静かなタッチ/月光ソナタ」の項で取り上げましたが、シプリアン・カツァリスはどうでしょうか。正直シフとど ちらが好きかと聞かれると迷うところです。1985年録音ですが、ギリシャ(キプロス)系フランス人でヴァー チュオーソ(技巧派)とも呼ばれるこのピアニスト、色々と個性的な側面がある人のようです。私がこ の演奏を知ったのはドイツのピアノ、ベヒシュタインの営業の人にこのピアニストが好んでうちの楽器を使ってる よ、と聞いたからです。こう書くとなんかピアノが弾けると言いたい人の仄めかしみたいですが違います。ベヒシュ タインはスタインウェイやベーゼンドルファー、昨今たまにファツィオリとかファブリー ニとかの名が聞かれる情勢の中にあってあまり有名ではないようですが、フレームが頑丈で張力が高く、とうひ材の 響板にも工夫があって独特の音がすると言われます。この録音では、こうして書くと毎度幼児語のようですが、スタ インウェイのキラッとした強打の高音でもなく、ベーゼンドルファーの絹のような柔かさのあるピーンという音でも な く、独特の艶が炊きたてご飯の粒立ちのような良い音を聞かせてくれます。演奏は評判通り確かに左手も平等なポリフォニー表現ですが、色々言われるような変 わったところはさほど感じませんでした。古楽器奏法的な要素はなく、自然な効果を狙った弱音のトレモロが見事 だったり、モダンピアノならではの表現の幅を聞かせます。一音ずつに細やかな配慮のある繊細な音の表情でありな がら全体としてはすっきりとした流れを失わずに進むもので、大変納得します。5番のアリオーソは余分なリリシズ ムに陥らず、素直な美を感じさせつつ静けさをたたえ、ベヒシュタインの美しい音色で聞かせます。



    bacchetticoncerto
     
Bach Piano Concertos   Andrea Bacchetti   Orchestra Sinfonica Nazionale Della Rai ?

バッハ / ピアノ協奏曲 集
アンドレア・バッケッティ / イタリア国立放送交響楽団
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 最近の演奏ですと、イタリアのピアニスト、アンドレア・バッケッティがあります。この人の演奏の特徴について はゴールドベルク変奏曲の項で書きましたのでそちらを参照していただきたいと思いますが、独特の軽さを持って自 在に、今までにないルールで展開させて行く新しい時代のバッハだと言えるでしょう。
大変意外性があるのに、あざとさとは違う感じがします。自由でのびのびとしていながら、感情的な共感を求めてくるような種類で もないようです。走ったり緩めたりの天衣無縫なリズムはピリオド楽器の奏法を思わせるものの、法則 が違うので別物に聞こえます。内なる音を聞き、リズムの偶発性を味わっているのでしょうか。奇抜さと自然の共存が美しさを感じさせ るレベル まで融合しています。
 そしてこのピアノ協奏曲なのですが、
第5番のアリオーソを除くとすごくメロ ディアスというわけでもなく、速い楽章は演奏によっては騒々しい感じになりがちな曲であるがゆえ、この 人の変化に富んだ演奏だと最初から最後まで楽しく聞くことが できます。そして問題の第二楽章ア リオーソの部分は彼にしては案外崩しが少なく、節度を持った素直な美しさに満ちています。2014年の録音で す。



INDEX