バッハ / 平均律クラヴィーア曲集

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平均律クラヴィーア曲集について
 バッハの鍵盤曲、それには二つあってオルガン用とチェンバロ用に大きく分かれるかと思いますが、そのうちのオルガンじゃない方の曲たちの中で最も知名度の高いものが平均律クラヴィーア曲集ということになるでしょう。バッハの時代にすでにピアノの前身であるフォルテピアノは出始めていましたがまだまだ一般的ではなく、こうした鍵盤楽器用の曲の多くはチェンバロ、あるいはクラヴィコードなどで弾かれることを想定されたものです。しかしながら慣例として、現代では古楽的アプローチを除けばピアノが用いられることがほとんどであり、近代の工業製品ながらまたそれがよく曲にマッチしていて味わい深いものとなっています。強弱が考慮されてなかったので当時は音の時間的配置での強調によって曲調の表現が成されていたわけですが、ピアノによって強弱が可能になると、まるで最初からそう意図されていたかのように奥深いニュアンスを現して来ます。


どうして有名?
 最も知名度が高いと言いましたが、二番目ぐらいにはグールドの功績もあって「ゴールドベルク変奏曲」なんかが来るのでしょうか。それにフランス組曲やイギリス組曲、6つのパルティータ、イタリア協奏曲、フランス風序曲、インヴェンションとシンフォニアがどういう順序かで続いて、そこに十代後期の作とされるカプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」を加えると、よく聞かれる曲はそれらでほとんど、というところだと思います。

 ではなぜ一番知られているのが「平均律」かと言うと、それは19世紀の有名な指揮者、ハンス・フォン・ビューローがこの曲集を「ピアノの旧約聖書」と呼んだからでしょう。新訳はベートーヴェンのソナタ群を指します。ビューローと言えば一般には奥さんをワーグナーに取られてしまった人として名高いのかもしれないけれど、取った取られたなど物扱いはいけません。近代指揮法の創始者であり、またベルリン・フィルを一流のオーケストラとして最初に有名にした人です。そのビューローはこうしたもの言いの名人で、余分な話だけどバッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「ドイツの三大B」、ベートーヴェンの第7シンフォニーを「リズムの聖化」、ブラームスの第2を「ブラームスの田園」などとする名言も残しました。


作曲時期と構成
 平均律クラヴィーア曲集は二巻あります。第1巻は1720〜22年頃に作曲されたもので、バッハが三十五歳から三十七歳頃の作品です。長男フリーデマンに音楽を教え始めた時期で、そのための曲と関連する題材も含まれています。本人はトーマス教会のカントールとしてライプツィヒに移る直前で、宗教的作品であることに縛られずに数々の名曲を生み出した実り多きケーテン時代の作ということになります。1720年には最初の奥さんが急死し、翌年には二度目の奥さんと再婚しました。偉大なる勉強家で模倣した相手を常に超えて来るとされるバッハのことであり、この平均律の曲集にもその当時に模範となる他の作曲家の作品があったようです。各巻は24曲から成り、一曲にはプレリュードとフーガを配し、全ての調を移動して網羅して行く形をとっています。自筆譜の表紙には「音楽を学びたいと願う若者が使って役立てられるように、そして特にこの練習曲に熟達した者にとっては楽しみとなるように」と本人の手で書かれています。因みに「平均律」という言葉は現代ピアノが採用している、オクターブを均等割りすることで移調しても濁った音が出ないという調律法のことです。この曲集のように全ての調を網羅していても、曲ごとに調律し直す必要はないわけです。しかしバッハの当時は同じ目的でありながらそれとは違う種類の調律法が一般的であったことから、「平均律」という言葉は厳密には違うのではないかという議論がミュージコロジストの間ではなされているようです。全ての曲が一回の書き下ろしというわけではなく、上述の通り息子の練習用として書き溜めていた曲なども含まれています。

 第2巻は自筆譜からすると1742年の完成ということになりますが、1738年前後に作られたとされます。過去の作品を土台としたものもあり、比較的長い期間にわたって作曲されたことになるようです。1738年は五十三歳、42年で五十七歳ということになり、第1巻からは二十年を経ており、この作曲家としては後年の作品となります。同時期には「農民」カンタータなどがあるものの、締めの作である「音楽の捧げ物」、フーガの技法、ロ短調ミサの一部などを除けばほとんど人生最後の方に位置しています。この頃は活動的で傑作が目白押しというタイミングではありませんでした。しかし大バッハの円熟期であるため、日本語版の Wiki などに(1巻と比べて)「より音楽性に富んだ作品」などと書いている方もおられます。それは評価を含むにしても、より多様性に富んでいるということはよく指摘されます。ただし、作曲技術の上達の証だとか、後代の様式を垣間見させる実験的作品云々という話ではなく、鼻歌でなぞりたくなるような、普通の意味でメロディアスな聞きやすい作品群となると圧倒的に第1巻の方になるかと思います。映像媒体やコマーシャルなどで使われてよく聞かれる曲もそちら側に属するからです。最近はインターネットに「作業用」と銘打って長い尺の動画を上げるのが慣例となりましたが、この「平均律」はもちろん真剣に聞いてもうならせられる作品ながら、2巻の方も含めて何かをするときのバックグラウンド・ミュージックとしてずっと流しておいても大変素晴らしい雰囲気を醸してくれるものです。それこそバッハでなくては作れないとも言えるでしょう。


定番的な評価を得た録音など
 平均律クラヴィーア曲集の録音としては、ゴールドベルク変奏曲のページでも触れたけれども、古くは1949〜54年録音(RCA)のランドフスカのチェンバロ演奏あたりが権威とされ、62〜71年のグールド(Sony)が神格化され、また、小鳥の声が聞こえるザルツブルク郊外の宮殿で70〜73に収録されたリヒテル盤(Ariola)が静かでたっぷりとしたロマンティシズム溢れる演奏で人気を博しました。そこへシフの最初の録音(1984/85 Decca)が登場し、再度話題となりました。日本ではその前の録音であるホルショフスキ
(79/80 Vanguard)も、恐らくは後からでしょうがファンを獲得しています。その後は1972年生まれでブレンデルに師事したウィーンのピアニスト、ティル・フェルナー(後述)のリラックスしたマナーの滑らかな演奏が新しい定番のようにも言われているようです。シフは再録音もしています。アンデルシェフスキとバッケッティは第2巻からの録音を始め、現時点ではまだ第1巻は出してないみたいです。



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     András Schiff (pf) ♥♥

バッハ / 平均率クラヴィーア曲集
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)2011 ECM
 シフの平均律は最初の1984/85年盤が出て内外の各方面で高く評価された後、2011年にはジャズのレーベル ECM から新盤がリリースされました。ここで取り上げるのはその新盤の方です。さらに2017年と18年にはライヴの映像も出ました。そちらはナクソスのブルーレイです。まだ CD にはなってないようなので、サブスクライブのサイトにも出てません。

 ゴールドベルク変奏曲同様、見事な演奏です。個人的には最も気に入っているものです。軽やかで愉悦に溢れ、静かなパートでは深みを感じさせます。敏感でデリケートな表情に溢れていてスタッカートなども動員しますが、恣意的な感じが一切しません。さらっと何気なく弾いているようでいて自発的な揺らぎに満ちた歌が聞かれるのです。その歌は耽溺とは違います。音楽を自分の側に引き寄せず、それでいてその瞬間に内側から生み出すというのはこういう感覚なのだと思います。弾き方の研究もしていて理知的と言われる人だけれども楽譜通りの優等生でも決してないのです。元々演奏というのはこういう具合でないといけないとは思うのですが、言葉で表現するのも難しい種類です。 旧録音も話題になった通りで良かったです。でも新しい方はまた少し肌触りというか、風合いの違うところもあるように感じ、より熟成していると言えるのではないでしょうか。 先入観かもしれないけど、若いときの方がロマンティックな感じが少し漂ってるようです。それも耽溺までは行かないので、瞑想的な部分でもリヒテルなどとは違うのですが。


 前述の通り ECM の2011年録音で、音のコンディションは大変良いです。その後のライヴ映像で弾いているのはスタインウェイらしいですが、こちらはいつもの彼のお気に入りのファブリーニ仕様の方でしょうか。デッカの旧録音はベーゼンドルファーだったようです。



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     Till Fellner (pf) ♥♥

バッハ / 平均律クラヴィーア曲集
ティル・フェルナー(ピアノ)
 シフと録音年は前後しますが、アイヒャーのお眼鏡にかなったのか、同じく ECM が2002年に収録して04年ぐらいにリリースしたティル・フェルナーの演奏です。1972年ウィーン生まれでブレンデルなどに師事し、93年にクララ・ハスキル・ピアノ・コンペティション(スイス)に勝って出て来た人です。レパートリーは広く、バロックに限りません。名テナーのマーク・パドモアやヴァイオリンのリサ・ヴァティアシュヴィリらとはよく一緒に活動するそうです。平均律は現在大変人気のある盤となっており、リヒテルや旧シフ盤あたりを念頭に置いているのか、この曲の新しい定番のようにも言われます。 各販売サイトでの評判も「ずっと聞いていられる」という具合に大変良いようです。

 どこにも誇張がなく、さらっと滑らかに、自然に流れて行く演奏で大変聞きやすいです。ベルベット・タッチで音もやわらかく、全体に静けさに満ちています。速いパートではかなり軽快に行くところもあるものの、 シフのように自在に跳ねるスタッカートを混ぜるという表情の付け方でもなく、声高にもならずにスムーズにスピーディに流します。しかし最も魅力的なのはやはりより静かなパートでしょう。しっとりとした情緒を感じさせます。そういうスローな曲での終わりの部分などはリタルダンドもシフよりかけ、余韻を味わいつつ歌う感触があります。かといってブレンデルほどの湿り気もなく、シフ同様に泣きや耽溺の波長は特に感じません。リヒテルのようなロシア的情緒たっぷりではないのです。

 楽譜通りの優等生というつまらない演奏ではなく、変わったことは何もしない譜面の理想形のような運びではありながら、大変有機的でもあります。シフの才知、やり過ぎない工夫が光るというあり方と比べるとよりおとなしく、そういうところなど、同じくブレンデルに師事したポール・ルイスのベートーヴェンあたりにも近いものも感じました。あのベートヴェンでのシフとルイスの違いみたいな。甲乙つけ難いので好みだと思いますが、揺らぎのある絶妙な運びに酔いたいならシフ、よりリラックスして静かな瞑想の時を味わいたいならフェルナーでしょう。

 ECM 2002の録音はしっとりしており、大変美しいです。ジャズでの、このレーベル特有のあのクリスタル・クリアーなピアノの音というのとは少し違っています。  



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     Bach   Well-Tempered Clavier
     Zhu Xioa-Mei (pf) ♥♥

バッハ / 平均律クラヴィーア曲集
シュ・シャオ・メイ(ピアノ)
 1949年に上海で生まれ、吹き荒れた文化大革命の嵐に翻弄され、辛酸を嘗めた後フランスに渡ったピアニスト、シュ・シャオ・メイは深い情感を感じさせる表現でときに圧倒されることもあるかもしれません。しかし大仰にならず感傷に溺れることなく、大胆にして繊細です。平均律としてはシフの旧盤が出た後、2002年にティル・フェルナーの静かな演奏に魅了され、そしてこのフランス発の東洋人が出て驚き、すぐにシフの新盤がリリースされたという、新譜について行っている人の順序からすればそういうことになるでしょう。個人的にはシフの新盤の後に知ったので、そのシフ、フェルナー以外にこんな魅力的な録音に巡り会えるとは思ってませんでした。  
 それらより少し遡り、深々として瞑想的なところから起伏の大きな立ち上がりを見せたリヒテル盤に魅了された人にとって(自分もですが)も、同じ魅力の上でさらに洗練された演奏に接することができたという喜びもあるのではないでしょうか。殊更ロマンティックというわけではないでのでしょう、時間軸方向の揺らしは部分的には大きいところもありつつ、基本あまり多用はせずに細かな強弱の表情がしっかりとあります。曲や大きなフレーズが変わるたびにテンポを大胆に変更することはあります。

 この魅力はうまく言葉にし難いので先ほどの比較に戻りますと、フェルナーの方が力を入れずにやわらかく、スムーズに流れるように聞こえます。シャオ・メイは抑えた弱音があって小声なところが聞かれるのは同じながら、その中に強く浮き上がらせるような表情も見せます。それはフレーズや声部を対比させるような表情です。例えば2番のプレリュード(三曲目)など、かなり速いのは同じです。しかし表情はやはりフェルナーよりあり、強い音も出します。シフはそこでは飛ばしませんが、彼の場合は、十分に叙情的ではあっても夢見がちにはならず(旧録音では少し感じました)、もう少し覚醒した感覚があります。部分的なスタッカートで跳ねたりして遊びの感覚があり、ピアノの音色ではなくてタッチの粒だった強さにおいてより硬質なクリアさが感じられます。静かなところでもくっきりと音を際立たせ、きらっとするのです。シャオ・メイも硬いスタッカートを一部動員はしますが、軽さや愉悦というよりは深く沈潜する感覚が勝ります。重さと憂いに関しては彼女の方があるのです。ときに熱を帯び、またぐっと抑えたピアニシモ心を射抜かれます。

 彼女のバッハとしては、フランスで賞ももらったゴールドベルク変奏曲(旧)やフランス組曲などよりは後の録音で、第2巻の方が先の2007年、1巻が二年後の2009年収録となっています。レーベルはミラーレです。きらきらした方向ではない好録音です。



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     Bach  The Well-Tempered Clavier
     Trevor Pinnock (hc)

バッハ / 平均律クラヴィーア曲集
トレヴァー・ピノック(チェンバロ)
 ここでピアノではなく、本来のチェンバロで演奏されたものを二つ取り上げます。最近リリースされたものですが、大変良かったからです。まず、イギリスの古楽運動の旗手として活躍して来たピノックの盤です。そういえば今まで録音がなかったでしょうか。2018年、七十二歳になって第1巻を録音し、2巻は2021年で七十五歳の時ということになります。

 チェンバロの演奏も色々ありました。コープマンも BCJ の鈴木さんのも聞きました。それらもいいと思います。ただピノックの今回の録音はピリオド奏法的な癖をほとんど感じさせない素直なもので、そこが何よりも魅力です。ピノックはこの運動の最盛期でも比較的真っ直ぐで、指揮においても学究的なアクセントを多くは施さない演奏もありましたし、テンポ設定も当時のせかせかした速い緩徐楽章というような感じにならないものも聞かれました。でも若いときだったらもう少しは拍に尖りも出て、不均等な間を聞かせて来たのではないかと思います。この演奏はチェンバロであってもそういうところがほとんど感じられず、ピアノの演奏に近いというか、古楽器演奏のムーブメントの前かというほどです。でも確かにあの時代は第一人者として激流を経験して来たわけであり、色々経験してこうなったのでしょう。最近は古楽の人でもリズムが落ち着き、洗練されているのが当たり前のようになって来ました。角のない落ち着いた表現で、真っ直ぐに心に響いて来ます。♡を二つにしなかったのは他意はなく、チェンバロというものがどれだけ静かな音に録音されても、ピアノのよりはがしゃがしゃとして耳に鋭いことがあるのは致し方ないからです。特に第1巻二曲目のプレリュード(3トラック目)などはミュートでもかけない限りどうやっても賑やかになります。チェンバロとしてはこれ以上静けさの感じられるものはないかもしれません。なのでピアノで聞く方が好き、というぐらいの意味です。チェンバロ演奏では個人的には一番でした。

 ドイツ・グラモフォンの録音です。少し音像に距離があり、残響も聞こえます。マイクを楽器の胴体に突っ込んだような鮮烈な方向ではなく、穏やかで美しい音です。 



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     Bach  The Well-Tempered Clavier
     Andreas Staier (hc)

バッハ / 平均律クラヴィーア曲集
アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)
 1955年生まれのドイツの古楽系鍵盤奏者であるシュタイアーによる平均律も出ました。第2巻から先で、それが2020年の録音、第1巻が翌年の21年で、ハルモニア・ムンディからです。これも良かったです。モーツァルトなどでは一部拍が意欲的に古楽リズムの癖を持っているものもあったけど、これはピノックほどではないにせよ落ち着いています。これからはこうなるのかもしれません。拍の揺らしは洗練されていて心地の良い範囲にあります。そして表情が曲によって多彩に変えられていて意欲的な感じがするのが特徴でしょうか。古楽マナーの解釈については詳しいことは分かりませんが、かなり理解のレベルの高い演奏ではないでしょうか。バフ・ストップなのか、ミュート的に響きが抑えられている一曲目のプレリュードから工夫に目を見張りますが、ここはそれでやられるとしっくり来るなという感じでした。三曲目などはかなり活気を感じさせるものながら、コントラストを見せるという点でしっかりと考えられています。全体には古楽器研究の成果が試される時代とは違い、表現に落ち着きと深みがあって大変聞きやすいです。ピノックほどのリラックス系ではないかもしれませんが、見事です。

 ハルモニア・ムンディの録音は特に遠くからとっている静かなものというわけではないながら、色彩感と同時に潤いの感じられるところもあり、良い録音だと思います。楽器についても詳しく書かれています。パリのアンソニー・サイディ&フレデリック・バルによる1734年のハンブルク、ヒエロニムス・アルブレヒト・ハスのコピーで2004年製だそうです。