ブクステフーデ、ブクステフーデ
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 前の記事でバッハのカンタータを取り上げましたので、その成立に影響を与えたともされるブクステフーデに少しだけ触れてみます。

 これまでブクステフーデという作曲家は、いつもバッハとの関連で話題にされることが多かったと思います。その中でも決まって言われるエピソードが一つだけあって、それはバッハが二十歳のとき、雇われていたアルンシュタットの町の教会オルガニストの仕事で休暇を取り、当時有名だったブクステフーデのオルガ ンを聞きに行ったというものです。ブクステフーデがオルガニストをしていた町までは東京から京都の手前ぐらいまでの距離がありましたが、バッハは歩いて行きました。東海道も普通は歩きだったわけですし、時代を考えれば驚くべきことではないにしても、行って帰って来れるぎりぎりの四週間の予定が四ヶ月近くの滞在となり、帰って来てからも学んできたブクステフーデ風のオルガンを披露したこともあり、元々教会と町を治める人々との関係が悪かったバッハは叱られた、ということです。このエピソードからブクステフーデという存在がバッハにとっていかに大きかったか、またブクステフーデがいかに前衛的だったかが分かります。そしてこの件に関連する出来事として、ブクステフーデが自分の三十前後の娘をもらってくれることを条件に後継者のポストを約束すると申し出たこと、実はバッハだけではなくて他の候補者にもそう言っていたらしいという話が伝わっており、それ以外にこの作曲家の人間を知る逸話はあまり残っていません。

 ディートリヒ・ブクステフーデは1637年頃の生まれなので、バッハより48歳も年上ということになり、バッハが聞きに行った二年後には亡くなっています。デンマークに近いバルト海に面した北ドイツ、トーマス・マンの故郷でもあるリューベックでのオルガニストの職を全うし、バッハのようにあちこちを転々とする生涯ではなかったようですが、出身はデンマークではないかと言われます。オルガニストとしての生涯、ということから当然その作品の中心はオルガン曲で、チェンバロの曲も含めれば鍵盤作品群ということになります。その他にはこれもバッハに影響を与えたカンタータなどの声楽曲、そしてヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバが活躍するいくつかの室内楽作品があります。

 専門に研究している人にとって、そのオルガン曲は音楽史上に大変重要な位置を占めているのだと思います。トッカータやプレリュードという、即興性のある技巧的な姿勢が特徴的で、聞いていると繰り返しの多い抽象的な音の洪水に飲み込まれる瞬間があり、半音階が使われていて難解な一面もあって、生で聞いたら宇宙の神秘を感じさせる壮大さに圧倒されるだろうと思います。事実こうした曲にインスピレーションを得て、サキソフォンを伴わせたりオルガン即興でやったりする現代曲の CD も出ているぐらいです。そんな性格もあり、古楽に興味があればどうしても聞こえてくる名前であるにも関わらず、個人的にはちょっと聞いては敬遠するということを繰り返す存在でした。オルガンというものは、本物は地を揺るがす重低音が響き、圧倒的な残響を伴って音に包まれる感覚がありますが、録音だとやかましいことも一因だったと思っています。

 ブクステフーデのオルガン曲、他にも分かりやすい旋律を持つ、賛美歌を元にしたコラールもあります。そして特に有名なものはパッサカリア二短調 BuxWV 161 でしょうか。日本でも人気があり、多くの方が言及しておられるようです。聞いていると、この HP の最初の記事で取り上げたバッハのパッサカリアとフーガにもちょっと似てる感じがします。それもそのはずで、バッハは曲を作るにあたって大きな影響を受けているのです。そしてブラームスもこの曲を研究していたようです。彼の第4交響曲の終楽章はパッサカリアの仲間であるシャコンヌの形式をとっており、その直接のモデルこそバッハのカンタータ150番の終楽章でしたが、影響があったことは間違いありません。パッサカリアというと、この記事でもフランソワ・ クープランのものを以前にご紹介しました(「崩壊へと突き進むもう一つのボレロ / F・クープラン パッサカリア」)。しかしこのブクステフーデのパッサカリアも、トランス状態に入りそうな繰り返しの中で展開して行く、大変印象的で重要な作品です。鍵盤曲としては他にチェンバロ用のものもありますが、そちらはクープランなどの音とも共通した、典雅で物悲しいところのある、もう少し馴染みやす い旋律に聞こえます。

 声楽曲はカンタータ/オラトリオなどですが(厳密には彼の作品はカンタータと呼ぶべきではないという話です)、有名なものは「われらがイエスの四肢 Membra Jesu Nostri」で、近頃はたくさんの演奏家が録音しています。独立した作曲家としての評価が高まって来たのだと思います。



    buxtehudechamber
       Dietrich Buxtehude   Sonatas en Trio - Manuscripts d'Uppsala   La Rêveuse ♥♥

ディートリヒ・ブクステフーデ / ウプサラの手稿譜によるトリオ・ソナタ集
ラ・レヴーズ
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 今回この記事の目的はこの CD です。鍵盤作品か声楽曲かと言われるブクステフーデの、室内楽です。そしてオルガン曲の方はバッハの最も前衛的な部分の起原を感じさせる響きなのに対し て、これは別の人の作品かと思わせる調子です。意外なことに(!)、あまりに心地良くて何度も聞きたくなる曲たちなのです。

 最初がハーモニカかと思えるようなヴァイオリンの出だしで、一瞬カントリー音楽を聞いているのかなと思うと、「ため」と翻るような動きのあるガンバがそこに加わり、それがバンドネオンのようにも聞こえてきてピアソラのタンゴだったかな、などと錯覚してしまいます。古楽特有の途中から持ち上げるような運弓法がそう聞かせるのでしょうか。多分、弾む舞曲のようなこの演奏特有の軽快なリズムのおかげだと思います。クラシックではなく同時代の音楽を聞いているよ うなライヴ感です。

 音楽そのものにはちょっとフランス的な匂いもあるでしょうか。短調で、チェンバロ曲同様にクープランとかラモーとかの物悲しいようで優雅な感覚、あるいはこれは何に似ているのだろう。他のドイツ・バロックの作曲家、終わりそうで終わらないテレマンとも違い、外交的で明るいヘンデルとも異なります。ルネサンス舞曲のようでもあり、その静かな合間の合奏ではしっとりと朝露に濡れた野のような美しさが感じられます。BuxWV 267 の一曲目は、同じニ長調のコレッリのヴァイオリン・ソナタ、op.5 の出だしと似ています。テオルボ(リュートの仲間)が一人でそっとささやく楽章のイントロはスペインの哀愁のようでもあります。ちょっと粋で、大人の味わ いのある哀しくも嬉しくもある極上の音楽にめぐり逢えました。
 
 この「北ドイツの冬」という言葉から連想するのとは全く違う音、むしろもっと南のラテンの国々を思わせるような情熱的な音を形容する鍵括弧付きの概念があるようです。”スティルス・ファンタスティクス(Stylus fantasticus / The fantastic style / 幻想様式)” です。ブクステフーデの専売特許のように使われますが、元々はイタリア起原で、他にも多くの作曲家が数えられます。「即興的で、対照的な間奏がある幻想曲のように自由な形式」などと説明されるのですが、音楽家たちの北と南の交流を示すこうした曲のあり方が、このブクステフーデの音楽の魅力なのかもしれません。

 ここで取り上げられている曲はよく選ばれています。トリオ・ソナタです。ブクステフーデの室内楽はこれらソナタの作品1と2とで十四曲、その他に六曲の二十曲で全てですが、この CD では作品2の中からの一曲以外は「その他の六曲」の中から選ばれています(ここでタイトルになっているスウェーデンのウプサラ大学所蔵のマニュスクリプトによるもの)。そしてそれに加えて同時代の作曲家、ディートリヒ・ベッカー(1623-1679)が一曲と、作曲者不詳のものが一曲です:

 ソナタイ短調 BuxWV 272(vn, va da gamb, basso continuo)
(ディートリヒ・ベッカー)ソナタと組曲ニ長調(1674)
(作者不詳/リューベック)ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ(独奏)ニ短調
 ソナタ集 op.2 〜第3番ト短調 BuxWV 261
 ソナタイ短調 BuxWV 267(va da gamb, violone, basso continuo)
 ソナタと組曲変ロ長調 BuxWV 273(vn, va da gamb, basso continuo)

 一般的な CD の企画は作品1や2などをそれぞれに集めるものですが、それからするとちょっと変わり種かもしれません。作品1や2、あるいは全部を聞きたいということならば、ナクソスからジョン・ホロウェイとヤープ・テル・リンデンらのものが出ており、この CD の生き生きと弾む舞曲の感じとは違って聞こえますが、彼らのいつものリラックスしたマナーで素晴らしい演奏です。
 
 演奏しているラ・レヴーズというのは女性の「夢想家」の意味です。これはマラン・マレの曲名からとっているようです。2004年にベンジャミン・ペローとフローレンス・ボルトンによって結成されたフランスの古楽アンサンブルで、ここでのメンバーはステファン・デュデルメルのヴァイオリン、フローレンス・ ボルトンとエミリー・オドゥワンのヴィオラ・ダ・ガンバ、ベンジャミン・ペローのテオルボ、カルステン・ローフのチェンバロ、セバスチャン・ウォナーのオルガンとなっています。レーベルはミラーレで2015年の録音です。



     voxscaniensis   
      
Dietrich Buxtehude   Membra Jesu Nostri, Cantata
       Helena Ek (S)   Kristina Hellgren (S)   Anna Einarsson (A)   Johan Linderoth (T)   Jakob Bloch Jespersen (B)
       Hanna Ydholm (vn)   Hannah Tibell (vn)   Judith Maria Blomsterberg (vc)   Hanna Thiel (va da gamb)  
       Lars Baunkilde (va da gamb)   Vegard Lund (lute)  
       Peter Wallin (org, dir.)   Vox Scaniensis
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ブクステフーデ / カンタータ「われらがイエスの四肢」
ヘレナ・エーク(ソプラノ)/ クリスティーナ・ヘルグレン(ソプラノ)
アンナ・エイナルソン(アルト)/ ヨハン・リンデロス(テノール)
ヤコブ・ブロック・イェスペルセン(バス)
ペーテル・ヴァリーン / ヴォクス・スカニエンシス
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 声楽曲の有名曲、「われらがイエスの四肢」も取り上げてみます。チェンバロ曲はクープランかラモーのようで、室内楽は同じようにフランス風だったりコレッリのようだったり、あるいはルネサンス舞曲かと思えばタンゴかスペイン音楽の哀愁があったりで南のラテンの国っぽくも聞こえるなどと書きました。それで言うとカンタータなどの声楽曲もやはり南の奔放さというか、ときにモンテヴェルディのマドリガーレのように聞こえる瞬間もあると言えるでしょうか。

 このブクステフーデの声楽曲はバッハの作品の一つのモデルともなっている重要なものです。オルガン曲の北国を思わせるような抽象性はなく、バッハのカンタータとは違うけれども耳に心地良く響きます。自らの内側に神を見出すキリスト教神秘主義への傾斜も歌詞に見ることが出来るなどと言われるので期待して読んでみましたが、特にどこがそうなのかは分かりませんでした。曲はイエスの体のパーツごとに語りかける形をとります。密教の瞑想でも仏陀の体の一つひとつのパーツを細かく思い描く(観想 visualization)ことで思考からの解放を目指すものがあるし、自らの死を先取りして体験する修行も効果が高いようですから(ちょっと昔のオームのようになって来ました)、瞑想的とは言えるかもしれません。

 CD はヴォクス・スカニエンシスの演奏で、16〜17世紀の音楽に特化したスウェーデンのアンサンブルです。指揮とオルガンはペーテル・ヴァリーン、上記ヴォーカル・ソロイスト以外の楽器はハナ・イドホルムとハナ・ティベルのヴァイオリン、ジュディス・マリア・ブロムスターバーグのチェロ、ハナ・ティエル とラーシュ・バウンキルドのヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴェーガル・ルンのリュートです(北欧系の人の名前の呼び方が分からないので間違っているかもしれません)。
 今や数多くリリースされているこの曲ですが、この演奏は新しく出て来て大変透明感があり、古楽器の音にもヴォーカルにも静けさがあって、青く澄んだ泉の水のように美しく感じました。テンポも比較的ゆったりの方ながら、デリケートさとぴんと張ったテンションがあって間延びしません。人数は少なく、声楽はみな真っ直ぐ伸びる歌い方で、世俗的なモンテヴェルディのマドリカーレなどイタリアもので流行した、あの喋り言葉のように崩すマナーではありません。ソプラノは知らない人ですが、大変美しく響き、この盤の大きな魅力です。録音はハイの繊細さが感じられるもので、出だしから古楽器の弦の擦れる倍音がグラス・ハーモニカのようにクリスタルに響きます。録音場所によるのでしょう、硬めの長い残響が聞かれます。次でご紹介する鈴木盤も素晴らしい演奏で甲乙つけ難いですが、久しぶりに満足度で上回ったか、と思えるところのあるものです。一言だと「純粋」という言葉が浮かびます。レーベルはノルウェーのラウォ、2013年の録音です。



    suzukibuxtehude
       Dietrich Buxtehude   Membra Jesu Nostri, Cantata
       Midori Suzuki (S)   Aki Yanagisawa (S)
  Yoshie Hida (S)    Yuko Anazawa (S)
       Mera Yoshikazu (C-T)   Makoto Sakurada (T)   Yoshitake Ogasawara (B)
       Masaaki Suzuki   Bach Collegium Japan
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ブクステフーデ / カンタータ「われらがイエスの四肢」
鈴木美登里(ソプラノ)/ 柳沢亜紀(ソプラノ)/ 緋田芳江(ソプラノ)/ 穴澤ゆう子(ソプラノ)
米良美一(カウンター・テナー)/ 櫻田亮(テノール)/ 小笠原美敬(バス)
鈴木雅明 / バッハ・コレギウム・ジャパン
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 Membra Jesu Nostri の CD は1987年エラートのコープマン盤が最初の録音なのでしょうか、古楽に詳しい方がそう書いておられる記事を読みました。そしてそこで推薦されているのは鈴木盤で同感でしたし、それは海外の通販王手でも新しいものに混じって上位に顔を出します。最近のヴォクス・スカニエンシスと並んで、やはり大変美しい演奏だと思いますので、ここでも取り上げます。お隣韓国のバッハ・ゾリステン・ソウルも躍動感のある見事な演奏だと思っており、ここで日本の団体を取り上げるのは純粋に好みによるものであって、演奏者の国によって評価に差をつけることは全くありません。

 先にご紹介したヴォクス・スカニエンシスと比べるなら、もう少し穏やかさとやわらかさのある演奏です。全体に静けさを感じさせるところがバッハのカンタータでも鈴木盤の良いところだと思いましたが、それはここでも変わらず、この演奏者の美点が最大限に発揮されていると思います。他の曲の演奏ではときにゆっくりなテンポ設定が淡白でスタティックに響き、安全運転のように感じられるケースもなくもないですが、ここではそういう箇所は微塵もありません。寄せては返す波のような自発的な動きがあり、繊細な抑揚が感じられます。その呼吸に身を任せていると心洗われるようで、大変美しいです。BCJ のベスト盤に数えても良いのではないでしょうか。1997年録音で、この団体としては録音活動の比較的初期にあたり、歌手たちは日本の人たちで固められています。驚かされるのはそれが大変水準が高いことです。特に漂うようなソプラノの美しさは特筆に値すると思います。録音は澄んでいますが、ヴォクス・スカニエンシスよりやわらかさがあります。いつもの神戸松蔭女学院チャペルで、残響の出方が良いのです。ひとことで言うならば「静かでやさしい」演奏でしょ う。この曲のベストの一つだと思います。


その他の演奏
 もちろんその師匠のコープマン/アムステルダム・バロックの業績も素晴らしく、87年盤の後、2011年にはチャレンジ・クラシックスから新盤を出し、全集に及んでいます。ざっと新旧を比較しますと、出だしから旧盤ではヴァイオリン、新盤ではオルガンの装飾が華やかであることと、人数のある合唱でやるところは同じですが、旧盤はテンポがゆったりしていて時折フレーズを区切って歌う傾向が聞かれ、残響のある合唱がやや遠目な印象です。比べて新盤は音が前へくっきりと出てオルガンが活躍しており、テンポが速くなっています。トータルで5分ほど違うようです。合唱の実際の人数は分かりませんが、新盤の方がはっきりとしてより少なく感じられ、弦楽器は古楽のアクセントとしなりが強くなりました。全体にはきはきした方向で自在に伸縮し、あるところでは引き締まり、コープマンらしい抑揚に満ちています。ソロで歌う人も元気が良い傾向があるでしょうか。

 バッハのカンタータのところで気に入ってご紹介していた主な演奏家たちはこぞってこの「イエスの四肢」も録音していて、演奏のあり方はちょうどそのときと似たことがここでも言える気がします。コープマン、ガーディナー、鈴木雅明のことです。そして88年のガーディナー/モンテヴェルディ合唱団も魅力的な演奏です。器楽は摺り足で進むようなスラーで静かですが、合唱には力があります。全体にはゆったりめのテンポ設定で、新盤のコープマンと比べても真面目で端正な印象です。後年のバッハのカンタータ巡礼のときよりは手堅くまとまっていると言えるかもしれません。

 ルネ・ヤーコプスは90年にハルモニア・ムンディ・フランスからコンチェルト・ヴォカーレ盤を出しています。速いパートでは速めに軽快に、ときに劇的に進め、ゆっくりなところでは十分スローに、静かに歌わせてメリハリのある演奏です。この盤ではカウンター・テナーのアンドレアス・ショルがアルト、ゲルト・テュルクがテノールのパートを歌っています。録音もこのレーベルらしく、残響があってきれいです。そして DVD ではソプラノの一人を除いて同じ独唱メンバーによる2004年録音のものも出ています。音が若干違いますが演奏解釈はほとんど同じに感じます。そちらはキアラ・バンキーニのヴァイオリン、バーゼル・スコラ・カントルム合奏団です。

 2001年にはイギリスの合唱団、ザ・シックスティーンが出し、評価を得ました。アンサンブルが揃っているけれども声に多様性があり、力を感じさせます。そこがちょっと世俗的な印象ですが、かといってモンテヴェルディなどで流行ったことのある劇的口調ではありません。

 2005年にはコンラート・ユングヘーネル/カントゥス・ケルン盤がハルモニア・ムンディ・フランスから出て、これは大変好みでした。個別に取り上げるべきかもしれません。テンポや透明な歌い方では最初にご紹介した最近のヴォクス・スカニエンシス盤に印象が似ていて、テンポは遅めというわけではないながら、軽さと静けさはそれ以上にあるかもしれません。細身の繊細なヴァイオリンが魅力的であり、器楽も合唱も響きが美しいものです。独唱者もみな良いですが、その部分での純然たる好みではやっぱりヴォクス・スカニエンシス盤かな、という感じです。

 この曲はどんどん新盤が出て、今は優に二十を超える状態になっています。その中でも
2006年にチャンネル・クラシックスから出たヨス・ファン・ヘルトホーフェン/オランダ・バッハ協会合唱団は大変魅力的です。波のように動く強弱と繊細な抑揚があり、ヴェールの剥がれた美しさというのでしょうか。その表情の豊かさによって色彩が移り変わるようです。これも単独で取り上げるべきだったかもしれません。自在な装飾のあるヴァイオリンは楽器がよく浮き上がって聞こえ、独唱者も個性豊かで生き生きした歌唱です。ソプラノはアン・グリムとヨハネッテ・ゾマーですが、メリハリがあって良いと思います。

 2007年リリースのレ・ヴォア・バロック盤も素晴らしいものです。 カウンター・テナーのマシュー・ホワイトが1999年に設立したカナダのアンサンブルです。鮮度の高い演奏だと思います。テンポはほぼ中庸で、これも上記ヴォクス・スカニエンシス盤と近いでしょうか。そしてソプラノの一人にモンテヴェルディのマドリガーレなどを世俗的に歌ったときのようなイントネーションに似たものが聞かれます。昔ユルゲン・ユルゲンスのハンブルク・モンテヴェルディ合唱団らが活躍してた頃には真っ直ぐな歌唱が普通でしたが、その後古楽ブームに乗り、ラテンの国の一部の人たちの間から本場のマドリガルはこうやるのだといわんばかりの躍動感ある歌い方が登場しました。劇的で、ときにコミカルでもありました。その表現法に名前があるかどうかは知りませんが、具体的には音程をたわませ、ずれたところから合わせたり、反対に外したりという野趣あふれるもので、個人的にはその流行の後にあまり聞かなくなったところもあります。ここでは初めの方の一部だけが特に顕著で、歌手自身の好みによるのかもしれません。それも上品さのある範囲で、意欲的な表現だと言えるでしょう。

 他に古くから馴染みの名前ではジキスワルト・クイケン/ラ・プティット・バンドの2010年盤もあります。こちらは彼ら特有の人数の少ないもので、そこから来る純粋さが売りで、軽さとリラックス感のある演奏です。

 2013年録音の
ワルター・テストリン/ロッソ・ポルポラ盤も良かったです。これは2010年に結成されたイタリアの団体のようです。同年録音のヴォクス・スカニエンシス盤と比べてみるなら、ややゆったりで間も空けるところに特徴があり、フレーズの語尾をきれいに延ばす傾向があるようです。強いという印象はありませんが、フレージングと歌唱にはコントラストのついたくっきりした部分も感じられます。ソプラノは魅力的ながら、よく震わせるところもあります。

 他にも古楽を扱うレーベルはこぞって出してきています。古くはナクソス
1994年のディエゴ・ファソリス/ルガノ・スヴィッツェラ放送合唱団の録音があり、ゆったりして分厚い堂々とした響きがありました。
 フランスの K617 レーベルからはベノア・アレ/レ・シャペル・レナン盤が2007年録音で出て、ちょっとオペラを思わせる華やかなソプラノに特徴がありました。
 ハンス・クリストフ・ラーデマン/ドレスデン室内合唱団は2008年のカルス・ヴェルラグ盤、シャンドスはマイケル・チャンス、ピーター・ハーヴェイと エマ・カークビーの歌う2009年パーセル・カルテット盤ですし、
ボーイ・ソプラノ起用のものには2012年英ヘラルドのクリス トファー・イーストウッド/イーリング・アビー合唱団盤があります。同じくボーイ・ソプラノと男声によるダニエル・ハイド/オックスフォード・マグダレン・カレッジ合唱団は2014年英オーパス・アルテからで、ここには BCJ のバッハで歌ったカウンター・テナーのロビン・ブレイズも加わっています。他にも魅力的なものがまだまだあるようです。



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