ドビュッシーの管弦楽曲
    「小組曲」と「牧神の午後への前奏曲」

prelude

取り上げる CD 9種: トルトゥリエ/マルティノン/アンセルメ/パイヤール/ハイティンク/ブーレーズ/プラッソン/デュトワ
/スホルテス&ヤンセンス 

CD についてはこちら(曲の概説を飛ばします)


 クロード・ドビュッシー (1862-1918)といえば、その美しいメロディーとちょっと神秘的でやわらかなハーモニーに満ちた曲、「月の光」とか、「夢(想)」、「アラベス ク」、「亜麻色の髪の乙女」といったピアノ曲が浮かぶでしょうか。それらの CD は「ドビュッシーのピアノ曲」のページですでに取り上げました。アンケートではショパンに次いで「クラシック音楽の女性愛好家が好む作曲家」として常に上 位に入ります。女性とわざわざことわったのは何も性差別的なことを言いたいわけではありません。与えられたジェンダー役割の名残か、力強く何かを成し遂げ ることや権威、歴史的な評価といった理の部分よりも、素直に感覚・感情的に聞いて心地良いものを選ぶ傾向は、今でも男性に比べて女性の方が平均的には高い のが事実のようだということです。あるいはジェンダー(文化的)というよりも、ホルモンなどの生物学的セクシュアリティの部分が自我に影響を与える形とし て、女性の方がより統合的で進歩的なのかもしれません。言葉を換えれば自分に正直だとも言えます。


二つの顔
 しかしドビュッシーには二面性があるのです。そうした心やすらかな美しいメロディーの部分、 いわ ゆる喫茶店ドビュッシーのようなやさしい顔と、もうひとつ、現代音楽との中間に立つような、実験的な試みを好む顔です。楽曲においてはこの二つがいくらか 分かれて存在しています。後者について別の表現をすると、幾分「無調」に寄った作品と言うこともできるでしょう。この話はすでにピアノ曲のページで触れた ので重複しますが、ドビュッシーは全音音階(六音音階)というものを取り入れたことで有名であり、それは無調(調性がない)への入り口に立つものだからで す。人気投票で上位に来る方はそちら側ではありません。そしてもちろん、クラシックの入門曲として相応しいものでもないでしょう。なのでここでの入門曲シ リーズをドビュッシーにまで引っ張るのは、ちょっとやり過ぎかもしれません。

 ドビュッシーはピアノ曲だけでなく、オーケストラ作品も有名です。それならばピアノ曲の「月 の 光」のようにきれいなメロディを持つ作品群の側に立つ管弦楽曲は何でしょうか。これが案外少なく、その「月の光」や「子供の領分」、「レントより遅く」の 編曲もあるのですが、それ以外となると「小組曲」と「牧神の午後への前奏曲」の二つではないかと思います。前者も元はピアノ連弾の曲でした。したがってこ こでは特にその二曲を軸にして CD を取り上げます。それ以外の曲も、演奏のあり方としては同じような傾向だと言えるでしょう。


作曲家のこと
 本人はそう呼ばれたがらなかったようですが、フランス印象派音楽の開祖のように言われる作曲 家で す。よく比べられるラヴェルの方ばかり先に取り上げましたが、ドビュッシーにはこの人にしか書けない美しいメロディーがあり、その点に関しては誰も勝てな いんじゃないかと思います。また、他にない色彩感豊かなハーモニーにも特徴があります。

 写真を見ると、おにぎりのような頭の形が大変ユニークです。頭頂部が平らで前から見ても横から 見て も逆三角形をしています。後頭部の毛が立っているのとヒゲのせいもあり、横からの方がより顕著でしょうか。脳脊髄液の流れを調節できるというある名人によ ると(我々が行く病院で行われるメインストリーム・アロパシー医学の人ではありません)、ドビュッシーが平らになっている頭頂部は心臓機能に関わる部位で あり、出っ張っているおでこは大腸の働きを左右する部分なのだそうです。形の異常は機能に影響を及ぼしますが、凹んでいるところが圧迫になるのか、飛び出 している方がストレスになるのかは全体のバランスの問題だそうです。ドビュッシーは大腸癌で比較的若くして亡くなっているので(五十五歳)、問題はおでこ の方だったのでしょうか。でも有能な人は皆、高度な機能を司る前頭葉は発達してるはずです。それとも、ドビュッシーの三角頭は脳が異常に成長したせいで容 れ物がはち切れそうになっている人の特徴なんでしょうか。三角のもう一つの頂点である後頭部は視覚野ですから、楽譜を丸暗記できるような映像記憶能力を 持った天才はこの部分も発達してるのかもしれません。でもアインシュタインの脳はグリア細胞というものが多かったという話はあるものの、重さも形も普通で す。脳機能の発達と大きさや形は、実はあまり関連がないようです。もし比例するなら象やクジラは我々より知能が高いことになってしまうでしょう。象牙狩り や捕鯨には反対ですし、ひょっとしたら知恵は彼らの方が上かもしれないけど、知能となるとどうでしょうか。


 見た目はともかく、人としてのドビュッシーの性質はどんなだったのでしょう。でもこれを詳し くやるのはやめ てお いた方が良さそうです。私生活について触れると三面記事になってしまうし、あまり良いことを言ってあげられないのです。嫉妬深かったという人もいるけど、 そんなのは見方によります。キャベツという意味のシュシュというあだ名を付けた娘のことは大層可愛がりました。問題はパートナーの方の扱いで、二人を自殺 に追いやったということが言われます。幸い未遂だったものの、その一人はラヴェルが金銭援助をしたようだし、それで多くの友人をなくしたそうです。同じこ とが言われるジャズ・ピアニストでドビュッシー的な雰囲気もあるとされるビル・エヴァンスより人数では上回ります。エヴァンスのパートナーは本当に死んで しまったのでどちらが罪深いかは分からないわけで、死刑囚と無期の違いで、反省の度合いではエヴァンスが勝るのかもしれません。でも欲望に引きずられてし まう条件においては誰しもが同じことであり、そっちの方面のことは、できるかできないか、やるかやらないかの違いはあっても結局人間なら皆似たり寄ったり でしょう。アインシュタインもフォーレも、ワーグナーも立派な経歴です。天才はそちらの衝動も強いのか、あるいは伝説的経営者の多くがそうであるように、 周囲の人への配慮のチャンネルが特殊なタイプであるだけなのでしょうか。


小組曲
「きれいなドビュッシー」というラインに並ぶ唯一のオーケストラ作品、かもしれません。伝統的 な和 声で作られたという意味で、です。二つのアラベスクと同じ時期、二十六歳頃の初期の作品で、ピアノの連弾が元の形です。百一歳まで生きたフランスの作曲 家、アンリ・ビュッセルによって編曲され、有名になりました。本人のオーケストレーションでないという理由で多くの指揮者が管弦楽曲集の中から落としてい るのが残念です。ヴェルレーヌらの詩に基づくものですが、風景が浮かぶような描写的なところもあり、音楽史における技法上の偉大さについてはともかく、大 変美しい旋律とハーモニーに満ちています。「小舟にて」に始まる4曲構成で、どれも聞きやすいものです。
 1. 小舟にて / 2. 行列 / 3. メヌエット / 4. バレエ


牧神の午後への前奏曲
 これはもう、紛れもない最高傑作でしょう。三十歳頃の作品で、初期ではないけれども後の実験 的 手法 を確立して行く時期よりはずっと前の、この作曲家が頭角を現した頃のものです。全音音階を一部で使いながらも夢見るような美しい響きで、理(知)と情のバ ランスが取れている珍しい存在です。どうやったらこう上手く行くものでしょうか。これ以降歴史は調性を許さない方へと向かってしまったので、もうこんな 曲、出ようがありません。

 全音音階というのは、普通の長調や短調の音階が、(ピアノの白鍵を見れば分かる通り)ミと ファ、 シとドの間が半音になることでピッチが均等割になってないのに対して、黒鍵を混ぜることで等間隔になるように配慮し、オクターブが7音ではなく6音になる ものです。調性感が薄らぐので靄の中を漂うような感覚が得られます。それに加えてこの曲では別の音階の工夫もされているのですが、それでいて伝統的な和声 ときれいなメロディー進行の感覚にも則ってます。現代音楽のような不協和音にならず、聞いていてちょっと不思議ながら大変心地良いものなのです。がちがち の無調音楽支持派の見方からすれば時代遅れだということになるのでしょうが、このように感性で美しいと感じられる程度に手綱が緩んでることによって、伝統 的な音楽と現 代音楽の境目にあるという言い方ができると思います。


それ以外の、入門曲と言うには少し難しい管弦楽曲について

 このページで比較する曲についてはこれでおしまいです。ただ、この作曲家の作品として一般に よく話題に上る楽曲はこれ以外にありますので、蛇足だけどそれについても少し触れた方が全体像が分かりやすいでしょうか。
「二 つの顔」と言った、例の話に関係するものです。他の記事と一部重複するところがあるのはお許しください。

 ドビュッシーの管弦楽曲、確かにきれいな曲といえば「小組曲」のようなものでしょうけれども、一方でより現代的というのか、多少調性感を弱めて行った方 向にある作品も存在していて、専門家には高く評価されています。といってもまだ大してラディカルではないと言えるでしょうが、「海」と、その後に発展的に 続く「映像」です。
「海」などは普通の音の感覚で分かりやすく、四度並行で降りて来て中国の銅鑼でも鳴ったのかという面白い音に至る展開も聞かれ、調性の面よりも時間的進行 の自由さの方がまだ新しかったのかもしれません。でもやっぱり部分的には掴み難いところがあって簡単な曲でもないようで、「アマチュアの楽団が取り上げた らお化け屋敷になっちゃいますから」と、実際にやった本人の口から聞いて思わず吹いてしまったこともあります。音の面から言えば、これらの曲には SF 映画で未知の惑星の重力圏に捕えられたときの効果音のような響きが聞かれます。瞬間的に輪切りにすればきれいな和声であっても、トータルで調性が曖昧にな るスリリングなところがあるのです。
 作曲時期で見ると、伝統的な響きを持った作品群よりも後期の作ということになります。ではドビュッシーは時間とともに現代音楽の方へ寄って行ったと言え るのかというと微妙なところで、ピアノ曲では20世紀に入った後の作品でも、娘のために作った「子供の領分」 や「レントより遅く」、「前奏曲」の中の何曲かは大変美しいメロディーを持っています。


 ではこうした調性の曖昧な音楽って、いったいどういうものなのでしょうか。
 今の音楽は無調を基本に据えることから、頭でっかちと言うと言葉は悪いですが、知能の高い人向きです。現代音楽の作曲家の写真を見てください。みな眼光 鋭く頭の良さそうな顔をしています(主観です)。楽曲構造を細かく分析できないと調性が入り込んでしまったりするため、精巧に考案された理論で排除するか らです。そうなると情や感覚ではなく、理知的な働き、つまり思考によって曲が組み立てられることになります(後述しますが共感覚があるような場合は話が別 です)。歴史から評価されるためには今までにない新しい音楽を作らなければならないというプレッシャーを作曲家たちは感じて来ました。自他を分けて自分を 持ち上げようとする、必要なら他を攻撃するというのは自我の働きであり、それと思考機能とは密接に結びついているので、今までにない新しい音の形を思考優 位で求めるという、ロマン派を経て現代音楽へと至る道筋は、そのまま自我の強化の歴史でした。

 そして無調を徹底すると、自動的に不協和音になって来ますし、不協和音は怒りや恐れ、不安や焦燥などの否定的な感情を引き起こします。なぜかということ は問えず、統計的アプローチでその現象を示すことができるだけですが、いわば人間の性質なんですね。こうしたことから、作曲家が不協和音を採用する場合、 「否定的な感情も表せる自由が欲しかった」という意味なら表現の拡大ながら、それしか表せないなら可能性の後退かもしれません。ナチやソ連の独裁国家が禁 止したという意味で無調音楽に解放を見る人がいる一方、十二音技法(無調の一つ)はシェーンベルクの私生活における絶望から生まれた一面があると指摘する 人もいます。あるいは二度の 世界大戦による希望の喪失と関連づける説もあったりします。
 いずれにせよ、調性を失って以来、音楽は感性から理性に移ったのです。そうした無調の原理を少しだけ緩め、伝統的な調性感を多少混ぜると、肯定的な感覚 や美的な印象(人によります)も出て来るのですが、そのような手法で作られたベルクのヴァイオリン協奏曲などに ついては、 指揮者で急進派の作曲家であったブーレーズなどは認めなかったようです。もちろん演奏しないとかいう意味ではなく、作品のあり方としてですが。

 
 それでは、ドビュッシーは音楽史の発展に資する技法である無調を推し進め、後世に評価された くて、つまり理の部分で作曲したのでしょうか。あるいは反対に、否定的な感情を表現したかったがゆえに無調に近づいたのでしょうか。
 多分、どちらでもないのでしょう。この点の曖昧さが岐路に立つ音楽の面白いところかもしれません。「春の祭典」のように、伝統的な感覚で了解可能なリズ ムと不協和音を組み合わせることによって、攻撃的な感情に乗れる曲に仕上がっている、というわけではないようです。かといって、詩と関連づけた理論的側面 もある一方で、ただ理屈で調性を締め出すことだけが目的でもなかったのでしょう。ドビュッシーは独特の美的感覚を持った人なので、無調に近づいたといって もドビュッシー流の感覚的な音になっているのです。ひょっとしたらメシアンと同様の
共感覚1(音を聞くと色が見える)の持ち主だったかもしれません。前の記事とは反対の側から言うことになりますが、ピアノ曲な どでかなり難しい音が出て来ても、論理的に 音を選んでいるだけではない部分、つまり感覚で作曲している面もあるのです。

 それが好きか嫌いかはあると思います(音の色が見えない一般人には理解ができないかもしれません。あの壁際の席でおいしそうにお蕎麦を食べてる大島紬の おばあちゃん、上品な居住まいだね、と感覚のある人に言われてそちらを見ても、防水生地のグレーの背もたれが窓からの光を受けて静かに佇んでいるだけだっ たりします)。後期の作品は調性感が減ってるから聞き難いとも言える一方で、幾つかの例外
*2 を除いて無調には寄らなかった同じ印象派のラヴェルと比べると、そうした音は和声への単なる好みの違いだということもできるでしょう。 つまり、音符の混んだ部分での和音の使い方について、「陰った無彩色で賑やかに感じられる」だとか、 「その諧謔趣味の方向性は好みでない」などとは言えるわけです。それでも、音楽史的に意味ある試みだったのは間違いありません。音楽が評価するものかどう かは分かりませんが、そういう過渡的な意義を持つ作品として、かのブーレーズも高く評価してたのだと思います。自分はこの作曲家に関してはいつまでも入門 者であるので、この方面については何も言えません。ただ、バイオレットが最も好きな色だという点ではドビュッシーに共感しますが。

*1 共感覚(色聴)における個々の色あい(赤とか緑とか)は 個人によって異なり、その能力を有する者の間での共通言語にはなりません。幽霊に関しては催眠的共鳴現象なのか、ある種の客観性があるのか、同じ人物を見 たと報告する例もあるようですが。近い時代の作曲家ではスクリャービン やメシアンが共感覚の持ち主として有名です。

*2 その一つであるヴァイオ リンとチェロのためのソナタは、ドビュッシーの死後に、彼への思い出として作曲されました。



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     Debussy   Orchestral Works
     Jan Pascal Tortelier   Ulster Orchestra ♥♥


ドビュッシー / 管弦楽作品集
ヤン・パスカル・トルトゥリエ / アルスター管弦楽団 ♥♥
 最初の四つは「牧神の午後への前奏曲」だけでなく、「小組曲」が聞ける演奏者のものを取り上 げます。
 まず録音も新しくて演奏に関しても一押しなのがトルトゥリエ盤です。聞いたことのある名前で しょうか。そうなんです。フランスの名チェリスト、ポール・トルトゥリエの子供のヤン・パスカル・トルトゥリエは指揮者になったのです。フランス人ということ はドビュッシーの演奏にとって一般にはいいことでしょうか。オーケストラは北アイルランドのベルファスト(イギリス領)ですが、そちらはどうでしょう。ヤ ン・パスカルは1947年生まれ。プラッソンの助手だったこともあるようですが、アメリカやブラジルをはじめ、世界各地で仕事をし、このイギリス圏で特に 活躍しているようです。録音はシャンドスから出しています。

 小組曲はそれまでマルティノン盤を聞いて来ましたが、現時点では録音を含めてこれがベストな 気が します。トータルタイムではマルティノンより速めにはなっていますが、出だしなどはマルティノンとほとんどテンポは同じであり、楽曲に語らせてあまり余計 なことをしないのも同様です。でもトルトゥリエは余分な力が抜けていて穏やかであり、ゆっくりの部分で大きくスローダウンさせるようなことをせず、軽さと やわらかさが身上です。響きの明るさがあり、朝を思わせる爽やかさを感じさせます。「小舟にて」などぴったりなのです。二曲目では音をつないでいたりして 何気ない静けさがあります。終曲などの軽快なところは速めのテンポで颯爽と行きます。大変上品です。 
 
 牧神の午後への前奏曲は明晰に艶やかに、くっきりと歌うフルートで入り、間を十分取るところ が あってテンポは最初の部分はマルティノンともさほど違わないように感じますが、遅くはなく、表現はむしろ多少あっさりとしているかもしれません。粘らせず に軽さがあり、性質としては真っ直ぐで、やはり爽やかさを感じます。途中からきれいなクレッシェンドがあって表情は敏感です。盛り上がるところはテン ポ感がよく、ダイナミックながら、ブーレーズのように冷たく強い燃焼という感じにはならず、どこか落ち着きも感じられます。その点に関しては録音の良さも あるでしょう。
 トータルでは知にも情にも傾き過ぎない理想的な表現で、透明さがあって大変美しく、やはりこ の曲 の演奏で一、二を争う魅力的なものだと感じました。フルートはコリン・フレミングとなっています。フランスのオーケストラでないとか、あまり知らない名前 だとか言われる可能性もあるでしょうが、皆大変上手であり、全体ではドビュッシーの新しいスタンダードと言っても良いのではないでしょうか。

 レーベルは英シャンドスです。ここは大変優れた録音が多い気がします。小組曲は89年の収録 で、全 体で は93年までの間に録音されています。このページで取り上げる CD の中では音の面でも最も魅力があります。潤いがあってバランスが取れており、昔の EMI のように強い音で賑やかになって弦がきしんだりしません。こうしたフォルテの音響はデジタル特有で、ダイナミックで余分な反響が乗らず、即物 的と言えるほど強くはあるけれども高いところでの毛羽立ちはなく、ほとんどは耳に痛くないのです。初期には硬いのもありましたが。

 上に掲げたジャケットの左側は ”an introduction to Claude Debussy” と題されており、入門用ということで選曲も聞きやすいきれいな曲ばかりです。子供の領分、牧神の午後への前奏曲、小組曲、レントより遅く、喜びの島、月の 光、そして最後に、海、という構成です。ただ、この盤は現在は廃盤状態なのか、中古しか出回ってないようです。右側は4枚組全集で、この作曲家の管弦楽曲 を網羅している意欲的なものです。他にも組み合わせ違いで色々と出ています。現行でないものもあり、国内盤は存在しないのでちょっとだけ検索が必要かもし れませんが、細かいところまでよく目の届いた見事な演奏であり、ドビュッシーもこれさえあればという名盤かと思いますので、手に入れて損は ないと思います。



   martinondebussy1   martinondebussy2
     Debussy   Orchestral Works
     Jean Martinon   Orchestre National de l’O.R.T.F ♥♥

ドビュッシー / 管弦楽作品集
ジャン・マルティノン / フランス国立放送管弦楽団 ♥♥
 フランンスものをフランスの団体でという意味もあって長らく定番の地位に君臨して来たもので す。 出た頃に限らず雑誌等では常に高い評価をされていたと思います。そして実際素晴らしい演奏だと思うし、自分もずっとこれを一番だと思って聞いていました。 小組曲が入っているのも珍しい方で、ありがたい点です。幻想交響曲のページでも述べましたが、マルティノンという指揮者、こういう特徴がある演奏ですよと いうことがなかなかいい難い、大変洗練された表現をする人だと思います。バランスが取れていて荒っぽくなく、滑らかに細部まで磨かれていて力強い表現も十 分です。本当に理想的なドビュッシーでしょう。

 小組曲ではトルトゥリエよりおっとりとしていて重さがあります。あらゆる意味で中庸の美を感 じる 真面目な運びで、全体にまったりとした良さがあるのです。表現としては、最初のフルートに続いて全体にレガートがしっかりしています。トルトゥリエのが朝 の 爽やかさなら、こちらは午後を思わせるやわらかな抑揚です。音が多少低音寄りなこともあるでしょうか。「小舟にて」でのテンポはほぼ同じですが、ゆっくり 歌わせる部分での表情がトルトゥリエより若干あるような印象で、そういうところではよりゆったり方向に緩めて行く抑揚も聞かれます。「行列」(二曲目)や 「バ レエ」(四曲目)では十分軽やかさも出す一方で、トルトゥリエほど軽快で颯爽としているものではなく、より丁寧な印象です。

 牧神の午後への前奏曲についても傾向は同じで、トルトゥリエと比べるとより粘りと丸さがあ り、波 のような滑らかさという点でも多少勝った感じがします。響きはやわらかく、大変心地良いものです。テンポは中庸で、出だしのフルートから生きいきとした表 情があります。オーボエも強弱の波打つ感じが良く、大きくうねるようなクレッシェンドが聞かれます。管楽器は全体に表情豊かであり、動にも静にも傾かず、 敢えてフランス管という表現は使いませんが、どこをとっても生気があって適切です。盛り上げも粘るように力強く、ダイナミックです。

 1973〜74年録音の EMI です。前述の通りフランスのオーケストラだということがよく言われますが、表現が大変細やかで滑らかさを感じるながら、それがフランス流なのかどうかはよ く分かりません。木管の音色にちょっとそんな面があるでしょうか。音のバランスも良く、きれいに聞こえて良い録音だと言えます。一つ触れるならば、この時 期のこのレーベルらしい特徴ではありますが、強い音での弦の響きに若干荒いところが出ることもあります。わずかなことで、気にならないと思いますが。
 写真は左側が「牧神」の入っているもの、右が「小組曲」の方です。ですが一応それが CD になったレギュラー盤だということであって、国内盤では LP 当時の意匠でトルトゥリエ同様4枚組の全集もリリースされています。加えて廉価版のブリリアントからも同内容のものが一枚の値段で出てましたし、EMI のバジェット・シリーズではラヴェルも合わせた8枚組が同じ価格で買えます。倍以上するけど SACD もあります。そのフォーマットの方が音が良く聞こえる再生装置をお持ちの方には朗報でしょう。いずれにしても大変上質なドビュッシーです。



   ansermetdebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Ernest Ansermet   L’Orchestre de la Suisse Romande

 
ドビュッシー / 管弦楽作品集
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団
 アンセルメとスイス・ロマンド管も古くから定評のあった演奏です。本拠地がジュネーヴでフラ ンス語圏なのでフランスものはやはり得意と言われたし、細い倍音で明るく鼻にかかったオーボエなどの木管類、裏返ったようなトーンのバソン(バスーン)な ど、 マルティノン盤よりもっとフランス管独特の響きが聞かれます。数学者アンセルメの解釈は明晰で、くっきりとした輪郭のある音は明澄かつ清潔、軽やかでバラ ンスのとれた演奏です。

 小組曲は1961年の録音で、表現の特徴は上で述べたことがそのまま当てはまります。力が抜 けて いて軽やかであり、生きいきしています。残響はあまりない方で、その分どの演奏より透明感があると言えるでしょうか。クラリネットまで含めて管の倍音が本 当に独特です。ライヴではない静けさが感じられ、テンポは遅くなく、特に歌の部分でゆっくり過ぎることがないのがいいです。二曲目など、軽やかさが感じら れます。全体に均整の取れた演奏で、パイヤールのような室内楽団ではないのですが、人数の少ない室内楽のような響きに聞こえて魅力的です。

 牧神の午後への前奏曲の方は57年の録音で、やはり速めのテンポで軽快に爽やかに運びます。 繊細な細 部へ の配慮が感じられ、表情に贅肉がありません。この曲の属性のように言われる曖昧で芒洋とした印象はありません。残響が少ないこともあるでしょう。小組曲同 様、人数が少なく聞こえます。

 デッカの録音は時代からすれば大変良好です。幾分ハイに重心が寄っており、強い弦の部分でや や細く輝きますが、十分にきれいな音です。アンセルメという名前を知っててこの盤を好まれる方は、かなりご年配のファンなのかなという気もします。しかし 大変個性的であるこの演奏に慣れてしまうと、なんかこれが一番のように思えて来る不思議な魅力があります。独特の響きと落ち着いた透明さがあって、浸って いて心地良いからでしょうか。写真はアメリカ盤で、レーベル名がロンドンになっているものもあります。曲目は「海」、クラリネット・ラプソディ、「月の 光」、「小組曲」、「牧神の午後への前奏曲」、「遊戯」です。他にも色々組み合わせ違いの CD が出ています。中には少し古いモノラル録音のものもあります。



   paillarddebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Lily Laskine (hp)    Jean-Pierre Rampal (fl)   Paul Tortelier (vc)
     Jean Hubeau (pf)    Charles Cyroulnik (vn)   Bruno Pasquier (va) 
     Jean-François Paillard   Orchestre de Chambre Jean-François Paillard ♥♥

ドビュッシー / 管弦楽・室内楽作品集
リリー・ラスキーヌ(ハープ)/ ジャン=ピエール・ランパル(フルート)/ ポール・トルトゥリエ(チェロ)
ジャン・ユボー(ピアノ)/ シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)/ ブルーノ・パスキエ(ヴィオラ)
ジャン=フランソワ・パイヤール / パイヤール室内管弦楽団 ♥♥
 これはドビュッシーの通常の管弦楽曲集ではなく、「小組曲」は聞けますが「牧神」や「海」な どは 入っておらず、室内楽とカップリングされたアルバムです。この演奏者は他に出していません。2013年に亡くなったフランスの室内楽団の指揮者、パイヤー ルはブランデンブルク協奏曲も「音楽の捧げ物」も大変美しい演奏でした。豪華なソロイストを揃え、波打つような抑揚で流れるように、古楽の潮流とは別の独 特の 華やかな世界を築いていました。なのでバロックばかりかと思うわけですが、こうしたフランス近代の音楽もぴったりで大変良いのです。この CD は LP 時代には二枚の別々だったものを一つにしたもので、オーケストラ曲としては「小組曲」、「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」、「6つの古代のエピグラフ」、それ とは別に室内楽作品として、フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ、チェロ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタが組み合わされています。見ての通り錚々た る顔ぶれのソロイストで、上記ヤン・パスカル・トルトリエのお父さんであるポール・トルトゥリエも参加しています。

 小組曲は出だしのフルートからしてパイヤールらしいというのか、軽快に弾ませる感じではなく て音 がきれいにつながっており、盛り上げつつスラーで行くというよりも、抑えてテヌートしているような平たい穏やかさで始まります。こってりした表情を付けず にさらっと流し、全体にはゆるやかに弧を描くように、滑らかに進めています。テンポは中庸ややたっぷりに感じられますが、二曲目などは軽快な運びです。管 弦楽曲として統制の取れた見事にきれいな演奏です。

 エラートの録音で、小組曲は1968年収録。名録音技師、ミシェル・ガルサンによるもので す。楽 器の音はオーボエなど線が細く艶やかであり、弦も同様で独特の細身の艶が感じられます。室内楽団らしい高域のはっきりした輪郭でトライアングルなどよく目 立ちますが、潤いはある音です。フォルテでうるさくなったりはしません。年度は新しくないものの、この楽団らしい美しい音を堪能できる一枚です。室内楽の 方 は少し古くて62年の録音です。



   haitinkdebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Bernard Haitink   Amsterdam Concertgebouw Orchestra ♥♥


ドビュッシー / 管弦楽作品集
ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 ♥♥
 今度は「小組曲」がない、「牧神の午後への前奏曲」などの管弦楽曲集の方に移ります。
 まず2019年に90歳で引退したオランダの指揮者、ハイティンクです。フランス人でもフラ ンス のオーケストラでもありませんが、このドビュッシーの録音は最高です。「牧神の午後への前奏曲」はこの曲の最も魅力的な一枚ではないかと思っています。こ の人の演奏が常に良いとも言いませんが、幻想交響曲や悲愴などは傑作だと思っているところへ、これがまた素晴らしい出来なのです。ハイティンクのベストと 言ってもいいぐらいです。フィリップスの録音も大変良好で、生のオーケストラの雰囲気をよく伝えています。最初の瞬間からそれは分かります。「海」、「牧 神の午後への前奏曲」、「管弦楽のための映像」という順に入っています。

「牧神」ですが、出だしのテンポは特に遅いというわけではなく、フルートは表情があるけれども 大き 過ぎず、ビブラートはあまり目立たずであり、適切で良いです。そして途中からは大変デリケートな表情を付けられる人だと分かって感心しました。何気ない 中に豊かな響きが調和しており、やわらかで生きた息遣いなのです。クラリネットも連続した強弱が良く、盛り上がるところで激し過ぎずで、落ち着きの中から 強 さが表れる理想的な表現です。 オーボエは最初のパートでは派手さがなく落ち着いている感じながら、後半は実に繊細な表情があります。フランスの華やかな 倍音のオーケストラではないけれども、コンセルトヘボウ、やっぱりすごいと思います。録音に負うところが大きいですが、熟成されたその響きはやわらかくて 自然なの で、大きな音も気持ちが良いです。テンポは全体にはゆったりしています。後半に入るあたりのフォルテから徐々に弱まって行く部分の表情も、色々な演奏の中 にあって最も豊かな部類で はないでしょうか。トルトゥリエも良かったけれども、この「牧神」は一頭地を抜いています。 

 残りの二曲に関しては、それぞれが情景描写やスペイン風を装っているにしても、メロディライ ンと調性が曖昧 なところがありますので、効果音の断片のように聞こえるから得意ではないと感じる方もいらっしゃることでしょう。でもこのオーケストラのきれいな音色には 魅せられ、いくつかの部分で は曲の面白さを感じられるかもしれません。苦手な方はこの盤で挑戦してみてください。

 フィリップスの1976年、アナログ期最後の最優秀録音と言えるでしょう。どこをとっても自 然であり、音の重なるところで荒くなるということがありません。



   boulezdebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Pierre Boulez   New Philharmonia Orchestra   Cleveland Orchestra


ドビュッシー / 管弦楽作品集
ピエール・ブーレーズ / ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 / クリーヴランド管弦楽団  
 フランスの現代音楽の作曲家でもあったブーレーズの60年代の演奏です。ラヴェルの管弦楽曲 につ いてはこの頃のブーレーズとバーミンガム時代のラトルが素晴らしかったですが、ラトルはその組み合わせではドビュッシーを録音していません。一方でブー レーズは二枚組で出ています。オーケストラは一部がクリーヴランド管とですが、「牧神の午後への前奏曲」や「海」、「夜想曲」、「春」などはニュー・フィ ル ハーモニア管で、そちらは66年の録音です。そしてこれらのドビュッシーはラヴェルのときと同様の波長を保っています。

「牧神」ですが、余分な表情は抑え、実に的確で芯のある透明な美しさに満ちています。 テンポは遅い方ではありません。盛り上がるところでは速めてかなりの力を感じさせます。そしてダイナミックな動きがあるけれども熱くはないとも言える演奏 だと感じます。全体のバランスをとって響きに気を遣っており、透明さを維持する冷静な目があるからでしょう。昔雑誌で論者が評して以来「冷徹」とか 「レントゲン」のようだという表現が人口に膾炙したかと思いますが、冷たい燃焼である気がするのはその通りだと思います。それは生気がないという意味 ではなく、曲の持つインパクトを十分ありのままに見せてくれるものです。ブーレーズはベルクに対しては批判的なことを言ったようですが、モダンの 作曲家としてドビュッシーは高く評価していたようです。ここでは彼が見るその特徴を完璧に表そうとしているのかもしれません。気鋭の作曲家として細部まで 分析できる知性の持ち主であり、やわらかなハーモニーがきれいだからといって、曖昧で靄の中にいるようなドビュッシーにはしません。

 1966〜68年収録で、ソニー・クラシカルです。原盤はコロンビアで、60年代ではありま すが、この頃のアメリカは技術が進んでいたこともあって大変良い音です。新しいものと比べても遜色がないでしょう。



   plassondebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Michel Plasson   Orchestre du Capitole de Toulouse


ドビュッシー / 管弦楽作品集
ミシェル・プラッソン / トゥールーズ・キャピトール管弦楽団
 パリ発ではないけれど、トゥールーズのプラッソンもいいのです。ここでは「小組曲」は聞け ず、曲目は「夜想曲」、「牧神の午後への前奏曲」、「春」というものです。
 牧神はテンポはゆったりめで、静かに始まります。過度な起伏はつけずにデリケートな表情が ある という意味ではブーレーズの冷静さとも共通していると言えるかもしれないながら、間を十分にとり、全体を通してゆったり走らずです。どことなく繊細なやわ らかさも感じさせるのは、落ち着いた運びに表情を乗せるからでしょうか。ブーレーズとは違ってほんのり温かいという言い方もできるかもしれません。そして 盛り上げの部分で
あれほどダイナミックではありません。要所で過度に速めるということはないのです。その熱く なり過ぎず、きつくならないところが上品で良い ところです。パリのオーケストラでないからという人があるかもしれませんが、フルートも次のオーボエも全く見事なものです。静けさがあり、全体に独特の味 わいが感じられる素晴らしい演奏です。

 1987年録音の EMI 原盤です。よく聞くと弦の音が強奏でやはり多少ハーシュであり、中域にやや付帯的反響がついて固まる傾向はあるものの、全く気にならないレベルと言えるで しょう。



   dutoitdebussy
     Debussy   Orchestral Works
     Charles Dutoit   Montreal Symphony Orchestra


ドビュッシー / 管弦楽作品集
シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団
 静かなパート、ゆっくりの部分での独特の繊細な歌い回しがあり、細部まで配慮が行き渡ってい る演 奏をするデュトワですが、このドビュッシーも名盤の声が高いものです。やはり「小組曲」はなく、これは2枚組ですが、4枚組の全集の方でも他の演奏家のも のが組み合わせてあります。

 牧神ですが、なるほどこうなるかという運びで納得する一方、ゆったり克明に歌わせる方に 行った のだなと思いました。室内楽的な小ささ、軽さとは反対の、よく彫琢されたシンフォニックな演奏だと思います。他よりも静かに抑えた出だしで、間を十分に置 き、個々のフレーズを濃厚で匂い立つように、かつ優雅に歌って行きます。デリケートな動きの中に繊細さを感じさせるような種類です。テンポは遅めであり、 その分細かいところが手に取るようによく分かります。全体としては決して声高にならず、鎮静化された音の世界が広がり、色彩的で洗練されています。そして 後半は大変ゆったりになります。落ち着いて音の美しさを追求する姿勢に共感する方には最善と感じられる表現ではないかと思います。

 デッカの1989年の録音で、教会での収録ながら反響はさほど大きくは入っていません。音 は 大変 良く、ハイが素直に伸びており、浮き出したヴァイオリンのソロなど、大変きれいに響きます。低音もよく出ていますが、オーケストラの厚みを感じるというよ りも、適度に色彩感があって、デッカとしては派手過ぎないバランスの音です。



   petitsuitepiano
     Debussy   Petit suite, etc.
     Scholtes and Janssens (piano duo) ♥♥


ドビュッシー「小組曲」他
スホルテス&ヤンセンス(ピア ノ・デュオ)♥♥
 最後にオリジナルのピアノ連弾版による「小組曲」の演奏も取り上げます。オランダの男女二 人、レ スタリ・スホルテスとグウィリム・ヤンセンスは2003年にデュオを結成し、活動しています。ラフマニノフの6つの小品、ドビュッシーの「白と黒で」、ラ ヴェルの「ラ・ヴァルス」の三曲を集めたものがデビュー・アルバムでした。一方こちらはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、ドビュッシーの「小組 曲」、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」という組み合わせです。一音ずつを明晰に弾き、わりとゆったり解きほぐすように運んで走り崩したりせず、浮き立つフ レーズが 特徴です。有名盤と比べても過度にエッジが効いて急いだりしておらず、
繊細さがあるけ れどもしなしなもしないしケレン味もなく、数 ある先行盤と比べても最もきれいな運びである気がしました。

 レーベルはオランダのエトセトラ・レコーズで2013年の収録です。粒のきれいな、大変優秀なピアノ録音です。



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