灰色のワルツ/ドヴォルザークのイギリス
ドヴォルザーク 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」 

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取り上げる CD 9枚: セル('58/'70)/ワルター/ケルテス/クーベリック/ノイマン/ドホナーニ/カラヤン/アーノンクール

 ブラームスが嫉妬しつつも尊敬していたという ドヴォルザークのメロディを生み出す才能、それは「新世界」交響曲にも、弦楽四重奏曲「アメリカ」にも見られま すが、一曲の中に次々と惜しげなく印象的なメロディーが出て来てもったいないぐらいの曲が、交響曲第8番「イギ リス」です。指揮者のアーノンクールがインタビューに答えて 言ったことによると、若いときのドヴォルザークは次々とメロ ディーが湧き過ぎて困り、かえって良い曲が書けなかったのではないかと思うそうです。それを抑えて制御する術を 身に付けてはじめて大作曲家になったのだと。よく天上からインスピレーションを降ろすと言いますが、きっと天国 から誰かが美しいメロディーを送って来るのでしょう。大作曲家や 昔才能があっても名を成せなかった音楽家などのスピリットがドヴォルザークの肩の上にいっぱいくっ付いてがやが や言っており、次から次へと指図するのです。ああ、わかった。待ってくれ、頼むから一人ずつ喋ってくれ、と。ドヴォルザークのような天才霊媒師ともなると(?)、さぞかし大変だったでしょう。もう時 効なのでいいと思いますが、かの宜保愛子さんはあまりにも霊能力が高く、向こうの世界の住人が次々とコンタクト して来るのを制御できずに困っていたところを、ある人にある石を使った指輪を作ってもらい、それをはめていると きにはあちらの世界との間にいくらか防御壁が出来て楽になったのだそうです。科学性を旗印にしているどこかの愛 すべき教授がテレビでインチキだと噛み付かなきゃいけなくなるような話ですし、指輪を作った人もすでに亡くなら れているので誰にも検証できませんが、 ドヴォルザークは第8交響曲を作った頃には何かいい指輪を手に入れていたのでしょう。

 タイトルがどうして「イギリス」となっているかと言うと、これは有名な話なのですが、それまでドヴォルザーク が楽譜を出版していたベルリンのジムロック社とお金の面で話がつかず、方針を変えてイギリスのノヴェロ社から出したからというもので す。出版社は金額だけでなく作品内容にも口をはさむことがあるようで、創業者の孫のフリッツ・ジムロックにはブ ラームスの紹介でお世話になっていたようですが、この頃にはドヴォルザークも有名になって指図を嫌がるように なっていたのでしょう、ロマンティックな話は何もありません。

 曲の構成ですが、技術面では比較的難しくないものなのだそうです。 逆に音楽として説得力あるように演奏するためには金管の扱いなど、注意すべき点がいくつもあるようです。
 第一楽章は憂いを含んだ序奏からフルートが入り、夜明けのさわやかさを経て力がみなぎってきます。第二楽章は 静かな午後の野の風景といった印象の、やはりフルートが時折鳥のように鳴く親しみやすさがあり、思い出した激情 のような盛り上がりも見せます。ヴァイオリンの美しいソロも聞かれ、晴ればれとした輝かしさもあります。どこも大変メロディアスです。

 そして第三楽章のワルツが最も有名かもしれません。普通はおどけたスケルツォだったりするところなのに、一つ 前の緩徐楽章に加えてもう一つ歌うようなメロディーが聞けてお得感満載です。この一度聞いたら忘れない印象的な ワルツも憂いを含んでいます。以前テレビの洋画劇場のテーマで使われていたような気もしますが、私の知り合いの 霊媒能力者(?)はこの音楽を聞くと、ウェストがくびれて膨らんだスカートのグレーのドレスを着て、飾りの 付いた黒い帽子を被った女性が浮かんでくるのだそうです。その女性はワルツで踊ることもあったそうですが、グ レーということは華やかな上流階級ではなかったのかもしれません。石畳の街もグレイッシュで埃っぽく煤けてお り、ビルには蛇腹ドアのエレベーターがすでにあり、真四角な客車の地下鉄も走っていたとか。そのビジョナリーの 知 り合いは亡くなった見知らぬ人の様子を持ち物などから正確に当てるのですが、そのイメージではまるでタイトル通 りのイギリスで、ロンドンの19世紀後半ではないですか。1889年にこの曲が作曲されたの はプラハの南西50キロのヴィソカで、初演はプラハなので地下鉄は走ってなかったはず。それにドヴォルザークは 女 じゃないぞ、と教授に言われてしまいます。

 第四楽章はシャコンヌの変奏を持つブラームスの第4交響曲の終楽章を参考にしているのだそうです。言われるま で気がつきませんでしたが、そういえば最初のトランペットの後の主題の歌い回しはブラームス的な気もします。な んか、コントラバスに支えられたチェロが歌う、ソッ シッレーの後の「レードレミードー、ドーシドレーシー、シーラシドーラー・・・」のところがむしろ第1交響曲のラストで出て来るあの有名な、第九の歓喜の歌を模したところにちょっと 似ているような気もしますが。どうなんでしょう。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       George Szell    Cleveland Orchestra 1958

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団(旧録音)
「新世界」では緊張感がありながらも柔軟な歌心も覗かせていたセル、ここでは評判通りに鍛えられたかっちりした 運びを見せているように思います。世評から同じように柔軟にゆらぐと聞いていた期待が大きったせいか、思ったほ どやわらかくはなく、頑固というほどでもないながら、遅めのテンポで一音一音くっくりと見極めて行く感じに聞こ えます。厳しかったリハーサルというのが何となく空気でわかるような気がします。これはこれで独自の行き方であ り、個性的だと思います。個人的には新世界の方が好きですが。

 第一楽章の主題の入りはゆったりとしていて、所々で一呼吸空けてからのリタルダンドが出たりしますが、それ以 外ではフレーズが確固としています。自在に伸び縮みするという感じではありません。
 第二楽章もテンポはゆったりしています。木管に引きずるようなテヌートが見られるのはセルの他の演奏でもそう ですので、彼特有の指示なのだろうと思います。平らにぎゅっと抑えられたような感じ、息を詰めたような緊張感が あります。別の見方をすれば一度分解して組み立てたような、とでも言いましょうか。ブルックナーはオルガンを模 したオーケストレーションだと言われることがありますが、なんかそんな感じで、ブロックごとにごっそり音がユ ニットで入れ替わるような大胆さを感じます。その点がまるで別の曲のようにシュールで、民族色の強いドヴォル ザークというよりももっとモダンな印象です。晩年のチェリビダッケもときどき意図的で大胆な表情の削ぎ落としが 遅いテンポと相まって独特の雰囲気を醸しましたが、それと並ぶような強い意志を感じさせる徹底ぶりです。
 第三楽章の有名なワルツはさすがに、遅いながらも抑えた歌があります。泣きの短調というよりも、寒さと厳しさ の あるワルツになっています。所々で音程を滑らせてずらすポルタメントに近い処理も聞かれます。全体に重く運ぶ歌 ですが、中盤以降ではテンポも遅くなり、自在に伸び縮みもするようになります。主旋律に対して伴奏の方のライン もくっきりとしており、なかなか魅力的な歌になっています。
 第四楽章はファンファーレもくっきりとし、ラストの手前の静かな部分でもあまりのめり込むことなく覚醒気味に 過ぎ、最後の盛り上がりでも音がくっきりとしています。金管はかなり鋭角的で、個人的にはちょっと厳し過ぎる感 じもしました。

 1958年の録音はさすがに若干古さは感じさせます。時期的にもレコード会社的にもワルターの60年代初頭の ものに近いですが、何かちょっと雰囲気が違うなという感じです。ややドライで、多分あまり大きくいじってないせいかもしれません。ハイ上がりなところがあり、チェロの倍音成分がくっきりと遊離していて、ヴァイオリンとユ ニゾンしているのかというほど線が細く聞こえる瞬間もあります。それでも音楽を楽しむ分には何ら問題のないステ レオの 音です。



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      Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
      George Szell    Cleveland Orchestra 1970

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団(新録音)
 こちらはセルの最晩年、1970年の録音です。来日もしましたが、この年に癌で亡くなっています。そういう意 味では大変貴重な記録と言えるでしょう。評判もレコード会社が言うだけでなく、幾分神話的なものがあるみたいで す。
 基本的な解釈は58年の旧盤とあまり変わっていないようです。テンポ設定はほぼ同じです。EMI に変わった音はかなり違い、新しいだけあってさすがに旧盤よりも滑らかです。ただ、旧盤と比べて断然バランスが良いかというとそうでもなく、ややこもった ライブ風の癖があります。中低域に反響もあります。低音はよく出ますが、これは旧盤のバランスもそうでした。ド ライで鋭角的なのは旧盤で、それはそれで良いところもあるでしょう。そしてその傾向は音だけでなく、若干です が、恐らく演奏の上でも旧盤の方がメリハリがあってかっちりしているように思います。同時に瑞々しく歌うのも古 い方で、トータルで言って、私は58年盤の方がセルのはっきりした個性が出ていて良いように思います。

 第一楽章は旧盤同様にゆっくりと着実にリズムを刻みます。新世界では強弱に関して細かく揺らぐ弾力的な波 がありましたが、ここではあまりそういう雰囲気はなく、旧盤同様にユニットごと、一まとまりのパッセージごとに ごっそり表情を変えるという印象です。ボヘミア特有の泣きの表情からは遠いです。
 第二楽章もゆっくり始まり、波打たせずに正確なフレーズを刻みます。やはり音に抑揚を付けずに棒のように延ば して行くセル特有の手法が際立ちます。強弱で表情を付ける代わりにテンポに対比があるという感じは旧盤よりも顕 著です。一方で歌自体が大きいのは旧盤の方であるように感じます。リズムがくっきりと緊張感をもって進むので、 分解図的で正確な印象です。
 第三楽章のワルツは、ややゆったり目ですが案外遅過ぎません。粘らずに静けさがあり、冷静に聞こえます。やは り旧盤の方がわずかながらよく歌うようで、テンポの伸び縮みも旧盤の方があるように思います。
 第四楽章は速いパッセージもあるためか、音の面で少々団子のようにこもって聞こえるところがあります。中庸な テンポですが、やや遅めでしょうか。ラストの前で静かになるところも、やはりたっぷりと感情を入れて泣 く方向ではありません。

 録音は最初に触れた通りで、コロンビア=ソニーの旧盤よりもエッジの立たないやわらかいもので、弦に艶も乗り ますが、やや分解の悪いところもあります。私が手に入れたものはアビーロード・スタジオでの art 処理が行われたリマスター版の方です。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Bruno Walter    Columbia Symphony Orchestra

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団
 ジョージ・セルの盤の三年後、1961年のコロンビアの録音です。録音技師はジョン・マックルーアだと思いま すが、私の手に入れたものはマックルーアによるリマスター盤ではなく、その後に再度リマスターをかけたもので す。ただ、このソニーの作業をさんざんに言う人もあるながら、トータルではなかなか良い音に仕上がっているよう に思います。セルの盤よりバランスが良い印象です。
 ワルターと言えばロマンティックで温かく、大きな歌があることで知られています。世代的にも19世紀を生きて きた人ですが、ただ時代だけの問題でもなく、彼のスタイルだと言えるでしょう。そして彼の晩年の一連の録音の中 でも、ドヴォルザークは特に彼らしい歌に満ちていると言えるかもしれません。ただ、よりそんな印象が強いのは新 世界交響曲の方で、第8番も同じ傾向ながら第三楽章のワルツが比較的速いせいもあってか、もう少し引き締まった 印象を受けます。
 
 第一楽章はゆっくりとしたテンポで、抑揚にやわらかな伸び縮みがあってたっぷりとしています。この段階でワル ター好きの人にはやはりワルターだなと思わせるでしょう。主題に対する合いの手の木管の動きがよくわかるような 工夫も見られます。
 第二楽章もゆったりとよく歌います。じっくりと間を取り、力むところがないのが良いです。
 第三楽章の有名なワルツは、意外と速めのテンポで押してきますが、所々で遅くなる自在な伸び縮みがあってメリ ハリが付きます。そして強く来ると思った拍が弱かったりといった面白い工夫もあって知的です。
 第四楽章はファンファーレの後のティンパニがゆっくりで、目立つ出だしです。テンポはやはりゆったりめ で、フォルテで走らない丁寧さがあります。一つひとつの旋律が独立してよく見えるのが素晴らしいところです。ワ ルターの第8、やはりトータルで大変魅力的な演奏だと思います。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Istvan Kertesz   London Symphony Orchestra

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
イシュトヴァン・ケルテス / ロンドン交響楽団
 なぜか人気の演奏です。個人的に好みのタイプではないのか、皆が言うほど良さがよくわからないので、ここでは 取り上げないでおこうかと思ったのですが、日本だけでなく、イギリスのサイトでも上位に顔を出すようなので、ド ヴォルザークのスタンダードだということで公平を期してコメントすることにしました。
 大変オーソドックスで、優等生的と言うとあまり良くないイメージながら、どこをとってもきっちりとして欠点の ない演奏だと思います。ブラスがくっきりとしてなかなか元気です。「咆哮」(ほうこう)という言葉を好んで使う 人もあるようです。私はそうも思わないのですが、ティンパニも強く叩くことを意味する語で表現されることがある ようで、そうした方向性(咆哮性?)を求める人にはお勧めなのかもしれません。演奏としては荒々しい野性的なも のだとも言えないと思うのですが。
 1964年の録音ですが、音はさすがデッカと言うべきなのか、この年代にしては悪くありません。艶やかで、や や弦はメタリックなところがありますが、いかにもこのレーベルらしく、自然というよりは幾分作られた輝かしさが あります。61年のウィーン・フィルとの新世界の方が、オーケストラが違うせいか若干ふくよかで厚みのある音に 感じられましたが、こちらも演奏に合った良い録音だと思います。

 第一楽章はテンポは中庸で、スローなところではかなりゆったりと表情を付けます。バランスを崩すほどではない ですが、心地よい歌が感じられます。オーソドックスな印象で、ブラスが色々な意味で目立ちます。主旋律でない部 分を担っているところで動きの線が良く見えたり、音量も大きかったりします。艶のある音で魅力的ではあります。 全体では決して走ることはありません。
 第二楽章は出だしの弦が鳴らし切るようによく歌います。ロンドン響に対して言うのも変ですが、上手な楽団なら ではの自信のある音です。テンポはやはり中庸、やや遅めでしょうか。一音一音丁寧にくっきりと表現されます。全 く隙のない完成度です。
 第三楽章はやや速めに始まって普通のテンポに移行します。リズムの上でスタッカートが聞かれますが、軽やかに 弾むというのとは少し違う印象です。歌自体にあまり伸び縮みはありません。各フレーズの輪郭線が見えるように強 調するところがあり、ティンパニのリズムも他の演奏より各所できっちり聞こえます。コントラバスのピツィカート も小気味良く目立ちます。
 第四楽章は一歩一歩進む感じで、割合あっさりしています。ラスト前でも遅くはなりますが、ボヘミア的情緒で感 傷に浸るというのとは違い、着実で正確です。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Rafael Kubelik    Berliner Philharmoniker

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ラファエル・クーベリック / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 チェコ生まれのクーベリックがインターナショナルなベルリン・フィルと録音したドヴォルザークです。クーベ リックは一時期チェコ・フィルの指揮者だったことがありますが、西側へ亡命しました。ボヘミアの歌の心がありな がら均整が取れているということで人気があり、一つの定番となっています。新世界の方は1972年の録音でした が、こちらの「イギリス」は66年です。

 第一楽章は最初からよく抑揚が付いています。ゆっくりになるところで大きく緩めるのでメリハリがありますが、 反対に元気になり過ぎることはなく、歌い回しに弾力があります。テンポの揺らしはあまり細かいものではありません。クーベリック節が満喫できます。
 第二楽章はゆっくりで、やはりやわらかいねばり腰でよく歌います。滑らかな、ややスラーのかかったフレージン グで音の扱いが丁寧です。緩徐楽章のここでは、ゆっくりになるところでかなりの減速を見せます。
 第三楽章の有名なワルツは、案外とあっさりした洗練された出だしです。テンポは中庸やや速めという感じで 大変きれいに歌うのですが、ボヘミアの楽団に期待するような「泣き」を感じる方向ではありません。
 第四楽章はメリハリはある程度ありますが、オーソドックスなテンポ設定だと思います。ブラスが活躍するた め、ときどき耳に痛いところがあるのは録音のせいでしょうか。この演奏には SHM-CD という音質改善盤が出ていますが、そちらの方ではさらにキツく感じます。バランスがハイ上がりで弦もシャランとした音に聞こえ、トランペットなどは私には 耐え難いです。機器によって相性はあるかと思いますが、この問題については「デジタル・リマスターと高品質プラスチックのCD 」のところで取り上げました。

 録音についてネガティヴなことを言いましたが、トータルでは良い音です。新世界の方が新しい分だけ優位では ありますが、66年の第8もステレオになってから十分に安定した頃で、全く問題がありません。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Vaclav Neumann   Czech Phiharmonic Orchestra

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ヴァーツラフ・ノイマン / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 本場チェコの楽団によるドヴォルザークです。お家芸ということで褒めるのは気が進みませんが、大変素晴らしい 演奏で、この曲の一、二を争う名演かと思います。バランスを崩すほど大きな表情はないのですが、この国の人らし い、ちょっとセンチメンタルな情緒が聞けます。チェコ・フィルといえばドヴォルザーク自身も指揮した楽団ですの で、まさに正統も正統ということになります。古くはターリヒの演奏も出ていますが、モノーラルです。アンチェル は残念ながら出ていないようです。ノイマンは何回か録音していますが、この1971年の録音が張りがあって良い ように思います。街のレンタル屋さんでも見かけたほどの定番CDです。
 
 第一楽章はテンポこそ中庸ですが、フレーズの途中で遅めたり、よく表情が付きます。
 第二楽章は情感のこもった思いやりのある入りで、驚くような仕掛けはありませんが、曲の隅々まで熟知 しているような、様々な表情の歌が聞けます。
 第三楽章、ここはきれいなメロディーですから期待しますが、裏切られません。独特の泣きがあって、ワ ルツのリズムでまさに踊るように揺らぎます。しかも崩れることのない歌わせ方は完璧ではないでしょう か。 他の演奏家でときに聞かれるような、二音のつなぎで音程をずらしつつせり上げるポルタメントだとか、突 然音を弱めたりするだとかの派手な小細工はありませんが、味わい深いです。
 第四楽章はややゆっくり、潤いをもってファンファーレが響き、その後もゆっくりで、展開部でも走りま せ ん。後半ではさらにスローになり、非常にたっぷりとした表情を付けます。ここらあたりが最もボヘミアの 楽団らしいところかもしれません。ラストで盛り上がる手前の静かなところでの沈潜ぶりは聞きものです。 チェコ人は大変おセンチで、国外にいるときにチェコの音楽を聞くと泣くそうです。話の出所はアーノン クールで、彼がウィーン交響楽団でチェロを弾いていたとき、楽団員の中にチェコの人が何人かいて、ド ヴォルザークの曲が演目になると涙ぐんだりすすり泣いたりしたというのです(アーノンクールの国 内盤のライナー・ノートにそのインタビューが載っています)。ネット上でもこのエ ピソードは大変人気があって飛び交っていますが、ここの最後の部分などを聞くと、なるほどそうかもしれ ないなと納得します。そして曲はフォルテになって華々しく終わりますが、その部分でもノイマンは前の部 分の感傷的な気分を残したまま走りません。

 録音は最新のデジタルではありませんが、十分ではないでしょうか。弦の音はわりとサラッとしているの で、もう少し高音の倍音成分を抑えてなまめかしくしたい気もしますが、日本でリマスターした盤はその逆 を行っています。好みの問題かもしれませんが、通常盤の廉価盤の方がいいようです。これもデジタル・リマスターと高品質プラスチックのCD 」の項目で取り上げました。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Christoph von Dohnanyi   Cleveland Orchestra

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団
 ジョージ・セルと同じクリーヴランド管弦楽団をドホナーニが指揮しています。音が磨かれ、やわらかくしなう独 特の美しい歌を聞くことができます。同曲の有名な演奏ではないかもしれませんが、騙されたと思って聞いていただ きたい隠れた名盤だと思います。個人的にはノイマン(旧)、アーノンクールと並んでこの曲のベストの一つだと 思っています。
 
 第一楽章はノイマンのものとも似てオーソドックスなテンポです。最初から流暢な抑揚があるわけではありませ ん。それが展開部から細かな強弱の表情が付き始め、よく歌うようになってきます。ピアニシモでの音の透明さと きっちり揃ったところが適度な緊張感を生み出しますが、これはクリーヴランドの技術の高さもあるでしょうか。弦 には細かなニュアンスがあり、木管の上手さにも驚きます。大変レベルが高く、「合っている」という感じです。
 第二楽章では低音弦に粘るような歌が現れ、ゆっくりと進みます。音を弱めるところで揃っているのが大変美しい です。どの楽器もレベルが高く、一音一音が磨かれて完璧な印象です。特に静かな部分でそれがよくわかります。真 ん中より後でヴァイオリンのソロもありますが、感銘を受けます。全体の持って行き方では、遅くするところで大胆 に遅くする箇所が出てきますし、クレッシェンドで力が入ってくるときに熱くなりもします。
 第三楽章のワルツは最初やや速めに、颯爽と入ります。しかしよく歌わせています。重く粘るのではなく、どちら かというと軽快な感じです。それでも表面的に流れてしまいはせず、情感がこもっています。テヌートでよくつなげ るところが独特で、全体の歌が一つになっているような印象です。この滑らかでシームレスな感覚はドホナーニ独自 の美学でしょうか。いわゆる「カラヤン・レガート」とは似て非なるもので、やわらかいものを大きく波打たせると いうよりも、弾力のある融けた飴が粘り始める前に真っすぐ引っ張っているような感じが強く、タイミングの名人芸 でありつつ、何かもう少し上品な印象があります。ボヘミアの民族色を期待するという意味では一歩後退かもしれま せんが、オーケストラ作品としての絶対値を求めれば、これを超える演奏は少ないのではな いかと思います。
 第四楽章は中庸のテンポで均整が取れています。しかし途中の展開で弱くするところの美しさが際立ちます。中間 部分から後ろにかけて静かに歌うパッセージが出てきますが、ここでも民族色が出る感じはなく、センチメンタルに 泣いたりもせず、よく歌って完璧です。

 1984年のデッカの録音も優れています。今回ここで取り上げるCDの中では、新しいアーノンクールのものと並んで最もきれいな音です。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Herbert von Karajan   Wiener Philharmoniker

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 カラヤンの新世界が良かったことはすでに書きました。特にカラヤン好きでもないし、後年の、 80年代に入ってからのデジタル時代の彼の演奏にはときどき失望させられてもきました。しかし どういうわけか、このウィーン・フィルとのドヴォルザークは素直に聞ける名演奏だという気がし ます。人によってはちょっと色鮮やか過ぎるというか、アクションが大きい感じを受ける場合もあ るでしょうが、案外嫌みではありません。

 第一楽章のテンポは中庸やや遅めといったところでしょうか。リタルダンドでゆるめるときに大 胆さがあります。表情が豊かで、つまり動きが大きいわけですが、それでもベルリン・フィルとの 録音のいくつかで見せたような人工的な感じがなく、自然です。アーノンクールのような意外性こ そありませんが、大変凝ったところがあり、それでも納得させられる運びです。音が艶やかで弦が きれいに聞こえるのも良い点です。
 第二楽章には波打つクレッシェンドがあり、ライブ的なノリというか、大きく歌わせるところが 感動的です。テンポはゆったりしています。ヴァイオリンのソロのパートが浮き出す箇所も印象的 です。全体にフレージングに滑らかさがあり、静けさと遅さも際立ちます。
 第三楽章のワルツですが、ここは思い切って速いです。昔のカラヤンに瞬間的にデジャヴしたよ うに颯爽としています。したがってワルツで踊るというわけには行かないでしょう。しかし大変滑 らかなつなぎで、これはこれで気持ちが良いです。途中の展開部からは普通のテンポに戻るのです が、この速い部分での、何かの感情が駆け抜けるような様子は大変魅力的です。何の感情なので しょうか。やはりボヘミア/スラブ的な悲しみでしょうか、それとも? 何にせよ滑らか、かつ鮮 烈です。
 第四楽章はテンポは中庸ですが、最初のファンファーレは晴れ晴れとしつつも案外鋭利です。そ の後の抑揚の付け方にアーノンクールのような工夫はありませんが、オーソドックスで良いと思い ます。ラスト前の静かになるところはたっぷりとしています。

 録音は85年で、映像もあります。カラヤンは89年に亡くなっていますので、死の4年前で す。このドヴォルザークは新世界と合わせてどちらも大変美しく、情感がこもっています。カラヤ ンの別れの歌でしょうか。
 音は反響がよく入っています。大変きれいですが、この時期のデジタル特有の、高域のオーバー トーンにちょっと無機的なガサつきを感じる瞬間もあります。それはたいてい気にならないわずか なものですが、 「カラヤン・ゴールド」以降のリマスター盤はハイがよりはっきりし、オリジナル録音に最初から含まれているそのラフなところが目立つような気がします。こ れも興味のある方はデジタル・リマスターと高品質プラスチックのCD 」の項を参 照してください。



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       Dvořák   Symphony No.8 in G major op.88
       Nikolaus Harnoncourt   Royal Concertgebouw Orchestra

ドヴォルザーク / 交響曲第8番ト長調 op.88「イギリス」
ニコラウス・アーノン クール / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 新世界の項でも述べましたが、ピリオド奏法の大家アーノンクールも ロマン派の演奏ともなると大分違った印象を与えます。古い時代はこう だっただろうという独特の呼吸法は姿を消し、代わりにスコアの隅々ま で徹底究明したかのような表情が細部にまで行き渡っています。新しい 発見が次々出てきて飽きることがありません。そして彼自身が言ってい ますが、彼の家系の中にはボヘミアの血が流れているのだそうで、ド ヴォルザークの作品には特に親しみ覚えているのでしょう、どのパッ セージにも歌が満ちています。カラヤンとウィーン・フィルのドヴォル ザークは「カラヤン」という思い込みを消して聴くと良いと思います が、このアーノンクール盤も、彼のことをよく知ってい る人は「アーノンクール」という思い込みを消して聴いてみることをお勧めします。驚くほど柔軟で、別の人のように感情的です。頭は精密コンピューター同然 にフル回転しているに違いありませんが、心は思い切りのめり込んでい るようです。

 第一楽章ですが、モーツァルトなど での彼の演奏イメージとは違って、出だしはゆっくりしています。アーノンクールら しくない、意外だと感じる人もあるかと思います。しかし気がきいてい るところは相変わらずで、管に長く吹かせていたかと思うと速くなった りし、自在で粘りのある大きな表情を付けます。そして例のピリオド奏 法特有の波打つような弓の強弱も動員されます。それを聞くと、ああ、 19世紀から引きずって来たロマン派の演奏ではないんだなと思いま す。そのように主題がゆったりと歌われるところとピリオド奏法とが組 合わさると、ちょっと新鮮です。またこの楽章、細かな表情の多様さで も他の演奏を凌駕しています。
 第二楽章は速いフレーズと非常に遅いつなぎの部分があって、表情の 大きさでは一番です。
 第三楽章のワルツもまた個性的で、いい味を出しています。スタッ カート気味にリズムを付けて、速めに、軽やか に進みます。大変魅力的です。
 第四楽章。ここが他の演奏と一番違うところでもあります。とにかく うるさく感じさせないのです。これは個人的な好みなのであまり言って も仕方がないのですが、金管の元気過ぎるものは苦手です。特にドヴォ ルザークではときどきそこが苦痛なのですが、アーノンクールはその面 で一家言あるようです。日本語盤のライナー・ノートに掲載されている インタビューによると、「(ドヴォルザークは)金管楽器の音量調節に 失敗すると、全体はすぐにも騒々しい金管コラールの洪水になってしま います」とのことです。大変頭のいい人の ようで、言うことがいちい ち印象的です。いったいいくつの名言を口にしたのか、哲学者みたいで す。それで、実際にその音量調 節を実行しているようで、結果的にブラスの大活躍する箇所も含めて、 全曲で楽しめる稀な演奏になっているのです。リズムの隅々にま で注意が行き渡り、その波のように寄せる心地良さに全てを預けて進ん で行けます。この曲のベストの演奏の一つであることは間違いありませ ん。

 1998年のライブ収録の音も、この曲のベストの一つだと言えるで しょう。弦の音が大変きれ いです。


 
INDEX