シベリウス / フィンランディア

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この「フィンランディア」のページは当初、「美しく青きドナウ」と「モルダウ」を合わせて一つの記事でしたが、分けて整理しました。
ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」はこちら
スメタナ 交響詩「モルダウ」はこちら

「青きドナウ」、「モルダウ」と続いた流れで同じテーマの曲をもう一つ挙げます。第三弾はシベリウスの「フィンランディア」。国歌のような扱いを受ける作品を取り上げるのは多少不本意なところもあるのですが、名曲だからそんなこと言ってる場合じゃないし、音楽自体は大変美しいものです。

 有名にならなかった演奏家の中に素晴らしいセンスと技術を持った人がい るように、趣味で作曲をする人の中にも有能な人はいたと思います。表に出なかったのは楽譜が残らなかったせいで、自分で焼いちゃったんじゃなければその人が生きている間だけ書斎にあったのでしょう。より深い理由としては、それを通して本人が学ぶと決めて来たテーマが作曲ではなかったことも考えられます。しかし通常楽曲が歴史に登場するためには、まず理の部分が必要です。ベートーヴェン以来現代音楽にまでつながる発展的要素であり、専門家が評価する部分です。この意味でシベリウスの作品を代表するのは交響曲群なのでしょう。動機の経時的扱いの新しさといったことが言われます。もう一つは人が聞いて美しいと感じさせる感覚・感情に訴える要素で、それがないと曲は次第に忘れ去られて行くでしょう。そしてこの二つの車輪が音楽を動かして来たと言えますが、その二つ目の要素を代表する作品はシベリウスの場合、「フィンランディア」と「トゥオネ ラの白鳥」など、いくつかの管弦楽小品ということになるのだと思います。



作曲動機
 そして1899年に作曲 されたフィンランディアには実は動因となる三つ目の車輪がありました。そのときの社会的情勢から愛国心に訴える、というファクターです。「モルダウ」がオーストリア=ハンガリー帝国からの圧力が元で生まれたとするなら、「フィンランディア」の相手は帝政ロシア、その後に愛され続 けたのはスターリンのソ連からの侵攻に対する脅威が理由でした。ドイツ第三帝国はむしろソ連への盾となっていたぐらいです。実際曲の後ろの方に登場する静かで美しいメロディーには「フィンランド賛歌」というタイトルで1941年に詩人が歌詞を付けています。この合唱版については、シベリウスは自身が会員だったフリーメイソンリーのためにそれを認めました。内容はスオミと呼ばれるフィンランドを擬人化した主体に語りかける形で、「スオミよ夜明けだ、お前を脅かす夜は追い払われてひばりが朝の歌をうたっている、光が闇に打ち勝ち、祖国よ夜が明けた、立ち上がれ」と呼びかけています。そしてこの部分はやはり第二の国歌のような扱いを受けてきました。我々は愛国心という括りに賛同しては聞かないかもしれません。しかしそこに実体性があるとは言わないにせよ、民族の集合的無意識というものが存在していると言えるのもまた事実であり、フィンランド人には侵略から自国を防衛する悲願がありましたから、この歌に感銘を受 けるのも分かります。その昔にはフィン(ランド)人が参加していたという説もあるヴァイキングが攻めに出る側だったこともあったけれども、略奪のイメージ著しい彼らもシャルルマーニュのキリスト教同化政策への反撃だという見方もあります。


構成
 曲は大きく三つの部分か ら成り、最初は暗く重苦しい調子で金管や打楽器 が鳴らされる、他国からの抑圧の部分、真ん中がより激しくなって戦いをイメージさせる部分、そして最後にその後「賛歌」と呼ばれることになった静かで美しいメロディーの部分が来て、それが大勝利の歓喜につながって終わります。

 シベリウスと言えば思い出すことがあります。子供の頃クラスにY君という友達がいました。先生を手玉に取って、「それって○○ちゃうの?」、「なんでやねん」みたいな突っ込みで笑いを取る子でしたが、他人の教科書やノートの端にいつの間にか落書きをしてくれるという特技がありました。描くのは決まってシベリウスの顔。それがまた目つきが大層悪くて、見つけると皆必死になって消しました。しかしある時彼が遠い所に転校になるという話になってしまったので、新品のノートを一冊買って渡すことにしました。どんだけ描いてもいいぞ、というわけです。出来上がりは想像以上のもので、スキンヘッドのシークレットサービスのようなシベリウスが腕組みをしてこちらを睨みつけ、背後から後光のように太陽が輝いている真っ黒い汚い絵です。神話の一つ目の怪人キュクロープスの肖像を思わせる不気味さがあり、モナリザのように川が流れていて股の下を通り、下半身には何も着けていなくて巨大な御神体が、これ以上はやめておきますが、いわゆる悪い子の絵の典型で度肝を抜かれました。ははあ、時々誰かの教科書の周りで悲鳴があがってたのはこれだな、と合点が行きました。クラシックが好きだったのでしょうか、ページはたくさんあったので他にも感電したベートーヴェンとか、狂った目のヒットラーとかの参謀がおりました。多分、少年の目に映るシベリウスのポートレートには泣く子も黙るインパクトがあったのでしょう。随分前に引っ越しの荷物の中からそのノートが出てきたことがありま すから、まだY画伯の絵はわが家の家宝としてどこかにとってあるはずです。


作曲家のこと
 つまらない話をしてしまいましたが、シベリウスは本当に怖い人だったんでしょうか。ジャン・シベリウスという作曲家は家系としてはスウェーデン系のフィンランド人で、最初はスウェーデン語しか喋れず、後に学んでフィンランド語も流暢になったそうです。ヴァイオリニストになるのが夢でしたが始めるのが遅くて技巧の点で無理があって断念し、作曲家になりました。生まれたのは1865年なのでスメタナより四十一年、チャイコフスキー やドヴォルザーク、グリーグやリムスキー・コルサコフより二十年ちょっと若い世代であり、亡くなったのは二十世紀も半ば過ぎの1957年で、盛り立ててくれたビーチャムやバルビローリ、褒めたカラヤンなどと同時代であってオーマンディとは友人でした。母子家庭に育ち、自然を愛していて鳥などを見るのが大変好きだったようで、女性関係はスメタナともY君の絵とも違って特に活発だったわけではなく、二十三のときに当時一七歳だった奥さんを見初めて四年後に結婚し、アルコールの問題があって喧嘩はするものの最後まで一緒にいました。六十歳頃から後は田舎に引きこもり、隠遁生活をして作品はほとんど残していません。徹底した個人主義でパーソナルスペースの大きい北欧人の中でも特にフィンランド人は内気で家族とだけ過ごすことも多いと言われるようですから、そういうのも珍しいことではなかったのでしょうか。最後の作品はフリーメイソンのための曲でした。怖いかどうかはともかく、謎の沈黙と言われています。


演奏とCD
 シベリウスの演奏という ことになると、有名なところではカラヤンに人気があって、よく話題にされて来ました。それからお国ものということもあってフィンランド、あるいはその周辺諸国出身の指揮者やオーケストラは外せないということになるで しょう。自文化のものは力を入れるの 録音の数も自然と増えるものです。フィンランド人のパーヴォ・ベルグルンドはシベリウスのスペシャリストで録音が多く、常にベストと言われています。フィンランディアは72年のボーン マス交響楽団と86年のヘルシンキ・フィルのものを聞きましたが両者には共通 したところがあり、歯切れ良くするのではなく、むしろ重く引きずるようにして暗さを出したスケールの大きな演奏に感じました。特に出だしからしばらくの部分は荘重な運びで、 侵略を受けていることを表す部分なのでそういう表現が正しいのだと思います。オーケストラ で打楽器をやってる知人が、ベルグルンド盤がシンバルが
最も前に出て伸びも良いと言っていました。他でもアンドリュー・デイヴィス盤なども優秀録音だと思いますが、確かにかぶる録音は多く、受け持ちとしては気になるポイントでしょう。なるほどそういう聞き方もあるのかと感心しました。全体にも買っておいて間違いのない、素晴らしいパフォーマンスです。

 ベルグルンドを尊敬していたお向いのエストニアの指揮者ネーメ・ヤルヴィもシベリウスをたくさん演奏しており、スウェーデンのエーテボリ交響楽団との92年の録音は過度な表情を抑え、やはりベルグルンドに似た少し重く引きずる表現も用いながらすっきりとした歌もあって大変オーソドックスな仕上がりです。これも評価が高いです。

 その子供のパーヴォ・ヤルヴィの2002年のエストニア国立管弦楽団との演奏は逆に重くせず、また切れ過ぎもせずであってフィンランド賛歌の部分には歌が入ります。


 お国もの演奏の中でこれはと思ったものにはまずフィンランドの指揮者とオーケストラであるオスモ・ヴァンスカ/ラハティ交響楽団 の90年代の BIS 盤がありました。出だしから一定していますが、音をつなげてテヌートで長く延ばしながらも引きずるわけではなく、直線的に抑えた滑らかな歌で進めて行くという大変個性的なものです。そのコントロールされ、磨かれた静寂の美は、他にいくらか似ているものがあるとすれば夭折した昔のイタリアの指揮者、グィド・カンテッリぐらいでしょうか。決して声高にならず最後まで独特の美学を貫きます。 「トゥオネラの白鳥」も「悲しいワルツ」も入っているシベリウスのベスト盤のような企画なのでうれしいです。録音も良いです。2016年にミネソタ管弦楽団と再録音をしていますが、そちらは合唱付きです。

 それから1997年録音 のフィンランド人のペトリ・サカリ/アイスランド交響楽団 ナクソス盤も良い演奏だと思いました。わざとらしい大仰なところはないですが表情が豊かです。音の途中でぐっと盛り上げたり、逆に中間部では絞ったりしますし、速くなるところの表現も気に入りました。フィンランド賛歌の部分での歌わせ方は案外さらっと爽やかです。



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     Jean Sibelius   Finlandia op.26
     Herbert von Karajan   Berliner Philharmoniker     

シベリウス / 交響詩「フィンランディア」op.26
ヘルベルト・フォン・カラ ヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964)
 さて、まず人気のカラヤンです。ウィーン・フィルとの晩年の録音はどう やらないようで、この曲はお気に入りで何度も録音しているのにどうしたものでしょうか。全部かどうか分かりませんが時代順に並べてみると1952年、59年フィルハーモニ ア管、64年、76年、84年となります。通常各通販サイトでトップに挙がり、最も売れているのはベルリン・フィル最後の84年デジタル録音盤でしょう。しかしカラヤンの80年代のベルリン・フィルとのものは、両者の関係について知っていることもあるかもしれませんが波長的に好みでない場合が多いです。このシベリウスでは悪くないし解釈も大きくは変わらないですが、 やはりここでは1964年のアナログ録音の方を挙げておこうと思います。52年盤は表現の上では64年と変わらないにせよモノラルで録音は古いです。シベリウスは1957年に亡くなりましたから、作曲家本人が耳にしたことがあって高く評価していたカラヤンという意味では64年までのスタイルということになるかと思います。

 その64年盤ですが、五十六歳のときですから若いとも言えないものの、この時期のカラヤンは良かったです。ここでも真っ直ぐな表現でたるんだところがなく、明るい軽さがあって颯爽としています。静かなフィンランド賛歌の部分は他の指揮者の何 人かに見られるような速めのテンポは取らず、じっくり抑揚をつけますが、それでも彼の後の録音よりも初々しく爽やかに歌っています。門構えが立派でお留守ということがない、つまり大きな表情の裏に無機質なそっけなさを感じさせる瞬間がなく、希望すら湧いて来る充実した演奏です。録音もデジタル初期の84年より瑞々しく、リマスターの加減もあるかもしれませんがバランスも優れており、カラヤンのフィンランディアの中では最もきれいな音に聞こえます。

 同じようにデジタル期の 録音を避ける人でも次の76年盤の方が良いという意見もあるようです。70年代は表現も音もよりグラマラスになって、オーケスト ラの技術面でも最も磨きがかかっていた時期だということは言えるでしょう。しかしこの曲に関しては録音が EMI であり、少々残念なところのあるコンディションだと言えるかもしれません。大きな音で幾分割れ気味になる高域がきれいに聞こえない箇所があるように思うのです。トランペットの音も薄くて反響が少し耳に来ます。表現の上では重々しく遅い始まりはどの盤よりも振りが大きく、反対にフィンランド賛歌の部分は64年盤より直線的に聞こえました。音の評価も主観だし、スケールが大きく感じる演奏が好きな方はそちらの方が良いかもしれません。



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     Jean Sibelius   Finlandia op.26  
     Okko Kamu   Helsinki Philharmonic Orchestra ♥♥

シベリウス / 交響詩「フィンランディア」op.26
オッコ・カム / ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥
 1946年生まれのフィンランドの指揮者、オッコ・カムとヘルシンキ・フィルハーモニーの演奏はただお国ものという範疇を超え、はったりがなく、よく制御された表情があるレベルの高いものでした。テンポも生きいきと動かし、ヴァンスカの抑え磨かれた抑揚よりも敏感に感情に反応する音です。それでいて全く乱れません。出だしはテヌートで終わりの音符を延ばして音を引きます。このようにぱっと切らないのはどんよりとした冬の暗さの演出というか、北欧、フィンランド系の演奏者には共通しているでしょうか。表情豊かと言いましたが、抑揚は深刻なものではなく、全体に透明感のあるメリハリでよく歌っています。駆けるところもあり、歓びの音と言っても良いぐらいです。フィンランド賛歌の部分は爽やかで美しく、最後の金管のクレッシェンドも心地良くて、曲が短く感じるほど気持ち良く終わりまで進んで行きます。  

 フィンランディア・レコーズ1987の録音は良い音です。中間部のシンバルが前へ出ますが、すっきりと伸びていてきれいです。  



   oramofinlandia
     Jean Sibelius   Finlandia op.26   
     Sakari Oramo   City of Birmingham Symphony Orchestra ♥♥

シベリウス / 交響詩「フィンランディア」op.26

サカリ・オラモ / バーミンガム・シティ交響楽団 ♥♥
 これもフィンランドの人ですが、サカリ・オラモはシューマンの4番のシンフォニーで感心しました。ラトルの後にバーミンガム市交響楽団のポストに着いた人で1965年生まれ、これからが期待です。瑞々しい感性の才能豊かな指揮者で、細かいところまで神経の行き届いた工夫がされていて意識の高い演奏をしま すが、自然な感情に即応した無理のない流れがあります。

 フィンランディアでは特に民族的なものは感じさせません。どこの国の人ということは関係ないでしょう。出だしの二音目は短く切ります。重くし過ぎず、感情に翻弄されるわけではない表現上のメリハリがあって上手いな、という感じです。強弱に段を付け、一つひとつの音をよく把握して繊細に陰影を施して行く表 情の妙を味わえます。中間部の速くなるところでは生き生きとした明るさがあり、小気味良い 乗りでも一番です。賛歌の歌は速めで、前半部はスタッカートで切るところがあって初々しいです。後半部分もテンポは速めですが、しっとりとして細かな表情があります。ラストでは速めて行って遅くするなど、ドライブの効いた力強さで締め括ります。


 2002年の録音は最良 のものの一つでしょう。



   andrewdavisfinlandia
     Jean Sibelius   Finlandia op.26   Violin Concerto  
     Jennifer Pike
     Andrew Davis    Bergen Philharmonic Orchestra ♥♥

シベリウス / 交響詩「フィンランディア」op.26
ジェニファー・パイク (ヴァイオリン)
アンドリュー・デイヴィス / ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団
♥♥

 次のヤンソンス盤と並んでフィンランディアのベストだと思えた一枚です。少なくとも録音の良さでは最善だと言えるし、カップリング曲がまたいいのです。アンドリュー(アンドルー)・デイヴィスは1944年生まれのイギリスの指揮者で、イギリスものだけでなくフィンランディアも得意としており、トロント響 やロイヤル・ストックホルム・フィルなどと何度も録音しています。ここで取り上げるのは最 新の2013年盤です。ベルゲン・フィルハーモニー管はノルウェーの楽団です。

 演奏は、個性という点ではオッコ・カムやサカリ・オラモの方があるかもしれませんが、デイヴィス盤は派手な演出はないけれども力強さと美しさがバランスしていて理想的な運びに感じます。イギリス人らしいと言えるとしても、北欧の曲にもマッチした透明さがあり、北欧勢と比べても北欧的でないなどということは全くありません。無用に引きずったりしない出だしはティンパニの盛り上がりがダイナミックで迫力があり、力強さは十分です。それでいて恣意的でやかましい印象はないし、暗過ぎるということもありません。細やかな表情、純化されたフレーズと音色、どこを取っても完璧と言っていいでしょう。賛歌の歌わせ方も繊細な抑揚で大変きれいです。

 他に入っている曲の目玉はシベリウス唯一の協奏曲であるヴァイオリン協奏曲でしょう。弾いているのはイギリスのヴァイオリニスト、89年生まれというジェニファー・パイクです。この曲でよく話題になるのは後で取り上げるアンネ=ゾフィー・ムター盤だと思いますが、演奏に関してはそのムターのような構えと振りの大きさがなく、パイクの方が素直です。メンデルスゾーンの協奏曲(他の盤)ではゆったりと丁寧に弾き進めており、繊細さがあるけど情動に突き動かされる部分や自在な動きという面では控えめに聞こえていました。しかしこの曲ではその性質がむしろ良い方に発揮されて曲自体の美しさを引き出しており、細身で繊細 な音色の美と相まってデイヴィスのフィンランディアとも波長の合った透明な美しさで堪能させてくれます。この曲のベストかもしれません。
 それからカレリア組曲、悲しいワルツ、叙情的なワルツ、アンダンテ・フェスティーヴォが入っており、シベリウスの中でも親しみやすい、美しいメロディーの曲を全部集めて来たという感じです。そしてその叙情性からフィンランディアの次に人気のあるあの「トゥオネラの白鳥」も入っていて、それがまたきれいな演奏なのです。  

 シャンドスの最近の録音には目を見張る高音質のものがいくつも出て来てるように思いますが、これは2013年の優秀録音です。こういう言葉はあまり使いたくないけど本来の意味で分解能が高く、個々の楽器がはっきりとして細部が捉えられています。シンバルもトライアングルもよく聞こえますが、すっきりと上まで伸びていて破綻がないのでうるさくなることがなく、ヴィヴィッドに美しく響きます。重低音という意味でも下までぐっと伸びており、そして一番大切なことですが、バランスが良くて弦の音が艶で固まらず、分解されているのにさらさらし過ぎもせずで、滑らかで生っぽいということです。

 デイヴィスは1997年にロイヤル・ストックホルム・フィルともフィンランディアを出していて、そちらも録音はかなり良かったです。演奏は滑らかながらより力強さの方へ寄っている印象で、賛歌の歌ではややスタッカート気味の表現も聞かれます。低音がより豊かなバランスでしょうか。 


     

   jansonsfinlandia
     Jean Sibelius   Finlandia op.26
     Mariss Jansons   Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ♥♥

シベリウス / 交響詩「フィンランディア」op.26
マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ♥♥
 演奏によって感動したと いう意味では他を引き離して一番でした。ヤンソンスはやはり理解のレベルが一段違うのではないかと思わされてしまいます。理解が違うというよりも、それを団員に伝える力が優れているのかもしれませんが。ライヴらしい乗りが聞かれる演奏であり、確かにオーケストラ自体が熱いところはあります。ティンパニは白熱気味で拍を崩しはしないけれども少しだけ前倒しに駆けそうな箇所もあります。圧倒する低音弦で引っ張るところ、力を込めて弾ませるところの気迫はすごいです。しかしこのヤンソンスの最近の演奏はどれもそうですが、音楽が今生まれたように楽しげなところが素晴らしいのです。オーケストラとの良好な関係があるのかもしれませんが、ここでもその波長は出ており、生きた間合いと見事な強弱を聞かせ、力で押し切るのではなく粘るリズムでぐいぐい前へ進んで行きます。中間部の長調に転じるところではこれこそ歓びという感じにな り、静まって賛歌の歌になると、速いテンポで始める弾むような歌わせ方に幸福感がみなぎります。そしてラストは圧倒的な歓喜の爆発で終わります。演奏は熱ければ良いという好みではありませんが、これは聞き終えて他になく充実した 気分になりました。
(マリス・ヤンソンス氏は2019年11月30日、心不全により76歳で逝去されました。)

 ライヴらしく最後の余韻に拍手が若干被るのをそのままに残した編集ですが、自前の BRクラシック2015年の録音は大変良い音です。上記アンドリュー・デイヴィス盤が透明な分解能の高さを誇るのに対してこちらはライヴらしい自然な音で、重心が低くふくよかな弦には艶があります。チェリビダッケの晩年の録音もバランスが良 かったですが、これもこの種のものとしてはベストに近いと言っていいでしょう。音響が最善ではないことで知られるガスタイク・ホールでの収録ですが、上手にとれていると思います。
 組み合わせには、ありがたいことにシベリウスで最も人気があって試金石にもなる第2番のシンフォニーが入っています。それを聞いて萌える方であれば残りの交響曲へも参戦資格ありだし、多分後期ロマン派への道が開かれる人であって、いっぱいある他の作曲家の長大シンフォニー群も射程に入って来るかもしれま せん。 


  
   muttershibelius
     Jean Sibelius   2 Serenades   Violin Concerto
     Anne-Sophie Mutter
     André Previn   Staatskapelle Dresden ♥♥

シベリウス / 2つのセレナード op.69 / ヴァイオリン協奏曲
アンネ=ゾフィー・ム ター(ヴァイオリン)
アンドレ・プレヴィン / シュターツカペレ・ドレスデン ♥♥
 フィンランディアではありません。セレナードを取り上げたくてこの CD を出しました。協奏曲のアダージョもいいですが、セレナードはシベリウスで一番好きな曲かもしれません。美しいからですが、曲想からイメージされるようなただ甘くてきれい一方ではなく、ロマン派らしく情熱も感じさせる曲です。そして普段シベリウスもこのヴァイオリニストもあまり聞かない方なのに、この CD だけは手の届く手前の棚に置いています。

 演奏しているのはゾフィー・ムッターです。協奏曲の方はすでに上でデイヴィス盤のジェニファー・パイクのものを、伸びやかで無理のない透明感のある演奏として挙げておきましたが、セレナードの演奏で主なものとなるとやはりこちらになってしまうのではないでしょうか。人気のムターは艶やかで張りのあるきれいな高音だけでなく力強く太い音も出す、結構ドラマティックな振りのあるロマッティックなヴァイオリンを弾く人です。それがこの曲にはぴったりなところもあります。

 1995年に音響の良いことで知られるドレスデンのルカ教会で収録されたドイツ・グラモフォンのセッション録音であり、音質は大変良いです。



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