モンテヴェルディ / 古楽の愉しみ 3          
  マドリガーレ曲集 / 聖母マリアの夕べの祈り / 倫理的・宗教的な森
  monteverdiguyfawkes

 前のページでは古楽の歴史を辿ってヒルデガルド・フォン・ ビンゲンからルネサンス後期の音楽までの CD をざっと見てきました(「短調が悲しいのは生まれつき?/古楽の愉しみ 2」)。そのラストに来るべきはモンテヴェルディとなるはずでしたが、記事が長くなってしまったこともあり、また、それまでとは違ったちょっと特別なところがある作曲家なので、ここで独立させて扱うことにしました。

作曲家のこと
 ルネサンスの音楽を締め括るのはクラウディオ・モンテヴェルディです。何をもってかはともかくルネサンス最大の作曲家とも言われる知名度ですが、ヴィヴァルディと同様その後忘れられ、同じように20世紀になって再評価されました。イタリアのヴァイオリンの名器でお馴染みのクレモナに1567年に生まれ、半島の長靴の付け根にある都市マントヴァの宮廷(世俗)で最初は歌手兼ヴィオール奏者、後に楽長を務め、最後はイタリアで最大の楽団を擁するヴェネチアのサン・マルコ寺院の楽長(聖職)にまで昇って終えた人です。その三十五年後には同じヴェネチアでヴィヴァルディが生まれています。今まで見てきたパレストリーナなどのルネサンス作曲家たちとは違って宗教曲も作るけれど、本当は人生の後半戦で宗教家の一面を覗かせた人なのであって、生きた道と同様に劇的な音楽家だと言われます。いくつもの珍しい楽器を指定した大掛かりなオーケストラを動員するオペラも作曲し、愛の世俗歌曲であるマドリガーレを有名にして論争の的にもなったという現世的なところがあり、サン・マルコ寺院の職を得たことで晩年司祭にはなりましたが、結婚後八年足らずで亡くなってしまう奥さんと三人の子供がありました。財政危機に陥った楽団を蘇生させるという政治手腕もあったようです。 

音楽的特徴
 それではルネサンス後期の他の音楽家たちと技法的には何が違うのかという話になると、それについてはよく出てくるキーワードが二つほどあります。例えば、モンテヴェルディは「モノディ」の方向に向かい、(第一作法ではなく)「第二作法」を重んじた作曲家だ、というような具合です。ここで解説するには向かない難しい響きですが、これは何を言っているのでしょう。

 モノディというのはポリフォニーの反対の言葉だとされ、それまでのルネサンス音楽がメロディに対してもう一つの(あるいは複数の)メロディが対等に掛け合うようなもの(それをポリフォニー/対位法と言います)だったのに対して、一つだけのメロディに伴奏を付けるスタイルだ、ということのようです。ご存知 の方はポリフォニーの反対はホモフォニーじゃないの、と思われることでしょうが、モノディというのはほとんどそれに近い概念で、正確には16世紀の終わり から 17世紀の初めにかけてイタリアで生まれたものに限定して歴史的な文脈で使います。また、具体的には歌が基本であって、独唱か重唱で一つのメロディーを歌 い、そこに通奏低音という楽器による伴奏が加わった形のことを指します。要するに一本のメロディ・ラインと伴奏の分かりやすい音楽のことです。それが次の バロック時代の夜明けを告げ、古典派やロマン派へと発展して行く原型になったのです。

 一方で「第一作法(Prima pratica)」というのは、「古様式(stile antico)」とも呼ばれ、前述のモノディでない方のポリフォニーの音楽、つまりパレストリーナなどのそれまでの古い様式を重んじるやり方のことです。 「第二作法(Seconda pratica)は「現代様式(stile moderno)」とも呼ばれ、ポリフォニーではなく、モノディのように一つのメロディと和音の伴奏による音楽のことで、つまり「モノディ」と「第二作 法」とは概ね同じ意味で使われています。「第一〜」「第二〜」という分け方をしたのはモンテヴェルディ本人で、古い音楽を擁護する人に論争を挑まれたので そういう述語を作って反論したわけです。自らの技法についても大変自覚的だったようです。そして動機としては、より感情と結びついた音楽を求めようという 意識がその新しい立場を取らせたようで、それがまたオペラにもつながって行きました。そうした方向で音楽を求めるモンテヴェルディの立場は現在の私たちの 音楽感性にも近いものがあり、ポップスにも似たところがあるし、「機能和声」の始まりだとも言われます。他の同時代のライバルとは一線を画したアイディア 溢れる調べ。グレゴリオ聖歌から始めましたが、感性が関われる度合いもやっとここまで来たという感じです。形式の仮面の奥から人間らしい顔を見せた、最も 古い作曲家だと言ってもあながち間違いではないかもしれません。 

 説明はこれぐらいにしますが、その前にお話した通り、ある 種派手なところがあるのでモンテヴェルディは人々を惹き付けてやまず、クラシック音楽ファンの 間でも後世のベルリオーズほどではないにせよ演奏の聞き比べがされたりしているようです。そして単に劇的で派手というだけではなく、別の言い方をすれば陽 性の温かさがあるような気もします。二面性があるとまでは言いませんが、それがメロディに表れれば明るく美しい特有の運びとなり、また静謐でやわらかな ハーモニーを聞かせる一面ともなって大変魅力的です。

 さて、とはいってもここで扱うには荷が重い人でもありま す。ストーリーを楽しむ劇は見るものであって聞くものではないので、イタリア・オペラはアリア集 ぐらいしか基本聞かない立場に自分は近いからです。しかも賑やかな音楽は苦手ときます。オペラの最初の作品はヤコボ・ペーリの「ダフネ」であり、それに触 発されたかどうか、そのすぐ後にモンテ ヴェルディが作曲したオペラ「オルフェオ」は音楽史における記念碑的作品だと言われます。モンテヴェルディの真骨頂はオペラかもしれません。それなのに触 れないとしたらどうでしょう。まずい事態です。でもやはり、ファンファーレと打楽器で幕を上げるその曲はとりあえず保留にさせていただきます。

モンテヴェルディの有名作品
 この作曲家の有名な作品は、その「オルフェオ」以外には全 9巻のマドリガーレ集(歌もの)、「聖母マリアの夕べの祈り」(宗教曲)、「ウリッセの帰還」(オペラ)、「倫理的・宗教的な森」(宗教曲)、「ポッペア の戴冠」(オペラ)といったところでしょうか。


 〜アリアンナの嘆き(マドリガーレ集)

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       Claudio Monteverdi   Lamento d'Arianna   Madrigale
       Monteverdi-Chor Hambrg   Jürgen Jürgens ♥♥

クラウディオ・モンテヴェルディ / アリアンナの嘆き・マドリガーレ集(LP)
ハンブルク・ モンテヴェルディ合唱団 / ユルゲン・ユルゲンス ♥♥
 モンテヴェルディの作品の中で、世俗歌曲であるマドリガー レはキャリアの最初の頃から書いていた重要な分野ですが、9巻まであるたくさんの作品の中で、 他にも色々ときれいな曲があるながら、恐らく最も有名なのは6巻にある「アリアンナの嘆き」でしょう。元はオペラのアリアでしたが、本人がマドリガーレに 編曲したものです。そのオペラの方は譜が散逸してしまいました。筋書きはギリシャ神話のテセウスとアリアドネの話であり、アリアドネ(アリアンナ)は結婚 を約束していたテセウスにナクソス島に置いてきぼりにされてしまい、「私を死なせて」と嘆きます。

 このアリアンナの嘆きというマドリガーレですが、余分な話 で恐縮ながら、私はこの曲自体を FM 放送「朝のバロック」(通称)で皆川達夫か服部幸三氏どちらだったかの紹介で知りました。古い話ですが古楽がこれから流行るという頃で、ユルゲン・ユルゲ ンス指揮のハンブルク・モンテヴェルディ合唱団(ガーディナーの同名の合唱団とは別です)の1974年のレコードをこれはいい、と推しておられたのでし た。実際にそれは LP を手に入れての自分の愛聴盤となり、一度気に入ると他のものはだめということはない方なのですが、これに関してはその後の様々な演奏に接したものの、どう もこれが一番という状態からしばらく抜け出せなくなってしまいました。それはちょうど古楽器ブームが起きてきて演奏スタイルが変わり始める頃だったから で、以後の演奏はモンテヴェルディの人間臭い部分を強調し、世俗歌曲らしく赤裸々に愛の歌をうたうという発想が中心となって行ったのです。人間復興のルネ サンス的意味合いも加わって劇的に訴えるスタイルが主流となり、少ない編成で舞台に立つようなオフな音響になって、語りかけるような抑揚が目立ちます。何 語であれ、訴えるような調子で喋りかける歌をかけておくと文字を読むのが困難になるものです。これも個人的嗜好ですから主張するつもりはないですが、シャ ンソンの大御所ジョルジュ・ブラッサンスの皮肉語りやボブ・ディランの鼻歌などは深遠な詩とメッセージなのであって、メロディもいいとは思いますが、元来喋 りと音楽とは別の引き出しに入れたいのです。以来この曲自体をあまりかけなくなってしまいました。そしてユルゲンス盤の CD は未だに登場していません。アルヒーフは一度お蔵入りにすると復活しないところがあって、エドゥアルド・メルクスやエルハルト・マウエルスベルガーの廃盤 同様に困った状態でした。私は CD-R に焼きましたが、何とかならないものでしょうか。
 
 ユルゲンスの演奏を一言でいうと劇的で強く訴える表現の合 唱、ということになりますが、音の合間を途切れさせるようなものではなく、スラーでつなげて音楽的に流します。 語りの感じはしなくてスムーズなのです。妙な山なりの抑揚もなく、人数はそこそこ多いので最近の傾向ではないながら、それだけに音響として揃った厚み のある音になります。それが鮮烈にして美しい、という感じでした。

 アリアンナの嘆きの他にも、真に迫った勢いが美しい「星に 彼は願いを打ち明けた(Sfogava con le stelle)」と後半のモチーフが「小さな秋見〜つけた」 に似た「死ねるものなら(Si ch'io vorrei morire)」が傑作と言われる第4巻から、「私があなたを愛しているのを(Ch'io t'ami piú della mia vita)」が 5巻から、「やさしいナイチンゲール(Dolcissimo uscignolo)」が8巻からなど、モンテヴェルディのマドリガーレの中でも特に印象的な旋律の作品が入っています。

 ないものをご紹介しても申し訳ないので、ユルゲンス以降の 主立った演奏をいくつか挙げてみます:

 ジョルディ・サヴァール / モンセラート・フィゲーラス盤(Monteverdi Madrigali e lamenti   Jordi Savall  Montserrat Figueras)は1989年録音で、サヴァールの奥さんで2011年に亡くなったソプラノ、モンセラート・フィゲーラスが歌うのが目玉です。声はやわ らかく響いて細くないのでアルト寄りに聞こえます。大変ゆっくりと丁寧に力を込めて歌われます。時折独特に震わせますし、強く張り上げるところはベルカン トのオペラ声のようです。延ばすところでは長く尾を引かせ、そのゆったりした嘆きは過去の出来事の回想のようであり、激情という感じではなくて幾分けだる い雰囲気もあります。トン・コープマン、アンドリュー・ローレンス=キング、パオロ・パンドルフォなど豪華な器楽陣です。

 リナルド・アレッサンドリーニ / コンチェルト・イタリアーノ盤 (Monteverdi   Il Sesto Libro de Madrigali 1614   Concerto Italiano   Rinaldo Alessandrini)は本国イタリア勢ということで新世代のモンテヴェルディの定番のように言われてきた演奏です。1992年の録音で、ゆっくりし たテンポで間を空けながら、一音をメッサ・ディ・ヴォーチェのクレッシェンドでふわりふわりと盛り上げつつドラマチックに抑揚をつけます。宗教臭さを脱し て人間解放をうたった側の代表のような演奏です。 

 もっと最近のものでは1995年にクラウディオ・カヴィーナによって結成されたイタリアの古楽アンサンブル、ラ・ベネクシアーナの 2005年盤 (Monteverdi: Sesto Libro dei Madrigali - 1614   La Venexiana   Claudio Cavina)があります。同じくイタリアということでこのごろは定番の地位を得ているのでしょうか。
  透明感と力のある伸びの良い声のソプラノが前に立ち、オペラ的ではなくビブラートもありませんが、時々裏返るような表現はある歌い方です。少人数特有で一 人ひとりの声が真に迫って訴えるようなところが良く、表現の大きさもあるのですが、アレッサンドリーニ盤ほどの一音ごとの盛り上げではなく、音としてつな いで行きます。それがより今風なのかどうか、イタリア勢としては上品に聞こえます。全集も出ました。



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       Claudio Monteverdi   Lamento d'Arianna
       The Consort of Musicke   Anthony Rooley

クラウディオ・モンテヴェルディ / アリアンナの嘆き
コンソート・ オブ・ミュージック / アントニー・ルーリー
  そしてユルゲンス盤以降で最も美的な感覚を満足させてくれたのは、カークビーが歌うアントニー・ルーリー / コンソート・オブ・ミュージック盤でしょうか。アリアンナは1983年の録音で、カークビーのソロによるものと、カークビー抜きの5声による二つのバー ジョンが入っています。このうちよりしっくりきたのは5声の方でした。テンポは中庸ややゆったりで、嫌みなくすっきりと真っ直ぐに歌われます。声が大変き れいで、抑揚はよく付くものの一音ごとに途切れさせるような癖は出さずに滑らかにつなぎ、やわらかくて語尾が静かに消え入ります。透明感が感じられて良い 演奏です。ただし人数が少ないので、ユルゲンスのような合唱による声の均一さと力は感じさせません。途中から盛り上がる部分ではテンポを上げて力強さも出 していますが、全体としては純化された音という印象で、きれいに解きほぐされて行く歌い方です。残響が少なめであり、その分音をつないで歌っています。
 カークビーの独唱は弱くする部分は弱く、強いところでは ぐっと盛り上げて、彼女としては案外力強く歌っています。テンポがゆったりで語りかけるように嘆 きを訴えるので、やはり昔の合唱のスムーズなスタイルとは別物に聞こえます。ふわふわっと漂うようなところと残響の少ない点から勝手な好みとして♡を付け ましたが、全集も出ているし一枚ものでも買えるので、モンテヴェルディのマドリガーレとしては安心してお勧めできる定番の演奏です。



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       Claudio Monteverdi   Madrigali X e Y
       Le Nuove Musiche   Krijn Koetsveld ♥♥

クラウディオ・モンテヴェルディ / マドリガーレ集・第5、6巻(含「アリアンナの嘆き」)
レ・ヌオ ヴォ・ムジケ / キリン・コーツフェルド ♥♥
 ユルゲン・ユルゲンス盤以降長らくこれといった決め手に欠 けていると思ってきたマドリガーレ、アリアンナの嘆きですが、最近になってやっと気に入ったも のが出てきました。17世紀前半の音楽に特化したオランダの新しいグループ、レ・ ヌオヴォ・ムジケの演奏です。リーダーで指揮をしているのはキーボード奏者でもあるキリン・コーツフェルド。グループの名前はバロック初期のイタリアの作 曲家ジュリオ・カッチーニが1602年に出版した同名の曲に因んでいます。2019年にブリリアントからマドリガーレの全集(12CD )が出ました。個別の二枚組はそれ以前から順次出ていました。

 どうしたことか、「アリアンナの嘆き」の入った6巻の組 (5、6巻の2CD)は同じブリリアント・レーベルで単独のものが二種類出ています。推測する に、最初に有名なこの巻を2009年に出したところ各方面から高く評価されて賞ももらうことになり、全曲録音の話が来たので、その5、6巻を除いて進めて 行ったけれども最後にやはりもう一度同じセッションで入れ直しますか、というところだったのか、あるいは最初から全曲再録は決まっていて、最後に慣れてき たところで2017年に有名な5、6巻に及んだという方が本当のところでしょうか。両者の演奏はほとんど変わりはないものの、旧盤の方がやわらかい抑揚が 付いてテンポが幾分ゆったりであり、録音コンディションの問題で中域にやや残響分が多くて明るめに感じるバランスなのに対して、新盤は比べれば音と表現、テンポの速さで若 干さらっとして力が抜けて聞こえるか、というところです。音程的にはわずかに新盤の方が安定的かもしれません。こういう風にピッチが飛んだ先で全員が別の 音程で大きな抑揚を付ける部分のある曲は、正確な音を出すのが相当難しいだろうと思います。世界的に有名な歌手でもたまに外しますから、そういう点だけを 見ていたのでは見逃すこともあるでしょう。新旧どちらもいいことに変わりはありませんが、若干の差でここでは旧盤の方を挙げておきます。全集で買う人は 入っている新しい方の録音で十分でしょう。個別の新盤のジャケットは丘陵地に広がる畑のモノクロ写真です。

    全体の演奏はユルゲンスほどの合唱団的人数ではなく、個々のソロが活躍する透明な音ながら、残響があって響きが美しいものです。世俗曲ゆえにこうした残響 が感じられない盤が多かったので大変ありがたいです。肝心の歌については女声が大変きれいで、オペラ的でない真っ直ぐな歌い方で他よりも静けさがありま す。前述の通り若干音程に乱れが出る箇所もありますが、ご愛嬌です。男声はやわらかく、全体を通して作為を感じさせません。つまり以前の古楽奏法的なアク セントがなくて切れぎれにならず、音をつなげて滑らかに進行させ ます。ユルゲンスの時代を最初と考えると、古楽奏法に寄った世俗歌曲然としたものが次の世代、そしてもう一度音楽的な流れの美しさを回復した新しい解釈が 彼らであるという言い方も可能かもしれません。ことさら感情劇のようにはやらないのです。最近のもので一番きれいです。


 〜聖母マリアの夕べの祈り
「オルフェオ」を除いて最も大規模で有名な作品は「聖母マリ アの夕べの祈り」(Vespro Della Beata Vergine / Vespers of the Blessed Virgin)でしょう。夕べというのは晩課のことで、カトリック教会でのお勤めです。モンテヴェルディが四十三歳のときになって出版された初の大きな宗 教作品であり、最初の世俗歌劇である「オルフェオ」と同時期、恐らくその直後に書かれたとされるもので、二つ並んで彼の代表作です。

 面白いのは宗教作品であるにもかかわらず始まりの打楽器付 きファンファーレが「オルフェオ」と同じものだということです。それに象徴されるように、「聖 母マリアの夕べの祈り」 は華々しい作品です。特に前半がそうで、宗教音楽特有のしっとりとした美しさが感じられるのは、個人の見解ですが、11曲目のソナタ「聖マリアよ、私たち のために祈ってくださ い」(Sonata sopra Santa Maria, ora pro nobis)以降であり、その中でも特に「マニフィカト」であって、この曲はそのマニフィカトを聞くためにあると長らく思ってきました。実際はソナタも良 いし、その次の讃歌「めでたし海の星」(Ave maris stella)のきれいさにも惚れぼれしてしまいます。ありがたいことに二枚組になる CD では二枚目がソナタから始まるものが多く、常に二枚目からかければ美しい調べにうっとりできます。一枚目についてはこれは偏見に過ぎませんが、テノールの メリスマが活躍したりする賑やかで繰り返しの多い感覚が祭り囃子の壮大な乱痴気騒ぎのように感じられる部分もあり、退屈になる場面もあって苦手です。とい うことで、あるまじきことではありますが、ここでは「マニフィカト」と静かないくつかの楽章の出来でのみ判断して CD を挙げさせていただきます。

 この曲については、マドリガーレのユルゲンス盤に相当する ような意味で長らくミシェル・コルボの演奏を定番だと思って愛聴してきました。というのも昔は それぐらいしかなかったというのか、実際はディスコグラフィーを見ると1953年のストコフスキーから63種類も出ていてコルボ盤は四番目なのですが、そ れが広く受け入れられ、評価の高かったものなのです。コルボという人は宗教音楽の分野では独自の地位を築いた人で、その後のブームによって古楽器奏法が確 立された今となっては彼独特の昔のスタイルということになってしまいますが、ゆったりしたテンポで静かに滑らかに歌わせるその解釈は、長い残響がある録音 が多いのと相まって大変美しく、以前から古楽に興味があった方にとっては、モーツァルトやフォーレのレクイエムと同様、人数の多い合唱によって描くそのモ ンテヴェルディの演奏も避けて通ることのできないものだったはずです。コルボは再録音もしていて、ちょっと驚いたのは CD になってから何の疑いもなく聞いていたのは旧盤の方だったということでした。新旧を比べてみると両方ともピリオド楽器のようですが、新盤の方が今の演奏の 流れに近くなっています。逆に人数が多めでスラーのかかったゆったり溶け合う響きのマニフィカトなど、旧盤の方がオリジナリティーがあったような気がしま す。

 コルボ以降の演奏で聞いてみたのはパロット、ヘレヴェッ ヘ、サヴァール、ガーディナー、ユングヘーネル、ヤーコプス、レザールフロリアン、鈴木、アレッ サンドリーニ、クイケン、ザ・シックスティーン、マレットなどで、どんな演奏もその個性が存在意義ですから個々に寸評を加えるのはやめますが、その中でも 琴線に触れるところのあったのはパ ロット(1984)、ガーディナー(1989)、ユングヘーネル(1996)、ヤーコプス(1996)、ザ・シックスティーン(2014)といったところ でした。



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       Monteverdi   Vespro Della Beata Vergine
       The London Oratory Juniors Choir   The Monteverdi Choir
       The English Soloists   John Eliot Gardiner ♥♥

モンテヴェルディ / 聖母マリアの夕べの祈り
ロンドン・オ ラトリー少年合唱団 / モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ / ジョン・エリオット・ガーディナー ♥♥
 まず定番とされている89年録音のガーディナー盤です。や はりいいです。これだけあればよしとすら言いたくなるような出来で、何といってもファースト・チョイスでしょう。モンテヴェルディが楽長を務めたサン・マ ルコ寺院の大聖堂で演奏されています。

 マニフィカトの出だしでは、力強く清澄なモンテヴェルディ 合唱団の合唱に続いてアン・モノイオスのソプラノが少女のような声質で漂うようにやわらかく歌 います。まさに天使の声かという感じで、その後の男性ソロイストも完璧です。また、7声に加えて6声の方も収録されています。それからマニフィカトの一つ 前、讃歌「めでたし海の星」がまたなんとも美しいです。階上から歌う少女が中心になった少年(Juniors)合唱団の声が清楚で他に代え難く、テンポが ゆったりの抑えたテンションのある静けさの中で一際光彩を放っています。夕日に照り輝くような短調の静かなファンファーレやピリオド楽器の弦、リコーダー などの間奏を挟みながら大人の合唱団やカウンター・テナー、バスなどに引き継がれて歌われて行くのです。こういう魅力的な瞬間はマニフィカトの途中も 含めて随所にあるのですが、中でもここはこの盤の白眉でしょう。最後も圧倒される締め括りです。レーベルはアルヒーフで、DVDと組になったものも出てい ます。ライヴですが一大イベントだったことでしょう。音響は良く、録音も最高のコンディションで、次のユングヘーネル盤がやわらかで透明な音だとするな ら、こちらは豊かな残響の中で高域も繊細に伸びています。



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       Monteverdi   Vespro Della Beata Vergine
       Cantus Cölln   Concerto Palatino   Konrad Junghänel

モンテヴェルディ / 聖母マリアの夕べの祈り
カントゥス・ ケルン / コンチェルト・パラディーノ / コンラート・ユングヘーネル
  こちらはユングヘーネル盤です。コンラッド・ユングヘーネルはドイツのリュート奏者で古楽の指揮者ですが、彼が1987年に結成したカントゥス・ケルンが 歌います。ワン・ボイス・パー・パート、一つのパートに一人しか歌わない演奏で、オーストラリアの音楽学者ティム・カーターとの共通の考えでこうしたよう ですが、当時の実際の演奏形態を考慮したのか、モンテヴェルディのこの大規模作品においては独自の路線です。壮大さより静けさ、輝かしさよりやわらかさを 追求した唯一無二の演奏と言えます。この曲は一枚目のディスクが退屈かやかましいかで飛ばしたくなるなどと前に書きましたが、それは言い過ぎにせよ、同じ ように感じている方がもしいらっしゃればこの演奏が一服の清涼剤となるでしょう。驚いたことに、その一枚目を聞いても大変心地良いのです。こういうことは あまりないのですが、金管の音がやわらかく、ゆったりもしているので威圧されないのでしょう。相変わらず繰り返しは感じるしメロディー・ラインが個性的で 歌いたくなるようなものではないのですが、途中に美しいところもあって、これなら頭からかけてもいいかと思えてきます。
 
 この盤の特徴を一言でいえば、前述の通り声も楽器も常に音 がやわらかく響くということ、高域の倍音成分が張り出すことがない分透明で、静かに周囲に溶け 込んで行くようなところが挙げられます。それは単に音だけの問題ではもちろんなく、演奏の面でもそういう波長が追求されているのでそうなっているのです。 やわらかく滑らかにつなぐフレージングで、テンポは全体にゆっくりしています。古楽の歌い方の癖を出すという意味ではなく、ふわっとしています。

 1994年録音のドイツ・ハルモニア・ムンディ盤です。マ ニフィカトの出だしもガーディナー盤のように合唱が力強かったり少女のような声のソプラノが歌ったりというわけではないですが、やはりやわらかい声質の女 声一人だけで透明に響き、とても魅力的です。



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       Monteverdi   Vespro Della Beata Vergine
       The Sixteen   Harry Christophers

モンテヴェルディ / 聖母マリアの夕べの祈り
ザ・シックスティーン / ハリー・クリストファーズ
 今度はより新しいところで、バードのところでも取り上げた 1977年結成のイギリスのアンサンブル、ザ・シッスティーンです。88年に「聖バルバラの祝 日のための第2晩課」という別のバージョン(「マリア」を他の名前に変えられることもあり、元々は聖バルバラのための曲だったのではないかという説があり ます)を他の作曲家の同名作品とのコンピレーションですでに出していたようですが、これは正規の1610年版による2014年の新盤の方です。

 この人たちは常に清潔な歌い方で古楽奏法的にも崩さず、ど こをとっても声がきれいです。マニフィカートは二つのバージョンをピッチを変えて収録していま すが、出だしは特にゆっくりではないながら素直な歌唱だと思います。ガーディナ盤ほどの壮大さはなく、かといってユングヘーネル盤のようなソプラノ一人に よるものでもなく、少人数で声を合わせる一般的なスタイルとしては均整のとれた理想的な美しさを見せます。もちろん力強さが必要なパートでは見事に揃って 力強いです。女声の性質も軽やかで透けるようであり、全体にそうした波長で統一されていて安心して聞けます。強い個性は感じさせないかもしれないけれども どこをとっても完璧で欠点が見出せない演奏です。彼ら自身のレーベル Coro から出ています。


 〜倫理的・宗教的な森
「聖母マリアの夕べの祈り」は1610年、モンテヴェルディ 四十三歳のときの宗教的大作でした。もう一つの大作は晩年の1640年、七十三歳のときの「倫 理的・宗教的な森(Selva Morale e Spirituale)」です。森って何だろうと思うのですが、selva というのはラテン語の silva から来たスペイン語由来の言葉のようで、意味は密に茂ったアマゾンなんかの常緑熱帯雨林のことのようです。何で、とさらに思いますが、そんな風にブッシュ が茂りまくったようにたくさんのもの、の比喩らしく、この曲集に40曲もあるからに違いありません。歌詞違いの同曲を除いた録音でも37はあります。モン テヴェルディが亡くなるのは七十六歳で、サン・マルコ寺院に来て以来その頃までに書きためた宗教曲を死の三年前に全部集めたみたいな曲集です。ミサ、モ テット、マニフィカト、サルヴェ・レジーナありの寄せ集めですから「聖母マリアの夕べの祈り」のような統一感はないですが、きれいなメロディも発掘できま す。個々の内容については、1声から8声までの器楽を伴う曲ということですが、こういうものを楽曲として論じる力は私にはないので、聞いて良かったものを 少しだけ挙げます。



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       Monteverdi   Selva  Morale e Spirituale
       Ensemble Vocal et Instrumental de Lausanne   Michel Corboz
 
モンテヴェルディ / 倫理的・宗教的な森
ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル / ミシェル・コルボ
 この曲集については、「聖母マリアの夕べの祈り」と同じ話 になりますが、1934年生まれのスイスの古楽宗教曲を得意とする指揮者、ミシェル・コルボの盤が長く定番になってきました。本人はさらにモンテヴェル ディこそがライフワークだと言う人で、元は LP だったものながら「聖母〜」ほどは有名でなかった曲集ということもあり、全集ともなると長らく他にないような状況でした。しかも未だに他にない特徴を持っ たいい演奏なのです。1967〜69年の録 音です。

 どういう特徴かといえば、古楽器奏法的なアクセントを付け ない人数の多い合唱であり、残響の豊かなところで収録したゆったりしたテンポの、スムーズにつ ないで静けさのあるモダン演奏です。清らかな感じがします。ビブラートが聞こえたりもしますが、今風に切れが良くないこともあって厚みを感じさせ、全員で 歌う合唱部分ではこの人の他の録音にはない荘重・重厚さを感じさせるところもあります。

 深い配慮もなくこの盤から好きな曲を抜き出して並べただけ のもので長いこと満足してきました。他は3枚なのにこれだけ6枚セットという大部で、安くなっ たと はいえこれを買う人はかなり好きな人でしょう。巻数の多い古典文学に挑むような気概が要るかと思われますが、何となくかけておけばそのうち気に入った曲も 見えてくるようなもので、中には素晴らしくてあっという間に聞き終えてしまった、などと発言する人もあるようです。本当でしょうか。でもなぜ6枚? という疑問は残ります。68曲も入ってるのです。曲集は40曲のはずです。これが難問なのだけど、どうやらサン・マルコ寺院のために書いた曲を「倫理的・ 宗教的な森」以外からも加えているようです。



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       Monteverdi   Selva  Morale e Spirituale
       The Sixteen   Harry Christophers

モンテヴェルディ / 倫理的・宗教的な森倫理的・宗教的な森
ザ・シックスティーン / ハリー・クリストファーズ


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       Monteverdi   Selva  Morale e Spirituale
       Cantus Cölln   Concerto Palatino   Konrad Junghänel

モンテヴェルディ / 倫理的・宗教的な森
カントゥス・ ケルン / コンチェルト・パラディーノ / コンラート・ユングヘーネル

 最近の録音のものも挙げてみます。「聖母マリアの夕べの祈 り」ほどは多くないにせよ、ユングヘーネル盤、ザ・シックスティーン盤、アレッサンドリーニ 盤、ガッリード盤、ラ・ベネクシアーナ盤などいくつも出ています。全集でなければミサだけ集めたようなものとか、一枚にまとまった選曲勝負のものもあり、 そういう方がいいかもしれませんが、聞いてみた中で良かったのは2010〜2011年録音のザ・シックスティーン盤(Coro 写真上)と2000年録音のユングヘーネル盤(HMF 写真下)でした。「聖母〜」と同じ構図で甲乙付け難いです。どちらがいいかは好みの問題でしょう。演奏の特徴も「聖母〜」と同じことが言えるので重複しま すが、表現と音のやわらかさ、小人数の静けさを取るならユングヘーネル盤、軽やかで溌剌としている方ならザ・シックスティーン盤ということになります。こ こでザ・シックスティーン盤の方に♡を付けた理由はサルヴェ・レジーナなどで単にソプラノの声が好みだっただけのことです。それもどっちがいいとかいうも のでもなく、透明な質のユングヘーネル盤、高い声のザ・シックスティーン盤という感じです。トータルで長く聞いて聞き疲れしないのはユングヘーネル盤かも しれません。



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       Monteverdi   Teatro D'Amore
       L'Arpeggiata   Christina Pluhar   Nuria Rial   Philippe Jaroussky

モンテヴェルディ / 愛の劇場
ラルペッジャータ / クリスティーナ・プルハー
ヌリア・リアル(ソプラノ)/フィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)他
 ちょっと毛色の変わったところで、オーストリアの指揮者ク リスティーナ・プルハーによって2000年に結成された古楽アンサンブル、ラルベッジャータの モンテヴェルディです。ただの古楽ではありません。自由に現代的解釈でアレンジを施したもので、古楽の時代は演奏者が即興でやれたから、とクリスティーナ は語っているそうです。ヘンデル、パーセルなど、このコンセプトで何枚もアルバムを出しています。因みにそのヘンデル後半の叙情性ときたら最近一番のお気 に入りなのですが、ちょっとフレンチな感じがするジャケットも毎回気が利いていて、どれもシャンソンのようなジャズのような、たまにフラメンコ味だったり の面白い出来です。実際にジャズのピアノ、ギター、ベースにクラリネットまで出てきたりします。

 このモンテヴェルディの CD では人気のソプラノ、ヌリア・リアルとカウンター・テナーのフィリップ・ジャルスキーが歌い、正真正銘ジャズのトランペットが絡んでみたり、ここはメキシ コかというラテンのホーン・セクションが和音を奏でたりしています。以前ブクステフーデのページでご紹介したラ・レヴース演奏のトリオ・ソナタにそっくり なフレーズも9曲目に出てきたりして、アレンジはプルハーとなっているけどヴァイオリンが共通メンバーなのかと調べてみたりもしました。あのブクステフー デも他にない弾むような運びでしたから、これと同じようにちょっと現代的感覚でやってたのかもしれません。こういう最近の発想、いいと思います。モンテ ヴェルディが今に蘇ってきたのかと思いました。 レーベルはエラート/ヴァージンで2006年の録音です。



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