モーツァルトのピアノ協奏曲

   mozartpianoconcertos

取り上げる CD 24枚:(第18番:ブレンデル / 第19番:ブレンデル/オコーナー/シェリー/シフ/グード/ 第20番:グルダ/ブレンデル
/オコーナー/モネッティ/アンデルシェフスキー/ 第21番:アンダ/ピリス ['73/ '93]/グルダ/ペライア/ブレンデル/シェーヤ
/オコーナー/アンデルシェフスキー/ファン・オールト/ 第23番:ブレンデル/オコーナー/プレスラー/ 第24番:ブレンデル/オコーナー
/アンデルシェフスキー/グレイルザンマー


第27番 K.595 の CD はこちら


クララ・ハスキル/リリー・クラウス/イングリット・ヘブラー/ロベール・カサドシュ/クリフォー ド・カーゾン/ワルター・ギーゼキングのピアノ協奏曲はこちら


モーツァルトのピアノ協奏曲の位置づけ

 ハイドンが交響曲や弦楽四重奏というジャンルを世に知らしめた最初の人という言い方ができるなら、チェンバロ協奏曲を除いて、いわゆるピアノ協奏曲を確立したのはモーツァルトということになるでしょう。27曲ある(最初の方が偽作となっていたり、コンサート・ロンドや一楽章だけのもの、断片、複数台のピアノのものがあって、実際は何曲と数えるのでしょう?)これらの協奏曲たちの中には数多くの傑作が含まれており、モーツァルトの作品の中でもこのジャンルは特に魅力的なものとなっています。昔流行った言い方で「無人島の一曲」を選ぶとするなら、個人的に は最後の27番の協奏曲をこの作曲家の最高傑作と呼んでもいいぐらいに思っています。よく演奏されるのは初期の中からは9番の「ジュノーム」ぐらいですが、17、8番あたりから後ろの円熟期、後期の作品はコンサートでもよく取り上げられ、CD もたくさん出ています。しかしこのモーツァルトのピアノ協奏曲の CD 聞き比べは、理由は下記に述べますが、バッハのカンタータと並んでやろうやろうと思ってなかなか本格的に手が出ない大きなジャンルでした。すでに27番については別のページで書いていますので(「モーツァルトの白鳥の歌」)、ここでは残りの曲のうち気に入ったものをピックアップして書いてみようと思います。

 何事にしろ先入観というものはよくないわけで、色々出ている CD の中からお気に入りを見つけるときも、思い込みなしに演奏家の個性を一つひとつ味わって行くのが公平な姿勢と言えるでしょう。しかし犯人先にありきの犯罪 捜査に限らす、科学論文であってさえ最初の仮説の中にすでに結論が忍び込んでいたりするように、 我々の知性は常にバイアスを持って眺めてしまいがちです。CD についても幾つかの具体例を抽象して理想を作ってしまうから満足な演奏に出会えない不満を持つのかもしれません。モーツァルトのピアノ協奏曲は名演がたく さんあって選ぶのに困るという幸せな意見も聞いたことがあるのでぜひそうありたいものですが、残念ながら私にはこれほどまでに満足行く演奏がみつけにくい ジャンルも他にありません。言い訳をするのも気が引けますが、どうやらこれはモーツァルトという人物像の解釈からも発するようです。


モーツァルトの人物像と演奏への期待
 一般にモーツァルトとはどんな人物でどう演奏してほしいと思われてるのでしょうか。作曲家の実像といっても、それは我々の心の中にあります。優美なメロ ディーとヨーゼフ・ランゲやバーバラ・クラフトらの肖像画から、以前はなんとなく上品な人物と思われていたと思いますが、ヒルデスハイマーの「モー ツァルトは誰だったのか」などの本が70年代に出回るようになると、スカトロだったり卑猥だったりする書簡について多くの人が知るところとなりました。関 係を持った女子とメールでエッチな妄想を語り合うのは今や普通かもしれませんが、当時は衝撃でした。その後映画「アマデウス」の高笑いが出て、多くの人の 頭の中からノーブルなモーツァルト像は消し飛んでしまったことでしょう。以降、二面性のある複雑な人物像が定着してきます。

 この人のお金の使い方は有名ですが、一時期は独立した作曲家として今の価値にして年収何千万も稼いでたのに、執着なく使ってしまってギャンブルではカモ にされ、最後は薪も買えないから寒いときには踊ってたなんて言います。そして受けない短調の曲を理想にしたがって書いたりします。安っぽいプライドと格好 だけの権威はからかわずにはいられない一方で、実力あるハイドンなどは高く評価して年齢差も気にせずお友達になります。一般には人の感情を理解できないこ とも多いとされるフォトグラフィック・メモリーを持ったサヴァンのようでありながら、才能差に嫉妬して合同コンサートのときに彼の楽譜を隠したかもしれな いライバルに対しては、自分がその相手を圧倒した上に馬鹿にしてるように思わせてしまったかもしれないと反省して相手の気持ちも理解するという一面も覗か せます。手紙での配慮の文面は恐ろしく状況判断と気遣いができることを示しています。好きだったけど一緒になれなかった女性とは生涯友達でいました。男女 関係においては、一説によれば、相互に不誠実さがあったかもしれない場合も嫉妬に距離を置いた超然とした思いやりを示しました。なんだかチグハグで現世の 常識を理解できない可笑しさがあり、スピリチュアリティの高さと裏腹 です。からからと空笑いをしたというのは人々の執着心が滑稽だったのかもしれません。動物のように見える世界にアジャストできない孤独を感じつつ、悲しま ない。何かのレベルが突出して高い、理解されにくい 精神なのでしょう。

 大変人間くさい一面がありながら超然として人間離れしたモーツァルト。こういう宇宙人のような純粋なフリーチャイルドは滅多にいないわけで、同じ資質を 持ったピアニストを探すのは困難です。すでにそこに演奏の難しさが予見されます。


モダン楽器による演奏の問題点
 曲についてはどうでしょう。作曲技法の上では彼ほど洗練という言葉に相応しい人はいないのではと思わせる一方で、天からの啓示のような大胆かつ鮮烈な パッセージが印象的です。そういうパッセージは典型化の網をくぐり抜けるのでコンピュータで分析しても作り出せません。若くして迎えた晩年にはクリスタル のように透明な音と感情の超越を聞かせます。こういう人物を自分なりにイメージすると、自ずとその曲の演奏に対しても一定の希望が出てきてしまいます。は たして、ベートーヴェンのように苦闘を感じさせるのはいかがでしょうか。あるいは ブラームスのように思い悩んだり、内側での反芻はどうでしょう。自己憐憫と分かって欲しい節は最も似つかわしくないように感じます。だからロマン派にこそ 相応しい人間くさい自我表現は避けてほしいと思ってしまいます。モーツァルトの音楽はラヴェルのそれと同様に、過剰な感情移入は受け付けないのです。しか し緩徐楽章で涙に目を潤ませ、時折ぐっと
弱めたり遅 くしたりするモダン・ピアノの弾き手のなんと多いことでしょう。現代のピアノは大変弱いピアニシモも出せます。また、遊びを感じさせるのは良いとして、昨 今では奏者の独自性を示すために思い切った表情をつける演出も出てきており、もはやモーツァルトというよりもそのピアニストの音楽になっているような例も あります。では楽譜通りのポーカーフェイスで流せばいいかというと、それはそれでこの作曲家の天衣無縫さが生きません-----結局こんな理想があったの では、いつまでたっても幸せに巡り会えないわけで す。

 
ピリオド楽器による演奏の問題点
 もう一つ考えるべきことになるのは古楽演奏の流行です。元気なトランペットとティンパニが活躍し、拍の歯切れの良いモーツァルト像を作った功績の多くは才能豊かなアーノンクールにあるのかもしれません。 よく調べてのことでしょうから当時実際そのように演奏されたのかもしれませんが、この人に限らず、 リズムを尖らせて区切り過ぎると自然な流れを阻害しているように聞こえてしまいます。モーツァルトは子供の 頃、甲高いトランペットの音を恐れたそうですが、彼自身はああいう風に演奏させたのでしょうか。

 そしてピアノ協奏曲のピリオド楽器での演奏を特徴づけるのはフォルテピアノの音と奏法です。モーツァルトの協奏曲を弾いている主なピアニストを世代順に 挙げると、イエルク・デームス(1928)、マルコム・ビルソン(1935)、ヨス・ファン・インマゼール(1945)、ロバート・レヴィン (1947)、ロナルド・ブラウティハム (1954)、アンドレアス・シュタイアー(1955)、メルヴィン・タン(1956)、バルト・ファン・オールト(1959)、アルテュール・スホーン デルヴィルト(1966)、ジョン・ギボンズ(? )といったところでしょうか。フォルテピアノはモダン・ピアノのように頑丈な金属のフレームではなく、木箱に弦の張られたような構造からひなびた音になり がちですが、音色そのものはスホーデンヴィルトやファン・オールト盤のようにチェンバロに近いエッジの立ったきれいな音の楽器と録音があるので一概に魅力 がないとも言えません。音量については、その小ささゆえにオーケストラに負けないように常にしっかりと叩く必要があるので強弱のニュアンスが出にくいこと はあるでしょうから、家庭用の弦楽四重奏版の方がいいのかもしれませんが、これも元来そういう楽器を前提に編成の小さな管弦楽団用にモーツァルトが作曲し たのであって、致命的というわけでもありません。
 しかしオーケストラでは尖って聞こえることが多かった拍の問題は、鍵盤楽器のフォルテピアノでは 不均等なリズムとして現れがちす。もちろんこれは弾き手の考え方、時代の解釈の問題です。そしてこれがピリオド楽器によるモーツァルトのピアノ協奏曲の、 個人的に最も気になるところです。この時代にはイネガル 奏法などの不均等なリズムの伝統があったわけですし、音量差の出ないチェンバロでの強調法がリズムをずらすものだったからそうなるのはわかりますが、千鳥 足になりがちです。字義通りの酔っ払いの足取りというよりも本物の千鳥のように、チョコマカ、と小走りに歩いては立ち止まって警戒し、またチョコマカ、と 駆けるような足取りの演奏があり得るのです。千鳥は可愛らしいですが、モーツァルトはどうでしょう。こ ういうアクセントがあまり強いと、そちらの方に目が行ってしまって奏者の個性が埋もれてしまい、どうかすると皆同じように聞こえてしまいがちです。それと も不自然に聞こえるのは学術解釈が自分の呼吸にまで なっていないからでしょうか。当時どのぐらい不均等なリズムで弾いていたかの程度は文献はあっても音源がないので、正解も分かりません。上記のピアニスト のうち誰が千鳥足かという問題ではありません。 実際に一概には言えず、曲や楽章、録音時期によって違います。全般にあまりそういう風に弾かない例としては、若干走るテンポで間を詰めるときがあり、ル バートは使うながら自然な感じでやっているベルギーの大家、ヨス・ファン・イン マ ゼールの盤などを挙げてもいいかもしれません。90年代頭のチャンネル・クラシクス盤でした。それから90年代後半から2000年にかけてテルデックから 出たドイツのアンドレアス・シュタイアーによる もの は装飾の加わった、自由でちょっと大きめの表情を付ける演奏でしたが、リズムはほどほど素直でした。そ して2010年頃から BIS が出してきたオランダ人のロナルド・ブラウティハムも、ややテンポは速めのところもありながら揺らす癖はあまり強く感じられない演奏と言えるかもしれませ ん。癖がなければ全てよしとも行きませんので、それ以外の人の方が好みだった例もあります。ここでは 21番の項でフォルテピアノの盤も取り上げようと思います。


女性ピアニストが好まれる?
 演奏の問題点などとサブタイトルで大きく出ましたが、単に「好きでないところ」という意味でし た。その点で、やはり私は現時点ではモダン・ピアノによる演奏の方に好きなものが多いです。モーツァルトの現代ピアノによる演奏では昔から女性ピアニストたちを高く評価する意見がありました。クララ・ハスキル、
リリー・クラウス、イングリット・ヘブラーのいわばモーツァルト御三家のことで、少し遅れてマリア・ ジョアン・ピリス、それにアリシア・デ・ラローチャなども加えて良いのかもしれません。ピアノ協奏曲では音の美しさを楽しむことも大きなウェイトを占めているので録音の良さも重要です。ハスキル盤など は評価が高くていくつも種類が出てたりしますが、モノラル時代のものを含めてこれら三姉妹のものは別のペー ジで触れます(「ハスキル/クラウス/ヘブラー」)。
 それと、女性ではないですがクリフォード・カーゾンとロベール・カサドシュの演奏もモーツァルトの協奏曲では以前より定評があり、今でも昔と同じ発言をする人がいるようなので、これも同じページで触れます。
 面白いのはモーツァルトの演奏には女性がいい、という暗黙の了解のようなものがあったらしいとい うことです。女性らしいなんて言葉は今は通用しませんが、一般には端正で丁寧、繊細な情緒があってこれ見よがしでない、力で押し切らない、技術を見せつけ ない、変わったことをして目だとうとしない、などといった性質のことでしょうか? 「壮絶な人生」について語られるクララ・ハスキルは演奏面でも「女性らしい」などと評すべきではないという声があるにせよ、そうしたあり方がモーツァルト に相応しいと思わ れていたと言うとなんとなくは納得してもらえるかもしれません。そうすると、先ほど私が理想を喋らせていただいたのと同様な一定のモー ツァルト像が人々の間にあって、やはりなんとなく上品な、ちょっと女性的でもあるこの作曲家の昔からの肖像画のような人物像になっている、そこが面白いわ けです。しかし逆に女性ならそういう性質を持っているだろう、あるいは持っていて欲しいという希望が存在するところがポイントかもしれません。これは日本 だけの傾向ではありません。だから男勝りの超絶技巧で鳴らした女性ピアニストはこの範疇には含まれないのです。プラカードを持って反対運動をしましょう か。



モーツァルト ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456    
 後期の協奏曲のうち何番からを傑作とするかは意見が分かれ、メシアンが褒めたという17番を挙げる人も多 いですが、ここでは18番にしておきましょう。1784年、モーツァルト28歳のときの作品ですが、短調の第二楽章 は23番のそれと並んでほの暗い情熱を感じさせ、途中で激しく盛り上がりを見せるところもあり、その後の 20番を彷彿とさせるようなモーツァルトにしか書けない名旋律です。



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       Mozart   Piano Concerto No.18 K.456
       Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields
♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第18番 K.456

アルフレート・ブレンデル / ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 ♥♥
 20番ほどの有名曲ではないので選ぶのに困るほど出ているという感じでもありません。そんな中で、古くは なりますがブレンデルがフィリップスに録音したマリナーとの盤がやはり過不足なく生き生きしていて、繊細な表情もあって良いと思います。23、24、27番などの緩徐楽章で見せるようなロマンティックな思い入れの強い感じはここではあまり感じられず、テンポも中庸でよく歌い、なんということもないようなの だけど、他の演奏と比べてみるとあらためてこの人は音楽の流れをよく捉まえているなと感心させられます。こんな70年代の録音を出してくると今さらなんで ブレンデルだのグルダだの言うのかと思われそうですし、こんな凄い新人が出て来た、と本来なら言いたいところですが。
 新しいところではハワード・シェリーとタスマニアのオーケストラのものも良かったです。ピアノの音が丸い艶でおとなしく、第二楽章が遅くて表現が大きい ところがありました。でも単独で割高感があるのと、オーストラリアのレーベルでダウンロード以外はちょっと手に入り難いところが問題でしょう。一方でブレ ンデル盤も今は一枚ものとして買うのは無理かもしれません。全集が出ていて他の曲の演奏も良いし、枚数のわりに安いのでよしとします。ブレンデルのこのシ リーズは録音バランスが大 変良く、ピアノは艶やかに輝いていてオーケストラは瑞々しく、フィリップスの良いところが出ています。若干ばらつきがあって27番などはややオフですし、 この18、19番あたりも以前はアナログ・テープのヒスノイズがやや目立つところがありましたが、この全集のリマスターで完全に消えています。1974年 の録音です。



モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K.459
 18番と同じ年に作られた曲ですが、第二楽章は途中で短く短調へ転調するものの基本は長調で書かれていま す。「第二戴冠式」などと呼ばれるのは、26番(「戴冠式」)と並んで1790年のレオポルド2世の戴冠式で作曲家自身によって演奏されたからです。モー ツァルトは認めてもらってお金になることを期待して無理して出かけて行っ たものの、大した成果はなかったようで、この神聖ローマ皇帝は彼を厚遇せず、別の作曲家の方が好きだったようです。式の演奏当時のモーツァルトはもう人気 が落ち目でした。この作品以降1790年までの間で26番以外に全楽章が長調で書かれた曲に21番と25番もありますが、戴冠式用にこれと26番を選んだ のは軽快で大衆に受けると考えたからでしょうか。少なくともモーツァルトは平均的な感性の人が何を望むかに気づけないような人間ではなかっただろうと思い ます。実際26番などは19世紀まで大変人気のある曲だったようです。この19番も弾むようにリズミカルなところがあり、全体に明るく親しみやすい曲で す。



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       Mozart   Piano Concerto No.19 K.459
       Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields
♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 K.459
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)/ ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 ♥♥
 これも18番と同じくブレンデルのフィリップスへの録音を挙げておきます。リマスターで音も良くなりまし た。 元々やわらかく艶のあるオーケストラは大変自然で、陰影の深いプレンデルのピアノは奥に独特の硬質な輝きを秘めた艶のある音と相まって大変魅力的です。ど の楽章のテンポ設定も適切でオーソドックスなものであり、元来第二楽章がやたらと遅くはならない明るい曲調のため、ともするとロマンティックに傾きがちな ブレンデルの癖もここではすべて良い方に出ている気がします。1971年の録音です。



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       Mozart   Piano Concerto No.19 K.459
       Andras Schiff   Sandr Vegh   Camerata Academica des Mozarteums Salzburg ♥♥


モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 K.459
アンドラーシュ・シフ / シャーンドル・ヴェーグ / モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ ♥♥
  シフのこの盤はカップリングになっている27番のところですでに取り上げました。19番もすっきりとして愉悦感を味わえ、意識の高い演奏です。曲調に相応しいと思います。
 ペライアは繊細できれいな音で、しなやかだけどやや影のあるしんみりした調子でした。そっと撫でるようにささやくところも大変ロマンティックで、壊れも のを扱うように弾きます。壊れものを扱うようだという点では70年代のピリスにも特徴がありました。ペライアのように抑揚をつけてやわらかくは弾かず、 真っ直ぐ透明で くっきりした タッチなのですが、後年の彼女の表現と比べると繊細な若者の憂いのようなものを感じさせ、どこか儚なげでした。 シフは繊細ながらこれらの方向とは全く違います。

 第一楽章でオーケストラは速く弾むように入り、軽快です。音も明るくてきれいです。ピアノも速めのテンポで力が抜けています。若々しさを演出しているよ うにも聞こえます。ところどころで力を抜いたりして軽妙ですが、テンポの変動は少ない方です。ちょっとだけ古楽器系の抑揚というか、フォルテピアノの奏法 を意識したように も感じますが、千鳥足にはなりません。くっきりとしたスタッカート寄りの表現がそう思わせるのでしょう。一音ずつ区切っていながら速い部分もあり、しっか りしたスタッカートも交えています。
 第二楽章はちょっとゆっくりになりますが、遅くはありません。ピアノは弱音を使って繊細ながら、 タッチは粒立っていて弱く歌わせる方向ではありません。この人はいつもそうですが、弱いところでもくっきり一音を響かせます。抑揚は大変よくついているの ですが、楽しげではあっても情緒たっぷりの泣きには決してなりませ ん。 静かに弾いていても明るい印象があります。そういうさわやかなところがシフの美点なのだと思います。個性を感じさせるモダン・ピアノならではの演奏なの に、さっぱりとした音とタッチが古楽系の流れすら感じさせるのは第一楽章と同じ です。そして粒立っている音とはいってもグルダやラローチャのように一音ずつ強く叩いているわけではないようにも聞こえ、弱い音も出しています。それでも なぜかくっきりしている。あるいは録音のせいなのか、楽器のせいなのかでしょうか。
 第三楽章は軽快に粒のきれいな音で進みます。管弦楽も編成が小さいように聞こえ、さっぱりとしていま す。

 1987年デッカの録音は残響もあり、明るい感じの音です。



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       Mozart   Piano Concerto No.19 K.459
       John O’Conor   Charles Mackerras   Scottish Chamber Orchestra


モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 K.459
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス /スコットランド室内管弦楽団
 弱音に無限の変化があってセンスの良い歌わせ方をするアイルランドのピアニスト、ジョン・オコーナーは ベー トーヴェンの月光があまりきれいだったので独立したページを設けましたが(「静かなタッチ/ベートーヴェン 月光ソナタ」)、 19番のモーツァルトの協奏曲も録音しています。カップリングは23番です。この人は弱い音での表現に独自のものがあり、ときに繊細過ぎるかと思わせるほ どですが、この19番は元々曲自体が颯爽としていて第二楽章もゆっくりになり過ぎることのない構成なので、オコーナーのピアノも他よりすっきりまとまって いるように思います。 ピアニシモでもベートーヴェンのときほど弱くしないようです。独立してよく取り上げられる曲でもなく、ブレンデルの全集で案外満足してしまうのであまり真 剣に探してこなかったとも言えますが、これは好演です。

 第一楽章は短く弾むようなピアノでテンポも軽快です。さらっとしていますが、オーケストラは案外ダイナ ミックでもあります。
 第二楽章のフレージングも粘るところがなく、すっきりと進めます。まれにスタッカートを交えたり装飾を加 えたりの工夫はあり、繊細な表情がついていますが、控えめで余分なことはしない感じです。テンポを遅らせたりしないからでしょうか。表現としてはハワード・シェリーより好きかもしれません。
 三楽章もすっきりした表現です。

 テラーク1990年の録音です。オーケストラは重心の低いバランスで、ピアノは粒が揃っています。磨き抜 かれた音というか、ややしっとりとしていて、派手さのない音はベートーヴェンの録音とも共通します。若干オフ気味でもう少しきらめいてもいいかなと思われたので、♡は一つにしました。演奏という点では二つです。


 
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      Mozart   Piano Concerto No.19 K.459
      Howard Shelley   London Mozart Players ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 K.459
ハワード・シェリー / ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズ ♥♥
 90年代以降のものではイギリスのピアニスト、ハワード・シェリーの演奏も良かったと思います。1950 年生まれですから若手という感じでもありませんし、70年代から録音を始めていますが、90年代に入ってから比較的最近までモーツァルトの協奏曲を多く録音しています。やり過ぎない範囲でよく歌う人ながら、18番のときの 表現とは違って第2楽章があまり遅くなり過ぎないのが気に入りました。というか、ここは楽章としてあまり遅くするところでもないからとも言えますが。すでに取り上げた27番など、大変きれいな表現でした。

 ひらひらと軽い感じの第一楽章はテンポこそ結構速めですが、ところどころでスッと遅くするので余裕のある 軽さになっています。
 第二楽章では思い入れを込めたり感情を乗せたりして遅くするのではなく、機械的なルバートのように変化を つけているという感じです。やり過ぎ感がなく、すっきりとして嫌みがありません。
 第三楽章も軽快です。

 シャンドス93年の録音は残響はありますが、派手なキラキラした音ではありません。ピアノの音像は近過ぎ ず、 録音は悪くないと思います。12番とカップリングです。



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       Mozart   Piano Concerto No.19 K.459
       Richard Goode   Orpheus Chamber Orschestra


モーツァルト ピアノ協奏曲第19番 K.459
リチャード・グード / オルフェウス室内管弦楽団
 比較的新しいところでは、ニューヨークのピアニスト、リチャード・グードの盤があります。27番をすでに 取り上げましたが、そこにカップリングになっています。

 第一楽章は軽快なテンポで、ふわっと軽く弾むピアノが心地良いです。どこか浮かんでいるような感じなの は、スタッカートを使い、テンポが微妙に揺れるからでしょうか。指を残して滑らかにつなげるテヌートも聞かれます。そして速いパッセージにおいては拍を前 へ詰めるようにして、少しだけ前のめりになるところにこの人の特徴が現れま す。そこがやや不安定な浮遊感に感じる場合もあります。逆に拍を遅らせる方に強調点があるようなルバートは目立ちません。小節単位でフレーズ全体を遅くす る処理はあるにしても、です。こういう崩し方は古くはバックハウスに ちょっと似たところを感じたことがありました。
 遅い楽章だからか、第二楽章では今度は拍を詰めるというよりも、初めから間を空けるフレーズの処理が目立 ちます。最初の一音を長くして間を空け、その後を詰めるのです。印象としては軽くて遊んでいるようで、テンポは中庸ながら軽快に感じさせます。その後前に のめるところはこの楽章でもやはり出ます。オーケストラが同じようにちょっと急くような伴奏をするところもあります。グードの弾き振りではなく、ここは合 議制の楽団なので、同じ波長で影響を受けたか、あるいは独立してそういう表現なのだと思います。しかしこの曲については表現意欲として感じるものの、特に 嫌みはありません。
 第三楽章は軽く弾むようで良い表現だと思います。やや不安定な若者モーツァルトという感じもします。

 2005年ノンサッチ・レコーズの録音はあまり残響のある方ではありません。ピアノは過度にキラキラしな いな がら線は細い印象で、きれいに鳴ります。



モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466
 後期のピアノ協奏曲の中で、これは絶対外せない名作として最初に挙がるのが20番でしょう。初めて短調で 書かれた協奏曲で、激しい情熱を感じさせる一部の隙もない作品です。勢いがある一方で純化された静かな楽想の美しさも完璧で、ベートーヴェンも大変気に入っていて参考にしたと言われます。事実彼は第一楽章のカデンツァ(ピアノ の即興部分)を書いていて、それも傑作なので常によく演奏されます。モーツァルト29歳、最も成功していた頃と言っていいでしょう。



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      Mozart   Piano Concerto No.20 K.466
      Friedrich Gulda   Claudio Abbado   Wiener Philharmoniker


モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
フリードリヒ・グルダ / クラウディオ・アバド / ウィーン・フィル

 1974年のグルダの演奏がカップリングの21番も含めて圧倒的な名演だと思います。多くの方がそうおっ しゃっているので改めて取り上げるまでもないのかとも思いますし、次のブレンデル盤と録音年度が一年前後し ますが、最初に挙げておきます。趣の違う演奏を聴くのも面白いので他にもいくつか別の演奏を取り上げますが、これ一 枚で満足の方もたくさんいらっしゃることでしょう。

 演奏の特徴をひとことで言うなら、ストレートさと装飾の小気味良さということになると思います。もう一つ 加えるなら、ベートーヴェンみたいな曲に聞こえる、としましょうか。グルダはベートーヴェンをこよなく愛しており、 そこでは大変生真面目で真っ直ぐな演奏をしている印象です。このモーツァルトも、ジャズもやる人ということで遊 んでるような演奏かというと決してそうではなく、直球勝負という感じです。20番のストレートで悲劇的な曲調に大変マッチしているとも言えるでしょう。 タッチが大変強く、やわらかにして雅な印象のベーゼンドルファーからこんな音が出るかと驚くほどスコーンと叩いてピーンと張った音を鳴らします。この音は 何に似ているのかなと考えて 思いつくのは、多くのジャズ・ピアニストに聞かれる艶のある強いタッチです。ですからストレートな抑揚表現 はともかく、音はジャズ的とも言えるでしょう。例えばカナダのジャズ・ピアニストにオスカー・ピーターソンがいますが、グルダ同様にベーゼンドルファーの 愛好者であり、音がちょっと似ています。この演奏の四年前の70年に The Windmills of Your Mind という胸のすくような曲がありますが、元歌は誰もが聞いたことのあるちょっと湿ったスローな調子なのに、言われなければ原曲がなんだかわからないほどに変 貌しています。密かにピーターソンの最高傑作じゃないかと思っているのですが、似ているのはそのタッチと音だけ でもなく、装飾の自然な入り方でも比較ができるでしょう。元々ピーターソンはタメたり外したり遅らしたりという意味でジャズ的というよりも、ストレートで 小気味良い装飾音で埋め尽くしながら進むようなところがありますが、 グルダの装飾音符も大変小気味良いものです。考えたような不自然さがなく、一旦その装飾で埋められると、それが本来かと思うほど癖になります。ジャズ的な ところがあるとするなら、強いタッチに加えてこの装飾音の配置もということになるでしょう。それ以外の表現は逆に遊びがなく、熱い真剣勝負です。

 第一楽章はしなやかな弦でよく歌いながら入ってきます。アバドとウィーン・フィルの良いところが出ている のかもしれません。フォルテになると決然とした力強い音で、最初からボルテージが高いです。ピアノも最初の音からピンと張った音で鮮烈であり、ひたむきに 弾いている印象です。そして後半にはピアノのみで即興をするカデンツァがありますが、ここではベートーヴェンの作曲した傑作が採用されています。それがま たこの曲にぴったりの迫力で、さすがにベートーヴェンの才能を見せつけるものですが、ベートーヴェンを得意とするグルダもここはまさにベー トーヴェンであるかのように弾いています。数あるこのカデンツァの演奏の中で最高でしょう。最後にオーケストラに渡す少し前、クライマックスの部分で爆発 するように駆け下り、そこからユニゾンで一気に昇り詰めるところ があります。タンタタタタンタン・タン!と最後に減速しつつ圧倒的なフォルテで弾き切って停止します。そこを聞いた瞬間に戦慄が走りました。ベートーヴェ ンにしか書けない曲で、グルダにしか弾けない迫力です。
 第二楽章も曇ることなく明晰に弾いて行きます。装飾の適切さ、自然さが心地良いです。本当にこれを聞くと 他の人の装飾が余分に聞こえます。ピアノの音が大変きれいです。短調の展開部も走らないけれども迫力満点です。
 第三楽章は畳み掛けるようなグルダの表現に短く歯切れ良い拍で応えるオーケストラ、ピアノの粒立ちの良い 一つひとつの音がやはり心地良いです。一気呵成という感じです。 

 ドイツ・グラモフォンの1974年の録音は当初、このレーベルにありがちだった中高域の張ったキラキラし たものでした。ピアノはそれが良い方向に転んだと言えたかもしれませんが、弦の合奏の高い音はキツく感じました。CD になってもしばらくそんな調子というか、むしろ強調されるぐらいだったのでイコライジングしていましたが、OIBP のリマスター盤が出てからは気にならなくなりました。この OIBP リマスターは往々にしていじる前の方が良かったりもするのですが、これについては耳の痛くないリマスターの方が良いと思います。オーケストラについては自 分はもっと大きく音を変えていましたのでその方が気に入っていましたが、元の録音らしさを残して上手くバランスを取るという意味ではこのぐらいがベストか もしれません。



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       Mozart   Piano Concerto No.20 K.466
       Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
アルフレート・ブレンデル / ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団

 グルダの一年前、1973年の録音でブレンデルとマリナー/アカデミー室内管の演奏が出ました。ブレンデ ルはこの組み合わせで全集を出しており、一部音にばらつきはありますが、芯のある硬質な艶を隠した粒立ちの良いピアノに潤いのある弦のオーケストラで、未だにモーツァルトの協奏曲のベスト録音ではないかと思います。フィリップ スのアナログ録音としてもバランスの良いものです。ヒスノイズが聞かれた曲もややオフな曲もありましたが、リマスターによって全く気にならなくなりました。20番はグルダのアプローチとは真逆の角度から入るというか、 大変異なった印象ながら、これはこれで別の魅力的なところがあります。互いに一年違いの録音で、グルダはウィーンの 人、ブレンデルはウィーンで学んでデビューした人ということで、どうしても比べてしまいます。

 吉田秀和がこの演奏について述べた文章を読みましたが、評論というものはただ聞いたときの受動的な特徴を 並べるのではなく、書く側から仮説を立てて当てはめて行くような文学的思考で演奏の方へと歩み寄って行くものなのだなと感心しました。書いたときも若かっ たのでしょうが、ブレンデルの設計と、土壇場になってそこからズレる性質など、当たっているなら鋭いと感心すると同時に、私には全く分からないことでし た。演奏者の頭の中がどうして見えるのでしょう。ただ似たようなことを思ったのは、ブレンデルという人は作曲家によってか曲によってかは分からないなが ら、意図的に引き分けるようなことをする人ではないかという点です。彼のベートーヴェン(のあるもの) は大変理知的に構築された印象があり、緩徐楽章で夢見るようなこの作曲家らしい甘い旋律が出るようなところでも決して遅く情緒たっぷりに浸ったりしなかっ たりします。大人の辛口なベートーヴェンという印象で、吉田氏はシューベルトについても同じように評していて面白いと思いました。一方でモーツァルトの協 奏曲では、うつむいた独り言のように小声で短く何かをつぶやいているようなところが出ます。湿り気があり、敏感ながら内向的に感じます。緩徐楽章も情緒 たっぷりで遅めに歌い過ぎたり静か過ぎたりするように感じる23番や24番などがあり、 そういうところはむしろロマン派の音楽のようです。これ以上哀しい調子でやる人がいるとしたらペライアぐらいでしょ うか。個人的には逆にモーツァルトはもっとあっけらかんとしてサラッと進め、ベートーヴェンはもう少しロマンティックでもいいかと思うのですが、作曲家に 対して持つ印象がこのピアニストは一般人と違うのでしょうか。ヘソ 曲がりな人だなと思う一方で、それが当たっているのかどうかも自信がありません。しかしそういう嗜好を除くと、ペライアがペライアらしいのと同様、ブレン デルのモーツァルトにはブレンデルらしい自己陶酔的で過敏な、繊細な魅力があると言えます。楽曲の表現としてこういうものを許すところもモーツァルトの作 品に内在する性質なのでしょう。
 しかしそれはともかく、この20番は大変魅力的です。歌い過ぎるところはありません。

 因みにこの全集の後で、ブレンデルはマッケラスと新盤を録音しています。以前よりややタメが大きくなり、 表現的になっているようで、ピリスの場合とちょっと同じような変化を感じました。ピアノの音の魅力も含めて私は旧盤を取りますが、ブレンデルのファンの方は是非聴いてみてほしい好演だと思います。カデンツァは旧盤と同じくベー トーヴェンではなく、自前のもので勝負しています。好きな人もいらっしゃるでしょうから評価は控えますが、躊躇 するように同じ音域で行ったり来たりを繰り返すような音の使い方が好みの人なのかなという気がしました。

 第一楽章はやや速めの颯爽としたテンポで入ります。冗長なところがなく、弦の音が大変きれいです。編成は 小さいながら十分に迫力もあります。むしろ規模が小さいことで切れ味が良くなっている感じです。それからやや湿り気のあるピアノが透明な粒立ちの音で入っ てきます。しっかりしたタッチですが、途中から柔らかい弱音がより湿り気を帯びさせます。影のある美しいモーツァルトという印象です。繊細な弱音を駆使し ていますから、最も美麗な20番と言ってもいいでしょう。その方向は静かな憂いであり、哀しみです。グルダが鮮烈で激情的だとすると、こちらは心の内側で 展開する懐古的な物語です。
 第二楽章もピアノの音が艶やかで美しく、そっと囁くように進められます。弱音が磨き抜かれて大変美しいで す。 走るところがなく、この曲に限っては過剰な思い入れというわけでもなく、短調展開部の速いパッセージは十分に快速です。
 第三楽章は軽さのあるタッチで飛ばします。ここもブレンデル自身のカデンツァです。

 最初に強調しましたが、ブレンデルのこのフィリップス盤は音の最も美しい20番だと思います。一枚もので は24番とカップリングでした。上に載せたのはオリジナルのジャケットです。18、19番のところで載せた全集にももちろん入っています。



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       Mozart   Piano Concerto No.20 K.466
       John O’Conor    Charles Mackerras    Scottish Chamber Orchestra ♥♥


モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 ♥♥
 繊細な弱音が変幻自在なアイルランドのピアニスト、オコーナーの協奏曲は後期の多くが網羅されており、す でに一つ前の19番と別項の27番で取り上げていますが、この20番も同じ路線の名演だと思います。この人はあまり話題にされないような気もするのです が、強弱、伸び縮みともに表現に独特のセンスがあり、他の人がちょっと真似できないような歌い方をします。モーツァルトの協奏曲としてはある程度くっきり したタッチを維持して粒のきれいな音を並べて欲しいという個人的好みがあり、ふっと飲み込まれるような弱音というのはときに違和感を覚えるのですが、現代 ピアノを使った表現としては当然そちら方向への幅があるわけで、楽器の能力を十分活かすのは当たり前です。弱音へと変化する繊細な抑揚をつけて歌わせてい る演奏はこの20番でも多くあり、ブレンデルには独特の湿り気があり、次のモネッティには落ち着いてやさしく歌うような抑揚があります。アンデルシェフス キーはもっと意図的で思い切った表現によって立体感をつけています。そんな中でオコーナーは十分繊細に歌いながらも陰気になら ず、やり過ぎない範囲で個性的に表情をつけるもので、大変美しいです。

 両端の楽章はオーケストラに力があり、フレーズを短く切り上げて鮮烈な印象です。ピアノはそこに独特の陰 影を加えます。静かな第二楽章も大変魅力的で、オーケストラの盛り上がる抑揚にも力があります。ピアノはやはり湿らないけれどもやわらかくニュアンスの豊 かな表情を加え、モネッティのゆったり歌わせる女性的な感じとはまた違った手弱女ぶり、やさしさがあります。

 92年のテラークですが、これより前の19番や21番などよりもよりはっきりした音で、録音状況は大変良 いと思います。22番とカップリングです。



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Mozart   Piano Concerto No.20 K.466
      
Mariaclara Monetti   Ivor Bolton  The Royal Philharmonic Orchestra
♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
マリアクララ・モネッティ / アイヴォー・ボルトン / ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥ 
 やさしさと繊細さがあり、ゆったりと歌って行くイタリアのピアニストの演奏です。第一楽章ではオーケスト ラは旋律線に流れる抑揚があって、大変上手い印象です。そのオーケストラより遅いテンポで落ち着いてピアノが入ってきます。短調の情熱的な曲だからといっ て走ることのない演奏です。一つひとつ丁寧に歌って行き、どこか清々しさを覚えます。グルダのように強くなく、ブレンデルのように哀しくもない、安心でき る大人の美しい演奏です。カデンツァはベートーヴェンですが、これもやわらかい抑揚でゆったりじっくりと弾いて行くもので、グルダとは大変異なります。立 体的な抑揚で、弱音もきれいです。
 第二楽章もおだやかにゆったりと進めて行きます。曲本来の明るい静けさが生きています。展開部で短調に入 るところは速まり、力で押し切らないながら勢いがあります。フォルテの中にも強弱があり、どの瞬間もきれいです。
 第三楽章も走らないですが、テンションは維持しています。走るところがない分、曲の構成をよく聞かせてく れるとも言えるでしょう。繊細に弱めるような抑揚も洗練されていて効果的ですが、やり過ぎはしません。ピアノの一音一音がくっきりと粒立って聞こえるように入念なタッチです。

 1994年のライヴですが弦の瑞々しさとピアノの適度な艶が感じられ、音は美しいです。27番とのカップ リン グで、そちらも素晴らしい演奏です。



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      Mozart   Piano Concerto No.20 K.466
      Piotr Anderszewski   Scotttish Chamber Orchestra


モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 K.466
ピョートル・アンデルシェフスキー / スコットランド室内管弦楽団

 ポーランドのピアニスト、アンデルシェフスキーはバッハのみならず、最近はモーツァルトの協奏曲にも力を 入れているようです。創意工夫があって自由自在、聴いていて大変乗れる演奏をする人です。この曲についてもやはり、 他と比べて最も面白い演奏と言ってもいいかもしれません。ただ、比較の上で言うなら同じ短調の24番とは恐らく弾き分けているようで(時期や気分の問題で ないなら)、24番の方がずいぶんと思い切った遊びに満ちているというか、趣向を凝らした仕掛けで表情豊かなのに対して、こちらのストレートに悲劇的など と評されたりもする20番 については、この人の中ではまだ真っ直ぐだと言える表現です。テンポも両端の楽章では比較的落ち着いていて走っ たりしません。緊迫した感情を表しつつ、それでいて彼の協奏曲の中では最も均整のとれた演奏だと思います。

 第一楽章はゆったりしたテンポでオーケストラが入ってきますが、細かな表情に気を配っているので立体的に 聞こえます。オーケストラはオコーナー盤と同じスコットランド室内管です。この演奏はアンデルシェフスキーの弾き振りなので、彼がよく指示しているようで す。間もよく取り、強い部分の拍に力があります。反対に弱く繊細に入るピ アノには驚きます。ゆっくりと間をとって表情豊かに歌うところが現代的と言えるでしょう。わざとらしいほど意図 的ではっきりした抑揚を付けているのですが、それがなぜか嫌味には聞こえません。ロシアでも東欧系でも、女性に人気の若手のハンサムさんが歓声を浴びてい る演奏を聞いたりすると、それがいかに個性的だと言われようがベタに感じたり、などということがある、かどうかは知りませんが、アンデルシェフスキーは崩 しのセンスがいいのでしょうか。グルダにもオコーナーにもないような自由さがむしろジャズの崩しのようにすら聞こえます。意欲的な表現が 面白さと心地良さに聞こえるわけです。リズム感の良さから来るのかもしれません。
 具体的には、速めるところでは一気に速めてコントラストを付けます。ロマン派の曲ですかという感じです が、自在な流れがあります。展開部の静かなところでは消え入るかというほどの抑えられた音を出します。かというと、途中にスタッカート気味の早いパッセー ジを挟んだりします。カデンツァは常套的にベートーヴェンのものが使われていますが、劇的なところはグルダ同様に鮮烈な感じがし、しかし意外な間と強さの 音を加えたりしていて独特な遊びがあります。 
 第二楽章は速めのテンポ設定でさらっと行きますが、弱音を際立たせて弾いています。装飾音も意外性と自在 さを表しながら、やわらかい音かと思うとスタッカートの切れが出て、やはり遊んでいるような楽しさがあります。途中の短調の展開部もところどころがスタッ カートです。集中した感じはするものの深刻にならず、鮮やかです。表現の大きな演奏の中ではベストと言えるかもしれません。
 第三楽章は勢い良く入る印象ですが、テンポ設定は速過ぎず、第一楽章同様に走らずに進めます。オーケスト ラの歌わせ方もリズム感がいいです。

 2006年ヴァージン・クラシクスの録音はナチュラルなオーケストラで弦も繊細によく響き、ピアノもくっ きりとして自然です。やわらかさも感じられ、優秀録音だと思います。他の二枚の協奏曲集と音の傾向は似ているものの、若干高域がはっきりした方向でバランスはこれらの中で最も良いかもしれません。録音プロデューサーとバラン ス・エンジニアはリンの人のようです。特に表記されていないのですが、これは昨今定番のライヴ収録ではないのでしょうか。カップリングは17番です。



モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
 近頃になって海外での CD 表記などに ‘Elvira Madigan’ と書かれることが多くなってきたこの曲、エルヴィラ・マディガンというのは映画のタイトルであり、その中の主人公の女性の名前でもあります。日本では「短 くも美しく燃え」という題名に変えられて知られていますが、この21番という曲の現代での人気ぶりは、ほとんど この映画によって確立されたと言っていいのかもしれません。優美なメロディーを持つ第二楽章がその中で何度も使われました。1967年公開のスウェーデン 映画ですが、いわゆるフレンチ・ヌーヴェルヴァーグ運動のス ウェーデン版といったところで、比喩的で詩句のような文言をセリフに散りばめ、のどかに展開して行ってラストで唐突な事故か爆弾などの悲劇によって唖然と させる手法はゴダールやトリュフォーの作品同様です。同じくこの運動に影響を受けたアメリカ映画、「明日に向かって撃て」との技法上の類似も指摘されるよ うですが、物語は貴族で軍人のシクステン・スパーレ中尉とサーカスの綱渡り芸人のエルヴィラ・マディガンが許されぬ恋をして駆け落ちし、夏の間楽しく過ご した後ピストル自殺を図るという19世紀末に実際にあった心中事件を描いています。曲は物語の始まりの部分、短い北欧の夏の美しい野原でのピクニック場面 から使われ、蝶を追いかけたりするときに流れたりして二人の幸せを表すモチーフの音楽となっています。内容は好みとは言えませんでしたが、ほとんどこれだ けで有名になった女優さんの顔が見終わった後も印象に残る作品でした。これでカンヌ映画祭の女優賞を取っていますし、彼女とモー ツァルトのアンダンテのための映画と言っていいかもしれません。
 モーツァルトがこの曲を作曲したのは20番のすぐ後で、同じ年です。全楽章が長調で書かれ、ユーモラスな 部分もあり、全編穏やかで楽しげな音楽となっています。ひとことで言って幸せで優美な協奏曲です。モーツァルトはいつも幸せだったかもしれませんが、このときは生活の上でも幸福だったと思いたくなります。



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Géza Anda   Camerata Academica des Mozarteums Salzburg

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
ゲーザ・アンダ / ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ
 アンダは1921年生まれで76年には亡くなっているハンガリーのピアニストで、モーツァルト弾きとして 有名な人です。ハンガリー人は日本人同様にファミリー・ネーム、ファースト・ネームの順で呼ぶので最近の日本語表記ではアンダ・ゲーザ(ゲザ)となってい るようです。モーツァルトの協奏曲に関しては60年代の初頭から全曲録音をしており、この分野では外せない仕事をしている人なわけですが、今まで CD として取り上げてこなかったのは、ステレオではあってもドイツ・グラモフォンの古めの録音だというただ一点 の理由によります。演奏に魅力がないわけでは決してありません。オコーナーの繊細な弱音表現とも、最近のアンデルシェフスキーの凝ったメリハリとも違いま すが、意欲的な表現はあるものの昔の人ということもあってか抑制が効いており、決して派手に傾くことがありません。しかしどこか女性的というとまた性差別 的かもしれませんが、グルダのストレートなものとは違い、落ち着いた運びに節度あるやわらかな表情がついています。それがまた、この曲に相応しいのではな いかと思います。

 何よりも、ジャケットを見てください。映画「エルヴィラ・マディガン」で使われたのはこのアンダの演奏で す。 あの映画のファンの方ならきっとオリジナルを聞きたいのではないかでしょうか。そういう事情もあってかこの盤については特に、OIBP リマスターをかけたものが独立して出ています。LP では17番と組でしたが、CD にはさらに6番もオマケされています。弦が若干薄いさらっとした音になっていますが、全体に高域の表情がはっきりとしてピアノも美しく蘇りました。1962年の録音です。



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Maria João Pires  Theodor Guschlbauer

      Orchestre De Chambre De La Fondation Gulbenkian De Lisbonne 


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       Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
       Maria João Pires  Claudio Abbado   Chamber Orchestra of Europe

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
マリア・ジョアン・ピリス / テオドール・グシュルバウアー
/ リスボン・グルベンキアン財団室内管弦楽団
(写真 上)

マリア・ジョアン・ピリス / クラウディオ・アバド / ヨーロッパ室内管弦楽団
(写真下)

 優美なアンダンテを持つこの21番、映画の女優さんのせいかどうかはわかりませんが、なんとなくのイメージで端正で素直なピリスが合ってるような気もし てきます。実際に聞くと、やはり期待は裏切られないのです。ピリスは70年代と90年代の二回録音しており、前の方がいいと言うのは心苦しいものの、27 番ではそう書きました。この21番でも個人的な好みとしては変わらないかもしれませんが、これに関してはどちらもそれぞれの個性があって良いとしておきま す。端正で素直な、という意味ではピリスの性質は昔から変わっていないようで、同じく90年代のショパンの協奏曲なども大変きれいな演奏で愛聴していま す。新しい方はより弱いタッチを生かした立体的なものになり、表現の幅が広がっています。以下に有名な 第二楽章で比較してみようと思います。

 1973年エラート盤ですが、オーケストラは残響が少なめで、フレーズごとに区切るような、あまり流動的ではない真面目な進行で始まります。テンポはや やゆったりめです。ピアノの方は結構強めのタッチで、金属的にはなりませんが、くっきりとした芯のある音で真っ直ぐに弾いて行きます。時間軸方向の表現としては要所で間を多く空ける感じはしない一方で、たどたどしいとまでは行かないけれども一音ずつ叩いて行くような、どこかちょっと少女っぽいあどけなさ を感じさせます。この辺が若いときのピリスの魅 力の一つではないかと思います。

 93年のドイツ・グラモフォン盤は、やはりこちらも残響はやや少なめです。ピリオド奏法旋風の吹き荒れた後のアバドの解釈はフレーズの語尾を延ばさず、 短い時間でぐっとクレッシェンドをかけるような運びが聞かれ、流行に配慮して工夫をしようという意図を感じさせます。テンポは旧盤と同じぐらいでややゆったりめです。ピアノは前より弱く入り、全体に弱音に寄った表現に変化しています。オーケストラの工夫に合わせているのかと思えるフレーズの同調も聞かれま すが、より洗練されて少女っぽさはなくなり、同時に力も抜けています。コントラストは強くなったと言え、すっと弱めるようなところも意欲的です。テンポ方 向の表現(アゴーギク)については相変わらず直線的で素直な運びです。 



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Friedrich Gulda   Claudio Abbado   Wiener Philharmoniker

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
フリードリヒ・グルダ / クラウディオ・アバド / ウィーン・フィル
 
 20番がもう他に要らないと思えるほどの名演でしたが、レコードで言えば裏面に入っていたこの21番につ いてもほとんど同じことが言えます。グルダの20番は装飾音符の小気味良さは自由を感じさせるものの、強いタッチでストレートに悲劇的な曲調を叩き出すと いう感じの迫力の名演でした。しかし耳を澄ませば緩徐楽章でのニュアンス など、大げさに感情移入をする方向ではないものの大変豊かな歌が聞けました。この全編に幸せな感じが漂うエルヴィラ・マディガンではそのニュアンス豊かで 決して陰にこもらない歌が意外なほど曲調にマッチし、例の一度聞くと他の奏者では満足できなくなる自然な装飾音符も心を捉えて離さない魅力を発揮します。 名物の第二楽章も個人的 にはベストだと思っています。

 1974年のドイツ・グラモフォンの録音は20番で書いた通りでオーケストラの中高域が張ったキツい音で したが、最近のリマスターでほぼ完全に治っています。



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Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Murray Perahia   English Chamber Orcestra


モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
マレイ・ペライア / イギリス室内管弦楽団

 マレイ・ペライアは独特の感性を持った個性的なピアニストで、ショパンじゃないけどピアノの詩人と言って もいいかもしれません。格別「モーツァルト弾き」というわけではないかもしれないながらモーツァルトの全集を出していますから、同じくデリケートな味わい のあるピアニストとしてブレンデルの CD を何枚も挙げておきながらこの才能ある人をオミットするのもおかしな話で、今回は21番で取り上げました。1947年生まれ、戦後世代のユダヤ系アメリカ 人で、ハスキルやクラウスとはまた生きてきた環境が違いますが、大変敏感な感受性で様々な出来事に反応し、一つひとつ思い悩む人のような印象があります。 投影かもしれませんがときに哀しさを感じることもあるので、 短調の曲や白鳥の歌の雰囲気を持った作品ではしんみりし過ぎて自分のイメージの中のモーツァルトとはややケミストリーが合いませんでした。しかし例えばク リフォード・カーゾンなどの演奏が好きで洗練されたものを探していて、セピア色の神話が特に必要ない方には全ての曲がお勧めと言えます。全集や選集で買う のもひとつでしょう。これも個人的な感想ですが、派手で賑やかなところのある25番や明るく外向的な26番では相殺というと言葉が過ぎますが、彼の繊細で やわらかいメンタリティーがいい具合に化学反応して、曲の新たな魅力を伝えてくれるような気がします。弾き振りなのでオーケストラもこのピアニストの感性 で統一されています。

 21番は長調の明るさとやさしい雰囲気のある曲ですからペライアにはぴったりで、最もやわらかなエルヴィ ラ・マディガンとなっています。強くするかと思うところでふわっと力を抜いたりして、自在に浮かんだり沈ん だりの流れるような抑揚でノーブルな感覚を伝えてきます。バッハのときと同じく弾むようなリズミカルなタッ チも聞こえ、そこにも繊細さが感じられます。第二楽章だけでなく他の楽章も印象は一致しています。

 CBS1976年録音、レーベルはソニーです。演奏に合致したシックでやわらかいピアノには芯もあって、 適度な艶が美しい輪郭を聞かせます。



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
アルフレート・ブレンデル / ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
 
 ブレンデルのモーツァルトはオーケストラ、ピアノともに録音が良く、瑞々しい音が気持ち良いのでよく聴い ています。表現としても一種独特の魔力があると言ってもいいでしょう。21番の協奏曲は後発で、70年代の前半に出た一連の録音の中には入っておらず、デジタルになった81年に収録されており、LP では買わなかったという人も多いと思います。それでも音のバランスはほぼ同じ方向なので違和感がありません。全集にはリマスターされて入っています。演奏もブレンデルらしい、控えめながら陰影の深い素晴らしいものだと 思い ます。第二楽章があの映画の明るい主題ですから、ゆったりしたテンポの箇所でも陰にこもったりロマンティックに偏ったりしません。ひとことで言うと静けさを感じる演奏です。

 第一楽章は力が抜けて軽やかです。オーケストラ、ピアノともにコントロールされた小さな揺れが心地良く、 どこか小声の感じがします。音のきれいさは特筆に値します。
 第二楽章はあまり遅くせず、芯があって案外しっかりしたタッチです。途中から弱めて弾くメリハリはあり、 彼独特の内向的なロマン主義を感じさせますが、あまり耽溺しません。リズムも動かして微かに走ったり遅らせたりが絶妙です。
 第三楽章は快速で粒が揃っていて、やはり大声にならないピアノがデリケートな洗練を見せます。背後に静け さを感じさせるような独特の雰囲気があります。

 フィリップス1981年の録音はアナログ時代と同様、大変きれいです。



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      Staffan Scheja   Jan-Olav Wedin   Stockholm Sinfonietta

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
スタファン・シェーヤ / ジャン=オラフ・ウェディン / ストックフォルム・シンフォニエッタ
 ちょっと変わり種で BIS の一枚ものです。スタファン・シェーヤは1950年生まれのスウェーデンのピアニストで、21番以外の協奏曲も、モーツァルト自体も他には録音してないの ではないかと思います。独立した企画もので、カップリングはモーツァルトが23歳のときに作曲した ヴァ イオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364 です。録音は80年代ですが、現代のピアニストが個性的な表現をしようと苦心しているのに比べ、作為を感じさせずにただきれいに弾いて行くのが魅力です。 ピアノの音も美しく響きます。

 ややキラキラしながらも明るくくっきりとしたオーケストラの音で生き生きと始まります。テンポは中庸で、弦はちょっと古楽器オーケストラかと思わせる線 の細さに輝きが加わったようなバランスの音です。そこに若干距離があるながらもやはりくっきりとしたピアノが入ります。最初から装飾が加わりますが、少し 進むと最初のテンポより若干スピードを落としてゆったりと歌うように抑揚を付けて行きます。ピアノの艶が美しく響きます。安心して聞いていられる表現で す。
 第二楽章は曲自体の穏やかさを感じさせ、やはり中庸ややゆったりのテンポで弦がよく歌いながら入りま す。ピアノもちょっと奥の方からくっきりとしたタッチで透明に響いてきます。落ち着いていて芯があるので大変心地良いです。適度な装飾音を加えながら表現は真っ直ぐです。
 第三楽章はやや軽快なテンポで弾むようです。ピアノは一音ずつを独立させてくっりしたタッチで、 心地良い速度で進めます。

 1982年 BIS です。残響はさほど長い方ではないですが、デッドには感じません。弦が明るくピアノも強いタッチで芯と艶が出て良い録音だと思います。協奏交響曲の方を聞いていると 80年代初頭のデジタル特有のハイ寄りの音かなという感じはありますが、ピアノ協奏曲の方はあまり気になりませんでした。



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      Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
      John O’Conor    Charles Mackerras    Scottish Chamber Orchestra ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 ♥♥

 アイルランドのピアニスト、オコーナーの盤はカップリングになっている27番のページで取り上げています し、 別の盤で20番についてもすでに書きました。この幸福な印象の21番でも彼の上品なピアノは大変魅力的に聞こえます。陰影に富んでいて繊細であり、グルダ のように真っすぐ強く、素直に叩くのではなく、一音一音に異なった表情を付けるかのように変化します。それでいてやり過ぎ感は全くなく、静けさとやわらか さを感じます。力の抜けた演奏と言っていいでしょう。同じく繊細な表情のあるブレンデルには独特の静けさとウェットなテクスチュアがあり、やわらかで女性 的なアンダには一つひとつ弾くような生真面目さと抑制があります。オコーナーは変化のさせ方が微妙かつ複雑で予想ができませんが、今のアンデルシェフス キーのように趣向を凝らした面白いパズルではなく、 上品です。このピアニストの感性は好きです。

 有名な映画音楽の第二楽章では最初の主旋律が入る前のリズムが明晰な感じはあるものの、歌わせ方は滑らか でしっかりしています。ピアノはここでは案外くっきり一音を鳴らしますが、流れがあり、やはり表情が細やかです。この繊細さはモーツァルトにおいて女性ピ アニストたちがもてはやされる傾向をさらに進めているとも言えるかもしれません。装飾音の補い方はグルダのものを聞いてしまうと他が不自然に感じるなどと 書きましたが、オコーナーはグルダのようにストレートで連続的な装飾ではなく、やわらかく間を置いておしゃれでセンスの良いものです。 種類 は違うけど唯一グルダと並び得るとしましょうか。

 1989年の録音はもう少し見通しが良いと完璧だったなと思います。27番の方が若干バランスが良く聞こ え、こちらはオーケストラがときにややキツめに響く一方で、ピアノは少々引っ込み気味な印象です。それでもこの曲と演奏の上品さはマッチする気がして、ハートは二つにしておきます。



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  Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
       Piotr Anderszewski   Sinfonia Varsovia


モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
ピョートル・アンデルシェフスキー / シンフォニア・ヴァルソヴィア
 五年後に20番で魅力的な演奏を聞かせてくれたポーランド期待の人、アンデルシェフスキーは、21番では 随分思い切った表現をしているように思います。しかし第二楽章はしっとりと演奏しています。シンフォニア・ヴァルソヴィアはポーランドの楽団です。

 第一楽章では弾むように元気良くオーケストラが入り、テンポはオーソドックスで若干はきはきしているよう に思いますが、木管に受け渡されるところが遅くなって静かにピアノが入ってきます。独自の装飾を使って軽く柔らかく、自由な印象です。パッと強くなるフレーズがあったり、くっきりと力強いフォルテで叩いてからぐっとゆっくり になったり、息をつくようなかなり思い切った表情が与えられます。大変遅く、大変弱い音も使います。全体としてはメリハリが効いていて面白く乗れる演奏です。
 第二楽章はピリオド楽器の団体ではないので、テンポはゆったりしています。抑えられていながらよく歌う出 だしで、木管の語尾も延ばしているところが印象的です。ピアノは大変抑えられた弱音で弾き始めます。ここは面白いことをするというよりも、むしろ達観して いるかのような静けさがあります。途中でさらにぐっと弱めるような表現があり、弱音に向かって表情が大きいことに気づきます。弦の連続音に段をつけたりの 細かな配慮をさせている箇所も聞き取れます。しかし全体としては終止静かに歌い、面白くやろうという意図はなさそうです。
 第三楽章は軽快なテンポで、ピアノの入りは立ち止まったり歩いたりの面白い動きを見せます。ここは大胆で す。 速いパッセージでは淀みなく粒の揃った音で流れるように弾いています。第一楽章同様自由にやりたいようにやったという感じなので、私はこの遊び方は好きで すが、受け入れられるかどうかは人によると思います。現代的で個性を出した演奏です。

 2001年ヴァージン・クラシクスの録音は、オーケストラも同じ傾向ですが、特にピアノの音は若干オフで 柔らかいものです。20番のようにもう少しだけくっきりとしてもいいような気もしますが、今普通に高級オーディオを買えばどこか高域に強調点があるものですから、この方が良いのかもしれません。プロデューサーとバランス・ エンジニアは録音会社 Musica Numeris の人のようです。3日間にわたって収録されていますが、セッションなのかどうかはよくわかりません。カップリングは24番です。



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       Mozart   Piano Concerto No.21 K.467
       Bart Van Oort   Fabio Ciofini   Accademia Hermans ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 K.467
バルト・ファン・オールト / ファビオ・チョフィーニ / アカデミア・ヘルマンス
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 フォルテピアノでの演奏も一つ取り上げます。映画でも使われたこの幸せな感じのする21番のアンダンテは ピアノフォルテのやさしくて繊細な音が似合う気がします。でも誰の演奏がいいかは難しいところです。私が初めてこの楽器の音を聞かせてもらったイエルク・ デームスは時代的にもコレギウム・アウレウム合奏団同様、突然立ち止まったり途中から駆け出したりするような癖はなかったですが、ところどころでちょっと 不安定な印象がありました。メルヴィン・タンとアンドレアス・シュタイアーはこの曲をやってないみたいだし、聞いた感じで個人的に気に入ったのはアル テュール・スホーンデルヴィルトとバルト・ファン・オールトかなと思いました。アクセントから出ている1966年オランダ生まれのスホーンデルヴィルトは 弾き方が素直でチェンバロみたいな繊細な音もきれいです。ただ、オーケストラの元気さに対して第二楽章では音が若干小さいのと、両端の楽章に対して緩徐楽 章をやや速めにとるピリオド奏法特有の解釈があります。さらっとして悪くないですが、ファン・オールトの方をとるとすると完全に好みの問題でしょう。
 BIS から出た1954年オランダ生まれのロナルド・ブラウティハムの盤もピリオド奏法のアゴーギクにおいて癖がファン・オールトよりも少ないですが、やはりス ホーンデルヴィルト同様に第二楽章でオーケストラもピアノも少々速めのテンポでさらっと流す解釈です。これもいいと思います。
 1935年生まれのアメリカのピアニスト、マルコム・ビルソンはガーディナーと演奏しており、この楽章は やはり素直な表現でいいですが、ピアノの音が若干おとなしく、高い方がピンと張った音色ではありません。この楽器は音が小さい分、もう少し硬質な方が埋もれないと思います。同じことはやや間を詰める傾向がないわけではないけれ ども癖が少なくて聞きやすいベルギーのヨス・ファン・インマゼールのピアノについても言えます。以上、比較して の個人的感想を述べましたが、どれもそれぞれの個性ですから好みで選ばれるとよいと思います。

 バルト・ファン・オールトは1959年生まれ、ブラウティハム、スホーンデルヴィルトと同じオランダの人 です。モーツァルトの鍵盤曲全集を出しています。この人だけが特にピリオド奏法の癖が少ないとは言えないのは上述の通りですが、音がきれいで、第二楽章で 若干ゆったり歌っていることもあり、曲には合うと思ったので代表で取り上げてみました。途中から突然駆け出すような落ち着かない癖はなく、アゴーギク面で ちょっと揺らすルバートのよ うなものは聞かれます。そしてこの人の音をずらす手法や装飾の入れ方にはセンスの良さが感じられます。

 第一楽章は落ち着いたテンポで、ピリオド楽器の弦が美しく響きます。レガートで滑らかにつないで行くので はなく、さらっとしていてティンパニの加わるところでは歯切れ良く、ピリオド奏法ではあります。しかしそれがさわやかで、誇張が過ぎることはありません。 慣れてくるとこれがスタンダードと言える範囲にあると思います。ピアノは最初やや張り切って速めに強いタッチで弾かれますが、この手のものとしては拍をず らす強調が大き過ぎるとは言えないでしょう。ところどころで小節全体のフレーズを遅くしたり、拍を詰めたり、走ったりはやはりありますのでピ リオド奏法として常套的ではあるのですが、洗練されていてこの曲ではあまり気になりません。
 楽器の音は強く和音を叩いたり素早く音を重ねたりするとチェンバロのようなガシャンとした倍音が出ます し、エッジの効いたチェンバロ寄りの音が魅力と言えるのですが、一つひとつの音色は必ずしもチェンバロっぽいとも言えず、フォルテピアノらしい金属的にな らないピンと張った音が出て、それでいてこもった鈍い音ではなくて独特の美しさがあります。もう少し硬質な音のフォルテピアノも存在するようですが、時代 考証等詳しい事は私には分かりませんし、これで十分魅力的だと思います。
 聞きどころの第二楽章ですが、弦が独特のひなびた美しさを発揮します。やはり古楽器はいいです。歌わせ方 は語尾を延ばさないながら自然です。この有名なメロディーは案外フォルテピアノが合うのです。ここでのルバート様の拍のずらしはあまり気になりません。こ の過渡期の楽器独特の艶も感じられ、ボリュームは小さいけどちょっとベー ゼンドルファーの高域にも似た音にも聞こえます。テンポはモダン・ピアノのいくつかの演奏に比べればさほどゆっくりだとは言えないかもしれませんが、他の フォルテピアノ奏者よりよく歌っている感じがします。独特の装飾も入りますが、それも良いと思います。
 第三楽章も落ち着いたテンポで、ピアノも崩し方が癇に障るところがなく、良く言えば自由自在という風にも 聞こえます。

 イタリアのレーベル、ラ・ボッテガ・ディスカンティカ2011年の録音で、中低音がよく響きますが音が大 変きれいです。20番とカップリングになっています。そちらもオーケストラは歯切れ良く、ピアノは崩し方がいいです。



モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
 何を傑作とするかの物差しは分かりませんが、モーツァルトのピアノ協奏曲のうち、20、23、24、27 番を挙げて異議をとなえる人はいないと思います。21番も含まれるかもしれませんが、映画の光が眩し過ぎて、もしあの光がなかったらどういう扱いだったの かな、と思わないでもありません。個人的には27の次に好きなのがこの23番
K.488 です。作曲時期は1786年なので、その五年後の亡くな る年に書かれた27番とは違って白鳥の歌とは呼べませんが、すでになんかそんな気配を感じさせる曲です。出だしの弦からして静かな秋の気配で、それが木管 に受け渡されるところなど澄み渡った空を仰ぐようです。弾むような合奏に入っても愉悦に満ちていながらどこか回想的で、静謐さを感じさせます。第二楽章は 嬰ヘ短調8分の6拍子の物悲しいシチリアーノで、テンポはアダージョ指定のゆっくりなものです。27番の明るく澄んで静かな運びとは違うので思い入れたっ ぷりにやり過ぎないでほしいところですが、これも大変魅力的な楽章です。快活な第三楽章も最後の協 奏曲と比べられる気がします。
 


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       Mozart   Piano Concerto No.23 K.488
       Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 K.488
アルフレート・ブレンデル / ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
  モーツァルトはちょっと違う、などと思いながらも、この好みの曲である23番ですらいつもブレンデルの CD に手が伸びてしまうのは、自分はこの人のパフォーマンスが好きなのだろうか、と考えてしまいます。また録音がきれいなせいにしておこうかとも思いますが、 やはり凄い才能で一流のピアニストなのは間違いありません。したがって、こういう湿り気のある演奏はシューベルトやフォーレの独り言が好きとおっしゃって た吉田秀和氏に任せておくべきだと思いつつ、♡二つで取り上げます。実は私の定番です。

 第一楽章の出だしからオーケストラの弦が瑞々しくて大変美しいです。編成から重くならず、残響の具合もベ ストです。最初の音を聞いただけでうっとりします。そこにピアノが入ってくるとしっとりとしながら独特の艶があって玉を転がすような音であり、強く叩くと芯のある硬い音も含まれる最高の録音です。特に走ることもないですがもっ たりするところがなく、わずかに揺らしつつディナーミクの上でも上品な陰影が付き、フレーズの弾き出しから静けさに満ちています。力で押し切るところが全くありません。この第一楽章は他のどの演奏よりも好きかもしれません。
 第二楽章はブレンデルのモーツァルト解釈なのか、彼の持っている元々の性質なのか、例の湿ったところが出 ます。テンポは最初必ずしも遅くないのですが、あまりに繊細な陰影をつけて静かに弾くので遅いように思えてしまいます。違う違うと思うのはこういう緩徐楽 章でのうつむいたロマンティックな情感なのですが、抗しがたい魅力があるとも言えます。こうして再度確認してみると、やはりいいです。参りましたと認めて しまう以外になさそうで、これ以上きれいな演奏は難しいでしょう。
 第三楽章は一転して弾むような運びです。オーケストラの抑揚も繊細です。スタッカートも交えて軽々と弾か れます。そしてやはりスッと弱くするようなデリケートなタッチが独特で、走っても小声という感じです。速い楽章でこういう静けさの出せるピアニスト、次のオコーナーのセンスもいいですが、ブレンデルはやはり最高レベ ルだと思います。

 音のバランスが生に近く、やわらかくて瑞々しい音にとることの多かったアナログ時代の名門、フィリップス の 1973年の録音です。技術的にも完成されていて、このレーベルの録音の中でも最上位の一つでしょう。ストリングスの艶と分解した倍音のバランスもです が、ピアノの音でこれほどきれいなものは最近のものも含めて滅多にありません。上のジャケットの写真はオリジナルですが、リマスターされた全集が出ていま す。



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       Mozart   Piano Concerto No.23 K.488
       John O’Conor    Charles Mackerras    Scottish Chamber Orchestra ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 K.488
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 ♥♥
  ブレンデル盤の魔力に太刀打ちできるとしたら、このオコーナー盤でしょう。抗し難い魅力がありながらも、「もう少しだけ明るくして」と言いたくなるときがあったのがブレンデルの第二楽章でした。耽溺しないという意味では、
デリケートな陰影をつけながらも所々にスタッカートを混ぜて行くケンプの演奏もありました。しかし普段ならブレンデルと同じぐらい繊細な弱音を駆使するオコーナーが、ここでは意外にも応えてくれたのです。

 第一楽章はオーケストラに軽さがあり、所々でさっと音を切ったりして引きずりません。十分に繊細ながら快 活な出だしです。ピアノも同じ路線でややスタッカート気味に弾むような音を混ぜながら軽く入ってきます。全体にテンポは遅くなく、さわやかです。オコー ナーとしてはどちらかというと静かな方へシフトしておらず、この曲がときに感じさせることのある、27番の白鳥の歌にも近いニュアンスを出してくるという アプローチではありません。テンポを自在に緩めるようなところはやはりあり、単純な進行ではないのですが、あまり弱い方へ崩した感じがないのが良いところ です。
 第二楽章もあまり遅くないテンポのピアノで入ります。弱音が武器のこの人にしてはさらっとしていて、この 解釈はこの楽章において大変良いと思います。フレーズの後半だけスタッカートにするような趣向も見せ、泣き節にならない覚醒した表現です。それでいて独特 の繊細、敏感なタッチが聞かれ、この曲の演奏の中でも一、二を争う美しさではないかと思います。
 第三楽章は速くて覇気があり、それでも強くなり過ぎず、軽々と進みます。ピアノも同じくさらっと軽快に明 るく流しますが、ニュアンスに満ちています。

 19番とのカップリングで、すでに上で紹介していますが、テラーク1990年の録音です。



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Mozart   Piano Concerto No.23 K.488
   Menahem Pressler    Paavo Jarvi   Orchestre de Paris ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 K.488
メナハム・プレスラー / パーヴォ・ヤルヴィ / パリ管弦楽団 ♥♥
 昔ボザール・トリオのメンバーだったメナハム・プレスラーの演奏については別ベージを設けてあります(「老境の覚者? メナハム・プレスラーのモーツァルト」)。 取り上げた盤は DVD ながら、晩年になって滋味豊かな表現になった素晴らしいものです。ブレンデルのところで思い入れたっぷりに耽 溺する演奏はモーツァルトらしくないなどと散々書きました。プレスラーという人は若いときのトリオの演奏では随分ロマッティックに聞こえます。そして最近出た同曲の CD でもまたかなり振り幅の大きいところがあって驚きました。しかしこの DVD やラトルとコンサートでやったときの演奏は深みがあってぐっと来るものがありました。



モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
 24番の協奏曲は20番と並んで二つだけの短調の曲です。20番の方が直截で隙のない構成において優れているとすれば、こちらの24番は同じぐらい魅力 的でありながら、静かに秘めた想いから溢れ出すような情熱を感じさせ、より詩的な感じがするでしょうか。長調で書かれた第二楽章の澄んだ美しさはときに甘 い夢想であり、終楽章もやわらかい靄に包まれた激情という趣きがあります。20番に圧倒されたベートーヴェンはこの曲も好きだったようで、自身の第3協奏 曲との類似が指摘されることがあります。作曲は1786年、モーツァルト30歳のときです。



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       Mozart   Piano Concerto No.24 K.491
       Alfred Brendel   Neville Marriner   Academy of St.Martin-in-the-Fields ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 K.491
アルフレート・ブレンデル / ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団
 ここでもブレンデルの演奏は24番の協奏曲のベストの一つだと思います。これだけデリケートなピアノは滅 多に聞けるものではありません。曲調にも相応しいと思います。

 第一楽章は静かに抑えて入りますが、合奏は速めのテンポで歯切れが良く、弦に艶も乗っています。20番と の対比でゆったり静か目にするという感じではなく、生き生きして良いです。ピアノも最初のタッチはくっきりとさせ、 次に弱める表情をつけて立体的です。粒のくっきりした音も理想的です。やはり弱音での静かな表現が魅力的で、かといって柔らかく消え入るような弾き方では ありません。確かに同じ短調でも20番のストレートで切羽詰まった悲劇の感じとは違って、より繊細にやわらかく進む音の襞があるように思いますが、それは 曲の造りであって、評論家の言うように演奏面でも意識してそうしているのかどうかは残念ながら私にはよくは分かりませんでした。弱音でゆったり弾くパート がそうなのかなとも思いますが、20番にもそういう部分はあったように思います。
 第二楽章ではオーケストラはさらっとしたテンポで入ります。ピアノはやはり静かでくっきりとした音が魅力 的です。長調なのであまり湿った感じはしません。途中からテンポをやや緩めたかのような運びに聞こえます。このピアノに引きずられたようにして後半では全 体のテンポもゆったりしたものになって行きます。短調に転調しますが、ブレンデルらしい陰影豊かな歌が聞かれ、また長調に戻ります。デリケートなやさしい タッチで、すごく弱く弾くパー トも出て来て、ちょっとロマン派の曲かなと思わせます。間も十分取ります。
 第三楽章は比較的ゆったりしたテンポの管弦楽に対して、今度はピアノが少し速めでスタッカートも交えて軽 快に進めて行きます。このようにオーケストラの最初の提示とは若干違うかのような引っ張り合いがテンションをもたらします。そして決して大声で語らず、滑 らかに進行して行きます。中程以降の強いタッチのピアノのパートはアンデ ルシェフスキーの表現同様にくっきりとして力強く、これも魅力的です。

 1973年フィリップスのアナログ録音は、やはり23番と同様に最高レベルの美しいバランスです。ウェッ トなのに艶の乗ったピアノの音は絶品で、特筆に値します。



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       Mozart   Piano Concerto No.24 K.491
      
John O’Conor    Charles Mackerras    Scottish Chamber Orchestra ♥♥

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 K.491
ジョン・オコーナー / チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団 ♥♥
  他の曲と同様、繊細な陰影をつけて進めて行くピアノの魅力があります。20番と比べて24番の方を特に静かにやったり遅く歌わせたりする弾き分けはないで すが、節度を感じさせ、相変わらずちょっと抑えたパールというかシルクというのか、ピカピカ光らない感じであり、一段階静かな方へシフトさせたような音楽 です。
 第二楽章はややゆったりめですが遅過ぎず、静かで繊細なタッチで弾いています。かといってロマンティック だったり浸り過ぎたりという印象もありません。
 第三楽章ですが、ここもややゆったりした印象で、ピアノと同様にオーケストラにも陰影があります。

 録音は彼のこのシリーズの中では良い方に入り、前に出過ぎることも中低域がふくらみ過ぎることもなく、弦 には艶があり、ややおとなしい音ながらピアノはやわらかさの中に芯も感じられます。1991年テラークです。



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       Mozart   Piano Concerto No.24 K.491
       Piotr Anderszewski   Sinfonia Varsovia

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 K.491
ピョートル・アンデルシェフスキー / シンフォニア・ヴァルソヴィア

 21番とのカップリングですが、趣向を凝らした面白さという点でも共通します。そしてここでは第二楽章で も思い切ったピョートル節が聞けます。

 第一楽章は管弦楽にメリハリがあり、力強く始まります。テンポはオーソドックスなものです。ピアノは21 番同様非常に静かに入ってきてくっきりと間を空け、意図的に遅く弾いています。驚くほど小さな音に抑えるところもあり、ここまで思い切ると癖が強いように 感じるかもしれません。一部でフレーズの後半にスタッカートを混ぜたりして遊ぶような表情が加えられるのは21番同様です。ゴールドベルクなどのバッハを 思い切り工夫して弾いているときと同じ波長を感じ、個人的には嫌いではありません。
 第二楽章ではやはり抑え気味の静かなピアノで入ります。テンポはモダン・ピアノの演奏としては管弦楽は最初中庸ですが、中程からゆったりしてきます。思 い切った弱音を駆使する演奏で、途中ですごくゆっくりになって消え入りそうにもなり、ここは短調の曲でもあるのですが、それでも不思議と湿った泣き節には 聞こえません。そういうメ ンタリティーではなく、音を純粋に表現の機会として捉えているのでしょう。個人的には泣かれるよりもこの方が好きです。ちょっとやり過ぎ感があるとも言え ますが。
 第三楽章は案外ゆったりとしたテンポで入ります。ピアノのタッチはくっきりと一音ずつが分離した心地の良 いもので、スタッカートも交え、速く連続するところでは揃っていて完璧です。ロマン派を思わせるような大胆な表現で、「ラフマニノフか?」と思わせる瞬間 もあり、もはやモーツァルトじゃなくてアンデルシェフスキーの音楽と言ってもいいですが、モーツァルトも遊び好きだったかもしれませんし、これもいいで しょう。
「オモチャじゃないんだから、そんなにふざけたら壊すでしょ?」と言ってしまいそうなところですが、♡まで付けてます。別にファンじゃありません。独特の個性を現すセンスがあり、巧いなあと思わせます。中程でピアノのみがフォルテで力強く叩き、オーケストラに受け渡すというのを繰り返す部分があります が、大変歯切れ良く、迫力を感じました。ここはかなり魅力的な表現です。

 2001年の録音は21番と同じバランスです。高域の輝くものではなく、若干オフで残響も長い方ではあり ませ ん。 



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       Mozart   Piano Concerto No.24 K.491
       David Greilsammer   Suedama Ensemble

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番 K.491
デイヴィッド・グレイルザンマー / スエダマ・アンサンブル   
 ユダヤ系の人でアメリカで活躍し、現代ものも得意とする1977年生まれのピアニスト、デイヴィッド・グ レイルザンマーと、彼がニューヨークで結成したスエダマ・アンサンブルの演奏です。スエダマというのはアマデウスの逆読みだそうです。ここではグレイルザンマーの弾き振りです。新しい人なので取り上げてみました。

 ノンビブラートの第一楽章はかなり速めでダイナミックであり、語尾も延ばさずピリオド奏法のようです。そ こにデリケートなピアノがゆったりと入ってきます。最初あまり抑揚を付け過ぎないながらも弱音で繊細な印象で す。さらさらと弾いてきて最後にちょっとテンポを緩める、そして力を抜いて軽やかに走る、さらに跳ねるス タッカートがあってという感じで、突然の弱めも出る頃には現代的で意欲的な表現だと気づきます。多くのパート、特に速いパッセージで一音一音を短く弾いて おり、スタッカートではないながらもフォルテピアノであるかのように昔を意識させる方向に感じます。ピリオド楽器やその奏法から学ぶというのは、あのラト ルもそうでしたから、故きを温ねて新しきを知るにあたるのか、ほぼ定着した感がある今もまだそのありがたみは失われていないようです。ここでの弾き方は決 してロマン派の方は向いていません。そしてアゴーギク(テンポ方向)での自在な崩しは現代の若手が自分を表現する手段としてなのか、ピリオド奏法を意識し たものなのかがよく分かりません。 管弦楽にはバロックのヴィヴァルディの合奏(ピリオド楽器の団体のそれ)かと思えるような尖った瞬間もあります。とにかく意欲的で短く響く、軽やかな飛ば し方です。ところがカデンツァは一転して静かにロマンティックに、遅いテンポで始まります。そして速くなり、ま たロマン派の音楽のようにたっぷり運ぶという感じです。ここは少なく とも古典派的ではないでしょう。
 第二楽章は静かにやや速めのテンポのピアノで入ります。弱いタッチで軽い印象のピアノです。オーケストラの ボウイングも短く切り上げてクレッシェンドするようで、やはりピリオド奏法を感じさせます。全体としては速くはないですが、ピアノのさっぱりとした短い タッチと管弦楽の切り方でゆっくりには聞こえません。所々で鮮やか に駆け上がるピアノや突如遅くするような表現が目立ちます。ときに大胆に間もとりますが、耽溺とは違って遊びを感じさせるものです。装飾音も自在に突然加 えられます。自我的ではありますが嫌味には聞こえないナイーヴな演奏と言えるでしょう。現代的な表現意欲という点ではアンデルシェフスキーとも比べられま すが、もっと乾いた軽い印象です。
 第三楽章も軽く区切りながら入り、スタッカートのピアノが自在です。力みのない軽やかな音楽で、細かな表 情がついています。ここも音色以外ではピリオド楽器の演奏を聞いているような錯覚を覚えます。

 この人やアンデルシェフスキーは大変現代的で自らの表現を追求し、同時にさらっとして耽溺しないゲーム感 覚を感じさせます。今後はこういった感じの演奏が増えてくるのかもしれません。2009年のナイーヴの録音も最近の傾向なのか、こもらないけどもバランス的にあまりハイに寄らない、ちょっと抑えられた感じの音です。デジタルに なってこういう音があり得るようになってきました。高域に尖ったところのある小型のスピーカーで聞くと大変きれいに響くでしょう。再生機器の流行に合わせる傾向なのでしょうか。以前は録音時のモニターとしてスタジオに 備えられているB&Wの801あたりが圧倒的だったようですが、今は果たして何でチェックしてることが多いのでしょう。22番とカップリングです。



INDEX