ストラヴィンスキー / 春の祭典

autoroute

取り上げる CD(春の祭典)21枚: モントゥー/ストラヴィンスキー/ブーレーズ'63/メータ'69/ハイティンク('73/'95)/ショルティ/アバド
/デイヴィス/デュトワ/ゲルギエフ/ティルソン・トーマス('72/'96/'04)/サロネン/ヤンソンス'09/ドゥダメル/ラトル ('87/'12)/ロ ト
/クルレンツィス
 

この「春の祭典」のページは当初、「火の鳥」と合わせて一つの記事でしたが、分けて 整理しました。
ストラ ヴィンスキー /「火の鳥」はこちら


「ハルサイ」。美味しいオードブルのような呼び名は最初何のことか分かりませんでした。ストラヴィンスキー(1882-1971)の「春の祭典」だと分 かっても、留学したての学生さんが「封鎖」という日本語を忘れたふりで言う「ロックダウン」ぐらいの違和感はあります。それも流行語になって常識化したわ けですが、だからといって「ドボコン」と同じ勢いでこれをクラシック入門曲と呼んでよいものか否かはちょっと迷います。「現代音楽の古典」と評され、曲が りなりにも現代曲の特徴をいっぱい持っていて、いわゆる不協和音がたくさん出て来る曲だからです。1913年にピエール・モントゥーによってパリで行われ た初演で大ブーイングになった話はこの曲の解説で最初に触れられます。しかしそれが今や、どうやら入門曲的な位置につけているのです。 上記の略称で親しまれている通り、クラシックの初心者は数年のうちには聞くようになります。また、この曲のファンの中には他のジャンルの音楽の方により慣 れ親しんでいる人もいるようです。そして多少でも音楽教育を受けた人は勇気が出なくて言い難いでしょうが、この曲が世に出た後、聴衆は正常進化から外れた クラシック曲やポップスなど、他のジャンルへと散って行きます。それは厳格な無調音楽が台頭したせいではありますが、だからこそ「春の祭典」は、現代音楽 の始まりではなく、感性で聞ける最後の音楽だと言えるかもしれません。人々に愛されるクラシック音楽はこのあたりで終わりを迎えたのです。
 作曲家自身が好んで使った原題はフランス語 でル・サクル・デュ・プランタン(春の戴冠)、英語はザ・ライト・オブ・スプリング(春の儀式)です。


 この話はラトルの「惑星」やシェーンベルク のところでも触れたし、何度も書いてきたので今さらですが、一般に不協和音と呼ばれるものは、訓練を積まないと相互の違いが判別しにくいグループの音であ り、分かったとしてもそれぞれの和音によって喚起される感覚や感情にはあまり差を見出せない性質があります。稀には生得的に鋭敏な共感覚のようなものを 持っている人もいるにせよ(フリージャズや無調音楽を叙情的だと言う人もいます)、不協和音が使われた場合、多くの人が強い音だと怒りや闘争、鋭いと恐 怖、静かだと不安、中程度の音量で連続すると焦燥といった否定的な感情を感じることが知られています。どうしてそうなるのかは以前「短調はなぜ悲しい」のページで考えてみたけど結論は出なかったわけですが、裸の王様でなくその音を快く楽しめるならそれが一番です。しかし残念ながらそう いう人は少数派のようであり、それらの和音をただリズムや強弱を持たせずに並べて行くような音楽を作れば感性は締め出されてしまうのです。代わりに現代音 楽の多くの作品には知的な要素が含まれていて、その意義や構造を理解するという楽しみが大きくなっています。学ばないと心地良くない。つまり感性ではなく 知性で聞くわけです。あくまでも多くの人にとっては、ということですが。

 ところがこの「春の祭典」のように強弱を持ったリズムによって感性に訴えて来るビートがあると、アフリカの伝統的なドラムが和音なんかなくても踊り出し たくなるのと同じ現象が起きます。ジャンルではジャズのアドリブ・ドラム、あるいはよりロック・ミュージックの楽しみに近いでしょう。しかも華やかな五管 編成(120人規模で事実上最大です)の金管楽器や様々な木管、弦が総動員で大音響を奏でます。クラシック音楽の素養なんて関係なく、エアー・タクトか割 り箸踊りのようなことを楽しんでるファンもおられるに違いありません。ストラヴィンスキーには弦楽四重奏のように必ずしも聞きやすくないものもあるもの の、ここでは民謡の断片的要素も入っていて不協和音ばかりでは全然ないし、作曲に当たっては最大限に頭を使いながらも実際に感性も動員して音を選んでいま す。「アイネ・クライネ」のアンダンテやパッヘルベルのカノンみたいに胎教に良い幸せ感というのとは違い、不協和音がもたらす血湧き肉躍るバッカス(ディ オニソス)の酒宴のようではありますが。

 そしてこの曲のような音楽こそが、部分的に似たパッセージもある数年違いのホルストの「惑星」だとか、ロマン派後期のブルックナー、終楽章がスーパーマ ンのラストシーンみたいであるドヴォルザークの作品などと並んで、ハリウッドの映画音楽に絶大なインスピレーションを与えて来ました。だから映画音楽とし て楽しんでもいいでしょう。
「春 のきざし」の最初の部分は「ジョーズ」で鮫が沖から攻めて来るところだし、第二部の序奏はまるで暗い宇宙空間に潜んでいたデススター級の巨大船を発見した 衝撃みたいです。また、「選ばれし生贄への賛美」での金管のいななきは街を踏み潰しながら進むゴジラへのミサイル攻撃だし、次の「祖先の召喚」でのファン ファーレは西部劇で騎兵隊がインディアンに襲撃をかけるところでしょう(差別的発想です)。
 痛快で分りやすいこの作品はバレエ音楽三部作(残りは「火の鳥」と「ペトルーシュカ」)のうちの一つです。35分ほどの二部構成で、全体にわたる複雑な 変拍子とともに、最初の序奏と最後の踊りの部分は楽曲構造としてメインストリームの批評家からも高く評価されます。

  一方で内容としてはスラヴ神話で豊穣と愛欲、狂乱を象徴する「エロス」に近い男性の神、「イアリロ」の春の儀式が描かれています。ただしその本来の儀式が 村で最も美しい娘に花の冠を被せてイアリ ロの格好をさせ、その周囲で他の村娘たちが踊るというものであったのに対し、このバレエの中でイアリロの役を演じる少女は生贄であり、踊り続けて最後に死 にます。これは作曲者自身の見た夢、長老たちが輪になって見守る中で若い女が死ぬまで踊るという夢が着想の元になっているからであり、当初の素案のタイト ルは「生贄」でした。この生贄というものを豊穣を願って歴史的に行われて来た人身御供として普通に捉えるとそれまでですが、ユング的な夢解釈をすると面白 いかもしれません。長老というのは自分の中の「老賢者」であり、男性原理である「理(知)性」の元型(象徴)だとされます。一方で若い女性は夢を見た人が 男性の場合は「アニマ」と呼ばれる内なる女性原理であり、その人の創造性に関わる元型です。そうなるとこの夢は、理性的であろうとする力が強ければ創造性 が犠牲として死ぬことを告げていることになります。現代の音楽の中にあってストラヴィンスキーの芸術が立っている位置と、あるいはこの曲のあり方と何か関 わりがある話でしょうか。


 さて、CD の聞き比べですが、すでに大変素晴らしいサイトがあるようです。したがって流れでこうなりましたが、このページで取り上げる必要はあまりなさそうです。元 来この曲のファンは出た録音全てを買ってたりするに違いないし、レーベル買収劇の成果で「春の祭典・歴代全35録音収録ボックス(20枚組)」という CD も出たようです。驚きですが、みんな大好き「春の祭典」ということもあってまとまった数の需要が見込めたのでしょう。
 それからここでは版(スコア改訂)の 詳細には触れられないし、楽団員の名前も挙げられない上、どのパートがどうあるべきという知見もありません。楽譜と突 き合わせてどこで誰が外したかという指摘はわが能力を超えるのです。それについては言い訳みたいだけど、指揮者は追求すべきものにせよ、 聞き手が行ったら楽団員の方は二度震え上がってしまう んじゃないでしょうか。そして、もし人々が長らく社会の中でそういう風に自らが扱われてきた結果、どこでミスしたかにしか目が 行かなくなってる現状があるとしたら寂しい気もします。本当は個々のプレイヤーについては 技術的にちゃんとやるのはベーシックであって道半ば、それを使ってどう表現するかだと言いたいところですが、それもなんだか偉そうです。
 でもまあ、春の祭典だとどうしてもテクニックが気になるでしょうか。管楽器は音が裏返ったりして難しいし、変拍子もあってリズムを取ること自体が大変な 曲なので正確さを見たくなるのは分かります。いずれにせよそんなこんなの理由で、ここではこれからクラシックに親しむ人向けに何が話題になってきたのかだ け簡単に触れたいと思います。




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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Pierre Monteux   Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
ピエール・モントゥー / パリ音楽院管弦楽団
 曲の初演者です。現代の作曲家だから、こう して初演者の演奏も聞けるわけです。モントゥーは本来穏やかで、緩やかに波打つ自然な抑揚を持たせることが得意な人だという認識ですが、ここでもぎ りぎりの緊張感というのではなく、慌てないテンポである種優雅に運んで行きます。過度に激しくやろうという意識がないのです。現代の演奏に慣れた耳には多 少もたっと聞こえるかと思いますが、これがスコアを見て素直に表現した音なのだろうなという気がします。やさしさと品格があるといいましょうか、美しい曲 という印象です。フィギュア・スケートで言えば大技の間のつなぎの演技が芸術的なスケーターです。専門家が見たらまた違うところがあるかもしれませんが、 伝統的なオーケストラ音楽の延長線上でしっかりと表現した演奏で、当然ながら初演時の空気を最もよく感じさせるものに違いありません。このような演奏が摑 み合いの喧嘩まで引き起こしたわけです。

 1956年デッカのステレオ録音です。この 時代の音ですが、初演者のものだと考えるとびっくりするぐらいコンディションは良いです。


  
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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Igor Stravinsky   Columbia Symphony Orchestra


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

イーゴリ・ストラヴィンスキー / コロンビア交響楽団
 一方こちらは作曲者ストラヴィンスキー自身 の演奏です。それが驚くほど良い音で残っているのです。自作自演は必ずしも素晴らしいとは限らないのが常ですが、この録音はそういうレベルではありませ ん。なるほど過度に迫力のある現代のダイナミックな演奏とは違うようですが、どうお感じになるでしょうか。冷静で力はさほど入れない出だし、軽やかなリズ ムで全体にアタックも軽い印象です。テンポ設定は中庸からややスピーディになるところもあるものです。ストラヴィンスキーは他の指揮者たちのこの曲の演奏 について厳しく評してたようだし、作品本人の演奏に色々言うことは避けておきましょう。これが曲本来の姿かもしれません。

 1960年のステレオ録音で、ワルターでお 馴染みのコロンビア交響楽団。この時代のアメリカの技術は進んでおり、エンジニアも有名な人です。なるほどの良い録音です。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Pierre Boulez   Orchestre National de l'O.R.T.F.


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
ピエール・ブーレーズ / フランス国立管弦楽団
 出たときに多くの人に衝撃を与えたとされる 演奏です。2016年に亡くなりましたが、プーレーズは現代音楽の作曲家にして指揮者というフランス人で、この人の演奏は常に「作曲家の分析眼によって曲 の構造を分解して見せてくれる」という決まり文句で評され続けてきました。レントゲンという言葉を使う評論家もいたようです。そして恐らくその言葉が生ま れるきっかけになったのがこの演奏なんじゃないかと思います。どういうのでしょう、確かに個々の楽器が別々に存在していますよ、ということがはっきり分 かった気にさせる録音です。

 分解されて見えるというのは果たしてどうい う現象なのでしょうか。アンサンブルが徹底的に揃ってるからだ、というのは当たってないでしょう。揃ってればむしろ一体化して聞こえます。では、ばらけて 出だしが揃わないからだというのもまた違う気がします。そんなに下手じゃありません。こうなると指揮法や演奏の専門家でない者にとっては言い当てるのが難 しくなってきます。ここでは楽器の音色がそれぞれに個性的なのが一点まずあるけれども、それよりも二つの音の弱い方が潜り込まないように強弱を制御してい たり(マイク位置と録音バランスに影響を受けます)、時間的な配置に工夫が成されているということなのでしょう。楽器から楽器へバトンタッチをするときに 前の方をしばらく残したりとか、出だしをあえてずらしたり間を取ったりとか。あとは落ち着いたテンポで展開するという当たり前のことでしょうか。


 そしてブーレーズといえばその「冷静」な演 奏でも定評があるところながら、ここではワイルドとまでは言わないけど案外歯切れ良く音が出て来て、フォルテのいくつかでは十分な迫力もあります。その上 で 音が分解して聞こえて怜悧さ、つまり頭の良さを感じさせるのです。トータルとしては力を込めない方向ではあり、フォルテもあっさりしているところは多いで す。運 びとしても熱くなって伸び縮んだりはせず、やや無機的な印象も与えるゆったりとした運びです。抑揚をつけて歌わせるというのではなく、真っ直ぐな表現であ り、鋭利で、青白い炎が燃焼する演奏というところでしょうか。

 実はこの6年後の1969年にブーレーズ は、今度はクリーヴランド管弦楽団とこの曲を再録音してお り、そちらの方が今はディスクとしての評価が高くなっているようです(雲の中から未確認物体が にょきにょきっと生えてくる不思議なコマ送り画像のジャケットです)。販売サイトに顔を出すのもそちらばかり(より新しい91年 DG 録音もありますが)。確かにアンサンブルが揃っていて録音がずっと良いですから、完成度としてはその69年盤だというのに異論はありません。比べるなら、 こちらのフランス国立管盤がこの指揮者の二大特徴の一つである「分解」を強調するとしたら、クリーヴランド管とのものは相対的により「冷静」の面が強調さ れていると言えるかもしれません。絶対評価で熱くならないという意味ではフランス国立管盤も同等かそれ以上の冷静さかもしれませんが。

 1963年のステレオ録音です。上記のジャ ケットは古い LP のものですが、現在は国内版として復刻されています。クリーヴランド管の69年盤よりコンディションが悪いようなことを言いましたが、音のバランスは良好 です。やや痩せて輪郭の尖った音色とフォルテでの響きに若干の古さが出ているかもしれません。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Zubin Mehta   Los Angeles Philharmonic


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

ズービン・メータ / ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
 インド生まれで親イスラエル家として知られ る指揮者の最初の録音です。春の祭典は何度かやっていて次のは77年のニューヨーク・フィル盤(CBS/コロンビア)なので、この曲の CD が色々出始めて比較が楽しくなってきた頃、ショルティ盤あたりから続いてアバド、メータ、デイヴィスと毎年のように新譜が出たときのその流れの録音の方を 記憶されてる方もおられるのではないかと思います。そちらのニューヨー ク・フィル盤は管に湿度というか、独特の潤いのある見事な歌が聞かれて艶かしく、大 変素晴らしいものでした。しかし当時褒められていたこの指揮者の個性となると必ずしも分かりやすいとは言えなかった気もします。やや遅めの出だしで途中も 速めたりはせず、ショルティやアバドとは違って拍を重く引きずり気味にする箇所も聞かれます。完成度という点では旧盤より上であっても、粘りがあるところ 以 外ではすごく変わったことはしていない真っ直ぐな演奏という印象でした。もちろんニュートラルであることはそれはそれで大切なことなのですが。

 その点、こちらのロスアンジェルス・フィル との最初の演奏は、ゆったり流すところは同じように真っ直ぐでボルテージは高くないですが、「春のきざし」の最初の部分ではテンポを速め、「春の輪舞」の 中ほど過ぎまで来るとその落差に驚くほどぶっつけるような激しさで打楽器が打ち鳴らされます。ショルティが寒色で常に整然と力強いのに対して、こちらは ゆったりからの突然の力技であり、負けず劣らずの迫力があるわけです。77年盤よりもずっとエネルギッシュであり、後半はなりふり構わぬ燃焼を見せます。 他の演奏では分からなかったこの指揮者が騒がれた理由がなるほどと納得できる気がしました。楽器の面白い音がクローズアップされるところもあります。若い 頃はこんなだったのですね。

 1969年録音のデッカです。後のショル ティ盤と同じレーベルであり、あそこまでは切れないけれどもその音も77年盤と比べて決して悪くなく、相当に良い部類に入ります。熱く燃える「春の祭典」 への道を開いた演奏の一つであり、今なお魅力的な一枚ではないかと思います。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Bernard Haitink   London Philharmony Orchestra

ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
ベルナルト・ハイティンク/ロンドン・フィル ハーモニー管弦楽団
  この掌の跡がいっぱいついたオレンジの服を着た女性がヤモリのよう な格好で上を向いているジャケットに見覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんが、ハイティンクという指揮者はこの手の曲においては一時期あまり人気が ありませんでした。詳しくは知らないですが、昔どなたか影響力のある、恐らくは何名かの方がネガティブ・キャンペーンを張ったせいでしょう。日本の代理店 だったフォノグラムは商売的に評論家を優遇する体制にはなかったのでしょうか。演奏には上下も、分かる分からないもないし、大抵の批評家より演奏者の方が 演奏法の知識はあることと思います。過激な言動にも困ったものです。そしてこのハイティンクも、悪くないどころかしっかりした演奏であり、もっと話題に なっていい ような気がします。73年の録音です。前のめりにはならないものの十分に力強く、切れがあります。春の兆しなどで乾いた鋭いブラスの音に特徴が出たり、そ れだけが表に出る側のパートが背景に溶け込んだりという面白いところもありますが、興奮によってどこかの音がなおざりになることなく克明に描かれるので、 曲をありのままに見せてくれます。個人的にはこの人に関しては「幻想」や「悲愴」、ドビュッシーあたりの方がより好きではありますが、75年のアバドがあ れだけ褒められるなら、これだって同じ線上で同水準に達してると言えるのではないでしょうか。

 95年にはベルリン・フィルと再録音を行い ましたが、そちらも部分的にテンポは違うものの同じ傾向です。多少旧盤の方が音が熱くなっている箇所があるでしょうか。どちらもフィリップス・レーベルな がら、デイヴィス盤とは違ってこのレーベルにしてはくっきりした輪郭であり、バランスも低音寄りではありません。特にロンドン・フィルとの旧盤はそうで、 ベルリン・フィルの方はまだこのレーベルらしいとも言えますが、やはり同じ方向ではあります。ふくよかさ、やわらかさでは多少勝ったバランスになっている かもしれません。でも表現の上では鈍ったりはしていません。ということであれば、冷静で完璧であることを褒められているブーレーズ/クリーヴランド管の 69年盤と比べても、むしろこっちこそが「分解的」と言ってもよい気がします。同じように何も足さない演奏です。両方の録音とも、もし話題性に欠けること に多少なりとも現実的な理由があるとするなら、ラストで走らないのが迫力不足と思われているせいかもしれません。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Georg Solti   Chicago Symphony Orchestra ♥♥


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
ゲオルク・ショルティ / シカゴ交響楽団 ♥♥
 ブーレーズのデビュー盤が衝撃だったとする と、こちらは出たときに多くの人を熱狂させた演奏です。前任のライナーほどではないかもしれませんがショルティはいっとき歯切れの良い力技で知られた人 で、シカゴ交響楽団の正確無比で乾いた音響、鋭いブラスなどと相まってダイナミックな側の代表のように思われていました。最近でこそ当時の熱狂からすれば 驚くほど冷めた評をサイトに書き込む方もいらっしゃるようですが、発売当初は今で言うハイクオリティ CD 同様、重量盤だったかカッティングの良さをうたったプレスだったかのハイファイ・オーディオ仕様の LP も出て、その低音から立ち上がるダイナミックさが喜ばれていましたし、それに加えて少し辛い音の直輸入盤や潤いのある国内プレス盤なども全部揃えて比べる ファンが出るなど、白熱していました。

 この春の祭典は個人的意見ながら、恐らくこ の指揮者の数ある録音の中でも一、二を争う名演なのではないかと思います(マーラーの「大地の歌」あたりを挙げる方もいらっしゃるかもしれません)。良い 意味でのショルティらしさが十二分に出た、どこをとっても完璧な仕上がりで す。アンサンブルについてはどこかでミスってるという指摘もあるようですが私には気になりません。この人の演奏、必ずしも褒めてきたとは言えない上、毎回 取り上げたわけでもありません。そういう意味では個人的にはフェイバリット・コンダクターには入らないので宗旨替えみたいですが、この「春の祭典」に関し ては一押しです。歯切れの良いリズムが心地良く、静かな部分でも緊張感にあふれており、自分の言葉に驚きますが常にボルテージが高くて鋭く突き刺さってく るような迫力に圧倒されるのです。最もワイルドな種類ではないという声もあるものの、ビールじゃないけどクールでドライ、精悍さでは一番に感じます。あく までも後期ロマン派の大編成の金管が苦手な立場で申し上げますが、不協和音の鳴り響く原始の鼓動のようなこの音楽、付き合うならとことん付き合う方が楽し いです。HR/HM(ハードロックとヘヴィメタル)と同じで脳が飛ぶほどの音の洪水の中で我を忘れるのも悪くないでしょう。もちろんそれだけではない曲だ けれども、そういう魅力もあることは間違いないのです。ショルティの『ハルサイ』、この曲のスタンダードにして一つの物差しです。

 1974年のデッカの録音がまた超優秀録音 です。というか、自然なホールトーンを生かした生の楽器のやわらかさを伝えるような種類ではなく、マルチマイクの特徴を生かしたクリアで克明な、少し乾い た鋭さを感じさせる体のクローズアップされた音のバランスなのですが、それがこの曲と演奏に対してはぴったりはまっているのです。ショルティとシカゴ響の 特徴とされている性質のいくらかはこうした録音からも来るのではないでしょうか。フォルテの前で構えるときの一瞬の緊張したエネルギーのようなものまで聞 こえて来るような(椅子の軋みや鼻息かもしれませんが)、どこかものものしいまでの臨場感です。CD になってからお得意の高音質盤とかが出ないのを不思議に思っていたら、なんと、XRCD 盤が以前出てたようです。知りませんでした。レコーディング・エンジニアはケネス・ウィルキンソンとジェイムズ・ロック、プロデューサーがレイ・ミンシャ ルです。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Claudio Abbado   Rondon Symphony Orchestra


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
クラウディオ・アバド / ロンドン交響楽団
 春の祭典のアナログ時代のスタンダードと 言ってもよい演奏です。しかしこれが出たのは大ヒットだったショルティ盤の一年後です。評論家がこぞって褒めるので買ってみたものの、あの激しいのと比べ てしまって何やらよく分からない、になってしまったファンも多かったことだろうと思います。しかもレーベルは当時の王様であったドイツ・グラモフォン。ポ リドールの営業担当者が困って評論家宅を訪ね、「先生、キングさん(ショルティのデッカの販売元)は躍進されてますよ、今度はウチをひとつよろしくお願い します」とお菓子の箱にいいものをいっぱい詰めてそっと差し出したのだとか、という噂が立ちます。嘘です。ごめんなさい、全くの出鱈目です。そんなことは 全然ないわけで、このアバド盤、完全無欠です。

 この指揮者の演奏は、私だけかとも思います が、その特徴がはっきりこれと分かり難いところもあるような気がします。旋律をよく歌わせる顔、遅めのテンポでいわゆる分解的に進める顔、晩年のモーツァ ルト管弦楽団でのピリオド奏法の癖を出した顔というように、ファンにとっては同じ人間の性質として了解されるにせよ、複数の顔を持っているかに見えるとこ ろがあるからです。

 そしてこの「春の祭典」では決して遅くはな く、正確で勢いもあるという、また別の顔を見せてくれます。素人目にもアンサンブルが揃っており、軽さがあって各部がかっちりとしています。どちらかとい うとすっきり、あっさりの方向とも言えます。ショルティのようなぎりぎりの緊張感というのは力が余ってるせいであって(勝手な想定 見解です)、全てのパートをくっきりと映し出すこれこそが「春の祭典」という曲を知る上で最も理想的なものと言って良いかもしれません。精緻でバランスが 取れ、しかも必要にして十分な歯切れ良い迫力を感じさせます。メータ/ロスアンジェルスより正確で、ブーレーズ/クリーヴランドより熱く、ショル ティよりも冷静です。イタリア人のアバドだからオペラのように歌っているとするのはどうかと思いますが、旋律線が流れるようなパートではちゃんと抑揚もつ いています。当時先生方が褒めたのもじっくり聞けば納得が行きます。

 1975年のドイツ・グラモフォンの録音 は、グラモフォンらしい特徴の出た音だと思います。特に弦の涼しいテクスチュアとトゥッティでのやや薄い響き方がそうです。かちっとした艶の乗る (金)管楽器類もです。打楽器は軽く切れます。ショルティ盤のデッカとはまた違った意味で分解が良く、しかし同様に生楽器のやわらかさやホールトーン を聞かせるのとは違った方向での録音です。オンマイク気味で残響が被りません。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Colin Davis   Royal Concertgebouw Orchestra


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
コリン・デイヴィス / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 その次に出て来て話題となったのがデイヴィ ス盤です。メータ/ニューヨーク・フィル盤とほぼ同じ頃です。ショルティやアバドとは反対にやわらかくて生の楽器らしい特性がよく現れた、ホールの響きを 感じさせる素晴らしい音の「春の祭典」です。フィリップスの録音は伝統的にそういう音作りであり、デッカではジェームズ・マリンソンがそうだったものの他 のレーベルは大体ここまで自然という方向ではありませんでした。他の記事を読んでいただければ個人的にはこの音のバランスの方が本来だと思っているのがば れてしまうかもしれません。そういう意味では公平ではなく、まずそこに魅了された上で書いています。「悲愴」でも取り上げたハイティンクや小澤征爾の盤も 多くがこういう魅力を放ってきました。

 演奏の方はどうでしょうか。先入観はいけま せんが、デイヴィスという人についてはイギリス人らしいというのか、ゆっくりなところの旋律の歌わせ方がさらっと淡白であり、得意とする幻想交響曲などで はもう少し色っぽく品を作って欲しいところも正直ありました。それからこの入門曲編で取り上げた「惑星」の例でも分かる通り、真っ直ぐゆったりで行きなが ら所々で急に大胆な強調を入れ、たっぷりした抑揚を付ける場合もあります。しかしそれ以上のことはよく知りません。ここではテンポが出だしはゆったりめ で、全体にも遅めでしょうか。途中多少速くなっても興奮して駆けるようなところはありません。一方で遅くする方の強調はあり、「春の輪舞」の中ほど過ぎの 打楽器の扱いはメータを彷彿とさせるほどゆっくり運んでおいて力を込めて炸裂させます。つまり遅くても迫力十分です。その際のシンバルは上までよく切れて ますが、録音の良さから潤いが感じられます。ショルティのように金管はキレキレという感触ではなく、このオーケストラらしいのか録音のせいもあるのか、ふ くよかさ、丸さが感じられます。ビブラートを利かせ、語尾を長く延ばす木管楽器の扱いが面白いところもあります。したがって静かにゆったり歌わせるところ はいつものあっさりという印象よりも、大変きれいという感じです。この盤の大きな魅力の一つです。ただ激しいだけではない方の「春の祭典」としては これ以外にもデュトワ盤、ヤンソンス/バイエルン放響盤などがありますが、同じように生っぽい録音のヤンソンス盤よりおっとりで真っ直 ぐ、力は十分という印象です。ジェントルな迫力とでも言いますか。全てが有機的で落ち着いており、大人の春の祭典という一枚です。

 最初に述べたように大変美しいオーケストラ 録音です。1976年のフィリップスですが、その中でもやや残響が多い方でしょうか。遠くで響くような落ち着いたトーンであり、厚い低音に包まれます。大 きな音で聞いても聞き疲れしません。自然な音のバランスを狙う録音の中では最も良いかもしれません。似た方向の録音にはゲルギエフやヤンソンス/バイエル ン放響盤があります。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Symphonies d'instruments à vents, in Memoriam C. A. Debussy
     Charles Dutoit   Orchestre symphonique de Montréal ♥♥


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」(1921年版)
管弦楽のための交響曲
シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団 ♥♥
「春の祭典」では多くの人がこの指揮者は聞か ないだろう第一弾、でしょうか。繊細なタッチできれいな歌をうたうのがデュトワの持ち味だからです。しかしこれがまた大変良いのです。力づくでは全く ない演奏ですが、十分に切れはあり、それにプラスされてこの曲の演奏随一の美しいニュアンスが加わります。出だしの管の静かで滑らかな音色から洗練されて おり、音を膨らますクレッシェンドに表情があります。静かなところでの朝靄のたなびくような美しさ他では味わえません。管だけでなく、全体にやわらかな線 を描く演奏であり、音の響き自体の美しさにもこだわっているのだと思います。落ち着いたリズムで、強い音の爆発でも力任せにやらずに敢えてテンポを緩める など、音がダマにならないような配慮が聞かれます。
楽音の出方に細かな注意を払っているのです。そ ういう意味ではデイヴィス盤と並んで最もやかましくない春の祭 典でしょう。もちろん迫力を出すべきところでは打楽器を力いっぱい切れ良く打ち鳴らしています。この人については結果的にいつも褒め、「悲愴」 のところでもすでに使った表現ですが、最も美しい「春の祭典」です。 

 1984年のデッカのデジタル録音です。デ ジタルとしては初期ながら、弦、木管、金管のどれもがきれいな音色です。自然なやわらかさというよりは若干艶と色彩感が強調されているようで、原色ではな いけれどもパステル調の色とりどりの絵のようです。それでいてバランスとしてはあまり前に出過ぎず、残響もしっかりあります。シンバルやティンパ ニのパルシブな部分でも濁りはありません。デッカの中でもショルティ盤よりは自然なバランスで、楽器の音を聞かせる音場重視型の方に多少寄っている録音だ と 言えるでしょう。もちろんフィリップス系のデイヴィスやゲルギエフ、似た傾向のヤンソンス/バイエルン放響盤などに比べればずっと鮮明な輪郭と明るい艶 を強調する側のセッティングであり、デッカらしいサウンドは間違いありません。 

 カップリングは1920年に作曲された「管 弦楽のための交響曲」で、ドビュッシーの追悼のために書かれた音楽です。普通の意味でロマン派までのメロディー展開をする曲ではありませんが、時々はっと させられ るようなきれいな音色の組み合わせにうっとりさせられます。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Valery Gergiev   Mariinsky Theatre Orchestre


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
ワレリー・ゲルギエフ / マリインスキー歌劇場管弦楽団
 人気のゲルギエフです。ロシア人のストラ ヴィ ンスキーに対しての、ロシア人指揮者とオーケストラです。ロシア的な荒々しさという点で人気があるようです。デイヴィス盤と同じくフィリップスの録音で、 こちらはデジタ ルになってからの1999年。音はやはりフィリップスらしい厚みのある低音で、生のやわらかさも十分感じられる優秀録音となっています。

 音から先に入りましたが、まず荒々しいとか 土俗的だという点について触れるならば、「展覧会の絵」のところですでに述べた通り、よく言われるような意味で必ずしもワイルド一辺倒というもので もない気がします。この人の演奏は常に表情に注意が行き届いていて、洗練という言葉を使うとどうか分かりませんが、少なくともチャイコフスキーなどではそ う言っても良いような、よく考えて組み立てられたところがあると思うのです。細部まで練った解釈だと言うと具体的な箇所を挙げなければいけなくなるも のの、感覚的にはコントロールが効いていることは間違いなく、そういう意味ではラフではなくて緻密です。そして「敵の部族の遊戯」と「大地の躍り」では多 少 速めながら、全体には遅めの進行が目立ち、興奮すると前のめりに走るというわけでもありません。

 それでも確かにこの演奏にはある種野生的な 迫力があると言ってもいいかもしれません。それはショルティのように過度に歯切れ良くする方向ではありません。例えばゆっくりした運びの中でブラスが大き な音を鳴らす「春の輪舞」などの箇所ですが、音程を連 続的にずらして吹くポルタメントを大胆に指示し、大型肉食獣のくぐもった咆哮を思わせるように尾を引かせるところがあります。豊か な残響の中でそれは行われ、バスドラムの一瞬遅れての大きな打ち鳴らしなども加わって、確かに原野の捕食のような荒々しい感じは出ているわけです。ライオ ンはア フリカで、ジャガーはアメリカですから、寒いロシアで暴れているのは虎でしょうか。
 トータルで言えることとしては、洗練と荒々 しさの両方がバランス良く設計されている演奏だということです。

 録音のことにはもう触れてしまいました。や や反響が多いかという気もしますが、オーケストラの豊かで自然な音を楽しめるバランスです。大太鼓の重低音が圧倒します。この方向の録音にはデイ ヴィス盤以外でもヤンソンス/バイエルン放響盤があります。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Michael Tilson Thomas   San Francisco Symphony ♥♥


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

マイケル・ティルソン・トーマス / サンフランシスコ交響楽団(2004)♥♥
 ある意味パーフェクトな演奏ではないかと思 います(ミスがあるかどうかは例によって私には分かりません)。2000年代以降の数々の演奏の中でも屈指の名演だと感じるし、現時点でこの曲の一押しと して良いでしょう。
録音も超優秀です。楽器の潤いのある生の自然さと、細部まで聞かせる克明さが高いところでバランスしてい ます。

 ティルソン・トーマスもユダヤ系のようです が、1944年ですからぎりぎり戦中生まれの LAっ子であり、欧州から迫害を逃れて来た世代ではありません。サンフランのこの楽団とは長らく良好な関係を続けて来ています。昔気質のタイプなら「鍛え 上げた」というところでしょう。若いときには鼻が強調された割に目の小さな顔のイラストが描かれたりもしましたが、舞台の袖から登場して来るとハンサムで 颯爽としてなんと格好いい、などという女子発言が思わず口から出そうになります。アメリカの自我理想を地で行ってるようにいくつになっても歳をとらない姿 で、フィットネスにきっとすごく気をつかっているのでしょう、お腹も出てません。ゲイの方はグッドルッキングにこだわるという説に関係あるのでしょうか。

 外見に触れたのは、この演奏もそんな具合に 均整が取れた姿だからです。静かなパートでは比較的ゆったりしたテンポを取り、隅々まで注意が行き届いていて焦らず一つひとつ音にして行くところがある一 方で、速いパートは正確に覇気あるテンポで引っ張ります。興奮して走って行くというような下品なことは一切しませんが、鋭いエッジも効いて大変ダイナミッ クです。切れの良い打楽器の力強さも凄くて、かといってショルティのようなオーバーシュートではない感じがします。ショルティがフォルテに目が行くとする と、こちらは静かなパートで自然に耳が聞きに行くのです。迫力は十分なのにうるさく感じず、この曲が時々やかましいと思う人でも新しい美を発見する楽しみ を味わえるのではないかと思います。そんなところから、この人は大変美意識が高くて元来きれいな演奏をする人なのだなと思えて来るのです。これは「春の祭 典」だけでなく感じることで、若いときから基本はずっとそうだったのでしょうが、昔はそのことに気づきませんでした。

 各パートの響きの美しさが見事。しかしこう 言うと、「最も美しい演奏」と評させていただいたデュトワと何が違うのか、という話になるかもしれません。デュトワが歌わせ方の抑揚に大変デリケートな強 弱で漸進的な波が加わり、敢えて言えばセクシーさがあるのに対し、ティルソン・トーマスの場合は楽譜を解釈してそこに最大限に美し い歌を乗せるというよりも、むしろありのままの歌の形をできる限り磨いたという美のあり方です。明らかなレガートといった場面も目立たず、ああ、そこの抑 揚 見事だな、ではなくて、一つひとつ解きほぐすような丁寧な表現によって、余分なものは乗せないけど完璧な形に惚れぼれするというのでしょうか。アバドがこ の曲のありのままの姿を見せてくれたと言うなら、ティルソン・トーマスはその上にどこか美しさが加わった克明な姿です。この人と楽団の最近の充実ぶり、欧 /米に関係なく大変なレベルなんじゃないでしょうか。よくこの世界にはゲイとユダヤ人しかいないなどと言いますが、その区分に入る人がいつも良い演奏をす る わけではない中で、全く文句のつけようがありません。

1996年盤
 この盤は2004年の録音ですが、8年前の 1996年にもティルソン・トーマスはすでに同じ顔合わせで旧盤を出していました。それもグラミー・アウォードに輝く大変優れた演奏でした。比較してみる とこれが表現の上では案外違いが分からないぐらい肉薄しており、この人はこの曲に対してぶれないで寸分違わぬ解釈をしているのだなと逆に感心させられま す。テンポは若干だけど新盤の方が速くなっているでしょうか。ざっと見ると同タイムが1トラックで、逆転して旧盤の方が一、二秒ほど短いのが二つぐらいあ り、残りの楽章は数秒ずつ新しい方が速くなっています。でもこれはほとんど同じと言って良いでしょう。どちらもライヴ収録で、96年の方は拍手はカット、 04年の方は入っているけど最後の余韻に被りません。ではどちらを取るかというと難しいですが、まだ買っていない状況なら新盤の方を推します。覇気の点で 若干上回るような気がするし、音に潤いとやわらかな艶があって大変きれいだからです。もちろん96年の方も優秀録音です。

ボストン交響楽団1972年盤
 そしてもう一つ、これはメータ盤の後ぐらい ですでに取り上げておくべきだったかもしれない名盤なのですが、この人の最初の「春の祭典」が存在します。ボストン響とやったドイツ・グラモフォンの 1972年録音盤です。これはメータ/ロスアンジェルス・フィル盤やショルティ/シカゴ盤を愛するような方にとっては外せないものでしょう。テンポ解釈と してはよく聞けば04年盤とすごく違うというわけではないかもしれません。同様にショーマン的な指揮者がやるようなテンポの揺らしはなく、実際に駆け出す ところもないのですが、この二十七歳時の録音はもう少し音が前のめりに行こうとするモーメントがあって鮮烈です。タムタム(太鼓の仲間である tom-tom ではなく、シャーンという金属音を立てる銅鑼の一種である tam-tam / Chinese gong の方)などのパーカッションが総じて派手でもあります。だから克明な美しさと完成度を取るなら新盤(ヤンソンスもこの人も、新しくなるほど魅力的になるの は何とも嬉しいことです)、若々しい熱演の雰囲気が欲しい人は72年盤となるかもしれません。それが証拠にペンタトーンからは新たなリマスター盤も出てい ます。そちらは聞いていないですが、同じようにフィリップスから出たサン=サーンスのオルガンをリマスターしたものはハイ上がり傾向のはっきりした音に なっていた記憶がありますから、どちらを選ぶかの選択は難しいと思います。オリジナルはグリーン・アイド・モンスターという感じで秘密結社の目玉が人々の 上に君臨するジャケットで、ドイツ・グラモフォンながら当時は最高のクリアな録音でした。ティルソン・トーマスという人に対して乗りの良 いフレッシュなイメージが以前あったとするなら、軽妙でフットワークの軽いガーシュウィンやこの若く鮮烈なストラヴィンスキーの録音あたりから来るのかも しれません。


 
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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Esa-Pekka Salonen   Los Angeles Philharmonic Orchestra


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」(1947年 版)
エサ=ペッカ・サロネン / ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
 サロネンという人は指揮者としては1983 年に初めて登場してきたという比較的新しい世代のフィンランドの人で、ブーレーズと同じく現代音楽の作曲家です。演奏するのも現代ものが得意ということ で、わが家にももらった
パイロット盤で27歳時に録音したメシアンとかがあるものの、正直あまり聞いて来な かったのでこれといってどういう人という印象がありません。「春の祭典」についてはやはり作曲家目線ということも期待されているのでしょう、一部からベス ト・パフォーマンスとしての熱い指示を受けているようです。

 聞いてみると、やはり冷静で緻密、作曲家の 楽曲分析によるのかどうか必要にして十分という印象です。管楽器のソロなどに余計な表情は付けません(十分にあります)。テンポ設定としては速めるところ では思い切って速めたりはしますが、興奮から走るとか、あるいは興奮の形を狙ってそうするのではないような波長に感じます。ブーレーズの最初の盤同様、管 の語尾を直線的に引っ張っておき、次の動機に並走させて消えないようにすることで音の重なりを見せたりする工夫が聞かれます(版の問題とどう関わるかは未 確認です)。しかし音の完成度から行くとむしろクリーヴランド管との演奏の現代版だと言った方がいいのでしょうか。それよりもややテンションがあるかもし れません。玄人好みのいわゆる「分解的」な演奏ながら、ひんやりとした鋭さと室内楽的な精緻さがあり、聞き応えがあります。後半の迫力も十分でしょう。

 ドイツ・グラモフォン2006年のライヴ収 録です。痛くならずに細部まで拾えている優秀録音で、下まで伸びた重低音には量感があります。その分ピークでいくらか他の楽音が持って行かれ気味になると ころもないではありません。


  
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     Stravinsky   The Rite of Spring

     Mariss Jansons   Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ♥♥


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
(1947年版)
マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ♥♥ 
「展覧会の絵」ではその生きた表情で圧倒され たヤンソンス、こういう曲ではどうなのでしょう。オーケストラとの密な関係もあり、最近は演奏を楽しむような姿勢が見られますが、楽しい「春の祭典」とな るのでしょうか。
 最初のファゴットが引っ張って長く延ばす丸 い音の表情からしてロマン派的に感じられ、個性的です。音が自然できれいな厚みを持って鳴ります。力で押さない落ち着いた演奏で、「春のきざし」のリズミ カルな頭の部分も弾力のある楽音の美しさを堪能できます。大人の「春の祭典」と言えるでしょう。現代音楽の衝撃というよりも、管弦楽曲の伝統の上に立った 美しさで細部までじっくりと表情が付けられています。曲想や和音のあり方の問題があるので楽しい曲に聞こえるかどうかはともかく、やはり最近のヤンソンス らしいのだと思います。美しいという言葉を使うのはこれで三人目ですが、デュトワのきれいな歌の美、ティルソン・トーマスの磨き抜かれた美という言い方で 行くなら、上記のように管弦楽曲としての響きの伝統美であると同時に自在さの美も加わるといったところでしょう。この曲に多くの人が期待するであろうポイ ントには嵌らないにしても、聞いていて心地良いので♡♡としました。管楽器などで部分的に意外な音を強調して聞かせる箇所もありますが、これも1947年 版だからというよりヤンソンスの工夫なのでしょう。
(マリス・ヤンソンス氏は2019年11月30日、心不全により76歳で逝去されました。)

 2009年 BR クラシクスのオーケストラ自前レーベルで、前述の通り大変自然な響きです。厚みとホールトーンが感じられる優秀な録音であり、フィリップスのデイヴィス 盤、 ゲルギエフ盤と並んで生のオーケストラの雰囲気を感じさせる音です。最後の拍手は被りません。

 これ以外にヤンソンスは例によってロイヤ ル・コンセルトヘボウ管とも2006年にこの曲を録音していました。「展覧会の絵」のときと同じ構図であり、演奏面でも録音でも同じことが 言えますが、こ の曲では両者の差がより肉薄しているように感じます。解釈に大きな違いはなく、その旧盤も素晴らしいものです。そちらも拍手は最後の楽音に被りません。
 その前に出ていたのは1993年のオスロ・ フィルとのものですが、そちらも基本設計は大きく違うものではなく、若いからテンポを動かして熱い運びをしているというような種類ではあり ません。遅いと ころはかなりゆったりしており、落ち着いた端正な演奏となっています。レーベルは EMI です。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Gustavo Dudamel   Orquesta de la Juventud Venezolana Simón Bolivar

 
ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

グスターヴォ・ドゥダメル / シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ 
 後で取り上げるクルレンツィスと並んで若い 人からの絶大な人気を誇るベネズエラの新鋭指揮者、ドゥダメルが地元のオーケストラと取り上げた「春の祭典」です。今やグラモフォンの広告塔ともなってい る才能ある人ですが、クルレンツィスとは違ってオーケストラ共々その登場の仕方にはミステリーはないかもしれません。地元のシモン・ボリバル・ユース・ オーケストラは元々あり、そこの指揮者だったドゥダメルは指揮者コンクールで優勝して世界の舞台に登場して来たからです。ウィーン・フィルのニューイ ヤー・コンサートの指揮者として選ばれるという、エスタブリッシュメントから受け入れられている側面もクルレンツィスとは違うかもしれません。共通してい るのはその演奏を褒める人は大変熱を帯びて語るということです。

「大音響好き」という言葉を使う人がいる通 り、この曲にドカンという迫力を求めるのは王道の姿勢でしょう。ドゥダメルのはその意味ではまずこれを選んでくださいという演奏ではないかと思います。 「スラブの土俗性」ではないにせよ、スケールの大きい興奮度の高いものです。迫力を感じさせて欲しいところにしっかりと強調を入れ、痒いところに手が届く 仕方で分かりやすくサービスしてくれるので、乗りに乗れてこれほどありがたい演奏はないのではないでしょうか。

 具体的に見てみましょう。クルレンツィスに も同じような傾向がありますが、波長は若干異なり、こっちが残響のある録音であることも影響してか、クルレンツィスの方が短く切れる迫力だとすると、ドゥ ダメルは大きな振りの力強さであり、それぞれ「鋭さ」と「熱さ」といった違いがあるようです。走る箇所は異なりますがテンポの揺れは共に大きく、クルレン ツィスが興奮を示すときに速める方に重点があるのに対し、ドゥダメルは遅いところで思い切って遅くして引きずります。そして間を置くことで踏み切りをつ け、大太鼓などを思い切り叩いてくれるのです。ぐっと遅くしておいて途中から速めたりの表情もあります。それらをバーバリックというかどうかは分かりませ んが、ワイルドではあり、フォービズム系の原色塗りという感じです。ゲルギエフを好まれる方にも受け入れられる方向でしょうか。むしろ強調の仕方が徹底してるぐらいです。オー ケストラの質については自分が言うことではありません。十分にしっかりした技術を持っていると思います。

 2010年ドイツ・グラモフォンの録音で す。前述の通り残響成分が多いです。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Simon Rattle   City of Birmingham Symphony Orchestra


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」
サイモン・ラトル / バーミンガム市交響楽団(1987)
 ラトルの代表盤はベルリン・フィルとの新盤 の方でしょうが、バーミンガム・シティ・オーケストラ時代にもこの曲の録音がありました。三十二歳のとき、彼が世界にその名を轟かせ始めた頃です。91年 に偶然「マ・メール・ロア」の録音を耳にしてこの人を知ったのですが、そのときの好印象に引っ張られるわけではないものの「春の祭典」に関してもこの旧盤 の方が好みです。というよりも、少し聞き疲れするところがあって必ずしも好みでないけど評価できる気がします。形は違うけど、そのラヴェルの演奏と同じ波 長を持っているからです。

 実際の演奏ですが、鋭くて覇気があり、張り 詰めた空気を感じさせるものです。まず出だしのファゴットに区切るような意欲的な表情を付けさせています。このときからもう頭角を現わしていた巧者な人だ なと思わせます。テンポは全体にはゆっくり抑えて進行させる傾向で、強いところで速める箇所もあるものの走りはしません。全編緊張感を保ったままエッジを 立ててくっきりとしたリズムで切り取って行きます。ティルソン・トーマスの若い頃と同様に、形は違うけどやはり鮮烈です。
 そして何よりも、
遅く小さな音に抑えたところの一見何気ない静寂が息を呑むほど美しく、そ のやわらかく型崩れしない克明な表情が新鮮です。バーミンガム時代のラトルの特徴であり、この時代が一番良かったなどと言うと成長を否定するみたいだけど、それこそがこの人に感心した音なのです。そんな静けさから鋭く立ち上がるところ にもはっとさせられます。
 それから巧者と言えば、最後の「生贄の躍 り」の中ほどでティンパニとタムタムのパーカッションが荒れ狂う中でブラスに断続的な鋭いリズムを刻ませるところが出て来て(ティルソン・トーマス盤でも よく聞こえますが)、こういう音が入ってたんだと感心させられました。

 80年代終わりの EMI のデジタル録音で、基本はラヴェルの盤と同じで大変良いものの、この曲では若干明るく鋭い音になっている気がします。ラヴェルの方にも部分的に硬く響くと ころはありました。でもフォルテではこちらの方が金管が刺さる傾向が顕著な気がします。リマスターで変わる範囲ながら、それがちょっとだけマイナスかなと は思います。でも「春の祭典」ではあまり気にする人はいないでしょうか。生の音場を重視して楽器の自然な柔らかさを出す方向ではなく、かっちりとした音を 狙った良好な録音です。  



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Simon Rattle   Berliner Philharmoniker


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

サイモン・ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2012)
 マイスター・サイモン・ラトル、新しい方は ベルリン・フィルです。アバド盤やティルソン・トーマス盤を曲の構造を知る上で理想的だと申し上げましたが、このラトルの新盤もそうです。細かな抑揚に大 変注意が払われています。クルレンツィス盤ほどテンポは変動させないけど各部にしっかりとメリハリをつけ、しかも計算した仕掛けを感じさせません。ベルリ ン・ フィルのアンサンブルに文句を言う人もいないでしょう。野性的な迫力だけを求める聞き手にとっては洗 練され過ぎているかもしれませんが
(その場合旧盤の方がより満足でき るでしょう)、力強さも十分です。ラトルは現代ものに強い人ながら、現代の作曲家 が演奏する冷静で分析的な方向への偏りもありません。世界一のオーケストラを駆使し、どこから見ても易々と100点満点だから面白みに欠けるなどと言った ら贅沢過ぎて罰が当たでしょう。ベルリン・フィル時代には各方面で親善大使のようなイベントや教育など、社会的な活動を意欲的にやっていたラトル、任期を 延長せずに辞めましたが、地方オーケストラだったバーミンガム管を世界レベルに育てていた頃と比べて、果たして本人は楽しかったのでしょうか。そのベルリ ンを蹴ってバイエルン放響と契約延長したヤンソンスみたいな関係だったら幸せだったろうと想像す るものの、自身がそう呼んでいたプライドの高い人たちとの時間には苦労もあったことと思います。

 2012年録音の音がまたすごく良いので す。EMI ながら、このレーベルでデジタルになって以降もたまにあったようなバランスの悪さはなく、輝き過ぎずオフ過ぎず、硬過ぎずやわらか過ぎずでその点もまた優 等生です。こういう言い方だと褒めてないみたいだけど、ほんとに見事な一枚です。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     François-Xavier Roth   Les Siécles


ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

フランソワ=グザヴィエ・ロト / レ・シエクル
 ピリオド楽器のオーケストラ、レ・シエクル を率いるこの指揮者は「当時の演奏」を看板にしている人で、展覧会の絵のところでも述べた通り、常に初演の瞬間へのタイムスリップを目指しています。その アイディアでいくつも有名な管弦楽曲を手がけており、「春の祭典」も出しました。

 初演者はモントゥーだったわけですが、演奏 は全く別で、ロト自身の表現となっています。やわらかな抑揚のあるモントゥーに対して直線的な鋭さが聞かれます。心理的には同じ性質だとは思わないです が、音の形としてはショルティ盤に少し似た感じもするもので、リズムは軽くてよく切れており、強調された抑揚で吠える野生の迫力ではなく、思い切りよく歯 切れる方向でのダイナミズムを求める聞き手にとってはそのショルティ/シカゴ盤と同じように満足できるものかもしれません。その性質を揮発性と言いました が、 衝動を短く爆発させるような表現にこの人らしさが表れているのではないかと思います。怒りの感情を昇華させたアグレッシブな名演奏と言っていいでしょう。 木管には 十分表情がありますが、金管はフォルテでかなり華々しい音に聞こえます。

 アクテ・シュッド2013年の録音です。演 奏の性質に相応しく、乾いた迫力でブラスもエッジが立っています。



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     Stravinsky   The Rite of Spring
     Teodor Currentzis   MusicAeterna



ストラヴィンスキー / バレエ音楽「春の祭典」

テオドール・クルレンツィス / ムジカエテルナ
 1972年アテネ生まれでロシアで楽団を結 成した、今の世代を代表する期待の若手、クルレンツィスです。ギリシャ系はミトロプーロスがいたものの、結構珍しいのではないでしょうか。ロシアで多くを 学んだ人の ようなので、ひょっとしてロシア風という言い方もできるのでしょうか。フランスの血も引いています。そしてドゥダメル以上 に支持者の熱い反応に支えられているようです。

 この人と楽団はちょっと不思議なところが あって、どのように有名になって来たのか、必ずしもよく分かられていないみたいです。昔はバンドを組んでパンク にやってたとご本人は答えていますが、小さい頃からピアノやヴァイオリンは習っていて才能があったようです。そしてサンクトペテルブルクで指揮を学んだ 後、シベリアの歌劇場で指揮者になってキャリアを積んだ後、間もなく自身の古楽器楽団、ムジカエテルナを結成しました。

 色々なところで彼のコメントは話題になって いるようで、自分が属するジェネレーション類型について語ったり、「エスタブリッシュメントと格差社会にプロテストし、コンシューマー・エコノミーとグ ローバル資本主義の弊害を取り除こう!」という、若々しいスローガンを打ち出したりしています。「スピリチュアリズム」と自身が評した考えを楽団に行き渡 らせ、全員が立ったまま昼夜通しで練習をするそうだし、 「夢によって集まり、夢を持つことで成立したオーケストラであり、そのメインストリームではない成り立ちと、提供する音楽の双方において全く新しいものを 創っている」とも語ります。共演者たちとのインタビューを読むと、一緒に演奏した仲間たちとの間にどこか宗教的な雰囲気が醸し出されているようにも感じま す。お金の流れは 分からないものの、アクション映画のヒーローたちが物語の最初で集結するみたいに、
楽団員たちは見事な手腕で世界中から選び抜かれ、 シベリア(現在はペルミ)へ来るように説得されたそうです。指揮者コンクールに優勝して大手のマネジメント会社をバックにつけたというメイ ンストリームではないのでしょう。大変なカリスマ性がある人は間違いなさそうで、映画にも俳優として複数出演しました。

 そしてこうした指揮者自身の発信と楽団の実力の双方が相まって、ソーシャル・メディアで聞き手が情報を広げる現代にあって
ムジカエテルナは一つの現象となり、世界的に売れることで少なくともコンシューマー・ エコノミーには乗りました。演奏においても人気を獲得するだけの商業主義は持ち合わせているようで、昔ショービズの人と呼ばれた指揮者と、アゴーギクの大 きさにおいては多少似たところがあ ると言っても良いのではないでしょうか。直感で感じたことだと、余計なお世話だと思いますが、もう少し肩の力を抜いてありのままでいた方がご本人も楽にな れるのではないかという気は正直しました。

 さて、先に試聴した「悲愴」のこともあり、 グラモフォンが看板として出して来たドゥダメルと同じようなローラーコースター・ライドを期待してこの曲を聞きましたが、果たしてどうでしょうか。
 管の吹かせ方に工夫があり、表情がよく付い ていて見事です。「春のきざし」の出だしなど、速いところは思いきって速くしてテンポを大胆に動かしますが、あざといところまでは行かず、小 気味良くて嫌みには感じません。それでも「悲愴」ほどではないけれどもある種の派手さ、良い意味での分かりやすさによって乗せてくれるところはあります。 ドゥダメルのところで申し上げたような、遅い方に引っ張っておいて大きな表情を付けるバーバリックな迫力というよりは、正確さを武器にした速く引き締まっ た 運びの 方に寄っていますが、前へ前へと攻め立てるアグレッシブさでエネルギーにおいてはひけを取らないので、この曲に迫力を感じたいファンにとっては、新しい 録音の中でのベストかもしれません。

 2013年ソニー・クラシカルの録音がまた シャープになり過ぎず、音場型でやわらかくもなり過ぎずの克明なもので、大変優れています。レーベル名も何も書かれず、トリックアートで催眠にかけられた ように文字が浮き出る「全く新しい」ジャケットがまた凝っています。