ベートーヴェン / 交響曲第5番「運命」聞き比べ

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取り上げる CD 15枚:フルトヴェングラー(BPO)/トスカニーニ/クレンペラー/カラヤン/モントゥー/ブーレー ズ/フリッチャイ/ショルティ
/イッセルシュテット/ハイティンク/ク ライバー(カルロス)/セル(コンセルトヘボ ウ)/アーノンクール('90/'15)/ヤルヴィ

  この曲についての説明はきっと必要ないでしょう。「運命はこのように扉を叩く」とベートーヴェン自身が言ったのだと弟子のシントラーが伝えたために「運命」という呼び名が一般化したことは有名です。そして海外では 「第5」とだけ言われ、運命とは呼ばれないことも。シントラーは色々と発言に問題のある人だとみなされているようです。ピッコロやトロンボーンなどの楽器を初めて交響曲に取り入れた意欲作であり、その揺るぎない構成が他に類を見ないというのも真っ先に語られることです。1808年ということで、作曲家三十七歳頃の作品です。中期の傑作ということになりますが、ベートーヴェンの中の傑作という言い方の方が適切でしょう。
   いったい何枚のCDが出ているでしょうか。ここでは十分に触れられないけれども、隠れた名盤も色々とあることでしょう。 まず最初に運命の名演奏とされてきたもの、人気演奏のいくつかを少し振り返ってみま。  


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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Wilhelm Furtwangler    Berliner Philharmoniker

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  古くはやはりフルトヴェングラーのベルリン・フィルとの47年の録音でしょう。ナチが去り、戦後初めてベル リンの廃墟の中で行われた歴史的な復帰コンサートの記録であり、その感激が伝わってくるという意味でも他とは比較できません。ロマン主義のスタイルを感じ させる白熱した演奏です。ウィーン・フィルとの後年のスタジオ録音も完成度の高さで評価が高いですが、感動したのはやはりこちらでした。CDは別テイクを 含めて何通りもリリースされているようです。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Arturo Toscanini    NBC Symphony Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC 交響楽団
   均整美を打ち出したトスカニーニと NBC 交響楽団の52年の録音も外せません。引き締まって歯切れの良いところが魅力です。フルトヴェングラーとこれの両方が好きという人は古いもの好きなのだろうと思ってしまうほどに対照的な演奏です。非ロマン的な、ギリシャ的というか彫刻的な表現で、現代の演奏のひとつの原点だと言われます。この録音については賛否あるでしょうが、最近はリマスターによって音が蘇ったバージョンも出てきています。マルチトラックのマスターテープから最小限の調整をするという範囲では済まされない音作りになっていると思いますが、以前から個人的に加工を楽しんでいた者としては、60 年代前半とデジタル初期の録音についてはリマスターに賛成です。   



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Otto Klemperer    The Philharmonia Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団
   クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の59年の録音もよく話題になります。どの楽章も遅いテンポで雄大な表現となっているのはこの人独特です。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Herbert Von Karajan    Berliner Philharmoniker

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   カラヤンとベルリン・フィルの62年の録音、前述の指揮者たちに対して次の世代の幕開けと言われて有名になり過ぎましたが、これかなりいいです。はストレートな演奏で、よく言われる「カラヤン・レガート」はさほど 目立ちません。この人に対するイメージは様々あるでしょうが、細部まで神経が行き届いて小細工のな い完成度の高さにあらためて感心します。駆け足で通り過ぎるわけでもなく、第一楽章はやや速めですが第二楽章で は案外ゆったり歌っており、厭味のないすっきりとした抑揚爽 やかです。トスカニーニの影も指摘されま すが、なんといっても時代の象徴、カラヤンはカラヤンでしょう。音は金管の響きがきれいで残響がよく抜けす。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Pierre Monteux    London Symphony Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団
 さほど注目されていなさそうで非常に良 かったのがモントゥーとロンドン交響楽団の61年の録音です。運命の動機をゆっくりと示し、その後で情熱的に走るというテンポの揺れの大きなもので、この 人の意外な一面を知りました。音はかなり良く、カップリングの田園よりもバランスが優れているように感じます。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Pierre Boulez    New Philharmonia Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニック
   フランスの現代音楽の作曲家で指揮者でもあるブーレーズとニュー・フィルハーモ ニア管弦楽団の68年の演奏は物議をかもしました。この人は春の祭典などでよく言われることですが、ゆっくりとした進行の中でスコアの隅々まで構造を分解 して見せてくれるような表現をします。さすがは作曲家だ、というわけです。どうかすると情熱のない無機 的な演奏だと批判されますが、ラヴェルのオーケストラ作品集など、透徹した理性と叙情性のバランスが良く、愛聴しています。運命をこういう風にやるのは許 せないという声もありましたし、 第三楽章などは確かに少々モタっとして弾まないように聞こえます。それを推進力が足りないと言いたいのも分かりますが、最初から狙ってないのでしょう。逆に個性的ではないでしょうか。楽譜通りの反復も話題になりました。日本でのみCDが再販されたようです。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Ferenc Fricsay    Berliner Philharmoniker

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   逆 の意味で個性的なのがハンガリー生まれのフリッチャイとベルリンフィルの61年録音の盤でしょうか。若くして惜しまれつつ亡くなった指揮者ですが、頭髪が 早くから少し遠慮がちだったためか、40代にして巨匠のような風貌でジャケットに写っています。体に若さがなかったのは何度も病気をしたせいかもしれませ ん。気の毒ですが、最後は胃がんだったようです。
 モーツァルトの大ミサ曲(K.427)が歌手ともども素晴らしい演奏で有名になっており、そちらではあまり感じなかったことなのですが、全体に遅いテンポながら一聴してロマン派の香りを強く感じさせます。 さほど揺れが大きいわけではないもののフレーズの切れ目で遅める扱いが独特で、古き良き時代の伝統を感じさせます。録音は大ミサ曲ほどではないもの のバランスの良いもので、フルトヴェングラーを新しい録音で聞いているようだと言うと、どちらかのファンが気分を害するでしょうか。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Sir Georg Solti    Chicago Symphony Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団
 運命と言えば歯切れの良い演奏期待される、のかもしれませ ん。筋肉質で馬力のあるイメージがあるショルティとドライな響きのシカゴ交響楽団との組み合わせは、そういう意味で有望視されるはずです。英雄などでは確かに切れの良い弾力的なリズムを聞かせます。しかし72年のこの運命、大変オーソドックスな演奏です。音もデッカのクリスタル・ サウンドというよりは、もっと落ちついた響きです。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Hans Schmidt-Isserstedt    Vienna Philharmonic Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ハンス・シュミット・イッセルシュテット / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   同じデッカではシュミット・イッセルシュテットとウィーン・ フィルの68年の録音が、ショルティよりもデッカらしい、くっきりとしたサウンドを聞かせていま す。深々としたやわらかなウィーン・フィルというより、むしろドライブの効いたシカゴ響と入れ代わったように聞こえる音です。デッカはソフィエンザールで 録っているからでしょうが、このときはよりブライトです。演奏も歯切れの良い大きな表現です。ロマンティックなフルトヴェング ラーの後、ピリオド奏法が出てくる前の、オーソドックスで録音が良く、表情の豊かな名演の一つでしょう。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Bernard Haitink    Royal Concertgebouw Orchestra

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ベルナルト・ハイティンク / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
   そういう意味ではハイティンクとコンセルトヘボウ管弦楽団の 盤も演奏、録音ともに優れていると思います。86年のフィリップス録音はデッカとはまた違った方向のしっとりとしたフィリップスらしい音で、カップリング の田園よりもこちらの方がみずみずしくとれています。演奏はライブで白熱した第九とは違ってスタジオ収録ですが、力があります。第一楽章は速めのテンポで 勢いがあり、第二楽章は速くはなく、十分に表情があります。デジタル時代のオーソドックスな演奏です。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Carlos Kleiber    Wiener Philharmoniker / (OIBP)        

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
カルロス・クライバー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 さて、ここからは少し細かく取り上げて行きます。  

 ベートーヴェンの第5番で外してはならないのは、希代のフリーランス指揮者、カルロス・クライバーとウィーン・フィルの74年の録音でしょう。これは大変評判になり、今なお人気も相当なものです。そしてその評判通りの素晴らしい演奏だと思います。ドイツ・グラモフォンながら音も固くありません。

   出だしの有名な運命の動機の最後の音を長く引っ張るやり方はワルターと似ています。しかしその後は速球をぶつけてくるような運びです。そしてフリッチャイとは正反対に速めな テンポにもかかわらず、やはりどこかロマン派の香りが漂うところあ ります。現代的 なようでいて往年の巨匠が好きな人からも支持されるのは、そうさせるスコアの読みのせいでしょうか。入念な研究で先人の解釈(とくに父親)を参考にしてい たと言われるのが納得行きます。第一楽章の疾走するスピードに対して第三楽章では抑揚も大きく、遅いところでは大変遅くなります。正攻法で情熱的な演奏という感じです。

   これが初セッションだったにもかかわらずウィーン・フィルがここまで力のこもった演奏をスタジオ録音でやりとげたのは、南米育ちでカルロスとは名乗りなが らも彼がドイツ系であったからだとか、父エーリッヒへの楽団員の敬意だろうとか言うことはできるでしょう。しかしすべてを含めてこれはクライバーの実力であって、また 彼が受け入れられていた証拠だと認めるべきではないでしょうか。この指揮者、あちこちで愛されていたようです。同僚指揮者からも好意のコメントをもらっていますし、ウィキペディアには演奏中にロバが鳴いてしまったと きの対応とか、この人の人柄をしのばせるようなこぼれ話が色々 載っています。ロバってやつは鳴くわけです。近くの牧場にもさびしがり屋のがいますが、少しかまってやってからソフトクリームを食べに行ったりすると、遠 くからガヒーン、ガヒーンと大きな哀れっぽい声が聞こえてきます。いずれせよカルロス・クライバー、研究熱心で繊細な神経の人だったようです。練習風景の ビデオを見ると、この指揮者がいかに曲の細部をイメージしていたかが分かります。 音楽監督になってくれというベルリン・フィルの申し出を断ったのは彼の方ですが、もっと腰を据えて一つのオーケストラを育て上げるチャンスに恵まれていた らどうなっていたでしょうか。冗談好きであがり症だった風来坊は、奥さんに先立たれた一年に、その奥さんの故郷で亡くなっています。
                
   リマスターについて一言。74年の このアナログ録音をドイツ・グラモフォンは後年OIBP(オリジナル・イメージ・ビッ ト・プロセッシング)という方法で音質改善しています。これについては色々言われていることもあり、今回オリジナル版とOIBPの両方を比較してみました。その結果、自分の感覚ではオリジナルの方が良いと感じました。OIBPは良好な盤もあるものの、高域に強調感があって潤いが少なく聞こえることがあります。この問題については「デジタル・リマスターと高品質プラスチックのCD」のページにまとめておきました。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       George Szell    Concertgebouw-orchester, Amsterdam ♥♥   

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ジョージ・セル / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ♥♥
 厳しいリハーサルで有名だったハ ンガリー生まれの指揮者、ジョージ・セルは、「クリーヴランド管弦楽団を世界最高水準に育て上げ、その鍛えられたアンサンブ ルは高難度の体操を見るようだが、団員からは嫌われていた」と言われていました。しかし他の楽団 に客演したときの演奏ですら完璧なパフォーマンスを見せたので すから、やはり指導者としての優れた資質を持っていたのだと思います。彼の持ち味を遺憾なく発揮できる曲として運命は真っ先に思い浮かびますが、ロイヤ ル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのこの録音は真正面から切り込んで一部の隙もない見事な仕上がりです。

   さて、このセルの演奏ですが、日本での評判からすると意外でが、非常にしなやかに歌います。それも飽き させない変化をもたせながら絶妙に歌うのです。第二楽章ではスラーが目立ち、その滑らかさの中に 彼らしい、厳格に統制のとれた様子を見せます。剛にして柔というのでしょうか。ゲストでこの音を引き出すのですから大したも のです。 また、コントラストの巧みさもあります。クラリネットに抑揚のないテヌートをさせ、棒のように長く引っ張らせておいて、次の瞬間に大きな表情でフォルテの 全合奏が吠える、こういうアイディアは他では聞きません。この楽章の終わりでは意外に弾力のある歌にも魅了されます。クライマックスに向かうところでは相 当速いテンポも見られ、かと思うと柔軟に遅くなります。それはフルトヴェングラーのように何かがはじけた途端に興が乗るような突発性のものではなく、計画されたものとは言え、ただ引き締めるだけではない巧みな変化です。強調された金管の一音に驚く場面もあります。     

   ジョージ・セルの66年のこの演奏、ピリオド奏法の様々な仕掛けを経験する前の世代の、モダン楽器による最高に練られた演奏だと思います。    



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Nikolaus Harnoncourt    The Chamber Orchestra of Europe ♥♥

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ニコラウス・アーノンクール / ヨーロッパ室内管弦楽団 ♥♥
 古楽器の表現様式をモダン楽器のオーケストラで行う、いわゆるピリオド奏法に先鞭をつ けた人の演奏です。この手のものの中で最もリラックスした雰囲気を持っていて、「古楽の攻撃的なアプローチ」ではありません。運命で落ちついていると言う のは褒め言葉にならないのかもしれませんが、何度でも聞きたくなる魅力があります。力で押してくる音楽に少し疲れた人、運命にもこんな側面があるのだと知 りたい人にとっては最高ではないでしょうか。しかし変わり種だと言っているわけではありません。理知的に追い込まれていながらも音楽への情熱を感じさせる運命です。正直言って最も好きな一枚です。

   第一楽章は細部まで神経の行き届いた解釈が光ります。静けさこそがこの演奏の特徴ですが、その静寂の中に フォルテが浮かび上がる対比は見事です。また、スーッと力が抜けるような語尾はピリオド奏法独特で、クライバーの引っ張るアプローチとは正反対です。でも後述のヤルヴィほど短くありませんし、リズム重視でもありません。流れを優先させ、静かなパートではしっとりとした味わいがあります。オーボエは独自の節回しで個性的によく歌います。
   第二楽章もゆったりとしています。ボーイングの途中で音量を持ち上げるピリオド奏法特有のメッサ・ ディ・ヴォーチェ」風はあるものの、自然な感情の発露として感じます。
   第三楽章以降で、テヌートの中から突き上げる印象的なフォルテがあります。特筆に値するのはトランペットで、鋭いながらもうるさくならず、そのつぶれない細身の音は大変魅力的です。 また、合奏での弦と金管の重なりもきれいです。クライマックスは、そこへ向かうエネルギーがそがれることがなく、聞き終えた後に心地よい余韻があります。1990年の録音で、音質も非常に優れています。



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      Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
      Nikolaus Harnoncourt    Concentus Musicus Wien

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
ニコラウス・アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 アーノンクールも死んじゃいました。ヨーロッパ室内管の演奏がいいと書いていたときは元気だったのですが、2016年の 3月のことでした。この運命は2015年の5月の録音で、この後1年なかったわけです。ムジー クフェラインザールでのライヴで、残りの曲も出す予定だったようです。録音として最後になったのは7月のミサ・ソレムニスの方ですが、事実上最後の演奏と言ってもいいと思います。

 アーノンクールという人は色々癖があって一筋縄で行かないところが面白かったというか、才能豊かな人でした。というのも、演奏家というのはたいてい歳を とってくると次第にテンポがゆっくりになり、あるいはたとえヤンソンスのように遅くはならない場合でも熟成した味わいを見せるようになるものです。アーノ ンクールも例外ではなく、年々落ち着きと正直さが増したように感じさせ、楽員を楽しませたり、美しく歌わせたりする安らぎの波長が大きくなっていたと思い ます。来日公演でもいい味を出していました。二度のモーツァルトのレクイエムも後の方がしっとりしていたし、ヨーロッパ室内管とのベートーヴェンも美しく しない、ロマン派のドヴォルザークともなると、これがあの古楽の戦闘員だったアーノンクール? というたっぷりとした歌を聞かせて驚かせてくれました。こ うした傾向は死の直前というわけではなく、彼の場合は何年も前から、今思い返してみれば秋の気配を漂わせていたように思います。
 しかしアーノンクールの演奏流儀は自分が創設して育てたウィーン・コンツェントゥス・ムジク スの古楽器による演奏と、アバドが創ってモダン楽器を使ったピリオド奏法を行うヨーロッパ室内管とではやや異なっていたようです。これも前者と演奏した最 後のミサ・ソレムニスのようにゆったりしたものもあることから簡単には割り切れないわけですが、彼の中のアイディアとしては何か違いがあったのだと思いま す。毎度彼の発言を追いかけてきたファンの方や側近ならばどういうアイディアか分かることでしょうが、私には不思議としか思えません。それでもこの演奏 家、大変好きでした。大雑把に言って、ウィーン・コンツェントゥス・ ムジクスとの演奏は過激で学問的主張に満ちたものが多かったように思います。四季もモーツァルトの交響曲もそうでした。そしてまた今、死 を前にしてあの尖った元気の良い古楽の旗手が戻ってきました。主張が一貫しているところが、頭も冴えていた彼らしいのかもしれません。

 第5シンフォニーはヨーロッパ室内管の演奏がすごく好きでした。意欲に満ちた解釈ながらリラックスしたマナーが他にない魅力だったので す。ここでのコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンの演奏は音の形を聴けばもっと元気の良いものです。一番特徴的なのは間の取り方で、無音の部分での間が あれっ? と思い始めるぐらいに長いです。そして次 にパパァーッと金管が目覚ましく鳴り渡ります。同時にティンパニが鳴る場合は野球の応援団のようにリズミカルにパンパンパンと元気いっぱいです。間が長い というのはモーツァルトのシンフォニーでも若干そんな感じでしたから、彼の解釈の問題なのだろうと思います。さて、そんな音の連なりの中に、もし秋の気配 が混じっているように聞こえたら、 それは愛惜の空耳でしょうか。

 カップリングは第4番です。こちらも同じ趣向の演奏です。愛惜ついでにハートを一個付けておきます。



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       Beethoven   Symphony No.5 in C minor op.67
       Paavo Jarvi   The Deutsche Kammerphilharmonie  Bremen ♥♥

ベートーヴェン / 交響曲第5番ハ短調 op.67
パーヴォ・ヤルヴィ / ドイツ・カンマーフィルハーモニ−・ブレーメン ♥♥
 うなってしまう圧倒的な演奏です。こちらもピリオド奏法によるモダン楽器のオー ケストラですが、アーノンクールとは趣が違います。アーノンクールは 大人過ぎるのでもっと若々しい運命を聞きたいという人にはこちらでしょう。クラシックの演奏とは思えない強烈なビート感があり、まるで聴衆を熱狂させる ロックミュージックのようでもあります。それでいて音の細部まで考え抜かれ、徹底的にコントロールが効いています。あちこちでびっくりするような音が出て くるのですが、解説によるとベートーヴェンが楽譜に書き入れた表情記号を正確に反映させた結果なのだそうです。私には新しい曲として聞かせようと知恵を絞ったように感じられました。

   パーヴォ・ヤルヴィは旧ソ連、今のエストニア生まれのアメリカ人で、アメリカで活躍する有名指揮者たちに教えを受けたようで す。カンマーフィル・ブレーメン に加えて、現在はパリ管弦楽団の音楽監督でもあります。1962年生まれです。ドイツ・カ ンマーフィルは80年の設立で、ヤルヴィのCDによって広く知られたと言ってよいでしょう。
 2006年録音のこの運命、編成は小さく、弦楽器は 6−6−6−4−3で、ヴァイオリンは最近の常識である対向配置だそうです。人数の少なさは各楽器が実体感を持って定位することからよく分かります。ま た、ピリオド奏法といってもアーノンクールらに見られるような運弓上の山なりのアクセント(メッサ・ディ・ヴォーチェ様)はこの人の演奏ではあまり感じら れません。むしろ抑揚を与えずにノン・ビブラートで真っ直ぐ弾くことで、弦の震えがいっそう目立つようなところがあります。ビブラートはご存じの通り音程を小刻みに揺らすものですが、多人数で行えば指が同期せずに揺れが分散するため、かえって震えがなくて艶乗ったように聞こえます。それがここでは剥奪される ため、裸の弦の野性的なビーンという震えになるのです。   

   煩雑ですが個々に見て行きましょう。最初の運命の動機は短く一息に行きます。語尾を延ばさないのはカルロス・クライバーとは正反対です。そしてその後すぐに面白い仕掛けが目白押しに出てきます
 管楽器が長い音を吹くところで途中から強 くさせて音色が 変わる、ティンパニの連打の間に強拍が入る、フォルテが途中からさらに一段階強くなる複層構造になっている、普段強調されない音を金管が短くパッ、 パッ、パッと切ってアクセントにする、繰り返される運命の動機も、あるところではダダダ、ダンと後ろの方が大きく強 調される等々、飽きない趣向が凝らされていて音楽が立体的に聞こえます。ちなみにティンパニは木製のバチで叩く特別なもののようです。

   第二楽章も音を延ばさないですっきりと進行します。ここでも表情に工夫が見られます:
 スタッカートの途中からテヌートになる、連続した音譜の一音だけテヌートにする、ジョージ・セルとは反対にクラリネットの持続音にありったけの抑揚を入れる、いつもなら聞こえない低音弦の区切りの音をジャカジャカと強調する、 長い音を途中から少しずつ平均にデクレッシェンドする仕方が真新しいなど、思わず聞かされてしまいます。

 第三楽章からつながるフィナーレまでの間も、弾むビートが心地良く響きます。低音弦が小刻みにリズムを切るところでは、強く弾かせているからかマイクが 近いの か、普段なら聞こえない摩擦音が混じります。ロックっぽいノリですが、ロックならピックを使ったベースが追い立ててくる感じでしょうか。相変わらず工夫は 続き、レゲエの裏打ちのように普通とは違うところにアクセントが来たり、一つの音でダーンと響くところダ、ダーンと二音に分かれていたりします。そして運命では初めてピッコロが採用されたのですが、第四楽章でそのピッコロが甲高く鳥が警戒して鳴くような音を立て、驚きます。最後の音も全合奏のなかで木管が聞き分けられます。

   聞き終わった後、爽快な気分になりました。デモーニッシュとかロマン的精神とかいうのとは違って、スポー ツのようです。運命は古典派の作品ですので、グールド後のゴールドベルクやポストビオンディの四季のようにヤルヴィ以降にエキセントリックな演奏が流行するのかどうかは分からないながら、古楽器ムーブメントより一つ新しい世代を感じます。乾いた計算に感じられるところが好き嫌いを分けるかもしれません。しかし出鱈目に派手なことをやって見せている下品さはなく、説得力はあります。第5番の最高の演奏だと言っていいと思います。



INDEX