死と乙女、憧れか予感か
シューベルト / 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D810「死と乙女」
岩の上の羊飼い D965 

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 死に魅せられる、とはどういう状態でしょうか。死に興味を持ってそのことをよく考えるということなら、それは青年期によく見られる現象です。子供から大人へと自我を確立し、生を模索して行く過程で、若者 はその対極にある死を意識するのだと考えられています。実際は若者でなくても創造的な人は、常に心は青年期にあって生の意味に立ち向かっていると言えるでしょう。これは健康な人の話です。

 しかし自殺願望となると話が違ってきます。死にたいという気分に取り憑かれた人の中にも、本当に死んでしまう人とそうでない人がいます。また、実際に肉体的に死ぬわけではなくても自己破壊へと向かう、いわゆる精神疾患も広義の自殺願望かもしれません。うつ病などのケースでは、外に向かってサインが表れることはあるにせよ、周囲に主張することなく本当に死んでしまいます。
 逆に若い人に増えているという軽症のうつ傾向やパーソナリティ障害の中には、他人に向かって攻撃をかけるものもあります。いわゆる「アクティング・アウト」ですが、自殺願望の周辺にこうした人々の一群るでしょう。 手首を切る人たちも例外ではありません。リストカッターたちの多くは、本人は自覚していないながら目的があって症状を表しているようです。それは他者の注 目を集めることで、誰しもが自分の存在を認めてほしいものですが、その手段として自分を傷つける人がいる、ということなのです。 したがってこの人たち自殺を繰り返して死にませんが、中には本当に亡くなる方もあります。

 さて、これとはまたちょっとニュアンスの違うもので、人が自分の死を自覚する、という事態あります。これに意識的なものと無意識的なものがありますが、意識的なのは、自分の死期が何らかの理由で分かる場合です。一方で無意識的なものは、外から見て、まるでその人が死ぬ準備をしているように見えます例えばモーツァルトが死二年ぐらい前から見せていた透明な作風などはそれに当たるかもしれません。本人は直前まで未来の計画を喋っており、すぐ死ぬつもりもなかったようですが、このように無意識が死を自覚するという説は、人間がその奥底で目的を持って動いているという考えを前提としています。 その計画には死も含まれます。


死に魅せられたシューベルト
 シューベルトの場合は死とどう関わっていのでしょう。死の概念を弄んでいるかのような作品が目立つのです。例えば「魔王」。これはゲーテの詩に作曲した歌曲です。危篤の子供を馬に乗せた父がその子供と会話しますが、そこに魔王が加わります。子供は怖がって「お父さん、魔王の声が聞こえないの?」と訴えるものの、魔王「私と一緒においで」と子供にささやきます。父親は「あれは枯葉だよ」と相手にしません。そして目的地に着く頃には子供は息絶えている。ゲーテは夜遅くに馬で病気の子供を運ぶ農夫を見てこの詩を作ったうですが、シューベルトが作曲したのは大変早い時期で、十八歳のときです。

 これに良く似たテーマの歌曲が「死と乙女」です。作詞者はマティアス・クラウディウスで、この曲に関して以外ではあまり名前を聞かない人です。死神に向って少女が「来ないで!」と懇願します死神は「お前を罰しに来たんじゃないんだ、やすらぎを与えに来たんだよ。私の腕の中で穏やかにおやすみ」と言います。女性が一人で歌うと死神の部分で声音を変えるので男性との二重でやってもらいたい曲ですが、作曲されたのはシューベルトが友人たち助けで独立したものの無一文だった二十歳頃です。しかしこの曲は人気が出て、四年後には出版されます。

 三十二歳で死んだ詩人、ウィルヘルム・ミューラーの詩に作曲した「美しき水車小屋の娘」は三大歌曲集の一つですが、若者が水車小屋の娘に恋をするものの狩人に取られ、川に飛び込んで死ぬという話です。これを作ったのはシューベルトが二十六歳の。偶然詩を読んで主人公の若者に共感し、すぐに作曲を始めました。
 同じくミューラーの詩に作曲した「冬の旅」は死の一年前です。こも失恋した若者の話で、その若者は凍てつく冬に死を求めて放浪に出ます。


メランコリー志向性
 これらには、死に魅せられることと同根のもう一つの構えがあるように思います。悲しみや苦しみを愛でて憧れる、メランコリー志向性とでも言うべきものです。それは「美しき水車小屋の娘」の歌詞に接したときに彼を夢中にさせた気持ちの中にも含まれていたかもしれません。「冬の旅」の出だしの「おやすみ」の音、フィッシャー・ディースカウが高く評価している終曲の「辻音楽師」はどうでしょうか。そしてそれはシューベルトに始まって、ドイツ・リート一般に広がって行った気もします。もしそれが自分を憐れむ心だとするなら、ユングによれば、「抑圧により、その人の中で感情をコントロールする資質が大人になり切れずにいるときに現れるもの」だということになります。心理学で芸術を分析するのは、突然変異の確率で生命の謎解きをするようなものかもしれませんが。


ドイツ文化の特性
 この悲しみに憧れる心は、あるいはドイツ文化圏が体質として共有していたものかもしれません。シェークスピアと並び称されるゲーテに否定的なことを言うのは気が引けますが、最後は自殺してしまう1774年の小説は美化され、実際に死ぬことが流行にもなりました。ヘッセやトーマス・マンの小説の中にも悲しみを愛でる心を感じるときがあります。シューベルト以降は「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)に端を発するドイツロマン派台頭した」と言われますが、ロマン派自体も、主に悲しみや苦しみなどの主観的感情を表出しようとする動きです。
 遡ってバッハの宗教曲には、キリストの苦しみを身に受け、苦そのものに価値を置く精神世界がかいま見られますが、これはカトリックの絢爛に対抗する新教の清貧、その源流にあるピューリタニズムの禁欲の思想だとも言えると同時に、死を解放と捉えて憧れる、当時のプロテスタンティズムの一般的な性質でもあります。


時代の空気
 作詞者ゲーテにせよクラウディウスにせよ、死に誘惑される作品を書いていたわけです。しかし死に魅入られるということは、何もドイツに限らず、この時代の風潮だったのでしょうか。
 単に死がどれほど身近だったかという話ならば、歴史的にはずっと昔からそうでした。遡りますが、410年にゴート族がローマ帝国を滅ぼして以来(皇帝退 位は476年ですが)、異民族の度重なる争いによってヨーロッパの都市は破壊され、多くの人が殺されてローマ時代の文明的な生活は失われて時代が逆戻りし た、などと言われます。その後はイスラムの来襲、次にはヴァイキングの猛威、それに対抗する軍隊が騎士になっても、その騎士も最初は村々を略奪し、十字軍 によってその暴力が外に向けられるまで国土は荒れ放題で安全の保証などどこにもなかった。そしてペストの波状攻撃によってヨーロッパの人口は半分になり、 人々は長らくいつ死んでもおかしくないような状況にあったようです。そういう解釈が正しいかどうかはともかくとして、いわゆる暗黒時代と呼ばれる中世の話 です。そしてゴシックの石の教会が建ってルネサンスに入っても、水道・下水設備を完備した古代ローマ水準のインフラは長い間復活せず、パリですら近代まで 外から街に近づくと糞尿の匂いがしたと言われるのですから、衛生的にはひどい状態でした。死を子供や家族以外の人の目に触れないように隔離する現代の習慣 は良くも悪くも始めようがなかったのです。

 ただ、死が身近だということと死に魅せられるという心理とは別の問題だし、余裕がなければ魅了されはしないでしょう。死の概念とペストとはよく関連づけ られますが、それは主に中世のことであり、ペストが最後に猛威をふるったのは死と乙女の歌曲が作られるほぼ百年前、マルセイユでのことですので、 シューベルトの時代のオーストリアでも語り継がれは いたでしょうが、もはや直接死を意識させるようなものではなくなっていたと考えるべきでしょう。それよりも18世紀末から 19世紀への変わり目と言えば、市民革命の嵐が吹き荒れていた時代です。オーストリアはフランスと戦争もしました。シンボルとして見れば、死は再生を意味 しますから、もしこの時代に死に注目する芸術家たちが多く現れたとするならば、人々が新しい社会を模索していたせいかもしれません。産業化を背景に個の目覚めがすでに始まりつつありました。

 それではこの時代にもてはやされた死神はどこから来たのでしょうか。ゲーテの魔王はデンマークの木の精霊の伝承から発想されましたが、この精霊には死の前兆の意味があります。一方、死と乙女の方はルネサンス美術テーマとなっていたもので、元々はギリシャ神話のハデスとペルセポネのエピソードから来ています。冥府の王ハデスが馬車で地上に現れ、デメテルの娘、ペルセポネを花嫁にしようとさらって行く話です。しかしシューベルトの作品これをより一般化した死神と少女として描いています
 死神は英語圏ではグリム・リーパー(恐ろしい刈り取り人)といって死を擬人化したもので、骸骨の姿をして大きな鎌を持っています。この鎌は人々の命を刈 り取り、魂と肉体とのつながりを切るイメージなのですが、北欧諸国ではレーキ(熊手)を持つというバリエーションもあり、その指の間から洩れるものがある という意味で気まぐれに生死を分けます。これこそペストの流行と関係があり、死神との駆け引きによって人々は運命に弄ばれるのです。死神はときに黒いフー ド付きのローブ(マント)を羽織っていたり、馬にまたがっていたりもしますが、こうしたイメージは15世紀以降にヨーロッパで一般的になったもので、タ ロット・カードにも描かれました。


シューベルト自身の境遇
 どんな社会的背景があるにせよ、 シューベルトの場合は極めて個人的な状況から発する問題だったかもしれません。ゲーテにせよクラウディウスにせよ、その詩を選んだのはシューベルト自身で すし、当時の彼は絶望と死というものに容易に引きつけられる心理状態にあったようです。 なぜでしょうか。
 シューベルトは大変若くして死んでいます。モーツァルトよりも四つ若い三十一歳。ジャン・ジル、ルイ・クープラン、ペルゴレージ、メンデルスゾーン、ビ ゼーと、他にも夭折した作曲家は多いですが、中でもシューベルトは若い方ですし、自分の死を自覚していたふしがあります。死因は公式にはチフスです。直接 の引き金がチフスだったという可能性もあるかもしれません。しかし当時は意識障害を引き起こす病気は何でもチフスということにしていたようです。 今で言う多臓器不全みたいなものです。そしてシューベルトを崇める伝記作家など、一部にはこの診断名に固執する向きもあります。それにはわけがあって、も う一つの有力な死因を不名誉なことだと考えているからです。

 1818年の夏、二十一歳のシューベルトはハイドンの庇護者としても有名な貴族、エステルハージ家の夏の家で音楽教師として雇われ、ハンガリーで過ごし ました。そこで女中のような立場の人と関係を持ち、梅毒に罹ったと言われます。あるいはもっと一般的な感染ルートだったかもしれませんが、いずれにせよ別 に不名誉なことではありません。
 最初に症状が現れたのがいつかは分かりませんが、五年後の1823年には調子が悪くて家の外に出られないと言っている手紙が残っています。梅毒は症状の ない潜伏期を持った病気で、良くなったと思ったらまた悪くなるという具合に繰り返しがあります。24年に再発し、27年にもまた悪くなります。記録による と治療も行っていましたが、その治療というのが、当時一般的だった水銀によるものだった可能性が高いことも指摘されています。したがって本当の死因は水銀 中毒だったとも言われるのです。

 結局のところ、チフスにせよ水銀中毒にせよ、あるいは家系に短命な人が多いところから別の理由があるにせよ、ペニシリンがなかった当時、本人が不治の病を自覚したのは確かです。手紙に残っているように、シューベルトは自分の死に大変怯えていました。そして大半の有名な作品がそんな心理状態で書かれたのです

 さてれで謎は解けたでしょうか。迫り来る自らの死を投影した結果、死を扱ったテーマに親近感を覚えていたシューベルト。交響曲「ザ・グ レイト」の最後で破壊衝動を見せていることはすでに取り上げました(「シュー ベルトの偉大さ?」)。でもそれほど簡単には行かないかもしれません。魔王を作ったの十八歳のときだったはずです。死と乙女は二十歳です。このときからすでに病に侵されていたのでないとすれば、彼の死に対する興味、メランコリー志向は自らの境遇に対する自覚だとばかりも言えないようです。


 死に魅せられるということを色々な角度から眺めてきました。しかし自分で言っておいてなんですが、こうした個々の説明は原因ではありません。いくつ挙げても一つの見方に過ぎないわけで、むしろそれらのピースが集まって現象を同時に形作っていると言うべかもしれません。聴いた感覚の中で、音楽は全てを語るでしょう。
 
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シュー ベルトの白鳥の歌
 土壇場で体調を崩すまでは、少なくとも意識的には死ぬとは考えていなかったモーツァルトが次第に透明な作風になって行ったことは前述しました。これらの作品はモーツァルトの白鳥の歌と呼ばれることがあり、その主だったものはすでに扱いました(「モーツァルトの白鳥の歌」)。これに対して死に自覚的だったシューベルトは、亡くなる前年に「冬の旅」のような曲を作りました。モーツァルトのようには軽くない音楽で す。では、彼の白鳥の歌はどんなだったでしょう。

 絶筆だと言われるものは二曲あり、一つは「岩の上の羊飼い」D.965 です。クラリネットの伴奏が付き、ソプラノが歌う不思議な曲です。最初にピ アノ伴奏が短調で始まり、クラリネットが加わってもの悲しい旋律をかと思うとそのまま長調になり、また断片的にマイナー・コードを交えつつ伴奏を終えます。そして歌にると 明るい長調で静かに、モーツァルトもかくやと思わせるような、いかにも白鳥の歌を歌って行きます。途中力の 入るところと短調に戻るところを挟んで複雑に気分を変えながら、最後は快活な調子に変わって終わります。歌詞は二人の詩人のものをシューベルトが切り貼りして作り上げています。そしてれはもう一曲の絶筆の歌と共通して、すべてを受け入れたお別れの挨拶聞こえます。
「深い谷を見下ろす岩の上に立っている」 (中略)「恋人は遠くに住んでいる。だからこそ熱く憧れる」そして「喜びは去った。 地上での希望は消え、孤独を感じている。歌は森のへと、 夜の中へと響いて行き、心を向ける」
 最後はこう締め括ります。
春がやって来る。私の喜び。もう旅立つ準備できている」



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      Der Hirt auf dem Felsen (The Shepherd on the Rock)   Barbara Bonney (S)    Geoffrey Parsons (Pf)    Sharon Kam (Cl) ♥♥

岩の上の羊飼い D965
バーバラ・ボニー(ソプラノ)♥♥
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)/ シャロン・カム(クラリネット)    
 清楚で美しい声のアメリカのソプラノ、バーバラ・ボニーがこの曲を歌っています。古楽でも歌ときはありますが、限られたものなので残念に思っていました。この至福、他では得難いでしょう。ここではやや弾むように抑揚をつけています。リート自体が長く伸ばす音というよりも語りに近いところあり、彼女の魅力が最大に発揮されているかどうかは別として、声質はいつもの通りです。他にもアヴェ・マリアや野ばら、糸を紡ぐグレートヒェンなど、シューベルトの代表曲が一枚に集められています。録音は声もピアノも高水準です。



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       Der Hirt auf dem Felsen (The Shepherd on the Rock)   Katheleen Battle (S)   James Levine (Pf)   Karl Leister (Cl) ♥♥

岩の上の羊飼い D965
キャスリーン・バトル(ソプラノ)♥♥
ジェームズ・レヴァイン(ピアノ)/ カール・ライスター(クラリネット)
 意外と言ってはいけませんが、キャスリーン・バトルの歌もきれいでした。離れた音をずらすようにつなげるポルタメントも聞かれてオペラの人というの分かりますが、他の曲ほどオペラ風ではありません。白鳥の歌というよりはバター風味であるものの、延びのある美しい声でこの曲の魅力よく伝えています。伴奏も良く、出だしのクラリネットから瞑想的で魅きつけられます。バトルとえばわがままで有名なようですが、その人の波長というものはあるにせよ、偏見は良くないでしょう。ひょっとしたら一番魅力的かもしれません。もう少し油気が抜けた方が好きなは、少し前になりますがエリー・アメリングあたりでしょうか。
 
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 もう一曲の方は、その名も「白鳥の歌」となっている有名な歌曲集です。それがまた実際に彼の最後の作品でもあります。歌曲集としてまとめられたのは死後ですので、作詞者も曲調もまちまちであれば、命名もシューベルトの手になるものではありませんが、絶筆となったのはこの歌曲集の一番最後の曲、ザイドルの詩による「鳩の便り」です。
  冬の旅であれほど悶々としていたシューベルトも、この最後の一曲で不思議な波長を放っいます。深みがあるかどうかはともかく、ベートーヴェンの絶筆同様、ふっきれた屈託のなさを感じさせます。死を自覚し、それを受容する段階は五つあるという人もいます。最初は否認し、そして怒りにとらわれ、取り引きしようとし、それから悲しんだ後、最後は安らかに受け入れるようになるそうです。
「私は一羽の伝書鳩を飼っている歌詞は始まります。従順で誠実な鳩。その鳩を私は何千回も飛ばし、愛する人の家まで飛ばす。 鳩は窓を覗き込み、足音を聞き、挨拶を伝え、返事をもらってくる。私はもう返事を書く必要がない。この涙を鳩に与えてやろう...  ここまではドイツ・リートにありがちな傷心の歌です。しかし続くフレーズは「昼も夜も現実も夢も、鳩にとっては同じこと。鳩はただ飛び立つことができれば良いのであって、飽かず疲れない。報酬も欲しがらない。私はこの美しい鳩を胸に抱き、大切にする」。最後にこう言います。「この鳩の名は希望(Sehnsucht)知っているだろうか! この誠実な心の使者を」。そして歩みを緩め、最後のフレーズを二回繰り返して曲は終わります。



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       Schubert  Schwanengesang D.957/965a   Wolfgang Holtsmair (Br)    Imogen Cooper (P) ♥♥

歌曲集「白鳥の歌」 D957/965a
ウォルフガング・ホルツマイヤー(バリトン)/イモージェ ン・クーパー(ピアノ)♥♥
 シューマンの項(「かくも美しき、詩人の恋」) で取り上げたオーストリアのバリトン、 ホルツマイヤーが歌い、イモージェン・クーパーがピアノ伴奏の盤です。説明はそのページにきましたが、とにかくやわらかで美しい歌です。 彼は「鳩の便り」を冒頭と最後に二回歌っています。鳩は何を表しているのでしょうか。死を恐れながらも同時に魅せられてきたシューベルト。飽かずに飛び立つ誠実な使者を空に放ち、今まで大切にして生きてきたものの正体を知ります。夭折の作曲家が最後に到達した世界を余すところなく伝えてくれます。


  こうして見てみるとシューベルトという人は、自らの死に無意識だった十八歳の頃から死というものに興味を持っており元々の性質の中に死に引きつけられる傾向が強くあったのです。そしてその晩年と言うには若過ぎる実りある数年に自らの死を意識しながら作品を作り、最後には受容し、朗らかな白鳥の歌を歌って去って行きました。死に対する「無自覚」と「自覚」という二つのことが一人の芸術家の中で起きたということは、まるであのような作品を生み出す短い人生の約束が事前にあったかのようです。思春期の頃から、もう無意識は準備にとりかかっていたのかもしれません。
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弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
 死と乙女の歌曲には、後にそれを弦楽四重奏に編曲したものが存在します。むしろちらの方が有名でしょうか。歌は感情表現がダイレクトですが、器楽による四重奏曲にはもう少し昇華された感覚があるように思います。しかしここでは形式の問題だけではないかもしれません。歌曲の方は二十歳頃、一方で四重奏は二十七歳のときの作品です。シューベルトは四重奏を作曲したとき梅毒の第三期にあったとされ、大変具合が悪く、死を意識していました。それでも、あるいはそれだからこそか、このように充実した作品生み出すことになりました。未完成交響曲も美しく、 第5シンフォニーも軽やかな味わいが捨てがたいですが、リートがあまり得意でないせいもあり、この死と乙女の四重奏はシューベルトの中で最も良く聴く一曲です。

 珍しいことにこの曲は四つの楽章がみな短調で書かれています。テーマがテーマだけに明るい曲調にはなり得なかったのかもしれませんが、曲自体は決して安っぽいセンチメンタルなものではありません。この作曲家の作品の中でも「未完成」と並んで早くから人気のあったもので、シューベルトらしい美しい旋律に満ちています。

 ただ演奏となると、曲想から来る部分と、現代の弦楽四重奏の姿勢から来る問題で、どうも鋭い演奏が多いような気がします。特に最初の一音ですが、ためて おいた力を一気に解放するような強い音で来る場合がほとんどで、生なら良いものの、CDと もなるとボリュームを上げ気味にしているときついのです。果たしてそうあるべきなのでしょうか。色々と当たりはしました。アルバンベルク、ジュリアード、 メロス、ウィーン、生でも聞いたリンゼイ四重奏団、どれも最高の演奏だったと思いますが、自分の好みよりは熱演な気がしました。ピーター・ウンジャン時代 の東京カルテットは大好きなのですが、それはやはり素晴らしいものでした。一部にハムノイズが混入していますが気にするほどのことはない問題です。 1990年のハーゲン四重奏団も後の彼らほど力一杯ではなく、瑞々しい表現を聞かせてくれます。抑揚はやはり大変よくついており、弱音と遅くするところで 大胆にして繊細です。それでもやはり、他にもないものかと探し続けました。



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      Schubert  String Quartet No.14 D810 Death and the Maiden
      Quatuor Terpsycordes ♥♥

シューベルト / 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D810 死と乙女
テルプシコルド四重奏団 ♥♥
 ギリシャの女神の名をとった この四重奏団は、ジュネーブを中心に活動しているピリオド楽器を使う団体です。結成は1997年で、タカーチ四重奏団の設立者ガボール・タカーチ=ナジに教えを受けた後、ブダペスト、ハーゲン、ラサール、モザイク四重奏団のメンバーからも教わったということで す。第1ヴァイオリンはイタリア、第2ヴァイオリンがブルガリア、残りはスイス出身という国際色豊かなメンバー構成です。

 ピリオド楽器による死と乙女ということでは、この楽団が教えを請うたというオーストリアのカルテット、上述のモザイク四重奏団も CD を出しました。知名度から行くとそちらの 方が上かと思います。その演奏はハイドン やモーツァルトの一部の四重奏で最高のものでした。ただ、全くの好みですが、最近出たベートーヴェンの後期やこのシューベルトの14番では古楽奏法のアク セントが大きめに感じます。彼らの中では演奏の流儀として一貫しているのでしょうが、時代からいっても作曲家の性格からしてもよりロマンティックな方向に寄っているこれら二人の作曲家ともなってくると、もう少し真っすぐなボウイングの方が好きです。アクセントが強いとどれも演奏が似てきますし、感情の動きがそのアクセントの陰に隠れてしまう瞬間もあるように思います。この辺は人によって感じ方も様々でしょうから、モザイクの方がドラマチックでいい方もおられるでしょう。

 テルプシコルドもピリオド奏法なのでロング・トーンの真ん中を盛り上げる弾き方が聞かれますが、控え目で自然です。第一楽章最初のアタックは十分激し いですが、それでも全体に息がつけます。力強く弾いてはいても耳にやさしいのは楽器のせいもあるでしょう。続くフレーズもやわらかな抑揚がついていて、 ガット弦の高い音も繊細です。勢い込んだところがなく、リタルダンド(だんだん遅くする)や力を抜く扱いが穏やかです。 第二楽章の静かに引きずるような出だしから段々熱を帯びてくるところも味わい深く、自分たちの呼吸になっていると感心します。王道を行くものではないかも しれませんが、現代的で切れの良さばかり追求した演奏に疲れる人には朗報だと思います。カップリングは有名なロザムンデです。

 フランスのレーベル、リチェルカーレの2007年録音は音自体のバランスも優れています。



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