バッハ / フランス組曲

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フランス組曲について
 フランス組曲は、バッハの鍵盤曲集の中でも最も美しいものと言っていいのだと思います。憂いを含んだ調べにうっとりする短調の前半三曲、牧歌的な歌にやすらかな思いになる長調の後半三曲、どこをとってもきれいなメロディーに溢れています。バッハに最初に親しむ曲としても相応しいのではないでしょうか。弾く場合も他より難しくありません。ただそうなるといつものことで、軽く扱う人が出たりもします。組になると考えられるイギリス組曲と比べて厳しさが足りないとか、後期の作である平均律第2巻やフーガの技法などを引き合いに出して構築が甘いと考えたり。演奏について論じる場合も、バロックのポリフォニー構造から離れて安易にロマンティックなメロディーに流れがちな当時のギャラント様式を意識している、などと言ったりします。でもそれは曲そのものの欠点では全くないことでしょう。ちょっと無理やりに言えば、ギャラント様式≒多感様式というもの自体が後の古典派につながって行くという意味で、時代の先取りと言えないこともありません。ともかく、聞いていてこれほど慰められ、心洗われる曲集もないのです。バッハの傑作に違いありません。

 1番から6番までの六つの組曲から成っており、それぞれが6〜8曲の舞曲の形式で書かれています。「フランス組曲」という名前の由来は、すでにそう呼ばれていたであろう「イギリス組曲」を念頭に置いて、フランス風の組曲だからという説があります。確かに短調の曲など、クープランらのオルドル(組曲)と雰囲気が似ていないこともありません(その意味ではより相応しいのは「フランス風序曲」の方でしょうか)。でもあまり根拠はないようです。そう名づけた人も分かっていません。1754年から62年までの間にニックネームとして誰かが命名したようです。


作曲時期
 平均律クラヴィーア曲集の第1巻とほぼ同じ頃、ケーテン期の1722年頃の作曲ではないかと言われます。なぜなら再婚した奥さんであるアンナ・マグダレーナ・バッハ(ソプラノ歌手)にその年に贈られた曲集(「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」)にほぼ含まれていたからです(1番についてはもう少し早い時期かもしれないとされ、5番は翌23年に完成されており、6番は25年以降の作ではないかとも考えられています)。1722年はバッハにとって三十七歳にあたります。二年前には最初の奥さんが亡くなり、それは悲しんだと思われますが、その翌年には十六歳年下で当時二十歳の新しい奥さんと一緒になり、その人は音楽に理解がありました。色々と励む力になったのだと思います。作曲の上でも充実した時期でした。22年より前とも考えられる1番がいつ頃かは分かりませんが、そのメランコリックな感じはヴァイオリン・ソナタの第4番同様、旅先で妻を亡くして会えなかったときの悲しみに関係があるという見方も、あるいは成り立つのでしょうか。



    bacchettifrench
       Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
   
   Andrea Bacchetti (pf) ♥♥


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817
アンドレア・バッケッティ(ピアノ)♥♥

 1977年生まれのイタリアのピアニスト、アンドレア・バッケッティについてはイギリス組曲のページでも触れました。大変個性的で感受性豊かな演奏をする人です。絶妙なリズム感を持っていると同時に耽溺しないしっとりとした美し情緒を現します。多面体と言ってもよいでしょうか。つまり、グールドにひけを取らないジャズのような乗りの良さ、スタッカート遊びのあるモードでは変化と工夫に惹きつけられます。しかしそれとは反対に、ゆったりめのテンポをとってイタリア人らしいというのか、カンタービレに、歌うように運びつつ、デリケートで常套句に陥らない揺れが絶妙というモードもあるのです。

 このフランス組曲はデッカから出ていたイギリス組曲もそういうところがあるけれど、明らかに後者に入る演奏です。遅めのテンポをとってルバート(ため)を効かせながら、恣意的にならず、センチメンタルな陶酔にも陥らずに美しく弾いて行きます。フランス組曲というもの、そのしっとりとした歌のある性質を抑えて乾いた音を目指し、対位法的な構造こそを浮き彫りにしようなどと構えたパフォーマンスでは疲れてしまう気がします。本来の美を十分に現し、聞いて喜べるこのバッケッティの演奏、数ある CD の中でもベストじゃないかと思います。しかも同時に知的な工夫があるという言い方がいいのかどうか、新しい感覚も感じられるのです。

 レーベルはソニーで2012年の録音です。余分な話だけれども、面白いのは、同じフランス組曲でも2007年のライヴではスタッカートが強調され、トリルもくっきりと際立たせており、抑揚も大胆に弾いていたりします。ゴールドベルク変奏曲で見せたような、上で触れた前者のモードでやっているのです。即興性のある人だという気がします。ですから CD では意図してこういう表現にしたかったのでしょう。ピアノはファツィオリを使っており、これがまた
アタックが金属的にならずにしっとりとした余韻があり、大変見事なピアノの録音となっています。きれいな音です。



    anderszewskifrench
       Bach   French Suite No.5 / Overture in the French style BWV 831
      
Piotr Anderszewski
(pf) ♥♥

バッハ / フランス組曲
第5番 / フランス風序曲 BWV 831
ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)
♥♥   
 
ポーランドのピアニスト、アンデルシェフスキはイギリス組曲のところでバッケッティと比べたわけですが、このフランス組曲も全曲ではなく、5番のみです。カップリングは同じくというか、よりフランス様式を意識したフランス風序曲です。本質には関係ないことながら、CD の表紙は目線とポーズの取らせ方など、女性ファンを意識したかのような写真となっています。

 演奏ですが、これもイギリス組曲と同様で、速いパートではさらっと速いところもあるながら、ペライア譲りとも言いたくなるぐらいの滑らかにつながりつつ多様に変化する抑揚があり、強弱の山を作って細かく盛り上がり、下がる呼吸も聞かれます。左手が対等に活躍してポリフォニックに表情豊かです。活きいきと歌っていてダイナミックなフレーズごとの切り替えもあります。一方で弱音のパートでは速度を大きく落とし、大変弱い音で弾いて行きます。表情も細やかで、大変デリケートです。バッケッティより情緒に浸るタイプかと思わせるものの、湿っぽい感じではありません。今のアプローチとして見事なバッハだと思います。

 1998年に最初の発売だと思われるものの、録音は88年です。レーベルはハルモニア・ムンディです。収録のコンディションは大変良好です。



    schifffrench1

       Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
      
András Schiff (pf) '93

 

    schifffrenchdvd
      
Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
      
András Schiff (pf) '10 DVD


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817(写真上)

アンドラーシュ・シフ(ピアノ) '93


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817(写真下)

アンドラーシュ・シフ(ピアノ) ’10 DVD


 さて、名手シフですが、フランス組曲はどうでしょうか。イギリス組曲の方は素晴らしいものでした。さらっとしているのに味わい深い、現代的な趣向が見えるのに作為的なところは感じさせない、この人独特のバッハは、同時にピアノによるバッハの定番でもあると言っていいでしょう。

 ただ、同じ組曲という範疇ながら、フランス組曲の方は若干印象が異なりました。冒頭でも述べましたが、このフランス組曲はもともと演奏が比較的平易ということがあり、メランコリックに響くきれいなメロディーが一般受けするという理由から、演奏家が情緒豊かに弾くと「昔風だ」とか「通俗的だ」とか言われる風潮は若干あります。まさかシフがそういう理由からポーカーフェースの辛口な演奏を試しているとも思えないので、ベートーヴェンの「月光」のときと同様、彼一流の理屈があってのことかもしれません。理由はともかく、シフのフランス組曲は、曲によってはまるで行間に情感を込めることを躊躇うかのように前にのめって速弾きするところがあります。今や昔ながらグールドのゴールドベルク変奏曲が出て来たときに驚いたような現代的な処理です。そして他の組曲でも同じような快速は見られるのですが、度合いがちょっと大きいというか、あるいはこちらの耳が通俗的なのかもしれないけれども、そこは静かに歌ってほしいと思うところで駆け出すような速さが目立ったりしました。

 シフのフランス組曲は、デッカでの録音における一連のバッハの中で93年と、他から五年ほど間が開いた後、最も遅い時期に出して来ました。首を長くして待っていたのを思い出します。でもいざ買ってみると何かが違う感じに戸惑ったわけです。もちろん静かなところはすごくきれいなのですが。そして ECM レーベルに変わってからも組曲はパルティータ以外は出ず、さらに待っていたところに2010年のライブを録音した DVD が出て、再度期待して聞いて同じ結果になりました。彼のフランス組曲の解釈のようです。

 誤解を招くといけないのでもう少し説明しますと、ほとんどの部分では落ち着かないことはなく、素早いのは一部です。具体的に言うと、新録音の方では全曲においてクーラント、5番を除いた全部のジーグは快速です。ジーグは16世紀にイギリスで発達したアイルランド起原の舞曲で、バロック時代の組曲の終曲としては速いテンポが普通なので、解釈としては妥当でしょう。クーラントは元来「走る」の意味で、ルネサンス時代にはジャンピング・ステップもあり得たそうですが、バロック期には
甘い期待のムードや心からのメロディーを意味するようになっていたということです。シフはこういうことは大変勉強してる人ですから、とやかく言うのは愚かなことでしょう。加えて速いのは3番のガヴォットとメヌエット、4番のガヴォットとエール、(特にこのエアーは大変速いです。)6番のブーレということになります。全体の中で三、四割が速く、もしくは次のテーマに入る間が詰められている、という感じです。演奏に臨む前に静かに黙想した後始める様子や、弾いているときの音を味わっている表情を見ていると、彼自身は速いスピードにも心地良さそうに乗っていて、決して頭脳優先のテンポ設定でもないように見えます。反対に5番と6番のサラバンドなど、なんとも美しい演奏となっています。

 時代による
シフの演奏の違いについては、大きく分ければデッカ時代の CD と、ECM レーベルになってからのCD、もしくはブルーレイなり DVD なりで出ているものの二つに分けられるでしょうが、若い時の方がややロマンティックに響くパートがある一方でさらっと素早く駈ける例もあり、最近の録音は即興性と揺れが加わり、より味わいが濃く深く聞こえる気がします。タイムだけを調べると、例えばパル ティータなどで見れば、新しいもの の方が若干速くなっている傾向はあるようです。しかし平均して数パーセントで、むしろ深い表情によって速くは聞こえない場合が多いです。タイムが逆転する曲もあります。

 録音は CD が1993年、デッカの録音で粒立ちのあるピアノの音が大変きれいです。新しく DVD で出た方は2010年で、レーベルはベルリンのユーロアーツとなっており、NHK もこの企画に加わっているようです。こちらも録音状態は自然で大変良いです。シフのバッハは他にゴールドベルク変奏曲が82年と2003年、パルティータが84年と2009年、インヴェンションが95年、平均率が86〜87年と2012年に出ていま す。



    perahiafrench
       Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
      
Murray Perahia (pf)


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817

マレイ・ペライア(ピアノ)

 アンデルシェフスキの師でもある1947年生まれのアメリカのピアニスト、ペライアはどうでしょうか
。こちらもイギリス組曲で取り上げました。

 同じことがここでも言える気がします。シフは速く流すパッセージが聞かれたけれども、ペライアは違います。流れるように滑らかにつながり、浮いて沈んでの品の良い絶妙な抑揚があります。決して力まず挑戦的にならず、しっとりしています。フレーズの後半で軽く密かなスタッカートを混ぜたりの自在さも聞かせます。それでもアンデルシェフスキと比べれば形を大きく変える表現は少なく、表現の上ではおとなしい感じがします。フランス組曲には全く相応しいピアニストかもしれません。誠実で深い陰影を聞かせるヘブラーよりも多少現代的なスパイスも効いていて洗練の極致を行きます。ただ、これは他のところでも毎回言って来てこちらのバイアスかもしれないのだけど、ちょっとメランコリーを感じさせる湿り気があり、自分には、タッチではなく質的に少し重く感じられます。逆に言えば声をひそめる静かなパートの美しさは独特で、他では味わえないものです。

 ペライア自身がソニーからドイツ・グラモフォンに移籍したようで、録音は2013年です。レーベルが変わっても同水準の優秀録音です。硬かったりきらきらしたりすることなく、彼らしい美しい音です。



    haeblerfrench

      
Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
      
Ingrid Haebler (pf) ♥♥

バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817

イングリット・ヘブラー(ピアノ)

  古くからのファンならきっと一枚ぐらいはモー ツァルトの協奏曲を持っているだとか、ソナタは聞いたことがあったりするだろうヘブラーは、1926年生まれのポーランド系オーストリア人の女性ピアニストです。ザルツブルクとウィーンで長く過ごした人で、モーツァルト弾きとして定評があります。そのヘブラーのフランス組曲、これがまた大変な名盤なのです。

 シフの項目でクーラントやジーグが速くてついて行けないなどと言いましたが、モダン・ピアノで弾くフランス組曲の中で、グールド以降の波に乗って速く弾いたり、驚きの仕掛けや大胆に変化をつけた面白さを狙うことなく、美しいメロディーをただしっとりと聞か せてくれる演奏となると、このヘブラー盤があればいいということになるかもしれません。もちろんただべったり弾いてるわけではなく、例えば1番のメヌエットでスタッカートを交えたりとかの工夫と研究は十分成されていますし、耽溺しない節度と良識があって大変センスのいい演奏で す。理性は十二分に働かせていながら、頭でっかちになって他との差異を求めたりしてないように感じるのは女性ならではでしょうか。リヒテルの平均率が好きな人には気に入ってもらえるかもしれないし、リヒテルより甘さがなくて覚醒した感覚もあり、希有な名演ではないかと思います。 芸術性が低いという意味では全くないながら、良質なバックグラウンド・ミュージックとしてもこれほど落ち着けるものはないでしょう。

 1980年の録音はフィリップスで、それは大変ありがたいです。古い人だから録音も古くて音が悪いのでは、と心配する必要は全くありません。しっとりとしたこの人の音をよく捉えています。出た当時にはレコード賞とかもあるいは取ったのでしょうか、海外のサイトでは CD は手に入れ難くく(ダウンロードやサブスクライブのサイトで聞くことは出来ます)、日本では複数種(正規フィリップス盤は現在中古のみ)が入手可能な状況となっています。モーツァルトのソナタでは方向性の違うリマスターがされたりする例もありますが、こちらはどうでしょうか。正規フィリップス盤しか聞いていないので確かなことは分かりません。

 ヘブラーという人自体、バッハの録音はこれ以外にはほとんどなさそうで、ピアノフォルテで臨んだ意欲的なクリスチャン・バッハがいくつか出てるぐらいという状況です。フランス組曲にはよほど思い入れがあったのでしょうか。そして80年というと、彼女の活躍の中でも最後の方になると思います。80年代に入ってからは録音も数えるほどしかなく、恐らく87年の DENON のトルコ行進曲(もしくはモーツァルトのピアノソナタ全集)ぐらいが事実上ラストになるのではないでしょうか。大変貴重な CD です。



    kempffbach
       Bach  English Suite No.3 / French Suite No.5
       Capriccio in B Flat, BWV 992 "On the Departure of a Dear Brother"
     Toccata in D BWV912    
       Wilhelm Kempff (pf) ♥♥

バッハ / フランス組曲第5番 / イギリス組曲第3番
カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに向けて」BWV 992
トッカータ 二長調 BWV912
ウィルヘルム・ケンプ(ピアノ)♥♥
  この CD はケンプの項目ですでに紹介しました(「晩年のケンプ」)。 1895年生まれのドイツのピアニスト、ケンプは晩年になって枯れた美しさを示しました。ちょっと他では聞けないため息の出るような演奏なの で、フランス組曲は5番だけという選集ですが、ぜひ聞いてほしい一枚です。



   xiaomeifrenchsuites
     Bach   French Suites Nos. 1-6 BWV 812-817
     Zhu Xiao-Mei (pf)


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817
シュ・シャオ・メイ(ピアノ)

 文革に翻弄されてフランスからデビューした中国系女性ピアニストのシュ・シャオメイです。陰影の深い情感を湛えた表現をベースに、恣意的なアクセントや変わった表現をすることなく素直な感覚を有し、正攻法でありながら時折ポスト・グールドの現代的なスピード感をもって運んで行く技も見せられる人という感じがします。ゴールドベルク変奏曲やフーガの技法は評価が高く、平均律も見事で感銘を受けました。フランス組曲は後発で、2016年の録音です。

  素直ながら表情豊かで、しっかりと情感も感じられる演奏です。その中で、メランコリックでメロディアスに傾きやすいともされるこの曲集に関しては、ゴールドベルク変奏曲などで発揮したようなスピーディな表現も織り交ぜて来る種類になっています。しっとり路線一方ということではなく、ロマンティシズムに傾き過ぎず、品格の高いパフォーマンスです。テンポの良いグールド好きの人にとっても受け入れられるのではないでしょうか。曲によってアプローチを変えており、表現力があります。跳ねるようなスタッカートも導入し、瞑想的で細やかな一面も覗かせます。

  レーベルはミラーレではなく、アクセンチュス・ミュージックです。これも派手になり過ぎず、新しい分良い録音です。



チェンバロによる演奏
  ここからはチェンバロによる演奏を取り上げます。パルティータの項目で取り上げたレオンハルトはピリオド奏法の最初の頃のもので、そのセオンの1975年録音はパルティータよりも古く、当時の不均等な間の感覚がよりはっきりしているような気もします。この方面で権威のある人ながら、楽器の音の個人的な好みもあって今回ここでは取り上げませんでした。同じくピノックに関しては、どうもフランス組曲は今のところ出してないのではないでしょうか。フランスのクラヴサン奏者としてはブランディーヌ・ヴェルレ、クリストフ・ルセ、バンジャマン・アラールらは出しています。パスカル・デュブリュイユはまだのようです。



    gilbertfrench
      
Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
       Kenneth Gilbert (hc)


バッハ / フランス組曲
全曲 BWV 812-817

ケネス・ギルバート

  ハルモニア・ムンディ・フランスのこの盤、残念ながら CD は現在廃盤扱いなのでしょうか。アラン・カーチスとかエドワード・メルクス、ユゲット・ドレフュスなどもよく廃盤のままだったりにされてますから、ちょっと古い古楽の人は忘れられる方向なのかもしれません。というわけで、今は中古でしか手に入らなようながらこの演 奏をまず挙げます。

 ケネス・ギルバートは1931年生まれのカナダのチェンバロ奏者です。カナダと言えばフランスとは縁があり、この人もフランスで学んだことがあるようです。バッハのフランス組曲は厳密なことを言わなければフランス風の曲集と言ってよいところもありますので、フランス流儀の演奏もありでしょう。フランスのクラヴサンは音は大きくなくても音色が繊細なことが多いですし、ここで使われているのもリュッカースの1636年製のものを後でちょっと手直しした歴史的逸品ということで、いい音です。これ以上倍音に尖りのないものを探そうとすると、恐らく普通のチェンバロではなくなってしまうことでしょう。いつも思うのですが、チェンバロという楽器はあまり音が鋭いと聞いていて疲れます。オンマイクだと特にそうだし、再生側ではボリュームをかなり小さくしておかないと不自然なやかましい音になります。ピアノと違って引っ掻いて音を出す楽器なので当たり前でしょうか。そ してピアノではグールド以降の速弾きも流行したけれども、チェンバロで急速に弾かれると、これまた騒音になってしまいます。ギルバートのこの演奏はそういう意味でも大変ありがたいです。概ねどの楽章もゆったりの方向で、品のいいテンポ・ルバートというのか、時代的にはそう呼ばないでしょうけれどもいわゆる時間軸での揺らがせ方に味があります。フランス趣味といっても粋なルセやブランディーヌ・ヴェルレあたりの崩し方ほど大きくは 感じないので、そういう節度も好みです。

 録音は1975年です。65年発足のこのレーベルとしては古い方に入るでしょうが、音は上述の通り満足の行くものです。



   rannoufrenchsuites
     Bach   French Suites Nos.1-6 BWV 812-817
     Blandine Rannou (hc)


バッハ / フランス組曲全曲 BWV 812-817
ブランディーヌ・ランヌー(チェンバロ)

 1966年にフランス、オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランに生まれたフランスのクラヴサン奏者、ブランディーヌ・ランヌーによる演奏です。世代としてはブランディーヌ・ヴェルレが42年、クリストフ・ルセが61年生まれで、彼女の後にはパスカル・デュブリュイユやバンジャマン・アラールらがいます。フランス系の奏者によるフランス組曲(あまり意味はありませんが)については、このランヌーのものが気に入りました。

 出だし(第1番)などを聞くと、大変ゆったりしたテンポをとっており、新しい時代のリラックスできる方向の演奏だと思わせます。全体においてそれは言えていて、他の曲もこういうテンポで進めるものが多く、歌のあるフランス組曲をじっくりと聞けて相応しいもののように思います。拍の不均等な崩しも、ピリオド奏法初期の頃のように顕著ではなく、余裕を感じます。フランス人好みの崩しという意味でも素直な方に入るでしょう。ただ、全体が皆ゆったりで行くわけではなく、コントラストをつけて活気のある速いテンポで進める楽曲もあります。そういうところもとくにがしゃがしゃとした忙しない感覚にはならず、自分の好みには合っていました。

 レーベルはアルファで、2001年の録音です。クラヴサンの音がまた大変良いです。アントヴェルペンのリュッカース工房で1636年に製作され、1763年にパリのエムシュ工房にて鍵盤拡張改造を施したモデルを、1988年にアンスニー・サイディがレプリカ製作したものだそうです。きつくない、瑞々しい響きです。録音の仕方も良いのでしょう。



INDEX