ボロディン 「中央アジアの平原にて」 「韃靼人の踊り」 リムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」 ボロディンについては優美なメロディーで有名な弦楽四重奏曲をすでに取り上げたわけですが、最も知られている曲と言えばやはり、「中央アジアの平原(草原)にて」でしょう。それと歌劇イーゴリ公からの「韃靼人の踊り」もですが。 交響詩の形のオーケストラ曲です。短いけれどもこの作曲家の性質がよく表れた、夢見るような異国情緒の、穏やかな美しさに加えて知性も覗かせる名曲です。化学の博士としても一流だったのですから技巧的な工夫に長けているのも納得です。弦楽四重奏の2番に劣らず、やっぱりどこかちょっと懐かしい響きに魅了されます。
作曲家ボロディンという人
前記事の繰り返しになりますが、やはりこの作曲家についてここでも触れておきましょう。アレクサンドル・ボロディンは1833年、ロシアのサンクトペテルブルク生まれで五十三歳で亡くなりました。ブラームスと同い年でムソルグスキーやチャイコフスキーより六、七、歳上ですからロマン派にあたりますが、ロシアの場合は「五人組」という民族主義的な作曲家として一括りにされます。当時六十二歳だったジョージア(グルジア)の貴族(イメレティア王家の王子)が二十五歳の既婚の女性との間にもうけた婚外子で、公には出来ない性質上その貴族の子供とは認知されず、ボロディンという姓を持つ実在の、その貴族の農奴の子という身分で戸籍登録されました。したがってボロディン自身はその母親のことを叔母さんと呼んでいたそうです。しかし母子には実父から四階建ての大きな家とお金が与えられていました。そんな複雑な境遇ながらも母は教育には熱心で、家庭教師をつけて勉強させました。七歳のときに奴隷の身分は解かれていたものの、平民のままなので学校(ギムナジウム)には通えなかったのです。ボロディンは大変頭が良かったので内科外科アカデミーに進み、そこで有名な化学者の下で学んで卒業すると、一時期は軍の病院で軍医としても働きました。そして学んだ知識で一流の化学者となり、「ボロディン反応」とも呼ばれるアルドール反応などを見つけるまでに至ります。したがって本職は学者であり、音楽の方は日曜作曲家という立場でした。奥さんとなる人がピアニストで、結核で危うかったもののその回復を信じて待った上で結婚したという情熱家でもあり、その奥さんの影響も加わって音楽にも情熱を注ぎました。
作曲の経緯
曲が作られた事情ですが、1880年になり、ロシアの皇帝であったアレクサンドル二世が即位二十五周年を迎 えることとなりました。当時は王政であり、ピョートル大帝で有名な、そして間もなくロシア革命によるソ連の誕生によって終焉を迎えることになるロマノフ朝の時代でした。そしてその式典の催し物の一つとして、今は廃れてしまった不思議な「タブロー・ヴィヴァン」(直訳は「生ける絵画」であり、そのまま「活人画」と訳されます) というイベントが計画されました。どういうのでしょうか、現代でもストリート・パフォーマンスとして生きた 人間が石像に扮してじっとしていて、時折目玉がぎろりと動いて人を驚かせるというのがあると思いますが、あれと同じようなもので、この場合はこの皇帝の偉業や治世にあった出来事などを描くため、背景セッ トを凝らした舞台の上にその役に合った格好をさせた役者たちを配置し、しかし静止させておく、というものです。当時は人気でした。つまり舞台の写真のようなものをそのまま展覧会で実物として見るという趣向です。ボロディンはこの出し物のサウンド・トラックというか、バックグラウンド・ミュージックの作曲を頼まれ、その結果この「中央アジアの平原にて」が生まれました。しかし実際はその出し物は中止になってしまったのでした。アレクサンドル二世は絶対王政を願ってはいたけど多国語を話す切れ者で、時代の要請を理解して農奴制を撤廃し、自由化と産業化を推し進めた人物でした。中央アジアにも進出して異民族を支配下に置き、綿工業を興すなどしたのでこの曲の活人画の題材ともなったわけです。しかしそのせいで敵も多く、爆弾による暗殺計画が発覚してイベントそのものが取りやめになったのです。実際その後、この皇帝は手投げ爆弾によって殺されています。でもありがたいことに曲そのものはお蔵入りにならず、同年の四月にリムスキー=コルサコフが指揮を買って出ることでサンクトペテルブルクのコンサートにて演奏され、以後人気を博すこととなりました。 舞台となった場所
この曲の舞台はどこでしょうか。中央アジアといえば現代では一般にユーラシア大陸の中央、カザフ・ステップやウズベキスタンなどのある辺りで、具体的にはロシアの南側でイランやアフガニスタン、パキスタンの北、東西ではカスピ海と中国の間になります。ボロディンは「中央アジアのステップ」とも述べており、また、もう一つ有名な曲である「韃靼人の踊り」の韃靼(タタール/チュルク)の地と同じように考えるなら、彼らの活動範囲は広いので漠然とその辺一帯ということになります。しかし区分的には西アジアに含まれるコーカサス地域と考えることもあるようで、曲の解説では「ロシアの軍隊に守られてコーカサスのステップを旅するアジアのキャラバン」と書かれることもあります。コーカサスは英語で白人を意味するコーケイジャンの住むところ、黒海とカスピ海の間の地域です。現在はジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンなどの国々があり、古くからキリスト教が入りました。ジョージアはボロディンの父親の国でもあります。その意味でボロディン自身にこの地域への思い入れがあったのだと考える人もいます。また、お隣りのアルメニアの民族音楽はもの悲しい響きなので、確かに曲の中のアジアの隊商のテーマとも印象が近いです。
曲の構成
曲はロシアと中央アジアの民族の出会いを描いています。それぞれを表す独自の旋律を一つずつ聞かせ、それが対位法的に混ざり合って行く(二つの別のメロディーが重なるとハーモニーになる)という高度な技を使っています。ロシアの軍隊とアジアのキャラバンが荒野の中をすれ違って行く風景なのだという説明がどこかに書いてあったので以前から長いことそう信じて来たけど、どうやらそういうことではないみたいです。ロシアが進出して来て(治めて)いる中央アジアのステップの中を、現地人のキャラバンが通り過ぎて行く過程で二つの文化が交わる、ということのようです。したがって最初と最後はロシアの旋律です。積極的に忖度したとも言えないだろうけど、皇帝の偉業を称えるイベント用なのだから当然でしょうか。弦のピツィカートはとぼとぼと歩いて行く馬や駱駝の蹄の音です。ボロディン自身は曲について楽譜ノートでこんな風に述べています: 起伏のない中央アジアのステップの静寂の中に、似つかわしくないロシアの歌の平穏な音が聞こえている。遠くから馬や駱駝たちが近づいて来て、そこに東洋のメロディーの一風変わった物悲しい音色が響く。ロシアの兵士たちに守られた隊商がやって来るのだ。そして広大な砂漠を抜けて行くその旅は安全に続けられて行く。徐々に隊商は遠ざかって行く。ロシアとアジアのメロディーは溶け合って一つのハーモニーとなり、キャラバンが遠くに消えて行くにつれ、段々に聞こえなくなって行く。
Borodin Les Dances polovtsiennes & Dans les steppes de l'Asie Centrale Rimski-Korsakov Sheherazade Jos Van Immerseel Anima Eterna ♥♥ ボロディン / 交響詩「中央アジアの平原にて」・「韃靼(だったん)人の踊り」 リムスキー=コルサコフ / 交響組曲「シェヘラザード」 ヨス・ファン・インマゼール / アニマ・エテルナ ♥♥ 気に入っている録音が一つあります。「中央アジアの平原にて」と「韃靼人の踊り」の両方が聞けて、リムスキー=コルサコフの名曲、「シェヘラザード」もカップリングされています。イーゴリ公の中の他の曲に賑やかなのが少し混じってるけれど、通しでかけていい感じです。インマゼールが引率するベルギーのオリジナル楽器によるオーケストラ、アニマ・エテルナによる演奏です。この楽団についてはいくつか取り上げていますが、ここでもその明澄な響きと清潔な表現で、曲の元来の美しさを引き出しています。ロマン派以降のオーケストラ曲だからといってダイナミックレンジの大きな、劇的な表現を好むわけではない人にとってはありがたい演奏でしょう。女性原理を体現した楽団、とでも言いましょうか。 ただ、魅力的なラヴェルなんかの演奏でもそうだけど、こうした時代の楽曲についてオリジナル楽器でやる意味がどこにあるのかは、よく分からない気もします。ビブラートはもっと後になって慣例化したものなので、それがない演奏の方が本来の姿なのかもしれません。でも楽器となるともはやモダンに近いわけで、わざわざこだわる理由が分からないのです。それでも音を聞いてしまうと納得するところはあります。大変きれいです。この楽団については、その澄んだ音色は人数が少ないせいだと今までは言えたわけだけど、どうも人数だけの問題でもないようです。透明な空気の中にくっきりと輪郭が現れるような音。モダン・オーケストラにはない味わいです。 シェヘラザード
カップリングされている、というかそちらがメインなのかもしれませんが、「シェヘラザード」の方はリムスキー・コルサコフの親しみやすい名曲で、イランの千夜一夜物語に題材を取ったものです。暴君が元妻の行いから女性一般への恨みを募らせ、次々と新しい女と結婚して処女を奪い、夜が明けると殺していた・・・男性原理に傾 いた人類が、長い歴史にわたって女性に加えて来た暴力と搾取を象徴するようなお話です。そしてその王の蛮行を知った上で名乗り出たのがシェヘラザード嬢でした。彼女は王の夜の行いを受けることにし、そこで面白いお話を 王に話して聞かせます。王がその話に夢中になっていると夜が明け、続きを聞きたくなった王は処刑を思いとどまり、次の日も次の日も話を聞くことになる。そして蛮行は次第に正されて行く、そういう内容です。男性原理というのはアダムが善悪の木の実を食べた後に身に付けた自我理性の一局面です。現在は地球環境の面から見てもその暗黒面を超えて行くことが求められているのだと思います。その際、女性の方が有能だという人もいます。母性原理が取り戻されるべきなのでしょう。そんな物語としてシェヘラザードを捉えるのも面白い気がします。
このシェヘラザードについては他にもチェリビダッケの録音・演奏ともに優れた盤がありますが、やはりアニマ・エテルナとインマゼールの演奏は飛び抜けて魅力的です。ソロをとっているのはコンサート・マスターのミドリ・ザイラーです。日本で育った人ではないので日系だからといって肩入れは出来ないことでしょう。また、フォーレのところで触れたアキラ・エグチ同様、日本で有名なのかどうかも分かりません。でもすばらしい演奏です。 2004年の録音で、大変良い音です。この楽団の快進撃、止まらないようです。「進撃」だなんて、男性原理の言葉でした。 Borodin In the Steppes of Central Asia Symphony No.2 Kurt Sanderling Staatskapelle Dresden ♥♥ ボロディン / 交響詩「中央アジアの平原にて」 クルト・ザンデルリンク / シュターツカペレ・ドレスデン ♥♥ 「中央アジアの平原(草原) にて」についてはザンデルリンクの演奏も良かったです。こちらは録音はより古く、ステレオ初期の61年ながら、インマゼール盤とはまた違った味わいがあります。その録音年代から若干弦に薄い響きがあり、フォルテでの硬さも多少感じますが、気になるほどではありません。出だしでは第一ヴァイオリンの持続するヒーンという E6 の響きが pp にもかかわらずはっきりと聞こえ、乾いた草原でどこまでも見渡せる様子が感じられるようです。そして表現は大仰ではないながら抑揚がしっかりとしており、端正なインマゼール盤に比べてボルテージも高くて揺さぶられる感覚があります。いい意味での緊張感があるのです。そうした張り詰めた空気感が感じられる一方、静かな歌の部分では一段ゆっくりになるほどじっくりと歌い込みます。そして盛り上がりから消えて行くところまで一貫して緩みのない演奏になっています。 広大な自然の中で次々と繰り返される個々の人間の営みがいかに小さく幻影的でしかないのか、それでいて愛おしいのかを感じさせてくれる音楽です。 オリジナル録音でのカップリングは第2交響曲とチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」でしたが、組み替え盤もいくつか出ています。オリジナル盤はドイツとフランスから買えはするものの、安く日本に送ってはくれないので、ヘルベルト・ケーゲルの演奏した「韃靼人の踊り」と合わさった組み替え盤をここでは取り上げました。第2交響曲の方も、他の演奏で聞かれるような息のつけない表現にはなってなくて良いと思いますので、オリジナル盤が安定供給されるようになってほしいです。各サブスクのサイトにはあるので問題ないでしょうか。 |