ムソルグスキー / 展覧会の絵 クラシック入門曲 5-1 取り上げる CD(展覧会の絵) 9枚: ウンジャン/ライナー/デュトワ/ゲルギエフ/ラトル/カラヤン/チェリビダッケ/ヤンソンス/ジュリーニ この「展覧会の絵」のページは当初、「禿山の一夜」と合わせて一つの記事でしたが、分けて整理しました。 ムソルグスキー / 禿山の一夜はこちら ムソルグスキーといえば、オペラばかり作ろうと努力して一曲だけ完 成を見たというもの以外では「展覧会の絵」と「禿山の一夜」が有名というところでしょうか。チャイコフスキーより一つ、リムスキー=コルサコフより五つ年上の作曲家で、ラトビ アと隣り合ったロシアの西端に生まれ、「ロシア五人組」という国民楽派に分類されるのですが、郷土愛の話はもうしたからいいでしょう。作風の上でロシアっぽいワイルドなところがあるとは言われるわけですが。ではこの作曲家、どんな顔かということになると、写真は残っているものの絵の方が有名でしょう。髪がほつれていてちょっと怖い目の、狂気とも病気ともとれるイリヤ・レーピンの肖像画です。それもそのはずで、死の十一日前の病室での様子だそうであり、続けて起こった心臓発作で亡くなっているのです。アルコール依存でした。ロシアといえば日本と肩を並べる自殺率とアルコール中毒の国。理由は考えても答えは出ないからやめておきますが、ムソルグスキーの場合お酒を飲み出したのは作品が受け入れられなかったことと、近しい人が相次いで亡くなったことに関 係があるとされます。気の毒に、絵は希望をなくしているように見えます。 「展覧会の絵」は四十二年の生涯のうち、亡くなる六年前に完成させたピアノ曲であり、作品としては二十代でキャリアの初めの頃だった「禿山の一夜」の八年後です。その後色々な人がオーケストラ曲に編曲しましたが、オーケストラの魔術 師ラヴェルのものが最も有名で、それによって曲の方も有名になりました。ラヴェルは原典版の楽譜が欲しかったけれども結局リムスキー=コルサコフが編曲したピアノ曲からオーケストレーションしたようで、だから原典版によるピアノ演奏こそがこの作曲家らしいという考えもあるようです。しかし最も有名で広く聞かれている点と、ここではクラシック音楽の入門曲をご紹介するということで、華やかなラヴェルのオーケストラ版のみを取り上げます。まさに入門にはうってつけの様々な音が満喫できる楽しい作品です。 もちろん他の版との聞き比べも楽しいでしょう。レオポルド・ストコフスキー版については次の「禿山の一夜」の項で一枚だけ挙げています。他にもロック・バンドのエマーソン・レイク・アンド・パーマーが取り上げた演奏も有名です。空っぽの額縁が並ぶジャケット・デザインはその後の「展覧会の絵」用として様々にアレンジされて定番画像にもなりました。元々クラシックを取り入れることで有名なバンドでしたが、生粋のクラシック音楽ファンにはアルバム「ワークス」に入っているキース・エマーソンのピアノ協奏曲第1番の方が馴染めるかもしれません。本人が弾く黒い装丁の LP が懐かしいですが、ナクソスからはジェフリー・ビーゲルのピアノによるキースの追悼版(2016没)も出ています。 曲は展覧会で絵を見たときの印象を音楽にした形になっています。その元になったのは若くして亡くなった友人の作品展でした。ハルトマンという建築家であり画家でもあった人の遺作展がサンクトペテルブルクであったのです。ムソルグスキーはその友人の死に大変がっかりして落ち込んだようです。そしてその展覧会に行った半年後になってこの作品を完成させています。 十枚の絵の一枚一枚の印象をスケッチするという格好であるため、実際の絵はどん なだったのか誰しもが知りたいと思うところです。それについては確実にこの絵ということが分からないものもあるものの、類推も含めて画像と解説を載せているサイトがたくさんありますので、ぜひそちらをご覧になってください。それぞれの絵に対する楽曲解説もそんなページにお任せです。また、一つひとつの 絵の間を歩き回って見ている本人の足取りを音に したものが各絵の描写の間にプロムナードとして挟まっており、その旋律は大変有名です。 CD については、これほど親しみやすい曲なのですから、我慢して音の悪いのやモノラルを聞いて神が舞い降りたなどと言うものでもない気はします。また、演奏として幾分神がかってるとすればチェリビダッケ盤などがあるものの、よほど棒のように楽譜通りだったり、反対にあざとかったり、アンサンブルがまずかったり(滅多にありません)でない限り、きれいな音だったら案外どの演奏でも楽しめてしまいます。実際に出来の良いものが多いので♡のサインはあまり意味を持たず、あくまでも好みの色を言ったに過ぎません。そのフィルターの色を申し上げておく必要があるならば、ムソルグスキーをロシアらしいワイルドな作風の人として捉えるのは正しいとしても、どうもカトラリーの引き出しをひっくり返したような音は苦手であり、苦労して探し出した原典版スコアによる もの(アバドが造詣が深いです)よりも流通してるリムスキー=コルサコフ版(展覧会の絵はピアノ版、禿山の一夜は オーケストラ版)やラヴェル編の方がいいんじゃないかと感じています。あるいは本当はこの曲、ラヴェルを聞いてるのかな、などと思わなくもありません。そんなわけで、客観的な評価軸ならここで取り上げたものはどれも♡♡になると思います。 Portraits tso Live Mussorgsky Pictures at an Exhibition Peter Oundjan Toronto Symphony Orchestra ♥♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 ピーター・ウンジャン / トロント交響楽団 ♥♥ まずはすでに取り上げていた一枚から。といってもエルガーのニムロッド のベージ でのことで、展覧会の絵がカップリングだということは本文の中でちょろっと言っただけでした。でもここでこの盤を挙げるのはどうかとも思います。マイナー 過ぎるからです。というよりも、2007年の録音で TSO の自前レーベルということもあり、どうも今や探し難い状況のようだからです。カナダ・アマゾンにすら発見できず、わずかに eBay のみでした。でもニムロッドは最高の演奏だったし、この展覧会の絵も他にいいものがある中でもベストの一つには間違いないしで、残念です。ストリーミングなら聞けます。 ウンジャンという人は知っている人にはお馴染みの、東京カルテットのリーダーだったヴァイオリニストです。肘の故障で指揮者に転じました。四重奏のときと同等以上にその個性を指揮でも音に出来ている稀有なアーティストだ と思います。楽曲への深い理解から来る穏やかさ、誠実さが特徴です。 この曲では出だしのプロムナードからそうですが、どちらかと言えば軽快 なテンポ をとっていながらはっきりめの抑揚があり、テンポも動かしていて力強さが感じられます。それでいて無用に吠えるところは一切なく、よく配慮された丁寧な音の扱いです。卵の殻を付けたひよこの踊りは十分ひょこひょこしてますし、弱音の表情は豊かであり、音の延ばしが大変きれいです。真摯な情熱があってデリケートなウンジャン、あまり話題になりませんが音楽の掴み方がやっぱりいいです。 ライヴ・レコーディングながら音も大変良く、生の楽器のバランスを感じさせます。拍手が最後の楽音に被らないのもうれしいです。一瞬後に感激した拍手とおお、という声が渦のように巻き起こります。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Fritz Reiner Chicago Symphony Orchestra ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団 アメリカでは人気ナンバーワンではないかという演奏です。販売サイトでの書き込み数が一桁多いのです。明晰にして細部まで統率が取れ、力があってダイナミックです。このフリッツ・ライナーもまた昔からのファンや詳しい人以外にはあまり馴染みのない名前かもしれませんが、正確さを誇りとするシカゴ交響楽団を今日のように鍛え上げた最初の人で、任期は1953年から62年、ショルティの前の前の音楽監督でした。そのショルティやオーマンディ、ジョージ・セルなどと同じハンガリー出身のユダヤ系で、人物評としてはよく怒る人であり、あちこちで対立を引き起こしていたなどと言われます。心臓系疾患を持っていて典型的なタイプA に入りそうです。音楽に関しては完璧主義者で要求度が高く、もしヴィルトゥオーソという言葉がオーケストラ演奏にあるとしたら、この人のオーケストラに相応しいでしょう。厳しく歯切れのあるその音にはトスカニーニやセル、ショルティなどと近い雰囲気がある気もします。 この「展覧会の絵」はきびきびと小気味良いリズムでメリハリが効いてお り、緊張感のある大変優れた演奏だと思います。音楽に迫力を求めているならファースト・チョイスであり、元々打楽器奏者だったのでティンパニなどの切れの良さには目を見張るものがあります。それでいて静かで抑えた音の緊張感と美しさも一流で、実に爽やかな歌を聞かせます。どの部分をとっても正に適切な表現と言うほかはないでしょう。 録音は1957年で古いですが、そのことは無視してよいと思います。大変優れた録音なのです。こういうことは技術が進んでいて技師のセンスも良かったアメリカ RCA のステレオ初期にままあるようですが、最新録音の超優秀バランスとまでは言わないにせよ、この時期とは全く思えないものであり、普通に聞いたら最近のものと間違えて感心してしまうかもしれません。二世代後のショルティと比べても全然大丈夫です。リマスターもされており、したがってこのライナーも「第一候補の音」と言ってよいです。 もちろん歯切れの良い痛快な演奏を求めるなら、後任のそのショルティ/シカゴ交 響楽団の盤もいいでしょう。速いばかりではないですが、隅々までびしっと揃ってエッジが立っている印象です。楽器演奏に携わっておられるのか、シカゴについては事情通の方がプレイヤーの名を挙げて褒める例もあるようですが、それぞれ誰が吹いたり叩いたりしているのかは分かりません。1980年のくっきりしたデッカ録音です。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Charles Dutoit Montreal Symphony Orchestra ♥♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 シャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団 ♥♥ ライナーとはちょうど反対の人柄を思わせる演奏です。でも人となりと言えば デュトワも #meetoo 方面で一時期騒がれました。こういう話はあまり聞きたくもないし話題にするのもなんだかですが、よくよく耳にするこの手の問題、いったいどういうことなんでしょう。有名になる人はそちら方面のエネルギーも強いからか、ちやほやされてるうちに相手のサインを読み間違えるのか。ラテン系の人の中には口説くのが礼儀と思ってる御仁もおられるわけで、その延長もあればもっとひどい話もあるでしょう。お金が動くなら訴え甲斐もあるだろうし、便宜の交換条件があったのなら受けた方も悪いものの、常に真相は分かりません。とにかく昔はそんなハラスメントはいっぱいあったから大したことないという問題でないことだけは確かです。 しかしデュトワの演奏は「惑星」にしてもこれにしても、大変きれいです。スイスの人ですがフランス的と言われることもあり、前述のウンジャン/トロント響の洗練と似たところもあります(トロントは英語圏ながら)。「展覧会の絵」ではプロムナードなどを軽快なテンポでやっている一方、それがメリハリを付ける手というわけでもなく、案外全体にはゆったりめで丁寧に歌を付けて行き ます。はったりがなく、ファニーなパートさえ美しくなるのです。ロシアの野性味があふれると評されるものよりはリムスキー=コルサコフ→ラヴェル編に相応しい 演奏と言えるでしょうか。力強いところも静かなところも磨き抜かれた完璧な演奏です。この人については結構どの曲でも褒めて来たので、いっそこれだけ挙げておけばと言われそうですが、総合的に見て「展覧会の絵」の演奏の中でもベストの一つでしょう。日本ではさほどでなくても世界的には評価の高い人であり、特定のスター演奏家などにこだわりがない入門者ならばこれをお勧めします。 1985年の録音はデッカで大変素晴らしく、低音も下まで伸び、弦も木 管もきれいな音で金管にも艶があります。カップリングはリムスキー=コルサコフ編の「禿山の一夜」で、その曲に関してもこのデュトワ盤が聞きやすくまとまっていて過不足がなく、走らないしやかまし過ぎないので自分が聞くならこれという感じです。夜明けは最も美しいと思います。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Valery Gergiev Wiener Philharmoniker ♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 ワレリー・ゲルギエフ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥ デュトワ盤と同じく音響的に大変満足の行くもので、2000年以降の録音の中では人気を誇る演奏です。ロシア人の「展覧会の絵」という点もあるのだと思います。細部にまでよく神経が行き届いた抑揚がついている点ではデュトワ盤と同じですが、波長は異なっており、やり過ぎまで行かない中で、強い表現と小声なところとのダイナミック・レンジが広いです。アゴーギク(テンポ)面での強調も大きめで、走るところもあります。出るところは出て引っ込むところは引っ込む、ツボを押さえてコントロールされた大変見事な演奏だと思います。 しかしゲル ギエフの演奏が「野蛮なまでの大迫力」などと騒がれたり、感情的に入れ上げて評されている状況は正直よく理解できません。そんなにワイルドな人なのでしょうか。確かにロシアの演奏家がコンテストで豪放に弾かねばならなくて苦労した話とかも実際あったようですが、ボロディンみたいな人だっています。男よ強くあれという期待ならアメリカだって韓国だって同じでしょう。演奏に おいてはどんな音をロシアの土臭さと言うのでしょうか。 ここでの「展覧会の絵」の演奏は洗練されていると言ってもいいでしょう。2014年に出したマリインス キー歌劇場管弦楽団(サンクトペテルブルクにあり、ムソルグスキーが唯一完成させたオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」が初演された由緒ある劇場の所属)との新盤の方が表現がやや大きめな気もしますが(より迫力を求めたいという方はそちらの方がいいかもしれません)、それとて基本は変わってないと思います。個人的には特に好んで聞いてきたわけでは ないのでこの人についてはよく理解してないかもしれませんが、このウィーン・フィル盤の方が多少さらっとした表現で弱音が生かされ、音がやわらかく聞こえます。世界一ともされる伝統的オーケストラの音は魅力的です。それは一音への入りと出が真っ直ぐではなく、楽音としてあるべき膨らみが持たされて消えて行くもので、風情というのか、音に景色があります。最後の「キエフの門」などの遅く直截な強調を迫力と捉えるなら迫力も十分です。 ウィーン・フィルのふくよかな音と力強さが合わさり、どこにも気の抜けたところがない表情豊かなゲルギエフの展覧会の絵、デュトワ盤と並んでクラシックの管弦楽の楽しさを知るには最適な一枚ではないでしょうか。 2000年のデッカの録音です。前述の通り大変優秀な録音です。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Simon Rattle Berliner Philharmoniker ♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 サイモン・ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥ これこそ誰が聞いてもよく出来たベスト・バイな一枚でしょう。この曲最善と言っても良い優秀録音と表現豊かな演奏です。あのサイモン・ラトルと、前述のウィーン・フィルと並んでインターナショナルな方向の技術的水準では世界最高とも言われるベルリン・フィルです。ゲルギエフのようなロシア人でなくてもよくてメリハリのついた演奏をお探しならこの盤でしょう。ラトルとしては他の曲以上に思い切った抑揚を付けています。この曲の性格からわざと狙ったのでしょうか。ウンジャンのテンポの動かし方よりはっきりしていて、元々巧者な指揮者ではあ るものの作為とまでは行かないぎりぎりまで楽しませてくれます。ゲルギエフの「リモージュの市場」でのように駆け足になる方向にではなく、どちらかというと弱音と遅くする方に幅を広げており、大変荘重にやっているなという部分があったり、間もすごく空けてるな、というところがあったりする表現の大きさです。そんな部分では歌わせ方も大変情感があります。かなりあざといと思う方もおられるかもしれませんが、曲に相応しくて私は嫌味には感じませんでした。計算して出している効果だと思います。 2007年 EMI の録音がまた大変良いのです。他のところではこのレーベルが新しいものであってもやや精彩に欠けることもあるように申し上げましたが、この展覧会の絵に関してはむしろ他のレーベルの最近の平均値を上回ってバランスが取れています。これなら前述のように B&W などのスピーカーで聞かななくてもハイが寂しくなりません。色彩豊かで艶もあり、それでいてやかましくならない自然なバランスで弦がきれいに鳴り、オーケ ストラ本来のやわらかさが出ています。レンジが広くて分解能も高く、低音も下までよく伸びています。ライヴながら拍手も切られており、スタジオ録音を上回るクオリティかもしれません。ベルリン・フィル時代のラトルの録音としては演奏も含めて最も充実した一枚だと言えるでしょう。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker ♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1965)♥ カラヤン好きの人にはやっぱりカラヤンでしょう。古くからの定番演奏です。すでにモルダウやフィンランディア、惑星でも浄夜でも言及してきて傾向は同じなので詳述はしませんが、この展覧会の絵も何度も録音しており、その中で CD としてよく取り上げられるものは三つあります。この1965年盤、デジタルになってからの86年盤、そして来日ライヴの88年盤です。この曲に関しては70年代のスタジオ録音とウィーン・フィルとの80年代盤は存在しません。そしてこの三つの中で86年の新盤は他のところでの説明と同じく楽団との関係という理由で、ダイナミック・レンジが大きくて形は真っ直ぐ整っていても、もう一つ内側からの音楽をする喜びが感じ難いことで外し、また88年のライヴの方は、この曲の持つ色彩的で華やかな性質に対してはセッション録音の方がより相応しいだろうという点で除外させていただきました。 ステレオ初期の65年盤については磨き抜かれた感触の大変見事な演奏です。きれいに、スムーズに均された上でしっかりとした抑揚がつけられているのは「フィンランディア」とも共通しますが、面白いことに力強くも即物的ではなく適度に重さのあるこの音、心地良い湿度のある響きは、どんなに揃っていてもアメリカのオーケストラとは違って欧州独特のものだという気がしました。ゲルギエフの ウィーン・フィルについてもそんなことを言いましたが、国際的なベルリン・フィルですら、カラヤンのこの時代はそうだったのだと感じます。最近はその違いがはっきり分からなくなってきているものの、それがカラヤンの狙いと一体となり、歯切れ良さよりもトータルの音のスムーズさ、弱い音での均質で滑らかなレガートに特徴が出ている演奏となっています。この時代の彼の一つの形であったスピーディさは狙わずテンポは遅い部類に入りますが、生きた表情の細やかさがあってカラヤン一流のきれいさが最も理想的な形で出たものです。今もって「展覧会の絵」のベストの一つに違いありません。 録音がまた見事です。どっしりした方向ではないものの60年代によく あった薄っぺらい音にはならず、フォルテで金管などにやや華やかな輝きが乗る以外はドイツ・グラモフォンながら弦の音も硬くなることはありません。木管の艶とやわらかさも 感じられます。元のバランスが良かったのでしょう、OIBP のリマスターも大変上手く行っています。新しい録音と比較しても全然引けを取らないと言えます。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Sergiu Celibidache Munchner Philharmoniker ♥♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ♥♥ これはちょっと驚きの演奏です。曲を聞いたことがなければ驚きも何もな いですし、入門者に勧めるには適さないというわけでもないのですが、変わり種であることは間違いありません。私的には最近のヤンソンス/バイエルン響と並んで「展覧会の絵」のベストであり、これがあれば十分と思ってた時期もありました。 チェリビダッケのチェリビダッケらしさとして禅に凝ってた話は「モルダ ウ」のところでしてしまいました。例によってこの指揮者の晩年の大変遅いテンポで進められていますが、遅 いといってもべったり全部遅いのではなくて、相対的にかなり速める表現も使います。走るところもあります。そういう意味で抑揚はしっかりとあります。というよりも、全ての楽音、音の配置が吟味し尽くされているというところでしょうか。葬送トランペットのような出だしからして、もはや表題音楽ではないのでしょう。 チェリビダッケはこの曲に何を見ているのか、あるいは何も見ない無の境地から全てが見えるのでしょうか。しっとりとした味わいがあって広大さが感じられま す。これがスコアに表された音を全て分解して味わい尽くそうという意図であるならば、ジュリーニのアプローチと比べてみるのも面白いかもしれません。それにしてもキエフの門でのこの壮大なラストは何を言ってるのでしょうか? 異次元へと旅立ってしまいます。 ガスタイク・ホールでの1993年のライヴ収録で、この EMI のシリーズの他の録音と同様大変優れて生の感覚を味わえる優秀録音です。86年の東京でのライヴ盤も出ていますが、音としてはバランス上はこちらだと思い ました。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Mariss Jansons Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks ♥♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団 ♥♥ 展覧会の絵として一押しです。チェリビダッケで満足していたところに新たに出てきて驚かされ、最も感銘を受けた二つのうちの一つとなった演奏です。ヤンソンスはロシア系の人だからロシアものがいいとか、そういうことではありません。 ロシア的土臭さが具体的にどういうものであるかは分からないとも申し上げましたが、もはや紛う方なき世界のトップレベルの人であり、ストレートでワイルドというのとは反対に、洗練とも言えるほど呼吸として音を自分のものにしています。大仰にも繊細にも傾かず、暗譜してるかどうかは知りませんが、楽曲全てを把握した上で音の中に深く入り込んで行き、余裕をもって楽しんでいるかのようです。 そして、これほど表情のあるものもないでしょう。音楽が生きて立ち上が りそうなほどなのに、作為が鼻につくところが微塵もありません。具体的には音符ごとにふわっと丸く膨らますようなやわらかい抑揚があったり(まるでウィーン・フィルでしょうか)、ポルタメント的に音をずらしながらつなげるような表情が聞かれたりします。裏の楽音や動機を強調して、楽譜にこんな音があったのかと新しさに感心させられるところもあります。いたるところに音の出し方の工夫がありつつそれが自然に流れ、音に乗っている喜びが感じられるのです。技ありのラトルよりさらに技を感じないと言ってもいいでしょうか。古城のジャジーにスレたサックスの音がそれらしく響き、サミュエル・ゴールデンベルクの表情の面白いこと。カタコンベの不気味で荒々しい迫力。チェリビダッケがあらゆる音を純化する方向で曲を裸にするとしたら、ヤンソンスはあらゆる表情を用いながら隠されたニュアンスを引き出します。テンポも生き物のように自在に動かしますが、これも自然に変化するので受けを狙って劇的にやろうとしているようには感じられません。リズム感も良くて乗れますし、弱音には心の静けさが感じられます。ベタ誉めになってしまいましたが、これほど高度に練られた有機的な演奏は他の人では聞いたことがないのです。この曲の新しいスタンダードでしょう。終わりでは拍手がほぼ被らず、少し遅れて呆然とした歓声が上がります。 (マリス・ヤンソンス氏は2019年11月30日、心不全により76歳で逝去されました。) 2014年のヘラクレス・ザールでの収録で、優秀録音です。自然なやわらかさがあり、弦の音も理想的。木管も艶があり、低音も豊かできめの細かいシンバルも上まで伸びています。大太鼓の予想外な爆音に一瞬他の楽音が持って行かれる箇所が一、二箇所あるものの分解能も高く、ブラスもきれいに響きます。カップリングはストラヴィンスキーのペトルーシュカ。これもブーレーズよりも乗れる演奏でした。 ヤンソンスはこの録音の6年前、2008年にもロイヤル・コンセルトヘボウ管と 「展覧会の絵」をやっていました。それも良い演奏です。それだけ聞いたらこの曲のベストかもしれませんが、新盤と比べるとより端正であり、あそこまでの自 在さとあらゆる花がいっせいに咲き乱れたような表情はないかもしれません。ゆったりとして平静寄りな分、音の形としての完成度は高いでしょう。古城ではファゴットに溶け込むサックスの音色も整っていてクラシック音楽的なきれいさです。録音は両方とも優秀でバランス的にはどちらが良いとも言えないものの、バイエルンの方がやわらかい生っぽさに魅力があり、コンセルトヘボウはよりくっきり透明です。拍手は最後の楽音に被ります。 Mussorgsky Pictures at an Exhibition Carlo Maria Giulini Chicago Symphony Orchestra ♥ ムソルグスキー / 組曲「展覧会の絵」 カルロ・マリア・ジュリーニ / シカゴ交響楽団 ♥ ジュリーニという選択もあります。特に日本では熱烈なファンのいる指揮者で、しかもこの「展覧会の絵」は彼の最も得意とするレパートリーであり、シカゴ響との録音は昔から名盤とされて来ました。実際に素晴らしい演奏だと思います。これが好きな人にとっては、同じようにゆったりなところのあるデュトワ盤では付いた抑揚がきれい過ぎてだめかもしれません。また、やはり同じくゆったりしたテンポで楽音の一つひとつを丁寧に掘り起こしていく演奏としてチェリビダッケ盤と比べてみると面白いのではとも申し上げました。でもその両者は似て非なる ものである気がします。 ジュリーニにはある種の生真面目さが感じられます。それは一つには音を 一定の音量でスラーで続けて行くところ、旋律に細かな波を付けずに真っ直ぐ展開するところから感じられる面もあるでしょう。曲やパートによっては滑らかに磨かれた 歌うような抑揚を付ける場合もありますが、その際も弱音の中でデリケートな強弱差によって変化をつけて行くデュトワ風のものというよりも、大きくて波のように膨らむ、比較的ゆったりしたものである場合が多い気がします。そしてそれと同時にリズムががっちりとしているのが生真面目さを印象づける二つ目のポイントです。イタリア人でありながら彼がドイツ的と言われる理由かもしれません。この二つの特徴、つながった音で滑らかに進行する旋律線と、一拍ずつくっきりしているリズム、そしてそれに加えて基本は遅くて走ったりしない丁寧さが持ち味です。決してはったりのない人です。チェリビダッケほど極端に遅くはなく、スコアの音全てに光を当てるためにそうしてはいるけど、遅い中から壮大さを覗かせようという意図があるわけでもないのでしょう。ヤンソンスのような遊び心や軽さを期待するのも違います。したがってある種の完璧さ、立派な建築を仰ぎ見るような感覚があり、それが好きな人はジュリーニでなくてはならないのでしょう。この「展覧会の絵」では打楽器の切れが良いところもポイントかもしれません。 1976年ドイツ・グラモフォンのアナログ録音ですが、これは大変優秀です。潤いは十分ながらやわらかナチュラル系ではなく、張りと輝きのあるブラスに切れの良いティンパニ、くっきりしつつさらっとしたテクスチュアの弦という感じで す。でも乾き過ぎないし、多少硬質ながらきれいな艶も感じられます。低音のものものしさも出ています。 ジュリーニはその後90年にベルリン・フィルとイエス・キリスト教会で 再録音もしています。レーベルはソニー・クラシカルです。シカゴ響盤ほど世間で言及されてないのは何が理由なのか、演奏としては同じように大変立派なものです。ダイナミックさより静けさ、弱音の磨きの方に少し寄っているでしょうか。面白いことにベルリン・フィルでこの教会ながらシカゴ響盤の音にもいくらか似たところのある録音で、くっきりしています。やや高域の張りが感じられ、弦もやわらかいというよりはシャープな感じが強く、ブラスにも細くて硬質な艶が出ます。シカゴ響盤と音質の面ではどちらが上とも言えません。 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ これ以外にも良い演奏はたくさん出ており、最初に述べたようにどれを聞いても楽しめます。例えば人気があるところではアバド/ベルリン・フィル盤があり、丁寧に表現されて いてこれぞアバドというところは感じ難いかもしれませんが、完成された美があり、静かな旋律には歌も聞けます。ドイツ・グラモフォン1993年のライヴ録音は弦がややさらっとしていて薄手に響き、全体に乾いた方向で 少しだけクール、いかにも DG らしい音と言えるでしょうか。水準は高いと思います。この盤では原典版の「禿山の一夜」が聞けます(同曲のピアノ版とのカップリングになった日本盤もあります)。 若手のドゥダメルもウィーン・フィルと2016年にドイツ・グラモフォ ンから出しており、どんな派手な演出が聞けるのかと期待していると、表情はしっかりあるものの驚くことはない大変オーソドックスな演奏であり、他の曲でのパフォー マンスを知っていると拍子抜けするぐらい普通に思えるかもしれません。しかしその方が良い方も多いでしょう。デジタル最新の録音もこのレーベルらしく、やはりさらっとした音の弦で色彩感豊かという方向ではなく、少なめの残響で細部まで描き出します。一般にウィーン・フィルに期待されるような音響ではないか もしれませんが、初めて聞くのにも相応しい完成度の高い「展覧会の絵」だと思います。 より新しく、2019年録音で出たフランソワ=グザヴィエ・ロト/レ・シエクル盤(ハルモニア・ムンディ)は毎度ながら大変面白い企画です。全ての楽器を初演当時のピリオド楽器で揃えて鳴らし、その時空へとタイムスリップしようとい う趣向なのです。わくわくする遊びです。「展覧会の絵」の初演は1922年のパリ・オペラ座で、元々が大富豪の娘さんと結婚したクーセヴィツキーがオーケ ストラ編曲をラヴェルに依頼したという経緯で出来上がった曲ですから、そのユダヤ系ロシア人である指揮者、セルゲイ・クーセヴィツキーが指揮棒をとりました。どんな 初演でもそのときの演奏者の個性は現れるものだと思います。初演当時と全く同じ解釈だったかどうかはともかくとしてクーセヴィツキーはその後の1930年にこの曲の録音を残していますから、どうせそこまでやるんだったら、いっそのことその録音をコンピューターに取り込んで一拍ごとに指揮棒の動きとしてグラフィック化し、強弱のバーグラフも付けて大画面に映し出して楽団に演奏させれば面白かったのではないかと思います。場所もオペラ座で。というのもそのクーセヴィツキーとこの盤の演奏とは波長が全く異なるからです。ロトの解釈は力強く、フリッツ・ライナーほどアグレッシブではなくテンポもまくらないにせよ、揮発性の高いストレートな熱演です。もちろんそちらの方が良い人が多いであろう名演奏であり、録音も大変明晰です。 INDEX |