ラフマニノフの「ラプソディ」
(パガニーニの主題による狂詩曲〜) この「ラプソディ」のページは当初、ピアノ協奏曲第2番と合わせて一つの記事でしたが、整理のために分けました。 ピアノ協奏曲第2番はこちら 2番の協奏曲と並んで映画に使われ、まさにロマンス映画にぴったりの美しい旋律を持つもう一つの名曲です。これに匹敵する旋律というとあとは交響曲第2番の第三楽章と、歌曲ベースに色々な楽器用に編曲されるヴォーカリーズぐらいでしょ うか。 タイトルの狂詩曲というのは、ラプソディーの訳です。この曲は「ラフマニノフのラプソディ」として知られています。でもそれは 25の変奏曲から成る25分ほどの全体の中のたった3分ほどである、第18曲を指すことがほとんどです。 では使われたのはどんな映画でしょうか。それはスーパーマ ンの役で人気があったクリストファー・リーヴ主演の「ある日どこかで」Somewhere in Time 1980 です。古いけれども今なおカルト的人気を誇ります。リーヴは落馬事故で脊椎を損傷し、闘病生活九年後に亡くなりましたので「スーパーマ ン・カース(呪い)」として役者たちから恐れられ、その後十年以上にわたってスーパーマン役を演じる者がいなくなるという事態を引き起こしました。大変頭 の良い人で、不屈の闘病生活とそれを支える家族について書いた著書「ナッシング・イズ・インポッシブル」では役者らしからぬ語彙を駆使して格調高く医療の 現状にまで言及しています。映画以上に愛の物語かもしれません。 映画の話の筋は SF 小説ベースなので荒唐無稽な設定かもしれませんが、主人公の男性が68年前の世界にタイムスリップするという恋愛劇です。たまたま泊まったホテルに掛かっ ていた古い女性の写真に一目惚れしたリチャード(クリストファー・リーヴ)はどうしてもその女性に会いたくなり、自分の大学の教授が体験したという時間旅 行の話を聞いて決意します。その時代の衣装をスーツから帽子まで用意し、当時のコインも買ってポケットに忍ばせ、ホテルのベッドに横になって自己催眠をか けます。タイム・マシンも時空の裂け目も必要なく、それだけで体ごと過去の世界へ行けてしまうところがすごいですが、何とか成功してその女性を見つけ出 し、熱烈にアタックします。しかし上手く行きかけたところでひょんなことから現代へと戻ってしまうのです。見る方もおられるかもしれないので詳しく書かな い方 がいいかもしれませんが、きっかけはダイムだったかニッケルだったか、一枚の銀色のコインです。我々の現実が信じることによって成立しているという危うさ を見せてくれる秀逸な設定でした。 撮影の舞台になったホテルはミシガン州の島にあります。映 画では車でそこに乗り付けるけれども実際は島内全体が自動車乗り入れ禁止の観光の島、マッキノー(マキナックと書きます)・アイランドです。位置はと言え ば、ミシガン州自体がミシガン湖とヒューロン湖に突き出した半島のような形をしていますが、その先端のカナダに近い東側です。実は行ったことがあります。 ガソリンスタンドみたいな無人の ATM で夜に怖い思いをしながらお金を降ろし、車を使わない人はどうするか分からないですが、デトロイトから延々高速道路を走ってやっと港近くにたどり着きまし た。ヒューロン湖に浮かぶ小さな島なので、そこからはちょうど宮島みたいに観光船で2、30分行きます。上の写真はそのとき撮った舞台になったホテルで す。デート向き、もしくはフルムーン旅行向きのテーマパークみたいなところで熟年カップルがたくさん来てました。ハウステンボスのようなものでしょうか。 そういえばカリフォルニアにもデンマーク村というのがあって、やはり年配の奥さんに「記念の写真撮ってあげる!」とか言われたりします。 つい島の説明をしてしまいました。演奏を選ぶ場合、この曲 は案外大抵のもので満足してしまう傾向にあります。短くてきれいなメロディーだけで成立してますから、どうやってもほぼほぼおかしなことにはならないので す。ですから上記の2番のコンチェルトでカップリングになっていたものを少しだけ挙げるにとどめます。他にもいいなと思ったのはありますし、逆に言えばど うしてもこれでなければというものは見出せませんでした。ただし自作自演盤に関しては、この曲は案外ゴツっとして癖のある演奏に感じました。 Rachmaninov Rhapsody on a Theme of Paganini op.43 Vladimir Ashkenazy (pf) ♥♥ Bernard haitink Concertgebouw Orchestra, Amsterdam ラフマニノフ / パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)♥♥ ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 まずはアシュケナージです。これが万人にお薦めできるもの だと思います。協奏曲では三回の録音があって最初のが良かったと書きましたが、この曲についてはその回には録音がなく、70年のプレヴィンとの盤と、この 86年のハイティンクとのものが出ています。プレヴィン盤の方は、2番のところでは亡命して六年というタイミングで意欲的に表現を追求したものではないか と書きましたが、このラプソディに関しては微妙で、多少そんな違いはあるかもしれないけれども新盤とは甲乙つけ難く、とりあえず新盤の方を挙げましたがど ちらを買っても満足できるのではないかと思います。情緒があって洗練されている定番の演奏です。録音も両方ともバランスの良いものです。デッカで、押し付 けて来ない軽さと繊細さが感じられ、やや距離のあるピアノがきれいに響きます。 Rachmaninov Rhapsody on a Theme of Paganini op.43 Cecile Licad (pf) ♥♥ Claudio Abbado Chicago Symphony Orchestra ラフマニノフ / パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 セシル・リカド(ピアノ)♥♥ クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団 次はフィリピン出身の女性、セシル・リカドです。この人も 2番でベスト・パフォーマンスの一つとして取り上げましたので、それとカップリングになっていて一枚で「ラプソディ」も聞けるのは大変ありがたいです。表 現も協奏曲同様ですが、後年の演奏はどちらかというと落ちついた方に行ったようで、ここでも基本はそういう真っ直ぐで誠実な性質を持った人、魔性というよ りはもっと普通の意味で健康な心の歌をうたえる人というところがベースなのではないかと思わせます。そこに若い多感な部分が加わり、大変魅力的なラプソ ディに仕上がっています。聞いていて心地良いという意味でこれが一番かもしれません。録音も協奏曲同様に大変良い音です。83年のデジタル初期ながら、リ マスターされて見事なバランスに整えられており、ピアノの粒も美しいです。 Rachmaninov Rhapsody on a Theme of Paganini op.43 Tamás Vásáry (pf) ♥ Yuri Ahronovitch London Symphony Orchestra ラフマニノフ / パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 タマーシュ・ヴァーシャーリ(ピアノ)♥ ユーリ・アーノロヴィチ / ロンドン交響楽団 ハンガリーのタマーシュ・ヴァーシャーリは最もロマン ティックで、やや耽溺気味のもつれ表現も出る濃厚できれいな演奏です。重い質を感じさせて多少大振りとも言えるけれども、これだけストレートに感情に入り 込んでくれるとこの回想的な曲の叙情性を余すところなく音にしたと言えるのではないでしょうか。泣き系メンタリティと言ってるように聞こえるかもしれない けど全く安っぽくはなく、飾らない正攻法で熱い想いが伝わります。このぐらいたっぷりしてる方がこの曲にはいいかもしれません。 1976年録音のドイツ・グラモフォンで、音は落ち着いて おり、2番とカップリングになってる輸入盤と国内盤、6つの前奏曲などと組み合わされたものなどがあります。ジャケットは協奏曲で取り上げたのと同じ国内 盤です。 Rachmaninov Rhapsody on a Theme of Paganini op.43 Daniil Trifonov (pf) ♥♥ Yanick Nézet-Séguin The Philadelphia Orchestra ラフマニノフ / パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 ダニール・トリフォノフ(ピアノ)♥♥ ヤニク・ネゼ=セガン / フィラデルフィア管弦楽団 ロシアの期待の新人で技巧派とされるトリフォノフ、協奏曲 のとは違ってこちらのジャケット写真には髭がないのに気づかれましたでしょうか。このラプソディはより前の企画で、ドイツ・グラモフォンではほぼ最初の録 音になります。ラフマニノフが得意なのだろうし、2番じゃなくてこっちから出すのですからこの曲は大事なレパートリーに違いありません。そしてこれが大変 素晴らしく、上で取り上げた三人も良いけれどそれに勝るとも劣らない、やはりこの曲一番としても良い出来だと思います。協奏曲とのカップリングではないの で一枚で両方という需要には応えられませんが、逆に独立していることでコンチェルトの方は他に好きな演奏を選べます。カップリングされている曲がまた良 く、ショパン、およびコレッリの主題による変奏曲(op.22/42)もラフマニノフらしくて聞きやすいですし、それに加えてトリフォノフ自身が作曲して コンサートでも披露しているという「ラフマニアーナ」という5つの小品が入っています。現代曲ではないきれいな曲で、ラフマニノフというよりちょっと印象 派風のドビュッシーのような響きです。 演奏のあり方としては、協奏曲では直線的なところと大胆な アクションとが交互に出るようなことを言いましたが、こちらは走ることなくインテンポであまり癖を出さず、感情の流れに従った理想的な運びです。このぐら い素直な方がこの曲のありのままを堪能させてくれていいです。中ほどから後ろで盛り上がるところではだんだん抑えられない激情が出て来る感じだけど、それ も良い効果を発揮しています。伴奏のネゼ=セガンは相変わらず粘りのある濃い歌い回しながら、それに関しても全く気になりません。 2015年ドイツ・グラモフォンの録音がまた大変魅力的で す。特にピアノは最も良い音の一つです。楽器は何なのでしょう、強打でも過度にきらきらしないもので、ガンではなくコン、キンではなくピンというような少 しまろやかで内側に響く独特の倍音にとれています。ヴァーシャーリの録音にもそういう傾向はありましたが、しっとりとした独特の艶があってときにやわらか いビロードのような音も聞かせます。ほんとにきれいです。一方でオーケストラの弦にはくっきりとかなり強く輝くところがあります。トリフォノフのラプ ソディー、この曲を新しい録音の良いピアノの音で聞ける一枚です。 |