モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626
Mozart : Requiem in D Minor K. 626 取り上げるCD43枚: レヴィン版: ラバ ディー/リリング '91/ショルティ/マッケラス/リーブライヒ ジュスマイヤー版: リヒター/コルボ/ベーム/カラヤン('61 /'75 /'86 )/リリング '76/シュライアー/ムーティ/マリナー/クリスティ /チェリビダッケ/サヴァール/ヘレヴェッヘ /マルゴワール/ティーレマン/ヒギンボトム/クルレンツィス/クレオベリー /エキルベイ/ヤンソンス バイヤー版: コレギウム・アウレウム /バーンスタイン/ベルニウス/アーノンクール('81 /'03) モーンダー版: ホグウッド ドルース版: ノリントン ランドン版: グッドマン その他の版: アバド/ボルトン/アラルコン/バット/鈴木/スホーンデルヴィルト/ヤーコ プス/ヘルガート/アーマン 取り上げるスコア15種類: レヴィン版 /ジュスマイヤー版 /バイヤー版 /モーンダー版 /ドルース版 /ランドン版 /ペータース版 /鈴木版 /デュトロン版 /オストシガ版 /その他5版 CD 評はこちら(解説を飛ばします) 大ミサ曲 K.427 のページはこちら やって来た男 モーツァルト の死の年、灰色のコートに身を包んだ男が彼のもとを突然現れ、匿名でレクイエム(死者のため のミサ曲)の作曲を依頼しました。その男は自分の住所も明かさず、何度もやって来ます。モーツァルトは それに脅え、あの世からの使いだと思って死の床で自 分のためのレクイエムを書いたということになっていますが、実際はその灰色の使者はアントン・ヘルツォ クという男 で、フランツ・ワルゼック・シュトゥーバッハ伯爵が遣わした者であり、その年に亡くなった伯爵の妻のた めにレクイエムを依頼していたのでした。これは 1964 年にヘルツォクの1839年の記録が出版されるまで分からなかったことなので、様々な伝説が生まれまし た。 なぜ匿名だった のかにはわけがあります。この伯爵は有名な作曲家 に曲を頼んでは、それを自分の作だと偽って自慢するという趣味を持った男だったのです。実際のところレクイエムが出版された後も、「あ れはモーツァルトの弟子だった自分が書いてモーツァルトに見せたもので、彼の死後に楽譜は自分のところに 返却されてき たが、作品自体は彼のものだという伝説ができあがってしまったのだ」と主張していたようです。 なぜジュスマイヤーが そして、モーツァルトが死の床でレクエムを書いたというのは嘘ではないにしても、その一ヵ月ちょっと 前ま では元気にしており、心中はともかく冗談を込めた手紙をしたためたりしています。死の準備をしていたか に思える言葉も大分前から残していますが、それは無 意識において、かもしれません。映画「アマデウス」には数々の印象的 な場面があり、共同墓地に葬られる モーツァルトが費用をけちられ、横に蓋の開く棺桶から死体だけどさっと穴に捨てられるところは強烈でした が、ベッドで弟子(実際はそ ういう 立場ではなかったという見解もあります)のジュスマイヤー にレクイエムの「涙の日」の一部を歌って聞かせながら教えるシーンもありました。これについてはモー ツァルトの妻の妹であるゾフィーの手紙が残っていて、 自分が死んだときのために残りを完成させるべく教えていたことを窺わせます。妻コンスタンツェもモー ツァルトがジュスマイヤーに対して、「もし自分が未完 のまま死んだら最初のフーガを最後の章にも使ってくれ」と指示している場面に居合わせたと書いていま す。しかしモーツァルト自身はジュスマイヤーの作曲能 力を全く評価していなかったことも分かっています。むしろ彼の友人であっ た作曲家、ヨーゼフ・アイブラーの方を高く買っていまし た。そのため、彼の死後に妻コンスタンツェはまず、アイブラーに未完のレクイエムを完 成させるように頼んだのだとされます。しかしコンスタンツェとジュスマイヤーが男女関係にあったという 説を唱える人もおり、なぜ最初からジュスマイ ヤーに補筆の仕事が行かなかったのかについて色々憶測も可能なようです。 バット・ザ・キッド・イズ・ノット・マイ・サン ゴシップは信 憑性のない好奇心の産物だし、どちらでもいい話だ けど、ちょっと首を突っ込んでみましょう。この入り組んだ愛情関係については、その根拠となるのものの 一つがやはり手紙です。1791年十月にモーツァル トがバーデンに療養に行っていた妻コンスタンツェに宛てた軽い調子の書簡には、そこにジュスマイヤーが 付き添っていることが書かれています。また、モー ツァルトの二番目の子供は「フランツ・クサーヴァー」とモーツァルト自身によって名付けられており、こ の名前はジュスマイヤー(フランツ・クサーヴァー・ ジュスマイヤー)と同じものです。親が子供に二世として同じ名前を与えるのはよくあることですが、 モーツァルトが彼自身全く評価していなかった弟子のファーストネームを自分の子に付けるというのは不思 議なことです。彼の死後コンスタンツェはこの子供の 名前を嫌い、改名させてもいます。これに対して息子フランツとモーツァルト自身の耳の形が似ているので 実の子だと反論する説もあります。 モーツァルトの(生き残った)二番目の子が実は弟子のジュスマイヤーの子だったという話の裏には、モー ツァルト自身が妻コンスタンツェの姉に手を出したことへの妻側からの報復だったという見方もあります。 コンスタンツェと結婚する前、モーツァルトはその姉 である歌手のアロイジア・ウェーバーに熱を上げた時期がありました。両親との往復書簡 を見る限り、一人でかなり舞い上がってたような感じがします。本人は結婚した かったみたいですが、叶いませんでした。モーツァルトの父レオポルトは二人を引き離すために早く彼をパリ へ行かせようとし、その後アロイジアが彼を冷たく振ったことになっていますが、詳しい状況は分かりませ ん。分かっているのはアロイジアはその後、三人の子 持ちで妻を亡くした十歳年上の ウィーン の宮廷俳優、ヨーゼフ・ランゲと結婚したということです。モーツァルトは彼女に振られたとき、手の平を 返すように悪口を手紙に書いたりしています。 本当に再燃? しかしその後もモーツァルトはアロイジアと会い続けます。自作 を歌わせたりしたからで、一般には個人的な関係からではないとされますが、コンスタンツェと結婚する と、彼女とは義理の姉弟という立場になります。モー ツァルトの死の年にコンスタンツェがバーデン(ウィーンの南20キロのところにある硫黄泉の保養地)に 行く前には、彼女がモーツァルトに腹を立てて二人が 大喧嘩をしたという出来事(多くの夫婦が定期的にこれをやりますが)があったようで、それでモーツァル トが逃げるようにフランクフルトに旅に出たと見る向 きもあります。それは火の車だった財政下、お金を稼ぐ必要があったからだけど、喧嘩の冷却期間を置くた めでもあったとするわけです。旅から彼が帰ると、妻 は妊娠していました。したがってコンスタンツェが病気(足 のリウマチ/感染症や、妊娠中の体調不良)のために90年から91年にかけて療養でよくバーデンに行っていたこと自体も様々な憶測を呼ぶようです。モー ツァルトがそのバーデンの妻宛に出した、つまらない嫉妬をしないでくれと懇願したり、慎みのない行動は やめるようにという文言の含まれた手紙も拍車をかけ ます。この辺の事情に関して、モーツァルトの側もコンスタンツェの側も、両者半ば黙認の火遊びを続けて いたと考えたがる人もいます。そしてモーツァルトの 死の際、コンスタンツェは葬儀に出席せず(正当化する理由はあります)、その後17年間墓に行きません でした。アロイジアの方は葬儀に出ています。こうし た諸々のことから、モーツァルトとアロイジアは後になって再燃していたという見方も出て来るわけです。 まだ他にも? これもどちらでもいい話ながら、ついでにモーツァルトの側についてもう一つ付け加えるなら、アロイジ アでは なく、1765年生まれのナンシー・ストレースというイギリスのソプラノ歌手と婚外の関係にあったとい う主張も存在します。フィガロの結婚でスザンナ役を 演じた人で、彼女が帰国する際にモーツァルトは「自分と彼女のために」と書いた熱烈な歌を捧げているか らです。そしてこの説を示唆したのは相対性理論のア インシュタインの従弟ともされる音楽学者だけど、どうも実生活でのその話は信じ難い気もします。という のも、このナンシーはモーツァルトが一生懸命になっ てる当時に結婚し、ドメスティック・バイオレンスで夫が国外退去になって離婚したりする騒動があった 上、他の男性とも熱烈なアフェアが囁かれてたりしたか らです。その上でまだモーツァルトとも何かあったのだとしたら、なかなか忙しい人ということになりま す。分かりませんが。結局アロイジアへの最初の舞い上 がりと同様、彼が一人で熱を上げていたか、彼女への表現がいつものように大袈裟だっただけではないで しょうか。 妻への思いは こうした双方への疑惑があるにせよ、この当時モーツァルトは妻に、今のスマートフォン事情で言うところ のセクスティングなメッセージも送っています。カタ カナ言葉にすればメイティングのリクエストで、自らの性器を擬人化して描写し、この離ればなれの旅はも うすぐ終わるから、ぴったりの君のをきれいにして 待ってて、という内容であり、誰もが思うことの直接的表明ゆえに色々騒がれるのでしょう。彼の側の婚外 アフェアが疑われる時期より少し後、死の二年ほど前 のことであり、元型的には死と性の結び付きかもしれませんが、素直に解釈すれば肉体的にはまだまだ現在 進行形で妻を対象と見ていたようにも感じられます。 日本のようにセックスレスがスタンダードではないにせよ、です。どう受け取られていたかは不明だけど、 やさしい気遣いの言葉もたくさんあるし、人恋しさも 感じられます。その後逼迫している中でかなりの出費となる湯治をコンスタンツェに認めたりもしました。 以上、噂好きが好んで扱うようなドラマに及んでしまいましたが、こ の天才、少し空回りするようなお騒が せな一面を持っていた人物だったことは間違いないようです。映画で俳優にあの馬のいななきのような甲高 い高笑いをさせたのも、手紙などから推察される彼の その一面からの設定に違いありません。そうした性格特徴に関しては「大ミサ曲」のページでもう少し詳しく触れることにします。そしてゴシップに彩られた下品も冗談も、透明な諦観を漂 わせた作品の高貴さを損なうことができず、その横を すり抜けて行くのがモーツァルトなのでしょう。いずれにし ても、 未完のままラクリモサ(涙の日)が8小節で終わってしまったレクイエムを完成させるための仕事は、 まずアイブラーに行き、その後数人に打診され、結局この いわくつきのジュスマイヤーのところに来て、彼はアイブラーの書いた部分にそのまま続けるのではな く、参考にはしたかもしれないけど自分の仕事をしまし た。それが現在私たちが聞くことのできるモーツァルトの最後の作品、レクイエム K. 626 なのです。 曲の構成 レクイエムという のは、狭義にはカトリック教会 で死者の安息を 神に願うミサのときの音楽のこ とで、以下に式典の一般的な構 成を左側に、モーツァルトの曲 の構成(ジュスマイヤー版)を 右側に記してみます。
抜けている四つの部 分については、作曲者によって は曲が付けられる場合もありま すし、モーツァルトの場合でも 演奏者によってはグレゴリオ聖 歌で代用したりするケースも見 られますが、一般的には省略さ れることが多いものです。した がってジュスマイヤーが補完し たこの曲については、ほぼ完成 しているといってよいでしょ う。 モーツァルト 自身が書いた部分 レクイエ ムはモーツァルト最後の曲で、書き終える前に亡くなっ たので未完成であり、ジュスマイヤーが完成させたわけです。したがってどこまでがモーツァルトの真 筆で、どこからがジュスマイヤーの補筆かということは、 モーツァルト自身の死の謎と同じぐらい、レクイエムの愛好者にとっては大きな問題に違いありませ ん。今までに多くの議論がなされて来ました。モーツァルト の自筆が残っているのは、「涙の日(ラクリモサ)」に関 しては8小節目までですが、音でそれを確認したけれ ば、アイヴォー・ボルトン盤がモーツァルトの書いた部分しか音にしないという考えで演奏しています (一部はオルガンが補ってます)。それを聞けば、よく言 われる「8小節」がどこまでなのかスコアを見なくても分かります。ボルトンは他のパートでも、モー ツァルトがオーケストレーションを完成させられず、足り ない楽器がある部 分は足りないままに演奏していますので、どこが作曲者自身の作なのか全体に渡って確認できます。他 にもクルレンツィス盤もラクリモサだけながら、モーツァルトの自筆譜の部分までで打ち切っていま す。以下に上の曲目構成をもう一度そのまま記し、モーツァ ルト自身とジュスマイヤーの部分の割合をその右に示したいと思います。大雑把になので、正確なこと は文献やスコアに当たってみてほしいと思います。
これで分かるように、モーツァルトの手が入っているのではなく、完全にジュスマイヤーの曲かもし れないとされているのは黄色で書かれたラクリモサの9小 節目以降と、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイということになります。しかしそれ らジュスマイヤーが作曲した部分についても、モーツァ ルトが どうやるべきかを生前に指示した可能性もあるという考えがあり、それについては意見が分かれます。 支持する側の根拠はモーツァルトの妻コンスタンツェとその妹ゾフィーが残している書簡で、それは死 の床のモーツァルトがジュスマイヤーに口頭で教えていた と思わせる内容となっています。デスクに あったモーツァルトのメモ書きをジュスマイヤーが集めて持って行っ たと(コンスタンツェに聞いた)いう証言もあります。しかしコン スタンツェにしてもジュスマイヤーにしても、曲の成り 立ち(誰の仕事か)についてはそれぞれの利害と思惑があったわけで、発言は信用できないとする人も います。実際に彼らの証言はお互いに食い違っています。 リチャード・モーンダーなどは二人の書簡を都合の良い嘘として信じない立場を取り、自身のスコアで はラクリモサの9小節目以降とサンクトゥ ス、ベネディクトゥス、アニュス・デイは100パーセ ントがジュスマイヤー作としてカットしています。 様々な版 ジュスマイ ヤーも よくぞ後世に伝えてくれたものだと思いますが、長年に わたってその彼の作曲技量は問題視されて来ました。それが対位法の扱いなのか楽器の配置なのかと いった具体的なことは専門的になり過ぎ、一般の間では常に 説明されず終いという感じですが、実際に音楽理論の細かな問題なので手に余り、ここでも触れませ ん。しかしそれによってモーツァルト自身が書かなかったラ クリモサ(涙の日)以降の部分について論議が 沸き 起こった末、70年代か ら90年代にかけて様々な版のスコアが登場しました。つまり、一部を書き直すことが流行したという ことです。演奏者たちは伝統的にジュスマイヤー版を使って いるのが大半ではありますが、71年にま ずバイヤー版が 登場し、続いて83年のモーンダー版、84年のドゥルース版、89年のランドン版、91年のレヴィン版(以上、楽 譜刊行の年はまた別)などが出て来たわけです。 どの版がどうなっているのか、どれがいいのかという方面の話題は、どの演奏が好きかということ以 上にこの曲のファンの間では盛り上がっている様子です。 このページでもそうした版ごとに CD を並べ、演奏について見てみようと思います。しかし各版の特徴についてはその項目の最初に軽く触れ るにとどめます。頭の部分はここでの最大の関心事項では ないからです。曲の流れに関して言えば、聞いて最も違う部分はラクリモサの9小節目以降のあり方 と、アーメン・フーガを加えるかどうか、加えた場合はその 後半の処理をどうするかというところで、それらの点においてジュスマイヤー版と大きく異ならないバ イヤー版とランドン版の変更部分について は、素人には微妙なところだろうと思います。それら二つ にあっても違いが気になる方はレクイエムに大変造詣が 深く、もはや専門家と言えるでしょう。 誰も聞いていない個人的な考えを書いても邪魔くさいのですが、ラクリモサの後半は案外ジュスマイ ヤー版が展開の上では鮮やかに切り返したりしていて、最 も印象的な気がします。アーメン・フーガはあった方が面白いですが、後半の運びについては、色々あ る中ではモーンダー版が最も好みでした。少しだけ音の上 がり下がりでそう展開して欲しくないと思う動きがあるとしても、最も自然に聞ける気がしたからで す。その後ろの部分では、サンクトゥスは冒頭でそう唱えた 後のチャチャチャチャチャチャチャという伴奏など、元々ちょっとくどいなと思って来たものの、ベネ ディクトゥスとアニュス・ デイについては、楽式楽典・楽器法上のことはともかく、流れとしては相当良く書けているのではない でしょうか。現代の人が新たに作った部分(主にラクリモ サとアーメン・フーガの後半)についてはほとんどが、どの音楽 学者もハーバードやケンブリッジを出た優秀な人たちばかりで理論的には考え抜かれた作品なのでしょ うが、自分にはジュス マイヤー以上の楽想だとは必ずしも感じられませんでした。 そしてそういう自分の好みと関係があるとは決して言いませんが、妻とその妹の書簡の内容 を信じるからか、あるいはジュスマイヤーの書いたとされる部分の曲想が出来過ぎて いることから、モーツァル トのアイディアが何らかの形で反映されていると考えるかして、それまでとは逆に ジュスマイヤー版を評価し直す機運が最近になって盛り返して来てもいるよう です。 演奏について 演奏マナーについてはモダン楽器によるものとピリオド楽器(古楽器)によるものがありますが、今回 は特に分けておらず、その場で触れることにしました。合 唱が加わっている曲だということもあり、バッハの器楽曲のように奏法によってアクセントが大きく違 うということもない気がします。ピリオド奏法の方が登場 が後なので、テンポは比較すれば平均的にはより軽快になっている例が多いです。昔はベーム盤のよう にゆったりしたものがありました。歌については古楽の方が ビブラートを抑え、発声も後年のイタリア・オペラ的ではなく、すっきりと歌わせる方向です。 このレクイエムという曲は大ミサ曲(K. 427)とは違い、特にソプラノを活躍させようという意図で作られているわけではありませんが、声 楽のソロのパートではやはり高音部こそが華やかで最も目 立つところではあり、オペラやバレエにおけるプリマのようなものです。自分が他のパートの演奏者で あるなどして特別に気になる場合を除けば、一般の聞き手にとってはソプラノこそが歌い手の性質に最 も注意が行く部分だと思いますので、やはりここでもソプラノを中心にご紹介します。 CD について この記 事を最初に書いたのは随分前なので、その後たくさん新しい録音が出て来ました。また、後から 取り上げた大ミサ曲よりご紹介する枚数も少なくなってしまったこともあり、今回新たに扱う CD を増やし、内容も多少書き加えることにしました。911(テロ)の直後に録音されたラバディー 盤の演奏が素 晴らしかったので、当初はそれだけを取り上げればいいかという感覚で書き始めたため、その ラバディー盤の採用していたスコア、レヴィン版を最初に持って来たのでした。その後冷静になっ て聞 き直せば色々と他にも良い録音があると思えたものの、 やっぱりラバディー盤の持っている空気感と完成度は色褪せないと感じたし、今でも最も気に入っ た演 奏であり続けているので、CD の順番は今回も変えずにおきました。したがってレヴィン版から始めますが、このスコアがベスト だと 言っているわけではありません。各版を取り上げる順番も 発表順ではなくなっています(レヴィン盤の後は発表順です)。同じ版の中での CD の順番は、同一演奏家で複数録音がある場合は代表的なもの(任意)の年によって並べ、それ以外 は録 音年度順にしました。 レヴィン版 1947 年生まれでハーバード卒にしてその教授でもあるアメリ カのピアニスト、音楽学者のロバート・レヴィンが1991年に出したものです。その年 の モーツァルト没後200年を目指すように出てきた一連の 改訂ラッシュの中でも最後に出たので、一部で最終稿だとか他の版のいいとこ取りだとか言われて いま した。 ジュスマイヤー版と比べて色々と違うところがありますが、前半で大きく違うのはラクリモサの 後半 と、アーメン・フーガの追加です。ラクリモサでは先行の バイヤー版よりさらに大きく変えてあります。 まず、中ほどで静かになる手前の部分、ジュスマイヤー版とは違ってソプラノ合唱のパートがそ の前 までの動きと同じ形をなぞり、高い音を出すように変えて あるところはバイ ヤー版 と同じ になっています。 そしてその少し後で静かな長調から最初の短調の合唱音型に戻る切り替わりの部分で、ジュスマ イ ヤー版では四つ続く2音ずつの音の組が上昇・上昇・下降・ 下降と徐々に大きくなって行くパートを挟み、変わり目を印象づけていますが、ここはあっさりと カッ トして最初の合唱部分にいきなりつなげています。結果と して鮮烈な効果は失われています。 最後の部分も大胆に変え、アーメン、と大きく唱える部分を無くしてフェードアウトするように 弱め て行って終わります。これは次のアーメン・フーガにつな げるにあたっての変更だと思われます。ジュスマイヤーはアーメン・フーガそのものをなぜか採用 しな かったため、代わりにラクリモサの最後のアーメンを劇的 に唱えさせたと考えているのでしょう。ただ、そうするとやはりドラマティックな効果は失われま す。 しかし入祭唱 の一 部を 使って書き直されているモーンダー版とは違い、ラクリモサ全体としてはジュス マイ ヤー版の形を残してあります。 そし て次 にアー メン・フーガが採用されています。これはモーツァルト自身の書いたスケッチ(1962 年 にベルリンの州立図書館で見つかった16小節の手稿譜)を モーン ダー版同様に使おうという試みです。ただ展開は異なり、モーンダーよりも長く、主観ながら、よりフ レーズの繰り返し感が あるでしょうか。それは大ミサ曲と同じ感触で、この人らしい音の持って行き方なのだろうと思いま す。 続くサンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイは、 モーン ダー版ではミサの形式を無視してまで切り捨てられていましたが、ここで は ジュスマイヤーの作曲とされているものを採用していま す。ただし、変更点はラクリモサと比べてもより大きくなり、聞いて違いがはっきりしています。 サン クトゥスなどは元の音楽が苦手なところもあるので、自分 としてはこの方が聞きやすい気がしました。出来がよりモーツァルトらしいかどうかは聞いてみて いた だきたいと思います。 Mozart Requiem K.626 Bernard Labadie Les Violons du Roy ♥♥ La Chapelle de Quebec September 2001 Karina Gauvin (s) Marie-Nicole Lemieux (a) John Tessier (t) Nathan Berg (b-br) モーツァ ルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ベルナール・ラバディー / レ・ ヴィオロン・ドゥ・ロワ ♥♥ ラ・ シャペル・ド・ケベック / 2001年9月 カ リーナ・ゴーヴァン(ソプラノ)/ マリーニコル・ルミュー(アルト) ジョン・テシェール(テノール)/ ネイサン・バーグ(バス・バリトン) 悲劇的な出来 事に見舞 われ たとき、人は構えを捨てます。日常において本 当の姿を見ないためにかざしていた防衛の盾が力を 失い、ありのままを受けとめる以外にないからでしょう。それがまた、実り ある 変化への通過点だと 受け入れられれば心休まるのですが。 2001 年の ワールド・トレード・センターのテロがあった九日後に、ニューヨーク州で 演奏 されたモーツァルトのレクイエムがあります。瓦礫 に埋まった人の救出活動が行われ、報道がそれ一色だった中、多くの催しが 中止 になっ たことだろうと思います。そのような状況で演奏された死者のためのミサ曲 はど んな響きなのでしょうか。 取り寄せたCDを聴きました。演奏者はアメリカと国境線一つで隔てられた カナ ダの人たちですが、指揮者もオーケストラも合唱 も、リリースされたレーベ ルも含めてそれまで全く知りませんでした。表紙は紙一枚で解説は一切ありませ ん。 さて、その演奏です。モーツァルトのレクエムには良いCDがたくさんあ りま す。しかし色々聞いた中でこのラバディー盤には最も心を動かされました。 同じ レヴィン版としてマッケラスのものも鮮烈です。しかしこの 演奏は別格です。やはり最初に述べた事情によるところがあるのだと思いま す。 演奏会はテロの前から予定され ており、そのために練習を重ねてきたのでしょう、大変よく統制がとれてい ま す。普通に考えればこの演奏者たちの力と波長の問題だと言うべきなので しょ う。 カナダといえば、こ の国出 身の俳 優などをイメージすると誠実な人 柄が浮かんだりしますが、この演奏の解釈も当初からはったりのない、真っ 直ぐ なものだったのだろうと思います。しか しゆったりとしたテンポでありながら、この透けるような空気と集中力はよ くで きた演奏という種類ではありません。何か見 えない力が働いていると考え たくなります。形だけ興奮 の軌 跡を前もって練習する演奏もありますが、それとは正反対であり、かと いって単に興が乗って揺れる熱気とも違い ます。形は全く崩れないのに入り切らないほどの思いが 入っ ているかのようです。このときの状況を想像するからか、途中で何度も胸が 熱く な ります。このタイミングで彼らが演奏することにはきっと役割があったので しょ う。 独唱陣もオペラ的な華美さのないストレートなもので、大変好感が持てま す。カ リーナ・ゴーヴァンという ソプラノはカラヤンの旧盤でのアンナ・トモワ・シントウとはちょうど逆 で、 トゥーバ・ミルム(妙なるラッパの響き)後半での語尾 など、短く切って清潔感があります。むしろ古楽のような歌い方です。ま た、 モーツァルトのレクイエムは構成からすれば合唱曲で、その中軸である合唱 も澄 んでいます。 全体の音の運 びはマッケラス盤よりもフレーズを滑らかに延ばしますが、大変自然です。一時 代前のロマン派 的解釈のように引きずる傾向はありません。モーツァルト絶筆となった涙の 日 は、裁きの日に蘇った罪あ る者に許しと安息を願う部分であり、その意味を噛みしめるように特別なも のを 感じます。この版がベストかどうかは分かりませんが、ここはカットする方 向で 余分なことをしないスコアなので、より静けさが際立つかもしれません。漂うよ うにやわらか く歌っていたところから強く立ち上がって行く感情には圧倒されます。 心を合わせる ことには力があるはずです。まるで器楽の演奏者も歌い手たちも、全員が自 身の 問題を語ってい るかのようです。曲が終わるときの、最後の音のなんと長いことでしょう。 そし てその後で拍手が起こるまでの間のなんと長いことでしょう。追悼の本来の 意味を感じさせてくれます。こうし て録音を何度も聞かれることの意味すら考えてしまうほどです。 レーベルはご当地のドリアンで、録音状態も演奏にふさわしい秀逸なもので す。 その響きから使われているヴァイオリンはバロック・ヴァイオリンではない よう ですし、とくに高域が輝 かしい録音でもありませ ん。会場となったのはニューヨーク市の北200キロほどのところにあるニュー ヨーク州トロイ市のトロイ・セービ ング・バンク・ミュージック・ホールです。残響は長大なものでもありません。 ハイファイ的な音ではなく、 ライブ収録のしっとりしたリアルな味わいがあります。国内版は出ていませ ん が、通販で買えます。 追記:その後2015年になってドリアンからカナダの ATMA クラシークに移って再販されることになりました(写真右)。マイナーなレーベ ルのものが引き継がれて出るということは、それなりの評価もあったのだと 思い ます。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Helmuth Rilling Bachcollegium Stuttgart ♥♥ Gächinger Kantorei Stuttgart Christiane Oelze (s) Ingeborg Danz (a) Scot Weir (t) Andreas Schmidt (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ヘルムート・リリング / シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム ♥♥ シュトゥットガルト・ゲヒンゲン聖歌隊 クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)/ インゲボルク・ダンツ(アルト) スコット・ウィアー(テノール)/ アンドレアス・シュミット(バス) バッハのカンタータに早くから取り組み、バッハ大全集では声楽曲と管弦 楽曲 を網羅して録音したリリングはモーツァルトの宗教曲にも熱心なようであ り、レ クイエムは1976年に一度、そして1991年にも新しいのを出していま す。 ここでは新盤について述べます。どこをとっても真摯な感じのする演奏で定評の ある人です。 上記のラバディー盤と録音年度が前後しますが、このリリングの91年盤 はレ ヴィン版を採用しています。実はレヴィン版の録音としてはこちらが最初で す。 テンポは旧盤同様ゆったりめではありますが、遅過ぎはせず、この人なりに 時代 の標準に寄って来て、よりすっきりとしました。アーメン・フーガ、ドミネ・イ エ ス、ホザンナと、ラストのクム・サンクティスについてはかなり軽快な運び と なっています。一つずつ拍を区切るかのようなごつごつした伴奏のリズムも なく な り、より滑らかに感じます。こうなると真摯な姿勢が光るこの人の良い面が最大 限に発揮されたような印象となります。はったりがなくて録音の透明度も高 く、 余 計なことを考えずにモーツァルトの音楽そのものに入り込めます。エキルベ イや バットとはまた違った穏やかな波長でニュートラルというか、オーソドック スな 演奏です。 滑らかにスラーがかかってややゆったり入ります。ファゴットもながら、 バ セットホルンがよく歌い、音が透明です。次に、伴奏の拍は区切らないけれ ども ト ロンボーンが力強く、鋭いアタックを見せて引き締めます。旧盤にあった重 苦し い感じは払拭されたように感じます。前へ前へと進む感じは相変わらずしな いけ れども、まさにこれぞジェニューイン(本物の・誠実な)という感じです。 ソプラノがまたベストと言えるものです。大ミサ曲ではこのリリングの旧 盤の 方で、そしてヘレヴェッヘ盤でも歌っていたクリスティアーネ・エルツェで す。 後者はその曲一番の歌唱だと思っています。ドイツの人で1963年生まれ であ り、大ミサの二つとこのレクイエムは同じ年度の録音ということになります。こ こでは彼女が出て来るとぱっと目立って華やぎます。でも派手なオペラ声と いう 意味ではありません。古楽の指揮者とやるときとは違って細かくビブラート をか けていますが、どこか品の良さを感じさせるのです。声質は高く軽めで、高 い方 の音 程を強く出すと倍音が明るくなります。やわらかい音も出せる人で、細かな陰影 を使い分ける表現力もありますが、この入祭唱の部分ではやわらかさよりも 強さ を感じさせ、艶やかな輪郭で朗々と響かせています。 キリエもオーソドックスなテンポで、怒りの日は慌てず速過ぎず、十分に 力強 く行きます。トゥーバ・ミルムでのアルトは低めでかなり朗々と歌っている 一 方、ここでのソプラノにはやわらかさと表情の変化があり、やはり上手いな と思 います。コンフターティスはかなり遅く、リズムは重めながら弾みを付けて切り つつ真面目に進めます。ラクリモサはレヴィン版なので通常と違いますが、 この 演奏では全体が一続きに聞こえ、さほど気になりませんでした。 1991年のヘンスラーの録音は大変気持ちの良いものです。分解されて こと さら透明さが際立つという種類ではなく、音が溶けて渾然一体となりながら も十 分に透明であり、自然に気持ち良く聞こえます。低音から弾力をもってよく 鳴る 音で、やわらかさもあります。弦はモダン楽器ですが被らず、自然に倍音を聞か せて繊細さが出ています。オーケストラに対して合唱はやや奥まり、きれい な響 きです。 Mozart Requiem K.626 Georg Solti Wiener Philharmoniker Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor Arleen Auger (s) Cecilia Bartoli (ms) Vinson Cole (t) René Pape (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ゲオルク・ショルティ / ウィーン・ フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 アーリーン・オジェー(ソプラノ)/ チェチーリア・バルトリ(メゾ・ソプラノ) ヴィンソン・コール(テノール)/ ルネ・パーペ(バス) ハンガリー出身のユダヤ系指揮者で97年に亡くなったショルティは日本 で人 気がある人で、説明の必要もないと思います。一般には歯切れの良いダイナ ミッ クな演奏で知られており、これも日本ではその技術の高さについてよく褒め られ たシカゴ交響楽団の、少し乾いたようなデッカ録音の音と相まって常に話題をさ らいました。「春の祭典」の迫力のある演奏など、大変魅力的でした。た だ、例 えばベートーヴェンの交響曲のいくつかの旧録音を聞けば分かるように、必 ずし も切れの良さだけを追求する人ではなく、大変オーソドックスな運びを聞か せる 一面もありました。このレクイエムはモーツァルトということもあり、そちらの 方の演奏になると思います。大手通販サイトなどでも上位に来る人気盤で す。 モーツァルト没後200年であった1991年には多くの楽譜の改訂や意 欲的 な演奏会が開かれましたが、これもその年の暮にウィーンのシュテファン大 聖堂でミサとして行われた演奏を収録したライヴ録音です。その聖堂はハプ スブルク家の王様の墓があるウィーンのシンボルであり、モーツァルトの結 婚式と葬式が行われた場所です。一時期彼はそこの副楽長だったこともあ り、楽長になりたがっていたともされ、モーツァルト関連のイベントはよく 行われています。録音では最初と最後に鐘の音 が入っており、途中二ヶ所(サンクトゥスの前とアニュス・デイの前)で司 祭のお 祈りの声も聞こえます。したがって演奏しているのはシカゴではなく、ご当 地ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団であり、音としては今でも 人気のある71年のベーム盤と同じような響きがあります。あ ちらもオーソドックスな演奏でしたが、このショルティ盤はその遅いテンポ をもう少 し速めたような、ちょっと似た波長も感じさせるものです。やわらかさがあ り、 時折少しフレーズの終わりで歩を緩めるような扱いもあり、柔軟なのです。 十分に厳粛なムードもあり、重々しいぐらい伝統に則った正統派のレクイエ ムで す。 といっても怒りの日はやはりかなり力強く、コンフターティスの入りは速 くて 鋭いのに少し驚きます。この辺はショルティの面目躍如というところでしょ う。 歌うような表情がよくついているところもベーム盤とは若干違います。楽章 ご と、パートごとに的確と思われるようにテンポを少し変化させ、メリハリをつけ てよりダイナミックに仕上げるのです。それはレクイエムの色々な面を分か りや すく強調して聞かせてくれるような幅の広さを見せ、サービス精神に満ちて いる もので、この曲の姿を十分に味わわせてくれる模範のようなところがありま す。 しっかりと感情を込めた出来になっており、かといってバーンスタインのような 強調はないわけです。 ソプラノは大ミサ曲では何度も登場して大活躍し、このレクイエムでも 76年 のリリングの旧盤で歌っていたアーリーン・オジェーです。リリング盤より 音像 が少し奥まったせいもあって声の質が多少オフになったかのように聞こえま す が、15年後もほぼ変わらず、その分やわらかく響きます。歌い方は年齢を考慮 して本人の技法として変えたのか、要請によってそうしたのかは分かりませ ん が、真っ直ぐだったものが幾分オペラ寄りというのか、最初の音の入りで少 した めを効かせてずらすように歌うところが出て来ており、ビブラートも多用す る手 法に変わっています。しかし、リラックスしたやわらかさと輪郭を保っていて美 しいです。 91年のデッカの録音は、合唱の音がベームよりずっと良い感じがしま す。比 較すれば声も揃っているように感じますが、これはひとり録音のコンディ ション だけでなく、同じ合唱団でも時期とメンバーが違うことでマナーも変わって 来て いるからなのかもしれません。上手になったなどと言うと語弊があるでしょう。 教会ミサのライヴで残響はしっかりあるながら、オーケストラの響きも良好 で す。スコアはジュスマイヤー版ではなく、ちょっと意外というか、レヴィン 版を 採用しています。 Mozart Requiem K.626 Sir Charles Mackerras Scottish Chamber Orchestra & Chorus ♥ Susan Gritton (s) Catherine Win-Rogers (ms) Timothy Robinson (t) Peter Rose (bs) モーツァ ルト / レクイエム ニ短調 K. 626 サー・チャールズ・マッケラス / スコットランド室内管弦楽団&合唱団 ♥ スーザン・グリットン(ソ プラ ノ)/ キャサリン・ウィン=ロジャース(メゾ・ソプラノ) ティモシー・ロビンソン(テノール)/ ピーター・ローズ(バス) レヴィ ン版 の演奏をもう一つ。このマッ ケラスはオーストラリア人の両親を持ってアメリカで生まれ、プラハ で学んだ人で、演奏はスコットランドの楽団です。レーベルもスコットランドで、 73年 に LP12 というレコードプレーヤーを出して以来高級 オー ディオ・メーカーとして有名なリン・ソンデック社の録音部門、リン・レコードで す。も ちろん音には大変気をつ かって技術者を揃えているようで、この2002年のレクイエムも優秀な録音となっ ています。 全体を通してテンポが速めで、切迫した 感じがします。この盤は ピリ オド楽器とレヴィン版の組合せで、演奏・録音ともに優れた一枚です。きりっと引き締 まった透 明感のある表現は北国の空気を感じさせ、速い部分では弾むようなリズムと鋭角の運 びが あります。 ソ リストもその波長に合った歌を聞かせます。ソプラノのスーザン・グリットンは1965 年生まれのイギリスのオペラ歌手で、特に古楽を専門とするわけではないようなが ら、ヘ ンデルやモーツァルトも得意としているということです。ここではビブラートは使う もの の振幅は大きくなく、古楽を意識した歌い方になっています。不純物のないよく伸び る声 で透明感があります。 編成は小さいようで、静かな部分では器楽的な味わいがあります。ラクリモサは純 化さ れたハーモニーが美 しく、そこから魅 力のあるアーメン・フーガが続きます。ラバ ディのようなオーラはありませんが、冷たい燃焼を感じさせる、とても魅力的な演奏です。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Alexander Liebreich Münchener Kammerorchester Chor des Bayerischen Rundfunks Nuria Rial (s) Marie-Claude Chappuis (a) Christoph Prégardien (t) Franz-Josef Selig (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ア レ クサンダー・リーブライヒ / ミュンヘン室内管弦楽団 バ イ エルン放送合唱団 ヌ リ ア・リアル(ソプラノ)/ マリー=クロード・シャピュイ(アルト) ク リ ストフ・プレガルディエン(テノール)/ フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス) 1968年のドイツ生まれで、2006年からミュンヘン室内管弦楽団の芸術監督 と主 席指揮者の任に当たっているアレクサンダー・リーブライヒによる演奏 です。レパートリーの広い人で、古楽や合唱専門というわけではありません。合唱は バイ エルン放送合唱団で、スコアはレヴィン版を使っています。ソプラノは 皆さん注目のヌリア・リアルです。1975年のスペインはカタロニア生まれで、ル ネサ ンスやバロックの古楽を得意とし、ヘンデルやモンテヴェルディに定評 がありますが、何といってもその写真写りの素晴らしさに賛嘆の声が上がる人でもあ り、 こういうことばかり言うと誤解を招きそうなものの、楽しみにする方も おられるでしょう。どこかの文化とは違い、欧州の場合はその路線で実力が伴わない 場合 はYouTube というセーフティ・バルブへリリースされますから、心置きなく美しい歌唱を楽しめ ま す。テノールのクリストフ・プレガルディエンもレオンハルト盤のマタイ の福音史家やヘレヴェッヘ盤のロ短調ミサなど、古楽系では大変有名な人です。軽妙 であ りながら落ち着きのある叙情を見せ、透明感のある歌唱です。 色々と細かく表情をつけるアバド盤などよりもさらに一段表現意欲に満ちた若々し さの ある演奏で、速いところは飛ばし、歯切れ良くやったりもしますが、 バーンスタインやクルレンツィスのように驚かされることはなく、あまり恣意的な感 じも しませんでした。最初の二つの楽章などを聞いているとしなやかさ、穏やかさもあ り、平 均的で中庸を行くのかと思ったぐらいです。 出だしは軽く、滑らかながらあまり引きずりはしない印象の伴奏で、音型的に切れ はあ るものの、反響の豊かさも手伝ってむしろ力は抜けている感じです。怒 りの日になるとリズムに弾むような工夫が施され、スタッカートで切ったりします。 テン ポも最大ではないけど速くなります。ぶつけるような強さではなく、軽 さはあるでしょうか。その後のトゥーバ・ミルムは穏やかで、レックス・トレメンデ でま たリズミカルに歯切れ良くなります。レックス、で潔くすぱっと切るの はアーノンクール方式です。フォルテでティンパニが二つずつ拍を寄せて瞬間的にイ ネガ ルのように弾ませるところもあります。切れの良いティンパニです。 ソプラノは大変きれいな声で飾りは少ないです。高い声ではありますが、少女っぽ くは なく澄んでいるもので、可愛らしい見かけだからといってサンドリー ヌ・ピオーやキャロリン・サンプソンと同様、アニメ声の少女がお兄ちゃん、と言う よう な波長を夢見てもいけません。そんな分野じゃないとは思いますが、昔 のカークビーみたいではありませんよ、ということです。さすがに古楽系であり、伸 びが 良くも清らかで、この部分の歌唱としては大変魅力的です。 2012年でレーベルはソニーです。ミュンヘン・ヘラクレスザールでのセッショ ン録 音です。やわらかめの響きで音像は少し遠く、弦などが前に出る方では ありません。残響は最大多くはないですが溶け合いますので、リズムが短く切れてい ても つながってふわっと聞こえる、おとなしい印象の音です。 ジュ スマイヤー版 モーツァルトの弟子だとされて来たフランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤー (1766-1803)が補筆して完成させたものです。これによってこの作品が 後世に伝えられました。色々言われても結局大きな仕事だったわけです。サンクトゥ ス、 ベネディクトゥス、アニュス・デイについては、何らかのヒントをモーツァルトから 得ていたかどうかは解釈次第ですが、一般にはジュスマイヤー自身が作曲し たと考えられています。古くからの録音や、○○版と記されていないものはみなこの ジュスマイヤー版の楽譜で演奏されています。そして近年は新たな改訂を行 うことに少し疲れたのか、この版の価値を見直すかのような動きもあり、そのような 発言や、音楽学者としての感心を持ちつつこのスコアを使った意欲的な指揮 者による新たな録音、あるいはモーツァルトの時代を再現したり、これを元にして少 しだけ何かを変えたり加えたりを試みる演奏も多く行われています。 Mozart Requiem K.626 Karl Richter Munchen Bach Orchester Chor / vinyl ♥ Maria Stader (s) Hertha Töpper (a) John Van Kesteren (t) Karl Christian Kohn (b) モーツァ ルト / レクイエム ニ短調 K. 626 カール・リヒター / ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団 ♥ マリア・シュターダー (ソプラノ)/ ヘルタ・テッパー(アル ト) ヨーン・ファン・ケステレン(テノール)/ カール・クリスティアン・コーン(バス) ジュスマイ ヤー版 の基準となるような一枚でしょう。1960年 の録音で、ステレオ初期からの定番でした。リヒターといえばバッハの演奏で信 仰にも近い受け入れられ方をして来た人です。「厳しい」などと評される、 抑え た抑揚と力強さを感じさせる表現があったかと思えば、真面目ながら案外ロ マン ティックな波長でゆったり大きく歌わせる曲もありました。それらはドイツ 人の 持つ二つの大きな傾向かもしれませんが、あまり具体的な描写をして神様を人間 のレベルに下ろしたと叱られてもいけません。このページでは 最初 ♡を付けてもいなかったのですが、見直しに際して やは り一つ付けることにしました。公平に見て、 モー ツァルトのレクイエムに関しては評判通りの格調 高い演奏だと思います。 無駄な飾りが な く、ベームやバーン スタ インのように遅くもありません。テンポは当時と して は若干速めで過剰な感情表現 にも 傾きません。チェンバロの独 奏曲 などでは録音の太さも相まってごつごつした印 象もあったものの、ここではドイツ語圏の人が見せる区切られたようなリズムと フレージングが目立つわけでもなく、大変ストレートです。ラクリモサ(涙 の 日)の引き締まった美は特筆に値します。 それに加えて、フリッチャイ盤の大ミサ曲でも活躍しているソプラノであ るマ リア・シュターダーの美しい声も聞きものです。小柄な体型からいくつに なって も少女 のような声を出せる個性的な歌手でした。最近のように様々な演奏が出てく る前 のこと、自分もステンド・グラスの写真がジャケットになったドイツ盤LP を手 に入れ、宝物にしていたのを思い出します。今聞いてもやはりいい演奏です。 録音も悪くありません。日本独自企画で96KHzサンプリングのリマス ター 盤が出ましたが、音を大きくし てスピーカに耳を近づけるとマスターテープのヒスノイズが聞こえるぐらい (通 常の聞き方では聞こえませ ん)、余計なノイズ・リダクション操作などはせずに元に忠実に仕上げてあ るの が分かります。 Mozart Requiem K.626 Michel Corboz Choeur Symphonie et Orchestre de la Fondation Gulbenkian de Lisbonne ♥ Elly Ameling (s) Barbara Scherler (a) Louis Devos (t) Roger Soyer (b) モーツァ ルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ミ シェル・コルボ リスボン・グルベンキアン財団管弦 楽 団&合唱団 ♥ エ リー・アメリング (ソプラノ)/ バーバラ・シェルラー(アルト) ルイ・ドゥヴォス(テノール)/ ロジェ・ソワイエ(バス) リヒ ター盤と並んで昔はレクイエムの有名なレコードであり、愛好者も多かったコ ルボですが、この人はその後二回録音して計三つの 盤があります。最初は1967年で、それはここで取り上げるもの。スコアはジュス マイ ヤー版です。二度目はローザンヌ器楽・声楽アンサンブルとやったバイ ヤー版による90年録音盤。三回目はジュネーヴ室内管弦楽団とローザンヌ声楽アン サンブルによる、同じくバイヤー版の95年録 音盤です。この三つ、テンポで比べると時代に合わせてだ んだんと速くなっています。出だしの入祭唱では最初のが5 分58秒、二度目が5分30秒、三度目にな るとかなり速く、3分10秒であり、表現も前のめりに短 く切って古楽奏法的です。これら全部を取り上げるべきか もしれませんが、この指揮者が一般に愛好さ れた理由はその静けさにあり、歩調もゆったりと抑えられ ていたところが良かったのだと思います。そこからどこか 聖歌のようなたたずまいが醸し出され、清ら かな合唱の響きに癒されるのです。フォーレでもそうでし た。したがってここでは、そうした要素が最も色濃く出て いる初発盤のみを扱うことにします。でも実 は二度目の録音も悪くありません。ソプラノのカトリー ヌ・デュボスクの高くもやわらかく浸透するやさしい声が 良く、ビブラートが少なくて最も古楽唱法的で もあり、ソロとしてはそちらの方が好きです。全体のテン ポも最初のと比べなければ十分ゆったりとしており、この 指揮者らしいとも言える演奏なので、興味の ある方は是非チェックしてみてください。 さて、67年盤ですが、音も含めて今でも大変美しいと思います。 古楽ブームに乗って新たな解釈が次々と出てくるようになる前、つまり80年代前半 ぐら いまで、リヒターや ベーム、カラヤンらの演奏の中にあって独自の世界でした。コルボはモンテヴェル ディや フォーレなどの宗教音楽を得意とする1934年生まれのスイスの合唱 指揮者です。激情に走らず、ここでも他の演奏者にはないゆったりとしたテンポを とって インティメイトに、静寂の中で音を展開させています。同じゆったりで も伝統的なウィーンなどの合唱団の持つ大人数の迫力とは違います。心が洗われま す。リ スボンのグラシャ教会の録音ということで、残響も非常に長く、いかに も教会の音楽という感じです。 独唱者ではソプラノ・パートをあのエリー・アメリンクが歌っています。元々派手 さのない宗教曲に合った歌 い手ですが、ここでは全盛期の美しい張りのある声が聞けます。声質は高く、三十四 歳時 の少し少女を思わせる若々しいトーンがチャーミングです。この人はオ ランダ人ながらフランスものも良く、表現力があってラヴェルの歌曲集など見事で す。そしてモー ツァルトは得意なレパートリーです。ここでは二度目の録音のカトリーヌ・デュボス クよ りは標準的にビブラートを使っています。この盤の魅力の一つでしょう。バスも同じ よう に素直で、テノールは速く力強いところもありますが、全体と調和しています。 ラクリモサ(涙の日)の最後はアーメンで締め括られます。コルボの演奏ではそこ が他に並ぶものがないほどゆっ くりと、長く延ばされます。そのように終わりを静かに表現するやり方はドミネ・イ エスも同じです。 古楽器の演奏ではなく、ピリオド奏法的な癖とも反対の歌わせ方ですが、それがな ぜかまたルネサンスの教会合唱を聞いているような清澄さを感じさせます。 今となっては他に比べるものがない独特の世界です。 Mozart Requiem K.626 Karl Bohm Wiener Philharmoniker Konzertvereinigung Wiener Staatsopernchor Edith Mathis (s) Julia Hamari (ms) Wieslaw Ochman (t) Karl Ridderbusch (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 カール・ベーム / ウィーン・ フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合 唱団 エディット・マティス(ソプラノ)/ ユリア・ハマリ(メゾ・ソプラノ) ヴィエスワフ・オフマン(テノール)/ カール・リッダーブッシュ(バス) 堅実・実直な印象の19世紀生まれのオーストリアの指揮 者、ベームとウィーン・ フィルによる1971年の録音です。モダン楽器オーケス トラの伝統的なマナーの演 奏としてカラヤンと並 んで人気があり、バーンスタイ ン、ショルティ、マリナー、リヒターらより国によっては 販売サイトでのコメントの 数が多かったりもします。色々聞いても結局この演奏がい いのだと述べる人もあり、ウェブの CD 紹介のページでも真っ先に取り上げられます。そしてそう評価されるということは、その 価値のある演奏です。 まず特徴としてあ げられるのは遅いテンポです。全体で64分50秒 ほどで、最初の入祭唱の部分 だと実測で6分22秒。これは バーンスタインの6分34秒やチェリビダッケの7分50 秒と比べれば遅くないです が、十分に長大です。ベームのモーツァルトはときにドイ ツ語なまりの、ややフレーズの 区切られた感じの伴奏が聞かれる曲があるかと思えば、協奏曲のいくつ かのように非常に流麗なもの(プリンツとのクラリネット 協奏曲などはベスト・パフォー マンスではないでしょうか)もあります。ここではリズム に角はないも のの、持続させた音を重く引きずるかのように演奏されま す。キリエやレックス・トレメ ンデなどは特にそうで、ラクリモサも壮大です。ソロ・パートを歌う 方もこの 運びにはやや戸惑い、バスやア ルトの一部など、そのテンポを計って合わせることに神経を使い、乗れていない のではないかと感じる場面もあるぐらいです。でもこれも当時の一 つのスタイルではあり、今だか らそう感じるのであって、時代の速度ツマミを反時計回り に少し回してこの呼吸に慣 れてしまえば、案外普通に感じられるとも言えます。悪く 言えば 間延びという表現にもなるでしょうけど、良い面を挙げれ ばベームの魅力の一つでもあった柔軟さ、やわらか い管弦楽の響きに長く浸れるわけです。それは一般的に言 われるウィーン・フィルの音の特徴でもあります。そしてこうしたやわ らかくて分厚い音に包まれてこ そ癒されるということもあるでしょう。それが人々が「またこの演奏に戻って来 る」 理由かもしれません。 合唱は声の質の異なる人たちがたくさんいるように感じ 取れる音で、当時の合唱 団の典型的なスタイルです。悪く言えばがやがやしてると言えるかもし れませんが、世代も人種も異なる一人ひとりの顔が見える ような民主性、と言い換えてもいいでしょう。 ソプラノはエディット・マティス、アルトはユリア・ハ マリで、実力のある人を独唱者 につけています。マティスは清らかで嫌みのない歌い方で 有名なスイス のソプラノです。可愛らしい外見でも人気のあった人で す。ビ ブラートはこのマナーですから けっこう大きくかけていますが、輪郭のしっかりとした、評判通りのき れいな声です。 豪華なメン バーを揃え、大きな規模で 伝統のホールで録音された、この時代の一つの模範です。 壮大さを感じさせるとしても、はったりはありません。 71年のドイツ・グラモフォン の録音は、この時期のベームの一連の録音の中で最良とは 言いませんが、 アナログ期の完成された技術でうねる地鳴りのような合唱の迫力を捉えています。 Mozart Requiem K.626 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker '61 Wiener Singverein Wilma Lipp (s) Hilde Rössel-Majdan (a) Anton Dermota (t) Walter Berry (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ヘ ルベルト・フォン・カラヤン / ベ ル リン・フィルハーモニー管弦楽団 '61 ウィーン楽友協会合唱団 ヴィルマ・リップ(ソプラノ)/ ヒルデ・レッセル=マイダン(アル ト) アントン・デルモータ(テノー ル)/ ヴァルター・ベリー(バス) Mozart Requiem K.626 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker '75 Wiener Singverein Anna Tomowa-Sintow (s) Agnes Baltsa (a) Werner Krenn (t) José van Dam (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ヘルベル ト・フォン・カラヤン / ベルリン・ フィルハーモニー管弦楽団 '75 ウィーン楽友協会合唱団 アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)/ アグネス・パルツァ(アルト) ウェルナー・クレン(テノール)/ ジョセ・ヴァン・ダム(バス) Mozart Requiem K.626 Herbert von Karajan Berliner Philharmoniker '86 Wiener Singverein Anna Tomowa-Sintow (s) Helga Müller-Molinari (a) Vinson Cole (t) Paata Burtuladze (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ヘ ルベルト・フォン・カラ ヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 '86 ウィーン楽友協会合唱団 アン ナ・トモワ=シントウ(ソ プラノ)/ ヘルガ・ミュラー=モリナーリ (ア ルト) ヴィンソン・コール(テノー ル)/ パータ・ブルチュラーゼ(バス) カラヤンはアナログ時代の1961年と75 年、デジタルになってからの86年 にレクイエムを録音しています。 61年 のステレオ初期の 録音は、実は後から聞いたのでそれほど驚かなかったのですが、それでも少し意 外なところもありました。というのは、この頃に カラヤンはベートーヴェンの最 初の交響曲全集を出していて、そちらは颯爽としたテンポで引き締まったダ イナミックなところがあり、三、四回は顔が変 わったかに見えるこの指揮者の、 それがその時期の特徴のように思っていたからです。でもこのレクイエムはもう 少し後に主流となって来たマナーだと思える運び になっています。いわゆる カラヤン・レガートの路線であり、一見時期によ る変化だと思えたものも、本当 は彼自身のポケットにフェースマスクがたくさん あったという事態なのでしょう。 セクエンツィアでスピードアップしたりはある ものの、始まりの入祭唱から遅め です。この楽章では75年、86年と、後になる ほどむしろ少し速くなっているぐ らいです。その点に関してはカラヤンらしい変化 の方向とは逆で、時代の流れと同じなわけです。 ここでのそうしたゆったり感は曲全体に行き 渡っています。カラヤンの中でも 重々しく、滑らかで粘りのある歌わせ方を貫いた 演奏です。元々この人はロマ ンティックで濃 厚なところがありますから、このモーツァルトの レクイエムという曲を、そうし た磨かれたロマン主義と甘い悲愴感に酔う曲とし て解釈していたのだろうと思います。 一番個性的だと思ったのは最初のソプラノの出 だしです。ポル タメントという よりも、音符の最初のアタックで下からずり上げ て行って本来のピッチにたどり 着くという歌い方です。多少は他の歌手でも聞か れはしますが、ここまでとなるとまるで演歌か何 かを聞い ているように不思議でした。 ヴィルマ・リップは1925年生まれのオースト リアのオペラ歌手で、魔笛の夜 の女王を歌った人ですが、カラヤンは後の盤でも ポルタメントでやらせていたり するので、これは案外指揮者の指示なのかもしれません。 録音ですが、リマスターされて出て来たもの (上の写真)に関しては、75年 盤ほどきれいではないにしても滑らかで良いバラ ンスに調整されています。合唱 が重なるところで透明度が高いと言えないのは人 数が 多いからだし、時期としては良 い方だと思います。分離良く感じさせるためか弦は多少メタリックでしょうか、 よく前へ出て来ます。 75年 盤のジャケットは印象 的な逆光の十字架でした。こちらの演 奏、カラヤン美学がよく出ており、三種の録音の 中では最もきれいなものではな いかと思います。他の演奏家たちの中にあっても大変個性的です。この人 の表現手段は大きく分けて二通りあり、過度な表 情はつけずに颯爽と駆け抜ける スピーディなものが一つ。そして流麗かつ粘 りのある歌があり、遅めのテンポで音をつなげな がら濃厚なロマン主義の様相を 見せる、いわゆるカラヤン・レガートのものがもう一 つです。このレクイエムは古典派の作品ではあっても、旧盤同 様、後 者に入るのではないでしょうか。 重厚でオ ペラ的。これがひとことで言った場合の特徴だと思います。出だしの弦から引きずるような悲痛な面持ちで 身振りが大きく、テンポは遅めの楽章と普通の楽 章があるもの の、遅い方では重いリズムで運ばれます。しかし前回の録音よりは切れが良く、 少し速くなってもいます。 独 唱陣で はソプラノのアンナ・トモワ・シントウが光って います。このとき三十四際だっ たブルガリアのソプラノで、やはりオペラの人で す。カラヤンのお気に入りだっ たようで、若々しくて透明感があり、蠱惑的です。トゥー バ・ミルムの後半に、裁 きの日に審判者に向かってどう弁明した らいいだろうかと歌うとこ ろがあります。そこの語尾の二 音の音程を上げ るときに彼女はポルタメントで音をつなげてずり 上げており、レクイエムという よりもオペラで恋人たちが誘惑 し合う場面のようです。最初聞いたときは驚きま した。こういう特徴からする と、宗教的/オペラ的という 対立軸ではコルボ盤の対極に来るかもしれませ ん。バスのヨセ・ファン・ダムも ゆとりのある深い声で 魅力があります。テノールも自然で伸びがあります。 録音は弦 が少し前に出て若干つぶれ気味のところもありますが、総じてきれいにとれていると言ってよいでしょ う。カラヤンの三つのうちでは最もバランスが良 いように思います。これってレクイエムじゃな い、と思いながらも、甘い語りと音の魅惑に抗し 切れずにまたかけてしまう、そんな一枚かもしれ ません。 青く錆びたブロンズの天使像が蝶のように羽を広 げている86年 の新盤の方も、解釈では旧盤と変わらず一貫して います。重厚さは相変わらず で、遅い部分でちょっと間延び気味に 感じるところもありますが、ロマンティックで す。 独唱者たちは ソプラノのアンナ・トモワ・シントウが旧盤と同じながら、声はさすがに前の方が若さと張りが あったように思います。例のポルタメントは以前 ほど顕著ではなく、どうしたの でしょう、気分が乗らないの でしょうか。それとも指示が変わったのでしょう か。でもソリスト全員がオペラ 的なところは旧盤以上で、代わりにアルト とバスが音を転がすようにつなげて歌っていま す。ドラマティックに盛り上げて おいてから漂うようにやわらかく処理する仕方も オペラの技という感じです。テ ノールはやや苦しそうなところもあるように感じました。そういう表現でしょうか。アルトは フレーズごとに区切ってから次へ行くように歌う 癖があるようです。上手い下手 の評価ではなく、全体に独唱者たちは旧盤 の方が好みでした。 一方で、 新盤には旧盤よりも若干静けさがあるような気も しま す。録音の加減でしょうか。引きずるような重 目のリズムは同様で、レックス・トレメンデで は遅い運びです。多少間延びした感 じがする箇所は歌い手より もカラヤンの指示が遅いためでしょうか。ラクリモサの出だしは力強い表現です。 録音はオーケストラの 分解は旧盤より良いですが、合唱は奥まっていて、反対に前より見通しが良くない 感じがします。これはベーム盤で述べたことと同様で、人数の多さ とビブラートのせいで仕方がないことであり、濁らない ようにとるのは難しいようです。弦は艶があるものの少し暗めで、 全体に高域はややオフなのに硬 めの芯がある 音に感じます。デジタルらしさと言ってしまえばそれまでですが、 響きは旧盤よりきれいではあります。後半部のオーケストラのみの パートでは心地良く感じま す。 カラヤンの三つのレクイエム、どれも厭味はありません が、ロマン派 の時代を感じさせる重厚なバター・クリームのような 味わいです。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Helmuth Rilling Bachcollegium Stuttgart Gächinger Kantorei Stuttgart Christiane Oelze (s) Ingeborg Danz (a) Scot Weir (t) Andreas Schmidt (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ヘル ムート・リリング / シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム シュ トゥットガルト・ゲヒンゲン聖歌隊 アー リーン・オジェー(ソプラノ)/ キャロリン・ワトキンソン(アルト) ジー クフリート・イェルザレム(テノール)/ ジークムント・ニムスゲルン(バス) リリングはレクイエムを二回録音しており、これは旧盤 の方で1976年です。新盤の項でこの人の演奏について はより詳しく扱うので、ここでは主に新旧の比 較という観点で述べます。ジュスマイヤー版を使い、伝統 的 で、大変真面目な印象の演奏です。 新盤よりもテンポが遅く、他の演奏と比べてもかなり遅 いものです(入祭唱は5分55秒で、ベーム盤よりは30 秒ほど速いです)。決して走ることな く、重さも感じられます。リズムは一つひとつ丁寧に区 切って音に して行きます。旋律の方は粘るように音をつなげるのです が、一語ずつ を明瞭に発音するように表現して行くので、滑らかに波打 つスラーという感じではあ りません。筆にたっぷりと墨をつけて力を込めてゆっくり 書くような感じ、でしょうか。しかしこ れは時代の呼吸が年々速くなっているせいでもあり、我々が古楽のムー ブメントを経験していることも一因なのです。こちらが当 時の速 度に合わせれば、また 見えて来るものが違って来ることでしょう。ベーム盤同 様、現在でもこうした運びを好 ましく思う方もおられると思います。 ソプラノは大ミサ曲ではバーンスタインやアバド、ホグ ウッド盤などで歌っているアー リーン・オジェーです。魅力的なソプラノで、新盤のクリ スティアー ネ・エルツェと比べれば声質はやや低めながら、よく響き ます。ビブラートはより少ない ようです。この声も大変良いです。 録音はアナログ熟成期で良好です。残響はあまり多い方 ではなく、そのせいもあって演 奏側で音をつなげるところもあるのでしょうか。フォルテ での強奏では 多少白っぽく濁り気味になるというか、合唱などは幾分が やつ く感じもしますが、規模 も大きいし、歪んでるわけではありません。たっぷりとしていて、むし ろやわらかくて透明と感じる人もいるでしょう。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Peter Schreier Dresden Staatskapelle Leipzig Radio Chorus Margaret Price (s) Trudeliese Schmidt (ms) Fransisco Araiza (t) Theo Adam (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ペー ター・シュライアー / シュターツカペレ・ドレスデン ライ プツィヒ放送合唱団 マー ガレット・プライス(ソプラノ)/ トゥルデリーゼ・シュミット(メゾ・ソプラノ) フラ ンシスコ・アライサ(テノール)/ テオ・アダム(バス) 2019年に亡くなったドイツの名テノール歌手にして 指揮者でもあるペーター・シュ ライアーの、1982年の録音です。マリナー盤と並んで モダン・オー ケストラによるオーソドックスな演奏という感じですが、 こちらの方が一続きの面のよう にメロディー・ラインを持続させて行くところがあり、リズム・セク ションを担う伴奏部分ではドイツ的というのか、逆に滑ら かではなく角を付け、拍を区切 るようにしてしっかり一つずつ鳴らして行くところもあっ て、両方揃う ことで真面目な印象となっています。重厚で滑らかと受け 取るか、ちょっと息がつけない ように感じるかは聞き手次第だと思います。テンポは怒りの日などで適 切に速めますが、全体にはゆっくりの部類です。曲の入り もゆったりで素直、驚くようなことはしません。 ソプラノは1941年生まれのイギリスのベテラン、 マーガレット・プライスです。可 憐とも清楚とも言われる澄んだ声の持ち主ながら、元々は メゾ・ソプラ ノだったからか、ここでの声質はやや低い方に寄ってるよ うに感じます。響かせ方がオペ ラの一場面のようでもあるけど、音の始まりとつなぎでポルタメントの ようにずらす癖が多少出るからでしょうか。ビブラートは 全体にたくさんかけているわけ ではなく、かけるところは振幅幅もしっかりという印象で す。張りと艶 がありながら透明感も感じられます。 1982年のフィリップス、デジタル初期の録音です。 シックな音ながら、このレーベルらし く生っぽくも感じられる好録音です。残響はしっかりある ように聞こ える一方、消え方が長いわけではなさそうです。そのため に音 をスラーでずっとつなげる 選択をしている面もあるでしょうか。合唱はしっかり人数がいるよう なマッシブな響きです。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Riccardo Muti Berliner Philharmoniker Stockholmer Kammerchor Rundfunkchor Stockholm Patrizia Pace (s) Waltraud Meier (ms) Frank Lopardo (t) James Morris (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 リッ カルド・ムーティ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ス ウェーデン放送合唱団 / ストックホルム室内合唱団 パト リシア・パーチェ(ソプラノ)/ ヴァルトラウド・マイヤー(メゾ・ソプラノ) フラ ンク・ロパード(テノール)/ ジェイムズ・モリス(バス) どこか濃厚な味わいの、歌のある演奏です。出だしの ファ ゴットがよく鳴るのはヤンソン ス盤と同じで、木管はバセットホルン共々しっかりと歌わ せています。 ゆったりめに入り、滑らかに重厚に音をつなげて行くのは 歌も のが得意な人だからでしょ うか。リズムが全体に重めであり、自分としてはそこがもたれる感じで 好みではないものの、反対にこの方がたっぷりしていて安 定感があるという方も多いだろうと思い ます。怒りの日(三曲目)とコンフターティス(七曲目) などは速くて勢 いが良いですが、全体には遅めで引きずるぐらいのスラー が印象的でした。ジュスマイヤー版です。 ソプラノはイタリア人のパトリシア・パーチェで、キャ リアから言ってもオペラを得意 とする人のようながら、聞いた印象は意外なことにいかに もイタリアの ベルカント、という振幅の大きい感じでは全くなく、高く 澄んだ声質で少女役が似合うイ メージであり、ビブラートの振幅も小さく、素直な歌い方です。大変き れいで気に入りました。 1987年の EMI の録音です。残響が多めで、透明感は高い方ではないと思います。弦はモダン楽器ながら艶 は少なく、細く張り出して若干きつい感じがしま し た。EMI らしいとも言えると思います。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Neville Marriner Academy of St. Martin in the Fields ♥♥ Chorus of St. Martin in the Fields Sylvia McNair (s) Carolyn Watkinson (a) Francisco Araiza (t) Robert Lloyd (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ネ ヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団 ♥♥ アカデミー室 内合唱団 シルヴィア・ マクネアー(ソプラノ)/ キャロリン・ワトキンソン(アルト) フランシス コ・アライサ(テノール)/ ロバート・ロイド(バス) モダン楽器の室内管弦楽団を指揮するマリナーは、 1977年にアーゴ・レーベルから イレアーナ・コトルバスをソプラノに起用したバイヤー版 による演奏が出ていましたが、ここで取り上げるのはその 三年後にフィリップスから出した、ジュスマ イヤー版(一部手が入っているようです)でやり直した新 盤の方です。旧盤は重めのリズムで、比べれ ば遅くどっしりとした演奏であり、ソプラノは揺らしが多 めで濃い味わいでした。バイヤー版を採用したごく初期の 録音ということで、日本ではそちらの方が人 気が高いようです。 ゆったり静かに入り、メロディラインの運びに滑らかさ を感じさせます。出過ぎないデリケートな抑揚があって全 体にオーソドックスな運びであり、モダン楽 器演奏によるレクイエムの理想的な形だと思います。劇的 な方ではないですが力も十分感じさせ、どこにも破綻がな く安心して聞けます。変わったことはせず、 音楽を内側から語らせるかのようであり、これ以上完成度 の高い演奏はなかなかないでしょう。テンポはゆったり なところが多いですが、キリエとそれを最後で繰り返す部 分では結構な速度で駈け、怒りの日やコンフターティスの 出だしなどもモダンとしてはむしろスピー ディな方です。レックス・トレメ ンデはジュスマイヤー版のスコアにある表記の通りだから か、今の古楽全盛の時代の解釈からするとやや引きずるよ うに重めに感じます(バイヤー版のときも、 よく切ってはいましたがテンポは同じぐらいでした。それ より滑らかです)。ラクリモサはやわらかく、静寂の美が あってある種荘厳さも感じさせます。 ソプラノはシルヴィア・マクネアーです。四年前にガー ディナー盤の大ミサ曲で歌っていた人で、これが声質、表 現ともに大変良いのです。艶のあるやや高め の声はやわらかく、ビブラートは控えめな方で、旧盤のよ うに大きく全体に震わせるオペラ的な感じはしません。大 変品が良く、数あるこの曲の歌唱の中でも 一、二を争うと個人的に思ってます。大ミサのときは、表 現 の技術的な選択としてピッチ差の大きい細かなトリルを施 す点だけが好みではありませんでしたが、 ここではそういうことはなく、理想的です。 1990年録音のフィリップスです。コーラスは自前 で、人数は少なく感じられるもの ではないながら、溶け合う音はきれいです。残響はほどほ どで、派手さがない一方、濁りもありません。最近の最も 良質の録音と比べれば最高にクリアとは言え ないかもしれませんが、フィリップスらしくて自然です。 もう少しだけ艶が乗り、合唱に透明感が出ると完璧でしょ うか。このままでも十二分です。 Mozart Requiem in D minor K. 626 William Christie Les Arts Florissants Anna Maria Panzarella (s) Nathalie Stutzmann (a) Christoph Prégardien (t) Nathan Berg (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ウィ リアム・クリスティ / レザール・フロリサン アン ナ・マリア・パンザレッラ(ソプラノ)/ ナタリー・シュトゥッツマン(アルト) クリ ストフ・プレガルディエン(テノール)/ ネイサン・バーグ(バス) アメリカ出身の指揮者とフランスの古楽オーケストラの 演奏です。マルゴワールもエキ ルベイもフランスなので、今回は古楽のフランス勢の割合 がいつもより 高くなったかもしれません。古楽組の中でも表現意欲に満 ちてお り、サヴァールとはまた違った 感覚ではあるけど、同じように独自の個性を感じさせる演奏に感じま す。テンポを楽章ごとに動かし、速いところではこの運動 黎明期以来のスピード感をもっ てぱっぱっと軽快に短く切る運びを見せ、アタックの強い 拍も出しま す。一方、スローなところでは歌い方に独特の節回しがあ り、拍子の頭に弾みをつけた り、持ち上げて下ろすような濃いめの抑揚を施します。こうした外連味を 恣意的にではなく、自然に心地良く感じられる方にはまた とない気持ちの良い演奏だと思 います。誰にでもその人の呼吸のリズムというものがあり ますので、そ こが合えば素晴らしい出会いとなるに違いないのです。ス コアはジュスマイヤー版です。 やわらかく中庸のテンポで入ります。トロンボーンが フォルテで出て切り 替わる7小節目ではかなり力強くやり、その後の展開を予 想させます。この入祭唱の部分は速くはないですが、合唱 の高音部が担う旋律の抑揚が明快です。 次のキリエでは速くなります。でも力はさほど込めず、 リズムは軽いです。そのまま怒 りの日も快速で飛ばし、古楽らしく前のめって切れます が、音があまり せり出さないのでうるさくはなりません。ここは乗りが良 くてかなり気持ち良い感じでし た。前に出て来ない録音の加減もありますが、同じようなところでのサ ヴァールの表現より軽快さがある気がします。レックス・ ト レメンデの後半では速度を急に落として弱めたりといっ た、大きな変化も聞かれます。そこの楽章では あまり駈けず、激し過ぎもしない一方、合唱の高音に持続 した抑揚をつけたりしていま す。レコルダーレは大変遅いです。 ソプラノはアンナ・マリア・パンザレッラということ で、1970年生まれのフランス 人ということぐらいしか分かりませんが、ディスコグラ フィーでは古楽 が得意なようです。華やかな倍音の乗る声で、艶と輪郭を 感じます。やや少女っぽい感じ もし、キュートです。ビブラートは全体にかけていますが派手ではな く、歌い方も上品です。多少立っているところまでの距離 を感じさせ、その分空間が広がりま す。この部分、大変いいです。 1994年のエラートの優秀録音です。やや遠目 ながら弦の高音がよく聞こえる きれいな音で、古楽器ですがブラスと共に艶があります。合唱と管弦楽 の輪郭もくっきりししつつ、フォルテでもやかましくなら ず、透明感もあります。低音も出ています。 Mozart Requiem K.626 Cergiu Celibidache Munchner Philharmoniker Philharmonischer Chor Munchen Caroline Maria Petrig (s) Christel Borchers (ms) Peter Straka (t) Matthias Hölle (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 セル ジュ・チェリビダッケ ミュンヘン・ フィ ルハーモニー管弦楽団&合唱団 カロリーネ・マリア・ペトリヒ(ソプラノ)/ クリステル・ボルヒャース(メゾ・ソプラノ) ペーター・ストラーカ(テノール)/ マティアス・ヘーレ(バス) ミュンヘン・ フィルとの晩年の録音です。大変遅い演奏です。 チェリビダッケの晩年の一連の録音は大変好き なのですが、このレクエムはそれでもかなり遅く感じま す。録音 は鋭さはないものの、ライブなりに優れています。どう 言っ たものでしょうか。 95年の録音 で、遅いベームよりさらに遅い、恐らくレクイエムで最大ゆっ くりな演奏だろうと思います。トータルで 65分59秒です。ベームであれ誰であれ、人は老年にな ると生体の速度が落ちるのか、大抵は演奏のスピードも自 然と鈍ります。あるいは動じなくなる、のか もしれません。この人の場合もそういう一面はあると思い ます。でも無意識に遅くなるのではなく、自覚的にその遅 い展開による効果を狙っているところがあるのだと思いま す。遅いからこそ見えて来るものを、禅のような無執着に よって見せたいのかもしれません。見せたい、というのは 無執着と矛盾するわけですが。 怒りの日は少しテンポが速く、普通の演奏とほとんど変 わらないスピードだっ たりしますので、トー タルでベームより1分長いということは、遅い楽章では相 当に遅いということです。反響 が少なく、その音の切 れ目を埋めるように一音を最大に延ばして歌われます。し かし新しいだけあって録音は ベーム盤より良いので、合 唱が濁るということはありません。もはや独自の世界で す。 ソプラノの情報はあまりありません。ディスコグラ フィーは全てミュンヘン関連ですから、地元の人でしょう か。遅い速度に戸惑っているように聞こえます。ビブラー トはかけます。ボーイ・アルトのような声にも聞こえます が、張りと透明感があります。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Jordi Savall Le Concert Des nations La Capella Reial De Catalunya Montserrat Figueras (s) Claudia Schubert (ms) Gerd Türk (t) Stephan Schreckenberger (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ジョ ルディ・サヴァール / ル・コンセール・ナシオン ラ・ カペッラ・レイアル・デ・カタルーニャ モンセラー ト・フィゲーラス(ソプラノ)/ クラウディア・シューベルト(メゾ・ソプラノ) ゲルト・テュ ルク(テノール)/ ステファン・シュレッケンベルガー(バス) カタロニアの古楽の雄、サヴァールは91年にレクイエ ムを録音しています。でも、彼 のヴィオラ・ダ・ガンバみたいな濃厚な歌の路線ではないよう な気もします。ある種、クルレンツィス盤と比べてみると 面白いのかな、などと思わない こともない、切れの良さが感じられる演奏です。ピリオド 奏法の一つの 角の部分とも言えるでしょうか。スコアはジュスマイヤー 版です。 速い出だしで、軽快な伴奏の切れはいかにも古楽的で す。この時代の、と言った方がいいでしょうか。ブラスも 鋭く、切れの良いリズムで全体に弾むような運 びです。テンポとしてはレコルダーレなど、必ずしも速め とは言えない楽章もあります。次の音を待って少し音符を 延ばし気味にし、たゆたい粘るような濃いめ の節回しになるところもあります。元々この指揮者が持っ ている歌のセンスでしょう。ラテン的な味付けなのかもし れません。そういう意味ではどこか男振りな ところがあると思えるアラルコン盤にいくらか似ている気 もします。お行儀良く楽譜を音にして行くというのではな く、ちょっと髭が生えてる感じです。このレ クイエムでは控えめではあるけど、こういう個性があって こそ嬉しい方もおられると思います。 ソプラノは音符のアタック後にふわっと持ち上げるよう なイントネーションで、音はよく切ります。語尾を延ばさ ず、ノンビブラートです。声は高くはなく、 華やかな倍音ではありません。古楽としては適切だと思い ます。残念ながらフィゲーラスはこの二十年後に亡くなっ ていますが、指揮者の奥さんで、もちろん友 情出演なんかじゃなく、実力のある有名な人です。 怒りの日は非常に速く、ティンパニが連続して活躍しま す。 性急とは言いませんが、全体に鋭く、何か焦 るべき懸案があるかのように、前へ倒れかかるような感覚 で力強くやりま す。レックス・トレメンデもリズムを短く切って歯切れが いいです。コンフターティス の出だしも同じです。 ラクリモサは中庸やや速めのテンポですが、やはり古楽 的にさ らっとしているでしょうか。ア ニュス・デイはゆっくりで静けさも感じられるものの、音 はやはり延ばさない傾 向です。 もやもやしない演奏です。音型はそうでもないのに、ど こ か濃い感じがして、きっぱりと した意識の強さを感じさせます。切れの良いくっきりとし たプ レゼンスを求める方には是非聞いてみてい ただきたい一枚です。や わらかさ、繊細さ、静けさこそが聞きたい方には、ちょっ と違うでしょ う。 アストレ/アリア・ヴォックス1991年の録音で、コ ンディションは良好です。残響 はしっかりありますが、被る感じはせず、クリアです。 Mozart Requiem K.626 Philippe Herreweghe Orchestre des Champs Elysees ♥ La Chapelle Royale Collegium Vocale Gent Sibylla Rubens (s) Annette Markert (ms) Ian Bostridge (t) Hanno Müller-Brachmann (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 フィ リップ・ヘレヴェッヘ / シャ ンゼリゼ管弦楽団 ♥ ラ・ シャペル・ロワイヤル / コレギウム・ヴォカーレ・ゲント シ ビッラ・ルーベンス(ソプラノ)/ アネッテ・マルケルト(メゾ・ ソプラノ) イアン・ボストリッジ(テノー ル)/ ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(バリトン) リヒター盤 がジュスマイヤー版演奏における古くからの 基準なら、こ のヘレヴェッヘ盤はニュー・スタンダードと 言える一枚です。洗練された物腰という意味 でも一つの極です。バッハのカンタータやカ ン プラとジルのレクイエムなど、 歴史的な作品で評価の高いベルギー の古楽の指揮者ヘレヴェッヘですが、ラトル やダニエル・ハーディングがアーノン クールを慕うのとは逆に、この人は レオンハルトやアーノンクールに認められた という経緯があるようです。気 に入って随分CDを買って来ました。近年は 第九やこのモーツァルトなど、古典派時代の ものも出して来るようになりま した。 ジュス マイヤー版でピリ オド楽器を使用した、最もオーソドックスで美し い演奏だと思います。テンポは中庸で、 さらっと軽快なところとゆったりしたと ころがあるものの極端ではなく、どこに も派手な演出はありませ ん。バロック・ヴァイオ リンなど の古楽器の自然な美しさが味わえる一 方、ピリオド奏法特 有のイントネーションは感じません。 元々そういうところが個性的な人なので あり、こういう方向っていいです。かと いってただ滑ら かなだけの演奏では決してな く、コンフターティス(「呪われた 人々が入り交じって」)の力強さは圧巻 ですし、ラクリモサの突然襲う 劇的なフォルテも感動的です。全体とし ては迫力で押すタイプの演奏ではないの です。どこかに軽さとやわらかさが隠れ ていて、全ての材料にハーモニーを感じ させる一流シェフの料理のようなソフィ スティケーテッド・サウンドです。 独唱パートも優 れています。 バスは豊かでゆったりしていますし、ソ プラノは入祭唱では少し強さを出して歌 いますが、まろやかでありながら輪郭を 保った艶とコクがあり、なんとも言えな いきれいな音色です。ティーレマン盤で も歌うシビッラ・ルーベンスで、古楽を 得意としてヘレヴェッヘとはよく一緒に 活動しているドイツの1970年生まれ のソプラノです。 1996年のハルモニア・ムンディ・ フランスの音も自然で、ライヴ収録であ りながら大 変優秀です。 合唱の高音 の響き、溶け合うような音が大変美しく、や わらかさのある方でこの曲のベスト録音の一 つでしょう。ダイナミック・レンジが大きい (大きな音の楽章と小さいところとの差があ る)です。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Jean-Claude Malgoire La Grande Ecurie Et La Chambre Du Roy Kantorei Saarlouis Hjordis Thébault (s) Gemma Coma-Alabert (ms) Simon Edwards (t) Alain Buet (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ジャ ン=クロード・マルゴワール ラ・ グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブ ル・ デュ・ロ ア カ ン トライ・ザールルイ ヒョ ルディス・ティボール(ソプラノ)/ ジェンマ・コマ=アラベール(メゾ・ソ プラノ) サ イ モン・エドワーズ(テノール)/ アラン・ブエ(バス) ここで指揮をしているジャン=クロード・ マル ゴワールは1940年生ま れのフランスの古楽の指揮者で、ベルギーとの国境近くの町、トゥールコワ ンで活躍 するこの楽団(王室大厩舎・王宮付楽団と訳されます。Roy はアングロ=ノルマン語起源の語で、フラン ス語圏で king の意味を持ちます)の設立者ということです が、日本ではフランスの古楽の 運動はあまり紹介されて来なかったように思 います。 この録音では1819年に南米(リオデ ジャネ イロ)で初めて演奏された レクイエムを再現しようとしています。リオは一時期、ナポレオンに押され てポルト ガルの首都が移されたこともある文化都市でした。そのときの演奏ではザル ツブルク生まれの作曲家、ジキスムント・ノ イコ ム(1778-1858) のリベ ラ・メが最後に追加されたので、ここでもそ れが演奏されており、この盤の 注目すべき点となっています。そこまでのス コア はジュスマイヤー版です。 このマル ゴワールのレクイエムには1986年録音の 旧盤(ソニー)もありますが、 ここで取り上げるのは2005年の新盤の方 で す。 フランスの古楽の担い手はそれまでのモダ ンのゆっ たりとした歌謡性とは反対に、 活気ある表現が好きなようです。最初は静か な方に寄った展開なのかなと思 うもの の、それは歌が出るぐらいまででしょうか。全体には速めのテンポをとり、 さらっと流すところと力強くやるところが印 象に残ります。弱く繊細に、あるいはゆっく り運ぶような演奏ではない印象を持ちまし た。きりっとしています。怒りの 日などは切迫して前へとなだれかかる俊敏なテン ポに吠えるブラスが輝きを添え、イ タリア・オペラの序曲かというぐらい劇的で す。 各ソロの力強い歌い方も貢献しており、ソ プラノはビブラートの振幅が しっかりあり、歌劇の叙情的な場面のようです。レックス・トレメンデやコ ンフター ティスなどもブラスがくっきりして劇的に聞こえます。ラクリモサもすっき りと速く、鮮やかに進行し、他でよくあるよ う な弱く繊細な表現ではありませ ん。必ず しもリズムが切れる種類ではないもの の、きりっとして力強いレクイエ ムが好みの方にはお薦めです。 ノイコムのリベラ・メについては、最後に 来るので本体の演奏には影響が ありません。悲劇的に常に鳴り響いている感じがして当然ながらモーツァル トの曲の ようではないと思いましたが、評価はお任せです。 モーツァルト晩年のグラスハーモニカの曲 の番号をレーベル名としている フランスの K617の2005年の録音です。フランス の教会で収録したようです。残 響はかなりある方です。古楽の楽団ゆえ弦の 音はバロック・ヴァイオリンです。高い 方の細かな音を拾いますが、音像は近くはな く、弦に関しては決してうるさ くはありません。ブラスは輝きます。良好な録音 です。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Christian Thielemann Münchner Philharmonker Peter Dijkstra Chor Des Bayerischen Rundfunks Sibylla Rubens (s) Lioba Braun (a) Steve Davislim (t) Georg Zeppenfeld (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ク リスティアン・ティーレマン / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ペー ター・ダイクストラ / バイエルン放送合唱団 シ ビッラ・ルーベンス(ソプラノ)/ リオーバ・ブラウン(メゾ・ソプラノ) ス ティーヴ・ダヴィスリム(テノール)/ ゲオルク・ゼッペンフェルト(バス) ティーレマンという人は大きな交響曲など の演奏で評価が高く、大変人気 があるようです。ブルックナーなどをあまり聞かないのでその醍醐味をよく 分かって いないかもしれません。自身の独自の見識によってテンポを自在に動かして スケールの大きな演奏をし、ドイツの伝統的 な指揮者としては多少派手なところもあ るのではという印象であり、このページでは 今のところ第九でしか扱ってな い記憶です。洗練という方向とは異なった熱 のあ る人だと思って来たのですが、この レクイエムは予想とは少し違っていました。 テンポの変化はあまりありません。今やその 道で有名になっている78年生まれのオラン ダの俊英、ペーター・ダイ クストラが合唱部分の指 揮をとっていることと関係があるので しょうか。合唱団はその彼が2005年から芸術監督になっている名門、バイエルン放送合 唱団です。スコアはアイブラー 版も参考にしているようながら、基本はジュスマ イヤー版です。トータルで はやはり スケール感があってどっしりとしています。 中庸やや速めのテンポで始まり、さらっと 流します。トロンボーンと弦が 出て来るところもことさら劇的に区切らず、弦は力強いですが運びはそのま まです。 合唱は新しい指導者の下、クリアな感じが増して来たとも言われており、そ の通りだと思いますが、揃って力強い運びで あり、古楽系で最小人数をとる種類では ないです。 ソプラノのルーベンスはヘレヴェッヘや コープマンのバッハで活躍して来た人で、ヘ レヴェッヘ盤のレクイエムも彼女です。ここ ではビブラートは大きくなく全 体にか ける一方で、透明感のある高めの声は雑味が なく、輪郭が感じられます。当ててから音程 を上げ る歌い方も少し出しています。 キリエも驚くようなことはなく、真面目で オーソドックスです。怒りの日 では速まりますが、やたらと切れ良く走るというのとは違い、自然に速いで す。レッ クス・トレメンデは重く雄大です。オスティアスではゆっくり静かに行って 間を大きく空けるところがあり、そこでは重 低音が出ます。 2006年のドイツ・グラモフォンの録音 は、 低音がしっかりしたバラン スの弾力のある重めの音で、上は輝き過ぎま せん。フォルテでは多少濁る部分も あるで しょうか、合唱がやや透明度が落ちるような 気もしますが、問題のない良い 音です。残響はほどほどです。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Edward Higginbottom Orchestra of the Age of Enlightenment Oxford New College Choir モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 エ ドワード・ヒギンボトム / エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽 団 オッ クスフォード・ニュー・カレッジ合唱団 イギリス伝統のボーイ・ソプラノが聞ける レクイエムです。もう一つのク レオベリー/ケンブリッジ・キングス・カ レッジ合唱団盤がソロは女性なのに対 し、こちらはソプラノもアルトも少年です。 この方向が好きな方には他には ない魅力があると思います。スコアはジュス マイヤー版です。 やや軽快な中庸のテンポで始まります。ト ロンボーンの出る合唱前のフ レーズもあっさりと流します。全体に凝った表現はせず、あまりためを効か さず少し前 に乗り出したような運びであり、演奏全体が少年合唱の性質を帯びたように 純粋とも言えるレクイエムです。合唱の高音 部が独特の少年声でやや強く前へ出る傾 向を持って響きます。 ソプラノ・ソロはボーイ・ソプラノです。 大変上手であどけなさもあり、 あっさりしています。独特の音程感は多少あるものの気になりません。この 種類のも のとしてはベストではないでしょうか。全体に同じ波長でまとまっており、 トゥーバ・ミルムでのアルトも少年なので、 オペラ的に女性の太い声で押す気 迫系とは反対です。音を あまり長く引かないでしょうか。 どこにもテンポに極端なところはなく、怒 りの日も中庸の速度であり、強くやり 過ぎません。ラクリモサはやや速めに流します。 2010年の録音でレーベルはノーヴムで す。全体に重圧感のない、あっ さりとしていながら滑らかさもある音で、合唱はやや音像は遠めであり、弦 も古楽の 鋭さはあまりありません。艶が感じられるきれいな音です。優秀録音と言えます。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Teodor Currentzis MusicAeterna The New Siberian Singers Simone Kermes (s) Stéphanie Houtzeel (a) Markus Brutscher (t) Arnaud Richard (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 テオ ドール・クルレンツィス / アンサンブル・ムジカエテルナ ザ・ ニュー・サイベリアン・シンガーズ シ モーネ・ケルメス(ソプラノ)/ ステファニー・ウゼール(アルト) マル クス・ブルッチャー(テノール)/ アルノー・リシャール(バス) 物差 しの一方の端に楽譜通りの優等生の演奏があったとす る と、反対側は何でしょう。一つの極となり得るのは、 楽曲を題材としながら演奏者が自らを表現するような あり方、かもしれません。その人らしいというのにも 色々あるものの、指揮者で言え ば、フルトヴェングラーを挙げたら叱られてしまいま す から、雄大なスローと重量がありながらの驀進という 対極の設計を見せるバーンスタ イン、元気なときのバレンボイム、常に一家言ありつ つテンポを揺らす ティーレマン(このレクイエムではその限りではあり ません)、楽しいサービス精神 で色々見せてくれるドゥダメルといった人たちは、大変個性的なパフォー マーだと言って異論はないことだろうと思います。別 の角度から見るならどこか目 立って激しいところがあるとも言えますから、ピアノ のアルゲリッチが好きな 人に、「じゃあバーンスタインも好き?」と聞いてみ る と、友人などは「アバド」と 答えたりして、人の好みは予測不能であり、理由も千差万別です。です からこの演奏について、形は違うけどバーンスタイ ン、もしくはアルゲリッチやグー ルドのファンの方は是非聞いてみて、などとも言えません。それならばどう いう種類と説明したらよいのでしょう。何か似たもの が ある気がすると思っていたので すが、まるでビオンディの新しい方の「四季」のような乗りです。 少な くとも洗練を求める人向きでないとは言えるでしょ う。しかし音楽は自然な自発性こそが全てでもないわ けで、あざといまでに計算され た表現の世界もあります。「春の祭典」のページで は、ミュージック・インダスト リーに彗星のように登場し、俄かに頭角を現したこの サイベリアン・タイ クーン(大君)について、すでに簡単にご紹介してい ます。ですのでここでは省きますが、求心力のあるカ リズマティックなリーダーのよ うです。モーツァルトのレクイエムというのは、「春の祭 典」や「悲愴」と 並んで、こうした人と団体が上位で取り上げる人気曲 なのだとあらためて認識しまし た。ホルモン鍋パーティみたいな短縮語の呼び名もあ るし、レクイエモファイルと いう造語を思い付く人もい るぐらいですから、何を今さらかもしれませんが。 曲によってモダン楽器とピリオド楽器を使い分ける 楽 団ということで、ここでは弦の音からして古楽器のようです。スコアの面で変わった ことをするわけではなく、ジュスマイヤー版で すが、アーメン・フーガはつけます。その部分に ついては後述します。 表現 の幅が爆発したみたいな演奏です。突然の激発も聞かれま す。計画されてはいるけれど、感情的振幅と言えるで しょうか。それはディナーミク (強弱幅)とアゴーギク(速度幅)の両面についてで す。一方で静かに運ぶ ところには抑えた美しさもあり、昔の古楽の徒がなん でもスピーディーに、どこでも 音を短く切り詰めるようなマナーとは違います。陽性のサービス精神からなのか と思うと、そうなのかもしれないけど、どこか追い込 んだような真剣さも感じさせ、シベ リアの冬の厳しさはリラックスしてたら凍えてしまう のかな、と思わないで もありません。ア ンサンブルは大変揃ってます。 レベルの高いパフォーマンスです。 出だ しは抑えて入り、合唱が始まる前にトロンボーンが出 て切 り替わるところが強い調子で終わると、入祭唱のその 後の部分では適切な抑揚を保 ち、驚かすようなところはなく、自然に流して行きま す。基本はそう した運びなのでしょう。ですからどこもかしこも最大 限の表情を付けているわけではありません。 ソプ ラノは声質は高めで軽く、ノンビブラートでさらっと して いて、多少ボーイソプラノみたいな歌い方に聞こえま す。素直で色気があるわけでは ないけど、清潔で大変良いと思います。ここで昔流儀 の派手でオペラティックな歌手を持って来るのは路線 が違う でしょう。ソロは指揮者 より目立ちません。 キリ エでは拍ごとにくっきりアクセントを付け、古楽のよ うに リズムを切ります。そして次の怒りの日(ディエス・ イ レ)は最もこの人たちらしい部分で しょう。猛速なだけでなく、ドラマティックに強調さ れたアクセントが付きま す。区切ったり弱音に落としてつなげたりといった具 合で、リズムの遊びのようで す。楽譜にない不思議な音も出します。所々で拍子を 取るようにカチンという雑音が加わり、最初コル・ レーニョ(弓の背で弦を叩く) かと思ったもののそうではない ようで、バルトーク・ピツィカートなのかもしれないけど、むしろクラシッ クでは珍しいベースのスラップ奏法(チョッパー)の ようです。ロックもやってた人 ですからあり得ます。手で叩くことで弦と指板を衝突 させるものです。気迫 を見せているのでしょう。レックス・トレメンデも剃 刀のようです。「レックス」の 発音はアーノンクールで驚いて今は慣れた、例の短く切る叫びとなっていま す。 ラク リモサは強弱を付け、弱めるところはうんと弱く、テ ンポ はゆっくりです。qua resurget ex favilla の部分では音を短く切って行きます。一方で静かに抑 えられたきれいな運びも聞かれます。そ してこの楽章の終わりでも、またまた不思議な音が出 て来ます。アーメンの 最後で突然楽音をかき分けて甲高いノイズが立ち上がり、最初ロケット花火でも飛ば したのかぎょっとしましたが、竹の小さなウィンド・ チャイムのようにカラ ンカランと断続しています。よく聞くともう少し金属 的だから、少し離れたスレイベ ル(鈴)でしょうか。そしてその後で近年になってス ケッチが発見された アーメン・フーガに続け、その間中ベルを鳴らしていますが、モーツァルトが書いた 部分だけを静かに歌い終えるとそこでふっつりと演奏 をやめてしまいます。 バッハのフーガの技法でグールドがやったみたいに途 中で音が止まって宙に放り出さ れるのです。そしてそのまま鈴だけは続け、それを フェードアウトさせて終 わります。作曲家がこの世界から退場して行ったという演出なのでしょう。 とい うわけで、なんだかお芝居を見ているみたいでし た。白黒の仮面を付けてパントマイムを踊るような前 衛劇が思い浮かびます。白馬に 乗った女性たちが走り回るミンコフスキの DVD よりもエキセントリックです。パーヴォ・ヤ ルヴィの「運命」はロックのよ うな乗りだといって♡♡にしました。似たような工夫があ りながら、ここで はちょっと違う波長も感じます。有名になりたい女の 子たちにオーディションで食べていただくデスソース というものがあるそうで、そこまでではないにせよ、 ホットソースで言うならファイアリー・ホットぐらい のスパイス感はあるでしょう。 何かで「もう一味の刺激がないとプロではない」とい う評に同意したことが あるなら、試す価値はあると思います。グルのマジックを堪能してください。あちらこちらで賞も 取っているそうです。 アル ファ・クラシックス2010年の録音はノヴォシビル スク (シベリア)での収録で、残響はほとんどない方で す。でも却ってそれがこの演奏に は相応しいと思います。ノンビブラートの弦がスト レートで、少し乾いた感 じがする優秀な録音です。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Stephen Cleobury The Academy of Ancient Music The King's College Choir of Cambridge Elin Manahan Thomas (s) Christine Rice (ms) James Gilchrist (t) Christopher Purves (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ス ティーヴン・クレオベリー / エンシェント室内管弦楽団 ケ ンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団 イー リン・メナハン・トーマス(ソプラノ)/ クリスティーヌ・ライス(メゾ・ソプラノ) ジェ イムズ・ギルクリスト(テノール)/ クリストファー・パーヴス(バス) イギリスらしく女声を排した伝統の合唱団による演 奏です。アングロ・マニアック やボーイ・ソプラノによる合唱の高音が好きな方には オックスフォード・ ニュー・カレッジ合唱団のヒギンボトム盤と並んで注 目の一枚です。ただ、こちらの ソロイストはハリー王子とメーガン妃の結婚式でも歌った古楽のソプラノ、 イーリン・メナハン・トーマスを起用するなど、女声 となっています。しかしトーマ スはまるで少年のような声ですから、いかにも女性ら しいのはアルト一人で す。使っているスコアは普通にジュスマイヤー版です が、それとは別に付録というの か、バイヤー、モーンダー、レヴィン、ドゥルースなどの各版の典型的な部分が聞け るというおまけもあります。澄んだ透明な音で、気に 入る人にはこれこそが、というレクイエムです。 出だしから速めのテンポで鮮やかに、さらっと清潔 に流して行きます。艶のある木 管も繊細な弦も、他の楽器もみな響きがきれいです。 合唱が出て来ると、ま ず低音部の大人の男声の部分が特徴的に目立ちます。 そしてすぐに少年の高音部が聞 こえます。大変上手ながら、テンポ設定のせいもあり、ためのない真っ直ぐ な歌い方はいかにも少年合唱という感じです。 そして独自の表情は付 ける間もなく、あっという間にソプラノ・ソロのパートに至ります。 そのイーリン・メナハン・トーマスのソプラノです が、 少女のような甲高い声で、 写真で見るイギリスの人らしい容姿共々キュートな印 象を受けます。1977年のウェールズの生まれです からこのと き三十四歳。メーガン妃がドラ マの画面から突如飛び出し、そのまま王室の人となっ た式典より七年前のこ とです。ビブラートはほぼなくストレートで、あって も小さなものです。天使の声と いう人もいるでしょう。 その後の楽章での運びはどこも一貫しており、やは り速め のテンポで流れて行き ます。レックス・トレメンデは短く切る歌い方の古楽 のタイプではありませ ん。指揮者が表現を加えないで、合唱の純粋な音だけ をそのまま聞かせるという感じ です。少年合唱の高音部は確かに少し音を上げづらいところも聞かれます。 音程が不安定ゆえに多少のがやつきが出たりして、必 ずしも透明ではないという見方 もあるでしょう。でも好きな人にとってはその不安定 さこそが魅力なのだろ うと思います。したがってこの演奏自体、心洗われる ようだという人と、速くてそっ けないという人があるだろうと思います。 2011年の録音で、レーベルは合唱団自前のザ・ クワイア・オブ・キングス・カ レッジです。自分たちの聖堂での収録で、残響がしっ かりあり、硬質な輪郭 できれいに響きます。エンシェント室内管弦楽 団のピリオド楽器の音も良いです。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Laurence Equilbey Accentus Chamber Choir ♥♥ Insula Orchestra Sandrine Piau (s) Sara Mingardo (a) Werner Güra (t) Christopher Purves (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ロ ランス・エキルベイ / インスラ・オーケストラ ♥♥ ア クサンチュス室内合唱団 サ ンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)/ サラ・ミンガルド(アルト) ヴェ ルナー・ギューラ(テノール)/ クリストファー・ピュルヴ(バス) 指揮界のオスカル、というのは日本の方のようなが ら、このロランス・エキルベイ というフランスの女性指揮者も颯爽としています。そ れが見た目だけではな く音楽の方でも言えることは、このレクイエムを聞け ばはっきりと分かります。スコ アは素直にジュスマイヤー版で、良いと思います。 余分なことはせずにすっきりくっきり、剃刀の切れ 味のクリスタル・クリアーな世 界です。テンポはトゥーバ・ミルムなど、ゆったりな ところもありますが、 思わせぶりに重く音を延ばしたりしないこともあって 平均して軽快な方に寄っています。出だしは特に速く も遅くもない中庸ながら、さらっ として引きずりません。ラクリモサも繊細で透明だけ ど、力もあって見事です。素早く 畳み掛けるような歯切れの良さも見せ(怒りの日など)、入祭唱の後ろの方 の et lux perpetua などではティンパニが強く打つところも聞かれます。 調子良くボンボコ叩きまくるの とは違い、こういう要所で引き締める激しさは印象に 残ります。それでいて雑で はなく、力づくでもないところが女性の素晴らしい資質だと言えるでしょうか。弱い 音は繊細です。静かなパッセージでは抑揚がやわらか く、合唱も響きがやさ しくソフトで、自在にふわっとテンポを緩めたりし て、力が抜けていて大変きれいで す。この合唱団はエキルベイが1991年に設立した ルーアンの団体で、こ ういうところにもその本領が発揮されていると言えます。インスラ・オーケストラの 方も彼女が2012年に作ったもので、古楽を専門と するわけではないです が、曲の当時の楽器を使う楽団であるため、ここでは ヴァイオリンなどは広義のバ ロック・ヴァイオリン(クラシカル・ヴァイオリン) の音になっています。古 楽の楽団と言っていいでしょう。 ソプラノは美しい声で有名なあのサンドリーヌ・ピ オーです。バロック・オペラを 得意とするフランスの人で、有名な評論家が言った 「鈴を転がすような声」 という表現が木霊のようによく聞かれるものの、オペ ラ的に言うと ころのレッジェーロ/スブレッ トのような娘役に相応しい、最も高く軽い声というわけでもないのではと 思います。ここではビブラートを使わない真っ直ぐな 歌い方です。声質がボーイッ シュということではなく、そのストレートさと息を飲むところの仕草が ちょっとだけボーイ・ソプラノを思わせる瞬間もあり ます。透き通った響きが大変きれいです。他の楽器の 音や演奏全体の質と合っており、トータル でピュア・ウォーターという感じです。 ナイーヴ2014年の録音も大変良いです。ベルサ イユ宮殿の礼拝堂で収録されて おり、残響は長いながらクリアです。音が消えて行くときに静か に尾を引くきれいさが何とも言えません。ピリオド楽 器の弦の音も繊細に出て透明感 があり、合唱の響きもきりっとしていて理想的です。 激しさと繊細さが同居 しており、これほど純化されたレクエムも珍しいと思 います。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Marist Jansons Concertgebouworkest ♥ Groot Omroepkoor Genia Kühmeier (s) Bernarda Fink (a) Mark Padmore (t) Gerald Finley (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 マ リス・ヤンソンス / ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ♥ オ ランダ放送合唱団 ゲ ニア・キューマイアー(ソプラノ)/ ベルナルダ・フィンク(アルト) マー ク・パドモア(テノール)/ ジェラルド・フィンリー(バス) 2019年に惜しくも亡くなったヤンソンスです が、 モーツァルトはあまりやらな かったようで、このレクイエムは期待です。 伝統的なジュスマイヤー版です。安心できるオーソ ドックスな演奏と言えるでしょ う。柔軟な歌と落ちついた音で大人の雰囲気があり、 静けさも感じられま す。怒りの日などの力強い楽章では切迫感と迫力も十 分であり、重厚感がありつつ力 まず、弾力良く弾ませます。濁らない合唱も良いです。 最初のファゴットがビブラートを付けて旋律を浮き 上がらせるように始まるのが印 象的で、抑えてやわらかく入ります。テンポは自然に 伸び縮みしますが、表 情を付け過ぎることはありません。湧き上がるような クレッシェンドも自然で、ティ ンパニが頑張り過ぎることもありません。ラクリモサも表情が大変デリケー トです。 ソプラノはザルツブルク生まれでモーツァルトをは じめとしたオペラで活躍して来 たゲニア・キューマイアーです。古楽や宗教曲も歌う ようで、ワインで言う ところのしっかりしたボディの声はクリアでもあり、 上品でビブラートは大きくあり ません。アルトの方がしっかりかかってるでしょうか。男声陣も良く、テ ノールも苦しさがなく、表現力を感じます。 自前レーベルの2011年のライヴ録音はコンディ ショ ンが良いです。弦は前に出 過ぎず、ライヴらしく高域が落ち着いていて派手さが ないので、自然な木質の 響きという感じです。音は溶け合いますが残響は多く はありません。多少引っ込んで オフな方に寄っているかもしれませんが、マスク感はなく、艶も感じられて バランスがいいです。 バイヤー版 バイヤー版はジュスマイヤーが補筆した部分 を改訂しようとして 起きてきた一連の動きの最初にあたる版で、 コレギウム・アウレウム合奏団のビオラ奏者 でもあったドイツの音楽学者、フランツ・バ イヤー (1922-2018)がジュスマイヤー譜 の技法的に問題があると考えられる部分のみ を書き換えています。1971年に演奏され て80年に出版され、古楽 演奏に独自の考えを持つアーノンクールな どにも使われ、話題となりました。 主に楽器のパートや飾りの多い伴奏の部分 をカットすることに主眼が置か れていますが、よく分かるのはラクリモサで、伴奏の弦や後半の歌い方に違 いが聞き 取れます。中ほどで静かになる手前、ソプラノ合唱のパートがその前までの 動きと同じ形をなぞって高い音を出すところ がまず違い、その少し後、静かな長調か ら初めの短調の合唱音型に戻る切り替わりの 部分で、ジュスマイヤー版では 四つ続く2音ずつの組が上昇・上昇・下降・ 下降と徐々に大きく劇的になります が、バイヤー版では別の形で四つとも上昇音型を取ります。そして最後の アーメンと唱える直前で弦が奏でる同じよう な四つの組でも、ジュスマイ ヤー盤では上 昇・下降・下降・下降ですが、別の音程で上 昇・下降・下降・上昇と改めら れています。しかし全体としては、ジュスマ イヤー版との違いは他の版ほど 顕著には 聞こえないと思います。 Mozart Requiem K.626 Collegium Aureum Vokalsolisten Tolzer Knabenchor Hans Buchhierl (s) Mario Krämer (a) Werner Krenn (t) Barry McDaniel (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 コ レ ギウム・アウレウム管 弦楽団 / テルツ少年合唱団 ハンス・ブッフヒール(ボーイ・ソプラ ノ)/ マリオ・クレーマー(ボーイ・アルト) ヴェルナー・クレン(テノール)/ バリー・マクダニエル(バス) バイヤー版の演 奏はコレギウム・アウレウム合奏団が最初でした。編者のフランツ・バイ ヤーがこの楽団の演奏者だったからです。 74年の録音です。管弦楽はい つもの美し い響きで、力みのない好演でした。 ボー イ・ソプラノを起用したところも意欲的でし たが、少年の音程にやや残念な ところがあるように思います。 最近 ではボーイズ・エアー・クワイアやリベラのように完璧に歌える子供たちも 出て来ましたが、当時の企画として は仕方がなかったのかもしれません。カップリングでベートーヴェンのミ サ・ソレムニスが入っており、こちら は少年合唱団ではなくソロも大人で安定して おり、演奏がまたリラックスし ていていいのですが、デジタル編集 するときに音量をオーバーさせてしまったら しく、フォルテで合唱がクリッ プしてしまっています。歪み方がア ナログ的ではないのでマスター・テープに起 因するものではないでしょう。そして 廃盤がそれ以前の問題です。もし手に入るな ら、この楽団らしい良い雰囲気は出ています ので、ファンの方は楽しんでほしいと思いま す。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Leonard Bernstein Bavarian Radio Symphony Orchestra Bavarian Radio Chorus Marie McLaughlin (s) Maria Ewing (a) Jerry Hadley (t) Cornelius Hauptmann (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 レ ナード・バーンスタイン / バイエルン放送交響楽団 バ イエルン放送合唱団 マ リー・マクローリン(ソプラノ)/ マリア・ユーイング(アルト) ジェ リー・ハドリー(テノール)/ コルネリウス・ハウプトマン(バス) バーンスタイン盤についてはこの記事で最 初言及していませんでしたが、 大変有名な人であり、このレクイエムの演奏スタイルにおいて一つの極を成 すもので もあるので、見直しに際してやはり取り上げることにしました。 極というのは何らかの性質を表すスケール の最も端に来て、それ以上はな いということです。何の極と言うべきでしょう。「大きな感じ」でしょう か。「雄 大」でもあるけど、楽章によってはメリハリをつけて走ったりします。それ なら「劇的」はどうかというと、表現が違っ ても今やクルレンツィスみたいな極も存 在するわけです。仰ぎ見るような巨大さを感 じさせ、同時にドラマティック な動きがあります。「荘厳」とすればファン の方 にも納得していただけるかもしれま せん。極にあるということは、好きな方に とってはこれ以上はないという最 高の演奏になると思います。またテンポに関 しても、遅い楽章では遅い方の極みでもあり ます。その意味では振り幅が最大です。使っ ているのはバイヤー版です。 最初の入祭唱は最も遅い始まりで、トータ ル・タイムでもチェリビダッケの次に来るの で最長の部類と言える、実測6分34秒ほど の長さがあります。ビブラートのかかった ファゴッ トとバセットホルンに歌わせて入るところは 葬送行進曲のようであり、柩を担いだ列が 一歩ずつ休みながら歩くみたいです。次にト ロンボーンが出て、演奏者によっては激しく 切り返す部分が来ます。しかしそこはトロン ボーンはほどほどであまり強く はせず、次の弦で強く出ます。そこから合唱 が入りますが、分厚くて荘重です。でも雑 多な声で最大人数を感じさせる、がやがやと した地鳴りのようなものかというと全くそん なことはなく、決して濁ったり はしません。この優秀な歌声はバイエルン放 送合唱団で、他でもティーレマン/ダイクス トラ盤、リーブライヒ 盤、アーマン盤でも歌っていて大活躍の団体 です。オルガンを加え、その音が聞こえま す。 ソプラノはスコットランドのオペラ歌手、 マリー・マクローリンを起用し ました。ポルタメントを使い、壮麗なオペラの声を披露します。ビブラート の幅も しっかり大きめで、声質は堂々とし、開口面積をコントロールして口腔と喉 の奥に反響する音を使います。 怒りの日ではスピードアップし、この部分 で最も速いのではないかという 驀進ぶりです。メリハリをこれ以上は付けられないかというぐらい付けて 迫力があ り、質量感もあって、そのままぶつかって来られたら粉々になりそうな勢い です。コンフターティスのオーケストラ部分 も速いですが、レックス・トレメンデは 反対に引きずるように遅くやります。重い重 い演奏です。 ドイツ・グラモフォン1988年の録音で す。バイエルンのディーセンに ある聖母マリア被昇天教会での演奏で、バーンスタインの妻で女優のフェリ シア・モ ンテアレグレの没後十周年に行われた演奏会のライヴです。バーンスタイン はゲイとしても有名でしたが、彼女との間に は子供もいました。形だけではなく、人 としても頼るところがあったのかもしれませ ん。マリア被昇天の教会という ことで、キリスト教会において女性の存在を 大き く捉える思想を代表する場で行われ たというのも象徴的でしょうか。古めのライ ヴ収録ながら音のコンディショ ンは決して悪くありません。弦はよく聞こえ て被りません。低音が分厚く、とにかく 鳴り響いている感じがあります。 Mozart Requiem in D minor K. 626 Frieder Bernius Barockorchester Stuttgart ♥ Kammerchor Stuttgart Vasilika Jezovšek (s) Claudia Schubert (a) Marcus Ullmann (t) Michael Volle (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 フ リーダー・ベルニウス / シュトゥットガルト・バロック・オーケ ストラ ♥ シュ トゥットガルト室内合唱団 ヴァ シリカ・イェツォヴシェク(ソプラ ノ)/ クラウディア・シューベルト(アルト) マ ル クス・ウルマン(テノール)/ ミヒャエル・フォレ(バス) シュトゥットガルト室内合唱団を1968 年に結成した47年生まれのベ ルニウスはドイツの合唱指揮者です。バッハ のモテット集ではダイクストラ盤と並んで最 も静けさのある、物腰のやわらかな演奏をし ており、同曲一かと感じて います。レクイエムに関しては最初にこの ページでは見落としていま したが、 大ミサ曲でも解説しましたのでここでも取り 上げることにしました。やはり見事な 演奏です。ただ、モテットのような演奏で固 定観念を作り上げていたりすると驚きの歯切 れ良さも 見せます。鈴木盤同様にティンパニがひとり大活 躍して、こんな面もあるのかと思わ せられることでしょう。合唱の扱い方のソフ トさと管弦楽の思い切りの良さ がコントラストを成している感じです。とい うか、ティンパニだけでしょうか。でも 指揮者の指示には違いありません。スコアは バイヤー版です。 ゆっくりやわらかい抑揚で入ります。テン ポはゆったりしています。合唱 が出る前でトロンボーンと弦が出て合図をしますが、その弦は短く、そして その後の ティンパニがかなり思い切りが良くて最初に驚きます。三拍目の前に間 を空け、くっきり強くタンっと行くのです。 そしてその後も全体は静けさをもって滑 らかに、おっとりとしたぐらいに進めるのに 対し、要所でティンパニがまた 目立つ叩き方をして句読点を打ちます。 合唱は澄んでやわらかいです。力を込め過 ぎないのがベルニウスの美点で しょう。強い音も出しますが荒さがありません。終わり近くでゆったり運ん でいると きにまたティンパニが強弱を付けて目立った打ち方をしますが、さすがにこ こまで来るとちょっと個人的には馴染めない 気分になって来たので、♡は一つのみとし ました。他から浮き出す音だし、特に間をた めて叩く間合いがどうも苦手で した。奏者が悪いと言っているわけではな く、鈴 木盤でも同じように感じているわけ ですから、全くの主観です。それにもし自分 がこんな風に叩いてもいいよと 言われたら気持ちいいと思います。内輪の遊 びでジャンベのアドリブを目立って鳴ら したとき、仲間に強い視線を送られたこともありま す。 ソプラノはヴァシリカ・イェツォヴシェク という、初めて聞く名前の人で す。1971年生まれのドイツ国籍のオペラ系ソプラノのようです。高め の声の質 で多少少女的な響きも持っており、やわらかさもあって澄んでいます。やさ しさの感じられるビブラートは少なめで、少 しだけ揺らす仕方がきれいです。それが 弦の音と相まって溶けるような美しい音響と なります。歌い方はアタックで 弱く入って一音の中でクレッシェンドさせる よう に盛り上げるところがあり、また合 唱の運びと等質の、静けさと落ち着きの感じ られるものです。とても魅力的で す。 キリエではリズムを受け持つ合唱が短く切 れてリズミカルであり、一音ず つを明晰に聞かせます。テンポも上がりますが、旋律のラインは雑にはなら ず、どこ かソフトです。軽さとやわらかさが同居する、独特の心地良さがあります。 ここではティンパニがあまり目立たずに最後 まで 来て、案外自然に感じます。 怒りの日はリズムを短めに切り、テンポは 速いです。十分に力強いです が、それでも荒くは聞こえません。ここでもティンパニが頑張ります。 トゥーバ・ミル ムは大丈夫です。出番がありません。レックス・トレメンデは適度な重さで 中庸のテンポです。レックス、を短く叫ぶ種 類 ではありません。やわらかくたゆたうラ クリモサの運びは繊細で言うことがないで す。途中一拍ずつスタッカート様 に切る動きが挟まり、かなり強く盛り上がっ て ティンパニが区切りの一撃を入れま す。全体にスラーでつながる感じではありま せんが、静かではあります。そして初 めの短調の合唱に戻った後のティンパニは、 またまた力強くわが道を行きます。 カールス1999年のライヴ収録です。濁 りがなく、大変良い音です。た だ、最高に透明な響きを印象づけるというタイプの音ではないかもしれませ ん。クールではないからです。もっ と自然で生っぽさがあり、ややシルキーというか、やわらかくてシックな印 象があります。残響はほどほどある方です。 合唱はやや奥まり、ソロはそう でもあり ません。管弦楽は弦の音がバロック・ヴァイ オリンとしてはあまり細くきつ くならないのですが、やや後退した定位からそう なるのでしょうか。この弦は非常にきれい なテクスチャーです。 Mozart Requiem K.626 Nikolaus Harnoncourt Concentus Musicus Wien '81 Konzertvereinigung-Wiener Staatsopernchor Rachel Yakar (s) Ortrun Winkel (a) Kurt Equilus (t) Robert Holl (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ニ コラウス・アーノンクー ル / ウィーン・コンツェン トゥス・ムジクス '81 ウィー ン国立歌劇場合唱団 ラシェル・ヤカール(ソプ ラ ノ)/ オルトルン・ヴェンケル(アルト) クルト・エクヴィルツ(テノー ル)/ ロベルト・ホル(バス) Mozart Requiem K.626 Nikolaus Harnoncourt Concentus Muscus Wien '03 ♥ Arnold Schoenberg Chor Christine Schäfer (s) Bernarda Fink (a) Kurt Streit (t) Gerald Finley (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ニ コラウス・アーノンクー ル / ウィーン・コンツェントゥス・ ムジクス '03 ♥ アルノルト・ シェーンベルク合唱団 クリス ティーネ・シェーファー(ソプラノ)/ ベルナルダ・フィンク(アル ト) クルト・シュトライト(テノー ル)/ ジェラルド・フィンレイ(バス) アーノンクー ルは二度録音しています。どちらもバイヤー版での 演奏で、81年 録音の旧盤の方 は出たときに初出のコレギウム・アウレウム のものより話題になったようで す。他にバイヤー版としては、この アーノンクールの前にネヴィル・マリナーが 出しています。 ウィーン・コ ンツェントゥス・ムジクスはアーノンクールが率い る古楽器の団体で、これは彼らしいピリオド 奏法の特徴をもった演奏です。全体に角張っ たリズムがあり、出だしから速めのテンポを 取って少し前へのめります。そしてその入祭 唱の最初 の方で、トロンボーンが出るところを思い 切っ て鋭くする種類の演奏の、ほぼ先鞭をつけた ものではないでしょうか。ブラスは全体に強 調される傾向です。この人の解釈で は、時代的にモーツァルトまでは尖って いるのです。このレクイエムに関してはバ ロック時代のものを扱うときのようなス タッカートや、途中から猛然と走って行 くような風変わりはありませんし、音の出だ しで弱く、途中で盛り上げてま た弱くする弦・管の呼吸も比較的少ないです が、ピア ニシモで消え入るように弾かせたりはし ています。キリエは少し遅く、リズムがかっちりとしています。そして全体に引き締まっていて、 短く切っ て訴えるフレーズが目立ちます。中でも レックス・トレメンデ(恐るべき御稜威の王) での「レックス!」と歌う部分での叫ぶよう な短さが話題になりました。怒 りの日のフォルテの激 しさも独特で、こうした表現に衝撃を受けた 人の 「もう戻れない」という 声も聞かれたほどです。新時代の演奏と理解 されたからでしょう。アーノンクール は才能豊かだけど、またずい ぶんうまく事が運んだものだと思います。 ソロイストたちにも器楽のピリオド奏法に合わせたような動 きが見られます。バスの抑揚にそれはよく現 れて おり、アルトにも独特のためが聞かれます。恐らく指揮者の指 示があったのでしょう。一方でソプラノのラ シェル・ヤカールは飾 りのない素直な声です。少 し奥まって、これは会場のせいだけど、浴室 で響いているようなところがあります。声 質は高くも低くもなく、ビブラートは少なめ で、多少ポルタメント的にずらす感じがしま す。 合唱はベーム盤と同じウィー ン国立歌劇場合唱団で、 この新奇なピリオド的アプローチに しては人数が多めで重く、ベーム盤同様にや や混濁して聞こえるところが残念です。録音 はきれいではあるものの、全体に中域に反響 がしっかりと付きます。 レーベルはテルデックです。 一方で2003年 に出した新録音の方は、基本的には旧と同じ 考え、同じ運びではあるものの、より円熟し て味わい深くなった印象です。終わりの音を 早めに弱めて行きながら長く延ばさず に締め括るところなど、独特の 美学は健在ながら、テ ンポは一部遅くなっているところがあります。出 だしの入祭唱は4分16秒が4分57秒と長 くなり、怒りの日はタイムこそ変わらないも のの、比べるとなんとなくゆっくりに感じま す。アーノンクールは亡くなる最後ま で鋭い演奏をして見せることがあったもの の、若い ときほど尖っていたと言えるでしょうか。古 楽の世界の牽引役として気負いもあったに違 いありません。しかしだんだんエキセント リックさは後退し、音楽はまず楽しめなけ ればいけない、というようなことをインタ ビューに答えて言うようにもなりました。こ の記事を最初に書いた段階(これは少し書き 加えてます)ではまだ存命だったわけで、ほ ぼ最後の録音となったミ サ・ソレムニスの深みのある世界には接 していなかったけれども、後 年はブラームスのドイツ・ レクイエムやドヴォルザークの新世界など、 驚くほど落ちついた歌を聞かせるようになり ました。このモー ツァルトもそういう傾向があるようです。あ れほど話題になった 「レックス!」も前より普通になっていま す。ピアニシモの美しさはこちらの方が光っ てます。急にテンポを緩めた りするところにも引き込まれます。 もちろんアーノンクール節というか、独特 の個性はそのままで、他の演奏と 比べれば十分に鋭角的であることに変わりは ありません。冒 頭のトロンボーンの切り返しもびっくり するぐらい鋭いです。角の張ったフレーズ展 開が軍歌かトルコの行進か、という運びは健 在なのです。トゥーバ・ミルムのバスも、た めを効かせて一音ずつ切る ように間を空けて歌わせます。この作品はロ マン派ではなく古典派時代のものであ り、コルボやカラヤンのようにロマン ティックにやるというのは音楽学者でもある アーノンクールには論外なのでしょう。響 きの一つひ とつをゆったり聞かせるようになりながらも、フェ ルマータを長く延ばすようなことはやりませ ん。 独唱者たちも 基本的には自由にやらせているようで、バスもテノールも大方普通の イントネーションで伸びのびと歌っていま す。アルトに少し癖があるかなという程度 で、それは歌い手の個性でしょう。ソプラノ はクリスティーネ・シェーファーで、旧盤の ラシェル・ラカールと多少似た雰囲気もある でしょうか。声は特に高く華やかな方ではな く、高い方の倍音も混じるものの、会場と録 音の加減もあって低い音程がやや強調されま す。ビブラートは使いますが標準的で、大き くはありません。定位としては少し遠く、残 響の中にあります。 合唱はア ルノルト・シェーンベルク合唱団に 変わっています。これは旧盤に 対しての最大の魅力かもしれません。録音の性質もあるでしょうが、一体になった響きが大 変きれいです。レーベルはドイツ・ハルモニ ア・ムン ディ原盤でしたが、その後再編で RCA マークが付いたりソニーから出たりしていま す。知 性を感じさせ、 峻厳で静けさのある美しいレクイエムです。 モー ンダー版 モーンダー版 (1983録音/1988出版)は1937 年生まれで2018年に亡く なった、ケンブリッジ大卒のイギリスの数学 者にして音楽学者だったリ チャード・モーンダーの手になるもので、 ジュスマイヤーの技法上の欠点 (とされるもの)を避けるために最も大胆に 取り組んだ版です。モーツァル トが8小節 目までしか書かずに死んでしまったラクリモ サ(涙の日)の後半部分(ジュ スマイヤー作)を入祭唱の一部を使って書き 直し、その後にアーメン・ フーガを新しく挿入しています。このアーメン・フーガは1960年 代 になって埋蔵経のようにベルリンの図書館か らモーツァルト自身のスケッチが出て来たも ので、話題になりました。その後半部分 はモーンダーが K. 608 の自動オルガンのための幻想曲を基にして制 作したものです。ラクリモサの方はレヴィン 版のようにジュスマイヤーの 作った部分を利用しないため、多少耳慣 れないところがあるかもしれません。でも アーメン・フーガについては、 途 中の展開が一部 ベストかどうかは何とも言えないにせよ、こ の部分としては いくつかある版の中でも一番抵 抗が少なく感じました。 そ してジュスマイヤーがほ ぼ全てを作曲したとモーンダー自身が考えているサンクトゥスとベネディク トゥスは、ミサの 形式を破ってまで大胆にカットされています。これはこの版の大きな特徴で す。つまり、モーツァルトの妻コンスタン ツェとその妹ゾフィーの証言によ る、モー ツァルトが死の床でジュスマイヤーに残りを 教えたという話を重視しない か、作り話のように捉えているわけです。前 述のような複雑な人間関係から ということ も多少はあるかもしれませんが、もっぱらそ の部分の出来に納得が行かない のでしょう。アニュス・デイもジュスマイ ヤーが自分で書いたと言っている 部分です が、そこに関してはよく出来ているのでモー ツァルトのスケッチが残っていたのだと考 え、 カットはせずに手直しして使っています。 モーンダーによるとこうしたカッ トによる楽章の欠如は、K. 427 の未完の大ミサでも同じように演奏される慣例があるので問題ないというこ とのようです。とにかくこのモーンダー版、 ジュスマイヤーの補筆部分を取り除くこ とを目指したスコアだと言えるでしょう。最 近はまたこれとは反対にジュス マイヤー版の見直しの気運もあるようで、 評価は分かれます。 Mozart Requiem K.626 Christopher Hogwood Academy of Ancient Music ♥♥ Westminster Cathedral Boy's Choir Emma Kirkby (s) Carolyn Watkinson (a) Anthory Rolfe-Johnson (t) David Thomas (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 クリストファー・ホグウッド / エンシェント室内管弦楽団 ♥♥ ウェストミンスター大聖堂聖 歌隊 エ マ・カークビー(ソプラノ)/ キャロライン・ワトキンソン(アルト) アントニー・ロルフ・ジョンソン(テノー ル)/ デヴィッド・トーマス(バス) モーンダー版での最初の演 奏 は、83年のホグウッド盤です。このレコーディ ングにはモーンダー自身が関わっており、ブック レットに解説を書いています。 この 演奏、ラバディー盤に次いで大変気に入っていま す。小編成で古楽器演奏の繊細さ があり、音も透明感が あります。そして何よりソプラノのパートをエマ・ カークビーが歌っています。彼女独特の鳥が鳴くよう なチャーミングな声は少女か幼い少年のようであり、 そ れでいて音程はしっかりして透き通っています。遺伝 なのか文化が育むのか、イギリス人には時としてこう いう声質の歌手が出るようです。瑞々しくて清らかで す。それからソプラノだけでなく、アルトも素晴らし いし、神経質に聞こえやすいテノールも低めで深みが あります。皆ノンビブラートで歌っていますので、澄 んで美しい響きです。レクイエムの独唱パートとして はこの人たちの組合せが最高かもしれません。合唱も 女性を排する伝統を守るウェストミンスターの少年合 唱で、ソプラノ・パートの声が目立って前に出て聞こ えるところもありますが、少人数で揃っていて真っ直 ぐ歌っています。オーケストラも各楽器最小限です。 モー ツァルトの時代はこんな規模だったのでしょう。肥大 化したロマン派的な編成よりよほど良いと思います。 ホグウッドの運びはピリオド奏法的なリズム処理も 多少は見られますが、大変自然です。同じイギリス古 楽のピノックと共に、この人はいつもこういう具合に 変な癖を出さずにきれいに歌わせます。柔軟で繊細な 抑揚に満ちていて気持ちが良いのです。押しの強くな らない躍動感もあります。テンポはモダン楽器の伝統 的なものと比べれば少し速いものの、古楽としては十 分おっとりしています。室内楽のように明瞭で親密な 響きであり、ルネサンスの宗教曲のように透き通った ハーモニーです。同じような表現はコルボ盤でも使い ました。でもあんな風に遅く静かに抑えたロマン ティックなものではなく、もっと羽のように軽いで す。同じ古楽のヘレヴェッヘが滑らかにスムーズに洗 練されているとすると、ホグウッドはクリアに純化さ れていると言ったらよいでしょうか。 前 述したラクリモサの後半の変更は個性的です。アーメン・フーガへのつ ながりをレヴィン版とくらべてみるのも面白いと思い ます。こ のモーンダー独特の部 分をジュスマイヤー版よりモーツァルトらしいと感じ るのか、その逆なのか、あるいはど ちらが好みでしょう。 アーメン・フーガ自体にも後半部で違いがあるので、 そこも比べるときの大きなポイントです。上述しまし たが、個人的には今まで聞いたアーメン・フーガでは 最も抵抗なくその美しさを楽しめた気がします。 デジタ ル初期の録音であるせいか、音は 大変良いもののわずかに高域に強調感はあります。機器によっては音 量を上げて聞くと多少耳につく場合もあるかもし れません。今はリマスターで調整されているでしょう か。オワゾリールという レーベルはいいものをたくさん出して いたのですが、すでになくなっており、デッカのマー クがついて再販されました。この記事を書いたときに 出ていたのは90年代頭のものだったので、買い直し はしませ んでした。個人的にはベスト・レクイエムのうちの一枚です。 ドルース版 イギリ スのケンブリッジ出の音楽学者にしてヴァイオリン 奏者であるダンカン・ドルース (1939-2015)が独自に作り上げた版です。 色々出た中でジュスマイヤー版から最も大胆に変更し たスコアでしょう。 モーツァルトが書かずに死んでしまった未完の部分を ドルース自身が作曲していて、 手直しのレベルを超えています。それは大きくはラク リモサの9小節目以降 から始まり、近年になって作曲者のスケッチが出てきたアーメン・フーガがそれに続 いて用いられ、その後半も独自に展開させています。 その後もサンクトゥ ス、ベネディクトゥス、アニュス・デイにおいてジュ スマイヤー版の主題を用いなが らも新たに作曲していると言ってよい状態となってい ます。 モーツァルトだったらこうしただろうという、ドルー スの解釈を聞くことができま す。あるいはダンカンはこういうのが好き、かもしれ ません。面白い企画です。 Mozart Requiem K.626 Roger Norrington The London Classical Players Schutz Choir & Consort Nancy Argenta (s) Catherine Robbin (a) John Mark Ainsley (t) Alastair Miles (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 サー・ロジャー・ノリントン / ロンドン・クラシカル・プレイヤー ズ ロンドン・シュッツ合唱団 ナンシー・アージェンタ(ソプラノ)/ キャサリン・ロビン(アルト) ジョン・マーク・エインズリー(テノール)/ アラスティア・マイルズ(バス) 91 年の EMI の録音です。演奏・スコアの新版作成共にモー ツァルト・イヤー(没後200年)の企画でし た。ノリントンはイギリスの指揮者で、皆をあっ と 言わせる個性的な演奏で有名な人です。ドルース が 自分たちの楽団で演奏しているのを聞いてこの版での CDを出すことにしたよう です。演奏そのものの個性につ いても触れるべきですが、この盤の特徴はまずなんといっても、その新しい試みであるドルース版のあり 方だろうと思います。歌わせ方 は快活ではあるものの、この演奏者としては相対的には穏当で、録音もさらっとしたおとなしい弦の音で自然です。楽譜の個 性に演奏 のいつものエキセントリックさが吸収されたかのようです。 さて、 新しい試みはなんでもやってみる べきでしょう。未完のレクイエムと聞けば、FBI超能力捜査官に楽譜 を透視してもらうか、イギリスのスピリット・ミディ アム(音楽霊媒)にアマデウスを呼び出し てもらい、ペンを握ってもらっ てでも聞いてみたいと思います。ド ルースのサイキック・パワーはどんなものか、期待が高まります。 ラクリ モサの9小節目以降、モーツァルトが書けなかった部分ですが、これはずいぶん盛り込 んである印象です。短いユニットで何度も曲調が変わ り、転調もしま す。16小節目までしか存在していないアーメン・フーガの後半も同じ傾向で、行きつ戻 りつしながらどこへ収束させる のかなかなか決まらないかのように聞こえて、構造こ そ違 いますが、ちょっとテレマンの浮遊するフレーズを思 い出しました。サンクトゥスとアニュス・デイは 他よりまだ驚きが少ないでしょうか。ジュスマイヤー 版で結構満足していたベネディクトゥ スは、次の主題への変わり方が高度に新鮮です。もちろん慣れの問題でしょう。 大変楽しめました。ドルース氏は音楽学者ですから、 モーツァルトのスコアの特色をしっかりと らえ、頭の中に様々なパッセー ジを作ることができるのだと思います。ただ、一般論 として、もし モーツァルトならこうに違いないと考えて作曲するな ら、自然にアイディアが流れて来る に任せない状態になることもあると思います。頭を働かせてABCD.... と多くのフレー ズのパターンを作り、せっ かくだから全部使ってみた、みたいな状況です。自分は 文を書くときなどにその手のもったいない症候群に陥 りそうになることがあります。誘惑に負 ければ要素を盛り込み過ぎてつなが りが不自然になってしまうわけです。こ んな比較をされたのでは専門知識 を持つ編曲者も浮 かばれないわけだけど、失礼を承知で言えば自分には このレクイエム、もったいないぐらいにちょっと懲り 過ぎのサービスをされた感じがしました。才能あるが ゆえでしょうし、こちらがそれについて行けなかった だけですが。 以上は 個人的な印象に過ぎません。ただ、この場合は違うと 思いますが、モーツァルトの他の作品から部分的にア イディアを拝借して来て組み立てるというやり方を採 用すると、イン スピレーションこそがその天分 である当の作曲家に近づくのは誰にとっても難しいこ とになると思います。逆に自らのインスピレーション に頼ると、その人の才能が問われます。こうした新し いスコアを作るにあたっては、頭で考えるか、既存の フレーズを流用するか、インスピレーションに頼るか のどれかしかありません。この版が実際はどうだった のかは個々で感じ取ればよい問題です。写真を探すと ダンカン・ドゥルースという人、楽しそうに笑ってい る姿がほとんどです。この曲も聞いて楽しむことが一 番だと思います。ノリントンの踊るような指揮ぶりも 目に浮かびます。 ラ ンドン版 最近は またジュスマイヤー版見直しの機 運が高まっているようですが、そのきっかけとなった版です。アメリ カの音楽学者 H・C・ロビンズ・ランドン(1926-2009) はジュスマイヤー版に対して最 小限の改訂をするにとどめています。同じ趣旨のバイ ヤー版と違っている点 は、手直しをするときにバイヤーはジュスマイヤーの過剰な部分をカットする方向な のに対し、ランドンはヨーゼフ・アイブラーの補筆を 使うところです。モー ツァルトの死後、実は未完成の部分を完成させる仕事 は最初にジュスマイヤーに行っ たわけではありません。未亡人となった妻のコンスタ ンツェはなぜか彼には 任せず、モーツァルトの友人だったアイブラーに頼みました。アイブラーは生前に モーツァルト自身がその才能を大変高く評価していた 人です。彼は引き受けて その仕事をいくらか行いました。しかし途中で止めて 楽譜を返してしまい、その後ま たコンスタンツェが他の人に頼んだりした後、最終的 にジュスマイヤーのと ころに行ったわけです。ジュスマイヤーはアイブラーの補筆部分を使わず、自分でや り直しました。そうして完成したのが今のジュスマイ ヤー版なのですが、作 曲家としての才能はアイブラーの方が上だった(オー ケストレーションについて多くの専門家がそう考えて います)ことから、ランドンはアイブラーの補 筆が残っている部分はそれと差し替えたのです。た だ、アイブラーの仕事と いっても、それを使うこの版や、参照している鈴木版 を聞いてみれば分かりますが、 曲の流れが全く違うようには聞こえません。そういう 意味で、考え方は違 うもののバイヤー版と比較することができるわけです。具体的な変更部分のあり方に ついては専門的になりますので、実際のスコアやそう した面 に特化した他のサイトなどを参照してください。 Mozart Requiem K.626 Roy Goodman The Hanover Band & Chorus Gundula Janowitz (s) Julia Bernheimer (ms) Martyn Hill (t) David Thomas (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ロイ・グッドマン / ザ・ハノーヴァー・バンド&コーラ ス グンドラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)/ ユリア・ベルンハイマー(メゾ・ソプラノ) マーティン・ヒル(テノール)/ デヴィッド・トーマス(バス) グッ ドマ ンはイギリスのバロック・ヴァ イオリンの演奏者で指揮者です。この 89年の録音はピリオド楽器に よるもので、ランドン版に よる最初の演奏です。この版の特徴はセクエンツィア (続唱)にあるようです。ジュスマイヤー 版とは所々違う音が出てき ますが、ほとんどが伴奏の飾りが減ったなという感じ です。すっきりしたというの か、あれ、あの音が鳴らないな、とい う方向の変更で、華美さが取れたのかもしれません が、今までの慣れで物足りないよ うに感じるときもありました。た だ、ほとんどはものすごく違うという印象ではありま せん。一点、コンフターティス でティンパニとブラスのリズムが異 なるところは目立ちます。しかしバイヤー版を聞いて いてよく分かるのはラクリモサ の弦の伴奏と後半の進行ぐらいなの で、前半のセクエンツィアについてバイヤー版とこの ランドン版でどの部分がどう勝っ ているかという議論は自分には手に余 ります。むしろ演奏による差の方が大 きく聞こえるのです。こういう話は専門家に任せましょう。 演奏自体はテンポは中庸ながら、少し特徴的なイント ネーションがあります。アーノ ンクールらのピリオド奏法とは また違い、フレーズの入りでちょっと強く、 その後いったん弱くなりながらまた音が大きくなるというような波のつけ方があります。一般 的なメッ サ・ディ・ヴォーチェ様というか、一音の中で弱・ 強・弱という形の山を滑らかに描く抑揚とは逆だった りして、何だか録音時にフォルテでリミッ ターが効いて、それがまた 徐々に解除されるような動きです。一般的な古楽流が OK でこれがだめという理屈もないはずで、慣れれば気に ならないでしょう。 ソプラノは有名なグンドラ・ヤノヴィッツ、一時期の ドイツを代表する歌い手です。好みの話に脱線 しますが、こ の人のオルフの「カルミ ナ・ブラーナ」の、「イン・トゥルティナ」のふっと 途切れるような歌い方は空前絶 後で、それに馴染んでしまった結果、他の演奏ではど うしても気に入らないという困った事態になってし まったということがあります。それ以来この人のセン スは自分の中で特別なのです。ここでもあの時ほど若 い声ではないものの、大変魅力的に歌っています。男 性陣も真っ直 ぐで、アルトだけがビブ ラートの幅と音程の点でやや毛色が違うように感 じられた結果、合わさるとそこに耳が行ったりもしました が、問題があるというわけでもありません。 録音は 教会で行われているようで、やや 残響が長く、多少後ろに後退したような響きです。鮮明で煌びやかというのではありませんし、反対に子音が落ちて透 明に溶け合うという感じでもな いのですが良好です。全体と してはランドン版を知るには格好 の盤ではないかと思います。 その他のスコアによる演奏 (スコアの出版されていない演奏 者の独自解釈を含む) アバド版 Mozart Requiem in D minor K. 626 Claudio Abbado Berliner Philharmoniker Schwedischer Rundfunkchor Karita Mattila (s) Sara Mingardo (ms) Michael Schade (t) Bryn Terfel (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 クラウ ディオ・アバド / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 スウェー デン放送合唱団 カリタ・ マッティラ(ソプラノ)/ サラ・ミンガルド(アルト) ミヒャエ ル・シャーデ(テノール)/ ブリン・ターフェル(バス) カラヤン亡き後、世界の楽壇の頂点に立ったとも言 えるアバドが、そのカラヤン没後十年を記念 して行ったライヴ録音です。激し過ぎずやわらか過ぎ ずの中庸で、バランスのとれた演奏です。テンポも平 均すると中庸であり、速いところ は心地良く速く、ゆっくりなところは適度にゆっくり です。ずっと後のジョン・バットの演奏も何も誇 張のない透明な音楽だと思いますが、そちらがくっき りとした輪郭によってある種の 強さも感じさせるのに対して、アバドには歌わせ方が 滑らかで生きた抑揚があります。それでいて区切ると ころは区切り、弾ませると ころは弾ませます。表情のバリエーションも、伸び縮 みもあるのです。 スコアは何版とも言えないような、アバド自身の考 えによる折衷版のようです。ラ クリモサ後半では、短調へと切り替わって頭の合唱に 戻る境界で、トロンボーンに伴われて弦が二音ずつ上 昇・上昇・下降・下降とすす り泣きがこみ上げるようになる部分をレヴィン版同様 にカットしています(ジュスマイヤー版に対して)。 皆がよくいじるところですが、そこは自分としてはそ のまま残した方が鮮烈で良い気もします。終わり方は ジュスマイヤー版のままで、アーメ ン・フーガはありません。他にもバイヤー版を参考に するなどして変更点は多岐にわたりますので、見つけ る楽しみがあるかもしれません。 ソプラノは有名なオペラ歌手、カリタ・マッティラ です。1960年生まれのフィ ンランドの人です。全ての音にビブラートをかけるよ うなところはありますが、歌い方は上品だと思いま す。 ドイツ・グラモフォンの1990年の録音です。ザ ルツブルク大聖堂でのライヴ収 録です。ここはモーツァルトが洗礼を受けた教会で、 雇い主のコロレド大司教が最後の司教でした。した がってモーツァルトはここのオルガン奏者だった時期 もあります。コロレドと喧嘩して辞めたからか大ミサ 曲の初演こそできませんでしたが、他の多くのミサ曲 はここで演奏されています。そして今回のイベントの 主であるカラヤンの葬儀もここでした。残響が非 常に長いです。音 は弦が前に出過ぎて輝くようなものではなく、全体に 溶け合ってややシックです。全合奏では幾分透 明度が落ちるのが残念ですが、ライヴで反響が大きけ れば致し方ありません。トータルでは良い録音です。 ボルトン 版 Mozart Requiem in D minor K. 626 Ivor Bolton Salzburg Mozarteum Orchestra Salzburg Bach Choir Genia Kühmeier (s) Sarah Connoly (a) Topi Lehtipuu (t) Alastair Miles (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 アイヴォー・ボルトン / ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 ザルツブルク・バッハ合唱団 ゲニア・キューマイアー(ソプラノ)/ サラ・コノリー(アルト) トピ・レティプー(テノール)/ アラステア・マイルズ(バス) 指揮者のアイヴォー・ボルトンは1958年 生まれのイギリス人で、ケンブリッジ出でオ ペラも古楽もこな し、音楽学者の奥さんがいま す。版の問題には敏感なようで、ここでは モーツァルトの残した手描きの譜のみを音に するという、面白い企画でやっています。こ の演奏の最も注目すべき点かと思います。し たがって「8小節目までしか書けなかった」 など と言われるラクリモサも、それが音にすると どんな感じで終わるのかが聞けます。また、 全てのパートが作曲者自身によって書かれた わけでは なく、「スケッチに終わって多くの楽器部分 が書き込まれずに放置された」というところ では、音が薄くなって いて、どの部分まで書いたか分かる仕掛けに なっていま す。オルガンの音が聞こえるのは補っている部分です。こういう具合ですか ら、演奏表現としてどうというような話もこ こでは控えようかと思います。最初のテンポ は中庸やや軽快で、あまり 音を延ばさずさっぱりしているようです。ソ プラノはヤンソンス盤と同じゲニア・キュー マイアーです。 もう一つ、モーツァルトの手稿譜のみという アイディア以外に、曲間に現代曲(オースト リアのハースという作曲家の手になるもので す)を挟ん でいるのも特徴です。こういう手法はブ リュッヘンの「十字架上の七つの言葉」な ど、他でもいくつか見られるもので、音楽祭 向きの流行りの趣向でしょうか。 2006年発足となっているレーベル、 belvedere の2005年録音です。 ア ラルコン版(バイヤー版+モーンダー 版) Mozart Requiem in D minor K. 626 Leonardo Garcia Alarcón New Century Baroque Choeur de Chambre de Namur Lucy Hall (s) Angélique Noldus (ms) Hui Jin (t) Josef Wagner (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 レ オナルド・ガルシア・アラルコン / ニュー・センチュリー・バロック ナ ミュール室内合唱団 ルー シー・ホール(ソプラノ)/ アンジェリック・ノルドゥス(メゾ・ソ プラノ) フ イ・ジン(テノール)/ ヨセフ・ワーグナー(バス) 1976年生まれのアルゼンチンの指揮者 が2009年設立のバロック・オーケストラ を指揮している録音です。母体となった楽団 は元はイギリスに あったもののようで、ブレクシット後にはベ ルギー、そしてルクセンブルクに移っていま す。EU 離脱の選挙にフェースブックが関与していたという話には驚きましたが。このレクイエムの録音を行ったときは、 若い音楽家の研修プログラム的なものとして フランスのリヨン近くのアンブロネーでの収 録となりました。合唱 団はベルギーに本拠を置いているようです。 マルゴワール盤ではフランス人がリオデ ジャネイロでの演奏を再現していますが、こ ちらは南米の人の指導の元にヨーロッパの若 手が演奏したものということ になります。スコアはバイヤー 版を基本としているようで、そこにモーン ダー版のアーメン・フーガを追加します。そ してモーンダーの考えと同じく、サンクトゥ スと ベネディクトゥスは完全なるジュス マイヤー作だと捉えているのでしょう、カッ トして、ついでにアニュス・デ イも演奏しません。結果的に、平均すれば速 いテンポとも言えないながら、モルテン・ シュ ルト・イェンセン(ナクソス)の最もスピー ディな部類の演奏よりさらに短い37分ほど のレクイエムとなっています。 どういうのでしょうか、ちょっとマスキュ リンというか、男振りな感覚がある演奏な気 がします。あるいはラテンの濃い味とするべ きか。それともそんな印象も、好奇心に満ち て乗りの良いサービス精神的なところから出 て来てることもあり得るでしょうか。つまり は表現意欲の問題です。やわらかい余韻 を楽しむというよりは、音を一つずつ明快に 形にして行く、かっちりとした意志のような ものを感じさせる強めの 抑揚があります。それはサヴァールなどにも 通じるので、スペイン文化的なのかもしれ ません。アンブロネーでは音楽祭があり、そ こではそのサヴァールやクリスティなどと共 にこの人も常連だったりするようですから、 ちょっと波長が似てる気もする彼ら同士、独 自の有彩色なグループ として気が合っているのかもしれません。実 情は知りませんが。 具体的には、ブラスやティンパニが元気 だったり速かったりということを除いて も、一つの楽章の終わりの方で急に弱め、遅 くしたりしてコン トラストを付けに行くところがあります。対 比という意味でなら、メロディー・ラインと 伴奏のリズムを別のように扱う ところもあります。なかなか創意工夫の凝ら された音楽で、声楽が重なるところでは声部 の上のラインではなく、 テノールなどの下の動きがよく聞こえたりも します。色々細かく指示を出 しているようです。 始まりはファゴットの音を切りつつ、中庸 のテンポです。合唱の前の切り返しのトロン ボーンは昨今の強く鋭く行くパターンで、 ティンパニも目立つ方で す。伴奏を弾ませるように切り、メロディー はスラーでつなげるところもあります。それ でもこの入祭唱の部分では振幅がそんなに大 き くはありません。そして波打つ抑揚という風 でもなく、くっきりと歌って一つひとつじっ くりと歩む感じ でしょうか。強く出るところではティンパニ も力を入れます。お終いでは速度を落とし、 間も大きく取ります。 ソプラノは前に出て張りがあります。声質 は特に高くも低くもありません。若干低め寄 りでしょうか。ビブラートは終わりのロング トーン以外でも 用い、古楽的なさっぱり路線よりは濃いなが ら、オペラ的に派手というほどでもありませ ん。 キリエは少し速くなるものの、ここも一つ ずつの伴奏音型をくっきり明確にしつつ進み ます。怒りの日はかなり元気です。力が入っ ていて鳴り響い ている感じがあり、少し前のめりです。 トゥーバ・ミルムではバスの声が朗々と響 くけれども、そういう男声の部分が曲全体の 演奏を象徴しているような印象があり、男振 りかとも言いまし た。 レックス・トレメンデは音を切り、かっち りと力強いです。かと思えば繰り返しの最後 で弱めて歌わせたりもして、表現が濃いで す。ここの最後の パートも速度をぐっと落とし、弱音に潜らせ る工夫をしています。コンフターティスも入 りは速く、元気一杯です。 ラクリモサは消え入るように入り、長く大 きなクレッシェンドを描きます。この楽章は バイヤー版だということがよく理解できる部 分でしょう。半 ば過ぎのフレーズの変わり目と、終わり近く のアーメン手前の伴奏部分で下降音型になら ないところが独特で、それと分かります。 大変個性的で自分の表現をちゃんと持った 指揮者と、それに十分に応えられる上手な楽 団です。周波数が合うならこれこそ、という 一枚かもしれませ ん。カップリングで晩年のクラリネット協奏 曲も聞けます。 2012年のアンブロネー・エディション (音楽祭を主催する団体のレーベルで、そこ がプログラムを支援)の録音は良好ですが、 フォルテでは倍音 が輝かしく、機器によっては少しきつくなる 場合もあるかもしれません。 ペー タース版(ブラック校訂) Mozart Requiem in D minor K. 626 John Butt Dunedin Consort ♥ The King's College Choir of Cambridge Joanne Lunn (s) Rowan Hellier (a) Thomas Hobbs (t) Matthew Brook (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ジョ ン・バット / ダニーデン・コンソート ♥ ジョ アン・ラン(ソプラノ)/ ローワン・ヘリアー(アルト) トー マス・ホッブス(テノール)/ マシュー・ブルック(バス) ジョン・バットはマクリーシュと同じ 1960年生まれのイギリスの指揮者で、ケ ンブリッジ出の学者で鍵盤奏者でもありま す。古楽と合唱が専門で バッハを得意としており、スコットランドの 古楽オーケストラ、ダニーデン・コンソート の音楽監督です。イギリスの古楽の担い手 としては最初の世代ではなく、次のジェネ レーションということになります。 ここではペータース版というスコアを使っ ています。ペータースというのは楽譜の出版 社の名前で、校訂者はデイヴィッド・ブラッ クという、ハー バード出のモーツァルト学者です。「初演復 元版」ということになっていますが、「ジュ スマイヤーが完成させたモーツァルトのレ クイエムの、デイヴィッド・ブラックによる 2013年の新版」です。「ジュスマイヤー の補完の欠点がどうであ れ、それが唯一伝わっているものであって、 そうでなければ失われていたモーツァルト自 身の指示や筆記部分を伝える唯一の資料 なのである」とブラック自身が楽譜の序文で 述べている通り、事実上はジュスマイヤー版 です。この発言は学者たち がジュスマイヤー版へと回帰して来ている最 近の動きを象徴しているでしょう。 ブラックの意図としては1793年1月2 日の最初の全曲演奏に近い形にしたかったと いうことで、モーツァルトとジュスマイヤー 自身のスコアや 1800年 の印刷譜などを参考にして、その後スコアが出版されるたびに蓄積されて来た過ちを正した、ということのようです。専門家 ではない大抵の一般の愛好家にとっては、た だ聞いてもほとんど同じに聞こえる程度の最 小限の違いで、それを 発見する楽しみはモーツァルトのレクイエム に特別熱い関心を寄せる人々のもの、かもし れません。感心のある方はこのペータース版 (https://www. editionpeters.com/product /requiem-in-d-minor- k626/ep11035?TRE00000 /)と一般的なスコアを並べて一枚ずつペー ジをめくって違うところを探しつつ、他の演 奏の CD と聞き比べてみてはいかがでしょうか。入祭 唱のソプラノが出るあたりや、その対位法を ジュスマイヤーが模倣したところがあるレコ ルダーレなどを聞くと、感 覚的に重苦しくなりがちな部分が爽やかに聞 こえる、とグラモフォン誌に書 いている人もいますから、我はと思う方はどれぐらい見つけられるか挑戦し てみていただきたいと思います。 指揮者のジョン・バットは1800年頃の ウィーンの演奏スタイルを再現しようとした スホーンデルヴィルトと同じく鍵盤奏者かつ ミュージコロジス トであり、このブラック版を採用したという ことは、この種の問題に対して同様に強い関 心を寄せているのだと思います。スホーン デルヴィルトの方が合唱とソロを合わせても 8人であるのに対し、こちらの演奏では合唱 部分の一つのパートが4人で、全部で16人 となっています。 そしてこの録音で個人的に期待したのがソ プラノです。鈴木盤のバッハの「結婚カン タータ」をはじめ、他の曲やガーディナー盤 でも歌っていたりす る、73年生まれのイギリスの魅力的なソプ ラノ、ジョアン・ランが起用されています。 飾りがなく真っ直ぐで、ときにフォルテで固 く張りの強い高音になる場合もありますが、 大変きれいな声です。ここでもビブラートを かけず、幾分ボーイソプラノを思わせる清潔 な歌唱です。 さて、ジョン・バットとその楽団の演奏で すが、何も誇張のない透明な音楽です。自分 の側への恣意的な表現に引っ張るところがあ りません。壮大で 力強い側にも、繊細でやわらかい側にも傾か ず、あるべき姿でレクイエムを明瞭に見せて くれる、純度の高い音楽となっています。テ ンポ設定はあまり遅い方には傾かない中庸 で、人によってはさらっとし過ぎているよう に感じる場合もあるで しょうか。明晰な輪郭を感じさせるプレゼン スは多少強さの側を印象づけるかもしれま せん。しかし表情にも細やかな神経が行き 渡っています。ジュスマイヤー版の純粋な形 が味わえます。 出だしはやや軽快なテンポで始まります。 トロンボーンの登場する箇所で無駄に激しく はしませんが、切れと力があります。怒りの 日では速くなり、 激しく叩きつけるような小気味良さも味わえ ます。ブラスも突き刺さります。自分として は少し元気過ぎる気もするけれども、これぐ らいの方がメリハリがあるでしょう。レック ス・トレメンデも力強いながら、そちらは最 大速い方ではありま せん。ラクリモサはそっけなくならず、遅過 ぎもせず、一つひとつのパートがクリアで す。ジュスマイヤー版の良さが十分に感じら れます。味の濃い演奏ではありませんので、 そういう効果を求める方には向きません。 付録として、モーツァルトの死後すぐに友 人たちで行われたレクイエムの演奏を再現し てみたものも録音されています。こちらはス ホーンデルヴィル ト盤と同じく、合唱とソロイストを合わせて も8人、ソロも加わって各パート二人ずつの 合唱という構成です。 スコットランドのオーディオ会社、リンの レー ベルで2013年の録音です。オーディオ・ファイルにも満足であろう少しきらっとした艶のある優秀 な録音です。ピリオド楽器の弦がよく前へ出 るバランスで、繊細さの感じられる音です。 この線がやや細めながらクリアな録音はエキ ルベイ盤とも比べられるものですが、あちら のようなやわらかさは少なく、より高域寄り でシャープでしょう か。時折フォルテが鋭い音になり、ブラスが 若干きつく感じられる場合もありまし た。リンのオーディオ製品と同じ傾向の音と 言えるかもしれませんが、どう聞こえるかは 再生機器によるでしょう。合唱も透明です。 鈴木優人版 Mozart Requiem in D minor K. 626 Masaaki Suzuki Bach Collegium Japan Carolyn Sampson (s) Marianne Beate Kielland (ms) Makoto Sakurada (t) Christian Immler (br) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 鈴木雅明 / バッハ・コレギウム・ジャパン キャロリン・サン プソン(ソプラノ)/マリアン ネ・ベ アー テ・キーラント(メゾ・ソプラノ) 櫻田亮(テノー ル)/ クリスティアン・イムラー(バ リトン) 鈴木 BCJ 盤はバッハのカンタータ全集と いう大仕事が終わって2015 年になって出たもので、そのカ ンタータで素晴らしい演奏が何 枚もあったことに加え、ソプラ ノが コーヒー・カンタータや82番 などの名曲で大変きれいな声を 聞かせていたキャロリン・サン プソンが担っているのが個人的 には大きな注目点でした。そし て、 この楽団としては意外なほどに 力が入ってるところがあったの は驚きです。スコアは通常のも のではなく、指揮者のご子息、 鈴木優人がアイブラーの一部も 参照 してジュスマイヤー版を元に 作ったということです。アイブ ラーの補筆を使うのはランドン 版と同じアイディアです。主観 的な見方ながら、静かでゆった りめな 部分の表現とソプラノが♡♡で した。 遅い大ミサ曲とは真逆にやや 速めのテンポで始まり、力強 く、切れが感じられます。弦の 音が浮き立ち、ティンパニが前 に出て頑張っている感じがしま す。そ してソプラノが来ますが、語尾 は長く延ばさないものの、ここ ではビブラートが少なく、静か に澄んでいて大変美しいです。 この部分の歌唱では理想的な響 きだ と思います。このソプラノが出 てからの展開はいつもの BCJ らしく速くはなく、透明感があって非常にきれいです。 そして二つ目のキリエでまた 少しテンポが上がり、三曲目の 「怒りの日」まで来る と、テンポ設定そのものはすご く速いわけではないけれども、 やや前のめりに急ぐ感じがしま す。ティンパニが前へ出て乗っ て叩くので、ちょっとお祭りの お囃 子の ようです。迫力があって好きと いう人もいるでしょう。高めで 張りのある音が反響するので余 計に元気に聞こえるのかもしれ ません。その後ろでは、レック ス・ トレメンデについてはジュスマ イヤーの指示(グラー ヴェ)通りに相 対的にはゆっくりめになってい るものの、レコルダーレや コンフターティスの一部も多少 まくった感じがあり、感情の容 れ物がいっぱいになってるよう な印象です。別の言い方をすれ ば気合が入ってるということに もな ります。拍の間の詰め方と、大 半はティンパニの扱いによるも のだと思います。 さて、鈴木優人版というスコ アが一番分かるのは、何といっ ても新しく創作した部分です。 ラクリモサの後半は多くの校訂 者がよく作り直すところなが ら、こ こは展開の上ではジュスマイ ヤーそのものであり、元々ジュ スマイヤーが一番ではないかと 思っているので、大変良かった です。 そして次にアーメン・フーガ が追加されています。直前のラ クリモサの最後の部分である高 らかな「アーメン」合唱を切ら ずしてその後に続ける形です。 別に おかしくないし、こうすれば良 いと思ってました。ただし音型 はそのままでも、歌詞の「アー メンは」その前の「レクイエ ム」を二度繰り返す形に変え、 次の アーメン・フーガと重ならない ようにしてあるようです。考え られてます。 アーメン・フーガは新しく発 見されたモーツァルトの自筆ス ケッチによっているわけです が、それも16小節までしかな いので後半は自力で何とかしな ければ なりません。どうやるのでしょ うか。しかしまずは出だしの処 理です。モーンダー版やレヴィ ン版のように声だけで入らず、 最初から弦の伴奏が細かく刻ん でい るのが特徴的です。これこそ好 みですが、その二版のアカペラ の純粋な響きが印象的だと思っ ていたので、あくまでも個人的 には器楽はない方がありがた かった です。その分だけ速度も遅く感 じられました。 次に、問題のその後ろの創作 部分ですが、全体に短いのは嬉 しいです。ただ、真ん中で展開 させる箇所は独特です。他の部 分で聞かれるリズムから取って 来た のでしょうが、高く舞ってから 降りるパッセージを繰り返して なだれ込む先の「パンパカパン パン、パーパンッ」というブラ スの結論が、ちょっとおどけて いる ように聞こえました。鈴木氏が ベストと考えて作ったわけです から、聞き手にもそれがベスト と感じる方はおられるでしょ う。決して悪いと言っているわ けでは ありません。一般論を述べれ ば、このアーメン・フーガの未 完の部分を全体に自然で個性的 な音楽にするのは誰にとっても 大変なことだろうと思います。 最後は 出だしの音型に呼応させるので 比較的やりやすいわけで、この 真ん中の部分さえ作らずにおけ ば自然にはなるでしょうが、そ うするとフーガの展開(対唱) が何 もないことになってしまいま す。ちゃんと仕事をしないのは ミュージコロジストとしては嫌 でしょう。 オッフェントリウム以降の楽 章は全て理想的な運びだと感じ ましたので、この鈴木雅明盤、 大半はすごく気に入った演奏で す。終わりの楽章のキャロリ ン・サ ンプソンの歌唱がまた素晴らし く、そこで締め括られるわけで すから、最初も後半も終わり方 も全て、大きな満足に満たされ る一枚でした。 2013年録音の BIS です。残響がきれいで、弦も声 も良く、録音はいつもながら見 事です。 ス ホーンデルヴィルト版 (ジュスマイヤー版+自前アーメン・フーガ) Mozart Requiem in D minor K. 626 Arthur Schoonderwoerd Gesualdo Consort Cristofori モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 アルテュール・スホー ンデルヴィルト / ジュズアルド・コンソート・アムス テル ダム クリストフォリ オランダのフォルテピアノ奏者スホー ンデルヴィルトが、80年代にハリー・ ファン・デル・カンプらによって 結成された同国の合唱団であるジュズア ルド・コンソートと、自身が1995年 に創設した古楽オーケストラ、クリスト フォリを指揮しています。この盤の注目 点は、OVPP(1パート1人の合唱) に近い 少人数の編成により、この曲が初演され た1800年頃のウィーンの演奏スタイ ルを再現しようとしているところです。 前出のバット盤と似た問題意識によって いると言えます。 実際には合唱部分の各パートが一人ず つ、ソロが一人ずつということで、合唱 のパートが歌われるときにはソロも加わ るので、OVPP ではないです。当時はそういう歌い方 だったようです。モーツァルトの死の後 で友人たちが演奏したのもそうだったの かもしれません。しかし驚き の音ではあります。人数が多くて濁るの も困るけど、これはその反対で、頼りな いほど閑散としていて、お金のなかった モーツァ ルト晩年の境遇をあらためて感 じさせる、などと言うのは偏見でしょう。オーケストラも各パート 一人ずつのようで、室内楽的な味わいで 透明な歌唱が聞ける、と言うべきだと思 います。最初から迫力ある表現を求める ものではないでしょう。 また、大ミサ曲のガーディナーなども 同じだけれど、キリエの後など、所々 (モーツァルトが作っていない典礼 文の箇所)でグレゴリオ聖歌が入る構成 でもあります。時代を再現する狙いから スコアは通常通りジュスマイヤー版なが ら、アーメン・フー ガはスホーンデルヴィルトが作って加え てあります。 ややゆったりのテンポで入り、伴奏部 分をスラーにしない古楽の運びです。全 体のテンポは遅くはありません。 古楽らしい軽快さもあり、力を込める楽 章ではきりっと角を出すところも聞かれ ます。そして演奏のスタイルはどうかと 他 と比べることも躊躇するぐらい、音が独 特です。 ソプラノは飾りを付けず、ほとんどノ ンビブラートでボーイ・ソプラノのよう に真っ直ぐ歌っていて良いです が、合唱団の一部ということでソロの名 前は挙がっていません。タイムスリップ して初演の場面に居合わせたら、きっと こんな感じなのでしょう。 独自のアーメン・フーガについてで す。最初からユニゾンで楽器もなぞって いるでしょうか。背後で何か聞こえま す。入 り方も独特の音型で、まるで中世かルネ サンスの合唱が始まったかのようです。 この形の中では調和が取れていると思い ます が、聞き慣れたモーンダー版やレヴィン 版などとはまるで別の曲ではあります。 録音のバランスがどうということも、 比べるべきテーブルが違う感じで、この 編成では 別物に聞こえるとしか言いようがありま せん。アクセント(レーベル)2017 年の録音です。良いコンディションで す。ボルトン盤と並んでピカイチの面白 い企画と言えるでしょう。 ピエール=アンリ・デュトロン版 Mozart Requiem in D minor K. 626 René Jacobs Freiburger Barockorchester RIAS Kammerchor Sophie Karthäuser (s) Marie-Claude Chapuis (a) Maximilian Schmitt (t) Johannes Weisser (br) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ルネ・ヤーコプス / フライブルク・バロック・オーケス トラ RIAS 室内合唱団 ゾフィー・カルトホイ ザー(ソプラノ)/ マリー=クロード・シャピュイ(ア ル ト) マキシミリアン・シュ ミット(テノー ル)/ ヨハネス・ヴァイサー(バリトン) 温かみのある自然体のマタイ受難曲が 印象的だった指揮者としてのヤーコプス ですが、その五年前の演奏と同じベルリ ンの RIAS 室内合唱団に加え、バリトンも同じ人を 起用しています。オーケストラはベルリ ン・古楽アカデミーからフライブルク・ バロック管弦楽団に変わりました。スコ アはジュスマイヤー版を元にオーケスト レーションを手直しした2016年のピ エール=アンリ・デュトロン版というこ とです。この編曲者、誰か有名な人のご 子息かどうかなど、生い立ちはどこにも 出てないですが、フィルム関係の若手の 作曲家のようです。長い髪をマンバン (man bun/後ろでお団子に結んだサムライヘア)にした髭のお兄さんです。フェースブックにはモーツァルトの肖像画と同じ角度で並ん だ写真があります。そしてスタイリッ シュな自己紹介のビデオ・クリップは、 トラック運転手から学校給食まで豪華な フランス人らしく、料理 はパッションだと言いたかったのでしょう。自身がオピネルの折りたたみナイフで玉ねぎを切る 場面から始まっています。「ベッドサイ ドにはい つもモーツァルトがいた、レクイエムは 好きだけど何かが違うと思った、もっと 何かあるはずだ、旅に出てスイス、ドイ ツ、ウィーンと答えを探し歩いた」など とモノローグが入る、フランス映 画のトレーラーさながらの出来です。「エキス パートにも出会った」というところで は、楽譜を持つヤーコプスと語るショッ トも映し出されます。才能のある人が新 しい ことに挑戦するチャンスを与えられるの は素晴らしいことだと思います。ヤーコ プスはお父さんのように見守る気持ちに なったのでしょう。分かりませんが。 悲劇的な雰囲気を前面に出した深刻 ぶった演奏ではありません。自然体の柔 軟さと軽さ、温かみが感じられるのはマ タイのときと同じです。等身大とも言え る でしょう。正直な感じがして大変気持ち がいいです。この演奏マナーに関しては ♡♡です。 出だしでは、伴奏部分の音型に軽く弾 ませるように音を切るところが出るのは ピリオド奏法的ですが、力が抜けていて 鋭い感じには聞こえません。全体にリ ラックスした音で運び、ふわっと軽く、 質においてさらっとした印象がありま す。また、フォーレかというように静か なところもあり、劇的な力強さを望む人 に は向かない演奏かと思います。ですから 方向性はそれぞれ違うものの、バーンス タインや最近のクルレンツィスが好きな 人には評価されないことでしょう。しか し決して軟弱なものという意味ではな く、怒りの日などでは力強さも十分で、 レックス・トレメンデでは歯切れ良く、 ティ ンパニも鋭く目立ちます。 ソプラノは高く澄んだ声で、フレーズ の語尾は切るもののビブラートはほとん ど目立たず、心洗われる歌唱です。 1974年ベルギー生まれで、モーツァ ルト と古楽のオペラを得意として歌曲のリサ イタルもよく開く人のようです。 そしてこれは編曲の問題ですが、四曲 目のトゥーバ・ミルムあたりから独自の 動きが目立って聞こえるようになりま す。弦の伴奏音型やファゴットに聞きな れ ない飾りがあり、ちょっと不思議に思い ます。不調和というわけではないので単 に慣れだと思いますが、評価は分かれる でしょう。ただ単に和声を担う楽器配置 をいじったというようなレベルではな く、つけ加わった動きです。 そして最初の最大の変更はラクリモサ で、ジュスマイヤーに敬意を払っている ということなのですが、後半の展開部か ら戻る境い目のところの劇的なフレーズ をやめ、独自展開させます。またラスト も変更しており、ジュスマ イヤー版の欠点を補うという感じでもな く、変える意味は自分にはよく分かりま せんでした。アーメン・フーガは加えて いません。 サンクトゥスの後半のフーガも大きく いじり、ベネディクトゥスは入りから何 が始まったか分からず、所々で元の音型 が聞かれるものの全く別の曲かというほ どに手を入れてあります。曲全体の締め 括り(ルックス・エテルナ)でも独特の 静かな和音のパートを挟み込み、そのま まスローに減速した状態で終わります。 2017年のハルモニア・ムンディ (フラ ンス)の録音です。ホールトーンを含ん だ生っぽいやわらさというよりも、弦の 高い方の細かな倍音がよく出ており、合 唱も子音がはっきりとしています。かと いって音の重なりで耳に負担なほどでは ないでしょう。よく出来たライヴのよう な自然なバランスの音に細かなディテー ルとエッジを加えたような、と言えばよ いでしょうか。弦は7、8キロヘルツ、 それより奥まった合唱はもう少し下に強 調点があるようです。たくさんのマイク と人員の配置に気を遣った録音のようで すが、全てが合わさるフォルテで最高度 に透明かどうかは分かりません。でも優 秀録音とは言えると思います。装置に よっては弦とブラスがきつくなる場合も あ るでしょう。 オストシガ版 Mozart Requiem in D minor K. 626 Florian Helgath Concerto Köln Chorwerk Ruhr Gabriela Scherer (s) Anke Vondung (a) Tilman Lichdi (t) Tobias Berndt (b) モーツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 フローリアン・ヘル ガート / コンチェルト・ケルン コールヴェルク・ルー ル ガブリエラ・シェラー (ソプラノ)/ アンケ・フォンドゥンク(アルト) ティルマン・リヒディ (テノール)/ トビアス・ベルント(バス) 指揮者のフローリアン・ヘルガートは 1978年生まれのドイツ人で、99年 に結成された室内合唱団であるコール ヴェルク・ルールの音楽監督で す。オーケストラはコンチェルト・ケル ン(85年結成の古楽の楽団)が担いま す。この盤の一つの特徴は75年生まれ のドイツの 作曲家、ミヒャエル・オストシガがジュ スマイヤーとアイブラーの仕事を参照し ながら補筆したオストシガ版のスコ アを使うところでしょうか。 やや速めの入りでリズムはあっさりし ています。静かな部分では力が抜けてふ わっとやわらかく、強い部分では切 れの良い方向の演奏でメリハリがありま す。 怒りの日は激しく鮮烈で、レックス・トレメンデなども歯切れが良いです。 ラクリモサは軽く力を抜いて、拍は切り ながら、という進行です。全体にくっき りとしていて細かなところまで表現が明 瞭で、意欲的な感じがします。 振り幅は結構ある一方で作為的な感じはなく、素晴らしいパフォーマンスだと思います。 ソプラノはロングトーンの頭から徐々 に振幅が大きくなって行く感じのビブ ラートをかけ、揺らぐ感じがします。 力は抜けており、声は少しアルトに寄っ て感じられるもので、高く軽い質ではあ りません。 オストシガ版のスコアですが、ラクリ モサでは音の進行はほぼジュスマイヤー を基本として変えていません。展開 から戻る部分の劇的な音型も同じです が、後ろでトロンボーンが一瞬聞き慣れ ない音を立てているでしょうか。その後 の終 わりの部分では、通常高い音に出てアー メンに入り(終わり)ますが、そこは カットしてそのまま次のアーメン・フー ガにつなげます。 そのアーメン・フーガはボーカルのみ で始まり、後半部分はしばらく最初の音 型の模倣で無理なくつないで行きます。 その後多少複雑に音型をいじりながらも 低い音に留まって印象的なラインは出さ ずに耐え、次に独自の部分が出て来ま す。ブラスの鋭い伴奏に支えられた少し 強い音で一旦高い音程へ盛り上げてから スタッカートで落とし、そこから裏返し 音型で 新たに高いメロディーラインを歌わせて 行って終わります。真ん中から後ろはオ ストシガの作曲という感じで、コメント は避けます。 コヴィエロ・レーベル2019年の録 音です。音は重心が低くて低音に弾力が あり、出過ぎはしませんがはっきり とした繊細な高域が乗ります。でも音場 的には少し奥まっています。残響はある 方です。ストレートな弦が消えて行く響 きが大変きれいな優秀録音です。 アー マン版 Mozart Requiem in D minor K. 626 Howard Arman Akademie für Alte Musik Berlin ♥ Chor des Bayerischen Rundfunks Christina Landshamer (s) Sophie Harmsen (ms) Julian Prégarden (t) Tareq Nazmi (b) モー ツァルト / レクイエム ニ短調 K. 626 ハ ワード・アーマン / ベルリン古楽アカデミー ♥ バイ エルン放送合唱団 クリ スティーナ・ランツハマー(ソプラノ)/ ソフィー・ハー ムセン(メゾ・ソプラノ) ユリ アン・プレガルディエン(テノール)/ タレク・ナズミ(バス) バイエルン放送合唱団の音楽監督であるハワー ド・ アーマンはイギリスの指揮者で す。大ミサ曲に続いてこれもライヴながら録音が 大変良いものとなりました。全体に透明感があっ てセンシティブな表現の、意識の 高いレクイエムだと思います。 その演奏表現ですが、テンポは出だしでは速く ありません。平均的に見ればゆったりした楽章で は中庸、 元気な楽章ではやや速めという具合に、ある程度 のメリハリがあります。怒りの日など、速いとこ ろでは切れの良いティンパニの 活躍が聞かれたりします。古楽の今のあり方らし いというところでしょう。でも響きに余裕はあ り、力づく の感じはしません。合唱も静けさと伸びがあって きれいです。この団体は他でも色々 な盤で歌っている実力のある合唱団で、この盤の 目玉です。オーケストラの方は古楽の実力者、ベ ルリン古楽アカデミーを呼んで 来ており、これも見事です。 ソプラノのクリスティーナ・ランツハマーは 1977年ミュンヘン生まれで、 二年 前の録音の大ミサのところではオペラ系と書きま したが、バッハの宗教曲や歌曲も得意とする人の ようです。軽い質ではないけれども くっきりとした輪郭のある透明な声で、ビブラー トは標準的に付きますが、振りはオペラ的に大き くはありま せん。パートの書き方のせいか、大ミサのときよ りこちらの方が好みの歌唱でした。 楽譜はジュスマイヤー版を元にしているそうで すが、アーマンがラクリモサの後半 を独自に作り、アーメン・フーガを加えてその後 半も展開させているので、これはもうアーマン版 としていいのだと思いま す。出来に関して評価はしませんが、アーマンが 良いと思って作っているなら、一定の方はこれこ そ最高だ と思うはずです。自分の好みで言えば、ラクリモ サの後半は自然な流れというより も、いくつかのパートに分かれているかのような 印象を持ったのでジュスマイヤーのままの方が良 かったし、アーメン・フーガの 後半も他の版より展開の方向が特別気持ち良いと は思いませんでした。これは全くの 主観なので主張するつもりはありません。ですが その意味で♡は一つとしました。ソロイストたち も皆いいし、アンサンブルのクオリティも非常に 高いくて爽やかだし、パフォーマンス としては♡♡です。大ミサのときはソロイストの 点で、このレクイエム では版の問題で引っ掛かっているので、なんだか 不公平な気がします。このスコアが好きな人は気 にしないでください。多くの方に聞いてほしい、 大変いい演奏です。 自前レーベル BR クラシックの2020年の録音は前述の通り大変良く、よく張り出す弦はバロック・ ヴァイオリンながら潤いを残した音で響く瞬間も あり、全体のバランスも取れていて濁りがありま せん。管弦楽、合唱、ソロイスト、どれも良好で す。 INDEX |